“飘摇风雨中,带刀归来赤脚行。”我的名字是枫原万叶,游历四方的浪人。既然你我都在旅行的路上,这段路不妨结伴同行。我喜欢性格爽朗的人,这样相处时可以畅所欲言,有什么想说的不必藏在心里。既然手边有树叶,我可以为你吹奏一曲。“深山踏红叶,耳畔闻鹿鸣。”我很喜欢枫叶,可惜枫叶红时总多离别。
他曾是我的挚友。那天他向我问起,可曾听说过“无想的一刀”,我说自然,那一刀只有“神罚”降下时才可得见。那一刀是雷电将军武艺的极致,是最强的象征。可他说,那一刀未必无法企及,总会有地上的生灵敢于面对雷霆的威光。后来,“眼狩令”不期而至,民众的愿望,逐渐沦为砌筑“永恒”的砖瓦。在我无奈四处流离之时,却听闻他向“眼狩令”的执行者发起了御前决斗。御前决斗庄重而残酷,败者将面临神罚,胜者可赢取转机。或许他在想,他是最适合站出来的人,直面那“无想的一刀”本就是他毕生所愿。可当我抵达天守阁是,决斗已然结束,只听到神罚之后,他的断刀落地的声响,那就是他想要见证的光芒吧。在最后一刻,他的脸上会是怎样的神情?来不及猜想,我只是上前夺走了那颗光芒涣散的神之眼,最后逃离,我只知道,不能让他那炽热的愿望,被砌进冰冷的神像之中。
离开稻妻后,我许多次扪心自问,我对雷电将军的不满是否源于那一次御前决斗,是否源于她对友人落下的那一刀? 我想了很久,觉得不是的。我的友人是堂堂正正地死在了决斗场上,雷电将军的那一刀也并无不妥。我对她的不满,来源于“眼狩令”。没有任何人有资格剥夺他人的愿望,即便是「神」也不行。
不必担心,就算有一天我们去往不同的地方,也定会在世界的某处再次相遇。人与人的缘不是那么容易就断掉的东西。我坐在船头眺望远方,会觉得这段旅程非常值得。海鸥别叫啦,从今天起,我也是漂泊者呀。
#原神[超话]#
「雨降る風の中、刀を持ちて裸足で歩く」拙者は楓原万葉と申す、四方を彷徨う浪人である。同じ旅路をゆく者同士、共にあゆもうではないか。拙者は飾り気のない性格をした人が好きでござる、やはり思っていることは心の内に秘めず、直接言った方が快いものだ。手元に葉があるのなら、拙者が草笛でー曲奏でよう。「山に紅葉踏み分け、鳴く鹿の、声聞くときぞ、秋は悲しき」拙者はカエデが好きでござる。しかし、かエデが紅に変わる時は、いつも別れが伴う 。
彼は拙者の親友であった。ある日彼は拙者に「無想の一太刀」を聞いたことがあるかと聞いてきた。拙者は当然、その一刀は「神罰」が下る(くだる)時にのみ見られると答えた。それは雷電将軍が達した武の極み、最強である証。しかし彼は「その一太刀」手が届かなくもない。いつの日か雷電に相対する者がこの地上に現れる」と言った。その後、目狩リ令がなんの前触れもなく下された、人々の願望(がんぼ)は、「永遠」を構築する瓦と成り果てた。そして拙者が放浪していた時、彼は「目狩り令」の執行者に「御前試合」を申し込んだと聞いた。「御前試合」は厳粛で残酷なもの、敗者は神罰を受け、勝者は転機を勝ち取る。彼は自分こそが立ち上がるべき人間だと思ったのであろう、それに無想の一太刀た相対するのが彼の願いでもあった。しかし拙者が「天守閣」に着いた頃、すでに御前試合が終わっていた。ただ神罰が下り、彼の刀が地面へと落ちる音が響いた、それは彼が見たかった光であったのであろう。最後の瞬間、彼はどうのような顔をしていたのだろうか、想像する間もなかったでござる、拙者は光が失せ行く神の目を奪い、そこから逃げた。拙者に理解できたのは、彼の熱き願いを氷のように冷たき神像へとはめこむべきではないということのみ。
稲妻を離れた後、何度も自分の胸に聞いたでござる。雷電将軍に対する拙者の不満は、あの御前試合から生じたものなのか、彼女が友に下した一振りが原因だったのかと。拙者は考えた末、それは違うと分かった。拙者の友は決闘の場で堂々と死した、雷電将軍のあの一振りは間違っていたとは言えぬ。彼女に対する不満は目狩り令からくるものだ。何人たりとも他人の願いを剥奪する資格などない、たとえそれが「神」であったとしても。
心配はいらぬ、いつの日かお互い違う場所に赴こうとも、必ず世界のどこかでもた会えよう。人の「緣」とはそう容易く切れるものではないのでだざる。船首から遠くを眺めれば、この旅も価値のあるものだと思える。カモメよ鳴くでない、今日から拙者も、同じく旅人なのだぞ。
他曾是我的挚友。那天他向我问起,可曾听说过“无想的一刀”,我说自然,那一刀只有“神罚”降下时才可得见。那一刀是雷电将军武艺的极致,是最强的象征。可他说,那一刀未必无法企及,总会有地上的生灵敢于面对雷霆的威光。后来,“眼狩令”不期而至,民众的愿望,逐渐沦为砌筑“永恒”的砖瓦。在我无奈四处流离之时,却听闻他向“眼狩令”的执行者发起了御前决斗。御前决斗庄重而残酷,败者将面临神罚,胜者可赢取转机。或许他在想,他是最适合站出来的人,直面那“无想的一刀”本就是他毕生所愿。可当我抵达天守阁是,决斗已然结束,只听到神罚之后,他的断刀落地的声响,那就是他想要见证的光芒吧。在最后一刻,他的脸上会是怎样的神情?来不及猜想,我只是上前夺走了那颗光芒涣散的神之眼,最后逃离,我只知道,不能让他那炽热的愿望,被砌进冰冷的神像之中。
离开稻妻后,我许多次扪心自问,我对雷电将军的不满是否源于那一次御前决斗,是否源于她对友人落下的那一刀? 我想了很久,觉得不是的。我的友人是堂堂正正地死在了决斗场上,雷电将军的那一刀也并无不妥。我对她的不满,来源于“眼狩令”。没有任何人有资格剥夺他人的愿望,即便是「神」也不行。
不必担心,就算有一天我们去往不同的地方,也定会在世界的某处再次相遇。人与人的缘不是那么容易就断掉的东西。我坐在船头眺望远方,会觉得这段旅程非常值得。海鸥别叫啦,从今天起,我也是漂泊者呀。
#原神[超话]#
「雨降る風の中、刀を持ちて裸足で歩く」拙者は楓原万葉と申す、四方を彷徨う浪人である。同じ旅路をゆく者同士、共にあゆもうではないか。拙者は飾り気のない性格をした人が好きでござる、やはり思っていることは心の内に秘めず、直接言った方が快いものだ。手元に葉があるのなら、拙者が草笛でー曲奏でよう。「山に紅葉踏み分け、鳴く鹿の、声聞くときぞ、秋は悲しき」拙者はカエデが好きでござる。しかし、かエデが紅に変わる時は、いつも別れが伴う 。
彼は拙者の親友であった。ある日彼は拙者に「無想の一太刀」を聞いたことがあるかと聞いてきた。拙者は当然、その一刀は「神罰」が下る(くだる)時にのみ見られると答えた。それは雷電将軍が達した武の極み、最強である証。しかし彼は「その一太刀」手が届かなくもない。いつの日か雷電に相対する者がこの地上に現れる」と言った。その後、目狩リ令がなんの前触れもなく下された、人々の願望(がんぼ)は、「永遠」を構築する瓦と成り果てた。そして拙者が放浪していた時、彼は「目狩り令」の執行者に「御前試合」を申し込んだと聞いた。「御前試合」は厳粛で残酷なもの、敗者は神罰を受け、勝者は転機を勝ち取る。彼は自分こそが立ち上がるべき人間だと思ったのであろう、それに無想の一太刀た相対するのが彼の願いでもあった。しかし拙者が「天守閣」に着いた頃、すでに御前試合が終わっていた。ただ神罰が下り、彼の刀が地面へと落ちる音が響いた、それは彼が見たかった光であったのであろう。最後の瞬間、彼はどうのような顔をしていたのだろうか、想像する間もなかったでござる、拙者は光が失せ行く神の目を奪い、そこから逃げた。拙者に理解できたのは、彼の熱き願いを氷のように冷たき神像へとはめこむべきではないということのみ。
稲妻を離れた後、何度も自分の胸に聞いたでござる。雷電将軍に対する拙者の不満は、あの御前試合から生じたものなのか、彼女が友に下した一振りが原因だったのかと。拙者は考えた末、それは違うと分かった。拙者の友は決闘の場で堂々と死した、雷電将軍のあの一振りは間違っていたとは言えぬ。彼女に対する不満は目狩り令からくるものだ。何人たりとも他人の願いを剥奪する資格などない、たとえそれが「神」であったとしても。
心配はいらぬ、いつの日かお互い違う場所に赴こうとも、必ず世界のどこかでもた会えよう。人の「緣」とはそう容易く切れるものではないのでだざる。船首から遠くを眺めれば、この旅も価値のあるものだと思える。カモメよ鳴くでない、今日から拙者も、同じく旅人なのだぞ。
真剣勝負
兵庫県の民話
むかしむかし、ある剣術の道場で、二人の侍が喧嘩になりました。
「さっきの勝負は、おれの勝ちだ!」
「いや、おれの勝ちだ。木刀だから分からないだろうが、もし本物の刀なら、いまごろお前は死んでいる」
「とんでもない。死んでいるのはそっちのほうだ。おれのほうが先に切ったはずだ」
「嘘を言うな。お前なんぞにおれが切れるものか」
とうとう二人は、大げんかになりました。
「よし、それなら本物の刀で真剣勝負だ!」
「おう、望むところだ。きさまの体をぶった切ってやる!」
道場にきていたほかの侍が、慌てて止めに入りました。
「まあ、まあ、二人とも気を静めて。もし道場で刀を抜くと破門されるぞ」
破門というのは、道場を止めさせられることです。
でも二人は、そんな言葉には耳を貸そうとしません。
「かまうもんか、こいつを切らんとおれの気がすまん。さあ抜け」
「ようし、覚悟はいいな」 二人は本物の刀を腰にさして、向き合いました。
そこへ弟子の知らせを聞いて、道場の先生がかけつけてきました。
「二人とも、止めんか!」 先生が怒鳴っても、二人は止めようとしません。 そこで先生は、二人の間に入って言いました。
「よろしい、それほど真剣勝負がしたいのなら、特別に許してやる。決して止めはしないから、お互いに死ぬまで戦え。その変わりどっちが勝っても、勝ったほうをわたしがまっ二つに切ってやるから、その覚悟で勝負せい!」
二人とも、この先生の言葉にビックリ。 先生は有名な剣術使いで、自分の相手になるような人ではありません。
すっかりこわくなった二人は、へなへなと、その場に坐りこんでしまいました。
#分手需要好好告别吗##老照片##王一博#
真刀实剑
兵库县民间故事
从前,在教剑术的练功场,有两个武士发生了争吵。
“刚才的比试,是我赢了!”
“不,是我赢了!因为我们用的是木刀(比赛时使用的木头做的刀),所以看不出输赢,如果是真刀的话,你现在已经死了!”
“别瞎说了,死了的是你!是我先砍中你的!”
“你撒谎,就凭你能砍中我?”
两个人越吵越厉害。
“好吧,要不我们用真刀来一次真正的比赛吧!”
“噢,这正是我希望的。看我怎么砍你!”
在练功场的其他武士慌忙阻拦。
“好了,好了,你们两个都静下心来。如果在练功场拔刀的话,会被开除的。”
开除就是逐出道场。
但是两个人都听不进去。
“开除有什么,杀不了他我才心里不舒畅呢。拔刀吧!”
“好啊,准备好了吧?”
两个人都把刀插到腰间,面对面对峙着准备交锋。
这时,练功场的师傅听到弟子的通知跑了过来,呵斥道:
“你们两个还不住手!”
可两个人都不想住手。
于是师傅来到两人中间说道:“好吧,你们这么想真刀实剑的比试,这次破格允许你们。我绝对不会阻拦,你们拼个你死我活吧!不过不管谁赢了,我都会把赢的那个人劈成两半,想明白了的话,就比试吧!”
两个人听了师傅的话,都愣住了。
师傅是有名的剑术高手,自己哪里是对手啊。
两个人都非常害怕,软软地瘫坐到了地上。
兵庫県の民話
むかしむかし、ある剣術の道場で、二人の侍が喧嘩になりました。
「さっきの勝負は、おれの勝ちだ!」
「いや、おれの勝ちだ。木刀だから分からないだろうが、もし本物の刀なら、いまごろお前は死んでいる」
「とんでもない。死んでいるのはそっちのほうだ。おれのほうが先に切ったはずだ」
「嘘を言うな。お前なんぞにおれが切れるものか」
とうとう二人は、大げんかになりました。
「よし、それなら本物の刀で真剣勝負だ!」
「おう、望むところだ。きさまの体をぶった切ってやる!」
道場にきていたほかの侍が、慌てて止めに入りました。
「まあ、まあ、二人とも気を静めて。もし道場で刀を抜くと破門されるぞ」
破門というのは、道場を止めさせられることです。
でも二人は、そんな言葉には耳を貸そうとしません。
「かまうもんか、こいつを切らんとおれの気がすまん。さあ抜け」
「ようし、覚悟はいいな」 二人は本物の刀を腰にさして、向き合いました。
そこへ弟子の知らせを聞いて、道場の先生がかけつけてきました。
「二人とも、止めんか!」 先生が怒鳴っても、二人は止めようとしません。 そこで先生は、二人の間に入って言いました。
「よろしい、それほど真剣勝負がしたいのなら、特別に許してやる。決して止めはしないから、お互いに死ぬまで戦え。その変わりどっちが勝っても、勝ったほうをわたしがまっ二つに切ってやるから、その覚悟で勝負せい!」
二人とも、この先生の言葉にビックリ。 先生は有名な剣術使いで、自分の相手になるような人ではありません。
すっかりこわくなった二人は、へなへなと、その場に坐りこんでしまいました。
#分手需要好好告别吗##老照片##王一博#
真刀实剑
兵库县民间故事
从前,在教剑术的练功场,有两个武士发生了争吵。
“刚才的比试,是我赢了!”
“不,是我赢了!因为我们用的是木刀(比赛时使用的木头做的刀),所以看不出输赢,如果是真刀的话,你现在已经死了!”
“别瞎说了,死了的是你!是我先砍中你的!”
“你撒谎,就凭你能砍中我?”
两个人越吵越厉害。
“好吧,要不我们用真刀来一次真正的比赛吧!”
“噢,这正是我希望的。看我怎么砍你!”
在练功场的其他武士慌忙阻拦。
“好了,好了,你们两个都静下心来。如果在练功场拔刀的话,会被开除的。”
开除就是逐出道场。
但是两个人都听不进去。
“开除有什么,杀不了他我才心里不舒畅呢。拔刀吧!”
“好啊,准备好了吧?”
两个人都把刀插到腰间,面对面对峙着准备交锋。
这时,练功场的师傅听到弟子的通知跑了过来,呵斥道:
“你们两个还不住手!”
可两个人都不想住手。
于是师傅来到两人中间说道:“好吧,你们这么想真刀实剑的比试,这次破格允许你们。我绝对不会阻拦,你们拼个你死我活吧!不过不管谁赢了,我都会把赢的那个人劈成两半,想明白了的话,就比试吧!”
两个人听了师傅的话,都愣住了。
师傅是有名的剑术高手,自己哪里是对手啊。
两个人都非常害怕,软软地瘫坐到了地上。
2023年6月19日発売 AERA 2023年6月26日号から
木村拓哉 × 蜷川実花「恐怖心を持ちながら全力で」“トップランナー”でいれられる理由
「何回会っても『うわっ本物がいる!』って思う(笑)。撮影中は目線でリードしてくれてすごく頼もしい」(蜷川)
木村拓哉さんも蜷川実花さんはともに50歳。半世紀の人生をトップランナーとして全力で駆け抜けてきた。なぜ二人は長く走り続けてこられたのか。仕事の取り組み方や考え方について語り合った。
──活躍を続ける二人だが、いまも「うまくできない」と感じることはあるのだろうか。
蜷川:そんなことだらけですよ。私、結構ネガティブ思考で、何かを成し遂げたという感覚は今まで一度もない。一生懸命ポジティブに考えるようにしてるんです(笑)。理不尽に傷つけられることは、仕事でも生きていくうえでもたくさんあります。それをどうやって自分の中でいいことに変えようかを考えてきた。
木村:俺は、つらい時期っていうのはそんなになかったかな。実花ちゃんと似ているけど、つらいという感情が体に付着しそうになったときは、それをどう捌いていくかを、ある種ゲーム感覚で楽しむように考えてた。
蜷川:私の場合は、女性としての大変さもあるし、出る杭に対して無責任に飛んでくる誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)や「こうじゃないといけない」という押しつけを息苦しく感じることもあったな。目立つ場所や新しい場所に立つと、やっぱり風圧が高いんですよ。それは拓哉くんもそうだと思うんだけど。
木村:まともに受けていたら絶対に折れちゃうから、しなることも必要だと思う。向かい風も受け方によっては、ヨットみたいに動力になるし、追い風に変えることもできると思うから。
■冷たい水か熱いお湯
蜷川:聞いた時は本当にしびれた。トップランナーとして、ずっと風を受けながら進んできた拓哉くんだからこそ説得力がある言葉だよね。めっちゃやる気になります。
お互い、できないことをやりたくなっちゃう性質なんだと思う。今でこそ、私も国内ではある程度自分の意見を尊重してくれる環境が整っているけど、海外でやりたいと思ってゼロからスタートしたこともある。自分で自分をなぞりたくない。だから、いつもずっと大変(笑)。
木村:「なぞりたくない」っていいね。
蜷川:経験を重ねると、どうしても前と似た景色や仕事が増えてくるわけじゃない。意識の保ち方や挑戦の仕方はどうしてる? 特に拓哉くんが大変だと思うのは、「キムタクだったら絶対できる!」って、周りが皆思っているでしょ。常に全力?
木村:それしかないというか、調整してられないよね。「できるでしょ」って皆さんが思ってくれていることがうれしいから。ちょっとだけ「おいおい」とも思うけど(笑)、現場に行くと「できるよね?」の圧は伝わってくるから、毎回必死。
蜷川:いわゆる「キムタク」という存在になってから、何十年も経つでしょう?
木村:プレッシャーはあるけど、ストレスは感じてない。だから、面白いんだよね。アニメの主人公になったような気分でワクワクできる。すごく冷たい水か、めちゃくちゃ熱いお湯かの、どっちかが俺は好き。何も温度を感じない場所は興味がないから。
蜷川:私たち、同じ病にかかっていますね(笑)。これだけ経験を積んできたら、手を抜いても回せる場面もあると思うんだけど、それはやりたくない。
木村:うん。
蜷川:すごいよね。拓哉くんのレベルで、すべてのことにある種の恐怖心を持ちながら全力で向き合っているんだから。
木村:そうしたいし、そうじゃないともったいないよ、まじで。ガキの頃は先が見えなくても「行ってみようぜ!」という勢いで進めたと思うんだけど、今もそれは同じで。進んだ先でどうなるかとか、何が待っているかという情報は知りたいと思わないかな。
■経験値があるから何?
蜷川:私もそれはないかな(笑)。若いころは闘争心や劣等感をバネに突き進んできたけど、最近は写真を撮っても「本当に世界って美しいな」と感じるようになったの。一瞬の中に永遠を見る感覚があって、だからこそ瞬間を大切に過ごしたいと思うようになった。50歳になってこんなに世界の見え方が変わるんだってびっくりしてる。長く続けていくためには、フレッシュさを持ち続けることは必要だと思う。たとえ何周目かでも、新しい恐怖感をもって新しいフィールドを探検できる能力というか。だから、経験は積んでいるんだけど、同時に「経験値があるから何?」とも思う。
木村:そうそう! 「で?」って思う(笑)。
木村拓哉 × 蜷川実花「恐怖心を持ちながら全力で」“トップランナー”でいれられる理由
「何回会っても『うわっ本物がいる!』って思う(笑)。撮影中は目線でリードしてくれてすごく頼もしい」(蜷川)
木村拓哉さんも蜷川実花さんはともに50歳。半世紀の人生をトップランナーとして全力で駆け抜けてきた。なぜ二人は長く走り続けてこられたのか。仕事の取り組み方や考え方について語り合った。
──活躍を続ける二人だが、いまも「うまくできない」と感じることはあるのだろうか。
蜷川:そんなことだらけですよ。私、結構ネガティブ思考で、何かを成し遂げたという感覚は今まで一度もない。一生懸命ポジティブに考えるようにしてるんです(笑)。理不尽に傷つけられることは、仕事でも生きていくうえでもたくさんあります。それをどうやって自分の中でいいことに変えようかを考えてきた。
木村:俺は、つらい時期っていうのはそんなになかったかな。実花ちゃんと似ているけど、つらいという感情が体に付着しそうになったときは、それをどう捌いていくかを、ある種ゲーム感覚で楽しむように考えてた。
蜷川:私の場合は、女性としての大変さもあるし、出る杭に対して無責任に飛んでくる誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)や「こうじゃないといけない」という押しつけを息苦しく感じることもあったな。目立つ場所や新しい場所に立つと、やっぱり風圧が高いんですよ。それは拓哉くんもそうだと思うんだけど。
木村:まともに受けていたら絶対に折れちゃうから、しなることも必要だと思う。向かい風も受け方によっては、ヨットみたいに動力になるし、追い風に変えることもできると思うから。
■冷たい水か熱いお湯
蜷川:聞いた時は本当にしびれた。トップランナーとして、ずっと風を受けながら進んできた拓哉くんだからこそ説得力がある言葉だよね。めっちゃやる気になります。
お互い、できないことをやりたくなっちゃう性質なんだと思う。今でこそ、私も国内ではある程度自分の意見を尊重してくれる環境が整っているけど、海外でやりたいと思ってゼロからスタートしたこともある。自分で自分をなぞりたくない。だから、いつもずっと大変(笑)。
木村:「なぞりたくない」っていいね。
蜷川:経験を重ねると、どうしても前と似た景色や仕事が増えてくるわけじゃない。意識の保ち方や挑戦の仕方はどうしてる? 特に拓哉くんが大変だと思うのは、「キムタクだったら絶対できる!」って、周りが皆思っているでしょ。常に全力?
木村:それしかないというか、調整してられないよね。「できるでしょ」って皆さんが思ってくれていることがうれしいから。ちょっとだけ「おいおい」とも思うけど(笑)、現場に行くと「できるよね?」の圧は伝わってくるから、毎回必死。
蜷川:いわゆる「キムタク」という存在になってから、何十年も経つでしょう?
木村:プレッシャーはあるけど、ストレスは感じてない。だから、面白いんだよね。アニメの主人公になったような気分でワクワクできる。すごく冷たい水か、めちゃくちゃ熱いお湯かの、どっちかが俺は好き。何も温度を感じない場所は興味がないから。
蜷川:私たち、同じ病にかかっていますね(笑)。これだけ経験を積んできたら、手を抜いても回せる場面もあると思うんだけど、それはやりたくない。
木村:うん。
蜷川:すごいよね。拓哉くんのレベルで、すべてのことにある種の恐怖心を持ちながら全力で向き合っているんだから。
木村:そうしたいし、そうじゃないともったいないよ、まじで。ガキの頃は先が見えなくても「行ってみようぜ!」という勢いで進めたと思うんだけど、今もそれは同じで。進んだ先でどうなるかとか、何が待っているかという情報は知りたいと思わないかな。
■経験値があるから何?
蜷川:私もそれはないかな(笑)。若いころは闘争心や劣等感をバネに突き進んできたけど、最近は写真を撮っても「本当に世界って美しいな」と感じるようになったの。一瞬の中に永遠を見る感覚があって、だからこそ瞬間を大切に過ごしたいと思うようになった。50歳になってこんなに世界の見え方が変わるんだってびっくりしてる。長く続けていくためには、フレッシュさを持ち続けることは必要だと思う。たとえ何周目かでも、新しい恐怖感をもって新しいフィールドを探検できる能力というか。だから、経験は積んでいるんだけど、同時に「経験値があるから何?」とも思う。
木村:そうそう! 「で?」って思う(笑)。
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