《自由の彼方へ》歌词留档
#魔道祖师日语广播剧# [鲜花]#魔道祖师#
無情に吹き抜けてゆく
時代(とき)の風たとえ
遠い昔語りに
過ぎぬ幻想(ゆめ)としても...
張りつめた琴線(いと)は 今何を奏でる?
そう君は信念(こころ)を 自由にかき鳴らす
運命(さだめ)の中で 業火に焼かれ残された烙印(しるし)
密やかに刻んだ同じ痛みの痕(あと)
冷たい哀しみの果て 雲は流れゆく
溢れ落ちた滴は 誰が為なのか
水面に広がる波紋 知っているそれは
優しい人の隠した 涙の残像と
寂しげな笛の 音泣き声のよう
嗚呼、咎であっても
譲れない決意(ねがい)
運命(さだめ)の波に
苦悶の闇にどうか飲まれずに
正義さえ歪む世界に抗うから
戻れぬ季節を越えて
孤独に抱かれ
未だ消えぬ傷さえ
共に背負おう
かかえた罪も重ねた温もりも全部
血色の道でいつか
虚空を照らすまで
笑顔の面影と 絆胸に抱いて
幾度も季節は巡り やがて移りゆく
善も悪も真実 蓮のほとりで
溢れて落ちた滴は 生命(いのち)と溶け合い
希望旋律に乗せ 過去をほどいてゆく
自由の彼方へそっと 解き放つ願い
君と再び綴ろう 愛しき日の詩を
#魔道祖师日语广播剧# [鲜花]#魔道祖师#
無情に吹き抜けてゆく
時代(とき)の風たとえ
遠い昔語りに
過ぎぬ幻想(ゆめ)としても...
張りつめた琴線(いと)は 今何を奏でる?
そう君は信念(こころ)を 自由にかき鳴らす
運命(さだめ)の中で 業火に焼かれ残された烙印(しるし)
密やかに刻んだ同じ痛みの痕(あと)
冷たい哀しみの果て 雲は流れゆく
溢れ落ちた滴は 誰が為なのか
水面に広がる波紋 知っているそれは
優しい人の隠した 涙の残像と
寂しげな笛の 音泣き声のよう
嗚呼、咎であっても
譲れない決意(ねがい)
運命(さだめ)の波に
苦悶の闇にどうか飲まれずに
正義さえ歪む世界に抗うから
戻れぬ季節を越えて
孤独に抱かれ
未だ消えぬ傷さえ
共に背負おう
かかえた罪も重ねた温もりも全部
血色の道でいつか
虚空を照らすまで
笑顔の面影と 絆胸に抱いて
幾度も季節は巡り やがて移りゆく
善も悪も真実 蓮のほとりで
溢れて落ちた滴は 生命(いのち)と溶け合い
希望旋律に乗せ 過去をほどいてゆく
自由の彼方へそっと 解き放つ願い
君と再び綴ろう 愛しき日の詩を
改札の前つなぐ手と手
いつものざわめき、新しい風
明るく見送るはずだったのに
うまく笑えずに君を見ていた
君が大人になってくその季節が
悲しい歌で溢れないように
最後に何か君に伝えたくて
「さよなら」に代わる言葉を僕は探してた
君の手を引くその役目が
僕の使命だなんて そう思ってた
だけど今わかったんだ 僕らならもう
重ねた日々がほら、導いてくれる
君が大人になってくその時間が
降り積もる間に僕も変わってく
たとえばそこにこんな歌があれば
ふたりはいつもどんな時もつながっていける
突然ふいに鳴り響くベルの音
焦る僕 解ける手 離れてく君
夢中で呼び止めて 抱き締めたんだ
君がどこに行ったって僕の声で守るよ
君が僕の前に現れた日から
何もかもが違くみえたんだ
朝も光も涙も、歌う声も
君が輝きをくれたんだ
抑えきれない思いをこの声に乗せて
遠く君の街へ届けよう
たとえばそれがこんな歌だったら
ぼくらは何処にいたとしてもつながっていける
いつものざわめき、新しい風
明るく見送るはずだったのに
うまく笑えずに君を見ていた
君が大人になってくその季節が
悲しい歌で溢れないように
最後に何か君に伝えたくて
「さよなら」に代わる言葉を僕は探してた
君の手を引くその役目が
僕の使命だなんて そう思ってた
だけど今わかったんだ 僕らならもう
重ねた日々がほら、導いてくれる
君が大人になってくその時間が
降り積もる間に僕も変わってく
たとえばそこにこんな歌があれば
ふたりはいつもどんな時もつながっていける
突然ふいに鳴り響くベルの音
焦る僕 解ける手 離れてく君
夢中で呼び止めて 抱き締めたんだ
君がどこに行ったって僕の声で守るよ
君が僕の前に現れた日から
何もかもが違くみえたんだ
朝も光も涙も、歌う声も
君が輝きをくれたんだ
抑えきれない思いをこの声に乗せて
遠く君の街へ届けよう
たとえばそれがこんな歌だったら
ぼくらは何処にいたとしてもつながっていける
【直木賞受賞】ボンクラ将軍・足利尊氏が主人公の「俗」な太平記『極楽征夷大将軍』
室町幕府の初代将軍・足利尊氏が、実はボンクラ人間だったとしたら? 今年7月に第169回直木賞を受賞(永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』が同時受賞)した垣根涼介『極楽征夷大将軍』(文藝春秋)は、そんな見立てとともに『太平記』で描かれた時代を捉えなおす異色の歴史小説だ。
足利家の側室の子供として生まれた又太郎、後の尊氏は大の怠け者。勉学にも武芸にも身を入れずぼんやりとしていて、言動も間が抜けている。家の者には「極楽殿」と陰で呼ばれ軽んじられていた。こんな人間が、なぜ武家の棟梁になれたのか?何にも考えていなさそうな極楽殿に、自己分析と言語化はおそらく難しい。そこで本書において解説役となるのが、尊氏を支え続けた2歳年下の弟・直義と足利家の宰相・高師直である。物事を客観的に見ることのできる切れ者二人の視点を借りながら、尊氏の人となりが語られていく。
何の取柄もなさそうに見える又太郎だが、兄といつも一緒にいる次三郎(後の直義)からすると長所がないわけではなかった。海に投げた木片が左右どちらに流されていくかを予想する遊びで、兄はいつも勝つ。勝負の流れを読む力が妙にあるのだ。土壇場で急に性根が据わるところもある。屋敷の中で鬼ごっこをして父・貞氏の大事な硯を割ってしまった時は、弟を庇い責任を一人で背負おうとしてくれた。
又太郎は元服すると、「高氏」に改名。父の嫡子・高義が若くして亡くなったことから、やがて足利家の当主に収まることになる。その頃鎌倉幕府は弱体化著しく、世の中は騒がしくなっていた。討幕を目論む後醍醐天皇が笠置山で挙兵。足利家は遠征軍に加わり、鎮圧へと向かう。
〈えーっ、と……〉。相変わらずの間の抜けた声で喋りはじめ、殺伐とした軍議の席で呑気に天皇方の戦いぶりを称賛しだす高氏。何たる腰抜けと呆れられるかと思いきや、〈さすがに、心根のお優しい足利殿であられる〉と場が和む。強硬派・慎重派それぞれが納得のいく方針を平易な言葉で説明し、〈――とまあ、わしは今、そんなふうに考えておるのだが、おのおの方は、どう思われるか〉と問いかけた頃には、〈足利殿の申されること、いちいちごもっともでござる〉と、誰もが高氏に靡いていた。
そこにいる人々=世間の中で渦巻く打算や願望の波を無意識のうちに乗りこなし、人心を掌握していく高氏。その姿は〈今まさに人々の交差する煩悩の上に飛沫を散らしながら大きく逆巻こうとしている、高波そのものである〉。師直はこう表現しつつも、今までの「極楽殿」という認識を改め忠誠を誓うようになる。極楽殿の思わぬ活躍と当主としての資質についての考察は、リーダー論として読んでもおもしろい。こうした分析と理屈っぽさが特徴でもある本書は、流布本の『太平記』を〈君臣の感動譚や誇張表現を売り物にした〉と作中でディスりつつも、歴史を美化せず構造的に描いていく。
1336年に幕府を開いてからも、平素は相変わらず極楽殿な高氏改め「尊氏」。〈わしは、かねてから申している通り、細々としたことを裁量するは不向きじゃ〉と、政務を弟の直義に丸投げしようとする。直義が抗議しても、〈おぬしはわしを放り出して、一人だけ鎌倉へと帰るというのか。それは、あまりにも卑怯というものではないかっ〉と逆ギレしだす。仕方なく直義は受け入れ、執事の師直にも多くの仕事が割り振られることになる。
生真面目でよく言えば誠実、悪く言うと融通の利かない直義。万事抜け目なく、清濁併せ呑むタイプの師直。互いに反りが合わないとは感じている。それでも、尊氏を二人で盛り立てていけば幕府はうまく回る。その認識で一致しているはずだった。だが他の武士たちは一枚岩とはならず、直義派と師直派に分かれ、対立関係が生まれていく。そこに家督の問題まで絡んで、話はさらにややこしくなる。直義の養子・直冬(尊氏の隠し子でもある)が次の将軍の座を奪うことを恐れた尊氏の正妻・登子。彼女は師直を使って幕府の人事に口を出し、結果として直忠派と師直派の遺恨が深まることになる。
直義と師直の対立は、鎌倉時代や現代にさえも見られる、お家騒動でありがちな構図を持っている。直義はその先で起こるだろう出来事に気づく。〈歴史は常に、同じような轍を踏むものだ〉。師直は直義を担いでいた人間たちの意図に勘づく。〈つまりこれは、将軍家を支える我ら高一族と、幕閣の中枢を占める上杉一族の勢力争いなのだ〉。一方、尊氏は両派の対立が武力衝突目前にまでなっても、参詣や弓場始めなどの行事を催して現実逃避する始末だった……。
このまま内部崩壊してもおかしくなさそうだが、結局のところ15代に亘り室町幕府は存続する。ではどのようにして、危機を乗り越えることができたのか? 直義と師直よりも長生きした尊氏は、支えてくれる人間がいなくなっても極楽殿のままだったのか? 流布本の『太平記』には書かれていない俗っぽい歴史と人間模様は、人で賑わう喫茶店や会社の休憩室などで、足利尊氏という人間を象徴する世間の欲望や思惑をBGMに読みたくなる。
藤井勉
室町幕府の初代将軍・足利尊氏が、実はボンクラ人間だったとしたら? 今年7月に第169回直木賞を受賞(永井紗耶子『木挽町のあだ討ち』が同時受賞)した垣根涼介『極楽征夷大将軍』(文藝春秋)は、そんな見立てとともに『太平記』で描かれた時代を捉えなおす異色の歴史小説だ。
足利家の側室の子供として生まれた又太郎、後の尊氏は大の怠け者。勉学にも武芸にも身を入れずぼんやりとしていて、言動も間が抜けている。家の者には「極楽殿」と陰で呼ばれ軽んじられていた。こんな人間が、なぜ武家の棟梁になれたのか?何にも考えていなさそうな極楽殿に、自己分析と言語化はおそらく難しい。そこで本書において解説役となるのが、尊氏を支え続けた2歳年下の弟・直義と足利家の宰相・高師直である。物事を客観的に見ることのできる切れ者二人の視点を借りながら、尊氏の人となりが語られていく。
何の取柄もなさそうに見える又太郎だが、兄といつも一緒にいる次三郎(後の直義)からすると長所がないわけではなかった。海に投げた木片が左右どちらに流されていくかを予想する遊びで、兄はいつも勝つ。勝負の流れを読む力が妙にあるのだ。土壇場で急に性根が据わるところもある。屋敷の中で鬼ごっこをして父・貞氏の大事な硯を割ってしまった時は、弟を庇い責任を一人で背負おうとしてくれた。
又太郎は元服すると、「高氏」に改名。父の嫡子・高義が若くして亡くなったことから、やがて足利家の当主に収まることになる。その頃鎌倉幕府は弱体化著しく、世の中は騒がしくなっていた。討幕を目論む後醍醐天皇が笠置山で挙兵。足利家は遠征軍に加わり、鎮圧へと向かう。
〈えーっ、と……〉。相変わらずの間の抜けた声で喋りはじめ、殺伐とした軍議の席で呑気に天皇方の戦いぶりを称賛しだす高氏。何たる腰抜けと呆れられるかと思いきや、〈さすがに、心根のお優しい足利殿であられる〉と場が和む。強硬派・慎重派それぞれが納得のいく方針を平易な言葉で説明し、〈――とまあ、わしは今、そんなふうに考えておるのだが、おのおの方は、どう思われるか〉と問いかけた頃には、〈足利殿の申されること、いちいちごもっともでござる〉と、誰もが高氏に靡いていた。
そこにいる人々=世間の中で渦巻く打算や願望の波を無意識のうちに乗りこなし、人心を掌握していく高氏。その姿は〈今まさに人々の交差する煩悩の上に飛沫を散らしながら大きく逆巻こうとしている、高波そのものである〉。師直はこう表現しつつも、今までの「極楽殿」という認識を改め忠誠を誓うようになる。極楽殿の思わぬ活躍と当主としての資質についての考察は、リーダー論として読んでもおもしろい。こうした分析と理屈っぽさが特徴でもある本書は、流布本の『太平記』を〈君臣の感動譚や誇張表現を売り物にした〉と作中でディスりつつも、歴史を美化せず構造的に描いていく。
1336年に幕府を開いてからも、平素は相変わらず極楽殿な高氏改め「尊氏」。〈わしは、かねてから申している通り、細々としたことを裁量するは不向きじゃ〉と、政務を弟の直義に丸投げしようとする。直義が抗議しても、〈おぬしはわしを放り出して、一人だけ鎌倉へと帰るというのか。それは、あまりにも卑怯というものではないかっ〉と逆ギレしだす。仕方なく直義は受け入れ、執事の師直にも多くの仕事が割り振られることになる。
生真面目でよく言えば誠実、悪く言うと融通の利かない直義。万事抜け目なく、清濁併せ呑むタイプの師直。互いに反りが合わないとは感じている。それでも、尊氏を二人で盛り立てていけば幕府はうまく回る。その認識で一致しているはずだった。だが他の武士たちは一枚岩とはならず、直義派と師直派に分かれ、対立関係が生まれていく。そこに家督の問題まで絡んで、話はさらにややこしくなる。直義の養子・直冬(尊氏の隠し子でもある)が次の将軍の座を奪うことを恐れた尊氏の正妻・登子。彼女は師直を使って幕府の人事に口を出し、結果として直忠派と師直派の遺恨が深まることになる。
直義と師直の対立は、鎌倉時代や現代にさえも見られる、お家騒動でありがちな構図を持っている。直義はその先で起こるだろう出来事に気づく。〈歴史は常に、同じような轍を踏むものだ〉。師直は直義を担いでいた人間たちの意図に勘づく。〈つまりこれは、将軍家を支える我ら高一族と、幕閣の中枢を占める上杉一族の勢力争いなのだ〉。一方、尊氏は両派の対立が武力衝突目前にまでなっても、参詣や弓場始めなどの行事を催して現実逃避する始末だった……。
このまま内部崩壊してもおかしくなさそうだが、結局のところ15代に亘り室町幕府は存続する。ではどのようにして、危機を乗り越えることができたのか? 直義と師直よりも長生きした尊氏は、支えてくれる人間がいなくなっても極楽殿のままだったのか? 流布本の『太平記』には書かれていない俗っぽい歴史と人間模様は、人で賑わう喫茶店や会社の休憩室などで、足利尊氏という人間を象徴する世間の欲望や思惑をBGMに読みたくなる。
藤井勉
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