中国古代の女性作家~李清照②
李清照は北宋の末期から南宋の初期に生きていました。文人の家に生まれ、天真爛漫な少女時代をすごしました。そして、素敵な知識人の男性、趙明誠と結婚して、文化財の収集という共通の趣味を持ち、幸せな結婚生活を送っていました。
しかし、李清照にとって、このような幸せな人生は44歳まででした。その後の人生は、国の動乱に翻弄され、波乱万丈なものになりました。それに影響され、清照の作風もガラッ変わりました。
1127年、清照が44歳のとき、中国では「靖康の乱」が起き、北宋の北部にある少数民族の国、金の軍隊が宋の首都を攻め落としました。ちょうどその年に、李清照と趙明誠夫妻の家にも大きな出来事がありました。趙の母親が南京で亡くなりました。昔、中国の官僚は、親が亡くなると、3年間休みをとって、喪に服くす慣わしがありました。清照と趙明誠夫妻は、このため南京に行くことになりました。その時点では、北宋の首都だった河南省の開封はすでに陥落し、彼らの実家、山東省を含む北方地区はとても危険な状態になっていました。そこで、李清照は、夫婦二人が長年に渡って集めたたくさんの文化財を青州の実家から一人で南京に運ぼうとしていました。しかし、クーデターが発生し、運送する予定だった所蔵品は焼けてしまいました。清照は命がけでごく少数の珍しい文化財を守り、やっとのことで南京にたどり着きました。都を南方にある杭州に移し、設立されたばかり南宋政権は、人材を急いで求めていました。清照の夫、趙明誠は、南京を含む周辺地域の長官に任命されました。これでようやくほっと一息と思われるかもしれません。ところが、まだ思いもよらない運命が清照を待っているのです。
夫の趙明誠が南京とその周辺地域を管理する長官になって、一年あまり経った時、南京では軍の将校による叛乱が起こりました。偶然ですが、その時の趙明誠はすでに、別の場所の地方長官になる人事異動の辞令をもらったばかりです。趙明誠は叛乱に対して対策を講じるどころか、他の2人の地元政府の高官と一緒に、お城から逃げてしまいました。幸い、趙明誠の部下が、対策を講じましたので、大きな災いにならなくて済みました。何故、趙明誠が逃げ出したのか、その理由は、今の私たちには分かりませんが、恐らく、自分がもう長官ではない。後任はまだ来ていないけど、自分の任期中の使命をもう果たしたと思ったからではないでしょうか?李清照は夫のこの卑怯なやり方を知って、激怒しました。その翌年に書いた有名な詩、『絶句 烏江』は、金との争いの中で、どんどん南方に逃げ、虚構の平和に酔いしれる宋の軍隊を風刺する詩ですが、その詩を書いた時間や、背景などを考えると、夫、趙明誠がお城を逃げた卑怯者の行為を同時に風刺したと言われます。
絶句 烏江
生当作人傑,死亦為鬼雄。至今思項羽,不肯過江東。
(日本語訳)
絶句 烏江
生きては 當に 人傑と 作(な)るべく,
死しては 亦 鬼雄と 爲(な)る。
今に至りて 項羽を思ふに,
江東に 過(よぎ)るを 肯(がへん)ぜざるを。
人は生きる限りは、民衆からぬきんでて優れた人物といわれるようになるべきである。死んでも、殉国の英雄と讃えられるようになるべきである。今になっても項羽を思い出す。項羽が烏江を渡って逃げようとしなかったことを。
項羽は、烏江を渡って逃げることに同意しなかった、と言うことを思い出し、英雄として立派だなぁ、つまり、夫のあなたは、さっさと逃げて、かっこ悪いと言いたい訳でしょう。趙明誠は恥ずかしく思い、憂鬱になって、新しい場所に赴任する途中に亡くなりました。
夫に死なれた李清照はその後再婚しましたが、その男性が財産目当てだということを知り、結婚して100日足らずで離婚しました。そのつらい人生を表現した後期の代表的な詞をご紹介します。
《声声慢·寻寻觅觅》
寻寻觅觅,冷冷清清,凄凄惨惨戚戚。
乍暖还寒时候,最难将息。
三杯两盏淡酒,怎敌他、晚来风急!
雁过也,正伤心,却是旧时相识。
满地黄花堆积,憔悴损,如今有谁堪摘?
守著窗儿,独自怎生得黑!
梧桐更兼细雨,到黄昏,点点滴滴。
这次第,怎一个愁字了得!
(日本語訳)
尋ね尋ね、探して探し求めて。物寂しく、ひっそりしている。痛ましく、悲しい。
暖かくなったと思ったらまた寒くなるころ、心を休めるのが一番難しい時期。二、三杯の粗末な酒で、明け方の風がきつくなってくるのに耐えられるかしら。カリが通り過ぎた。秋の季節が終わろうとしている。本当に心が傷む。カリは昔からの顔なじみなのに。
満面の菊の花がうずたかく茂っている。それにひきかえ、わたしはやつれ果てて、今、誰が菊をまた私に摘んでくれるのか、もう誰も見向きはしないだろう。窓辺にじっと寄り添って、愛しい人の帰りを待ち続けている。窓辺に寄り添い、じっと眺めている。一人寂しく、どうして日が暮れるまで過ごすことができるのか。
アオギリやキリに、更にその上、こぬか雨が降りはじめた。黄昏になると、ポツポツ、パラパラと。
この光景は、どうして「愁」の一字だけで表現することができるだろうか。
「尋尋覓覓」「冷冷清清」「凄凄慘慘戚戚」、文字を繰り返した形で、さびしい気持ちを表現したツーの冒頭にあるこの16文字は、リズム感がよく、後世に高く評価されています。また、李清照の作品には比較的、酒はよく出てきます。彼女の人生を振り返れば、お酒でも飲まないとやっていけなかったんでしょう。
李清照は非常に才気あふれる素敵な女性です。時代と共に人生激変を体験し、逞しく生きていました。個人生活は前半幸せそうに見えるんですけれど、一生、子宝に恵まれなかったこともあって、女性としては、悔いのある暮らしを送っていたのではないかと思います。そのため、いつも敏感であり、楽しかったり、悲しかったりいろいろな気分を味わってツーにまとめていました。どの人にとっても人生って波乱万丈で楽しいことばかりではないと思いますが、彼女は文章に表現すると言う才能があった訳ですから、救われるかなと思います。(文章:ZHL、高橋)
李清照は北宋の末期から南宋の初期に生きていました。文人の家に生まれ、天真爛漫な少女時代をすごしました。そして、素敵な知識人の男性、趙明誠と結婚して、文化財の収集という共通の趣味を持ち、幸せな結婚生活を送っていました。
しかし、李清照にとって、このような幸せな人生は44歳まででした。その後の人生は、国の動乱に翻弄され、波乱万丈なものになりました。それに影響され、清照の作風もガラッ変わりました。
1127年、清照が44歳のとき、中国では「靖康の乱」が起き、北宋の北部にある少数民族の国、金の軍隊が宋の首都を攻め落としました。ちょうどその年に、李清照と趙明誠夫妻の家にも大きな出来事がありました。趙の母親が南京で亡くなりました。昔、中国の官僚は、親が亡くなると、3年間休みをとって、喪に服くす慣わしがありました。清照と趙明誠夫妻は、このため南京に行くことになりました。その時点では、北宋の首都だった河南省の開封はすでに陥落し、彼らの実家、山東省を含む北方地区はとても危険な状態になっていました。そこで、李清照は、夫婦二人が長年に渡って集めたたくさんの文化財を青州の実家から一人で南京に運ぼうとしていました。しかし、クーデターが発生し、運送する予定だった所蔵品は焼けてしまいました。清照は命がけでごく少数の珍しい文化財を守り、やっとのことで南京にたどり着きました。都を南方にある杭州に移し、設立されたばかり南宋政権は、人材を急いで求めていました。清照の夫、趙明誠は、南京を含む周辺地域の長官に任命されました。これでようやくほっと一息と思われるかもしれません。ところが、まだ思いもよらない運命が清照を待っているのです。
夫の趙明誠が南京とその周辺地域を管理する長官になって、一年あまり経った時、南京では軍の将校による叛乱が起こりました。偶然ですが、その時の趙明誠はすでに、別の場所の地方長官になる人事異動の辞令をもらったばかりです。趙明誠は叛乱に対して対策を講じるどころか、他の2人の地元政府の高官と一緒に、お城から逃げてしまいました。幸い、趙明誠の部下が、対策を講じましたので、大きな災いにならなくて済みました。何故、趙明誠が逃げ出したのか、その理由は、今の私たちには分かりませんが、恐らく、自分がもう長官ではない。後任はまだ来ていないけど、自分の任期中の使命をもう果たしたと思ったからではないでしょうか?李清照は夫のこの卑怯なやり方を知って、激怒しました。その翌年に書いた有名な詩、『絶句 烏江』は、金との争いの中で、どんどん南方に逃げ、虚構の平和に酔いしれる宋の軍隊を風刺する詩ですが、その詩を書いた時間や、背景などを考えると、夫、趙明誠がお城を逃げた卑怯者の行為を同時に風刺したと言われます。
絶句 烏江
生当作人傑,死亦為鬼雄。至今思項羽,不肯過江東。
(日本語訳)
絶句 烏江
生きては 當に 人傑と 作(な)るべく,
死しては 亦 鬼雄と 爲(な)る。
今に至りて 項羽を思ふに,
江東に 過(よぎ)るを 肯(がへん)ぜざるを。
人は生きる限りは、民衆からぬきんでて優れた人物といわれるようになるべきである。死んでも、殉国の英雄と讃えられるようになるべきである。今になっても項羽を思い出す。項羽が烏江を渡って逃げようとしなかったことを。
項羽は、烏江を渡って逃げることに同意しなかった、と言うことを思い出し、英雄として立派だなぁ、つまり、夫のあなたは、さっさと逃げて、かっこ悪いと言いたい訳でしょう。趙明誠は恥ずかしく思い、憂鬱になって、新しい場所に赴任する途中に亡くなりました。
夫に死なれた李清照はその後再婚しましたが、その男性が財産目当てだということを知り、結婚して100日足らずで離婚しました。そのつらい人生を表現した後期の代表的な詞をご紹介します。
《声声慢·寻寻觅觅》
寻寻觅觅,冷冷清清,凄凄惨惨戚戚。
乍暖还寒时候,最难将息。
三杯两盏淡酒,怎敌他、晚来风急!
雁过也,正伤心,却是旧时相识。
满地黄花堆积,憔悴损,如今有谁堪摘?
守著窗儿,独自怎生得黑!
梧桐更兼细雨,到黄昏,点点滴滴。
这次第,怎一个愁字了得!
(日本語訳)
尋ね尋ね、探して探し求めて。物寂しく、ひっそりしている。痛ましく、悲しい。
暖かくなったと思ったらまた寒くなるころ、心を休めるのが一番難しい時期。二、三杯の粗末な酒で、明け方の風がきつくなってくるのに耐えられるかしら。カリが通り過ぎた。秋の季節が終わろうとしている。本当に心が傷む。カリは昔からの顔なじみなのに。
満面の菊の花がうずたかく茂っている。それにひきかえ、わたしはやつれ果てて、今、誰が菊をまた私に摘んでくれるのか、もう誰も見向きはしないだろう。窓辺にじっと寄り添って、愛しい人の帰りを待ち続けている。窓辺に寄り添い、じっと眺めている。一人寂しく、どうして日が暮れるまで過ごすことができるのか。
アオギリやキリに、更にその上、こぬか雨が降りはじめた。黄昏になると、ポツポツ、パラパラと。
この光景は、どうして「愁」の一字だけで表現することができるだろうか。
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#吃油条[超话]#
从学校爬回来第一时间就是看咒漫的更新
也说不出来什么了
反而有种终于解脱了的感觉
给夏五点首歌,就让一切都随风而去吧
网易云能听▼
あなたは夕日に溶けて,
你融化在夕阳里,
わたしは夜明に消えて,
我消失在黎明中,
もう二度と 交わらないのなら,
如果余生无法再会
,
それが運命だね,
那必是命中注定,
あなたは灯ともして,
你点亮一盏灯,
わたしは光もとめて,
我渴求着一束光,
怖くはない 失うものなどない,
心无畏惧 亦无物可失,
最初から何も持ってない,
自始便是 一无所有,
それじゃ それじゃ またね,
走了 走了 再见咯,
少年の瞳は汚れ,
少年的眼眸不再清澈,
5時の鐘は鳴り響けど もう聞こえない,
5点的钟声在回响 却已听不见,
それじゃ それじゃ,
那岂不是,
まるで全部 終わったみたいだね,
似乎全都结束了,
大間違い 先は長い 忘れないから,
大错特错 来日方长 我不会忘记,
ああ 全て忘れて帰ろう,
啊 忘却一切 我欲归去,
ああ 全て流して帰ろう,
啊 舍弃一切 我欲归去,
あの傷は疼けどこの渇き癒えねど,
尽管那份伤疤还疼 这份干渴尚未滋润,
もうどうでもいいの 吹き飛ばそう,
别管那些 统统任风吹尽吧,
さわやかな風と帰ろう,
随着轻风 我欲归去,
やさしく降る雨と帰ろう,
伴着细雨 我欲归去,
憎み合いの果てに何が生まれるの,
相互忌恨 终究有何益处,
わたし、わたしが先に 忘れよう,
让我先 忘却一切,
あなたは弱音を吐いて,
对未来 你吐露脆弱,
わたしは未練こぼして,
对过去 我流露不舍,
最後くらい 神様でいさせて,
"都到最后了 让我当一回神吧",
だって これじゃ人間だ,
若说这些 我们就还只是凡人,
わたしのいない世界を上から眺めていても,
从天上俯瞰着没有我的世界,
何一つ 変わらず回るから,
依旧旋转 毫无变化,
少し背中が軽くなった,
肩背之间 终于略感轻松,
それじゃ それじゃ またね,
走了 走了 告辞咯,
国道沿い前で別れ,
在国道边上的告别,
続く町の喧騒 後目に一人行く,
照旧的是城市的喧嚣 目送着离去,
ください ください ばっかで,
向别人 一味索取,
何も あげられなかったね,
对别人 毫无给予,
生きてきた 意味なんか 分からないまま,
一直不懂 这种活法有何意义,
ああ 全て与えて帰ろう,
啊 付出一切 我欲乘风归去,
ああ 何も持たずに帰ろう,
啊 舍弃一切 我欲乘风归去,
与えられるものこそ 与えられたもの,
我们能给与别人的 正是我们曾经获得的,
ありがとう、って胸をはろう,
挺起胸膛 说声“感谢”,
待ってるからさ、もう帰ろう,
我在等着你 和我一道归去,
幸せ絶えぬ場所、帰ろう,
朝向无尽的幸福 乘风归去,
去り際の時に 何が持っていけるの,
离世之际 能从人间带走什么呢,
一つ一つ 荷物 手放そう,
一个个包袱 统统放手吧,
憎み合いの果てに何が生まれるの,
相互忌恨 终究有何益处,
わたし、わたしが先に 忘れよう,
让我 先忘却一切,
あぁ今日からどう生きてこう,
啊 从今往后 我会活出怎样的人生呢
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わたしは夜明に消えて,
我消失在黎明中,
もう二度と 交わらないのなら,
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那必是命中注定,
あなたは灯ともして,
你点亮一盏灯,
わたしは光もとめて,
我渴求着一束光,
怖くはない 失うものなどない,
心无畏惧 亦无物可失,
最初から何も持ってない,
自始便是 一无所有,
それじゃ それじゃ またね,
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少年の瞳は汚れ,
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それじゃ それじゃ,
那岂不是,
まるで全部 終わったみたいだね,
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ああ 全て忘れて帰ろう,
啊 忘却一切 我欲归去,
ああ 全て流して帰ろう,
啊 舍弃一切 我欲归去,
あの傷は疼けどこの渇き癒えねど,
尽管那份伤疤还疼 这份干渴尚未滋润,
もうどうでもいいの 吹き飛ばそう,
别管那些 统统任风吹尽吧,
さわやかな風と帰ろう,
随着轻风 我欲归去,
やさしく降る雨と帰ろう,
伴着细雨 我欲归去,
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相互忌恨 终究有何益处,
わたし、わたしが先に 忘れよう,
让我先 忘却一切,
あなたは弱音を吐いて,
对未来 你吐露脆弱,
わたしは未練こぼして,
对过去 我流露不舍,
最後くらい 神様でいさせて,
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だって これじゃ人間だ,
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それじゃ それじゃ またね,
走了 走了 告辞咯,
国道沿い前で別れ,
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続く町の喧騒 後目に一人行く,
照旧的是城市的喧嚣 目送着离去,
ください ください ばっかで,
向别人 一味索取,
何も あげられなかったね,
对别人 毫无给予,
生きてきた 意味なんか 分からないまま,
一直不懂 这种活法有何意义,
ああ 全て与えて帰ろう,
啊 付出一切 我欲乘风归去,
ああ 何も持たずに帰ろう,
啊 舍弃一切 我欲乘风归去,
与えられるものこそ 与えられたもの,
我们能给与别人的 正是我们曾经获得的,
ありがとう、って胸をはろう,
挺起胸膛 说声“感谢”,
待ってるからさ、もう帰ろう,
我在等着你 和我一道归去,
幸せ絶えぬ場所、帰ろう,
朝向无尽的幸福 乘风归去,
去り際の時に 何が持っていけるの,
离世之际 能从人间带走什么呢,
一つ一つ 荷物 手放そう,
一个个包袱 统统放手吧,
憎み合いの果てに何が生まれるの,
相互忌恨 终究有何益处,
わたし、わたしが先に 忘れよう,
让我 先忘却一切,
あぁ今日からどう生きてこう,
啊 从今往后 我会活出怎样的人生呢
2023/8/15
vol.120
ミライBoys 24
どうも、7 MEN 侍の本髙克樹です。
さて、本日はミライBoys 24の公演にお邪魔してきました!
p1
とは言うものの、これを書いているのは始まる前。
沢山の人が心配していた模様なのですが、、、
どーだったんだろ。
私はどちらかというと台風が直撃しないか心配でした。
とりあえず平和に楽しく終わってくれたら嬉しいですな。
ミライBoys 24のほとんどの子と話したことはないですが、、
みんな元気いっぱいで
楽屋とかに話に来てくれた子も沢山いて〜
p2
PAISEN嬉しいですな。
そして、話はサマパラの話になりますが、、
自分が作成した楽曲に関して最近質問をいただく機会が多々ありました。汗
ということで、どのようにして作られたのか気になる人に向けて少しお話させていただきます。
まず、楽曲そのものの作り方ですが歌詞やメロディーではなく、トラックの作成から取り掛かりました。
EDM調でラップが入った曲ということで、音の素材集めから。
サブスクで課金して、好きな音を持ってきて
その音を鍵盤と同期して弾きながら音を作っていくみたいな作業をひたすらしていきます。笑
ちなみに1番のこだわりはサビで
「ミミミミミーソーミミー」
と鳴っている高音の電子音。
この時すでに、演出プラン込みで考えながら作っていたので特にこだわりました。
トラックが完成したらそこに歌詞とメロディーをつけていくのですが、
全体の作業量でいうと、トラックを作るのに8〜9割、作詞作曲1割くらいの配分で、、
作詞作曲はスムーズに進みました!
そして、ここからデモ音源を作るにあたり自分の声を録るレコーディング作業に入ります。
この時、矢花にテレビ電話で機材の使い方を1から教えてもらいながら録音したのですが、
実はこの録音機材の扱いがめちゃくちゃややこしくて、、
普通にやばなすごってなりました。
なんやかんやでレコーディングを終え、
続いて自分の声にエフェクトをかけて思い描く声色に仕上げていきます。
というのもElectric Flowでは声を一つの音と捉えて作ろうと思ったので、各所に様々なボイスエフェクトをかけております。
こうして一旦デモが完成して、色んな大人の方に確認してもらいました。
この時矢花にも確認して、サビの低音が少ないという意見をもらって、
厚みのあるベースを足してもらっています!
最後に大きなスピーカーで各音のバランスをとっていくミックス作業で完成。
今後も個人的に楽曲を作れたらなーと思っているので、末永く楽しみにしてくれていたら嬉しいですな。
それでは本日はこの辺で!!
p3
#かちゅーずでい
vol.120
ミライBoys 24
どうも、7 MEN 侍の本髙克樹です。
さて、本日はミライBoys 24の公演にお邪魔してきました!
p1
とは言うものの、これを書いているのは始まる前。
沢山の人が心配していた模様なのですが、、、
どーだったんだろ。
私はどちらかというと台風が直撃しないか心配でした。
とりあえず平和に楽しく終わってくれたら嬉しいですな。
ミライBoys 24のほとんどの子と話したことはないですが、、
みんな元気いっぱいで
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p2
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そして、話はサマパラの話になりますが、、
自分が作成した楽曲に関して最近質問をいただく機会が多々ありました。汗
ということで、どのようにして作られたのか気になる人に向けて少しお話させていただきます。
まず、楽曲そのものの作り方ですが歌詞やメロディーではなく、トラックの作成から取り掛かりました。
EDM調でラップが入った曲ということで、音の素材集めから。
サブスクで課金して、好きな音を持ってきて
その音を鍵盤と同期して弾きながら音を作っていくみたいな作業をひたすらしていきます。笑
ちなみに1番のこだわりはサビで
「ミミミミミーソーミミー」
と鳴っている高音の電子音。
この時すでに、演出プラン込みで考えながら作っていたので特にこだわりました。
トラックが完成したらそこに歌詞とメロディーをつけていくのですが、
全体の作業量でいうと、トラックを作るのに8〜9割、作詞作曲1割くらいの配分で、、
作詞作曲はスムーズに進みました!
そして、ここからデモ音源を作るにあたり自分の声を録るレコーディング作業に入ります。
この時、矢花にテレビ電話で機材の使い方を1から教えてもらいながら録音したのですが、
実はこの録音機材の扱いがめちゃくちゃややこしくて、、
普通にやばなすごってなりました。
なんやかんやでレコーディングを終え、
続いて自分の声にエフェクトをかけて思い描く声色に仕上げていきます。
というのもElectric Flowでは声を一つの音と捉えて作ろうと思ったので、各所に様々なボイスエフェクトをかけております。
こうして一旦デモが完成して、色んな大人の方に確認してもらいました。
この時矢花にも確認して、サビの低音が少ないという意見をもらって、
厚みのあるベースを足してもらっています!
最後に大きなスピーカーで各音のバランスをとっていくミックス作業で完成。
今後も個人的に楽曲を作れたらなーと思っているので、末永く楽しみにしてくれていたら嬉しいですな。
それでは本日はこの辺で!!
p3
#かちゅーずでい
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