豊臣秀吉の人質になった徳川家康の子・義伊(結城秀康)は、梅毒で死んだ
前回の「どうする家康」では、徳川家康の子・義伊(のちの結城秀康)が豊臣秀吉の人質になった。秀康とはいかなる人物なのか、詳しく考えることにしよう。
天正2年(1574)2月、秀康は家康の次男として誕生した。母のお万の方は、家康のお手付きだったと言われており、正室の瀬名(築山殿)から追放された。
一説によると、お万の方は素っ裸にされ、木に括りつけられたという。徳川家康は、後継者たるべき嫡男として信康がいた。なお、お万の方の父の永見吉英は由緒のわからない人物だった。
天正7年(1579)9月、家康は武田氏に擦り寄ろうとする信康を自らの判断で斬った。信康の死後、次の後継候補となったのは次男の秀康だったが、家康は秀康を嫌っていたという。
一説によると、秀康は双子だったといわれている。当時は迷信を信じる人が多く、双子は「畜生腹」といわれ、歓迎されていなかったのである。
そういうのも家康が秀康を遠ざけた理由であるといわれているが、俗説にすぎないだろう。それゆえ、秀康は3歳になるまで家康と対面を果たせなかったという。
とはいえ、この話が本当なのか否かは、決して明らかではないが、創作臭がなきにしもあらずということになろう。
そのような事情もあったのか、天正12年(1584)の小牧・長久手の戦い後、家康は秀吉に和睦の証として秀康を養子として送り込んだ。その後、秀康は九州征伐で軍功を挙げたので、豊臣姓を下賜された。
このように秀康は栄達を遂げたが、天正18年(1590)に下総結城氏の養子となった。つまり、秀康は最初から家康の後継者とみなされていなかった可能性がある。徳川家を継いだのは、弟の秀忠だった。
慶長12年閏4月8日、結城秀康が病没した。秀康の死因は、唐瘡(梅毒)だったという。前年の時点で、秀康は腫物に悩まされており、その病状はかなり深刻だったといわれている。
もはや、天皇家からの使者をもてなすことができないほど、病状が悪化していたという。後述のとおり、『医学天正記』によると、秀康の直接の死因は梅毒だけでなく、合併症によるものであるという。
3人の医者が投薬をしたが、病状は好転しなかったという。『医学天正期』によると、秀康は「瀉利(しゃり:げり)・発熱・咽渇(喉の渇き)・五令ニ加滑」などの症状があったという。
なお、秀康の死に際しては、家臣が殉死したが、土屋左馬助と永見右衛門は男色の関係にあったので追腹に至ったという。
とはいえ、秀康の武将としての器量は、当時から高く評価されていたと伝わっている。今後、秀康がいかなる場面で登場するのか、今から楽しみでもある。
主要参考文献
渡邊大門『清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?』(朝日新書、2020年)
前回の「どうする家康」では、徳川家康の子・義伊(のちの結城秀康)が豊臣秀吉の人質になった。秀康とはいかなる人物なのか、詳しく考えることにしよう。
天正2年(1574)2月、秀康は家康の次男として誕生した。母のお万の方は、家康のお手付きだったと言われており、正室の瀬名(築山殿)から追放された。
一説によると、お万の方は素っ裸にされ、木に括りつけられたという。徳川家康は、後継者たるべき嫡男として信康がいた。なお、お万の方の父の永見吉英は由緒のわからない人物だった。
天正7年(1579)9月、家康は武田氏に擦り寄ろうとする信康を自らの判断で斬った。信康の死後、次の後継候補となったのは次男の秀康だったが、家康は秀康を嫌っていたという。
一説によると、秀康は双子だったといわれている。当時は迷信を信じる人が多く、双子は「畜生腹」といわれ、歓迎されていなかったのである。
そういうのも家康が秀康を遠ざけた理由であるといわれているが、俗説にすぎないだろう。それゆえ、秀康は3歳になるまで家康と対面を果たせなかったという。
とはいえ、この話が本当なのか否かは、決して明らかではないが、創作臭がなきにしもあらずということになろう。
そのような事情もあったのか、天正12年(1584)の小牧・長久手の戦い後、家康は秀吉に和睦の証として秀康を養子として送り込んだ。その後、秀康は九州征伐で軍功を挙げたので、豊臣姓を下賜された。
このように秀康は栄達を遂げたが、天正18年(1590)に下総結城氏の養子となった。つまり、秀康は最初から家康の後継者とみなされていなかった可能性がある。徳川家を継いだのは、弟の秀忠だった。
慶長12年閏4月8日、結城秀康が病没した。秀康の死因は、唐瘡(梅毒)だったという。前年の時点で、秀康は腫物に悩まされており、その病状はかなり深刻だったといわれている。
もはや、天皇家からの使者をもてなすことができないほど、病状が悪化していたという。後述のとおり、『医学天正記』によると、秀康の直接の死因は梅毒だけでなく、合併症によるものであるという。
3人の医者が投薬をしたが、病状は好転しなかったという。『医学天正期』によると、秀康は「瀉利(しゃり:げり)・発熱・咽渇(喉の渇き)・五令ニ加滑」などの症状があったという。
なお、秀康の死に際しては、家臣が殉死したが、土屋左馬助と永見右衛門は男色の関係にあったので追腹に至ったという。
とはいえ、秀康の武将としての器量は、当時から高く評価されていたと伝わっている。今後、秀康がいかなる場面で登場するのか、今から楽しみでもある。
主要参考文献
渡邊大門『清須会議 秀吉天下取りのスイッチはいつ入ったのか?』(朝日新書、2020年)
初代国立剧场さよなら公演「妹背山婦女庭訓」第一部初日。
时藏曾经在多个访谈中提到一直把定高这个角色作为他女形的最终目标之一,现在他终于实现了这个梦想,我也很荣幸能在初日见证。
总体来说比我想象中还要精彩,尤其是吉野川最后的部分,又让我看到了一个全新的时藏[抱一抱]
首先是花渡しの場,硬气的女强人形象向来是时藏擅长的领域,从出场前在幕后的那几声气势十足的「しばらく」就已经很让我兴奋起来了(甚至有一瞬梦回「女暫」)。
ふすま拉开后的出场亮相更是高洁帅气又从容。其实从「ニン」来看时藏很适合演定高,现在才让他初役我都觉得太晚了,内心小小的喊一下「待ってました」[打call]
然后到吉野川那一场才感觉到为什么说定高是女形中最高难度的几个角色之一,她的内心戏很复杂有很多层次,要能恰到好处的把握每一种情绪的度真的特别不容易。表达少了人物就单薄了,表达多了可能就会让人觉得矫情或者有失人物身份。难怪时藏之前在访谈的时候说玉三郎教他的时候重点放在分析人物心理活动上,真的是难中之难。
首先是花道那里,定高跟对面仮花道的大判事有一大段对白,你来我往的应酬,互不相让但都说的并不是真心话。今天我是坐在靠近花道的,所以基本上是盯着时藏看,松绿那边离我有点远而且被挡住只好听声音了。
发现时藏在松绿念台词的时候虽然没有太多的大表情,但是看得出来内心是跟着作出反应的。这一段大判事始终是处于攻击发言的一方,虽然只是听声音,但是能感受到松绿的攻势还是挺猛的。定高这边则是淡定的一一反击回去,语气里充满了从容不迫,但是讲完台词后一个默默侧头闭眼的动作就能窥探到定高细腻的心理活动。
到本舞台后先是定高说服雏鸟嫁给入鹿那一段。怎么说呢,个人觉得这一场时藏处理的有点过于温情了,当然从逻辑上来讲这么处理符合人之常情。但是我觉得这里定高是在说假话,那表情和情绪也跟着假话走了,就会让我觉得其实她内心就是这么想的,然后就跟后面的反转造成一个过大的反差,让我比较难以跟上定高的情绪转变。这个场面虽然只是个铺垫,但是看到后面再回想这一段就觉得分寸好难把握啊。
到后面的对雏鸟说出真意,还有杀掉雏鸟,以及最后的雛道具流し,这一连串时藏就开始演技炸裂了!我真的很少看到时藏有如此情绪爆发的时候,而且不是靠做夸张的表情和失控的高喊,甚至连哭戏都在玉三郎的建议下没有一直大哭。虽然因为剧情上我不能尊重无法理解(x),但是就感觉一直被定高的情绪带动,处于高度紧张无法呼吸的状态,导致我看完都觉得大脑缺了。
印象最深的是时藏抱着梅枝的脑袋无力的坐在地上,一句话一个动作都没有但是就看得人好绝望好悲伤啊,跟前面女强人的形象差太多了吧…
時蔵さんの本気モード、恐るべし……[跪了]
然后松绿的大判事,とても良かった!
他之前还在blog给自己叠那么多buff,结果一看明明就演得很好嘛。[笑cry]
其实没看之前有点担心他比较偏童颜,玉三郎建议大判事不能画太多皱纹松绿会不会挂不住角色。结果即使是不怎么画皱纹,他也变得很适合老け役了,やっぱり貫禄がある。
话说玉三郎给的建议都好精准啊,不让时藏一直大哭,不让松绿多画皱纹,其实都是让他们做“减法”,从而让他们的演技更加有深度。
这次只是听了松绿在花道上的台词,下次坐二楼的时候要好好看一看。
龟藏的入鹿,好像他爸爸啊!扮相声音都好像啊!我觉得他比龟哥更适合走他爸爸那种有妖邪之气的戏路。
小萬萬真是万年前发美少年啊,声音好像又变高了?有时候台词的第一个字会起音过高显得怪怪的。
梅枝不评了[doge]
这次橘太郎さん演的腰元小菊真的很出彩,观众反应也很好。我之前还在想到底是谁来演这个角色,今天一看是他顿时就安心了。包括演腰元桔梗的玉朗さん,两个人都很出色[good]
这个月国立剧场虽然人少,但是人尽其才,每个人都恰到好处,チームワークが素晴らしい。
最后要特别说一下竹本,这么多竹本太夫齐聚一堂真的不多见了。久病复出的鸣门太夫这次有一段出語り,果然功力不减啊。文乐大夫出身的人味道还是不太一样的。
还有我最推し的谷太夫难得给时藏唱重头戏,结果我全身心投入到时藏的演技里都无暇听他唱了,而且他这次坐靠近花道的山台,都没功夫看他唱…[皱眉]
这个月还剩至少(?)四次,好期待再看到时藏不断进化的定高啊[哇]
千穐楽まで無事に終えられますように
时藏曾经在多个访谈中提到一直把定高这个角色作为他女形的最终目标之一,现在他终于实现了这个梦想,我也很荣幸能在初日见证。
总体来说比我想象中还要精彩,尤其是吉野川最后的部分,又让我看到了一个全新的时藏[抱一抱]
首先是花渡しの場,硬气的女强人形象向来是时藏擅长的领域,从出场前在幕后的那几声气势十足的「しばらく」就已经很让我兴奋起来了(甚至有一瞬梦回「女暫」)。
ふすま拉开后的出场亮相更是高洁帅气又从容。其实从「ニン」来看时藏很适合演定高,现在才让他初役我都觉得太晚了,内心小小的喊一下「待ってました」[打call]
然后到吉野川那一场才感觉到为什么说定高是女形中最高难度的几个角色之一,她的内心戏很复杂有很多层次,要能恰到好处的把握每一种情绪的度真的特别不容易。表达少了人物就单薄了,表达多了可能就会让人觉得矫情或者有失人物身份。难怪时藏之前在访谈的时候说玉三郎教他的时候重点放在分析人物心理活动上,真的是难中之难。
首先是花道那里,定高跟对面仮花道的大判事有一大段对白,你来我往的应酬,互不相让但都说的并不是真心话。今天我是坐在靠近花道的,所以基本上是盯着时藏看,松绿那边离我有点远而且被挡住只好听声音了。
发现时藏在松绿念台词的时候虽然没有太多的大表情,但是看得出来内心是跟着作出反应的。这一段大判事始终是处于攻击发言的一方,虽然只是听声音,但是能感受到松绿的攻势还是挺猛的。定高这边则是淡定的一一反击回去,语气里充满了从容不迫,但是讲完台词后一个默默侧头闭眼的动作就能窥探到定高细腻的心理活动。
到本舞台后先是定高说服雏鸟嫁给入鹿那一段。怎么说呢,个人觉得这一场时藏处理的有点过于温情了,当然从逻辑上来讲这么处理符合人之常情。但是我觉得这里定高是在说假话,那表情和情绪也跟着假话走了,就会让我觉得其实她内心就是这么想的,然后就跟后面的反转造成一个过大的反差,让我比较难以跟上定高的情绪转变。这个场面虽然只是个铺垫,但是看到后面再回想这一段就觉得分寸好难把握啊。
到后面的对雏鸟说出真意,还有杀掉雏鸟,以及最后的雛道具流し,这一连串时藏就开始演技炸裂了!我真的很少看到时藏有如此情绪爆发的时候,而且不是靠做夸张的表情和失控的高喊,甚至连哭戏都在玉三郎的建议下没有一直大哭。虽然因为剧情上我不能尊重无法理解(x),但是就感觉一直被定高的情绪带动,处于高度紧张无法呼吸的状态,导致我看完都觉得大脑缺了。
印象最深的是时藏抱着梅枝的脑袋无力的坐在地上,一句话一个动作都没有但是就看得人好绝望好悲伤啊,跟前面女强人的形象差太多了吧…
時蔵さんの本気モード、恐るべし……[跪了]
然后松绿的大判事,とても良かった!
他之前还在blog给自己叠那么多buff,结果一看明明就演得很好嘛。[笑cry]
其实没看之前有点担心他比较偏童颜,玉三郎建议大判事不能画太多皱纹松绿会不会挂不住角色。结果即使是不怎么画皱纹,他也变得很适合老け役了,やっぱり貫禄がある。
话说玉三郎给的建议都好精准啊,不让时藏一直大哭,不让松绿多画皱纹,其实都是让他们做“减法”,从而让他们的演技更加有深度。
这次只是听了松绿在花道上的台词,下次坐二楼的时候要好好看一看。
龟藏的入鹿,好像他爸爸啊!扮相声音都好像啊!我觉得他比龟哥更适合走他爸爸那种有妖邪之气的戏路。
小萬萬真是万年前发美少年啊,声音好像又变高了?有时候台词的第一个字会起音过高显得怪怪的。
梅枝不评了[doge]
这次橘太郎さん演的腰元小菊真的很出彩,观众反应也很好。我之前还在想到底是谁来演这个角色,今天一看是他顿时就安心了。包括演腰元桔梗的玉朗さん,两个人都很出色[good]
这个月国立剧场虽然人少,但是人尽其才,每个人都恰到好处,チームワークが素晴らしい。
最后要特别说一下竹本,这么多竹本太夫齐聚一堂真的不多见了。久病复出的鸣门太夫这次有一段出語り,果然功力不减啊。文乐大夫出身的人味道还是不太一样的。
还有我最推し的谷太夫难得给时藏唱重头戏,结果我全身心投入到时藏的演技里都无暇听他唱了,而且他这次坐靠近花道的山台,都没功夫看他唱…[皱眉]
这个月还剩至少(?)四次,好期待再看到时藏不断进化的定高啊[哇]
千穐楽まで無事に終えられますように
电子版采访也来一遍
メジャーデビューから6年、一層エネルギッシュなパフォーマンスで覚醒している、THE RAMPAGE。
現在は、5度目となるアリーナツアーの真っ只中。16人グループの中でボーカルを務めるRIKUさんは、その熱い歌声で会場を沸かせている。
“肉好き”を公言する彼をお連れしたのは、由緒正しい鴨料理の名店。焼きたての鴨を堪能したあと、私生活から仕事まで、29歳のリアルを伺った。
1️⃣「鴨とワインのマリアージュって、こんな幸せな気持ちになるんですね」
出演者と店舗のマッチングが100%と言っていい撮影だった。RIKUさんが筋金入りの鴨好きだったからだ。
「実は、ついこの間も自分で鴨せいろを作って食べたんですよ。スーパーで鴨を買って低温調理をして、鴨だしと鰹昆布だしをブレンドしてつゆも作りました。
体づくりはトレーニングも大事ですけど、一番は食事。鴨は高タンパクで低脂肪なのでよく食べますね」
実食すると、「本当に幸せです。もう将軍になった気持ち(笑)。取材が終わったら(武知)海青とかに連絡して“出合ってしまった”と伝えます」と口にする。
この鴨は誰と一緒に食べたいか聞くと、答えはメンバーかと思いきや、「まずはここにいるスタッフさんたちと。僕だけ食べてズルいですから」と優し過ぎる。
麻布十番に来たのは久しぶりだが、デビュー当時の思い出の街だとか。
「デビューして2〜3年は一ノ橋の交番近くでレコーディングをしていたのでよく来ていました。当時は自分たちでの電車移動。ボーカル3人で寮を出て地下鉄に乗り、六本木で乗り換えて麻布十番駅まで。
3人とも歌唱力が未熟でレコーディングに時間がかかってしまい、ようやく終わった後にディレクターが近くのラーメン屋さんでご馳走してくれたのがいい思い出です。
夏は駅まで汗だくになって歩き、電車で涼んで、スタジオまでまた汗ばんでという記憶。近くのコンビニではいつもフライドチキンを買っていましたね」
2️⃣物理的な距離を、心の距離とイコールにしたくない
数年経ち、今は鴨とワインのマリアージュを知る29歳に。
普段の外食は個室が多くなったが、地元の友達と下北沢でハシゴ酒をして相席になった客と乾杯なんて夜もある。
外食も楽しみつつ、基本は自炊。最近では鯖の味噌煮や豆腐入りハンバーグを作ったという。
メンバーとも互いの家を行き来して料理を楽しむ。
「少し前に海青の家ですき焼きパーティをしました。その時いたのは(神谷)健太とやましょー(山本彰吾)。
海青がいい肉を用意してくれたので、僕と健太はちょっといいウイスキーを持っていき、割り下はやましょーが手際よく作ってくれました」
ライブ直前はアスリートの食生活だ。「本番4時間前までにお米とたまごと鶏肉とサラダといった栄養価の高い固形物を摂り、以降は水分だけ」と、1回で体重が2キロ落ちるほどハードなライブに備える。
加えて格闘技にジョギング、自重トレーニングを行い、8割以上のハイパワーの持続を目指す。そうして備えても、稼働が大きい、とあるパーツの筋肉痛は防げない。
「ファンのみなさんを煽る時は、手を上げて動かすので、実は背中が1番重要。ライブが終わった後の筋肉痛も背中が一番きついです。
ただ大きく煽ればいいわけではなく、自分が一番後ろの席にいたらどう見えるかを意識して動きます。
僕は学生時代、親にEXILEの大きな会場のライブに連れて行ってもらっていて、あの時の端からの景色を知っているからこそ、最前列も後ろの席も同じように楽しんでいただきたい。
物理的な距離を心の距離とイコールにしたくないんです。だから分かりやすく動き、分かりやすく歌うことを心がけています」
昔、遠くから見た憧れのワンシーンが鮮明に残っているから、逆の立場になった時に広い視野でみんなを見ることができる。
元は歌が好きなファンのひとり。少年時代、歌詞カードがぐちゃぐちゃになるまで真似して歌っていた。
サッカー選手を夢見たこともあったが、周りがボーカルの可能性に気づかせてくれた。
「とにかく誰かの“夢”になりたかった。何かをして人を喜ばせたり笑わせたりするのが好きで、じゃあ自分は何なら人に喜んでもらえる可能性が高いかって考えていた中学2年生の頃。
カラオケに行ったら、友達が“RIKUって歌上手いよね”と褒めてくれました。採点ゲームも高得点が出る。
もしかして僕、人より歌うことに長けているのかなって子供ながらに思って、じゃあ本格的にやってみようとネットで調べて、動画で発声の真似を始めました。些細な言葉から前に進めました」
3️⃣「僕たちの“雑草魂”の強さは、LDH随一だと思います」
高校の文化祭では千人の前で歌い、2014年には遂にTHE RAMPAGEのメンバーに。
でも、すんなりスポットライトを浴びたわけではない。
「デビュー前は自分たちでビラを配ってフリーライブをやっても、5人しか来ない日もありました。
デビューしても寮時代、プロのアーティストとして1番忙しくあるべき年末年始にお仕事がなくて、先輩方がテレビの音楽番組で活躍している姿を指をくわえて見ていただけ。
あの悔しさを絶対に忘れないようにしようと当時から話していたから、僕たちの“雑草魂”の強さはLDH随一だと思います。
だから、どこまでいっても満足することはないし、満足したら終わり。常に腹を空かしたハイエナのようでいないと(笑)」
ツアーで全国のアリーナを周る今もストイックな姿勢は揺るがない。
「エンターテインメントはそれぐらい極めていくことに貪欲でないといけないと思うし、ライブを何度も見てくださる方に、お会いする度に強く大きく進化した姿で再会するのが、僕らプロのアーティストの筋。
そこに向かって頑張るエネルギーをくれるのもRAVERS(ファンネーム)であって、本当に素敵な関係を築けていると感謝しかないです。
だから、会場にいる全員が同じ満足度で帰るのは難しいことかもしれないですけど、不可能で終わらせないのがTHE RAMPAGEですよっていう感じです。絶対やってやるんだって気持ちで、僕らは舞台に立っています」
今号のタイトルは「麻布十番の熱気」だが、改めてベストな巡り合わせであった。
RIKUさんの熱気はこれからも冷めることはないだろう。貪欲さというガソリンを絶やさず、同じく熱い仲間とファンが味方でいるからだ。
■プロフィール
RIKU 1994年生まれ、埼玉県出身。2014年にTHE RAMPAGEのメンバーとなり、2017年にメジャーデビュー。この8月2日に「Summer Riot~熱帯夜~ / Everest」が両A面シングルとして発売された。和太鼓演奏グループDRUM TAOとのコラボ、ワイルドなヒップホップと異なる個性で魅了する。
■衣装
ジャケット 115,500円〈タリアトーレ/トレメッツォ TEL:03-5464-1158〉、シャツ 55,000円、パンツ 53,900円〈ともにピーティートリノ/PT JAPAN TEL:03-5485-0058〉、その他スタイリスト私物
メジャーデビューから6年、一層エネルギッシュなパフォーマンスで覚醒している、THE RAMPAGE。
現在は、5度目となるアリーナツアーの真っ只中。16人グループの中でボーカルを務めるRIKUさんは、その熱い歌声で会場を沸かせている。
“肉好き”を公言する彼をお連れしたのは、由緒正しい鴨料理の名店。焼きたての鴨を堪能したあと、私生活から仕事まで、29歳のリアルを伺った。
1️⃣「鴨とワインのマリアージュって、こんな幸せな気持ちになるんですね」
出演者と店舗のマッチングが100%と言っていい撮影だった。RIKUさんが筋金入りの鴨好きだったからだ。
「実は、ついこの間も自分で鴨せいろを作って食べたんですよ。スーパーで鴨を買って低温調理をして、鴨だしと鰹昆布だしをブレンドしてつゆも作りました。
体づくりはトレーニングも大事ですけど、一番は食事。鴨は高タンパクで低脂肪なのでよく食べますね」
実食すると、「本当に幸せです。もう将軍になった気持ち(笑)。取材が終わったら(武知)海青とかに連絡して“出合ってしまった”と伝えます」と口にする。
この鴨は誰と一緒に食べたいか聞くと、答えはメンバーかと思いきや、「まずはここにいるスタッフさんたちと。僕だけ食べてズルいですから」と優し過ぎる。
麻布十番に来たのは久しぶりだが、デビュー当時の思い出の街だとか。
「デビューして2〜3年は一ノ橋の交番近くでレコーディングをしていたのでよく来ていました。当時は自分たちでの電車移動。ボーカル3人で寮を出て地下鉄に乗り、六本木で乗り換えて麻布十番駅まで。
3人とも歌唱力が未熟でレコーディングに時間がかかってしまい、ようやく終わった後にディレクターが近くのラーメン屋さんでご馳走してくれたのがいい思い出です。
夏は駅まで汗だくになって歩き、電車で涼んで、スタジオまでまた汗ばんでという記憶。近くのコンビニではいつもフライドチキンを買っていましたね」
2️⃣物理的な距離を、心の距離とイコールにしたくない
数年経ち、今は鴨とワインのマリアージュを知る29歳に。
普段の外食は個室が多くなったが、地元の友達と下北沢でハシゴ酒をして相席になった客と乾杯なんて夜もある。
外食も楽しみつつ、基本は自炊。最近では鯖の味噌煮や豆腐入りハンバーグを作ったという。
メンバーとも互いの家を行き来して料理を楽しむ。
「少し前に海青の家ですき焼きパーティをしました。その時いたのは(神谷)健太とやましょー(山本彰吾)。
海青がいい肉を用意してくれたので、僕と健太はちょっといいウイスキーを持っていき、割り下はやましょーが手際よく作ってくれました」
ライブ直前はアスリートの食生活だ。「本番4時間前までにお米とたまごと鶏肉とサラダといった栄養価の高い固形物を摂り、以降は水分だけ」と、1回で体重が2キロ落ちるほどハードなライブに備える。
加えて格闘技にジョギング、自重トレーニングを行い、8割以上のハイパワーの持続を目指す。そうして備えても、稼働が大きい、とあるパーツの筋肉痛は防げない。
「ファンのみなさんを煽る時は、手を上げて動かすので、実は背中が1番重要。ライブが終わった後の筋肉痛も背中が一番きついです。
ただ大きく煽ればいいわけではなく、自分が一番後ろの席にいたらどう見えるかを意識して動きます。
僕は学生時代、親にEXILEの大きな会場のライブに連れて行ってもらっていて、あの時の端からの景色を知っているからこそ、最前列も後ろの席も同じように楽しんでいただきたい。
物理的な距離を心の距離とイコールにしたくないんです。だから分かりやすく動き、分かりやすく歌うことを心がけています」
昔、遠くから見た憧れのワンシーンが鮮明に残っているから、逆の立場になった時に広い視野でみんなを見ることができる。
元は歌が好きなファンのひとり。少年時代、歌詞カードがぐちゃぐちゃになるまで真似して歌っていた。
サッカー選手を夢見たこともあったが、周りがボーカルの可能性に気づかせてくれた。
「とにかく誰かの“夢”になりたかった。何かをして人を喜ばせたり笑わせたりするのが好きで、じゃあ自分は何なら人に喜んでもらえる可能性が高いかって考えていた中学2年生の頃。
カラオケに行ったら、友達が“RIKUって歌上手いよね”と褒めてくれました。採点ゲームも高得点が出る。
もしかして僕、人より歌うことに長けているのかなって子供ながらに思って、じゃあ本格的にやってみようとネットで調べて、動画で発声の真似を始めました。些細な言葉から前に進めました」
3️⃣「僕たちの“雑草魂”の強さは、LDH随一だと思います」
高校の文化祭では千人の前で歌い、2014年には遂にTHE RAMPAGEのメンバーに。
でも、すんなりスポットライトを浴びたわけではない。
「デビュー前は自分たちでビラを配ってフリーライブをやっても、5人しか来ない日もありました。
デビューしても寮時代、プロのアーティストとして1番忙しくあるべき年末年始にお仕事がなくて、先輩方がテレビの音楽番組で活躍している姿を指をくわえて見ていただけ。
あの悔しさを絶対に忘れないようにしようと当時から話していたから、僕たちの“雑草魂”の強さはLDH随一だと思います。
だから、どこまでいっても満足することはないし、満足したら終わり。常に腹を空かしたハイエナのようでいないと(笑)」
ツアーで全国のアリーナを周る今もストイックな姿勢は揺るがない。
「エンターテインメントはそれぐらい極めていくことに貪欲でないといけないと思うし、ライブを何度も見てくださる方に、お会いする度に強く大きく進化した姿で再会するのが、僕らプロのアーティストの筋。
そこに向かって頑張るエネルギーをくれるのもRAVERS(ファンネーム)であって、本当に素敵な関係を築けていると感謝しかないです。
だから、会場にいる全員が同じ満足度で帰るのは難しいことかもしれないですけど、不可能で終わらせないのがTHE RAMPAGEですよっていう感じです。絶対やってやるんだって気持ちで、僕らは舞台に立っています」
今号のタイトルは「麻布十番の熱気」だが、改めてベストな巡り合わせであった。
RIKUさんの熱気はこれからも冷めることはないだろう。貪欲さというガソリンを絶やさず、同じく熱い仲間とファンが味方でいるからだ。
■プロフィール
RIKU 1994年生まれ、埼玉県出身。2014年にTHE RAMPAGEのメンバーとなり、2017年にメジャーデビュー。この8月2日に「Summer Riot~熱帯夜~ / Everest」が両A面シングルとして発売された。和太鼓演奏グループDRUM TAOとのコラボ、ワイルドなヒップホップと異なる個性で魅了する。
■衣装
ジャケット 115,500円〈タリアトーレ/トレメッツォ TEL:03-5464-1158〉、シャツ 55,000円、パンツ 53,900円〈ともにピーティートリノ/PT JAPAN TEL:03-5485-0058〉、その他スタイリスト私物
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