原因は自分にある。(@genjibu_sdr)
げんじぶリリイベ
この後15:00ごろよりエアハイタッチ会を開催させていただきます。
Concept EP「仮定法のあなたへ」
リリースイベント @プライムツリー赤池
ポストカードとエアハイタッチ会をお求めの方に限りCD予約受付を再開させていただきます。
一回のお会計で
・CD購入制限は【8枚まで】
・エアハイタッチ会の特典券は【4枚まで】
となります。
#原因は自分にある。
げんじぶリリイベ
この後15:00ごろよりエアハイタッチ会を開催させていただきます。
Concept EP「仮定法のあなたへ」
リリースイベント @プライムツリー赤池
ポストカードとエアハイタッチ会をお求めの方に限りCD予約受付を再開させていただきます。
一回のお会計で
・CD購入制限は【8枚まで】
・エアハイタッチ会の特典券は【4枚まで】
となります。
#原因は自分にある。
看完大叔的爱第四集,横川良明 老师又激情写了观后感。也是写得深得我心:《大叔的爱》中的“爱”不仅是恋爱,还有更广阔、更多样、更大的爱。
机翻看看。
気づいたら武川さんがえらいことになっているので、そろそろ武川さんの幸せを願う会とか発足したい
横川良明
2024年1月27日 13:00
数多の不安を吹き飛ばし、2018年と変わらない面白さと温かさを届けてくれる『おっさんずラブ-リターンズ-』。ただ、強いて挙げるならば、ひとつだけ1期から欠けているものがありました。
それが、切なさ。
想いが届かない報われなさ。好きなのに、好きだから、別れを選ぶ苦しさ。1期ではライトなパッケージと相反し、誰かを好きになることで生まれる身のちぎれるような痛みを俳優たちが全身全霊で演じたことで、空前の熱狂を生んだ。
ただ、春田さんと牧が相思相愛になった以上、2期で切なさの部分が薄れるのは仕方のないこと。その分、カップルならではのイチャイチャでカツ丼5杯分くらいの満腹感をいただいているので十分幸せですという気持ちで、これまで見守っておりました。
が、ここに来て、ついにその「切なさ」を担うキャラクターが動き出してきた。他でもない菊様である。
今でこそ中森明菜くらい声の小さい和泉さんですが、かつてはバリバリの鬼教官。つーか、公安時代の井浦新は完全に和泉さんというより中堂さんだった。いつ「クソが…!」と悪態をつくかハラハラした。
事あるごとに血まみれで帰ってくるのも、失った恋人の仇を討つためだった。これまた完全に中堂さん。主題歌がスキマスイッチじゃなくて『Lemon』になっとる。
そして、そんな和泉さんを陰日向で支え続けていたのが、亡き恋人の同期であり、後釜として和泉さんのバディとなった菊様だった。和泉さんにとって菊様は弟のような存在。だけど、菊様は「弟なんかじゃねえよ」と眠っている和泉さんにそっとキスをする。
オッケーオッケー。わかりました。これはあれですね。「死に場所を探す男と、生きる場所を与えたい男の物語」ですね。もちろんめちゃくちゃ大好物です!!!!
単身テロ組織に乗り込みながらも毎回返り討ちに遭う和泉さん。あれはもちろん秋斗の死に対する報復もあるけれど、それ以上に和泉さんは秋斗のいない世界で生きる意味を失ってしまっているんじゃないだろうか。
自分がいながら、目の前で秋斗が死んでしまった。なんなら秋斗は自分を守るために盾となり銃弾を浴びた。悪夢は、罪悪感となって和泉さんを蝕み続けた。もしも復讐を遂げられるのならば、この命など惜しくない。だから、あんな無謀なことを繰り返し続けていた。
だけど、菊様は和泉さんに生きてほしいと願っている。手負いとなって帰ってくる和泉さんを、家に匿い、傷の手当てをする。そして、傷が癒えたらまた和泉さんは危険を顧みず敵地に潜り込む。もうやめろなんて言えない。なぜなら、そんな和泉さんを支えることだけが今の自分たちをつなぎ止める唯一の方法だからーー増え続ける傷の数は、ふたりの歴史。ハードボイルドすぎて、もはや金曜ナイトドラマ枠じゃない。高村薫先生か。
なんなら、今のところネタでしかないおかかしかないおむすびにも隠れた設定とかある気がしてきた。和泉さんがおいしいねと言ってくれたから、以来、おかかのおむすびばっかりつくるようになったみたいなサラダ記念日的エピソードがあったら、菊様にうっかり恋しちゃいそうです。
この菊様の「切なさ」が、ここからのリターンズのいい起爆剤となってくれそうだ。
「切なさ」と言えば、ある意味菊様以上に切ないのが、武川さんである。今、武川さんが背負っているのは、切なさと言っても中年の切なさ。それもあまりに痛々しすぎて、春田さんと牧じゃなくても、そっとテレビの電源を切るレベル。
そもそも1期の頃から『おっさんずラブ』はやたらキャラクター相関図内でカップリングが成立するドラマではあった。春田さんと牧、マロと蝶子さん、そして鉄平兄とマイマイ。主要キャラ9名のうち3組がカップル成立。『ママレード・ボーイ』くらい登場人物同士でくっついてる。
ドラマ自体が「人を愛するとはどういうことか」を主題に掲げていたので、カップルが多くなるのは当然と言えば当然だし、特にそれを難点だとも思わないけれど、一瞬だけ部長と武川さんの間でフラグが立っていたことも含め(そして、今のところその設定は2期ではなかったことになっている)、あらゆる関係性が恋愛に回収されていくのは、ちょっとどうなんだろうという気持ちもなくはなかった。
そこが続編ではどうなるんだろうと少し懸念していた分、3話で「春田と牧が幸せでさえいてくれたら、それでいいんだからさ」と泣きじゃくる部長を見て、なるほど、今回の部長は恋愛を超越した「博愛」の象徴として存在しているのだなと新しい風が吹くような気持ちになった。とてもいいテーマの拡張だと思った。
だからこそ、恋愛迷子の武川さんの扱いをどうするかが今作の成否を握っていると僕は思う。
現時点の武川さんは完全にピエロである。大前提として『おっさんずラブ』はコメディなので、笑いをまじえて描くこと自体は全然オッケー。ただ、武川さんが今ぶち当たっているのは「ミドルエイジクライシス」という普遍的かつ今日的な問題なので、これにどうオチをつけるかは制作陣の手腕が問われるところ。
これまでギャグ的に描いてきた武川さんの迷走を、どこかのタイミングでしっかりとヒューマンドラマに昇華できたら、僕は1期以上にリターンズのことを好きになるかもしれない。それが恋愛なのか、もっと違う愛なのかはわからないけど、ピエロに終わらない武川さんの人生に期待したい(注:次回予告の三点倒立はめちゃくちゃ笑いました)。
長くなるけど、あともう一つだけ。2期ならではの面白さとしてどんどん膨らんでいるのが、牧と部長の関係性である。当初は相変わらず犬猿の仲だったけど、徐々に軟化。今回は、踏み台から転んだ部長を牧がいたわる場面があった。そこで牧が感じたのが、部長の老い。あんなに大きく見えた部長が、少しずつ小さく、体も軽くなってる。そのことに、牧は言いようのない寂しさを覚える。
こういうところでグッとくるのが、『おっさんずラブ』の良さ。ライバルだったはずの牧と部長の間に芽生える奇妙な親近感。ふたりはあれですね、『ときめきトゥナイト』で言う蘭世と曜子。『姫ちゃんのリボン』の姫ちゃんと日比野ひかるです。
すでに春田さんにとっては部長は父親のような存在だと公言されているので、おそらく今後は牧にとっても部長がそれに等しい存在へと変わっていくのだろう。血のつながりも、戸籍も、拠り所としない家族の形を『おっさんずラブ』は描こうとしているのかもしれない。
そう考えると、武川さんにもきっと何かしらの幸せが訪れるはず。『おっさんずラブ』の「ラブ」とは、恋愛だけじゃない、もっと広く、もっと多様で、もっと大きな愛だ。
追伸、牧が父親のことを本人に対しては「お父さん」と呼ぶのに、本人がいないところでは「親父」になるの、日陰気質の文化系男子って感じがして最高でしたありがとうございます!!!!!!
追伸の追伸、春田さんと牧のスーツ姿のアクスタが出ました。マジで2期になってからオタクが望むものを全部くれるんですけど、幸せすぎて不幸の予兆としか思えない。絶対に終盤でオタクをどん底に叩き落とす展開があると覚悟しているので、今からメンタルトレーニングの本とか読んでおきます!!
机翻看看。
気づいたら武川さんがえらいことになっているので、そろそろ武川さんの幸せを願う会とか発足したい
横川良明
2024年1月27日 13:00
数多の不安を吹き飛ばし、2018年と変わらない面白さと温かさを届けてくれる『おっさんずラブ-リターンズ-』。ただ、強いて挙げるならば、ひとつだけ1期から欠けているものがありました。
それが、切なさ。
想いが届かない報われなさ。好きなのに、好きだから、別れを選ぶ苦しさ。1期ではライトなパッケージと相反し、誰かを好きになることで生まれる身のちぎれるような痛みを俳優たちが全身全霊で演じたことで、空前の熱狂を生んだ。
ただ、春田さんと牧が相思相愛になった以上、2期で切なさの部分が薄れるのは仕方のないこと。その分、カップルならではのイチャイチャでカツ丼5杯分くらいの満腹感をいただいているので十分幸せですという気持ちで、これまで見守っておりました。
が、ここに来て、ついにその「切なさ」を担うキャラクターが動き出してきた。他でもない菊様である。
今でこそ中森明菜くらい声の小さい和泉さんですが、かつてはバリバリの鬼教官。つーか、公安時代の井浦新は完全に和泉さんというより中堂さんだった。いつ「クソが…!」と悪態をつくかハラハラした。
事あるごとに血まみれで帰ってくるのも、失った恋人の仇を討つためだった。これまた完全に中堂さん。主題歌がスキマスイッチじゃなくて『Lemon』になっとる。
そして、そんな和泉さんを陰日向で支え続けていたのが、亡き恋人の同期であり、後釜として和泉さんのバディとなった菊様だった。和泉さんにとって菊様は弟のような存在。だけど、菊様は「弟なんかじゃねえよ」と眠っている和泉さんにそっとキスをする。
オッケーオッケー。わかりました。これはあれですね。「死に場所を探す男と、生きる場所を与えたい男の物語」ですね。もちろんめちゃくちゃ大好物です!!!!
単身テロ組織に乗り込みながらも毎回返り討ちに遭う和泉さん。あれはもちろん秋斗の死に対する報復もあるけれど、それ以上に和泉さんは秋斗のいない世界で生きる意味を失ってしまっているんじゃないだろうか。
自分がいながら、目の前で秋斗が死んでしまった。なんなら秋斗は自分を守るために盾となり銃弾を浴びた。悪夢は、罪悪感となって和泉さんを蝕み続けた。もしも復讐を遂げられるのならば、この命など惜しくない。だから、あんな無謀なことを繰り返し続けていた。
だけど、菊様は和泉さんに生きてほしいと願っている。手負いとなって帰ってくる和泉さんを、家に匿い、傷の手当てをする。そして、傷が癒えたらまた和泉さんは危険を顧みず敵地に潜り込む。もうやめろなんて言えない。なぜなら、そんな和泉さんを支えることだけが今の自分たちをつなぎ止める唯一の方法だからーー増え続ける傷の数は、ふたりの歴史。ハードボイルドすぎて、もはや金曜ナイトドラマ枠じゃない。高村薫先生か。
なんなら、今のところネタでしかないおかかしかないおむすびにも隠れた設定とかある気がしてきた。和泉さんがおいしいねと言ってくれたから、以来、おかかのおむすびばっかりつくるようになったみたいなサラダ記念日的エピソードがあったら、菊様にうっかり恋しちゃいそうです。
この菊様の「切なさ」が、ここからのリターンズのいい起爆剤となってくれそうだ。
「切なさ」と言えば、ある意味菊様以上に切ないのが、武川さんである。今、武川さんが背負っているのは、切なさと言っても中年の切なさ。それもあまりに痛々しすぎて、春田さんと牧じゃなくても、そっとテレビの電源を切るレベル。
そもそも1期の頃から『おっさんずラブ』はやたらキャラクター相関図内でカップリングが成立するドラマではあった。春田さんと牧、マロと蝶子さん、そして鉄平兄とマイマイ。主要キャラ9名のうち3組がカップル成立。『ママレード・ボーイ』くらい登場人物同士でくっついてる。
ドラマ自体が「人を愛するとはどういうことか」を主題に掲げていたので、カップルが多くなるのは当然と言えば当然だし、特にそれを難点だとも思わないけれど、一瞬だけ部長と武川さんの間でフラグが立っていたことも含め(そして、今のところその設定は2期ではなかったことになっている)、あらゆる関係性が恋愛に回収されていくのは、ちょっとどうなんだろうという気持ちもなくはなかった。
そこが続編ではどうなるんだろうと少し懸念していた分、3話で「春田と牧が幸せでさえいてくれたら、それでいいんだからさ」と泣きじゃくる部長を見て、なるほど、今回の部長は恋愛を超越した「博愛」の象徴として存在しているのだなと新しい風が吹くような気持ちになった。とてもいいテーマの拡張だと思った。
だからこそ、恋愛迷子の武川さんの扱いをどうするかが今作の成否を握っていると僕は思う。
現時点の武川さんは完全にピエロである。大前提として『おっさんずラブ』はコメディなので、笑いをまじえて描くこと自体は全然オッケー。ただ、武川さんが今ぶち当たっているのは「ミドルエイジクライシス」という普遍的かつ今日的な問題なので、これにどうオチをつけるかは制作陣の手腕が問われるところ。
これまでギャグ的に描いてきた武川さんの迷走を、どこかのタイミングでしっかりとヒューマンドラマに昇華できたら、僕は1期以上にリターンズのことを好きになるかもしれない。それが恋愛なのか、もっと違う愛なのかはわからないけど、ピエロに終わらない武川さんの人生に期待したい(注:次回予告の三点倒立はめちゃくちゃ笑いました)。
長くなるけど、あともう一つだけ。2期ならではの面白さとしてどんどん膨らんでいるのが、牧と部長の関係性である。当初は相変わらず犬猿の仲だったけど、徐々に軟化。今回は、踏み台から転んだ部長を牧がいたわる場面があった。そこで牧が感じたのが、部長の老い。あんなに大きく見えた部長が、少しずつ小さく、体も軽くなってる。そのことに、牧は言いようのない寂しさを覚える。
こういうところでグッとくるのが、『おっさんずラブ』の良さ。ライバルだったはずの牧と部長の間に芽生える奇妙な親近感。ふたりはあれですね、『ときめきトゥナイト』で言う蘭世と曜子。『姫ちゃんのリボン』の姫ちゃんと日比野ひかるです。
すでに春田さんにとっては部長は父親のような存在だと公言されているので、おそらく今後は牧にとっても部長がそれに等しい存在へと変わっていくのだろう。血のつながりも、戸籍も、拠り所としない家族の形を『おっさんずラブ』は描こうとしているのかもしれない。
そう考えると、武川さんにもきっと何かしらの幸せが訪れるはず。『おっさんずラブ』の「ラブ」とは、恋愛だけじゃない、もっと広く、もっと多様で、もっと大きな愛だ。
追伸、牧が父親のことを本人に対しては「お父さん」と呼ぶのに、本人がいないところでは「親父」になるの、日陰気質の文化系男子って感じがして最高でしたありがとうございます!!!!!!
追伸の追伸、春田さんと牧のスーツ姿のアクスタが出ました。マジで2期になってからオタクが望むものを全部くれるんですけど、幸せすぎて不幸の予兆としか思えない。絶対に終盤でオタクをどん底に叩き落とす展開があると覚悟しているので、今からメンタルトレーニングの本とか読んでおきます!!
syh新曲的「パレイド」的核心是マスカレイド(masquerade)和パレイド(parade)两个隐喻的对比。
前者是中世纪欧洲贵族的社交场,所有人遵循“佩戴假面”的社交准则,掩盖真容进行交际。由此可知masquerade的三层特点:阶级性(仅限贵族参与的小众活动),限制性(对社会普遍规则的顺从与维护),要求隐藏真我。「喜怒哀楽の上には、仮面を覆う」。而此后的结局正如歌词所述,「自分自身の思いに、自信を持たず」。惯于以假面掩盖真心,久而久之,人会失去对“自我”的认知,最终走向「自堕落」的深渊,迷失方向。
与之相对,此处的parade是具有全民性的、破坏性的活动,提倡每个人展示个性和真我。歌词前两段讲的均为masquerade的场景,轮到第三段场景切换,开头却是一句「聞こえるだろうか(能听见吗?)」,未见parade先闻其声。假面交际的沉默就这样被喧闹撕碎,游行的花车闯入视野,普天同庆。
「待っているよ」「僕等の夢のパレイド」→所有人都是parade的一员,无尊卑之分。我们等待并期待所有人的加入。
「怯えないでいて、怖くないよ」→不要畏惧打破规则,所谓的正义与正确早已陈旧。
温詞此前生放里提到这首曲子,说“我最讨厌所谓「正しさ(正确)」,希望大家能认识到所有事的多面性”(大意)。和此处相照应。
「ゴミ(垃圾)」「宝」:和贵族的masquerade相比,全民的parade似乎是上不得台的世俗活动,是垃圾。但在这样的垃圾中,人们能够找到自己“「見たことない」(未曾看见)”的“宝物”,即每个人的个性。“未曾看见”旨在强调个性始终存在,只是此前人们无意间忽略、或故意将其隐藏。
「荷物はいっか(行李怎样都好)」:「荷物」象征此前人们背负的假面和普遍规则。参加parade前把它们扔下,象征对陈旧规则和社交伪装的摒弃,展现自我。
#センチミリメンタル##温詞##syh#
前者是中世纪欧洲贵族的社交场,所有人遵循“佩戴假面”的社交准则,掩盖真容进行交际。由此可知masquerade的三层特点:阶级性(仅限贵族参与的小众活动),限制性(对社会普遍规则的顺从与维护),要求隐藏真我。「喜怒哀楽の上には、仮面を覆う」。而此后的结局正如歌词所述,「自分自身の思いに、自信を持たず」。惯于以假面掩盖真心,久而久之,人会失去对“自我”的认知,最终走向「自堕落」的深渊,迷失方向。
与之相对,此处的parade是具有全民性的、破坏性的活动,提倡每个人展示个性和真我。歌词前两段讲的均为masquerade的场景,轮到第三段场景切换,开头却是一句「聞こえるだろうか(能听见吗?)」,未见parade先闻其声。假面交际的沉默就这样被喧闹撕碎,游行的花车闯入视野,普天同庆。
「待っているよ」「僕等の夢のパレイド」→所有人都是parade的一员,无尊卑之分。我们等待并期待所有人的加入。
「怯えないでいて、怖くないよ」→不要畏惧打破规则,所谓的正义与正确早已陈旧。
温詞此前生放里提到这首曲子,说“我最讨厌所谓「正しさ(正确)」,希望大家能认识到所有事的多面性”(大意)。和此处相照应。
「ゴミ(垃圾)」「宝」:和贵族的masquerade相比,全民的parade似乎是上不得台的世俗活动,是垃圾。但在这样的垃圾中,人们能够找到自己“「見たことない」(未曾看见)”的“宝物”,即每个人的个性。“未曾看见”旨在强调个性始终存在,只是此前人们无意间忽略、或故意将其隐藏。
「荷物はいっか(行李怎样都好)」:「荷物」象征此前人们背负的假面和普遍规则。参加parade前把它们扔下,象征对陈旧规则和社交伪装的摒弃,展现自我。
#センチミリメンタル##温詞##syh#
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