故郷 (下)鲁迅
このとき、とても興奮して、なんと切り出せばよいかわからず、ただ、
「あ!閏土さん、よく来たね」と発した。続いて、たくさんの話しが、数珠のように湧き出してきて:角鶏、跳魚ル、貝殻、チャー……、だが、何かがつっかいをしているようで、脳の中でぐるぐる回っているだけで、口から外に出てこなかった。
彼は立ったまま、うれしさとさびしさが、入り混じったような顔をして、唇を動かすのだが、声にならなかった。
彼はようやく、うやうやしい態度になって、はっきりと言葉を口にした。
「旦那さま!……」
ああ一、私はぞーっと身震いした。われわれの間は、すでに悲しむべき厚い壁に隔てられてしまったのを悟った。私も声をつまらせてしまった。
彼はうしろを向いて、「水生、旦那様にごあいさつしなさい」と後ろに隠れていた子供に挨拶をさせた。この子はまさしく、二十年前の閏土だった。ちょっと痩せているのと、銀の首輪はしていないが。
「五番目の子で、世間様にあまり出してないもので、人見知りして…」
母と宏児が下りてきた。声を聞きつけたのだろう。
「大奥様、お知らせはとうにいただいておりました。ほんとうにうれしくて、旦那様がお帰りになるって……」閏土は言った。
「お前、どうしてそんな遠慮するんだい。昔は兄ちゃん、弟って呼びあってたんじゃないか。やはり以前のように、迅にいさんって、呼んであげなよ」母はうれしそうに言った。
母は閏土に席を勧めたが、彼は一度辞退したが、ようやく坐った。長キセルを卓に凭せ掛けて、紙包みを差し出して言った。「冬で、何もありませんで、家で作った青豆の干したのですが。旦那さんに、…」
「暮らしはどう?」とたずねたら、頭を揺らすばかり。
「とても苦しくて、六番目の子も、もう手伝うようになったんですが、食えなくて、世の中も物騒で、どこも、何をするのも、理由もなくお金を取られて、作物も不作で、育てたのを売りに行っても、いつも損してばかりで、元手にもならず、また売りに出かけなきゃ、腐らせるばかりで、……」
頭を揺するばかりで、顔は皺だらけだったが、石像のように、皺すらほころびようがないのだった。彼は、苦しいことばかりで、それを言い出せなくて、しばらく沈黙のままであったが、ようやくキセルを手にとって、黙々と吸い始めた。
母がたずねたら、家の方が忙しいので、明日には戻らなければならない、と。また昼もまだだ、というので、自分で台所に行って、炒飯でも作って食べるようにと言った。
彼は出て行った。母と私は彼の状況を知り、嘆息した。子だくさん、飢饉、苛税、兵隊や匪賊のユスリ、役人、郷紳たちが、寄ってたかって、彼をまるで木の人形のように、手も足も出せないほど、めちゃくちゃにしてしまったのだ。母は言った、引っ越しで持って行かないものは、みな閏土にあげよう。彼に欲しいものを選ばせよう、と。
午後、彼はいくつか選んだ。長卓二竿、椅子四脚、香炉と燭台。それに台秤。また、ワラ灰も全部欲しいと言った。(我が家では煮炊きにワラを使うので、灰は砂地の肥料になる)私たちが出立するころ、舟で取りに来ることになった。
夜、我々はとりとめのない話をして、翌朝はやく、彼と水生は帰っていった。
それから九日が過ぎ、出立という日、閏土は朝早く来た。水生は来ず、5歳の女児に舟の番をさせていた。その日は一日中忙しかったので、話しをする暇もなかった。来客も多かった。送別の人、物を持って行く人、送別と物の両方兼ねる人も多かった。
夜、我々が船に乗る頃、我が老屋のすべての、こわれかけた大小粗細なものは運びだされて、全くのカラになった。
我々の船が進もうとしだすと、両岸の青山が黄昏の中で、濃い黛のようになり、連なって、船の船尾の方に去って行った。
宏児と私は船窓にもたれて、ぼうーっとした外の景色を見ていた。彼が突然私にたずねた。「伯父さん、ぼくたちいつ帰ってくるの?」
「帰る? まだ出発してもいないのに、もう帰ること考えてるの?」
「うん。水生と彼の処へ遊びに行くって約束したんだもん」黒い目を見開いて、たわいないことを考えていた。
私も母も、茫然として、そして閏土のことに話が及んだ。母は言った。「あの豆腐西施の
楊さんがね、引っ越し荷物を整理しだしてから、連日のようにやってきてね。一昨日、灰の中から十何個もの皿と碗を探し出してね、議論の末、閏土が隠したんだと言ってさ、灰を運ぶときに、一緒に持ち出そうと:楊さんが発見して、鬼の首をとったように威張ってさ、あの犬じらし(我々の所で使う養鶏の器具:木盤の上に柵檻を乗せて、餌を入れて鶏は首を伸ばせば食べられるが、犬はじらされる故、かく言う)を掴むや、飛ぶがごときに走り去った。あんな高い靴底の纏足で、よくもまああんな速く走れるものよ。
老屋はだんだん遠ざかった。故郷の山水もしだいに遠ざかったが、名残惜しさは特に感じなかった。私の周りには、目に見えない高い壁があり、私ひとりを孤独にさせ、とても滅入ってしまった。スイカ畑の銀の首輪の小さな英雄の像は、この前までは、はっきりと思い浮かべることができたのだが、もうぼんやりしてしまったことが、私の悲哀を痛切にした。
母と宏児はもう眠ったようだ。
横になって、船底のさらさらと聞こえる水音を聞き、自分の道を進んでいるのだと思った。私は考えていた。ついに閏土と隔絶した、こんなところに来てしまったが、我々の次の世代は、まだ気持ちを通じることができて、宏児は水生のことを想っているではないか。
彼らが、二度と私のように、かけ離れてしまわないように願った。その一方で、彼らが気持ちを通じ合ってゆくために、私のような辛くて苦しい暮らしをすることもなく、閏土のように、辛酸で神経を麻痺させられるような暮らしをしなくて済むように願った。また、他の人のように、生活の辛さゆえに、そこから逃避してでたらめな生き方をしないように、心から願った。彼らには新しい生活を始めてもらいたい、と。我々の経験したことのない新しい生活を切に希望する。
希望、について考えたら、忽然、怖くなってしまった。閏土が香炉と燭台を下さいと言ったとき、私は心の中でこっそりと笑っていた。まだ偶像崇拝してるのか、と。いつ何時も、片時も忘れずに。私の今いう希望とは、私が手の中でこしらえた偶像ではないか、と。
ただ、彼の願望は手の近くにあるもので、私のは、茫としてはるか遠くにあるに過ぎない。
朦朧とするうちに、目の前に海辺の紺碧の砂地が広がってきた。私は思った。希望とは、
もともとあるとも言えないし、無いとも言えない。それは正しく、地上の道と同じである。
その実、地上にも、もともと道はなかった。歩く人が多くなって道になったのだ。
1921年1月
このとき、とても興奮して、なんと切り出せばよいかわからず、ただ、
「あ!閏土さん、よく来たね」と発した。続いて、たくさんの話しが、数珠のように湧き出してきて:角鶏、跳魚ル、貝殻、チャー……、だが、何かがつっかいをしているようで、脳の中でぐるぐる回っているだけで、口から外に出てこなかった。
彼は立ったまま、うれしさとさびしさが、入り混じったような顔をして、唇を動かすのだが、声にならなかった。
彼はようやく、うやうやしい態度になって、はっきりと言葉を口にした。
「旦那さま!……」
ああ一、私はぞーっと身震いした。われわれの間は、すでに悲しむべき厚い壁に隔てられてしまったのを悟った。私も声をつまらせてしまった。
彼はうしろを向いて、「水生、旦那様にごあいさつしなさい」と後ろに隠れていた子供に挨拶をさせた。この子はまさしく、二十年前の閏土だった。ちょっと痩せているのと、銀の首輪はしていないが。
「五番目の子で、世間様にあまり出してないもので、人見知りして…」
母と宏児が下りてきた。声を聞きつけたのだろう。
「大奥様、お知らせはとうにいただいておりました。ほんとうにうれしくて、旦那様がお帰りになるって……」閏土は言った。
「お前、どうしてそんな遠慮するんだい。昔は兄ちゃん、弟って呼びあってたんじゃないか。やはり以前のように、迅にいさんって、呼んであげなよ」母はうれしそうに言った。
母は閏土に席を勧めたが、彼は一度辞退したが、ようやく坐った。長キセルを卓に凭せ掛けて、紙包みを差し出して言った。「冬で、何もありませんで、家で作った青豆の干したのですが。旦那さんに、…」
「暮らしはどう?」とたずねたら、頭を揺らすばかり。
「とても苦しくて、六番目の子も、もう手伝うようになったんですが、食えなくて、世の中も物騒で、どこも、何をするのも、理由もなくお金を取られて、作物も不作で、育てたのを売りに行っても、いつも損してばかりで、元手にもならず、また売りに出かけなきゃ、腐らせるばかりで、……」
頭を揺するばかりで、顔は皺だらけだったが、石像のように、皺すらほころびようがないのだった。彼は、苦しいことばかりで、それを言い出せなくて、しばらく沈黙のままであったが、ようやくキセルを手にとって、黙々と吸い始めた。
母がたずねたら、家の方が忙しいので、明日には戻らなければならない、と。また昼もまだだ、というので、自分で台所に行って、炒飯でも作って食べるようにと言った。
彼は出て行った。母と私は彼の状況を知り、嘆息した。子だくさん、飢饉、苛税、兵隊や匪賊のユスリ、役人、郷紳たちが、寄ってたかって、彼をまるで木の人形のように、手も足も出せないほど、めちゃくちゃにしてしまったのだ。母は言った、引っ越しで持って行かないものは、みな閏土にあげよう。彼に欲しいものを選ばせよう、と。
午後、彼はいくつか選んだ。長卓二竿、椅子四脚、香炉と燭台。それに台秤。また、ワラ灰も全部欲しいと言った。(我が家では煮炊きにワラを使うので、灰は砂地の肥料になる)私たちが出立するころ、舟で取りに来ることになった。
夜、我々はとりとめのない話をして、翌朝はやく、彼と水生は帰っていった。
それから九日が過ぎ、出立という日、閏土は朝早く来た。水生は来ず、5歳の女児に舟の番をさせていた。その日は一日中忙しかったので、話しをする暇もなかった。来客も多かった。送別の人、物を持って行く人、送別と物の両方兼ねる人も多かった。
夜、我々が船に乗る頃、我が老屋のすべての、こわれかけた大小粗細なものは運びだされて、全くのカラになった。
我々の船が進もうとしだすと、両岸の青山が黄昏の中で、濃い黛のようになり、連なって、船の船尾の方に去って行った。
宏児と私は船窓にもたれて、ぼうーっとした外の景色を見ていた。彼が突然私にたずねた。「伯父さん、ぼくたちいつ帰ってくるの?」
「帰る? まだ出発してもいないのに、もう帰ること考えてるの?」
「うん。水生と彼の処へ遊びに行くって約束したんだもん」黒い目を見開いて、たわいないことを考えていた。
私も母も、茫然として、そして閏土のことに話が及んだ。母は言った。「あの豆腐西施の
楊さんがね、引っ越し荷物を整理しだしてから、連日のようにやってきてね。一昨日、灰の中から十何個もの皿と碗を探し出してね、議論の末、閏土が隠したんだと言ってさ、灰を運ぶときに、一緒に持ち出そうと:楊さんが発見して、鬼の首をとったように威張ってさ、あの犬じらし(我々の所で使う養鶏の器具:木盤の上に柵檻を乗せて、餌を入れて鶏は首を伸ばせば食べられるが、犬はじらされる故、かく言う)を掴むや、飛ぶがごときに走り去った。あんな高い靴底の纏足で、よくもまああんな速く走れるものよ。
老屋はだんだん遠ざかった。故郷の山水もしだいに遠ざかったが、名残惜しさは特に感じなかった。私の周りには、目に見えない高い壁があり、私ひとりを孤独にさせ、とても滅入ってしまった。スイカ畑の銀の首輪の小さな英雄の像は、この前までは、はっきりと思い浮かべることができたのだが、もうぼんやりしてしまったことが、私の悲哀を痛切にした。
母と宏児はもう眠ったようだ。
横になって、船底のさらさらと聞こえる水音を聞き、自分の道を進んでいるのだと思った。私は考えていた。ついに閏土と隔絶した、こんなところに来てしまったが、我々の次の世代は、まだ気持ちを通じることができて、宏児は水生のことを想っているではないか。
彼らが、二度と私のように、かけ離れてしまわないように願った。その一方で、彼らが気持ちを通じ合ってゆくために、私のような辛くて苦しい暮らしをすることもなく、閏土のように、辛酸で神経を麻痺させられるような暮らしをしなくて済むように願った。また、他の人のように、生活の辛さゆえに、そこから逃避してでたらめな生き方をしないように、心から願った。彼らには新しい生活を始めてもらいたい、と。我々の経験したことのない新しい生活を切に希望する。
希望、について考えたら、忽然、怖くなってしまった。閏土が香炉と燭台を下さいと言ったとき、私は心の中でこっそりと笑っていた。まだ偶像崇拝してるのか、と。いつ何時も、片時も忘れずに。私の今いう希望とは、私が手の中でこしらえた偶像ではないか、と。
ただ、彼の願望は手の近くにあるもので、私のは、茫としてはるか遠くにあるに過ぎない。
朦朧とするうちに、目の前に海辺の紺碧の砂地が広がってきた。私は思った。希望とは、
もともとあるとも言えないし、無いとも言えない。それは正しく、地上の道と同じである。
その実、地上にも、もともと道はなかった。歩く人が多くなって道になったのだ。
1921年1月
煙草と悪魔(上)
芥川龍之介
煙草たばこは、本来、日本になかつた植物である。では、何時いつ頃、舶載されたかと云ふと、記録によつて、年代が一致しない。或は、慶長年間と書いてあつたり、或は天文年間と書いてあつたりする。が、慶長十年頃には、既に栽培が、諸方に行はれてゐたらしい。それが文禄年間になると、「きかぬものたばこの法度はつと銭法度ぜにはつと、玉のみこゑにげんたくの医者」と云ふ落首らくしゆが出来た程、一般に喫煙が流行するやうになつた。――
そこで、この煙草は、誰の手で舶載されたかと云ふと、歴史家なら誰でも、葡萄牙ポルトガル人とか、西班牙スペイン人とか答へる。が、それは必ずしも唯一の答ではない。その外にまだ、もう一つ、伝説としての答が残つてゐる。それによると、煙草は、悪魔がどこからか持つて来たのださうである。さうして、その悪魔なるものは、天主教の伴天連ばてれんか(恐らくは、フランシス上人しやうにん)がはるばる日本へつれて来たのださうである。
かう云ふと、切支丹きりしたん宗門の信者は、彼等のパアテルを誣しひるものとして、自分を咎とがめようとするかも知れない。が、自分に云はせると、これはどうも、事実らしく思はれる。何故と云へば、南蛮の神が渡来すると同時に、南蛮の悪魔が渡来すると云ふ事は――西洋の善が輸入されると同時に、西洋の悪が輸入されると云ふ事は、至極、当然な事だからである。
しかし、その悪魔が実際、煙草を持つて来たかどうか、それは、自分にも、保証する事が出来ない。尤もつともアナトオル・フランスの書いた物によると、悪魔は木犀草もくせいさうの花で、或坊さんを誘惑しようとした事があるさうである。して見ると、煙草を、日本へ持つて来たと云ふ事も、満更嘘だとばかりは、云へないであらう。よし又それが嘘にしても、その嘘は又、或意味で、存外、ほんとうに近い事があるかも知れない。――自分は、かう云ふ考へで、煙草の渡来に関する伝説を、ここに書いて見る事にした。
天文十八年、悪魔は、フランシス・ザヴイエルに伴ついてゐる伊留満いるまんの一人に化けて、長い海路を恙つつがなく、日本へやつて来た。この伊留満の一人に化けられたと云ふのは、正物しやうぶつのその男が、阿媽港あまかはか何処どこかへ上陸してゐる中に、一行をのせた黒船が、それとも知らずに出帆をしてしまつたからである。そこで、それまで、帆桁ほげたへ尻尾をまきつけて、倒さかさまにぶら下りながら、私ひそかに船中の容子ようすを窺つてゐた悪魔は、早速姿をその男に変へて、朝夕フランシス上人に、給仕する事になつた。勿論、ドクトル・フアウストを尋ねる時には、赤い外套ぐわいたうを着た立派な騎士に化ける位な先生の事だから、こんな芸当なぞは、何でもない。
所が、日本へ来て見ると、西洋にゐた時に、マルコ・ポオロの旅行記で読んだのとは、大分、容子がちがふ。第一、あの旅行記によると、国中至る処、黄金がみちみちてゐるやうであるが、どこを見廻しても、そんな景色はない。これなら、ちよいと磔くるすを爪でこすつて、金きんにすれば、それでも可成かなり、誘惑が出来さうである。それから、日本人は、真珠か何かの力で、起死回生の法を、心得てゐるさうであるが、それもマルコ・ポオロの嘘らしい。嘘なら、方々の井戸へ唾を吐いて、悪い病さへ流行はやらせれば、大抵の人間は、苦しまぎれに当来の波羅葦僧はらいそなぞは、忘れてしまふ。――フランシス上人の後へついて、殊勝らしく、そこいらを見物して歩きながら、悪魔は、私ひそかにこんな事を考へて、独り会心の微笑をもらしてゐた。
が、たつた一つ、ここに困つた事がある。こればかりは、流石さすがの悪魔が、どうする訳にも行かない。と云ふのは、まだフランシス・ザヴイエルが、日本へ来たばかりで、伝道も盛にならなければ、切支丹の信者も出来ないので、肝腎かんじんの誘惑する相手が、一人もゐないと云ふ事である。これには、いくら悪魔でも、少からず、当惑した。第一、さしあたり退屈な時間を、どうして暮していいか、わからない。――
そこで、悪魔は、いろいろ思案した末に、先まづ園芸でもやつて、暇をつぶさうと考へた。それには、西洋を出る時から、種々雑多な植物の種を、耳の穴の中へ入れて持つてゐる。地面は、近所の畠でも借りれば、造作はない。その上、フランシス上人さへ、それは至極よからうと、賛成した。勿論、上人は、自分についてゐる伊留満いるまんの一人が、西洋の薬用植物か何かを、日本へ移植しようとしてゐるのだと、思つたのである。
悪魔は、早速、鋤すき鍬くはを借りて来て、路ばたの畠を、根気よく、耕しはじめた。
丁度水蒸気の多い春の始で、たなびいた霞かすみの底からは、遠くの寺の鐘が、ぼうんと、眠むさうに、響いて来る、その鐘の音が、如何にも又のどかで、聞きなれた西洋の寺の鐘のやうに、いやに冴えて、かんと脳天へひびく所がない。――が、かう云ふ太平な風物の中にゐたのでは、さぞ悪魔も、気が楽だらうと思ふと、決してさうではない。
彼は、一度この梵鐘ぼんしようの音を聞くと、聖保羅さんぽおろの寺の鐘を聞いたよりも、一層、不快さうに、顔をしかめて、むしやうに畑を打ち始めた。何故かと云ふと、こののんびりした鐘の音を聞いて、この曖々あいあいたる日光に浴してゐると、不思議に、心がゆるんで来る。善をしようと云ふ気にもならないと同時に、悪を行はうと云ふ気にもならずにしまふ。これでは、折角、海を渡つて、日本人を誘惑に来た甲斐かひがない。――掌てのひらに肉豆まめがないので、イワンの妹に叱られた程、労働の嫌な悪魔が、こんなに精を出して、鍬を使ふ気になつたのは、全く、このややもすれば、体にはひかかる道徳的の眠けを払はうとして、一生懸命になつたせゐである。
悪魔は、とうとう、数日の中に、畑打ちを完をはつて、耳の中の種を、その畦うねに播まいた。
それから、幾月かたつ中に、悪魔の播いた種は、芽を出し、茎をのばして、その年の夏の末には、幅の広い緑の葉が、もう残りなく、畑の土を隠してしまつた。が、その植物の名を知つてゐる者は、一人もない。フランシス上人が、尋ねてさへ、悪魔は、にやにや笑ふばかりで、何とも答へずに、黙つてゐる。
その中に、この植物は、茎の先に、簇々そうそうとして、花をつけた。漏斗じやうごのやうな形をした、うす紫の花である。悪魔には、この花のさいたのが、骨を折つただけに、大へん嬉しいらしい。そこで、彼は、朝夕の勤行ごんぎやうをすましてしまふと、何時でも、その畑へ来て、余念なく培養につとめてゐた。
すると、或日の事、(それは、フランシス上人が伝道の為に、数日間、旅行をした、その留守中の出来事である。)一人の牛商人うしあきうどが、一頭の黄牛あめうしをひいて、その畑の側を通りかかつた。見ると、紫の花のむらがつた畑の柵の中で、黒い僧服に、つばの広い帽子をかぶつた、南蛮の伊留満が、しきりに葉へついた虫をとつてゐる。牛商人は、その花があまり、珍しいので、思はず足を止めながら、笠をぬいで、丁寧にその伊留満へ声をかけた。
――もし、お上人様、その花は何でございます。
伊留満は、ふりむいた。鼻の低い、眼の小さな、如何にも、人の好ささうな紅毛こうまうである。
――これですか。
――さやうでございます。
紅毛は、畑の柵によりかかりながら、頭をふつた。さうして、なれない日本語で云つた。
――この名だけは、御気の毒ですが、人には教へられません。
――はてな、すると、フランシス様が、云つてはならないとでも、仰有おつしやつたのでございますか。
――いいえ、さうではありません。
――では、一つお教へ下さいませんか、手前も、近ごろはフランシス様の御教化をうけて、この通り御宗旨に、帰依きえして居りますのですから。
牛商人は、得意さうに自分の胸を指さした。見ると、成る程、小さな真鍮しんちゆうの十字架が、日に輝きながら、頸くびにかかつてゐる。すると、それが眩まぶしかつたのか、伊留満いるまんはちよいと顔をしかめて、下を見たが、すぐに又、前よりも、人なつこい調子で、冗談じようだんともほんとうともつかずに、こんな事を云つた。
――それでも、いけませんよ。これは、私の国の掟おきてで、人に話してはならない事になつてゐるのですから。それより、あなたが、自分で一つ、あててごらんなさい。日本の人は賢いから、きつとあたります。あたつたら、この畑にはえてゐるものを、みんな、あなたにあげませう。
牛商人は、伊留満が、自分をからかつてゐるとでも思つたのであらう。彼は、日にやけた顔に、微笑を浮べながら、わざと大仰に、小首を傾けた。
――何でございますかな。どうも、殺急さつきふには、わかり兼ねますが。
――なに今日でなくつても、いいのです。三日の間に、よく考へてお出でなさい。誰かに聞いて来ても、かまひません。あたつたら、これをみんなあげます。この外にも、珍陀ちんたの酒をあげませう。それとも、波羅葦僧垤利阿利はらいそてれあるの絵をあげますか。
牛商人は、相手があまり、熱心なのに、驚いたらしい。
――では、あたらなかつたら、どう致しませう。
伊留満は帽子をあみだに、かぶり直しながら、手を振つて、笑つた。牛商人が、聊いささか、意外に思つた位、鋭い、鴉からすのやうな声で、笑つたのである。
――あたらなかつたら、私があなたに、何かもらひませう。賭かけです。あたるか、あたらないかの賭です。あたつたら、これをみんな、あなたにあげますから。
かう云ふ中に紅毛は、何時いつか又、人なつこい声に、帰つてゐた。
――よろしうございます。では、私も奮発して、何でもあなたの仰有おつしやるものを、差上げませう。
――何でもくれますか、その牛でも。
――これでよろしければ、今でも差上げます。
牛商人は、笑ひながら、黄牛あめうしの額を、撫でた。彼はどこまでも、これを、人の好い伊留満の、冗談だと思つてゐるらしい。
――その代り、私が勝つたら、その花のさく草を頂きますよ。
――よろしい。よろしい。では、確に約束しましたね。
――確に、御約定おやくぢやう致しました。御主おんあるじエス・クリストの御名にお誓ひ申しまして。
芥川龍之介
煙草たばこは、本来、日本になかつた植物である。では、何時いつ頃、舶載されたかと云ふと、記録によつて、年代が一致しない。或は、慶長年間と書いてあつたり、或は天文年間と書いてあつたりする。が、慶長十年頃には、既に栽培が、諸方に行はれてゐたらしい。それが文禄年間になると、「きかぬものたばこの法度はつと銭法度ぜにはつと、玉のみこゑにげんたくの医者」と云ふ落首らくしゆが出来た程、一般に喫煙が流行するやうになつた。――
そこで、この煙草は、誰の手で舶載されたかと云ふと、歴史家なら誰でも、葡萄牙ポルトガル人とか、西班牙スペイン人とか答へる。が、それは必ずしも唯一の答ではない。その外にまだ、もう一つ、伝説としての答が残つてゐる。それによると、煙草は、悪魔がどこからか持つて来たのださうである。さうして、その悪魔なるものは、天主教の伴天連ばてれんか(恐らくは、フランシス上人しやうにん)がはるばる日本へつれて来たのださうである。
かう云ふと、切支丹きりしたん宗門の信者は、彼等のパアテルを誣しひるものとして、自分を咎とがめようとするかも知れない。が、自分に云はせると、これはどうも、事実らしく思はれる。何故と云へば、南蛮の神が渡来すると同時に、南蛮の悪魔が渡来すると云ふ事は――西洋の善が輸入されると同時に、西洋の悪が輸入されると云ふ事は、至極、当然な事だからである。
しかし、その悪魔が実際、煙草を持つて来たかどうか、それは、自分にも、保証する事が出来ない。尤もつともアナトオル・フランスの書いた物によると、悪魔は木犀草もくせいさうの花で、或坊さんを誘惑しようとした事があるさうである。して見ると、煙草を、日本へ持つて来たと云ふ事も、満更嘘だとばかりは、云へないであらう。よし又それが嘘にしても、その嘘は又、或意味で、存外、ほんとうに近い事があるかも知れない。――自分は、かう云ふ考へで、煙草の渡来に関する伝説を、ここに書いて見る事にした。
天文十八年、悪魔は、フランシス・ザヴイエルに伴ついてゐる伊留満いるまんの一人に化けて、長い海路を恙つつがなく、日本へやつて来た。この伊留満の一人に化けられたと云ふのは、正物しやうぶつのその男が、阿媽港あまかはか何処どこかへ上陸してゐる中に、一行をのせた黒船が、それとも知らずに出帆をしてしまつたからである。そこで、それまで、帆桁ほげたへ尻尾をまきつけて、倒さかさまにぶら下りながら、私ひそかに船中の容子ようすを窺つてゐた悪魔は、早速姿をその男に変へて、朝夕フランシス上人に、給仕する事になつた。勿論、ドクトル・フアウストを尋ねる時には、赤い外套ぐわいたうを着た立派な騎士に化ける位な先生の事だから、こんな芸当なぞは、何でもない。
所が、日本へ来て見ると、西洋にゐた時に、マルコ・ポオロの旅行記で読んだのとは、大分、容子がちがふ。第一、あの旅行記によると、国中至る処、黄金がみちみちてゐるやうであるが、どこを見廻しても、そんな景色はない。これなら、ちよいと磔くるすを爪でこすつて、金きんにすれば、それでも可成かなり、誘惑が出来さうである。それから、日本人は、真珠か何かの力で、起死回生の法を、心得てゐるさうであるが、それもマルコ・ポオロの嘘らしい。嘘なら、方々の井戸へ唾を吐いて、悪い病さへ流行はやらせれば、大抵の人間は、苦しまぎれに当来の波羅葦僧はらいそなぞは、忘れてしまふ。――フランシス上人の後へついて、殊勝らしく、そこいらを見物して歩きながら、悪魔は、私ひそかにこんな事を考へて、独り会心の微笑をもらしてゐた。
が、たつた一つ、ここに困つた事がある。こればかりは、流石さすがの悪魔が、どうする訳にも行かない。と云ふのは、まだフランシス・ザヴイエルが、日本へ来たばかりで、伝道も盛にならなければ、切支丹の信者も出来ないので、肝腎かんじんの誘惑する相手が、一人もゐないと云ふ事である。これには、いくら悪魔でも、少からず、当惑した。第一、さしあたり退屈な時間を、どうして暮していいか、わからない。――
そこで、悪魔は、いろいろ思案した末に、先まづ園芸でもやつて、暇をつぶさうと考へた。それには、西洋を出る時から、種々雑多な植物の種を、耳の穴の中へ入れて持つてゐる。地面は、近所の畠でも借りれば、造作はない。その上、フランシス上人さへ、それは至極よからうと、賛成した。勿論、上人は、自分についてゐる伊留満いるまんの一人が、西洋の薬用植物か何かを、日本へ移植しようとしてゐるのだと、思つたのである。
悪魔は、早速、鋤すき鍬くはを借りて来て、路ばたの畠を、根気よく、耕しはじめた。
丁度水蒸気の多い春の始で、たなびいた霞かすみの底からは、遠くの寺の鐘が、ぼうんと、眠むさうに、響いて来る、その鐘の音が、如何にも又のどかで、聞きなれた西洋の寺の鐘のやうに、いやに冴えて、かんと脳天へひびく所がない。――が、かう云ふ太平な風物の中にゐたのでは、さぞ悪魔も、気が楽だらうと思ふと、決してさうではない。
彼は、一度この梵鐘ぼんしようの音を聞くと、聖保羅さんぽおろの寺の鐘を聞いたよりも、一層、不快さうに、顔をしかめて、むしやうに畑を打ち始めた。何故かと云ふと、こののんびりした鐘の音を聞いて、この曖々あいあいたる日光に浴してゐると、不思議に、心がゆるんで来る。善をしようと云ふ気にもならないと同時に、悪を行はうと云ふ気にもならずにしまふ。これでは、折角、海を渡つて、日本人を誘惑に来た甲斐かひがない。――掌てのひらに肉豆まめがないので、イワンの妹に叱られた程、労働の嫌な悪魔が、こんなに精を出して、鍬を使ふ気になつたのは、全く、このややもすれば、体にはひかかる道徳的の眠けを払はうとして、一生懸命になつたせゐである。
悪魔は、とうとう、数日の中に、畑打ちを完をはつて、耳の中の種を、その畦うねに播まいた。
それから、幾月かたつ中に、悪魔の播いた種は、芽を出し、茎をのばして、その年の夏の末には、幅の広い緑の葉が、もう残りなく、畑の土を隠してしまつた。が、その植物の名を知つてゐる者は、一人もない。フランシス上人が、尋ねてさへ、悪魔は、にやにや笑ふばかりで、何とも答へずに、黙つてゐる。
その中に、この植物は、茎の先に、簇々そうそうとして、花をつけた。漏斗じやうごのやうな形をした、うす紫の花である。悪魔には、この花のさいたのが、骨を折つただけに、大へん嬉しいらしい。そこで、彼は、朝夕の勤行ごんぎやうをすましてしまふと、何時でも、その畑へ来て、余念なく培養につとめてゐた。
すると、或日の事、(それは、フランシス上人が伝道の為に、数日間、旅行をした、その留守中の出来事である。)一人の牛商人うしあきうどが、一頭の黄牛あめうしをひいて、その畑の側を通りかかつた。見ると、紫の花のむらがつた畑の柵の中で、黒い僧服に、つばの広い帽子をかぶつた、南蛮の伊留満が、しきりに葉へついた虫をとつてゐる。牛商人は、その花があまり、珍しいので、思はず足を止めながら、笠をぬいで、丁寧にその伊留満へ声をかけた。
――もし、お上人様、その花は何でございます。
伊留満は、ふりむいた。鼻の低い、眼の小さな、如何にも、人の好ささうな紅毛こうまうである。
――これですか。
――さやうでございます。
紅毛は、畑の柵によりかかりながら、頭をふつた。さうして、なれない日本語で云つた。
――この名だけは、御気の毒ですが、人には教へられません。
――はてな、すると、フランシス様が、云つてはならないとでも、仰有おつしやつたのでございますか。
――いいえ、さうではありません。
――では、一つお教へ下さいませんか、手前も、近ごろはフランシス様の御教化をうけて、この通り御宗旨に、帰依きえして居りますのですから。
牛商人は、得意さうに自分の胸を指さした。見ると、成る程、小さな真鍮しんちゆうの十字架が、日に輝きながら、頸くびにかかつてゐる。すると、それが眩まぶしかつたのか、伊留満いるまんはちよいと顔をしかめて、下を見たが、すぐに又、前よりも、人なつこい調子で、冗談じようだんともほんとうともつかずに、こんな事を云つた。
――それでも、いけませんよ。これは、私の国の掟おきてで、人に話してはならない事になつてゐるのですから。それより、あなたが、自分で一つ、あててごらんなさい。日本の人は賢いから、きつとあたります。あたつたら、この畑にはえてゐるものを、みんな、あなたにあげませう。
牛商人は、伊留満が、自分をからかつてゐるとでも思つたのであらう。彼は、日にやけた顔に、微笑を浮べながら、わざと大仰に、小首を傾けた。
――何でございますかな。どうも、殺急さつきふには、わかり兼ねますが。
――なに今日でなくつても、いいのです。三日の間に、よく考へてお出でなさい。誰かに聞いて来ても、かまひません。あたつたら、これをみんなあげます。この外にも、珍陀ちんたの酒をあげませう。それとも、波羅葦僧垤利阿利はらいそてれあるの絵をあげますか。
牛商人は、相手があまり、熱心なのに、驚いたらしい。
――では、あたらなかつたら、どう致しませう。
伊留満は帽子をあみだに、かぶり直しながら、手を振つて、笑つた。牛商人が、聊いささか、意外に思つた位、鋭い、鴉からすのやうな声で、笑つたのである。
――あたらなかつたら、私があなたに、何かもらひませう。賭かけです。あたるか、あたらないかの賭です。あたつたら、これをみんな、あなたにあげますから。
かう云ふ中に紅毛は、何時いつか又、人なつこい声に、帰つてゐた。
――よろしうございます。では、私も奮発して、何でもあなたの仰有おつしやるものを、差上げませう。
――何でもくれますか、その牛でも。
――これでよろしければ、今でも差上げます。
牛商人は、笑ひながら、黄牛あめうしの額を、撫でた。彼はどこまでも、これを、人の好い伊留満の、冗談だと思つてゐるらしい。
――その代り、私が勝つたら、その花のさく草を頂きますよ。
――よろしい。よろしい。では、確に約束しましたね。
――確に、御約定おやくぢやう致しました。御主おんあるじエス・クリストの御名にお誓ひ申しまして。
「人の声が恋しい」大半が高齢者の孤立集落 家族5人車中泊も…石川24地区で孤立状態
最大震度7の地震が襲った石川県では、今も24地区で3300人以上が孤立状態にあります。輪島市に14地区、珠洲市に7地区、能登町に2地区あるなか、番組は穴水町にある住民のほとんどが高齢者の孤立集落を取材しました。
■集落「麦ケ浦」へ…一本道が途中で寸断
行く手を遮る岩石を慎重によけながら険しい崖を登っていく隊員たち。石川県珠洲市の孤立集落の支援に向かう、陸上自衛隊の映像です。
石川県内では、至る所で道路が寸断され、孤立集落が生まれています。
番組が向かったのは、地震で大きな被害を受けた穴水町の南部。国道249号を離れ、海岸線沿いの一本道を走れば、「麦ケ浦」という集落に行けるはずなのですが、一本道が途中で寸断していました。
業者
「この先に行っても、油圧ショベルがあってダメ。(車両は)通られんわ」
現在、復旧工事が行われていますが、まだ完了していないため、車での通行はできないというのです。そのため、番組スタッフは車を降り、徒歩で集落へと向かいます。
道路の右側が崩れ、海面と接してしまっています。
工事関係者の許可をもらい、道路脇を通って、およそ1キロほど進むと集落が見えてきました。
■鳥居が真っ二つに…残る爪痕
地震の前までは、20人以上が暮らしていたという集落。そこには、地震の大きな爪痕が残されていました。
建物が大きく傾いていて、元々どういう建物だったのか分からないほどに崩れてしまっています。倒壊した家屋の上に雪が降り積もっています。
別の場所では、鳥居が真ん中から割れてしまって右側のものは少し回転するような形になってしまっています。いかに地震の揺れが大きかったのかを物語っています。
出会った住民に話を聞きました。
集落の住民
「(Q.鳥居は?)地震で壊れた」
「(Q.真っ二つに?)そうですね。鳥居の上のはりが落ちている」
鳥居のすぐそばの用水路では、洗い物をする女性がいました。
集落の住民(74)
「水も電気も全部だめ」
集落には水も電気も復旧していないと話す74歳の女性。自宅は倒壊せずに済みましたが、今後も地震が怖いため、寝泊まりはしていないといいます。
集落の住民
「家族5人いて、みんな車で寝ています。家がいつ潰れるか分からないので」
79歳の男性は、地震で作業場が崩れて屋根の下敷きになりましたが、幸いにも近くにいた釣り人に助けられました。
集落の住民
「(Q.体は大丈夫ですか?)大丈夫。骨は折れてないし、打ち身だけ」
「(Q.腰とか?)体全体」
「(Q.今は車中泊?)うん」
「(Q.腰とか痛いなかで車中泊というのは?)ちょっときついね。みんな親戚の方に避難しているけど、俺は(親戚が)おらんしね。どうしたら良いか分からん。今の状態じゃ何も考えられん」
落ちてきた瓦によってフロントガラスにひびが入った車。その車内で寝泊まりを続けている住民もいました。
■一人暮らしの83歳女性「人の声が恋しい」
食料などの物資は、集落に少しずつ届き始めていますが、住民たちのストレスを抱えながらの生活は続いています。
男性
「お母さん、どうした?」
女性
「あんたの声、午前中と午後と聞いてなくて」
70歳の男性の家を訪ねてきたのは、近所に住む一人暮らしの83歳の女性です。
集落の住民
「話の声が恋しくてね、こんな思いしたことない。普段は何げなく人と会っているけど恐ろしい。身も心も震え上がるような目にあうと、人の話し声が頼りに、そちらの方に自然と足が向いてね。話を聞いたり、一緒にうなずくと、安らぎになるから」
女性
「ほんならね、お父さん。お母さんは大丈夫?」
男性
「ずっと寝てる」
女性
「良かった。寝かしとけ。これ、一本飲んでね」
男性
「なんか持ってきた?ごちそうさん」
地元のつながりを失いたくないという思いで避難せず、孤立した集落にとどまり続けている一部の住民。しかし、今後のことを考えると、大きな不安に襲われるといいます。
細川次郎さん(70)
「避難した人とも話をするけど、この集落にいられるかなと。ここもいない、裏もいない、あそこの家もいない。この裏に2軒あるけどいない。ここもいない。隣もいない。その隣は燃えていない。この辺がこの地区の中心だったんですけど、振り返ってみたら私一人になりそうですね」
石川県内では8日時点で、こうした集落などで3345人が孤立状態にあるということで、県などは道路の復旧作業を急いでいます。
(「グッド!モーニング」2024年1月9日放送分より)
最大震度7の地震が襲った石川県では、今も24地区で3300人以上が孤立状態にあります。輪島市に14地区、珠洲市に7地区、能登町に2地区あるなか、番組は穴水町にある住民のほとんどが高齢者の孤立集落を取材しました。
■集落「麦ケ浦」へ…一本道が途中で寸断
行く手を遮る岩石を慎重によけながら険しい崖を登っていく隊員たち。石川県珠洲市の孤立集落の支援に向かう、陸上自衛隊の映像です。
石川県内では、至る所で道路が寸断され、孤立集落が生まれています。
番組が向かったのは、地震で大きな被害を受けた穴水町の南部。国道249号を離れ、海岸線沿いの一本道を走れば、「麦ケ浦」という集落に行けるはずなのですが、一本道が途中で寸断していました。
業者
「この先に行っても、油圧ショベルがあってダメ。(車両は)通られんわ」
現在、復旧工事が行われていますが、まだ完了していないため、車での通行はできないというのです。そのため、番組スタッフは車を降り、徒歩で集落へと向かいます。
道路の右側が崩れ、海面と接してしまっています。
工事関係者の許可をもらい、道路脇を通って、およそ1キロほど進むと集落が見えてきました。
■鳥居が真っ二つに…残る爪痕
地震の前までは、20人以上が暮らしていたという集落。そこには、地震の大きな爪痕が残されていました。
建物が大きく傾いていて、元々どういう建物だったのか分からないほどに崩れてしまっています。倒壊した家屋の上に雪が降り積もっています。
別の場所では、鳥居が真ん中から割れてしまって右側のものは少し回転するような形になってしまっています。いかに地震の揺れが大きかったのかを物語っています。
出会った住民に話を聞きました。
集落の住民
「(Q.鳥居は?)地震で壊れた」
「(Q.真っ二つに?)そうですね。鳥居の上のはりが落ちている」
鳥居のすぐそばの用水路では、洗い物をする女性がいました。
集落の住民(74)
「水も電気も全部だめ」
集落には水も電気も復旧していないと話す74歳の女性。自宅は倒壊せずに済みましたが、今後も地震が怖いため、寝泊まりはしていないといいます。
集落の住民
「家族5人いて、みんな車で寝ています。家がいつ潰れるか分からないので」
79歳の男性は、地震で作業場が崩れて屋根の下敷きになりましたが、幸いにも近くにいた釣り人に助けられました。
集落の住民
「(Q.体は大丈夫ですか?)大丈夫。骨は折れてないし、打ち身だけ」
「(Q.腰とか?)体全体」
「(Q.今は車中泊?)うん」
「(Q.腰とか痛いなかで車中泊というのは?)ちょっときついね。みんな親戚の方に避難しているけど、俺は(親戚が)おらんしね。どうしたら良いか分からん。今の状態じゃ何も考えられん」
落ちてきた瓦によってフロントガラスにひびが入った車。その車内で寝泊まりを続けている住民もいました。
■一人暮らしの83歳女性「人の声が恋しい」
食料などの物資は、集落に少しずつ届き始めていますが、住民たちのストレスを抱えながらの生活は続いています。
男性
「お母さん、どうした?」
女性
「あんたの声、午前中と午後と聞いてなくて」
70歳の男性の家を訪ねてきたのは、近所に住む一人暮らしの83歳の女性です。
集落の住民
「話の声が恋しくてね、こんな思いしたことない。普段は何げなく人と会っているけど恐ろしい。身も心も震え上がるような目にあうと、人の話し声が頼りに、そちらの方に自然と足が向いてね。話を聞いたり、一緒にうなずくと、安らぎになるから」
女性
「ほんならね、お父さん。お母さんは大丈夫?」
男性
「ずっと寝てる」
女性
「良かった。寝かしとけ。これ、一本飲んでね」
男性
「なんか持ってきた?ごちそうさん」
地元のつながりを失いたくないという思いで避難せず、孤立した集落にとどまり続けている一部の住民。しかし、今後のことを考えると、大きな不安に襲われるといいます。
細川次郎さん(70)
「避難した人とも話をするけど、この集落にいられるかなと。ここもいない、裏もいない、あそこの家もいない。この裏に2軒あるけどいない。ここもいない。隣もいない。その隣は燃えていない。この辺がこの地区の中心だったんですけど、振り返ってみたら私一人になりそうですね」
石川県内では8日時点で、こうした集落などで3345人が孤立状態にあるということで、県などは道路の復旧作業を急いでいます。
(「グッド!モーニング」2024年1月9日放送分より)
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