面桑ins更新~
来る2月8日(木)にキングコングの西野亮廣さん(@ japanesehandsome )と東京・池袋サンシャイン劇場にてトークショーをさせて頂きます!!
タイトルは【関口メンディーのBOOK RESPECT】
エンタメ業界、そして人生の先輩としてもリスペクトする西野さんのこれまでの著書の中から、僕が好きな一節や気になっている一節を軸に深掘り、トークを展開していく新しいトークショーになっています!!
西野さんとのトークなので、エンタメビジネスやチーム作り、人間関係、そして未来の話など幅広く話していくはずです!きっと!
この予測不能感に僕もめちゃくちゃワクワク、ドキドキしてます!
学生から働く人まで、これから歩いていく上でのヒントのようなものを持ち帰ってもらえる舞台に、必ずします!!
1日2公演 昼14:00〜 夜19:00〜
(※トークショーなので内容は変わります)
会場に足を運べない方のために配信チケットもご用意していますので、ぜひご覧ください!!
来る2月8日(木)にキングコングの西野亮廣さん(@ japanesehandsome )と東京・池袋サンシャイン劇場にてトークショーをさせて頂きます!!
タイトルは【関口メンディーのBOOK RESPECT】
エンタメ業界、そして人生の先輩としてもリスペクトする西野さんのこれまでの著書の中から、僕が好きな一節や気になっている一節を軸に深掘り、トークを展開していく新しいトークショーになっています!!
西野さんとのトークなので、エンタメビジネスやチーム作り、人間関係、そして未来の話など幅広く話していくはずです!きっと!
この予測不能感に僕もめちゃくちゃワクワク、ドキドキしてます!
学生から働く人まで、これから歩いていく上でのヒントのようなものを持ち帰ってもらえる舞台に、必ずします!!
1日2公演 昼14:00〜 夜19:00〜
(※トークショーなので内容は変わります)
会場に足を運べない方のために配信チケットもご用意していますので、ぜひご覧ください!!
#mmhr[超话]#
2024/2/4 22:00
こんにちは!
2月だね✨
2って1番好きな数字なんだ
Snow Manの会員番号も俺2番✌️
今日はヨコハマ映画祭だったよ✨
今帰りの車でブログ書いてる!!
最優秀新人賞ありがとうございます
新人って今だけだから貴重だね
授賞式噛み締めた✨
本当にありがとうございます!
そして最近はテレビで
岩本くんの恋する警護24時と
しょっぴーの先生さようならと
だてさんの大奥と
康二のリビングの松永さんと
ふっかさんの春になったらのドラマを
部屋暗くして寝る前に観るのが日課!笑
最新話まだ観れてないから
夜みよ
こんなに同じクールで
同じグループのメンバーが
別々の作品作ってるのすごいよね。
あべちゃんもイットで絶対
勉強してないとできないことしてて
本当にすごいなぁって思ったなぁ
SDGsはあべちゃんのおかげで
学べてますね
この前のそれスノの
ラウールの笹かまのやつ見たかな?
前日も家で自主練してて
その動画を送ってくれてて
本当にすごかったんだよ
準備もして、挑んで
終わった後の反省点とかも
しっかり出してて胸があつくなったよ!
佐久間くんももうすぐ
マッチングだね~楽しみだなぁ
あとドッキリGPの
Travis Japan最高だった笑
元太は本当に昔から変わらない
ずっとあのまま笑
Snow Manもあの企画
康二を仕掛けてやったから
懐かしい気持ちにもなったよ!
最近色々なところで
振り返るタイミングがあって
本当に色んなことやってこれて、
全部繋がってるんだなぁって
思うこともあったり
嬉しいことたくさん!!
また数年後に繋がるように
今を生きるぞー!
あと、
FENDIのジャパンメンズブランドアンバサダー
就任しました
本当に嬉しいな!
メンバーもおめでとうって
わざわざ連絡くれたり
あったかい気持ちになった
本当に周りに支えられながら
ここまで来れたので
たくさんの人達の時間とか頑張りを
形にできたことが嬉しい!
本当にありがとうございます
応援してくれるみんなの
声が本当にありがたい!
僕のためにみんながいるんじゃなくて
みんながいて、僕もいる
それだけのことだから
無理せずに、自分の生活の中の大半じゃなくて
一部の幸せとかに
自分の存在があればいいなぁと思ってるので!
それで心とか生活が豊かになったり
みんなのちょっとした
拠り所になれば嬉しい!
間違いなく、自分にとって
応援してくれてるみんなは
僕の自信とかに繋がってるし、
拠り所になってます
ありがとう!!
FENDIと
パートナーシップを結んで
アンバサダーという役割を頂いたので
関わる人達に自分にできることを
目黒蓮だからできることを
自分なりにやっていこうと思います!
よろしくお願いします
寒いからあったかくしてね~
明日は東京も雪降るらしいね!
気をつけて出かけてね!
じゃあお疲れ様!
(照片)
目黒蓮(´u`)
2024/2/4 22:00
こんにちは!
2月だね✨
2って1番好きな数字なんだ
Snow Manの会員番号も俺2番✌️
今日はヨコハマ映画祭だったよ✨
今帰りの車でブログ書いてる!!
最優秀新人賞ありがとうございます
新人って今だけだから貴重だね
授賞式噛み締めた✨
本当にありがとうございます!
そして最近はテレビで
岩本くんの恋する警護24時と
しょっぴーの先生さようならと
だてさんの大奥と
康二のリビングの松永さんと
ふっかさんの春になったらのドラマを
部屋暗くして寝る前に観るのが日課!笑
最新話まだ観れてないから
夜みよ
こんなに同じクールで
同じグループのメンバーが
別々の作品作ってるのすごいよね。
あべちゃんもイットで絶対
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本当にすごいなぁって思ったなぁ
SDGsはあべちゃんのおかげで
学べてますね
この前のそれスノの
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前日も家で自主練してて
その動画を送ってくれてて
本当にすごかったんだよ
準備もして、挑んで
終わった後の反省点とかも
しっかり出してて胸があつくなったよ!
佐久間くんももうすぐ
マッチングだね~楽しみだなぁ
あとドッキリGPの
Travis Japan最高だった笑
元太は本当に昔から変わらない
ずっとあのまま笑
Snow Manもあの企画
康二を仕掛けてやったから
懐かしい気持ちにもなったよ!
最近色々なところで
振り返るタイミングがあって
本当に色んなことやってこれて、
全部繋がってるんだなぁって
思うこともあったり
嬉しいことたくさん!!
また数年後に繋がるように
今を生きるぞー!
あと、
FENDIのジャパンメンズブランドアンバサダー
就任しました
本当に嬉しいな!
メンバーもおめでとうって
わざわざ連絡くれたり
あったかい気持ちになった
本当に周りに支えられながら
ここまで来れたので
たくさんの人達の時間とか頑張りを
形にできたことが嬉しい!
本当にありがとうございます
応援してくれるみんなの
声が本当にありがたい!
僕のためにみんながいるんじゃなくて
みんながいて、僕もいる
それだけのことだから
無理せずに、自分の生活の中の大半じゃなくて
一部の幸せとかに
自分の存在があればいいなぁと思ってるので!
それで心とか生活が豊かになったり
みんなのちょっとした
拠り所になれば嬉しい!
間違いなく、自分にとって
応援してくれてるみんなは
僕の自信とかに繋がってるし、
拠り所になってます
ありがとう!!
FENDIと
パートナーシップを結んで
アンバサダーという役割を頂いたので
関わる人達に自分にできることを
目黒蓮だからできることを
自分なりにやっていこうと思います!
よろしくお願いします
寒いからあったかくしてね~
明日は東京も雪降るらしいね!
気をつけて出かけてね!
じゃあお疲れ様!
(照片)
目黒蓮(´u`)
竹青《聊斋志异》
田中貢太郎
魚容ぎょようという秀才があった。湖南の人であったが、この話をした者が忘れていたから郡や村の名は解らない。ただ家が極めて貧乏で、文官試験に落第して帰っている途中で旅費が尽きてしまった。それでも人に物を乞い歩くのは羞かしくてできない。ひもじくなって歩かれないようになったので、暫く休むつもりで呉王廟の中へ入って往った。そこは洞庭のうちになった楚江の富池鎮ふうちちんであった。呉王廟は三国時代の呉の甘寧かんねい将軍を祀ったもので、水路を守る神とせられていた。廟の傍の林には数百の鴉が棲んでいて、その前を往来する舟を数里の前さきまで迎えに往って、舟の上に群がり飛ぶので、舟から肉を投げてやると一いち啄くちばしでうけて、下に墜おとすようなことはなかった。舟の人はそれを呉王の神鴉しんあといっていた。
落第して餓えている男は、何を見ても聞いてもしゃくにさわらないものはなかった。魚は呉王の神像の前へ往って不平満々たる詞ことばで祈った後で廊下へ往って寝ていた。と、何人だれかが来て魚にこいと言うので随ついて往った。そこは呉王の前であった。魚を伴つれて往った者はひざまずいて言った。
「黒衣隊がまだ一人欠けておりますが、補充いたしましょうか」
「それがよかろう」
呉王の許しが出たので、その者から魚に衣服きものをくれた。魚は言われるままにそれを着ると、そのまま鴉になった。そこで羽ばたきをして飛んで往くと、たくさんの朋輩の鴉ががあがあと噪はしゃいで飛んでいた。そして、それに随いて往って往来している舟の帆檣ほばしらの周囲を飛んだ。すると舟の上にいる旅人が争うて我も我もと肉をなげてくれた。朋輩の鴉はすばしっこくそれを空中でうけた。魚もそれにならってやっていると、またたく間に腹が一ぱいになった。そこで帰って林の杪こずえに止まったが、もう前の不平は忘れて得意であった。
二三日すると呉王は魚に偶つれあいのないのを憐んで、一羽の雌をめあわしてくれた。それは竹青ちくせいという名であった。雌雄は互いに愛しあって楽しく暮していた。
魚は舟の上へ往って食物をあさる時に、馴れてしまって用心しないので、竹青がいつも注意したが聴かなかった。ある日、兵士の乗った舟が通った。兵士は肉のかわりに銃弾を飛ばした。銃弾は魚の胸にあたった。魚が落ちようとすると竹青が銜くわえて往ったので、兵士につかまらずにすんだ。鴉の群は朋輩を撃たれて怒り、羽ばたきをして波をあおったので、大きな波が湧き起って兵士を乗せた舟は覆ってしまった。
竹青は魚を林の中へ伴れて往って、餌をあさってきて食わそうとしたが、魚は傷がひどかったのでその日の中に死んでしまった。と、夢のように目が醒めてしまった。魚は呉王廟の廊下に寝ている自分を見出したのであった。
はじめ土地の人は呉王廟の廊下に死んだようになっている魚を見つけたが、どうしたものか解ろうはずがない。体へ手をあててみるとまだ冷えきっていないので、時どき人を見せによこした。ところで、この時になって魚が蘇生したので、すべての事情が解った。村の人は金を出しあって旅費を作ってくれたので、魚は無事に故郷へ帰ることができた。
後三年して魚はまた旅に出たが、途ついでに呉王廟へ参詣して、食物を供え、鴉を呼びあつめて食べさした。そして、
「この中に竹青がもしいるなら、残っておいで」
と言って祈ったが、鴉は食べてしまうと飛んで往って一羽も残らなかった。
魚は後に官吏になって帰ってきたが、また呉王廟に参詣して、羊と豚を供え、一方にたくさんの食物をかまえて、鴉の友達に御馳走をした。そしてまた竹青のことを言って祈ったが、その日も残る鴉はいなかった。
魚はその晩舟を湖村に繋いで燭ひの側そばに坐っていた。と、鳥のようにひらりと入ってきて几つくえの前に立ったものがあった。みると二十はたちばかりの麗人であった。にっと笑って、
「お別れをしてから、御無事でしたか」
と言った。魚はめんくらって訊いた。
「あなたは、何人ですか」
「あなた、竹青をお忘れになって」
魚は喜んだ。
「何所どこから来たかね」
「私は、今、漢江の神女となっていますから、故郷うちへ帰ることはすくないのですが、鴉の使いが二度も来て、あなたの御心切を知らしてくれましたから、お眼にかかりに来たのです」
魚はますます喜んだ。ちょうど久しく別れていた夫妻のように懽恋かんれんにたえなかった。そこで魚は竹青を自分の故郷へ伴れて往こうとした。
「南へ往こうじゃないか」
竹青は魚を漢水の方へ伴れて往こうとした。
「西へ往こうじゃありませんか」
その相談ができないうちに二人は眠ってしまった。そして、魚が眼を醒していると女はもう起きていた。魚は眼を開けて四辺あたりを見た。立派な家の中に燭の光が輝いていた。そこはどうしても舟の中ではなかった。魚はおどろいて起きて、
「此所は何所だね」
と訊いた。女は笑って言った。
「此所は漢陽かんようですよ、私の家はあなたの家じゃありませんか、南へ往かないたっていいでしょう」
そのうちに夜が明けはなれた。侍女や媼ばあや達が集まってきて酒の準備したくをした。そこで広い牀とこの上に小さな几を据えて二人がさし向いで酒もりをした。魚は、
「僕げなんは何所にいるだろう」
と言って訊いた。竹青は、
「舟にいるのですわ」
と言った。魚は船頭が長く待ってくれないだろうと思った。
「船頭はどうしたかなあ」
竹青は言った。
「いいのです、私から礼をしますから」
そこで魚は竹青と夜も昼も酒もりして帰ることを忘れていた。
舟の中にいた船頭は翌朝眼を醒してみると、漢陽の市まちが見えるので腰をぬかさんばかりに駭いた。僕は僕で主人の室へ往ってみると主人がいないので、さがしてみたが杳として手がかりがなかった。そこで船頭は舟を出そうとしたが纜ともづなの結び目が解けないので、とうとう僕といっしょにおることにした。
二箇月すぎてから魚はふと帰りたくなった。そこで竹青に言った。
「いつまでもこうしていると、親類にも忘れられてしまうし、それにだいいち、お前は私と夫婦になってるが、一度も私の家を見ないというのはいけないよ」
竹青は言った。
「私は漢陽にいなくてはならないから、とても往けないですが、たとい往くことができても、あなたのお宅には奥さんがおありでしょう、私をどうなさるのです、それより私を此所に置いて、別宅にしたほうがよくはありませんか」
魚は道が遠いのでとても時どきはこられないと思った。
「漢陽は遠いからなあ」
女は起って往って黒い衣服を出してきて言った。
「あなたがいつか着ていた着物があります、もし私を思ってくださるときには、これを着てください、此所へいらっしゃることができるのです、いらしたら私がお脱がせします」
そこで珍しい肴をこしらえて魚のために送別の宴をはった。そのうちに魚は酔って寝たが、眼を醒してみると舟の中に帰っていた。見るとそれは洞庭のもとの舟を泊めた所であった。船には船頭も僕もいた。皆顔を見合わしておどろいた。船頭と僕は魚の往っていた所を訊いた。魚は喪心していた人のようにわざと悲しそうな顔をして驚いてみせた。
枕もとには一つの包みがあった。開けてみると女のくれた新しい衣服、履くつ、襪くつたびなど入っていた。黒い衣服もその中に入れてあった。また繍ぬいとりをした袋を腰のあたりに結えてあったが、それには金が一ぱい充ちていた。そこで南にむかって舟をやり、前岸かわむこうに着いて、船頭にたくさんの礼をやって帰った。
魚は家へ帰って二三箇月したが、ひどく漢水の竹青のことが思われるので、そこで、そっとかの黒衣を出して着た。すると両脇に翼が生えて、空に向ってあがって往くことができた。そして二ときばかり経つと、もう漢水へ着いたので、輪を描きながら下の方を見た。小さな島の中に一簇ひとむらの楼舎があった。魚はそこへ飛びおりた。侍女の一人がもうそれを見ていて大声で言った。
「旦那様がお見えになりました」
間もなく竹青が出てきて、皆に言いつけて黒衣の結び目を緩ゆるめさした。と、羽がはらりと脱げたようになった。魚は竹青と手を握りあって家の中へ入った。竹青は言った。
「いいところへいらしてくれました、もう今明日にも生れそうなんですよ」
魚は冗談にして言った。
「胎生たいせいかね、それとも卵生らんせい……」
竹青は言った。
「私、今、神になってますから、骨も皮も、もうかわっているのですよ」
二三日して果して竹青はお産をした。児こどもは厚い胎衣えなに包まれて生れたが、ちょうど大きな卵のようであった。破ってみると男の子であった。魚は喜んで漢産かんさんという名をつけた。
三日の後、漢水の神女が集まってきて、衣服や珍しい物をいわってくれた。皆綺麗な女ばかりで、三十以上の者はなかった。いっしょに室の中へ入って嬰児あかんぼのいる榻ねだいの傍へ往き、拇指で嬰児の鼻をなでて、増寿ぞうじゅという名をつけた。
皆が帰った後で魚は竹青に問うた。
「あれは皆なんだね」
竹青は言った。
「皆、私の朋輩ともだちですよ、いちばん後ろにいた蓮の花のように白い着物を着たのは、漢皐台かんこうだいの下で佩玉はいぎょくを解いて交甫こうほに与えた方ですよ」
二三箇月して女は舟で送ってくれた。それは帆も楫も用いないで飄然とひとりで往く舟であった。陸へ往ってみるともう人が馬を道ばたに繋いで待っていた。魚はそこで家へ帰った。
魚はそれからたえず往来した。数年して漢産がますますきれいな子になったので、魚は可愛がった。魚の妻の和氏は、児がないのでいつも漢産を見たがっていた。魚はそれを竹青に告げた。竹青はそこで旅行の準備をして、漢産を魚につけて帰した。それは三箇月という約束であった。
帰ってくると、和は自分の生んだ子以上に可愛がって、十箇月が過ぎても返さなかった。と、ある日、漢産は急病が起って死んでしまった。和は悲しんで自分も死にかねないほどであった。
魚はそこで漢水へ往って竹青に知らそうとした。門を入って往くと、漢産は赤足すあしのままで榻の上に眠っていた。魚は喜んで女に訊いた。
「漢産は死んだがどうしたのだ」
竹青は言った。
「あなたが、約束に背いて早く返してくださらないものですから、呼んだのですよ」
そこで魚は和が児をひどく可愛がることを話した。竹青が言った。
「では、私が今度児を生むのを待っててください、漢産を返しますから」
一年あまりすると竹青は双児を生んだ。それは男と女の児であった。そして男を漢生かんせいとつけ、女を玉佩ぎょくはいとつけた。魚は漢産を伴れて家へ帰ったが、一年の中に漢水へ三四回も往くので不便であった。魚はそこで家を漢陽に移した。
漢産は十二で郡の学校へ入った。竹生[#「竹生」はママ]は人間には美しい質の女がいないからといって、漢産を呼んで妻を迎えさし、そして帰してよこした。漢産の妻になった女の名は扈娘こじょうといって、これも神女の産れであった。
後、和が死んだ。漢生及び妹の玉佩も皆喪の礼を行った。葬儀が畢おわって漢産は留まり、魚は漢生と玉佩を伴れて出て往ったが、それから帰らなかった。
田中貢太郎
魚容ぎょようという秀才があった。湖南の人であったが、この話をした者が忘れていたから郡や村の名は解らない。ただ家が極めて貧乏で、文官試験に落第して帰っている途中で旅費が尽きてしまった。それでも人に物を乞い歩くのは羞かしくてできない。ひもじくなって歩かれないようになったので、暫く休むつもりで呉王廟の中へ入って往った。そこは洞庭のうちになった楚江の富池鎮ふうちちんであった。呉王廟は三国時代の呉の甘寧かんねい将軍を祀ったもので、水路を守る神とせられていた。廟の傍の林には数百の鴉が棲んでいて、その前を往来する舟を数里の前さきまで迎えに往って、舟の上に群がり飛ぶので、舟から肉を投げてやると一いち啄くちばしでうけて、下に墜おとすようなことはなかった。舟の人はそれを呉王の神鴉しんあといっていた。
落第して餓えている男は、何を見ても聞いてもしゃくにさわらないものはなかった。魚は呉王の神像の前へ往って不平満々たる詞ことばで祈った後で廊下へ往って寝ていた。と、何人だれかが来て魚にこいと言うので随ついて往った。そこは呉王の前であった。魚を伴つれて往った者はひざまずいて言った。
「黒衣隊がまだ一人欠けておりますが、補充いたしましょうか」
「それがよかろう」
呉王の許しが出たので、その者から魚に衣服きものをくれた。魚は言われるままにそれを着ると、そのまま鴉になった。そこで羽ばたきをして飛んで往くと、たくさんの朋輩の鴉ががあがあと噪はしゃいで飛んでいた。そして、それに随いて往って往来している舟の帆檣ほばしらの周囲を飛んだ。すると舟の上にいる旅人が争うて我も我もと肉をなげてくれた。朋輩の鴉はすばしっこくそれを空中でうけた。魚もそれにならってやっていると、またたく間に腹が一ぱいになった。そこで帰って林の杪こずえに止まったが、もう前の不平は忘れて得意であった。
二三日すると呉王は魚に偶つれあいのないのを憐んで、一羽の雌をめあわしてくれた。それは竹青ちくせいという名であった。雌雄は互いに愛しあって楽しく暮していた。
魚は舟の上へ往って食物をあさる時に、馴れてしまって用心しないので、竹青がいつも注意したが聴かなかった。ある日、兵士の乗った舟が通った。兵士は肉のかわりに銃弾を飛ばした。銃弾は魚の胸にあたった。魚が落ちようとすると竹青が銜くわえて往ったので、兵士につかまらずにすんだ。鴉の群は朋輩を撃たれて怒り、羽ばたきをして波をあおったので、大きな波が湧き起って兵士を乗せた舟は覆ってしまった。
竹青は魚を林の中へ伴れて往って、餌をあさってきて食わそうとしたが、魚は傷がひどかったのでその日の中に死んでしまった。と、夢のように目が醒めてしまった。魚は呉王廟の廊下に寝ている自分を見出したのであった。
はじめ土地の人は呉王廟の廊下に死んだようになっている魚を見つけたが、どうしたものか解ろうはずがない。体へ手をあててみるとまだ冷えきっていないので、時どき人を見せによこした。ところで、この時になって魚が蘇生したので、すべての事情が解った。村の人は金を出しあって旅費を作ってくれたので、魚は無事に故郷へ帰ることができた。
後三年して魚はまた旅に出たが、途ついでに呉王廟へ参詣して、食物を供え、鴉を呼びあつめて食べさした。そして、
「この中に竹青がもしいるなら、残っておいで」
と言って祈ったが、鴉は食べてしまうと飛んで往って一羽も残らなかった。
魚は後に官吏になって帰ってきたが、また呉王廟に参詣して、羊と豚を供え、一方にたくさんの食物をかまえて、鴉の友達に御馳走をした。そしてまた竹青のことを言って祈ったが、その日も残る鴉はいなかった。
魚はその晩舟を湖村に繋いで燭ひの側そばに坐っていた。と、鳥のようにひらりと入ってきて几つくえの前に立ったものがあった。みると二十はたちばかりの麗人であった。にっと笑って、
「お別れをしてから、御無事でしたか」
と言った。魚はめんくらって訊いた。
「あなたは、何人ですか」
「あなた、竹青をお忘れになって」
魚は喜んだ。
「何所どこから来たかね」
「私は、今、漢江の神女となっていますから、故郷うちへ帰ることはすくないのですが、鴉の使いが二度も来て、あなたの御心切を知らしてくれましたから、お眼にかかりに来たのです」
魚はますます喜んだ。ちょうど久しく別れていた夫妻のように懽恋かんれんにたえなかった。そこで魚は竹青を自分の故郷へ伴れて往こうとした。
「南へ往こうじゃないか」
竹青は魚を漢水の方へ伴れて往こうとした。
「西へ往こうじゃありませんか」
その相談ができないうちに二人は眠ってしまった。そして、魚が眼を醒していると女はもう起きていた。魚は眼を開けて四辺あたりを見た。立派な家の中に燭の光が輝いていた。そこはどうしても舟の中ではなかった。魚はおどろいて起きて、
「此所は何所だね」
と訊いた。女は笑って言った。
「此所は漢陽かんようですよ、私の家はあなたの家じゃありませんか、南へ往かないたっていいでしょう」
そのうちに夜が明けはなれた。侍女や媼ばあや達が集まってきて酒の準備したくをした。そこで広い牀とこの上に小さな几を据えて二人がさし向いで酒もりをした。魚は、
「僕げなんは何所にいるだろう」
と言って訊いた。竹青は、
「舟にいるのですわ」
と言った。魚は船頭が長く待ってくれないだろうと思った。
「船頭はどうしたかなあ」
竹青は言った。
「いいのです、私から礼をしますから」
そこで魚は竹青と夜も昼も酒もりして帰ることを忘れていた。
舟の中にいた船頭は翌朝眼を醒してみると、漢陽の市まちが見えるので腰をぬかさんばかりに駭いた。僕は僕で主人の室へ往ってみると主人がいないので、さがしてみたが杳として手がかりがなかった。そこで船頭は舟を出そうとしたが纜ともづなの結び目が解けないので、とうとう僕といっしょにおることにした。
二箇月すぎてから魚はふと帰りたくなった。そこで竹青に言った。
「いつまでもこうしていると、親類にも忘れられてしまうし、それにだいいち、お前は私と夫婦になってるが、一度も私の家を見ないというのはいけないよ」
竹青は言った。
「私は漢陽にいなくてはならないから、とても往けないですが、たとい往くことができても、あなたのお宅には奥さんがおありでしょう、私をどうなさるのです、それより私を此所に置いて、別宅にしたほうがよくはありませんか」
魚は道が遠いのでとても時どきはこられないと思った。
「漢陽は遠いからなあ」
女は起って往って黒い衣服を出してきて言った。
「あなたがいつか着ていた着物があります、もし私を思ってくださるときには、これを着てください、此所へいらっしゃることができるのです、いらしたら私がお脱がせします」
そこで珍しい肴をこしらえて魚のために送別の宴をはった。そのうちに魚は酔って寝たが、眼を醒してみると舟の中に帰っていた。見るとそれは洞庭のもとの舟を泊めた所であった。船には船頭も僕もいた。皆顔を見合わしておどろいた。船頭と僕は魚の往っていた所を訊いた。魚は喪心していた人のようにわざと悲しそうな顔をして驚いてみせた。
枕もとには一つの包みがあった。開けてみると女のくれた新しい衣服、履くつ、襪くつたびなど入っていた。黒い衣服もその中に入れてあった。また繍ぬいとりをした袋を腰のあたりに結えてあったが、それには金が一ぱい充ちていた。そこで南にむかって舟をやり、前岸かわむこうに着いて、船頭にたくさんの礼をやって帰った。
魚は家へ帰って二三箇月したが、ひどく漢水の竹青のことが思われるので、そこで、そっとかの黒衣を出して着た。すると両脇に翼が生えて、空に向ってあがって往くことができた。そして二ときばかり経つと、もう漢水へ着いたので、輪を描きながら下の方を見た。小さな島の中に一簇ひとむらの楼舎があった。魚はそこへ飛びおりた。侍女の一人がもうそれを見ていて大声で言った。
「旦那様がお見えになりました」
間もなく竹青が出てきて、皆に言いつけて黒衣の結び目を緩ゆるめさした。と、羽がはらりと脱げたようになった。魚は竹青と手を握りあって家の中へ入った。竹青は言った。
「いいところへいらしてくれました、もう今明日にも生れそうなんですよ」
魚は冗談にして言った。
「胎生たいせいかね、それとも卵生らんせい……」
竹青は言った。
「私、今、神になってますから、骨も皮も、もうかわっているのですよ」
二三日して果して竹青はお産をした。児こどもは厚い胎衣えなに包まれて生れたが、ちょうど大きな卵のようであった。破ってみると男の子であった。魚は喜んで漢産かんさんという名をつけた。
三日の後、漢水の神女が集まってきて、衣服や珍しい物をいわってくれた。皆綺麗な女ばかりで、三十以上の者はなかった。いっしょに室の中へ入って嬰児あかんぼのいる榻ねだいの傍へ往き、拇指で嬰児の鼻をなでて、増寿ぞうじゅという名をつけた。
皆が帰った後で魚は竹青に問うた。
「あれは皆なんだね」
竹青は言った。
「皆、私の朋輩ともだちですよ、いちばん後ろにいた蓮の花のように白い着物を着たのは、漢皐台かんこうだいの下で佩玉はいぎょくを解いて交甫こうほに与えた方ですよ」
二三箇月して女は舟で送ってくれた。それは帆も楫も用いないで飄然とひとりで往く舟であった。陸へ往ってみるともう人が馬を道ばたに繋いで待っていた。魚はそこで家へ帰った。
魚はそれからたえず往来した。数年して漢産がますますきれいな子になったので、魚は可愛がった。魚の妻の和氏は、児がないのでいつも漢産を見たがっていた。魚はそれを竹青に告げた。竹青はそこで旅行の準備をして、漢産を魚につけて帰した。それは三箇月という約束であった。
帰ってくると、和は自分の生んだ子以上に可愛がって、十箇月が過ぎても返さなかった。と、ある日、漢産は急病が起って死んでしまった。和は悲しんで自分も死にかねないほどであった。
魚はそこで漢水へ往って竹青に知らそうとした。門を入って往くと、漢産は赤足すあしのままで榻の上に眠っていた。魚は喜んで女に訊いた。
「漢産は死んだがどうしたのだ」
竹青は言った。
「あなたが、約束に背いて早く返してくださらないものですから、呼んだのですよ」
そこで魚は和が児をひどく可愛がることを話した。竹青が言った。
「では、私が今度児を生むのを待っててください、漢産を返しますから」
一年あまりすると竹青は双児を生んだ。それは男と女の児であった。そして男を漢生かんせいとつけ、女を玉佩ぎょくはいとつけた。魚は漢産を伴れて家へ帰ったが、一年の中に漢水へ三四回も往くので不便であった。魚はそこで家を漢陽に移した。
漢産は十二で郡の学校へ入った。竹生[#「竹生」はママ]は人間には美しい質の女がいないからといって、漢産を呼んで妻を迎えさし、そして帰してよこした。漢産の妻になった女の名は扈娘こじょうといって、これも神女の産れであった。
後、和が死んだ。漢生及び妹の玉佩も皆喪の礼を行った。葬儀が畢おわって漢産は留まり、魚は漢生と玉佩を伴れて出て往ったが、それから帰らなかった。
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