走れメロス(中)

太宰治

私は、今宵、殺される。殺される為に走るのだ。身代りの友を救う為に走るのだ。王の奸佞かんねい邪智を打ち破る為に走るのだ。走らなければならぬ。そうして、私は殺される。若い時から名誉を守れ。さらば、ふるさと。若いメロスは、つらかった。幾度か、立ちどまりそうになった。えい、えいと大声挙げて自身を叱りながら走った。村を出て、野を横切り、森をくぐり抜け、隣村に着いた頃には、雨も止やみ、日は高く昇って、そろそろ暑くなって来た。メロスは額ひたいの汗をこぶしで払い、ここまで来れば大丈夫、もはや故郷への未練は無い。妹たちは、きっと佳い夫婦になるだろう。私には、いま、なんの気がかりも無い筈だ。まっすぐに王城に行き着けば、それでよいのだ。そんなに急ぐ必要も無い。ゆっくり歩こう、と持ちまえの呑気のんきさを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出した。ぶらぶら歩いて二里行き三里行き、そろそろ全里程の半ばに到達した頃、降って湧わいた災難、メロスの足は、はたと、とまった。見よ、前方の川を。きのうの豪雨で山の水源地は氾濫はんらんし、濁流滔々とうとうと下流に集り、猛勢一挙に橋を破壊し、どうどうと響きをあげる激流が、木葉微塵こっぱみじんに橋桁はしげたを跳ね飛ばしていた。彼は茫然と、立ちすくんだ。あちこちと眺めまわし、また、声を限りに呼びたててみたが、繋舟けいしゅうは残らず浪に浚さらわれて影なく、渡守りの姿も見えない。流れはいよいよ、ふくれ上り、海のようになっている。メロスは川岸にうずくまり、男泣きに泣きながらゼウスに手を挙げて哀願した。「ああ、鎮しずめたまえ、荒れ狂う流れを! 時は刻々に過ぎて行きます。太陽も既に真昼時です。あれが沈んでしまわぬうちに、王城に行き着くことが出来なかったら、あの佳い友達が、私のために死ぬのです。」
濁流は、メロスの叫びをせせら笑う如く、ますます激しく躍り狂う。浪は浪を呑み、捲き、煽あおり立て、そうして時は、刻一刻と消えて行く。今はメロスも覚悟した。泳ぎ切るより他に無い。ああ、神々も照覧あれ! 濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪を相手に、必死の闘争を開始した。満身の力を腕にこめて、押し寄せ渦巻き引きずる流れを、なんのこれしきと掻かきわけ掻きわけ、めくらめっぽう獅子奮迅の人の子の姿には、神も哀れと思ったか、ついに憐愍れんびんを垂れてくれた。押し流されつつも、見事、対岸の樹木の幹に、すがりつく事が出来たのである。ありがたい。メロスは馬のように大きな胴震いを一つして、すぐにまた先きを急いだ。一刻といえども、むだには出来ない。陽は既に西に傾きかけている。ぜいぜい荒い呼吸をしながら峠をのぼり、のぼり切って、ほっとした時、突然、目の前に一隊の山賊が躍り出た。
「待て。」
「何をするのだ。私は陽の沈まぬうちに王城へ行かなければならぬ。放せ。」
「どっこい放さぬ。持ちもの全部を置いて行け。」
「私にはいのちの他には何も無い。その、たった一つの命も、これから王にくれてやるのだ。」
「その、いのちが欲しいのだ。」
「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな。」
山賊たちは、ものも言わず一斉に棍棒こんぼうを振り挙げた。メロスはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、
「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ隙すきに、さっさと走って峠を下った。一気に峠を駈け降りたが、流石さすがに疲労し、折から午後の灼熱しゃくねつの太陽がまともに、かっと照って来て、メロスは幾度となく眩暈めまいを感じ、これではならぬ、と気を取り直しては、よろよろ二、三歩あるいて、ついに、がくりと膝を折った。立ち上る事が出来ぬのだ。天を仰いで、くやし泣きに泣き出した。ああ、あ、濁流を泳ぎ切り、山賊を三人も撃ち倒し韋駄天いだてん、ここまで突破して来たメロスよ。真の勇者、メロスよ。今、ここで、疲れ切って動けなくなるとは情無い。愛する友は、おまえを信じたばかりに、やがて殺されなければならぬ。おまえは、稀代きたいの不信の人間、まさしく王の思う壺つぼだぞ、と自分を叱ってみるのだが、全身萎なえて、もはや芋虫いもむしほどにも前進かなわぬ。路傍の草原にごろりと寝ころがった。身体疲労すれば、精神も共にやられる。もう、どうでもいいという、勇者に不似合いな不貞腐ふてくされた根性が、心の隅に巣喰った。私は、これほど努力したのだ。約束を破る心は、みじんも無かった。神も照覧、私は精一ぱいに努めて来たのだ。動けなくなるまで走って来たのだ。私は不信の徒では無い。ああ、できる事なら私の胸を截たち割って、真紅の心臓をお目に掛けたい。愛と信実の血液だけで動いているこの心臓を見せてやりたい。けれども私は、この大事な時に、精も根も尽きたのだ。私は、よくよく不幸な男だ。私は、きっと笑われる。私の一家も笑われる。私は友を欺あざむいた。中途で倒れるのは、はじめから何もしないのと同じ事だ。ああ、もう、どうでもいい。これが、私の定った運命なのかも知れない。セリヌンティウスよ、ゆるしてくれ。君は、いつでも私を信じた。私も君を、欺かなかった。私たちは、本当に佳い友と友であったのだ。いちどだって、暗い疑惑の雲を、お互い胸に宿したことは無かった。いまだって、君は私を無心に待っているだろう。ああ、待っているだろう。ありがとう、セリヌンティウス。よくも私を信じてくれた。それを思えば、たまらない。友と友の間の信実は、この世で一ばん誇るべき宝なのだからな。セリヌンティウス、私は走ったのだ。君を欺くつもりは、みじんも無かった。信じてくれ! 私は急ぎに急いでここまで来たのだ。濁流を突破した。山賊の囲みからも、するりと抜けて一気に峠を駈け降りて来たのだ。私だから、出来たのだよ。ああ、この上、私に望み給うな。放って置いてくれ。どうでも、いいのだ。私は負けたのだ。だらしが無い。笑ってくれ。王は私に、ちょっとおくれて来い、と耳打ちした。おくれたら、身代りを殺して、私を助けてくれると約束した。私は王の卑劣を憎んだ。けれども、今になってみると、私は王の言うままになっている。私は、おくれて行くだろう。王は、ひとり合点して私を笑い、そうして事も無く私を放免するだろう。そうなったら、私は、死ぬよりつらい。私は、永遠に裏切者だ。地上で最も、不名誉の人種だ。セリヌンティウスよ、私も死ぬぞ。君と一緒に死なせてくれ。君だけは私を信じてくれるにちがい無い。いや、それも私の、ひとりよがりか? ああ、もういっそ、悪徳者として生き伸びてやろうか。村には私の家が在る。羊も居る。妹夫婦は、まさか私を村から追い出すような事はしないだろう。正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる哉かな。――四肢を投げ出して、うとうと、まどろんでしまった。
 ふと耳に、潺々せんせん、水の流れる音が聞えた。そっと頭をもたげ、息を呑んで耳をすました。すぐ足もとで、水が流れているらしい。よろよろ起き上って、見ると、岩の裂目から滾々こんこんと、何か小さく囁ささやきながら清水が湧き出ているのである。その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手で掬すくって、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。歩ける。行こう。肉体の疲労恢復かいふくと共に、わずかながら希望が生れた。義務遂行の希望である。わが身を殺して、名誉を守る希望である。斜陽は赤い光を、樹々の葉に投じ、葉も枝も燃えるばかりに輝いている。日没までには、まだ間がある。私を、待っている人があるのだ。少しも疑わず、静かに期待してくれている人があるのだ。私は、信じられている。私の命なぞは、問題ではない。死んでお詫び、などと気のいい事は言って居られぬ。私は、信頼に報いなければならぬ。いまはただその一事だ。走れ! メロス。私は信頼されている。私は信頼されている。先刻の、あの悪魔の囁きは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。五臓が疲れているときは、ふいとあんな悪い夢を見るものだ。メロス、おまえの恥ではない。やはり、おまえは真の勇者だ。再び立って走れるようになったではないか。ありがたい! 私は、正義の士として死ぬ事が出来るぞ。ああ、陽が沈む。ずんずん沈む。待ってくれ、ゼウスよ。私は生れた時から正直な男であった。正直な男のままにして死なせて下さい。
 路行く人を押しのけ、跳はねとばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴けとばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。一団の旅人と颯さっとすれちがった瞬間、不吉な会話を小耳にはさんだ。「いまごろは、あの男も、磔にかかっているよ。」ああ、その男、その男のために私は、いまこんなに走っているのだ。その男を死なせてはならない。急げ、メロス。おくれてはならぬ。愛と誠の力を、いまこそ知らせてやるがよい。風態なんかは、どうでもいい。メロスは、いまは、ほとんど全裸体であった。呼吸も出来ず、二度、三度、口から血が噴き出た。見える。はるか向うに小さく、シラクスの市の塔楼が見える。塔楼は、夕陽を受けてきらきら光っている。
「ああ、メロス様。」うめくような声が、風と共に聞えた。
「誰だ。」メロスは走りながら尋ねた。
「フィロストラトスでございます。貴方のお友達セリヌンティウス様の弟子でございます。」その若い石工も、メロスの後について走りながら叫んだ。「もう、駄目でございます。むだでございます。走るのは、やめて下さい。もう、あの方かたをお助けになることは出来ません。」
「いや、まだ陽は沈まぬ。」
「ちょうど今、あの方が死刑になるところです。ああ、あなたは遅かった。おうらみ申します。ほんの少し、もうちょっとでも、早かったなら!」
「いや、まだ陽は沈まぬ。」メロスは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕陽ばかりを見つめていた。走るより他は無い。

#龙年第一条微博#
今年も、一人で中国の旧暦新年を祝う。

セクシュアル・マイノリティにとって、今年も家父長制・異性愛中心主義の家庭にもどらなくてもいい。これは幸い極まりない。

一人でプライベート・スペースがあれば、らくにしている。だれでも自分にとってらくにしているところに留まりたい。

すべての同性愛者は異性婚姻を強いられないように、すべてのアセクシュアルは強制的性愛のある婚姻に強いられないようにこころより願っている。

#LGBTQIA[超话]#

『把酒問月』李白
把酒問月は酒豪で知られる李白が、飲んだくれてふと目に入った月に「お前はいつこの世に現れたのだ」と問いかける詩です。「わしは月まで行けないのに、お前はどこまでもわしについてくる」と。誰でも子供の頃ふしぎに思ったであろう現象を、酔っ払った李白が素朴に月に問いかけます。

ここでは『把酒問月』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である李白の紹介をしていきます。

『把酒問月』の原文
青天有月来幾時

我今停盃一問之

人攀明月不可得

月行却与人相隋

皎如飛鏡臨丹闕

緑煙滅尽清輝発

但見宵従海上来

寧知暁向雲閒沒

白兔搗薬秋復春

姮娥孤棲与誰隣

今人不見古時月

今月曽経照古人

古人今人若流水

共看明月皆如此

唯願当歌対酒時

月光長照金樽裏

『把酒問月』の書き下し文
青天 月有ってより来(こ)のかた 幾時(いくとき)ぞ

我今盃(さかづき)を停(とど)めて 一たび之(これ)を問う

人の明月を攀(よ)ずるは 得(う)べからず

月行(げっこう)却(かえ)って 人と相(あ)い随(したが)う

皎(きょう)として飛鏡(ひきょう)の 丹闕(たんけつ)に臨(のぞ)むが如く

緑煙(りょくえん)滅(めっ)し尽くして 清輝(せいき)発す

但(た)だ見る 宵(よい)に海上より来たるを

寧(いずく)んぞ知らん 曉(あかつき)に雲間(うんかん)に向かって没するを

白兔(はくと)薬を搗(つ)く 秋復(ま)た春

姮娥(こうが)孤(ひと)り棲(す)んで 誰(たれ)とか隣(とな)りせん

今人(こんじん)は見ず 古時(こじ)の月

今月は曾経(かつ)て 古人(こじん)を照らせり

古人(こじん)今人(こんじん) 流水(りゅうすい)の若(ごと)し

共(とも)に明月を看(み)ること 皆此(かく)の如し

唯(た)だ願わくは 歌に当たり酒に対するの時

月光長(とこし)えに 金樽(きんそん)の裏(うち)を照らさんことを
『把酒問月』の現代語訳
夜の空に浮かぶ月よ、お前はいつ現れたのだ?

酒杯を持つ手を止めて、そのことを月に尋ねよう。

人は月まで辿(たど)りつけないのに、

月はしっかりと人について、どこまでも追いかけてくる。

月は鏡のように白く輝いて、夕焼けという赤い宮殿を照らす。

夜になって青い靄(もや)がすっかり消えると、月は清らかな光を放ち始める。

人はただ夜の月が海の果てから昇り来るのを見るのみで、

夜が明けて雲間に没する月を見る人はいない。

月の中では白兔が薬を搗(つ)いて月日は巡る。

月の女神である嫦娥(じょうが)は独り月に棲(す)み、寄り添う者はいない。

今の人はいにしえの月を見ることはできないが、

この今の月こそ古(いにしえ)に人を照らした月なのだ。

昔の人も今の人も流れる水のように消えていく。

共に見た月もまた同じ。

杯に向かって歌をうたう時、どうか

月の光が永久(とわ)に金の酒杯を照らさんことを。
『把酒問月』の解説
第5句…「丹闕」は「朱色の宮殿」。ここでは夕焼けを指す。「飛鏡」は「空を飛ぶ鏡」。

第6句…「緑煙」は「月光を覆う雲霧」。「滅尽」は「消し去る」。「清輝」は「月光がキラキラと輝くさま」。

第10句…「姮娥」は「弓の名人・羿(げい)の妻」で「嫦娥(じょうが)」とも。彼女は夫が持っていた不老不死の薬をこっそり盗んで飲むと体が軽くなって浮き月まで昇っていってしまうが、月には薬を搗(つ)く兎が住んでいるばかりで知る人もなく、一人寂しく暮らしているという言い伝えがある。

第15句…「当歌対酒」は、曹操の『短歌行』に「対酒当歌、人生幾何」(杯を手に歌を歌う。人生は瞬く間に終わってしまう)というフレーズがある。

李白が子供のように、そして哲学者のように月に問いかけた詩です。ただし手には酒杯があるのですから、一杯飲んで良い気分になったときの戯言(ざれごと)にも思えます。

李白が月に尋ねた内容は、今の私たちが子供の頃抱いた疑問と同じ。

太陽が後ろから追いかけてくる。「あんたはあっちに向かって歩いていって。わたしはこっちに歩いていくから」。太陽はどっちについてくるんだろう?「ぼくについてきたよ」。「わたしにもついてきたよ。」どうしてなんだろう。

こんなたわいもない話が、李白の手にかかると韻を踏んだ美しい七言古詩に変貌するのです。しかも月に住むという嫦娥(じょうが)と兎の伝説も織り込んで。

『把酒問月』の形式・技法
七言古詩。

『把酒問月』が詠まれた時代
唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)
唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。

『把酒問月』が詠まれたのは盛唐の頃です。


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