#日语##电影#
 アメリカの映画「ザ・クリエイター/創造者」(AI创世者)を見ました。監督が親日家だからのか、日本人役者の起用はもちろん、ところどころのセリフが日本語だったり、背景に日本語が入ってたり、その日本語が間違ってたりと、日本語のできる自分からすると変なこだわりを感じる映画でした。
 あらすじは人間と人工知能のSF戦争もので、主人公は特殊部隊の隊員です。彼は人工知能側へスパイとして潜入する際、敵側の人間の女性と相思相愛になり結婚するが、作戦中にその妻を失います。後日、人工知能側がすごい兵器を開発し、その研究所に妻の姿を確認したと上層部から情報を得ると、また部隊を率いてそこへ赴きました。しかしそこに妻の姿がなく、代わりに見つけた兵器が、テレビの前でアニメを見ている幼い子供の姿をした人工知能でした。
 人間と人工知能の関係性ーーそこに惹かれて見たこの映画ですが、正直イマイチでしたね。以前紹介したインドの映画「RRR」のほうがずっと面白かったです。ただ細かいところはよく考えられており、反AIの人間側が自爆特攻のアンドロイドを使ったり、アンドロイド側が宗教的信仰心が篤かったり、そして作中のセリフ「人工知能は服や薬だけでなく、芸術も作れる。小さな花畑に死者を埋葬することも。しかしそいつら以上に賢くて意地汚い種族がいる。人間だ。私たち人間はそいつらを搾取、謀殺、そして絶滅させようとしている」が印象深かったです。
 まあ、40点の作品になりますかね(合格点は50点とする)。

蜜柑
芥川龍之介

 或曇つた冬の日暮である。私は横須賀発上り二等客車の隅に腰を下して、ぼんやり発車の笛を待つてゐた。とうに電燈のついた客車の中には、珍らしく私の外に一人も乗客はゐなかつた。外を覗のぞくと、うす暗いプラツトフオオムにも、今日は珍しく見送りの人影さへ跡を絶つて、唯、檻をりに入れられた小犬が一匹、時々悲しさうに、吠え立ててゐた。これらはその時の私の心もちと、不思議な位似つかはしい景色だつた。私の頭の中には云ひやうのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のやうなどんよりした影を落してゐた。私は外套のポツケツトへぢつと両手をつつこんだ儘まま、そこにはいつてゐる夕刊を出して見ようと云ふ元気さへ起らなかつた。
 が、やがて発車の笛が鳴つた。私はかすかな心の寛くつろぎを感じながら、後の窓枠へ頭をもたせて、眼の前の停車場がずるずると後ずさりを始めるのを待つともなく待ちかまへてゐた。所がそれよりも先にけたたましい日和ひより下駄の音が、改札口の方から聞え出したと思ふと、間もなく車掌の何か云ひ罵ののしる声と共に、私の乗つてゐる二等室の戸ががらりと開いて、十三四の小娘が一人、慌あわただしく中へはいつて来た、と同時に一つづしりと揺れて、徐おもむろに汽車は動き出した。一本づつ眼をくぎつて行くプラツトフオオムの柱、置き忘れたやうな運水車、それから車内の誰かに祝儀の礼を云つてゐる赤帽――さう云ふすべては、窓へ吹きつける煤煙の中に、未練がましく後へ倒れて行つた。私は漸やうやくほつとした心もちになつて、巻煙草に火をつけながら、始めて懶ものうい睚まぶたをあげて、前の席に腰を下してゐた小娘の顔を一瞥いちべつした。
それは油気のない髪をひつつめの銀杏返いてふがへしに結つて、横なでの痕のある皸ひびだらけの両頬を気持の悪い程赤く火照ほてらせた、如何にも田舎者ゐなかものらしい娘だつた。しかも垢じみた萌黄色もえぎいろの毛糸の襟巻がだらりと垂れ下つた膝の上には、大きな風呂敷包みがあつた。その又包みを抱いた霜焼けの手の中には、三等の赤切符が大事さうにしつかり握られてゐた。私はこの小娘の下品な顔だちを好まなかつた。それから彼女の服装が不潔なのもやはり不快だつた。最後にその二等と三等との区別さへも弁わきまへない愚鈍な心が腹立たしかつた。だから巻煙草に火をつけた私は、一つにはこの小娘の存在を忘れたいと云ふ心もちもあつて、今度はポツケツトの夕刊を漫然と膝の上へひろげて見た。すると其時夕刊の紙面に落ちてゐた外光が、突然電燈の光に変つて、刷すりの悪い何欄かの活字が意外な位鮮あざやかに私の眼の前へ浮んで来た。云ふまでもなく汽車は今、横須賀線に多い隧道トンネルの最初のそれへはいつたのである。
 しかしその電燈の光に照らされた夕刊の紙面を見渡しても、やはり私の憂欝を慰むべく、世間は余りに平凡な出来事ばかりで持ち切つてゐた。講和問題、新婦新郎、涜職とくしよく事件、死亡広告――私は隧道へはいつた一瞬間、汽車の走つてゐる方向が逆になつたやうな錯覚を感じながら、それらの索漠とした記事から記事へ殆ほとんど機械的に眼を通した。が、その間も勿論あの小娘が、恰あたかも卑俗な現実を人間にしたやうな面持ちで、私の前に坐つてゐる事を絶えず意識せずにはゐられなかつた。この隧道の中の汽車と、この田舎者の小娘と、さうして又この平凡な記事に埋つてゐる夕刊と、――これが象徴でなくて何であらう。不可解な、下等な、退屈な人生の象徴でなくて何であらう。私は一切がくだらなくなつて、読みかけた夕刊を抛はふり出すと、又窓枠に頭を靠もたせながら、死んだやうに眼をつぶつて、うつらうつらし始めた。
それから幾分か過ぎた後であつた。ふと何かに脅おびやかされたやうな心もちがして、思はずあたりを見まはすと、何時いつの間にか例の小娘が、向う側から席を私の隣へ移して、頻しきりに窓を開けようとしてゐる。が、重い硝子戸ガラスどは中々思ふやうにあがらないらしい。あの皸ひびだらけの頬は愈いよいよ赤くなつて、時々鼻洟はなをすすりこむ音が、小さな息の切れる声と一しよに、せはしなく耳へはいつて来る。これは勿論私にも、幾分ながら同情を惹ひくに足るものには相違なかつた。しかし汽車が今将まさに隧道トンネルの口へさしかからうとしてゐる事は、暮色の中に枯草ばかり明い両側の山腹が、間近く窓側に迫つて来たのでも、すぐに合点がてんの行く事であつた。にも関らずこの小娘は、わざわざしめてある窓の戸を下さうとする、――その理由が私には呑みこめなかつた。いや、それが私には、単にこの小娘の気まぐれだとしか考へられなかつた。だから私は腹の底に依然として険しい感情を蓄へながら、あの霜焼けの手が硝子戸を擡もたげようとして悪戦苦闘する容子ようすを、まるでそれが永久に成功しない事でも祈るやうな冷酷な眼で眺めてゐた。すると間もなく凄じい音をはためかせて、汽車が隧道へなだれこむと同時に、小娘の開けようとした硝子戸は、とうとうばたりと下へ落ちた。さうしてその四角な穴の中から、煤すすを溶したやうなどす黒い空気が、俄にはかに息苦しい煙になつて、濛々もうもうと車内へ漲みなぎり出した。元来咽喉のどを害してゐた私は、手巾ハンケチを顔に当てる暇さへなく、この煙を満面に浴びせられたおかげで、殆ほとんど息もつけない程咳せきこまなければならなかつた。が、小娘は私に頓着する気色けしきも見えず、窓から外へ首をのばして、闇を吹く風に銀杏返いてふがへしの鬢びんの毛を戦そよがせながら、ぢつと汽車の進む方向を見やつてゐる。その姿を煤煙ばいえんと電燈の光との中に眺めた時、もう窓の外が見る見る明くなつて、そこから土の匂や枯草の匂や水の匂が冷ひややかに流れこんで来なかつたなら、漸やうやく咳きやんだ私は、この見知らない小娘を頭ごなしに叱りつけてでも、又元の通り窓の戸をしめさせたのに相違なかつたのである。
しかし汽車はその時分には、もう安々と隧道トンネルを辷すべりぬけて、枯草の山と山との間に挾まれた、或貧しい町はづれの踏切りに通りかかつてゐた。踏切りの近くには、いづれも見すぼらしい藁屋根や瓦屋根がごみごみと狭苦しく建てこんで、踏切り番が振るのであらう、唯一旒いちりうのうす白い旗が懶ものうげに暮色を揺ゆすつてゐた。やつと隧道を出たと思ふ――その時その蕭索せうさくとした踏切りの柵の向うに、私は頬の赤い三人の男の子が、目白押しに並んで立つてゐるのを見た。彼等は皆、この曇天に押しすくめられたかと思ふ程、揃そろつて背が低かつた。さうして又この町はづれの陰惨たる風物と同じやうな色の着物を着てゐた。それが汽車の通るのを仰ぎ見ながら、一斉に手を挙げるが早いか、いたいけな喉を高く反そらせて、何とも意味の分らない喊声かんせいを一生懸命に迸ほとばしらせた。するとその瞬間である。窓から半身を乗り出してゐた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振つたと思ふと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まつてゐる蜜柑みかんが凡そ五つ六つ、汽車を見送つた子供たちの上へばらばらと空から降つて来た。私は思はず息を呑んだ。さうして刹那に一切を了解した。小娘は、恐らくはこれから奉公先へ赴おもむかうとしてゐる小娘は、その懐に蔵してゐた幾顆いくくわの蜜柑を窓から投げて、わざわざ踏切りまで見送りに来た弟たちの労に報いたのである。
暮色を帯びた町はづれの踏切りと、小鳥のやうに声を挙げた三人の子供たちと、さうしてその上に乱落する鮮あざやかな蜜柑の色と――すべては汽車の窓の外に、瞬またたく暇もなく通り過ぎた。が、私の心の上には、切ない程はつきりと、この光景が焼きつけられた。さうしてそこから、或得体えたいの知れない朗ほがらかな心もちが湧き上つて来るのを意識した。私は昂然と頭を挙げて、まるで別人を見るやうにあの小娘を注視した。小娘は何時かもう私の前の席に返つて、不相変あひかはらず皸ひびだらけの頬を萌黄色の毛糸の襟巻に埋めながら、大きな風呂敷包みを抱へた手に、しつかりと三等切符を握つてゐる。…………
 私はこの時始めて、云ひやうのない疲労と倦怠とを、さうして又不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来たのである。
(大正八年四月)

手巾(上)
芥川龍之介

 東京帝国法科大学教授、長谷川謹造先生は、ヴエランダの籐椅子とういすに腰をかけて、ストリントベルクの作劇術ドラマトウルギイを読んでゐた。
 先生の専門は、植民政策の研究である。従つて読者には、先生がドラマトウルギイを読んでゐると云ふ事が、聊いささか、唐突の感を与へるかも知れない。が、学者としてのみならず、教育家としても、令名れいめいある先生は、専門の研究に必要でない本でも、それが何等かの意味で、現代学生の思想なり、感情なりに、関係のある物は、暇のある限り、必かならず一応は、眼を通して置く。現に、昨今は、先生の校長を兼ねてゐる或高等専門学校の生徒が、愛読すると云ふ、唯、それだけの理由から、オスカア・ワイルドのデ・プロフンデイスとか、インテンシヨンズとか云ふ物さへ、一読の労を執つた。さう云ふ先生の事であるから、今読んでゐる本が、欧洲近代の戯曲及俳優を論じた物であるにしても、別に不思議がる所はない。何故と云へば、先生の薫陶くんたうを受けてゐる学生の中には、イブセンとか、ストリントベルクとか、乃至メエテルリンクとかの評論を書く学生が、ゐるばかりでなく、進んでは、さう云ふ近代の戯曲家の跡を追つて、作劇を一生の仕事にしようとする、熱心家さへゐるからである。
 先生は、警抜な一章を読み了る毎に、黄いろい布表紙の本を、膝の上へ置いて、ヴエランダに吊してある岐阜提灯ぎふぢやうちんの方を、漫然と一瞥いちべつする。不思議な事に、さうするや否や、先生の思量しりやうは、ストリントベルクを離れてしまふ。その代り、一しよにその岐阜提灯を買ひに行つた、奥さんの事が、心に浮んで来る。先生は、留学中、米国で結婚をした。だから、奥さんは、勿論、亜米利加人である。が、日本と日本人とを愛する事は、先生と少しも変りがない。殊に、日本の巧緻なる美術工芸品は、少からず奥さんの気に入つてゐる。従つて、岐阜提灯をヴエランダにぶら下げたのも、先生の好みと云ふよりは、寧むしろ、奥さんの日本趣味が、一端を現したものと見て、然る可きであらう。
先生は、本を下に置く度に、奥さんと岐阜提灯と、さうして、その提灯によつて代表される日本の文明とを思つた。先生の信ずる所によると、日本の文明は、最近五十年間に、物質的方面では、可成かなり顕著な進歩を示してゐる。が、精神的には、殆ほとんど、これと云ふ程の進歩も認める事が出来ない。否、寧、或意味では、堕落してゐる。では、現代に於ける思想家の急務として、この堕落を救済する途みちを講ずるのには、どうしたらいいのであらうか。先生は、これを日本固有の武士道による外はないと論断した。武士道なるものは、決して偏狭なる島国民の道徳を以て、目せらるべきものでない。却かへつてその中には、欧米各国の基督教的精神と、一致すべきものさへある。この武士道によつて、現代日本の思潮に帰趣きしゆを知らしめる事が出来るならば、それは、独り日本の精神的文明に貢献する所があるばかりではない。延ひいては、欧米各国民と日本国民との相互の理解を容易にすると云ふ利益がある。或は国際間の平和も、これから促進されると云ふ事があるであらう。――先生は、日頃から、この意味に於て、自ら東西両洋の間に横はる橋梁けうりやうにならうと思つてゐる。かう云ふ先生にとつて、奥さんと岐阜提灯と、その提灯によつて代表される日本の文明とが、或調和を保つて、意識に上るのは決して不快な事ではない。
 所が、何度かこんな満足を繰返してゐる中に、先生は、追々、読んでゐる中でも、思量がストリントベルクとは、縁の遠くなるのに気がついた。そこで、ちよいと、忌々いまいましさうに頭を振つて、それから又丹念に、眼を細こまかい活字の上へ曝さらしはじめた。すると、丁度、今読みかけた所にこんな事が書いてある。
 ――俳優が最も普通なる感情に対して、或一つの恰好な表現法を発見し、この方法によつて成功を贏かち得る時、彼は時宜じぎに適すると適せざるとを問はず、一面にはそれが楽である所から、又一面には、それによつて成功する所から、動ややもすればこの手段に赴かんとする。しかし夫それが即ち型マニイルなのである。……
先生は、由来、芸術――殊に演劇とは、風馬牛ふうばぎうの間柄である。日本の芝居でさへ、この年まで何度と数へる程しか、見た事がない。――嘗かつて或学生の書いた小説の中に、梅幸ばいかうと云ふ名が、出て来た事がある。流石さすが、博覧強記を以て自負してゐる先生にも、この名ばかりは何の事だかわからない。そこで序ついでの時に、その学生を呼んで、訊きいて見た。
 ――君、梅幸と云ふのは何だね。
 ――梅幸――ですか。梅幸と云ひますのは、当時、丸の内の帝国劇場の座附俳優で、唯今、太閤記たいかふき十段目の操みさをを勤めて居る役者です。
 小倉こくらの袴をはいた学生は、慇懃いんぎんに、かう答へた。――だから、先生はストリントベルクが、簡勁かんけいな筆で論評を加へて居る各種の演出法に対しても、先生自身の意見と云ふものは、全然ない。唯、それが、先生の留学中、西洋で見た芝居の或るものを聯想させる範囲で、幾分か興味を持つ事が出来るだけである。云はば、中学の英語の教師が、イデイオムを探す為に、バアナアド・シヨウの脚本を読むと、別に大した相違はない。が、興味は、曲りなりにも、興味である。
 ヴエランダの天井からは、まだ灯をともさない岐阜提灯が下つてゐる。さうして、籐椅子の上では、長谷川謹造先生が、ストリントベルクのドラマトウルギイを読んでゐる。自分は、これだけの事を書きさへすれば、それが、如何に日の長い初夏の午後であるか、読者は容易に想像のつく事だらうと思ふ。しかし、かう云つたからと云つて、決して先生が無聊ぶれうに苦しんでゐると云ふ訳ではない。さう解釈しようとする人があるならば、それは自分の書く心もちを、わざとシニカルに曲解しようとするものである。――現在、ストリントベルクさへ、先生は、中途でやめなければならなかつた。何故と云へば、突然、訪客を告げる小間使が、先生の清興を妨げてしまつたからである。世間は、いくら日が長くても、先生を忙殺しなければ、止やまないらしい。……
先生は、本を置いて、今し方小間使が持つて来た、小さな名刺を一瞥いちべつした。象牙紙に、細く西山篤子と書いてある。どうも、今までに逢つた事のある人では、ないらしい。交際の広い先生は、籐椅子を離れながら、それでも念の為に、一通り、頭の中の人名簿を繰つて見た。が、やはり、それらしい顔も、記憶に浮んで来ない。そこで、栞しをり代りに、名刺を本の間へはさんで、それを籐椅子の上に置くと、先生は、落着かない容子ようすで、銘仙の単衣ひとへの前を直しながら、ちよいと又、鼻の先の岐阜提灯へ眼をやつた。誰もさうであらうが、待たせてある客より、待たせて置く主人の方が、かう云ふ場合は多く待遠しい。尤もつとも、日頃から謹厳な先生の事だから、これが、今日のやうな未知の女客に対してでなくとも、さうだと云ふ事は、わざわざ断る必要もないであらう。
 やがて、時刻をはかつて、先生は、応接室の扉をあけた。中へはいつて、おさへてゐたノツブを離すのと、椅子にかけてゐた四十恰好の婦人の立上つたのとが、殆ほとんど、同時である。客は、先生の判別を超越した、上品な鉄御納戸てつおなんどの単衣を着て、それを黒の絽ろの羽織が、胸だけ細く剰あました所に、帯止めの翡翠ひすゐを、涼しい菱の形にうき上らせてゐる。髪が、丸髷まるまげに結つてある事は、かう云ふ些事さじに無頓着な先生にも、すぐわかつた。日本人に特有な、丸顔の、琥珀こはく色の皮膚をした、賢母らしい婦人である。先生は、一瞥して、この客の顔を、どこかで見た事があるやうに思つた。
 ――私が長谷川です。
 先生は、愛想よく、会釈ゑしやくした。かう云へば、逢つた事があるのなら、向うで云ひ出すだらうと思つたからである。
 ――私は、西山憲一郎の母でございます。
 婦人は、はつきりした声で、かう名乗つて、それから、叮嚀に、会釈を返した。
 西山憲一郎と云へば、先生も覚えてゐる。やはりイブセンやストリントベルクの評論を書く生徒の一人で、専門は確か独法だつたかと思ふが、大学へはいつてからも、よく思想問題を提ひつさげては、先生の許もとに出入した。それが、この春、腹膜炎に罹かかつて、大学病院へ入院したので、先生も序ついでながら、一二度見舞ひに行つてやつた事がある。この婦人の顔を、どこかで見た事があるやうに思つたのも、偶然ではない。あの眉の濃い、元気のいい青年と、この婦人とは、日本の俗諺ぞくげんが、瓜二つと形容するやうに、驚く程、よく似てゐるのである。
 ――はあ、西山君の……さうですか。
 先生は、独りで頷うなづきながら、小さなテエブルの向うにある椅子を指した。
 ――どうか、あれへ。
 婦人は、一応、突然の訪問を謝してから、又、叮嚀に礼をして、示された椅子に腰をかけた。その拍子に、袂から白いものを出したのは手巾ハンケチであらう。先生は、それを見ると、早速テエブルの上の朝鮮団扇うちはをすすめながら、その向う側の椅子に、座をしめた。
 ――結構なおすまひでございます。
 婦人は、稍やや、わざとらしく、室へやの中を見廻した。
 ――いや、広いばかりで、一向かまひません。
 かう云ふ挨拶に慣れた先生は、折から小間使の持つて来た冷茶を、客の前に直させながら、直すぐに話頭を相手の方へ転換した。
 ――西山君は如何いかがです。別段御容態に変りはありませんか。
 ――はい。
 婦人は、つつましく両手を膝の上に重ねながら、ちよいと語ことばを切つて、それから、静にかう云つた。やはり、落着いた、滑なめらかな調子で云つたのである。
 ――実は、今日も伜せがれの事で上つたのでございますが、あれもとうとう、いけませんでございました。在生中は、いろいろ先生に御厄介になりまして……
婦人が手にとらないのを遠慮だと解釈した先生は、この時丁度、紅茶茶碗を口へ持つて行かうとしてゐた。なまじひに、くどく、すすめるよりは、自分で啜すすつて見せる方がいいと思つたからである。所が、まだ茶碗が、柔やはらかな口髭にとどかない中に、婦人の語ことばは、突然、先生の耳をおびやかした。茶を飲んだものだらうか、飲まないものだらうか。――かう云ふ思案が、青年の死とは、全く独立して、一瞬の間、先生の心を煩はした。が、何時いつまでも、持ち上げた茶碗を、片づけずに置く訳には行かない。そこで先生は思切つて、がぶりと半碗の茶を飲むと、心もち眉をひそめながら、むせるやうな声で、「そりやあ」と云つた。
 ――……病院に居りました間も、よくあれがお噂うはさなど致したものでございますから、お忙しからうとは存じましたが、お知らせかたがた、お礼を申上げようと思ひまして……
 ――いや、どうしまして。
 先生は、茶碗を下へ置いて、その代りに青い蝋らふを引いた団扇をとりあげながら、憮然ぶぜんとして、かう云つた。
 


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