オレンジ

さよなら は言わない 約束もない
また会えるから 僕らは

オレンジを少し かじる地平線
甘酸っぱい光 眩しくて

すべり出す汗と 響いた声
叩き合えた肩 笑いあって 泣いて

明日へ向かう オレンジ色の空へ
羽ばたいていく
あと1秒だけ もう1秒だけ
なんて 惜しむような 今が

きっと

小さな背中に 大きな夢を乗せて
ここまで来たんだよ

思い通りの未来だけじゃないけど
楽しかったよね 全てが

息を切らし ただ 走り続け
追いかけてたのは 胸の熱さだろう

もう一回のない そんな瞬間が
ずっと 繋がってくように
何を描こうか 何をしようか
なんて 想像してみるけど

きっと

きっと

確かな事だって いつか分かるから
間違っても良いよ 怖がらないで
君は 君でいい

少し苦い オレンジのよう
後に残った切なさ
あと1秒だけ もう1秒だけ
なんて 惜しみながら行くよ

限られた時間が いつか
ふいに 恋しくなっても
立ち止まらないで 振り返らないで
君は進んでいけばいいんだよ

きっと

きっと

城濮の戦い
事前の経緯
紀元前638年、宋の襄公と楚の成王が激突した泓水の戦いは楚の大勝に終わり、宋は楚の影響下に置かれることになった。

その翌年、晋の亡命公子である重耳(後の文公)は斉から宋へと向かった。宋の襄公は重耳の器量を知っていたため国君に対する礼をもって迎え入れ、重耳は歓待を受けた。襄公はこのあとまもなく泓水の戦いの戦傷のため死去する。その後で重耳は楚へと入り、成王は諸侯の礼をもって重耳一行を迎え入れた。宴の最中に成王は「もし国に帰って晋公になることが出来たら私にどう報いてくれるでしょうか?」と問いかけた。重耳は「もし王とやむを得なく戦場で相まみえることがあったら三舎だけ軍を引きましょう。」と応えた。これは軍隊が一日進んで宿営することを一舎といい、三舎とは三日分退く行程のことを指し、相手に一目置くという意味と同時に手加減するという意味がある。これに成王の臣下である子玉は王に対して無礼だと怒り、殺してしまいましょうと成王に言ったが、成王は重耳の亡命中である立場と器量を認めていたのでこれを退けた。

その後、重耳は秦の助けを借りて晋公の座に就く(以後、文公とする)。文公は狐偃・先軫らの補佐を受けて、周王室の内乱を収めるなど急速に勢威を広げていた。襄公の後を継いだ宋の成公は晋の力を借りて楚の影響下を脱しようと、楚との盟約を反故にして晋との親善を深める。このことに不快感を抱いた楚の成王は紀元前633年に軍を発し、陳・蔡・鄭・許らの諸侯と共に宋の首都を包囲し、宋は晋へ救援を求める。

これに応えて文公は三軍を召集し、宋の救援へと向かう。

晋軍の編成
中軍
将・郤縠、佐・郤臻
上軍
将・狐偃、佐・狐毛
下軍
将・欒枝、佐・先軫
(『史記』による。『春秋左氏伝』には狐毛が将、狐偃が佐になっている。)

城濮の戦い
紀元前632年、晋軍はまず楚の盟下にある曹を攻めようとし、衛の成公に領内の通過許可を求めた所、断られた。かつて放浪時代に先代である衛の文公に侮辱を受けていたこともあり、怒った文公(重耳)は衛を攻めて五鹿と言う土地を奪った。この後で郤縠が急死したので代わって先軫を中軍の将に抜擢した。

衛国内で斉の昭公と会盟し、今後のことを話し合った。晋に攻められて恐れていた成公がこれに参加したいと申し出てきたが、文公はこれを撥ね付け、成公は更に楚に和親しようとしたがこれも断られ、成公は臣下により追放され、衛は晋に降った。その後で曹を攻めて、これも降す。

この戦果を元に、先軫の進言により、「衛と曹の土地を宋に与え、その土地を斉と秦に割譲する。その上で宋から斉・秦に宋包囲を止めるようにと楚へ言ってもらう。盟下にある衛と曹を守らねばならない楚はこれを断るに違いない。そうすれば斉・秦は楚を恨むようになるだろうし、楚の方も宋を攻めるよりも衛・曹の方へと意識が向くだろう。」という策を実行し、思い通りになった。

戦況が不利になったと見た成王は本国へと引き上げていった。しかし子玉は成王の怒りを買いながらも残留し、晋に対して「晋が衛と曹を許すなら楚も宋を許す」と申し入れてきた。晋はこれを逆手に取り、衛と曹を寛大に許してやり、衛と曹は楚との盟約を破棄し、晋に親しむようになった。

このことに怒った子玉は晋軍を攻撃する。この攻撃に対し臣下はこのまま楚軍と戦うことを進言したが、文公は圧倒的優勢な立場でありながら軍を三舎退かせて、かつての約束を守った。

4月己巳の日に両軍は城濮で激突。
楚軍の編成
中軍・成得臣(子玉)
左翼・鬬宜申(子西)
右翼・鬬勃(子上)
まず楚の右翼が晋の下軍に攻められて崩れる。その後、上軍と下軍はわざと負けた振りをして楚の左翼をおびき寄せ、中軍と挟み撃ちにしてこれを破った。

戦後
晋の大勝に終わり、晋は践土(現在の河南省新郷市原陽県)と言う所に王宮を作り、ここに周の襄王を招いて、諸侯と会盟した。この時に楚の盟下にあった鄭も晋の盟下に移った。文公は襄王からのもてなしを受け、覇者と認められた。

一方、敗れた子玉は楚へと帰還するものの成王の怒りに触れて自殺を強いられる。

この戦いにより楚の盟下から宋・曹・衛・鄭の四国が晋へと移ったことになり、更に晋と斉・秦の結びつきもいっそう強くなり、以後景公の代に荀林父の率いる晋軍が楚の荘王に敗れるまで(邲の戦い)は晋の覇権が確立される。

城濮之战,是周襄王二十年(公元前632年)晋、楚两国在卫国城濮(山东鄄城西南)地区进行的争夺中原霸权的首次大战。晋文公兑现当年流亡楚国许下“退避三舍”的诺言,令晋军后退,避楚军锋芒。子玉不顾楚成王告诫,率军冒进,被晋军歼灭两翼。楚军大败。

战争经过
退避三舍
子玉率军急进,依托丘陵险阻扎营,两军对峙于城濮。晋文公退避三舍,既是报答以前楚成王给予的礼遇,也是运用“卑而骄之”、“怒而挠之”的诱敌之计,子玉上钩了。
楚子玉派大将斗勃向晋文公请战说:“请与君之士戏,君凭轼而观之,得臣(子玉名)与寓目焉。”晋栾枝答词却相当谦恭:“寡君闻命矣。楚君之惠,未之敢忘,是以在此。为大夫退,其敢当君乎?既不获命,敢烦大夫谓二三子:戒尔车乘,敬尔君事,诘朝相见。”
双方阵容
城濮交战时双方的阵容是:晋三军,即先轸为元帅,统率中军,郤溱辅佐,狐毛统率上军,狐偃辅佐。栾枝统率下军,胥臣辅佐。楚国也是三军,即令尹子玉以若敖之六卒统率中军。子西(斗宜申)统率左军。子上(斗勃)统率右军。楚的仆从国郑、许军附属楚左军,陈、蔡军附属楚右军。
两军交战
四月六日,晋军在城濮严阵以待楚军。子玉狂傲声称:“日必无晋矣。”当两军接触之时,晋下军佐胥臣率所部用虎皮蒙在马身上,首先冲击楚右翼的陈、蔡军,陈、蔡军惊骇逃散,楚右军溃败。楚子玉、子上见右军溃败,怒火中烧,加强对晋中军和上军的攻势。晋右翼上军狐毛设将、佐二面旗帜,令二旗后退,引诱楚军。晋下军栾枝所部也以车辆曳树枝奔驰而伪装后退。楚子玉以为晋右翼败退,令楚左军追击,所以对陈、蔡及右翼军溃败并未理会。楚左军追击晋上军时,侧翼暴露,晋先轸、郤溱率中军拦腰截击,狐毛、狐偃率上军夹攻楚左军,楚左军溃败。楚子玉见左、右军皆败,遂下令中军停止进攻,得以不败。子玉率残兵退出战场,晋军进占楚军营地,休整三日后,胜利班师。
战术运用
城濮之战开始前,晋国就定下了“楚始得曹,而新婚于卫,若伐曹、卫,楚必救之,则齐、宋免矣”这样一个总的作战方针。
第一阶段先从卫国下手,初战取胜,为晋、齐之盟奠定了基础,也逼迫鲁国从楚的阵营中分化出来。
第二阶段围曹,入曹。至此,附于楚国的曹、卫两国都被征服,大地削弱了楚国的力量。接着又用先珍之谋使齐、秦两国“喜赂怒顽”,与晋结为联盟拒楚,以解除晋国的后顾之优。
在第三阶段与楚国的正面交锋中,晋国恰当地选择了战场,避开楚国主力部队的锋芒,以下军之佐首先对组成楚右翼部队的陈、蔡两国军队发起进攻,楚右师战败。然后以“伪循,诱敌深念以上军合攻楚左翼部队,楚左师溃。这样晋国就造成了事实上对楚的优势,掌握了主动权,使自己处于有利的战略地位,从而取得了最后决战的胜利。
《左传》城濮之战的描绘令人信服地使我们看到,晋国的每一步胜利,都是同充分发挥将帅的主观能动作用,适应客观规律,采取正确的战略战术分不开的。战争是敌我双方力量的竞赛,但力量在战争中不是凝固不变的,而是变化的因素。人的主观努力,指挥员的能动作用的发挥,战略战术的恰当运用,对于敌我力量的转化,都起着极大的作用。孙子主张在作战指导上要“致人而不致于人”,主张“庙算”。孙膑主张“变”、“权”。《左传》通过城濮之战记叙,在主、客观关系的问题上,形象地反映了和孙子、孙膑同样的朴素的军事辩证法思想。
战争结果
城濮一战中,晋国大胜,晋文公建立了霸权,楚国北进锋芒受到挫折,被迫退回桐柏山、大别山以南地区。中原诸侯无不朝宗晋国。
楚国大将子玉羞愤自杀。
再之后,晋军进入郑国衡雍(河南原阳县西,当时在黄河南岸),并在践土(距衡雍较近,当时亦在黄河南岸,在河南花园口黄河北岸)修筑王的行宫,向襄王献俘。周襄王策命晋文公为“侯伯”。晋文公要求诸侯“皆奖王室,无相害也。有渝此盟,明神殛之,无克祚国”。晋文公在“尊王”的旗帜下,顺理成章地登上了霸主宝座。

尉繚子 制談せいだん第三
凡兵、制必先定。制先定則士不亂。士不亂則刑乃明。金鼓所指、則百人盡闘。陥行亂陳、則千人盡闘。覆軍殺將、則萬人齊刃。天下莫能當其戰矣。
凡およそ兵へいは、制せい必かならず先まず定さだむ。制せい先まず定さだまらば則すなわち士し乱みだれず。士し乱みだれざれば則すなわち刑けい乃すなわち明あきらかなり。金きん鼓この指さす所ところには、則すなわち百ひゃく人にん尽ことごとく闘たたかう。行こうを陥おとしいれ陣じんを乱みだすには、則すなわち千人せんにん尽ことごとく闘たたかう。軍ぐんを覆くつがえし将しょうを殺ころすには、則すなわち万人ばんにん、刃やいばを斉ひとしくす。天てん下か能よく其その戦たたかいに当あたる莫なし。
古者、士有什伍、車有偏列。鼓鳴旗麾先登者、未嘗非多力國士也。先死者亦未甞非多力國士也。損敵一人而損我百人。此資敵而傷我甚焉。世將不能禁。
古いにしえは、士しに什じゅう伍ご有あり、車くるまに偏列へんれつ有あり。鼓こ鳴なり旗はた麾さしまねきて先まず登のぼる者ものは、未いまだ嘗かつて多た力りきの国こく士しに非あらずんばあらず。先まず死しする者ものも亦また未いまだ嘗かつて多た力りきの国こく士しに非あらずんばあらず。敵てき一人いちにんを損そんして我わが百ひゃく人にんを損そんす。此これ敵てきを資たすけて我われを傷そこなうこと甚はなはだし。世よの将しょうは禁きんずること能あたわず。
征役分軍而逃歸、或臨戰自北、則逃傷甚焉。世將不能禁。
征役せいえきに軍ぐんを分わかちて逃にげ帰かえり、或あるいは戦たたかいに臨のぞみて自みずから北にぐれば、則すなわち逃とう傷しょう甚はなはだし。世よの将しょうは禁きんずること能あたわず。
殺人於百歩之外者、弓矢也。殺人於五十歩之内者、矛戟也。將已鼓而士卒相嚻、拗矢折矛抱戟、利後發。戰有此數者、内自敗也。世將不能禁。
人ひとを百ひゃっ歩ぽの外そとに殺ころす者ものは、弓きゅう矢しなり。人ひとを五ご十じっ歩ぽの内うちに殺ころす者ものは、矛戟ぼうげきなり。将しょう已すでに鼓こして士し卒そつ相あい囂かまびすしく、矢やを拗おり、矛ほこを折おり、戟げきを抱いだき、後おくれて発はっするを利りとす。戦たたかいに此この数者すうしゃ有あらば、内うちに自みずから敗やぶるるなり。世よの将しょうは禁きんずること能あたわず。
士失什伍、車失偏列、奇兵捐將而走、大衆亦走。世將不能禁。
士しは什じゅう伍ごを失うしない、車くるまは偏列へんれつを失うしない、奇き兵へいは将しょうを捐すてて走はしり、大たい衆しゅうも亦また走はしる。世よの将しょうは禁きんずること能あたわず。
夫將能禁此四者、則高山陵之、深水絶之、堅陳犯之。不能禁此四者、猶亡舟楫絶江河。不可得也。
夫それ将しょう、能よく此この四よつの者ものを禁きんずれば、則すなわち高山こうざんも之これを陵しのぎ、深水しんすいも之これを絶わたり、堅陣けんじんも之これを犯おかす。此この四よつの者ものを禁きんずること能あたわざれば、猶なお舟楫しゅうしゅうを亡うしないて江こう河がを絶わたるがごとし。得う可べからざるなり。
民非樂死而惡生也。號令明、法制審、故能使之前。明賞於前、決罰於後。是以發能中利、動則有功。
民たみは死しを楽たのしみて生せいを悪にくむに非あらざるなり。号令ごうれい明あきらかに、法制ほうせい審つまびらかなり、故ゆえに能よく之これをして前すすましむ。賞しょうを前まえに明あきらかにし、罰ばつを後うしろに決けっす。是ここを以もって発はっすれば能よく利りに中あたり、動うごけば則すなわち功こう有あり。
令百人一卒、千人一司馬、萬人一將、以少誅衆、以弱誅強。試聽臣言其術。足使三軍之衆、誅一人無失刑。父不敢舎子、子不敢舎父。况國人乎。
百ひゃく人にんに一卒いっそつ、千人せんにんに一いち司馬しば、万人まんにんに一いっ将しょうあらしめ、少すくなきを以もって衆おおきを誅ちゅうし、弱よわきを以もって強つよきを誅ちゅうす。試こころみに臣しんが其その術じゅつを言いうを聴きけ。三軍さんぐんの衆しゅうをして、一人いちにんを誅ちゅうして、刑けいを失うしなうこと無なからしむるに足たらん。父ちち敢あえて子こを舎ゆるさず、子こ敢あえて父ちちを舎ゆるさず。况いわんや国人くにびとをや。
一夫仗劔撃於市、萬人無不避之者。臣謂、非一人之獨勇、萬人皆不肖也。何則必死與必生、固不侔也。

一いっ夫ぷ、剣けんに仗よりて市いちに撃うてば、万人まんにん之これを避さけざる者もの無なし。臣しん謂おもえらく、一人いちにんの独ひとり勇ゆうにして万人まんにん皆みな不ふ肖しょうなるに非あらざるなり。何なんとなれば、則すなわち必ひっ死しと必ひっ生しょうと固まことに侔ひとしからざればなり。

聽臣之術、足使三軍之衆爲一死賊、莫當其前、莫隨其後、而能獨出獨入焉。獨出獨入者、王霸之兵也。
臣しんの術じゅつを聴きかば、三軍さんぐんの衆しゅうをして一いち死し賊ぞくと為なし、其その前まえに当あたる莫なく、其その後うしろに随したがう莫なくして、能よく独ひとり出いで、独ひとり入いらしむに足たらん。独ひとり出いで、独ひとり入いる者ものは、王おう覇はの兵へいなり。
有提十萬之衆、而天下莫當者、誰。曰、桓公也。有提七萬之衆、而天下莫當者、誰。曰、呉起也。有提三萬之衆、而天下莫當者。誰。曰、武子也。
十じゅう万まんの衆しゅうを提ひっさげて天てん下か当あたる莫なき者もの有あり。誰たれぞや。曰いわく、桓公かんこうなり。七万しちまんの衆しゅうを提ひっさげて天てん下か当あたる莫なき者もの有あり。誰たれぞや。曰いわく、呉起ごきなり。三万さんまんの衆しゅうを提ひっさげて天てん下か当あたる莫なき者もの有あり。誰たれぞや。曰いわく、武子ぶしなり。
今天下諸國、士所率、無不及二十萬之衆。然不能濟功名者、不明乎禁舎開塞也。明其制、一人勝之、則十人亦以勝之也。十人勝之、則百千萬人亦以勝之也。
今いま、天てん下か諸国しょこく、士しの率ひきいる所ところ、二に十じゅう万まんの衆しゅうに及およばざる無なし。然しかれども功こう名みょうを済なすこと能あたわざる者ものは、禁舎きんしゃ開塞かいそくに明あきらかならざればなり。其その制せいを明あきらかにして一人いちにん之これに勝かたば、則すなわち十じゅう人にんにも亦また以もって之これに勝かたん。十じゅう人にん之これに勝かたば、則すなわち百ひゃく千せん万まん人にんにも亦また以もって之これに勝かたん。
二十萬之衆 … 底本では「二十萬之衆者」に作るが、『直解』に従い改めた。
故曰、便吾器用、養吾武勇、發之如鳥撃、如赴千仭之谿。
故ゆえに曰いわく、吾わが器き用ようを便べんにし、吾わが武ぶ勇ゆうを養やしない、之これを発はっすること、鳥とりの撃うつが如ごとく、千仭せんじんの谿たにに赴おもむくが如ごとし。
今國被患者、以重幣出聘、以愛子出質、以地界出割、得天下助卒、名爲十萬、其實不過數萬爾。其兵來者、無不謂其將、曰無爲人下、先戰。其實不可得而戰也。
今いま、国くにの、患わざわいを被こうむる者もの、重じゅう幣へいを以もって出いだし聘へいし、愛あい子しを以もって出いだし質ちとし、地ち界かいを以もって出いだし割さき、天てん下かの助卒じょそつを得えて、名なづけて十じゅう万まんと為なすも、其その実じつは数万すうまんに過すぎざるのみ。其その兵へいの来きたる者もの、其その将しょうに謂いいて、人ひとの下しもと為なること無なかれ、先まず戦たたかえ、と曰いわざるは無なし。其その実じつは得えて戦たたかう可べからざるなり。
量吾境内之民、無伍莫能正矣。經制十萬之衆、而王必能使之衣吾衣、食吾食、戰不勝、守不固者、非吾民之罪、内自致也。天下諸國助我戰、猶良驥騄駬之駛、彼駑馬鬐興角逐。何能紹吾氣哉。
吾わが境きょう内ないの民たみを量はかるに、伍ご無なければ、能よく正ただす莫なし。十じゅう万まんの衆しゅうを経制けいせいして、王おう必かならず能よく之これをして吾わが衣いを衣き、吾わが食しょくを食くらわしめて、戦たたかい勝かたず、守まもり固かたからざる者ものは、吾わが民たみの罪つみに非あらず、内うち自みずから致いたすなり。天てん下かの諸国しょこく、我われを助たすけて戦たたかうは、猶なお良りょう驥き騄ろく駬じの駛はやきに、彼かの駑馬どばの鬐き興こうして角逐かくちくするがごとし。何なんぞ能よく吾わが気きを紹つがんや。
吾用天下之用爲用、吾制天下之制爲制。修吾號令、明吾刑賞、使天下非農無所得食、非戰無所得爵、使民揚臂争出農戰、而天下無敵矣。
吾われ、天てん下かの用ようを用もちいて用ようと為なし、吾われ、天てん下かの制せいを制せいして制と為なす。吾わが号令ごうれいを修おさめ、吾わが刑けい賞しょうを明あきらかにし、天てん下かをして農のうに非あらずんば食しょくを得うる所ところ無なからしめ、戦たたかいに非あらずんば爵しゃくを得うる所ところ無なからしめ、民たみをして臂ひじを揚あげ争あらそい出いでて農戦のうせんせしめば、天てん下かに敵てき無なからん。
故曰、發號出令、信行國内。民言有可以勝敵者、毋許其空言、必試其能戰也。
故ゆえに曰いわく、号ごうを発はっし令れいを出いだして、信しん、国内こくないに行おこなわる、と。民たみ、以もって敵てきに勝かつ可べき有ありと言いう者ものは、其その空言くうげんを許ゆるすこと毋なく、必かならず其その能よく戦たたかうを試こころみよ。
視人之地而有之、分人之民而畜之、必能内有其賢者也。不能内有其賢、而欲有天下、必覆軍殺將。如此、雖戰勝而國益弱、得地而國益貧。由國中之制弊矣。
人ひとの地ちを視みて之これを有たもち、人ひとの民たみを分わかちて之これを畜やしなうは、必かならず能よく内うちに其その賢者けんじゃ有あればなり。内うちに其その賢けん有あること能あたわずして、天てん下かを有たもたんと欲ほっせば、必かならず軍ぐんを覆くつがえし将しょうを殺ころさん。此かくの如ごとくんば、戦たたかい勝かつと雖いえども国くに益〻ますます弱よわく、地ちを得うれども国くに益〻ますます貧まずし。国くに中じゅうの制せい弊やぶるるに由よりてなり。


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