2024年是龙年,请问东瀛留学生,您的龙梦是什么?
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東方の空に翳りなく舞い踊る龍力と知恵の輝き、誇りを湛え異なる大地で学ぶ者たちその姿に憧れと尊敬を馳せる
桜の花は儚く舞い舞い生命と美の調べ、謳歌して異なる領域で生きる者たちその姿に心奪われ感嘆する
龍の声は轟くように響き渡り正義と勇気の語り、共感呼ぶ異なる舞台で戦う者たちその声に心を打たれ感動する
牡丹の花は華麗に咲き誇り富と名誉の調べ、誇りに満ち異なる境地で生きる者たちその姿に敬意を表し感謝する
龍の夢は高らかに羽ばたくこと自由と平和を求め、志高く異なる領域で生きる者たちその夢に向かって歩みを進める
龍の夢は架け橋となり異なる国々を結び、融和を築く夢は共に実現へと導く
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東方の空に翳りなく舞い踊る龍力と知恵の輝き、誇りを湛え異なる大地で学ぶ者たちその姿に憧れと尊敬を馳せる
桜の花は儚く舞い舞い生命と美の調べ、謳歌して異なる領域で生きる者たちその姿に心奪われ感嘆する
龍の声は轟くように響き渡り正義と勇気の語り、共感呼ぶ異なる舞台で戦う者たちその声に心を打たれ感動する
牡丹の花は華麗に咲き誇り富と名誉の調べ、誇りに満ち異なる境地で生きる者たちその姿に敬意を表し感謝する
龍の夢は高らかに羽ばたくこと自由と平和を求め、志高く異なる領域で生きる者たちその夢に向かって歩みを進める
龍の夢は架け橋となり異なる国々を結び、融和を築く夢は共に実現へと導く
『秋興八首』は「秋に湧く思い」を8首詠んだものです。766年、杜甫55歳、夔州(きしゅう…現在の重慶)での詩です。
ここでは8首のうち「其の一」とされたものについて、原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である杜甫の紹介などをしていきます。
『秋興八首』の原文
玉露凋傷楓樹林
巫山巫峡気蕭森
江間波浪兼天湧
塞上風雲接地陰
叢菊両開他日涙
孤舟一繋故園心
寒衣処処催刀尺
白帝城高急暮砧
『秋興八首』の書き下し文
玉露ぎょくろ凋傷ちょうしょうす楓樹ふうじゅの林
巫山ふざん巫峡ふきょう気き蕭しょう森しん
江間こうかんの波浪天を兼ねて沸き
塞上さいじょうの風雲地に接して陰くもる
叢そう菊きく両ふたたび開く他日の涙
孤舟一こしゅうひとへに繋つなぐ故園の心
寒衣処処かんいしょしょ刀尺とうせきを催もよほす
白帝城しろ高くして暮ぼ砧ちん急なり
『秋興八首』の現代語訳
秋の露がかえでの木をしおれさせていく
ここ巫山巫峡は大気が厳かに張りつめている
長江の波は天にとどかんばかりに湧き上がり
とりでの上の雲は地に接するごとく暗くたちこめている
菊の花は今年も咲き、昔を思う涙をそそる
一艘の舟がつながれ、故郷を思う心をもつなぐ
あちこちの家では冬着を作るのにはさみや物差しを使っている
白帝城の高みからは夕暮れの砧きぬたの音が盛んに聞こえてくる
『秋興八首』の解説
第1句「玉露凋傷楓樹林」
「玉露」は秋の露のこと。「楓樹」は「かえで」の木の一種。「凋傷」は「しおれさせ、枯れさせる」こと。
第2句「巫山巫峡気蕭森」
「巫山」は重慶にある山。長江がこの山を貫いて流れ「巫峡」という名の峡谷を作っています。杜甫はここでこの詩を詠んでいます。「蕭森」は静かで厳かなこと。
第3句「江間波浪兼天湧」
「江間波浪」は「長江の波」。「天兼沸」とは「天まで届くかのように湧き上がること」。
第4句「塞上風雲接地陰」
「塞」は「とりで」。ここでは「白帝城」を指しているのかもしれません。
第3句と第4句は対句
波は天に届くかのよう、雲は地を這うかのよう、と3句4句は対になっています。
第5句「叢菊両開他日涙」
「叢菊」は「群がって咲く菊の花」。「両」は「再び」。「開」は「花が咲く」と「涙を誘う」二つの意味にかかっています。
第6句「孤舟一繋故園心」
「繋ぐ」も「孤舟」と「故園心」の両方にかかっています。この「故郷」は官僚として暮らした長安を指しています。
第5句と第6句も対句
この5句6句も対になっています。
第7句と第8句
最後の2句では、冬着を作る支度として衣を打つ「砧きぬた」の音があちこちから聞こえてくるという情景を歌っています。砧の音は日本の和歌にもよく詠まれていますが、印象的な音だったのでしょう。夕暮れに聞こえてくる砧の音…聞いてみたい気がします。
杜甫の状況
この詩はかえでの木とあたりを包む静かな気の描写から始まって、場面は天と地、波と雲というパノラマ的な雄大な景色に変わったかと思うとまた一転、目の前の菊の花や小舟といった小さなものにズームイン、やがて視覚的な世界から音の世界に移ろっていきます。
動きや変化の大きな詩ですが、伝わるものは秋の寂寥…。
8年続いた「安史の乱」が収束したのが763年、それから3年後の作品ですが、成都にいた杜甫は頼りにしていた「厳武げんぶ」(唐代の官僚。杜甫を保護したことで有名)が急死したことで成都にいる必要がなくなり、長江を下って夔州に行きます。晩年の杜甫は病気がち、職もなく頼れる友もいなくなってしまった。その寂寞とした想いの心象風景と言ってもいい作品のように思えます。
『秋興八首』の形式・技法
『秋興八首』の形式……七言律詩(7字の句が8行並んでいます)
『秋興八首』の押韻……「林、森、陰、心、砧」。
3句と4句、5句と6句がそれぞれ対句になっています。
『秋興八首』が詠まれた時代
唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)
唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。
『秋興八首』が詠まれたのは盛唐の頃です。
ここでは8首のうち「其の一」とされたものについて、原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である杜甫の紹介などをしていきます。
『秋興八首』の原文
玉露凋傷楓樹林
巫山巫峡気蕭森
江間波浪兼天湧
塞上風雲接地陰
叢菊両開他日涙
孤舟一繋故園心
寒衣処処催刀尺
白帝城高急暮砧
『秋興八首』の書き下し文
玉露ぎょくろ凋傷ちょうしょうす楓樹ふうじゅの林
巫山ふざん巫峡ふきょう気き蕭しょう森しん
江間こうかんの波浪天を兼ねて沸き
塞上さいじょうの風雲地に接して陰くもる
叢そう菊きく両ふたたび開く他日の涙
孤舟一こしゅうひとへに繋つなぐ故園の心
寒衣処処かんいしょしょ刀尺とうせきを催もよほす
白帝城しろ高くして暮ぼ砧ちん急なり
『秋興八首』の現代語訳
秋の露がかえでの木をしおれさせていく
ここ巫山巫峡は大気が厳かに張りつめている
長江の波は天にとどかんばかりに湧き上がり
とりでの上の雲は地に接するごとく暗くたちこめている
菊の花は今年も咲き、昔を思う涙をそそる
一艘の舟がつながれ、故郷を思う心をもつなぐ
あちこちの家では冬着を作るのにはさみや物差しを使っている
白帝城の高みからは夕暮れの砧きぬたの音が盛んに聞こえてくる
『秋興八首』の解説
第1句「玉露凋傷楓樹林」
「玉露」は秋の露のこと。「楓樹」は「かえで」の木の一種。「凋傷」は「しおれさせ、枯れさせる」こと。
第2句「巫山巫峡気蕭森」
「巫山」は重慶にある山。長江がこの山を貫いて流れ「巫峡」という名の峡谷を作っています。杜甫はここでこの詩を詠んでいます。「蕭森」は静かで厳かなこと。
第3句「江間波浪兼天湧」
「江間波浪」は「長江の波」。「天兼沸」とは「天まで届くかのように湧き上がること」。
第4句「塞上風雲接地陰」
「塞」は「とりで」。ここでは「白帝城」を指しているのかもしれません。
第3句と第4句は対句
波は天に届くかのよう、雲は地を這うかのよう、と3句4句は対になっています。
第5句「叢菊両開他日涙」
「叢菊」は「群がって咲く菊の花」。「両」は「再び」。「開」は「花が咲く」と「涙を誘う」二つの意味にかかっています。
第6句「孤舟一繋故園心」
「繋ぐ」も「孤舟」と「故園心」の両方にかかっています。この「故郷」は官僚として暮らした長安を指しています。
第5句と第6句も対句
この5句6句も対になっています。
第7句と第8句
最後の2句では、冬着を作る支度として衣を打つ「砧きぬた」の音があちこちから聞こえてくるという情景を歌っています。砧の音は日本の和歌にもよく詠まれていますが、印象的な音だったのでしょう。夕暮れに聞こえてくる砧の音…聞いてみたい気がします。
杜甫の状況
この詩はかえでの木とあたりを包む静かな気の描写から始まって、場面は天と地、波と雲というパノラマ的な雄大な景色に変わったかと思うとまた一転、目の前の菊の花や小舟といった小さなものにズームイン、やがて視覚的な世界から音の世界に移ろっていきます。
動きや変化の大きな詩ですが、伝わるものは秋の寂寥…。
8年続いた「安史の乱」が収束したのが763年、それから3年後の作品ですが、成都にいた杜甫は頼りにしていた「厳武げんぶ」(唐代の官僚。杜甫を保護したことで有名)が急死したことで成都にいる必要がなくなり、長江を下って夔州に行きます。晩年の杜甫は病気がち、職もなく頼れる友もいなくなってしまった。その寂寞とした想いの心象風景と言ってもいい作品のように思えます。
『秋興八首』の形式・技法
『秋興八首』の形式……七言律詩(7字の句が8行並んでいます)
『秋興八首』の押韻……「林、森、陰、心、砧」。
3句と4句、5句と6句がそれぞれ対句になっています。
『秋興八首』が詠まれた時代
唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)
唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。
『秋興八首』が詠まれたのは盛唐の頃です。
[悲伤]才发现,“阿里云”有自动翻译。
错误百出,惨不忍睹。
風(かぜ)に風(かぜ)に 群(む)れとぶ鴎(かもめ)
波(なみ)が牙(きば)むく 越前(えちぜん)岬(みさき)
ここが故郷(ふるさと) がんばりますと
花(はな)はりりしい 雪中花(せつじゅうか)
小(ちい)さな母(はは)の 面影(おもかげ)揺(ゆ)れてます
红(べに)を红(べに)を さすこともなく
趣味(しゅみ)は楽(たの)しく 働(はたら)くことと
母(はは)の言葉(ことば)が いまでも残(のこ)る
雪(ゆき)をかぶった 雪中花(せつじゅうか)
しあわせ薄(うす)い 背中(せなか)を知(し)ってます
いつかいつか 薄日(うすび)がさして
波(なみ)もうららな 越前(えちぜん)岬(みさき)
見(み)ててください 出直(でなお)しますと
花(はな)はけなげな 雪中花(せつじゅうか)
やさしい母(はは)の 笑颜(えがお)が咲(さ)いてます
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错误百出,惨不忍睹。
風(かぜ)に風(かぜ)に 群(む)れとぶ鴎(かもめ)
波(なみ)が牙(きば)むく 越前(えちぜん)岬(みさき)
ここが故郷(ふるさと) がんばりますと
花(はな)はりりしい 雪中花(せつじゅうか)
小(ちい)さな母(はは)の 面影(おもかげ)揺(ゆ)れてます
红(べに)を红(べに)を さすこともなく
趣味(しゅみ)は楽(たの)しく 働(はたら)くことと
母(はは)の言葉(ことば)が いまでも残(のこ)る
雪(ゆき)をかぶった 雪中花(せつじゅうか)
しあわせ薄(うす)い 背中(せなか)を知(し)ってます
いつかいつか 薄日(うすび)がさして
波(なみ)もうららな 越前(えちぜん)岬(みさき)
見(み)ててください 出直(でなお)しますと
花(はな)はけなげな 雪中花(せつじゅうか)
やさしい母(はは)の 笑颜(えがお)が咲(さ)いてます
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