陸判(下)
田中貢太郎

「お前が殺して左道さどうへかえたものだろう」
 朱は言った。
「妻は睡っていてかえられたものです、実に不思議ですが、その理由がわからないのです、僕が殺したというのは冤罪えんざいです」
 呉侍御は朱の言葉を信まことにできないので訴えた。郡守は朱の家の者を捕えて詮議をしたが、皆朱の言ったと同じ申立てであるから、どうすることもできなかった。朱は郡守の許もとから帰って陸に謀はかりごとを問うた。
「どうしたらいいだろう」
 陸は言った。
「なんでもないよ、呉侍御の女に言わしたらいいよ」
 その夜呉侍御の夢に女があらわれて、
「私を殺したのは、蘇渓そけいの揚大年ようたいねんという悪党ですよ、朱孝廉しゅこうれんの知ったことではありません、ただ朱孝廉の妻が美しくないから、陸判官が私の頭と取っかえたまでです、それに私は体は死にましても、頭が生きておりますから、どうか朱孝廉を仇にしないようにしてください」
 と言った。夢が醒めて呉侍御がそれを夫人に話すと、夫人もやはりそれと同じ夢を見ていた。そこで呉侍御は女を殺した悪人のことを官に告げた。官で人をやって詮議をさすと果して揚大年という者がいたので、捕えて枷かせを入れて詮議をしてみると罪状を白状した。呉侍御はそこで更あらためて朱の家へ往って、夫人に逢わしてくれと言って朱の細君に逢ったが、そんなことから朱を自分の婿とした。そして朱の細君の頭を女の死骸に合わせて葬った。
朱は後に三たび礼闱れいいに応じたが、試験場の規則に合わなかったので試験を受けることができなかった。礼闱とは礼部の試のことで、各省の挙人、即ち郷試の及第者を京師けいしに集めて挙行するいわゆる科挙のことであるが、それは礼部で掌っているから礼闱というのであった。朱はそこで官吏になる心がなくなってしまった。
 それから三十年の歳月が経った。ある夜陸が来て、
「君の寿命ももう永くないよ」
 と言った。そこで朱がその期間を問うた。
「いつ死ぬだろう」
「もう五日しかないよ」
 それには朱も驚いた。
「救うてくれるわけにはいかないかね」
 陸は言った。
「それは天の命ずるところだから、人間はどうすることもできないよ、それに達人から見ると、生死は一つじゃないか、生を楽しいとすることもなければ、死を悲しいとすることもない」
 朱はなるほどとさとった。そこで葬儀の用意をして、それが終ったので盛装して死んで往った。翌日細君が柩ひつぎにとりすがって泣いていると、朱が冉々ぜんぜんとして外から入って来た。細君は懼れた。朱は言った。
「わしは、あの世の人であるが、生きていた時とすこしもかわらない、寡婦になったお前と小児こどものことを思うとなつかしくてたまらないからやってきたのだ」
 細君はそれを聞くと一層悲しくなって慟哭した。その涙が胸まで流れた。朱は依々として慰めた。
細君が言った。
「昔から還魂ということがあります、あなたには霊があるじゃありませんか、なぜそれを用いてくださいません」
 朱は言った。
「天[#「天」は底本では「朱」]の命数に違うことはできないよ」
「では、あなたは、冥途で何をしております」
「陸判官が推薦して、裁判の事務を監督する役にして、官爵を授けてくれたから、すこしも苦しいことはないよ」
 そこで細君がまた何か言おうとすると、朱が止めて、
「陸公がいっしょに来てるから、酒肴の準備したくをしてくれ」
 と言って出て往った。細君がその言葉に従って酒肴の用意をして出すと、室の中で笑ったり飲んだりして、その豪気と高声は生前とすこしも違わなかった。そして夜半に往って窺いてみると窅然ようぜんとしていなかった。
 それから三日おきぐらいに来て、時おりは泊って細君と話して往った。家の中のことはそれぞれ処理した。子の緯いはその時五歳であったが、くると手を引いたり抱いたりして可愛がった。緯が七八歳になった時には、燈下で読書を教えた。緯もまた聡明であった。九歳で文章を作り、十五になって村の学校へ入ったが、ついに父の歿くなっていることを知らなかった。
 その時から朱のくるのが漸く疎うとくなって、月に一度か二度しかこないようになった。ある夜来て細君に言った。
「これでお前達といよいよ訣わかれる時がきた」
 そこで細君が訊いた。
「何所へ往きます」
 朱は言った。
「上帝の命を受けて、大華卿たいがきょうとなって、遠くへ往くから、事務が煩わしいうえに途も遠いので、もうくることができない」
 母子のものがとりすがって泣いた。すると朱は、
「泣いてはいけない、もう小児も大きくなって、生活くらしにも困らないじゃないか、百年も離れない夫婦が何所にある」
 と言って、緯をかえりみて、
「よく立派な人になれ、父の後を絶やしてはならんぞ、十年したら一度逢う」
 と言ってそのまま門を出て往ったが、それから遂にこなかった。
 後、緯が二十五になって、進士に挙げられ、行人の官になって、命を奉じて西岳華山の神を祭りに往ったが、華陰かいんにかかると、輿こしに乗って羽傘はねがさをさしかけて往く一行が鹵簿ろぼに衝っかかってきた。不思議に思うて車の中をよく見ると、それは父の朱であった。緯は泣きながら馬をおりて左側の道にうずくまった。朱は輿を停めて、
「お前が官について評判が好いので、わしも安心しているぞ」
 と言った。緯はうずくまったなりに起きなかった。朱は車をうながして往ってしまったが、すこし往って振りかえり、佩おびていた刀を解いて人に持たしてよこし、遥かに緯に向って、
「その刀を持っていると出世するぞ」
 と言った。緯が追って往こうとすると、朱の一行の車も人もひらひらと風のように動いて、みるみる見えなくなってしまった。緯は痛恨やや久しゅうして刀を抜いて見た。それは精巧な刀であったが、一行の文字を鐫ほってあった。それは胆欲レ大而心欲レ小、知欲レ円而行欲レ方というのであった。
 緯は後、官が司馬となって五人の小児を生んだ。それは沈ちん、潜せん、沕ぶつ、渾こん、深しんの五人であった。ある夜、渾の夢に父がきて、
「佩刀を渾に贈れ」
 と言った。緯は父の言葉に従って渾に贈った。渾は後に都御史になって政治に功績があった。

异史氏曰:“断鹤续凫,矫作者妄;移花接木,创始者奇;而况加凿削于肝肠,施刀锥于颈项者哉!陆公者,可谓媸皮裹妍骨矣。明季至今,为岁不远,陵阳陆公犹存乎?尚有灵焉否也?为之执鞭,所忻慕焉。

《陆判》选自清代蒲松龄所著《聊斋志异》卷二第五篇,详细的描述了朱尔旦和陆判之间的友谊故事。朱尔旦平时因为比较迟钝,众人就哄他去背谁见到都害怕的陆判,没想到这一背,就给他的人生带来了一场革命性的变化。和他成为好朋友后,他们经常聚在一起。陆判不仅酒量豪爽,而且谈吐不凡,他认为朱尔旦心窍堵塞,作文不快,就为他挑选了一颗好的心脏,果然就得了两个第一。朱尔旦因为灰心仕途,就对判官请求,让为妻子换一个美人首。陆判二话没说,找了一个机会就帮朱尔旦妻子换了一个漂亮的头颅。这个是吴侍御女儿的头,因为被贼人所害,因为这场变故,朱尔旦和他家反而成了翁婿关系。朱尔旦死后在阴间当了官,经常来到家里教养儿子。后来他赠送了儿子一把佩刀,嘱咐他当个好官,并将这把佩刀世代相传。

陸判(上)
田中貢太郎

 陵陽りょうようの朱爾旦しゅじたんは字あざなを少明しょうめいといっていた。性質は豪放であったが、もともとぼんやりであったから、篤学の士であったけれども人に名を知られていなかった。
 ある日同窓の友達と酒を飲んでいたが、夜になったところで友達の一人がからかった。
「君は豪傑だが、この夜更けに十王殿へ往って、左の廊下に在る判官をおぶってくることができるかね、できたなら皆で金を出しあって君の祝筵しゅくえんを開くよ」
 その陵陽には十王殿というのがあって、恐ろしそうな木像を置いてあるが、それが装飾してあるので生きているようであった。それに東の廊下にある判官の木像は、青い顔に赤い鬚を生はやしてあるのでもっとも獰悪どうあくに見えた。そのうえ夜になると両方の廊下から拷問の声が聞えるというので、十王殿に往く者は身の毛のよだつのがつねであった。それ故に同窓生は朱を困らせにかかったのであった。
 しかし朱は困らなかった。彼は笑って起ちあがって、そのまま出て往ったが、間もなく門の外で大声がした。
「おうい、鬚先生を伴つれてきたぞ」
 同窓生は起ちあがった。そこへ朱が木像をおぶって入ってきて、それを几つくえの上に置き、杯を執って三度さした。同窓生はそれを見ているうちに怖くなって体がすくんできた。
「おい、どうか元へ返してきてくれ」
 朱はそこでまた酒を取って地に灌そそいで、
「私はがさつ者ですから、どうかお許しください、家はつい其所そこですから、お気が向いた時があったら、飲みにいらしてください、どうか御遠慮なさらないように」
 と言って、そこでまたその木像をおぶって往った。
 翌日になって同窓の者は約束どおり朱を招いて飲んだ。朱は日暮れまでいて半酔になって帰ったが、物足りないので燈を明るくして独酌していた。と、不意に簾すだれをまくって入ってきた者があった。見るとそれは昨夜の判官であった。朱は起って言った。
「俺は死ななくちゃならないのか、昨日神聖をけがしたから、殺しにきたのだろう」
 判官は濃い髯の中から微笑を見せて言った。
「いや、そうじゃない、昨日招かれたから、今晩は暇でもあったし、謹んで達人との約を果そうと思って来たところだ」
「そうか、それは有難い」
 朱はひどく悦んで、判官の衣を牽ひいて坐らし、自分で往って器を洗い酒を温めようとした。すると判官が言った。
「天気が温かいから、冷でいいよ」
 朱は判官の言うとおりに酒の瓶を案つくえの上に置き、走って往って家内の者に言いつけて肴さかなをこしらえさせた。細君は大いに駭おどろいて、判官の傍へ往かさないようにしたが、朱は聴かないで、立ったままで肴のできるのを待って出て往き、判官と杯のやりとりをした。
 そして朱は判官に、
「あなたの姓名を知らしてください」
 と言った。判官は、
「僕は陸という姓だが、名はないよ」
 と言った。そこで古典の談はなしをしてみると、その応答は響のようであった。朱は陸に進士の試験に必要な文章のことを聞いた。
「制芸を知っておりますか」
 陸は、
「よしあし位は知っておる」
 と言って文章の談をし、それから冥途あのよの官署の談をしたが、ほぼ現世と同じだった。陸は非常な大酒で一飲みに十の大杯に入れるほどの酒を飲んだ。朱は陸の相手になって朝まで飲んでいたので、とうとう酔い倒れて案にうつぶせになって睡って、醒めた比ころには残燭ざんしょくほの暗く怪しいお客はもういなかった。
 それからというものは、陸は二日目か三日目にきたので、二人の間は、ますます親密になった。時とすると酒を飲んでいてそのまま倒れて寝て往くこともあった。朱が文章の草稿を見せると陸が朱筆で消して、
「どうも佳くない」
と言った。ある夜、朱が酔うて前さきに寝た。陸はまだ独りで飲んでいた。朱はその時夢心地に臓腑に微かな痛みを覚えたので、眼を醒ました。陸が榻ねだいの前へ坐って、自分の胸を斬り裂いて腸胃を引き出し、それを一筋一筋整理しているところであった。朱は愕いて言った。
「何の怨みもないのに、なぜ僕を殺すのだ」
 陸は笑って言った。
「懼おそれることはない、僕は君のために、聡明な心を入れかえているのだ」
 陸はしずかに腸はらわたを中へ納めて創口を合わせ、その後で足を包む布で朱の腹から腰のあたりを繃帯して手術を終ったが、榻の上を見ても血の痕あとはなかった。朱は僅かに腹のあたりが麻しびれるばかりであった。ふと見ると陸の置いた肉塊が案の上にあった。朱は怪しんで、
「それはなんだろう」
 と言って聞いた。陸は、
「それは君の心だよ、君の文章の拙いのは、君の心の毛穴が塞っているためだから、冥途に在る幾千万の心の中から、佳いのを一つ選びだして、君のために易かえたからね」
 と言って起ちあがり、扉を閉めて出て往った。朝になって朱は布を解いて見た。創口の縫い目はぴったりと合って糸筋のような赤い痕が残っていた。
 その時から朱の文章が非常に進んで、眼にふれたものは忘れないようになった。数日して朱はまた文章を作って陸に見せた。陸は言った。
「いい、この文章ならいい、だが、君は福が薄いから、大いに名を顕あらわすことはできないが、郷科にはとおるよ」
 郷科とは郷試で、各省で行う試験であった。そこで朱は問うた。
「それはいつあるだろう」
 陸は言った。
「今年あるよ、君はそれに優等で及第するよ」
 間もなく郷試があったので、朱もそれに応じてみると第一等の成績を得、秋の本試験には経元けいげんに及第した。朱の同窓は朱の郷試に応じたことを笑っていたが、試験の成績を見るに及んで、皆で顔を見合わして驚いた。そして朱にその理由を聞いてはじめて不思議のあったことを知ったので、朱に紹介してもらって陸と交際したいと頼んできた。その結果陸が承諾してきたので、皆で大いに酒席を設けて待っていた。初更の比になって陸が来た。赤い髯を動かし、目を電いなずまのようにきらきらと光らすので、皆が恐れて魂のぬけた人のようになり、歯の根もあわずに顫ふるえていたが、座にたえられないので一人帰り二人帰りしていなくなってしまった。朱はそこで陸を伴つれて自分の家へ帰って飲み、既に酔ってから陸に言った。
「君に腸を易えてもらって非常な恩を受けているが、も一つ頼みたいことがある、聞いてもらえるかね」
「どんなことだね」
「君は腸をかえることができるから、顔をかえることもできるだろう、僕の妻は、少年の時から夫婦になっているもので、体はそんなに悪くはないが、いかにも顔が拙まずいからね」
 陸は笑って言った。
「いいとも、すこし待っていてくれたまえ」
 それから数日して夜半に陸が来て門を叩いた。朱は急いで起きて往って内へ入れ、燭あかりを点けた。見ると陸の懐ふところには何か物が入っていた。
「それは何だね」
 と朱が訊いた。陸は懐から包みを出して、
「君にこの間頼まれたものだよ、ちょいと佳いのがなくて困っていたが、やっと今晩佳い美人の首を手に入れたから、君の頼みをはたすことができるよ」
 と言った。朱がそれを開けて見ると血のべとべとした女の頭であった。陸はそこで、
「早く、早く、急ぐんだよ、そして人を起してはいけないよ」
と言って居間に入ろうとしたが、夜は入口の扉をきちんと締めてあるので朱は困っていた。と、陸が来て片手で押した。扉は手に従ってしぜんと開いた。そこで細君の寝室へ入った。細君は体を横にして眠っていた。陸は美人の頭を朱に持たして、自分は靴の中から匕首のような刃物を出し、細君の頸にあてがって瓜を切るように切りはなした。頭はころりと枕の傍へ落ちた。陸は急いで、朱の持っている美人の頭を取って切口にきちんと合わせ、そして後ろにしっかりと押しつけたが、これがすむと枕を肩にあてがい、朱に言いつけて細君の頭を静かな所に埋めさせて帰って往った。
 朱の細君はその後で眼を醒ましたが、頸のまわりがすこし麻れて、顔がこわばったような気がするので手をやってみた。するとその手に血がついたのでひどく駭いて、婢じょちゅう[#ルビの「じょちゅう」は底本では「ぢょちゅう」]を呼んで盥たらいに水を汲ました[#「汲ました」は底本では「汲みました」]。婢は細君の顔が血みどろになっているので驚いて倒れそうにした。やがて細君が顔を洗ってみると盥の水が真赤になった。洗った後で細君が首を挙げると、顔の相好が変っているので婢はますます駭いた。細君は鏡を取って顔を映してみた。見も知らぬ人の顔になっているので駭いてしまった。そこへ朱が入ってきて理由を話した。細君はそれによって顔を映しなおして精くわしく見た。それは眉の長い笑靨えくぼのある絵に画いたような美人の顔であった。領えりをすかして験べてみると、紅い糸のような筋がぐるりに著いて、上と下との肉の色がはっきりと違っていた。
その時呉侍御ごじぎょという者があって、美しい女むすめを持っていたが、二度も許婚いいなずけをして結婚しないうちに夫になる人が歿なくなったので、十九になっても、まだ嫁入しなかった。それが上元の日に十王殿に参詣したが、その日は参詣者が非常に多くて雑沓していた。そのとき一人の悪漢があって、呉侍御の女の美しいのを見て、そっと所を聞いておいて、夜になって梯はしごをかけて忍びこんだ。そして寝室に穴を開けて入り、一人の婢を榻の下で殺して女に逼せまった。女は悪漢の自由にならずに大声をたてて力いっぱいに抵抗した。悪漢は怒いかって女の頭を切り落して逃げた。女の母の呉夫人が、隣の室のさわぎを微かに聞きつけて、婢を呼んで見に往かした。婢は女の死骸を見て気絶した。そこで大騒ぎになって家の者が皆起き、女の死骸を表座敷に移して、その頭を合わせるようにして置き、皆で泣きながら終夜ごたごたと騒いだ。
 朝になって女の死骸にかけた衾ふとんを開けてみると頭がなくなっていた。呉侍御は怒って侍女達を鞭でたたいてせめた。
「きさま達の番のしかたが悪いから、犬に喰われたのだ」
 呉侍御は郡守に訴えた。郡守は日を限って賊を探したが、三箇月しても捕えることができなかった。そのときになって朱の家の細君の頭の換ったことを呉侍御にいう者があった。呉侍御は不審に思って、媼ばあやを朱の家ヘやって探らした。媼は朱の家へ往って細君の顔を一眼見て、駭いて帰ってきて呉侍御に告げた。呉侍御は女の死骸が依然としてあるのに、頭だけが生きていて他人の細君の頭とかわるというようなことはあるべきはずのものでないと思ったが、しかし朱が怪しい術を行う者であって、自分の女を殺したかもわからないと疑えば疑われないこともないので、自分から出かけて往って朱に詰問した。

鸚鵡
――大震覚え書の一つ――
芥川龍之介

 これは御覧の通り覚え書に過ぎない。覚え書を覚え書のまま発表するのは時間の余裕よゆうに乏しい為である。或は又その外にも気持の余裕に乏しい為である。しかし覚え書のまま発表することに多少は意味のない訣わけでもない。大正十二年九月十四日記。

 本所ほんじよ横網町よこあみちやうに住める一中節いつちうぶしの師匠ししやう。名は鐘大夫かねだいふ。年は六十三歳。十七歳の孫娘と二人暮らしなり。
 家は地震にも潰つぶれざりしかど、忽ち近隣に出火あり。孫娘と共に両国りやうごくに走る。携たづさへしものは鸚鵡あうむの籠かごのみ。鸚鵡の名は五郎ごらう。背は鼠色、腹は桃色。芸は錺屋かざりやの槌つちの音と「ナアル」(成程なるほどの略)といふ言葉とを真似まねるだけなり。
 両国りやうごくより人形町にんぎやうちやうへ出いづる間あひだにいつか孫娘と離れ離れになる。心配なれども探してゐる暇ひまなし。往来わうらいの人波。荷物の山。カナリヤの籠を持ちし女を見る。待合まちあひの女将おかみかと思はるる服装。「こちとらに似たものもあると思ひました」といふ。その位の余裕はあるものと見ゆ。
 鎧橋よろひばしに出づ。町の片側は火事なり。その側かはに面せるに顔、焼くるかと思ふほど熱かりし由。又何か落つると思へば、電線を被おほへる鉛管えんかんの火熱くわねつの為に熔とけ落つるなり。この辺へんより一層人に押され、度たびたび鸚鵡あうむの籠も潰つぶれずやと思ふ。鸚鵡は始終狂ひまはりて已やまず。
 丸まるの内うちに出づれば日比谷ひびやの空に火事の煙の揚あがるを見る。警視庁、帝劇などの焼け居りしならん。やつと楠くすのきの銅像のほとりに至る。芝の上に坐りしかど、孫娘のことが気にかかりてならず。大声に孫娘の名を呼びつつ、避難民の間あひだを探しまはる。日暮にちぼ。遂に松のかげに横はる。隣りは店員数人をつれたる株屋。空は火事の煙の為、どちらを見てもまつ赤かなり。鸚鵡、突然「ナアル」といふ。
 翌日も丸の内一帯より日比谷迄まで、孫娘を探しまはる。「人形町なり両国なりへ引つ返さうといふ気は出ませんでした」といふ。午ひるごろより饑渇きかつを覚ゆること切なり。やむを得ず日比谷の池の水を飲む。孫娘は遂に見つからず。夜は又丸の内の芝の上に横はる。鸚鵡の籠を枕べに置きつつ、人に盗ぬすまれはせぬかと思ふ。日比谷の池の家鴨あひるを食くらへる避難民を見たればなり。空にはなほ火事の明あかりを見る。
 三日みつかは孫娘を断念し、新宿しんじゆくの甥をひを尋たづねんとす。桜田さくらだより半蔵門はんざうもんに出づるに、新宿も亦また焼けたりと聞き、谷中やなかの檀那寺だんなでらを手頼たよらばやと思ふ。饑渇きかつ愈いよいよ甚だし。「五郎を殺すのは厭いやですが、おちたら食はうと思ひました」といふ。九段上くだんうへへ出づる途中、役所の小使らしきものにやつと玄米げんまい一合余りを貰ひ、生なまのまま噛かみ砕くだきて食す。又つらつら考へれば、鸚鵡の籠を提さげたるまま、檀那寺だんなでらの世話にはなられぬやうなり。即ち鸚鵡に玄米の残りを食はせ、九段上の濠端ほりばたよりこれを放つ。薄暮はくぼ、谷中の檀那寺に至る。和尚をしやう、親切に幾日でもゐろといふ。
 五日いつかの朝、僕の家に来きたる。未いまだ孫娘の行ゆく方へを知らずといふ。意気な平生のお師匠ししやうさんとは思はれぬほど憔悴せうすゐし居たり。
 附記。新宿の甥の家は焼けざりし由。孫娘は其処そこに避難し居りし由。


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