冬休みのまとめ ٩(๑・̑◡・̑๑)۶
今年の冬休みは実は少しだらだらしていました。多くの目標を立てたがうまくいきませんでした。でも一家団欒で楽しい日々を過ごすことができ、また有意義な時間も過ごしました。
1️⃣まずはN1試験の準備をしました。去年も一度受験しましたが、聴解の成績があまり良くなかったため、冬休みには資料を使って聴解力を鍛えました。
2️⃣そして、ある中日韓スピーチコンテストに参加しました。そのコンテストでは非母国語でスピーチを行うか、または中日韓の3言語を組み合わせることができます。スピーチのテーマは中日韓交流についてで、私は自分の交流経験について話しました。10日間ほど準備し、決勝に進出しました。そして、ドゥンドゥンからご指導をいただきながら、今は決勝戦の準備をしています。(また先生にお世話になりました‼︎)
3️⃣一応大学院の情報を収集し、入学資料を準備してみました。北京外国語大学または四川大学などの大学院に併願するつもりです。
4️⃣昔見た韓ドラを見返しました。何年も前に見たことがありますが、当時はいとけなかったので、ちゃんと理解していませんでした。改めて観て異なる感情や道理を悟りました。10年後にもう一度みようと思っています。
5️⃣あとは、「僕らは奇跡でできている」という興味深いドラマも見ました。一見珍しくない日常生活ですが、平凡な毎日には多くの教訓や真理が隠されており、心が癒される話でした。
例えば、ある授業で主人公の動物学先生が出した宿題は、なぜシマウマが綺麗なしま模様を持っているのかという問いでした。その答えは教科書には載っておらず、授業でも言及されていませんでした。学生たちはなぜそんなつまらない問題を出したのか、直接答えを教えてくれればいいんじゃんという不満を漏らしながらも、自ら多くの仮説を立ててみました。体温調節のためか、仲間を見分けるためか、天敵を避けるためかなど、報告された答えはさまざまでした。
先生は興味津々に耳を傾けていて、発表が終わると、一言だけ言いました。「皆さんの考えはとても面白かったね。正解は?分からないよ」と。
正解があるわけではないが、学生たちが工夫して、様々な答えを考えることこそは、良い教育の一環ではないかと感心しました。
すべての人の存在は奇跡であり、生きていること自体も奇跡です。当たり前のことはすべて奇跡と言えます。
よし‼︎ リフレッシュして
新学期も頑張っていきましょう ♪( ´θ`)ノ
今年の冬休みは実は少しだらだらしていました。多くの目標を立てたがうまくいきませんでした。でも一家団欒で楽しい日々を過ごすことができ、また有意義な時間も過ごしました。
1️⃣まずはN1試験の準備をしました。去年も一度受験しましたが、聴解の成績があまり良くなかったため、冬休みには資料を使って聴解力を鍛えました。
2️⃣そして、ある中日韓スピーチコンテストに参加しました。そのコンテストでは非母国語でスピーチを行うか、または中日韓の3言語を組み合わせることができます。スピーチのテーマは中日韓交流についてで、私は自分の交流経験について話しました。10日間ほど準備し、決勝に進出しました。そして、ドゥンドゥンからご指導をいただきながら、今は決勝戦の準備をしています。(また先生にお世話になりました‼︎)
3️⃣一応大学院の情報を収集し、入学資料を準備してみました。北京外国語大学または四川大学などの大学院に併願するつもりです。
4️⃣昔見た韓ドラを見返しました。何年も前に見たことがありますが、当時はいとけなかったので、ちゃんと理解していませんでした。改めて観て異なる感情や道理を悟りました。10年後にもう一度みようと思っています。
5️⃣あとは、「僕らは奇跡でできている」という興味深いドラマも見ました。一見珍しくない日常生活ですが、平凡な毎日には多くの教訓や真理が隠されており、心が癒される話でした。
例えば、ある授業で主人公の動物学先生が出した宿題は、なぜシマウマが綺麗なしま模様を持っているのかという問いでした。その答えは教科書には載っておらず、授業でも言及されていませんでした。学生たちはなぜそんなつまらない問題を出したのか、直接答えを教えてくれればいいんじゃんという不満を漏らしながらも、自ら多くの仮説を立ててみました。体温調節のためか、仲間を見分けるためか、天敵を避けるためかなど、報告された答えはさまざまでした。
先生は興味津々に耳を傾けていて、発表が終わると、一言だけ言いました。「皆さんの考えはとても面白かったね。正解は?分からないよ」と。
正解があるわけではないが、学生たちが工夫して、様々な答えを考えることこそは、良い教育の一環ではないかと感心しました。
すべての人の存在は奇跡であり、生きていること自体も奇跡です。当たり前のことはすべて奇跡と言えます。
よし‼︎ リフレッシュして
新学期も頑張っていきましょう ♪( ´θ`)ノ
花一点时间补完了高达x,片如封面童叟无欺
最喜欢磕的一对,片子背景是after war,不过嘛,有句话说得好,この世とは終わらないワルツのようなものです(串台了
有一些很跳脱费解的剧情不过不影响整体观感,大部分剧情前后都是连贯的,被砍了篇幅很可惜,有些梗也是之后的高达又用过的,浓浓既视感[笑cry]如果非得比的话两代动画人在对于“力量”“战争”的根本想法上确实存在明显的差异,说多了会被挂墙头所以此处心领神会即可
骨科兄弟剧情估计被全删了,虽然能理解一部分他们的想法可惜不全…
追寻自己存在,可能的未来,在迷茫做做出决定这些主题值得深入想想
即使把话放在台面上,或者是根本拥有一样的想法,人也永远无法互相理解呢!
另外w和x的女角色我都好喜欢哦…
最喜欢磕的一对,片子背景是after war,不过嘛,有句话说得好,この世とは終わらないワルツのようなものです(串台了
有一些很跳脱费解的剧情不过不影响整体观感,大部分剧情前后都是连贯的,被砍了篇幅很可惜,有些梗也是之后的高达又用过的,浓浓既视感[笑cry]如果非得比的话两代动画人在对于“力量”“战争”的根本想法上确实存在明显的差异,说多了会被挂墙头所以此处心领神会即可
骨科兄弟剧情估计被全删了,虽然能理解一部分他们的想法可惜不全…
追寻自己存在,可能的未来,在迷茫做做出决定这些主题值得深入想想
即使把话放在台面上,或者是根本拥有一样的想法,人也永远无法互相理解呢!
另外w和x的女角色我都好喜欢哦…
陸判(下)
田中貢太郎
「お前が殺して左道さどうへかえたものだろう」
朱は言った。
「妻は睡っていてかえられたものです、実に不思議ですが、その理由がわからないのです、僕が殺したというのは冤罪えんざいです」
呉侍御は朱の言葉を信まことにできないので訴えた。郡守は朱の家の者を捕えて詮議をしたが、皆朱の言ったと同じ申立てであるから、どうすることもできなかった。朱は郡守の許もとから帰って陸に謀はかりごとを問うた。
「どうしたらいいだろう」
陸は言った。
「なんでもないよ、呉侍御の女に言わしたらいいよ」
その夜呉侍御の夢に女があらわれて、
「私を殺したのは、蘇渓そけいの揚大年ようたいねんという悪党ですよ、朱孝廉しゅこうれんの知ったことではありません、ただ朱孝廉の妻が美しくないから、陸判官が私の頭と取っかえたまでです、それに私は体は死にましても、頭が生きておりますから、どうか朱孝廉を仇にしないようにしてください」
と言った。夢が醒めて呉侍御がそれを夫人に話すと、夫人もやはりそれと同じ夢を見ていた。そこで呉侍御は女を殺した悪人のことを官に告げた。官で人をやって詮議をさすと果して揚大年という者がいたので、捕えて枷かせを入れて詮議をしてみると罪状を白状した。呉侍御はそこで更あらためて朱の家へ往って、夫人に逢わしてくれと言って朱の細君に逢ったが、そんなことから朱を自分の婿とした。そして朱の細君の頭を女の死骸に合わせて葬った。
朱は後に三たび礼闱れいいに応じたが、試験場の規則に合わなかったので試験を受けることができなかった。礼闱とは礼部の試のことで、各省の挙人、即ち郷試の及第者を京師けいしに集めて挙行するいわゆる科挙のことであるが、それは礼部で掌っているから礼闱というのであった。朱はそこで官吏になる心がなくなってしまった。
それから三十年の歳月が経った。ある夜陸が来て、
「君の寿命ももう永くないよ」
と言った。そこで朱がその期間を問うた。
「いつ死ぬだろう」
「もう五日しかないよ」
それには朱も驚いた。
「救うてくれるわけにはいかないかね」
陸は言った。
「それは天の命ずるところだから、人間はどうすることもできないよ、それに達人から見ると、生死は一つじゃないか、生を楽しいとすることもなければ、死を悲しいとすることもない」
朱はなるほどとさとった。そこで葬儀の用意をして、それが終ったので盛装して死んで往った。翌日細君が柩ひつぎにとりすがって泣いていると、朱が冉々ぜんぜんとして外から入って来た。細君は懼れた。朱は言った。
「わしは、あの世の人であるが、生きていた時とすこしもかわらない、寡婦になったお前と小児こどものことを思うとなつかしくてたまらないからやってきたのだ」
細君はそれを聞くと一層悲しくなって慟哭した。その涙が胸まで流れた。朱は依々として慰めた。
細君が言った。
「昔から還魂ということがあります、あなたには霊があるじゃありませんか、なぜそれを用いてくださいません」
朱は言った。
「天[#「天」は底本では「朱」]の命数に違うことはできないよ」
「では、あなたは、冥途で何をしております」
「陸判官が推薦して、裁判の事務を監督する役にして、官爵を授けてくれたから、すこしも苦しいことはないよ」
そこで細君がまた何か言おうとすると、朱が止めて、
「陸公がいっしょに来てるから、酒肴の準備したくをしてくれ」
と言って出て往った。細君がその言葉に従って酒肴の用意をして出すと、室の中で笑ったり飲んだりして、その豪気と高声は生前とすこしも違わなかった。そして夜半に往って窺いてみると窅然ようぜんとしていなかった。
それから三日おきぐらいに来て、時おりは泊って細君と話して往った。家の中のことはそれぞれ処理した。子の緯いはその時五歳であったが、くると手を引いたり抱いたりして可愛がった。緯が七八歳になった時には、燈下で読書を教えた。緯もまた聡明であった。九歳で文章を作り、十五になって村の学校へ入ったが、ついに父の歿くなっていることを知らなかった。
その時から朱のくるのが漸く疎うとくなって、月に一度か二度しかこないようになった。ある夜来て細君に言った。
「これでお前達といよいよ訣わかれる時がきた」
そこで細君が訊いた。
「何所へ往きます」
朱は言った。
「上帝の命を受けて、大華卿たいがきょうとなって、遠くへ往くから、事務が煩わしいうえに途も遠いので、もうくることができない」
母子のものがとりすがって泣いた。すると朱は、
「泣いてはいけない、もう小児も大きくなって、生活くらしにも困らないじゃないか、百年も離れない夫婦が何所にある」
と言って、緯をかえりみて、
「よく立派な人になれ、父の後を絶やしてはならんぞ、十年したら一度逢う」
と言ってそのまま門を出て往ったが、それから遂にこなかった。
後、緯が二十五になって、進士に挙げられ、行人の官になって、命を奉じて西岳華山の神を祭りに往ったが、華陰かいんにかかると、輿こしに乗って羽傘はねがさをさしかけて往く一行が鹵簿ろぼに衝っかかってきた。不思議に思うて車の中をよく見ると、それは父の朱であった。緯は泣きながら馬をおりて左側の道にうずくまった。朱は輿を停めて、
「お前が官について評判が好いので、わしも安心しているぞ」
と言った。緯はうずくまったなりに起きなかった。朱は車をうながして往ってしまったが、すこし往って振りかえり、佩おびていた刀を解いて人に持たしてよこし、遥かに緯に向って、
「その刀を持っていると出世するぞ」
と言った。緯が追って往こうとすると、朱の一行の車も人もひらひらと風のように動いて、みるみる見えなくなってしまった。緯は痛恨やや久しゅうして刀を抜いて見た。それは精巧な刀であったが、一行の文字を鐫ほってあった。それは胆欲レ大而心欲レ小、知欲レ円而行欲レ方というのであった。
緯は後、官が司馬となって五人の小児を生んだ。それは沈ちん、潜せん、沕ぶつ、渾こん、深しんの五人であった。ある夜、渾の夢に父がきて、
「佩刀を渾に贈れ」
と言った。緯は父の言葉に従って渾に贈った。渾は後に都御史になって政治に功績があった。
异史氏曰:“断鹤续凫,矫作者妄;移花接木,创始者奇;而况加凿削于肝肠,施刀锥于颈项者哉!陆公者,可谓媸皮裹妍骨矣。明季至今,为岁不远,陵阳陆公犹存乎?尚有灵焉否也?为之执鞭,所忻慕焉。
《陆判》选自清代蒲松龄所著《聊斋志异》卷二第五篇,详细的描述了朱尔旦和陆判之间的友谊故事。朱尔旦平时因为比较迟钝,众人就哄他去背谁见到都害怕的陆判,没想到这一背,就给他的人生带来了一场革命性的变化。和他成为好朋友后,他们经常聚在一起。陆判不仅酒量豪爽,而且谈吐不凡,他认为朱尔旦心窍堵塞,作文不快,就为他挑选了一颗好的心脏,果然就得了两个第一。朱尔旦因为灰心仕途,就对判官请求,让为妻子换一个美人首。陆判二话没说,找了一个机会就帮朱尔旦妻子换了一个漂亮的头颅。这个是吴侍御女儿的头,因为被贼人所害,因为这场变故,朱尔旦和他家反而成了翁婿关系。朱尔旦死后在阴间当了官,经常来到家里教养儿子。后来他赠送了儿子一把佩刀,嘱咐他当个好官,并将这把佩刀世代相传。
田中貢太郎
「お前が殺して左道さどうへかえたものだろう」
朱は言った。
「妻は睡っていてかえられたものです、実に不思議ですが、その理由がわからないのです、僕が殺したというのは冤罪えんざいです」
呉侍御は朱の言葉を信まことにできないので訴えた。郡守は朱の家の者を捕えて詮議をしたが、皆朱の言ったと同じ申立てであるから、どうすることもできなかった。朱は郡守の許もとから帰って陸に謀はかりごとを問うた。
「どうしたらいいだろう」
陸は言った。
「なんでもないよ、呉侍御の女に言わしたらいいよ」
その夜呉侍御の夢に女があらわれて、
「私を殺したのは、蘇渓そけいの揚大年ようたいねんという悪党ですよ、朱孝廉しゅこうれんの知ったことではありません、ただ朱孝廉の妻が美しくないから、陸判官が私の頭と取っかえたまでです、それに私は体は死にましても、頭が生きておりますから、どうか朱孝廉を仇にしないようにしてください」
と言った。夢が醒めて呉侍御がそれを夫人に話すと、夫人もやはりそれと同じ夢を見ていた。そこで呉侍御は女を殺した悪人のことを官に告げた。官で人をやって詮議をさすと果して揚大年という者がいたので、捕えて枷かせを入れて詮議をしてみると罪状を白状した。呉侍御はそこで更あらためて朱の家へ往って、夫人に逢わしてくれと言って朱の細君に逢ったが、そんなことから朱を自分の婿とした。そして朱の細君の頭を女の死骸に合わせて葬った。
朱は後に三たび礼闱れいいに応じたが、試験場の規則に合わなかったので試験を受けることができなかった。礼闱とは礼部の試のことで、各省の挙人、即ち郷試の及第者を京師けいしに集めて挙行するいわゆる科挙のことであるが、それは礼部で掌っているから礼闱というのであった。朱はそこで官吏になる心がなくなってしまった。
それから三十年の歳月が経った。ある夜陸が来て、
「君の寿命ももう永くないよ」
と言った。そこで朱がその期間を問うた。
「いつ死ぬだろう」
「もう五日しかないよ」
それには朱も驚いた。
「救うてくれるわけにはいかないかね」
陸は言った。
「それは天の命ずるところだから、人間はどうすることもできないよ、それに達人から見ると、生死は一つじゃないか、生を楽しいとすることもなければ、死を悲しいとすることもない」
朱はなるほどとさとった。そこで葬儀の用意をして、それが終ったので盛装して死んで往った。翌日細君が柩ひつぎにとりすがって泣いていると、朱が冉々ぜんぜんとして外から入って来た。細君は懼れた。朱は言った。
「わしは、あの世の人であるが、生きていた時とすこしもかわらない、寡婦になったお前と小児こどものことを思うとなつかしくてたまらないからやってきたのだ」
細君はそれを聞くと一層悲しくなって慟哭した。その涙が胸まで流れた。朱は依々として慰めた。
細君が言った。
「昔から還魂ということがあります、あなたには霊があるじゃありませんか、なぜそれを用いてくださいません」
朱は言った。
「天[#「天」は底本では「朱」]の命数に違うことはできないよ」
「では、あなたは、冥途で何をしております」
「陸判官が推薦して、裁判の事務を監督する役にして、官爵を授けてくれたから、すこしも苦しいことはないよ」
そこで細君がまた何か言おうとすると、朱が止めて、
「陸公がいっしょに来てるから、酒肴の準備したくをしてくれ」
と言って出て往った。細君がその言葉に従って酒肴の用意をして出すと、室の中で笑ったり飲んだりして、その豪気と高声は生前とすこしも違わなかった。そして夜半に往って窺いてみると窅然ようぜんとしていなかった。
それから三日おきぐらいに来て、時おりは泊って細君と話して往った。家の中のことはそれぞれ処理した。子の緯いはその時五歳であったが、くると手を引いたり抱いたりして可愛がった。緯が七八歳になった時には、燈下で読書を教えた。緯もまた聡明であった。九歳で文章を作り、十五になって村の学校へ入ったが、ついに父の歿くなっていることを知らなかった。
その時から朱のくるのが漸く疎うとくなって、月に一度か二度しかこないようになった。ある夜来て細君に言った。
「これでお前達といよいよ訣わかれる時がきた」
そこで細君が訊いた。
「何所へ往きます」
朱は言った。
「上帝の命を受けて、大華卿たいがきょうとなって、遠くへ往くから、事務が煩わしいうえに途も遠いので、もうくることができない」
母子のものがとりすがって泣いた。すると朱は、
「泣いてはいけない、もう小児も大きくなって、生活くらしにも困らないじゃないか、百年も離れない夫婦が何所にある」
と言って、緯をかえりみて、
「よく立派な人になれ、父の後を絶やしてはならんぞ、十年したら一度逢う」
と言ってそのまま門を出て往ったが、それから遂にこなかった。
後、緯が二十五になって、進士に挙げられ、行人の官になって、命を奉じて西岳華山の神を祭りに往ったが、華陰かいんにかかると、輿こしに乗って羽傘はねがさをさしかけて往く一行が鹵簿ろぼに衝っかかってきた。不思議に思うて車の中をよく見ると、それは父の朱であった。緯は泣きながら馬をおりて左側の道にうずくまった。朱は輿を停めて、
「お前が官について評判が好いので、わしも安心しているぞ」
と言った。緯はうずくまったなりに起きなかった。朱は車をうながして往ってしまったが、すこし往って振りかえり、佩おびていた刀を解いて人に持たしてよこし、遥かに緯に向って、
「その刀を持っていると出世するぞ」
と言った。緯が追って往こうとすると、朱の一行の車も人もひらひらと風のように動いて、みるみる見えなくなってしまった。緯は痛恨やや久しゅうして刀を抜いて見た。それは精巧な刀であったが、一行の文字を鐫ほってあった。それは胆欲レ大而心欲レ小、知欲レ円而行欲レ方というのであった。
緯は後、官が司馬となって五人の小児を生んだ。それは沈ちん、潜せん、沕ぶつ、渾こん、深しんの五人であった。ある夜、渾の夢に父がきて、
「佩刀を渾に贈れ」
と言った。緯は父の言葉に従って渾に贈った。渾は後に都御史になって政治に功績があった。
异史氏曰:“断鹤续凫,矫作者妄;移花接木,创始者奇;而况加凿削于肝肠,施刀锥于颈项者哉!陆公者,可谓媸皮裹妍骨矣。明季至今,为岁不远,陵阳陆公犹存乎?尚有灵焉否也?为之执鞭,所忻慕焉。
《陆判》选自清代蒲松龄所著《聊斋志异》卷二第五篇,详细的描述了朱尔旦和陆判之间的友谊故事。朱尔旦平时因为比较迟钝,众人就哄他去背谁见到都害怕的陆判,没想到这一背,就给他的人生带来了一场革命性的变化。和他成为好朋友后,他们经常聚在一起。陆判不仅酒量豪爽,而且谈吐不凡,他认为朱尔旦心窍堵塞,作文不快,就为他挑选了一颗好的心脏,果然就得了两个第一。朱尔旦因为灰心仕途,就对判官请求,让为妻子换一个美人首。陆判二话没说,找了一个机会就帮朱尔旦妻子换了一个漂亮的头颅。这个是吴侍御女儿的头,因为被贼人所害,因为这场变故,朱尔旦和他家反而成了翁婿关系。朱尔旦死后在阴间当了官,经常来到家里教养儿子。后来他赠送了儿子一把佩刀,嘱咐他当个好官,并将这把佩刀世代相传。
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