#推文# 《大设定师》by非天夜翔
【快穿 废土 仙侠 星际歌剧 科幻】

“写作是世界的构建,是新天地的开拓。”
看完全文后再回头看母鸡大大的这句立意,或许这就是他关于写作的表达,和写这本小说的目的吧。

这部小说与之前的《夺梦》《天地白驹》属于一个系列,但世界观相对比较独立。母鸡这个系列的小说,基本上都是【一件超出当前世界规则的宝物】+【主角有心理疾病】(不记得夺梦有没有。所以在这个系列的小说里,作者通过设定和剧情,试图去呈现的是心理疾病患者、或者说有心理缺陷的人,幻想中世界的模样。

故事开篇,主角遥光在一个未来废土科幻世界里苏醒,在一片迷茫与空白之中,和大骑士龙剑录开始了一场冒险。过程中他逐渐觉醒,最终发现这一切其实是他写的小说。在他的小说设定里,未来AI科技发达,人类上载生命信息以求永生,但在AI的不断升级之下,人类迎来了自己的灭绝。故事的最后,遥光用自己的生命关上了主机,再一睁眼,他回到了现实世界。

主角遥光,大学毕业,边缘型人格障碍,对亲近的人会克制不住的暴躁易怒作(zuō),他知道这样不好却控制不住,所以长久以来无法建立真正的亲密关系,一个人在角落里阴暗爬行。在大学舍友的帮助下他得以有个老破小居住,凭借7-8分的外表在执事咖啡店打工当精神鸭,下班就窝在老破小里写小说。

上面说的那个故事就是他正在写的第一部小说,设定不全,到处都是bug,人物动机也破破烂烂。但他沉浸在与龙剑录的冒险中无法自拔,在下一部小说中试图复刻上一次的经历——然后他成功了,再次进入小说世界。

与常规的快穿小说不同,这部小说里总共只有4个单元世界,剧情特别紧凑,而且每个单元都有每个单元所承载的情感递进、主题表达甚至哲学思考的功能。在纷繁复杂的剧情设定背后,是遥光病态的、怯懦不堪到奄奄一息的挣扎与渴望。

他质疑自己对龙剑录的爱,他害怕这份爱是像皮格马利翁那样来源自己的塑造。所以他不敢承认甚至怀疑自己爱龙剑录这个事实。

他害怕自己的边缘型人格障碍爆发,即使现在热恋,以后也终将离他远去。所以他不敢留在小说世界里与龙剑录相守。在后面的某个世界里,他喜怒无常的性格彻底爆发,也确实把那个世界推向了极端。但反而是那几章让我觉得这部小说特别有意思,也回想起了当时看《天地白驹》时那种极致的拉扯感。当你暴露出你性格中最不堪的那一面时,你的爱人是否还会接纳你?是否还会依然爱你?至少小说里能给出一个完美的答案

这部小说中,遥光与龙剑录最大的惶惑,也是这部小说的最终极的表达,在于【什么是真实】。小说里也引用了马克思的话,“人的本质,不是单个人所固有的抽象物,在其现实性上,它是一切社会关系的总和”。遥光因为自己的边缘型人格障碍,始终无法与人建立联系,使得他一直像一片浮萍,在80亿人口的汪洋里飘荡无依。龙剑录是一个被遥光创造的小说角色,他探索自己的存在,困惑自己的存在,最终确信自己的存在——只要遥光和他彼此注视,那么龙剑录这个人就是存在的,是真实的。

思考人生的虚无与无意义是当下很多年轻人常常会做的一件事。我也曾经在这个问题里挣扎过,但后来我也想明白了,不论是亲人、友人、还是爱人,甚至是宠物,是门口小超市阿姨的一声问候,都是对你的存在的一种反馈。人生不过百年,只要有爱你的人和你爱的人在,那你的存在就是有价值的。

 竹青(中)
――新曲聊斎志異――
太宰治
魚容は傷の苦しさに、もはや息も絶える思いで、見えぬ眼をわずかに開いて、
「竹青。」と小声で呼んだ、と思ったら、ふと眼が醒さめて、気がつくと自分は人間の、しかも昔のままの貧書生の姿で呉王廟の廊下に寝ている。斜陽あかあかと目前の楓かえでの林を照らして、そこには数百の烏が無心に唖々と鳴いて遊んでいる。
「気がつきましたか。」と農夫の身なりをした爺じじいが傍に立っていて笑いながら尋ねる。
「あなたは、どなたです。」
「わしはこの辺の百姓だが、きのうの夕方ここを通ったら、お前さんが死んだように深く眠っていて、眠りながら時々微笑んだりして、わしは、ずいぶん大声を挙げてお前さんを呼んでも一向に眼を醒まさない。肩をつかんでゆすぶっても、ぐたりとしている。家へ帰ってからも気になるので、たびたびお前さんの様子を見に来て、眼の醒めるのを待っていたのだ。見れば、顔色もよくないが、どこか病気か。」
「いいえ、病気ではございません。」不思議におなかも今はちっとも空すいていない。「すみませんでした。」とれいのあやまり癖が出て、坐り直して農夫に叮嚀ていねいにお辞儀をして、「お恥かしい話ですが、」と前置きをしてこの廟の廊下に行倒れるにいたった事情を正直に打明け、重ねて、「すみませんでした。」とお詫びを言った。
 農夫は憐あわれに思った様子で、懐ふところから財布さいふを取出しいくらかの金を与え、
「人間万事塞翁さいおうの馬。元気を出して、再挙を図はかるさ。人生七十年、いろいろさまざまの事がある。人情は飜覆ほんぷくして洞庭湖の波瀾はらんに似たり。」と洒落しゃれた事を言って立ち去る。
 魚容はまだ夢の続きを見ているような気持で、呆然ぼうぜんと立って農夫を見送り、それから振りかえって楓の梢にむらがる烏を見上げ、
「竹青!」と叫んだ。一群の烏が驚いて飛び立ち、ひとしきりやかましく騒いで魚容の頭の上を飛びまわり、それからまっすぐに湖の方へいそいで行って、それっきり、何の変った事も無い。
 やっぱり、夢だったかなあ、と魚容は悲しげな顔をして首を振り、一つ大きい溜息ためいきをついて、力無く故土に向けて発足する。
 故郷の人たちは、魚容が帰って来ても、格別うれしそうな顔もせず、冷酷の女房は、さっそく伯父の家の庭石の運搬を魚容に命じ、魚容は汗だくになって河原から大いなる岩石をいくつも伯父の庭先まで押したり曳ひいたり担かついだりして運び、「貧して怨えん無きは難し」とつくづく嘆じ、「朝あしたに竹青の声を聞かば夕ゆうべに死するも可なり矣」と何につけても洞庭一日の幸福な生活が燃えるほど劇はげしく懐慕せられるのである。
 伯夷叔斉はくいしゅくせいは旧悪を念おもわず、怨うらみ是これを用いて希まれなり。わが魚容君もまた、君子の道に志している高邁こうまいの書生であるから、不人情の親戚をも努めて憎まず、無学の老妻にも逆わず、ひたすら古書に親しみ、閑雅の清趣を養っていたが、それでも、さすがに身辺の者から受ける蔑視べっしには堪えかねる事があって、それから三年目の春、またもや女房をぶん殴って、いまに見ろ、と青雲の志を抱いだいて家出して試験に応じ、やっぱり見事に落第した。よっぽど出来ない人だったと見える。帰途、また思い出の洞庭湖畔、呉王廟に立ち寄って、見るものみな懐しく、悲しみもまた千倍して、おいおい声を放って廟前で泣き、それから懐中のわずかな金を全部はたいて羊肉を買い、それを廟前にばら撒まいて神烏に供して樹上から降りて肉を啄ついばむ群烏を眺めて、この中に竹青もいるのだろうなあ、と思っても、皆一様に真黒で、それこそ雌雄をさえ見わける事が出来ず、
「竹青はどれですか。」と尋ねても振りかえる烏は一羽も無く、みんなただ無心に肉を拾ってたべている。魚容はそれでも諦められず、
「この中に、竹青がいたら一番あとまで残っておいで。」と、千万の思慕の情をこめて言ってみた。そろそろ肉が無くなって、群烏は二羽立ち、五羽立ち、むらむらぱっと大部分飛び立ち、あとには三羽、まだ肉を捜して居残り、魚容はそれを見て胸をとどろかせ手に汗を握ったが、肉がもう全く無いと見てぱっと未練みれんげも無く、その三羽も飛び立つ。魚容は気抜けの余りくらくら眩暈めまいして、それでも尚なお、この場所から立ち去る事が出来ず、廟の廊下に腰をおろして、春霞はるがすみに煙る湖面を眺めてただやたらに溜息をつき、「ええ、二度も続けて落第して、何の面目があっておめおめ故郷に帰られよう。生きて甲斐かいない身の上だ、むかし春秋戦国の世にかの屈原くつげんも衆人皆酔い、我独ひとり醒さめたり、と叫んでこの湖に身を投げて死んだとかいう話を聞いている、乃公おれもこの思い出なつかしい洞庭に身を投げて死ねば、或あるいは竹青がどこかで見ていて涙を流してくれるかも知れない、乃公を本当に愛してくれたのは、あの竹青だけだ、あとは皆、おそろしい我慾の鬼ばかりだった、人間万事塞翁の馬だと三年前にあのお爺じいさんが言ってはげましてくれたけれども、あれは嘘だ、不仕合せに生れついた者は、いつまで経たっても不仕合せのどん底であがいているばかりだ、これすなわち天命を知るという事か、あはは、死のう、竹青が泣いてくれたら、それでよい、他には何も望みは無い」と、古聖賢の道を究きわめた筈の魚容も失意の憂愁に堪えかね、今夜はこの湖で死ぬる覚悟。やがて夜になると、輪郭りんかくの滲にじんだ満月が中空に浮び、洞庭湖はただ白く茫ぼうとして空と水の境が無く、岸の平沙へいさは昼のように明るく柳の枝は湖水の靄もやを含んで重く垂れ、遠くに見える桃畑の万朶ばんだの花は霰あられに似て、微風が時折、天地の溜息の如く通過し、いかにも静かな春の良夜、これがこの世の見おさめと思えば涙も袖そでにあまり、どこからともなく夜猿やえんの悲しそうな鳴声が聞えて来て、愁思まさに絶頂に達した時、背後にはたはたと翼の音がして、
「別来、恙つつが無きや。」
 振り向いて見ると、月光を浴びて明眸皓歯めいぼうこうし、二十はたちばかりの麗人がにっこり笑っている。
「どなたです、すみません。」とにかく、あやまった。
「いやよ、」と軽く魚容の肩を打ち、「竹青をお忘れになったの?」
「竹青!」
 魚容は仰天して立ち上り、それから少し躊躇ちゅうちょしたが、ええ、ままよ、といきなり美女の細い肩を掻き抱いた。
「離して。いきが、とまるわよ。」と竹青は笑いながら言って巧みに魚容の腕からのがれ、「あたしは、どこへも行かないわよ。もう、一生あなたのお傍に。」
「たのむ! そうしておくれ。お前がいないので、乃公は今夜この湖に身を投げて死んでしまうつもりだった。お前は、いったい、どこにいたのだ。」
「あたしは遠い漢陽に。あなたと別れてからここを立ち退き、いまは漢水の神烏になっているのです。さっき、この呉王廟にいる昔のお友達があなたのお見えになっている事を知らせにいらして下さったので、あたしは、漢陽からいそいで飛んで来たのです。あなたの好きな竹青が、ちゃんとこうして来たのですから、もう、死ぬなんておそろしい事をお考えになっては、いやよ。ちょっと、あなたも痩せたわねえ。」
「痩せる筈さ。二度も続けて落第しちゃったんだ。故郷に帰れば、またどんな目に遭うかわからない。つくづくこの世が、いやになった。」
「あなたは、ご自分の故郷にだけ人生があると思い込んでいらっしゃるから、そんなに苦しくおなりになるのよ。人間到いたるところに青山せいざんがあるとか書生さんたちがよく歌っているじゃありませんか。いちど、あたしと一緒に漢陽の家へいらっしゃい。生きているのも、いい事だと、きっとお思いになりますから。」
「漢陽は、遠いなあ。」いずれが誘うともなく二人ならんで廟びょうの廊下から出て月下の湖畔を逍遥しょうようしながら、「父母在いませば遠く遊ばず、遊ぶに必ず方有り、というからねえ。」魚容は、もっともらしい顔をして、れいの如くその学徳の片鱗へんりんを示した。
「何をおっしゃるの。あなたには、お父さんもお母さんも無いくせに。」
「なんだ、知っているのか。しかし、故郷には父母同様の親戚の者たちが多勢いる。乃公は何とかして、あの人たちに、乃公の立派に出世した姿をいちど見せてやりたい。あの人たちは昔から乃公をまるで阿呆か何かみたいに思っているのだ。そうだ、漢陽へ行くよりは、これからお前と一緒に故郷に帰り、お前のその綺麗きれいな顔をみんなに見せて、おどろかしてやりたい。ね、そうしようよ。乃公は、故郷の親戚の者たちの前で、いちど、思いきり、大いに威張ってみたいのだ。故郷の者たちに尊敬されるという事は、人間の最高の幸福で、また終極の勝利だ。」
「どうしてそんなに故郷の人たちの思惑ばかり気にするのでしょう。むやみに故郷の人たちの尊敬を得たくて努めている人を、郷原きょうげんというんじゃなかったかしら。郷原は徳の賊なりと論語に書いてあったわね。」
 魚容は、ぎゃふんとまいって、やぶれかぶれになり、
「よし、行こう。漢陽に行こう。連れて行ってくれ。逝者ゆくものは斯かくの如き夫かな、昼夜を舎すてず。」てれ隠しに、甚はなはだ唐突な詩句を誦しょうして、あははは、と自らを嘲あざけった。
「まいりますか。」竹青はいそいそして、「ああ、うれしい。漢陽の家では、あなたをお迎えしようとして、ちゃんと仕度がしてあります。ちょっと、眼をつぶって。」
 魚容は言われるままに眼を軽くつぶると、はたはたと翼の音がして、それから何か自分の肩に薄い衣のようなものがかかったと思うと、すっとからだが軽くなり、眼をひらいたら、すでに二人は雌雄の烏、月光を受けて漆黒しっこくの翼は美しく輝き、ちょんちょん平沙を歩いて、唖々と二羽、声をそろえて叫んで、ぱっと飛び立つ。
 月下白光三千里の長江ちょうこう、洋々と東北方に流れて、魚容は酔えるが如く、流れにしたがっておよそ二ときばかり飛翔して、ようよう夜も明けはなれて遥はるか前方に水の都、漢陽の家々の甍いらかが朝靄あさもやの底に静かに沈んで眠っているのが見えて来た。近づくにつれて、晴川せいせん歴々たり漢陽の樹、芳草萋々せいせいたり鸚鵡おうむの洲、対岸には黄鶴楼の聳そびえるあり、長江をへだてて晴川閣と何事か昔を語り合い、帆影点々といそがしげに江上を往来し、更にすすめば大別山だいべつざんの高峰眼下にあり、麓ふもとには水漫々の月湖ひろがり、更に北方には漢水蜿蜒えんえんと天際に流れ、東洋のヴェニス一眸ぼうの中に収り、「わが郷関きょうかん何いずれの処ぞ是これなる、煙波江上、人をして愁えしむ」と魚容は、うっとり呟いた時、竹青は振りかえって、

人生三路向
多年后再读钱穆先生的《人生十论》,相较多年前好像多了些许理解。
人生只是一个向往,我们不能想象一个没有向往的人生。
近代西方人的人生向往是无限向外扩张,获得其所求。人生的终极目标也就变成了并不在某种的满足,而在无限地向前。人生意义只在无止尽的过程上,而一切努力又安排在外面。
印度人的人生向往转向人生内部 ,向内寻求。
向外无尽,向内也无尽。人生依然在无限向前,人生依然在无尽止的过程上。
向外的人生,是一种涂饰的人生。而向内的人生是一种洗刷的人生。
向内的人生,是一种洒脱的人生,最后境界则成一大脱空。佛家称此为涅槃。人生达到涅槃境界,便可不再见有一切外在的存在。外面一切没有了,自然也不见有所谓内。内外具泯,佛家称此为一如不动。
印度佛家的新人生观,传到中国,后来慢慢地中国化了,变成了禅宗。变成宋明的理学。
中国的禅宗守着一个中立的态度,不向外,同时也不向内,屹然而中立。中国的禅宗似乎没有向往。他们的向往即在当下,他们的向往即在不向往。
中国儒家的人生,不偏向外,也不偏向内。不偏向心,也不偏向物。他们有一个辽远的向往,但同时也可以当下即是。他们只肯说尽己之性,然后尽物之性,而赞天地之化育。


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