台風11号 来月2日にかけて強い勢力で沖縄に接近するおそれ
2023年8月31日 7時27分
【台風情報】日本の南で3つの台風が発生中(31日6時更新)
現在、日本の周辺には台風9号(サオラー)・11号(ハイクイ)・12号(キロギー)の3つの台風が発生しています。
【台風9号】
猛烈な勢力の台風9号は今後も西寄りに進み、中国大陸へ近づく見込みです。台風は次第に遠ざかるものの、石垣島や与那国島などは3mのうねりを伴った高波が予想されます。海上や海岸は危険な状況となりますので、注意が必要です。
【台風11号】
台風11号は次第に発達し、強い勢力となって沖縄に接近する見込みです。沖縄や奄美は次第に影響が出てきます。今日31日(木)の午後には活発な雨雲が流れ込むようになり、夕方以降は次第に風も強まってくる見込みです。
明日9月1日(金)に台風は最も近づくとみられますので、早めの対策が必要です。
【台風12号】
昨夜30日(水)21時にトラック諸島近海で台風12号(キロギー)が発生しました。
4日(月)になると日本の南に進んでくる見込みです。台風が近づく前から暖かく湿った空気が流れ込む影響で、西日本や東日本の太平洋側を中心に広く雨が予想されています。来週は台風のコースや強さによって影響が変わるため、随時最新情報をご確認ください。
台風11号は、沖ノ鳥島の近海を西寄りに進み、来月2日にかけて強い勢力で沖縄県に接近するおそれがあります。気象庁は、沖縄県と鹿児島県の奄美地方では高波に警戒するよう呼びかけています。
気象庁によりますと、台風11号は暴風域を伴いながら沖ノ鳥島の近海を西寄りに進んでいます。
今後、発達しながら北西へ進み、来月2日にかけて強い勢力で沖縄県に接近するおそれがあります。
沖縄県では風が強まり、きょうの最大風速は20メートル、最大瞬間風速は30メートルと予想され、1日は最大風速が23メートル、最大瞬間風速は35メートルとなる見込みです。
また、波も高くなり、沖縄県と鹿児島県の奄美地方では2日にかけてうねりを伴って大しけとなる見込みです。
気象庁は、沖縄県と鹿児島県の奄美地方では高波に警戒するとともに沖縄県では強風に十分注意するよう呼びかけています。
沖縄県では、大潮の時期にあたるため潮位が高く、台風が近づく際には高潮による浸水などにも注意してください。
一方、30日夜、日本のはるか南の海上で台風12号が発生しました。
台風はやや発達しながら北寄りに進んだあと次第に進路を西寄りに変え、この週末、東京の小笠原諸島に接近するおそれがあります。
気象庁は今後の情報に注意するよう呼びかけています。
2023年8月31日 7時27分
【台風情報】日本の南で3つの台風が発生中(31日6時更新)
現在、日本の周辺には台風9号(サオラー)・11号(ハイクイ)・12号(キロギー)の3つの台風が発生しています。
【台風9号】
猛烈な勢力の台風9号は今後も西寄りに進み、中国大陸へ近づく見込みです。台風は次第に遠ざかるものの、石垣島や与那国島などは3mのうねりを伴った高波が予想されます。海上や海岸は危険な状況となりますので、注意が必要です。
【台風11号】
台風11号は次第に発達し、強い勢力となって沖縄に接近する見込みです。沖縄や奄美は次第に影響が出てきます。今日31日(木)の午後には活発な雨雲が流れ込むようになり、夕方以降は次第に風も強まってくる見込みです。
明日9月1日(金)に台風は最も近づくとみられますので、早めの対策が必要です。
【台風12号】
昨夜30日(水)21時にトラック諸島近海で台風12号(キロギー)が発生しました。
4日(月)になると日本の南に進んでくる見込みです。台風が近づく前から暖かく湿った空気が流れ込む影響で、西日本や東日本の太平洋側を中心に広く雨が予想されています。来週は台風のコースや強さによって影響が変わるため、随時最新情報をご確認ください。
台風11号は、沖ノ鳥島の近海を西寄りに進み、来月2日にかけて強い勢力で沖縄県に接近するおそれがあります。気象庁は、沖縄県と鹿児島県の奄美地方では高波に警戒するよう呼びかけています。
気象庁によりますと、台風11号は暴風域を伴いながら沖ノ鳥島の近海を西寄りに進んでいます。
今後、発達しながら北西へ進み、来月2日にかけて強い勢力で沖縄県に接近するおそれがあります。
沖縄県では風が強まり、きょうの最大風速は20メートル、最大瞬間風速は30メートルと予想され、1日は最大風速が23メートル、最大瞬間風速は35メートルとなる見込みです。
また、波も高くなり、沖縄県と鹿児島県の奄美地方では2日にかけてうねりを伴って大しけとなる見込みです。
気象庁は、沖縄県と鹿児島県の奄美地方では高波に警戒するとともに沖縄県では強風に十分注意するよう呼びかけています。
沖縄県では、大潮の時期にあたるため潮位が高く、台風が近づく際には高潮による浸水などにも注意してください。
一方、30日夜、日本のはるか南の海上で台風12号が発生しました。
台風はやや発達しながら北寄りに進んだあと次第に進路を西寄りに変え、この週末、東京の小笠原諸島に接近するおそれがあります。
気象庁は今後の情報に注意するよう呼びかけています。
平家物語
へいけものがたり
戦記文学。十二巻。作者未詳。十三世紀前半の成立か。『源平盛衰記』四十八巻は、数ある異本の一つ。『保元物語』『平治物語』『承久記』とともに「四部合戦状」といわれる(『蔗軒日録』など)。治承四年(一一八〇)―元暦元年(一一八四)に展開された源平合戦の描写を軸に、その前後の平家一門の興隆と滅亡とを、仏教的な無常観を背景に記している。書名のゆえんもここにある。異本が数多く派生したため、相互に本文転化の過程を追い系統づけられないほど、混淆を示している。したがって、外見上の特徴を把えて大きく分類する方法で整理されている。もと三巻といわれ、それが六巻、十二巻、四十八巻などと倍増されてきたとされるが、原本の形態を具体的に示すことは不可能に近い。作者として伝えられている人々や成立年代についての諸説が、必ずしも広範囲の賛同を得ていないのも、この本文の混淆に一因があるといえよう。
〔語り本系の諸本〕
どの分類に属する本が、原『平家物語』の姿を遺しているかはしばらく措くとして、諸本は、盲人の職能集団であった当道(とうどう)座の琵琶法師の語りのもとになった諸本と、それ以外、つまりはじめから読むために書き写された諸本とに分けられる。前者に属するものには、鎌倉時代中ごろにはすでに分派していたと推定される一方(いちがた)流と八坂流との二系統の本文がある。一方流のもとは、覚一検校(応安四年(一三七一)没)が応安四年に、後白河法皇の大原御幸の話を中心に据え、平清盛の娘で安徳天皇の生母であった建礼門院平徳子の晩年の話を前後に配して一巻となし、これを本篇十二巻の枠外に置き、灌頂巻と名づけ秘曲として伝えようとしたもので、最も流布している本文である(『日本古典文学大系』三二・三三、『日本古典文学全集』二九・三〇など)。一方流の語り手は、「―一」の名をもつ。これに対して、今までどおりの本文を語っていこうとしたのが八坂流で、京の八坂に住んでいた城玄(城元)検校の流れを汲むゆえに八坂流といわれ、また語り手が「城―」と名乗ったため城方流ともいわれた(『屋代本平家物語』、『校定百二十句本平家物語』、『平家物語中院本と研究』(『未刊国文資料』八・九・一一・一二)など)。当道座に属し『平家物語』を語った琵琶法師は、南北朝―室町時代前半には五、六百人もいたといわれ(『碧山日録』)、『平家物語』の本文に節をつけて琵琶法師が語る平曲は、中世を代表する文芸であった。
〔読み本系の諸本〕
これら当道座内に伝来した本文に対し、今日、略本系・広本系とよばれている本文がある。前者は、四部合戦状本(『四部合戦状本平家物語』)、源平闘諍録本(『源平闘諍録と研究』(『未刊国文資料』二期一四))、南都本(『南都本南都異本平家物語』(影印))などであり、相互に異同があるが、一括して分類されている。この略本系に較べ、後者は、より広範囲の記述を含んでいるゆえに広本系とよばれるが、延慶本(『応永書写延慶本平家物語』)、長門本(『平家物語長門本』、『岡山大学本平家物語』)や『新定源平盛衰記』(新人物往来社)がある。当道座系統の本文が、京都ないしは貴族社会から生まれたものと思われるのに対して、これらの略本系・広本系の本文は、源頼朝の挙兵以降の記述などに、その真偽の判定はしばらく措くとしても、東国すなわち武家社会から得たと思われる資料をもとにしている部分が多くみられる。しかも、これらには琵琶法師が語るには適さないような文体と思われる部分が多いので、読物として扱われてきたものとされている。なお広本系の三本は、同一の祖本から派生した近い関係にある本文である。
〔成立年代〕
これら諸本のうち、どの本が原『平家物語』に近いかについては、前後関係を推測する説は数多いが、本文系統が確立していないため、定かではない。このような状況であるから、内部徴証によって成立時代を決めようとしても、はたしてその部分が原『平家物語』の本文であるかどうか、簡単には決定しにくい。諸本のなかでは、延慶本が延慶三年(一三一〇)書写の本奥書を有していて、確実な最古の書写年代を示す本であるが、仁治元年(一二四〇)の園城寺僧頼舜の書状(東山御文庫本『兵範記』紙背文書)にみえる「治承物語六巻号平家」は、おそらく『平家物語』の存在を外部から示した最古の言及であろう(『治承物語』と書名扱いにするか、「治承年間の物語」と読むかは不明)。したがって、この仁治元年以前に成立年代を置き、以降、それぞれに増補されたと考えられているが、さらにさかのぼって承久年間(一二一九―二二)以前の成立として考えようとする人々もいる。
〔作者・素材〕
作者としては、信濃前司藤原行長が天台座主慈円の庇護下に琵琶法師生仏の協力を得て作ったとする説(『徒然草』)が、幾つかの状況証拠にも支えられて有力ではあるが、確証は得られない。作者はどのような材料を使って叙述したかという典拠論になるが、これも原『平家物語』の本文と増補部分の本文とが明確になっていないことが多いため、立場立場でそれぞれに考えるよりほか仕方がないが、このような場合には水戸藩が編輯した『参考源平盛衰記』(『(改定)史籍集覧』篇外三―五)が諸本の本文や平安時代末期・鎌倉時代初期の貴族の日記などを対比させているので便利である。近年、作者の座右に年代記が置かれていたに相違ないという考えから、その年代記がどのようなものであるかに関心が向けられているが、『愚管抄』における『簾中抄』帝王御次第などのように、最略の年代記を使ってでも、抄節という古来伝統的に受け継いできた技術を以てすれば、大部の書物を完成できるのではないか、との指摘もある。なお、諸本については、主な翻刻のみを掲げた。
[参考文献]
『平家物語』(『増補国語国文学研究史大成』九)、市古貞次編『平家物語研究事典』
(益田 宗)
へいけものがたり
戦記文学。十二巻。作者未詳。十三世紀前半の成立か。『源平盛衰記』四十八巻は、数ある異本の一つ。『保元物語』『平治物語』『承久記』とともに「四部合戦状」といわれる(『蔗軒日録』など)。治承四年(一一八〇)―元暦元年(一一八四)に展開された源平合戦の描写を軸に、その前後の平家一門の興隆と滅亡とを、仏教的な無常観を背景に記している。書名のゆえんもここにある。異本が数多く派生したため、相互に本文転化の過程を追い系統づけられないほど、混淆を示している。したがって、外見上の特徴を把えて大きく分類する方法で整理されている。もと三巻といわれ、それが六巻、十二巻、四十八巻などと倍増されてきたとされるが、原本の形態を具体的に示すことは不可能に近い。作者として伝えられている人々や成立年代についての諸説が、必ずしも広範囲の賛同を得ていないのも、この本文の混淆に一因があるといえよう。
〔語り本系の諸本〕
どの分類に属する本が、原『平家物語』の姿を遺しているかはしばらく措くとして、諸本は、盲人の職能集団であった当道(とうどう)座の琵琶法師の語りのもとになった諸本と、それ以外、つまりはじめから読むために書き写された諸本とに分けられる。前者に属するものには、鎌倉時代中ごろにはすでに分派していたと推定される一方(いちがた)流と八坂流との二系統の本文がある。一方流のもとは、覚一検校(応安四年(一三七一)没)が応安四年に、後白河法皇の大原御幸の話を中心に据え、平清盛の娘で安徳天皇の生母であった建礼門院平徳子の晩年の話を前後に配して一巻となし、これを本篇十二巻の枠外に置き、灌頂巻と名づけ秘曲として伝えようとしたもので、最も流布している本文である(『日本古典文学大系』三二・三三、『日本古典文学全集』二九・三〇など)。一方流の語り手は、「―一」の名をもつ。これに対して、今までどおりの本文を語っていこうとしたのが八坂流で、京の八坂に住んでいた城玄(城元)検校の流れを汲むゆえに八坂流といわれ、また語り手が「城―」と名乗ったため城方流ともいわれた(『屋代本平家物語』、『校定百二十句本平家物語』、『平家物語中院本と研究』(『未刊国文資料』八・九・一一・一二)など)。当道座に属し『平家物語』を語った琵琶法師は、南北朝―室町時代前半には五、六百人もいたといわれ(『碧山日録』)、『平家物語』の本文に節をつけて琵琶法師が語る平曲は、中世を代表する文芸であった。
〔読み本系の諸本〕
これら当道座内に伝来した本文に対し、今日、略本系・広本系とよばれている本文がある。前者は、四部合戦状本(『四部合戦状本平家物語』)、源平闘諍録本(『源平闘諍録と研究』(『未刊国文資料』二期一四))、南都本(『南都本南都異本平家物語』(影印))などであり、相互に異同があるが、一括して分類されている。この略本系に較べ、後者は、より広範囲の記述を含んでいるゆえに広本系とよばれるが、延慶本(『応永書写延慶本平家物語』)、長門本(『平家物語長門本』、『岡山大学本平家物語』)や『新定源平盛衰記』(新人物往来社)がある。当道座系統の本文が、京都ないしは貴族社会から生まれたものと思われるのに対して、これらの略本系・広本系の本文は、源頼朝の挙兵以降の記述などに、その真偽の判定はしばらく措くとしても、東国すなわち武家社会から得たと思われる資料をもとにしている部分が多くみられる。しかも、これらには琵琶法師が語るには適さないような文体と思われる部分が多いので、読物として扱われてきたものとされている。なお広本系の三本は、同一の祖本から派生した近い関係にある本文である。
〔成立年代〕
これら諸本のうち、どの本が原『平家物語』に近いかについては、前後関係を推測する説は数多いが、本文系統が確立していないため、定かではない。このような状況であるから、内部徴証によって成立時代を決めようとしても、はたしてその部分が原『平家物語』の本文であるかどうか、簡単には決定しにくい。諸本のなかでは、延慶本が延慶三年(一三一〇)書写の本奥書を有していて、確実な最古の書写年代を示す本であるが、仁治元年(一二四〇)の園城寺僧頼舜の書状(東山御文庫本『兵範記』紙背文書)にみえる「治承物語六巻号平家」は、おそらく『平家物語』の存在を外部から示した最古の言及であろう(『治承物語』と書名扱いにするか、「治承年間の物語」と読むかは不明)。したがって、この仁治元年以前に成立年代を置き、以降、それぞれに増補されたと考えられているが、さらにさかのぼって承久年間(一二一九―二二)以前の成立として考えようとする人々もいる。
〔作者・素材〕
作者としては、信濃前司藤原行長が天台座主慈円の庇護下に琵琶法師生仏の協力を得て作ったとする説(『徒然草』)が、幾つかの状況証拠にも支えられて有力ではあるが、確証は得られない。作者はどのような材料を使って叙述したかという典拠論になるが、これも原『平家物語』の本文と増補部分の本文とが明確になっていないことが多いため、立場立場でそれぞれに考えるよりほか仕方がないが、このような場合には水戸藩が編輯した『参考源平盛衰記』(『(改定)史籍集覧』篇外三―五)が諸本の本文や平安時代末期・鎌倉時代初期の貴族の日記などを対比させているので便利である。近年、作者の座右に年代記が置かれていたに相違ないという考えから、その年代記がどのようなものであるかに関心が向けられているが、『愚管抄』における『簾中抄』帝王御次第などのように、最略の年代記を使ってでも、抄節という古来伝統的に受け継いできた技術を以てすれば、大部の書物を完成できるのではないか、との指摘もある。なお、諸本については、主な翻刻のみを掲げた。
[参考文献]
『平家物語』(『増補国語国文学研究史大成』九)、市古貞次編『平家物語研究事典』
(益田 宗)
西郷豊(@yutaka_saigoh)
昨日は終演後に
座長の公演を観劇。
パワーを貰ってきました。
木下半太×東映×特撮ヒーローの皆さん
「極楽牢屋敷」
かの半太さんの名作が
四谷怪談テイストの
朗読劇に生まれ変わって。
名優の皆様の手により
更なる名作へと進化、深化を遂げておられました。
木下半太版四谷怪談。
怖くて、でも笑えて、泣ける。
ゴウシ君の音楽も、松尾さん、じゅんいちさん鉄板コンビの音響×照明も最高。
素敵な時間をありがとうございました✨
8/20(日)まで。
サンシャイン劇場
是非ご覧になってください。
写真は久々に集結できた画角目一杯の我々。
さあ今日も頑張るぞ☺️✨
#木下半太
#極楽牢屋敷
#渋谷ニコルソンズ
#東映
#朗読劇
#特撮
#特撮ヒーロー
#極楽プリズン
#西崎ゴウシ
昨日は終演後に
座長の公演を観劇。
パワーを貰ってきました。
木下半太×東映×特撮ヒーローの皆さん
「極楽牢屋敷」
かの半太さんの名作が
四谷怪談テイストの
朗読劇に生まれ変わって。
名優の皆様の手により
更なる名作へと進化、深化を遂げておられました。
木下半太版四谷怪談。
怖くて、でも笑えて、泣ける。
ゴウシ君の音楽も、松尾さん、じゅんいちさん鉄板コンビの音響×照明も最高。
素敵な時間をありがとうございました✨
8/20(日)まで。
サンシャイン劇場
是非ご覧になってください。
写真は久々に集結できた画角目一杯の我々。
さあ今日も頑張るぞ☺️✨
#木下半太
#極楽牢屋敷
#渋谷ニコルソンズ
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