#FANTASTICS[超话]#
作詞家・小竹正人の自宅を襲った「FANTASTICS怪盗団」とは?
https://t.cn/A6j6DbfD
さまざまな経験、体験をしてきた作詞家の小竹正人さんの連載がGINGER WEBでスタート。豊富なキャリアを通して、今だからわかったこと、気付いたこと、そして身の回りに起きた出来事をGINGER WEBだけに綴っていきます。【連載/小竹正人の『泥の舟を漕いできました』】
「FANTASTICS怪盗団」
なんか嫌な予感はしていたのである。
ある夜。EXILE HIRO氏とFANTASTICS from EXILE TRIBEのメンバーが食事会をしていた。私も誘ってもらったのだが、他に用事があり、その場に一瞬(10分ほど)だけ顔を出し、その一瞬で面白おかしい毒を吐きまくって(私はかなりの毒舌です)笑いを誘い、「それではみなさん、ごきげんよう」と、風のように去った。
それから私用を済ませ、帰宅して部屋着(とても人前には出られない毛玉だらけのスエットパンツにヨレヨレのパーカー)に着替えて人間スイッチOFF。
さて『脱出おひとり島』(韓国の恋愛バラエティー番組)の最終エピソードを観ようと、テレビの前に座った瞬間、ピンポ~ンと我が家のインターフォンが鳴った。夜の10時近くである。
ここ数年、私は早寝早起きで、こんな時間に誰かがいきなり自宅に来訪するなんてこと皆無。不審に思いながらもドアののぞき穴から外の様子をうかがうと、ニコニコ笑う佐藤大樹の顔が。そして、私がドアを少しだけ開けた瞬間、ものすごい力でドアを大きく開かれた。そこには大樹だけではなく、世界、澤本夏輝、堀夏喜、木村慧人までいるではないか。
「HIROさんが、『おだちゃんがきっとさみしがってるよ』って言ってたから来ました!」と、全く悪びれることなくとんちんかんなことを言う面々。
声を大にして言いたいが、私はどんな時間よりひとり時間が好きだ。さみしいとか人恋しいとか、そんな感情は遠い昔に葬った。しかも、こいつらは会食終わりで全員ほろ酔い、いたずらっ子のような顔をして笑っている。
私が「帰ってよ!」と、いきなり部屋に来た未練がましい元カレを追い払う女みたいな大げさな口ぶりで言ったのに、やつらは「ちょっとだけ~、ちょっとだけ~」と合唱しながら入ってきやがった。渾身の力で全員をドアの外に押し出そうとするが、なんせ1対5(しかもそのうち3名は私より高身長)、あれよあれよ、全員が我が家の玄関にすし詰め状態。ああっ。
しかし、根がスーパー優しい私。我が家に入ったことを明らかに喜んでいる5人の顔を見たら、なんだかこのまま追い払うのがかわいそうになった。
「あっ、なっちゃん(堀夏喜)、このスニーカー欲しいって言ってたよね」と、以前、私が履いていたスニーカーを彼が欲しがっていたことを思い出したので、シューズインクローゼットのドアを開けた。そして、そのスニーカーをなっちゃんにあげた。
そこからがカオスであった。ひょこ、ひょこ、ひょこ、ひょこ、ひょこ、っと、シューズインクローゼット中を覗き込む5人のひょっこりはん。口々に「うわあ、すごい靴の数!」と言っている。
昔から靴が大好きな私は、好みのスニーカーやサンダルを見つけると履きもしないのにそれを買ってしまう悪癖がある。よって、いつの間にか私のシューズインクローゼットは箱に入ったままのスニーカーやサンダルでテトリスがごとく埋め尽くされていて、見るたびに「どうしよう」と思っていた。
奇しくも、「2024年は何もかも断捨離!」と心に誓ったばかりだったので、ここぞとばかりに靴箱を次々に玄関に出し、スニーカーやサンダル(ほとんどが新品、計20足くらい)をみんなにあげた。大体全員の好みを把握しているので、それぞれが好きそうなものを。ついでに着ていない(絶対に私には似合わない)新しい服なんかもあげ、5人全員が大荷物を持って私の家から出て行ってくれた。
ようやくひとりになって、ずいぶんとすっきりとしたシューズインクローゼット(最後に大樹がちゃんと片付けていってくれた)を見て、ふと思った。心に誓うだけで、全然やろうともしなかった断捨離を、思いがけず有言実行できて、結果よかったな・・・と。
これが、「2024年FANTASTICS怪盗事件」の全貌である。
その後、5人全員が「いきなり行ってすみませんでした。思いがけない大きなお年玉をありがとうございます」的なメッセージを送ってきて、次の日に早い時間から仕事があって怪盗団に参加できなかった八木勇征は「僕も行きたかったあ」と悔しがっていて、「ああ、やっぱりFANTASTICSが大好きだなあ」と思った私って・・・・・・本当に世界一のお人好しじゃないですか?
What I saw~今月のオフショット
八木勇征と中島颯太。今回のFANTASTICS怪盗団には加わらなかった2人ですが、次回お待ちしております。是非とも押しかけ断捨離(第2弾)にいらっしゃいませ。
作詞家・小竹正人の自宅を襲った「FANTASTICS怪盗団」とは?
https://t.cn/A6j6DbfD
さまざまな経験、体験をしてきた作詞家の小竹正人さんの連載がGINGER WEBでスタート。豊富なキャリアを通して、今だからわかったこと、気付いたこと、そして身の回りに起きた出来事をGINGER WEBだけに綴っていきます。【連載/小竹正人の『泥の舟を漕いできました』】
「FANTASTICS怪盗団」
なんか嫌な予感はしていたのである。
ある夜。EXILE HIRO氏とFANTASTICS from EXILE TRIBEのメンバーが食事会をしていた。私も誘ってもらったのだが、他に用事があり、その場に一瞬(10分ほど)だけ顔を出し、その一瞬で面白おかしい毒を吐きまくって(私はかなりの毒舌です)笑いを誘い、「それではみなさん、ごきげんよう」と、風のように去った。
それから私用を済ませ、帰宅して部屋着(とても人前には出られない毛玉だらけのスエットパンツにヨレヨレのパーカー)に着替えて人間スイッチOFF。
さて『脱出おひとり島』(韓国の恋愛バラエティー番組)の最終エピソードを観ようと、テレビの前に座った瞬間、ピンポ~ンと我が家のインターフォンが鳴った。夜の10時近くである。
ここ数年、私は早寝早起きで、こんな時間に誰かがいきなり自宅に来訪するなんてこと皆無。不審に思いながらもドアののぞき穴から外の様子をうかがうと、ニコニコ笑う佐藤大樹の顔が。そして、私がドアを少しだけ開けた瞬間、ものすごい力でドアを大きく開かれた。そこには大樹だけではなく、世界、澤本夏輝、堀夏喜、木村慧人までいるではないか。
「HIROさんが、『おだちゃんがきっとさみしがってるよ』って言ってたから来ました!」と、全く悪びれることなくとんちんかんなことを言う面々。
声を大にして言いたいが、私はどんな時間よりひとり時間が好きだ。さみしいとか人恋しいとか、そんな感情は遠い昔に葬った。しかも、こいつらは会食終わりで全員ほろ酔い、いたずらっ子のような顔をして笑っている。
私が「帰ってよ!」と、いきなり部屋に来た未練がましい元カレを追い払う女みたいな大げさな口ぶりで言ったのに、やつらは「ちょっとだけ~、ちょっとだけ~」と合唱しながら入ってきやがった。渾身の力で全員をドアの外に押し出そうとするが、なんせ1対5(しかもそのうち3名は私より高身長)、あれよあれよ、全員が我が家の玄関にすし詰め状態。ああっ。
しかし、根がスーパー優しい私。我が家に入ったことを明らかに喜んでいる5人の顔を見たら、なんだかこのまま追い払うのがかわいそうになった。
「あっ、なっちゃん(堀夏喜)、このスニーカー欲しいって言ってたよね」と、以前、私が履いていたスニーカーを彼が欲しがっていたことを思い出したので、シューズインクローゼットのドアを開けた。そして、そのスニーカーをなっちゃんにあげた。
そこからがカオスであった。ひょこ、ひょこ、ひょこ、ひょこ、ひょこ、っと、シューズインクローゼット中を覗き込む5人のひょっこりはん。口々に「うわあ、すごい靴の数!」と言っている。
昔から靴が大好きな私は、好みのスニーカーやサンダルを見つけると履きもしないのにそれを買ってしまう悪癖がある。よって、いつの間にか私のシューズインクローゼットは箱に入ったままのスニーカーやサンダルでテトリスがごとく埋め尽くされていて、見るたびに「どうしよう」と思っていた。
奇しくも、「2024年は何もかも断捨離!」と心に誓ったばかりだったので、ここぞとばかりに靴箱を次々に玄関に出し、スニーカーやサンダル(ほとんどが新品、計20足くらい)をみんなにあげた。大体全員の好みを把握しているので、それぞれが好きそうなものを。ついでに着ていない(絶対に私には似合わない)新しい服なんかもあげ、5人全員が大荷物を持って私の家から出て行ってくれた。
ようやくひとりになって、ずいぶんとすっきりとしたシューズインクローゼット(最後に大樹がちゃんと片付けていってくれた)を見て、ふと思った。心に誓うだけで、全然やろうともしなかった断捨離を、思いがけず有言実行できて、結果よかったな・・・と。
これが、「2024年FANTASTICS怪盗事件」の全貌である。
その後、5人全員が「いきなり行ってすみませんでした。思いがけない大きなお年玉をありがとうございます」的なメッセージを送ってきて、次の日に早い時間から仕事があって怪盗団に参加できなかった八木勇征は「僕も行きたかったあ」と悔しがっていて、「ああ、やっぱりFANTASTICSが大好きだなあ」と思った私って・・・・・・本当に世界一のお人好しじゃないですか?
What I saw~今月のオフショット
八木勇征と中島颯太。今回のFANTASTICS怪盗団には加わらなかった2人ですが、次回お待ちしております。是非とも押しかけ断捨離(第2弾)にいらっしゃいませ。
能登半島地震の復旧・復興に向けた政府の支援策まとまる
2024年1月25日 18時55分
能登半島地震の復旧・復興に向けた政府の支援策がまとまり、木造の仮設住宅も活用した住まいの確保策や、中小企業の施設復旧にかかる費用の補助制度などが盛り込まれました。また観光支援として、観光客の宿泊代の一部を補助する「北陸応援割」を実施するとしています。
25日開かれた政府の対策本部でまとめられた支援パッケージでは
▽生活再建に向けて、半壊以上の家屋を解体する際の費用の自己負担を、特例でゼロにするとともに
▽最大300万円の被災者生活再建支援金を迅速に支給するなどとしています。
また
▽従来のプレハブの仮設住宅だけでなく、比較的、耐用年数が長い木造の仮設住宅も建設するなどし、被災者のニーズに応じた住まいの確保策を講じていくとしています。
▽なりわい支援では、中小企業の工場などの復旧費用を、15億円を上限に4分の3まで補助するのに加え、ここ数年で被災し、今回も再び被害にあった事業者には、追加の支援を行うほか
▽農業用機械や漁船などの復旧も後押しするとしています。
このほか
▽「輪島塗」を含めた伝統産業の立て直しに向けて、必要な道具や原材料の確保を支援していくことも盛り込まれました。
さらに
▽観光業を支えるため、被災地周辺の北陸地域を対象に、早ければ3月以降、1泊2万円を上限に、国が観光客の宿泊代の半額を補助する「北陸応援割」を実施し、能登地方でも復旧・復興の状況を見つつ、より手厚い支援策を検討するとしています。
政府は今年度予算や新年度予算案の予備費を活用し、一連の支援策を実行に移していく方針です。
「半壊」以上の家屋の解体費支援
今回の地震では、「半壊」以上の被害を受けた家屋について、解体にかかる費用を国や市町村が全額負担します。
災害で家屋が被害を受けた場合、自治体が発行するり災証明書で「全壊」と認められると、解体費用の全額を国や市町村が負担することになっています。
これについて、政府が、能登半島地震を「特定非常災害」に指定したことから、今回は、り災証明書で「大規模半壊」と「中規模半壊」それに「半壊」とされた場合も特例的に国や市町村が全額を負担することにしています。
同様の措置は、2016年の熊本地震や、2019年の東日本台風でもとられています。
仮設住宅の建設費負担
被災者の住宅の確保に向けて石川県は、従来のプレハブの仮設住宅に加えて、木造の仮設住宅も建設する方針を示していて、国も財政的に支援する方針です。
プレハブの仮設住宅は5週間程度の工期で完成することから、避難生活の早期の解消につながりますが、将来的には撤去するため、被災者は、いずれは転居する必要があります。
このため石川県は、入居者が希望すれば住み続けることができる木造の仮設住宅も整備する計画です。
木造の仮設住宅は2つのタイプを整備する予定でこのうち、
▽長屋タイプのものは、市街地や近郊の空き地に1か所当たり10戸から50戸ほどを建設します。
工期は2か月程度と見込まれています。
一方、
▽戸建てのタイプのものは、もとからある集落内の空き地などに建設され、今は離れた場所に避難している被災者がふるさとに帰ることができるようにするねらいがあります。
仮設住宅は、ことし3月末までに合わせておよそ3000戸が着工される計画で、国も財政的に支援する方針です。
北陸地方の観光業支援 「北陸応援割」実施など
政府は、北陸地方の観光業を支援するため、国が観光客の宿泊料金を補助する「北陸応援割」を実施します。
早ければ3月以降、▽石川県、▽福井県、▽富山県、それに▽新潟県の4県を訪れる観光客の宿泊料金の半額を、1人1泊当たり2万円を上限に補助します。
地震による被害が特に大きかった、石川県の能登地方については、
▽復興の状況を見ながら、より手厚い、旅行需要の喚起策を検討するほか、
▽地震で被害を受けた観光拠点や観光資源の復旧計画の策定や実行を支援します。
このほか、地震の影響で被災地周辺の観光地で宿泊施設のキャンセルが相次いでいることを踏まえ、来月から3月にかけて交通機関や観光地の現状に関する情報発信を重点的に行うほか、3月の北陸新幹線の金沢・敦賀間の開業にあわせた観光プロモーションも実施するなど、観光客の誘致を進めるとしています。
被災の中小・零細企業を支援へ 「なりわい補助金」適用
政府は、被災した中小・零細企業を支援するため、工場などの建物や設備を復旧する費用のうち、最大で4分の3を補助する「なりわい補助金」を適用します。
上限額は、▽石川県で15億円、▽富山県、福井県、新潟県は3億円です。
さらに、ここ数年で被災し、今回も再び被害にあった事業者には、全額となる場合も含めて、復旧費用の一定額を補助することにしていて、上限額は、▽石川県は5億円、▽富山県、福井県、新潟県は1億円となっています。
また、小規模事業者を対象とした「持続化補助金」の上限額をこれまでの50万円から4倍の200万円に引き上げ、展示会への出展や、新商品開発のための設備投資など販路開拓に向けた取り組みを支援します。
さらに、被災した商店街のアーケードや街路灯などの復旧費用を最大で4分の3補助するほか、にぎわいを取り戻すための復興イベントなどにかかる費用を最大100万円補助します。
このほか、深刻な被害を受けた輪島塗など、伝統産業の再建に向けては、はけや漆などの道具や原材料の確保に必要な費用を最大で4分の3を補助するとしていて、上限額は1000万円です。
また、資金繰りの支援としては、
▽コロナ禍で実施された、実質無利子・無担保の「ゼロゼロ融資」など、融資の返済計画を変更する際に発生する保証料を免除するほか
▽返済順位が低いことで資本と見なせる「劣後ローン」の金利優遇などを実施するということです。
農林水産業も 被災した生産者支援へ
政府は農林水産業の分野でも被災した生産者への支援策をまとめました。
このうち、農業や林業では
▽被害を受けた農業用機械や農業用ハウス、畜舎、それに木材加工施設などの再建や修繕にかかる費用の半額を補助します。
また、
▽種苗などの資材の調達や繁殖用の牛や豚を再度、購入するのに必要な費用も半額を補助します。
水産業では、
▽津波で被害を受けた漁業者の操業再開に向けて、漁業協同組合などが漁船や定置網を購入する費用を県とともに3分の2以上補助します。
さらに、輪島市や珠洲市の広い範囲で地盤が隆起して海底が露出するなどして使えなくなっている漁港については、被害の実態を調査する費用を盛り込むとともに、地元の自治体が復旧に向けた方針を策定するのを支援します。
さらに、工事を国が代行する制度も活用できるようにするということです。
このほか、生産者の資金繰りを支援するため、災害関連資金の融資制度で、貸し付けから5年間、実質無利子にするとしています。
岸田総理大臣は記者会見で「先が見えないという不安に応えるとともに、被災された方々が再び住み慣れた土地に戻ってこられるよう、そして一日も早く元の平穏な生活を取り戻せるよう、政府として全力で支援していく」と述べました。
そのうえで「施策の実行に必要な財政措置については令和5年度と6年度の予備費を活用し、復旧・復興の段階に合わせ、数次にわたり機動的、弾力的に手当てする。被災地、被災者の立場に立って、できることはすべてやるという決意で被災者の生活となりわいの再建支援に全力で取り組む」と述べました。
首相「今回にとどまらず中長期的に支えていく」
岸田総理大臣は記者会見で「今回の災害では広範囲にわたる建物の損壊や道路の寸断、ライフラインの途絶のほか、輪島の朝市の消失など地域社会や経済に大きな被害が生じている。能登の復旧・復興のためにやるべきことは山積しており、今回の支援パッケージの策定にとどまらず中長期的に支えていく」と述べました。
2024年1月25日 18時55分
能登半島地震の復旧・復興に向けた政府の支援策がまとまり、木造の仮設住宅も活用した住まいの確保策や、中小企業の施設復旧にかかる費用の補助制度などが盛り込まれました。また観光支援として、観光客の宿泊代の一部を補助する「北陸応援割」を実施するとしています。
25日開かれた政府の対策本部でまとめられた支援パッケージでは
▽生活再建に向けて、半壊以上の家屋を解体する際の費用の自己負担を、特例でゼロにするとともに
▽最大300万円の被災者生活再建支援金を迅速に支給するなどとしています。
また
▽従来のプレハブの仮設住宅だけでなく、比較的、耐用年数が長い木造の仮設住宅も建設するなどし、被災者のニーズに応じた住まいの確保策を講じていくとしています。
▽なりわい支援では、中小企業の工場などの復旧費用を、15億円を上限に4分の3まで補助するのに加え、ここ数年で被災し、今回も再び被害にあった事業者には、追加の支援を行うほか
▽農業用機械や漁船などの復旧も後押しするとしています。
このほか
▽「輪島塗」を含めた伝統産業の立て直しに向けて、必要な道具や原材料の確保を支援していくことも盛り込まれました。
さらに
▽観光業を支えるため、被災地周辺の北陸地域を対象に、早ければ3月以降、1泊2万円を上限に、国が観光客の宿泊代の半額を補助する「北陸応援割」を実施し、能登地方でも復旧・復興の状況を見つつ、より手厚い支援策を検討するとしています。
政府は今年度予算や新年度予算案の予備費を活用し、一連の支援策を実行に移していく方針です。
「半壊」以上の家屋の解体費支援
今回の地震では、「半壊」以上の被害を受けた家屋について、解体にかかる費用を国や市町村が全額負担します。
災害で家屋が被害を受けた場合、自治体が発行するり災証明書で「全壊」と認められると、解体費用の全額を国や市町村が負担することになっています。
これについて、政府が、能登半島地震を「特定非常災害」に指定したことから、今回は、り災証明書で「大規模半壊」と「中規模半壊」それに「半壊」とされた場合も特例的に国や市町村が全額を負担することにしています。
同様の措置は、2016年の熊本地震や、2019年の東日本台風でもとられています。
仮設住宅の建設費負担
被災者の住宅の確保に向けて石川県は、従来のプレハブの仮設住宅に加えて、木造の仮設住宅も建設する方針を示していて、国も財政的に支援する方針です。
プレハブの仮設住宅は5週間程度の工期で完成することから、避難生活の早期の解消につながりますが、将来的には撤去するため、被災者は、いずれは転居する必要があります。
このため石川県は、入居者が希望すれば住み続けることができる木造の仮設住宅も整備する計画です。
木造の仮設住宅は2つのタイプを整備する予定でこのうち、
▽長屋タイプのものは、市街地や近郊の空き地に1か所当たり10戸から50戸ほどを建設します。
工期は2か月程度と見込まれています。
一方、
▽戸建てのタイプのものは、もとからある集落内の空き地などに建設され、今は離れた場所に避難している被災者がふるさとに帰ることができるようにするねらいがあります。
仮設住宅は、ことし3月末までに合わせておよそ3000戸が着工される計画で、国も財政的に支援する方針です。
北陸地方の観光業支援 「北陸応援割」実施など
政府は、北陸地方の観光業を支援するため、国が観光客の宿泊料金を補助する「北陸応援割」を実施します。
早ければ3月以降、▽石川県、▽福井県、▽富山県、それに▽新潟県の4県を訪れる観光客の宿泊料金の半額を、1人1泊当たり2万円を上限に補助します。
地震による被害が特に大きかった、石川県の能登地方については、
▽復興の状況を見ながら、より手厚い、旅行需要の喚起策を検討するほか、
▽地震で被害を受けた観光拠点や観光資源の復旧計画の策定や実行を支援します。
このほか、地震の影響で被災地周辺の観光地で宿泊施設のキャンセルが相次いでいることを踏まえ、来月から3月にかけて交通機関や観光地の現状に関する情報発信を重点的に行うほか、3月の北陸新幹線の金沢・敦賀間の開業にあわせた観光プロモーションも実施するなど、観光客の誘致を進めるとしています。
被災の中小・零細企業を支援へ 「なりわい補助金」適用
政府は、被災した中小・零細企業を支援するため、工場などの建物や設備を復旧する費用のうち、最大で4分の3を補助する「なりわい補助金」を適用します。
上限額は、▽石川県で15億円、▽富山県、福井県、新潟県は3億円です。
さらに、ここ数年で被災し、今回も再び被害にあった事業者には、全額となる場合も含めて、復旧費用の一定額を補助することにしていて、上限額は、▽石川県は5億円、▽富山県、福井県、新潟県は1億円となっています。
また、小規模事業者を対象とした「持続化補助金」の上限額をこれまでの50万円から4倍の200万円に引き上げ、展示会への出展や、新商品開発のための設備投資など販路開拓に向けた取り組みを支援します。
さらに、被災した商店街のアーケードや街路灯などの復旧費用を最大で4分の3補助するほか、にぎわいを取り戻すための復興イベントなどにかかる費用を最大100万円補助します。
このほか、深刻な被害を受けた輪島塗など、伝統産業の再建に向けては、はけや漆などの道具や原材料の確保に必要な費用を最大で4分の3を補助するとしていて、上限額は1000万円です。
また、資金繰りの支援としては、
▽コロナ禍で実施された、実質無利子・無担保の「ゼロゼロ融資」など、融資の返済計画を変更する際に発生する保証料を免除するほか
▽返済順位が低いことで資本と見なせる「劣後ローン」の金利優遇などを実施するということです。
農林水産業も 被災した生産者支援へ
政府は農林水産業の分野でも被災した生産者への支援策をまとめました。
このうち、農業や林業では
▽被害を受けた農業用機械や農業用ハウス、畜舎、それに木材加工施設などの再建や修繕にかかる費用の半額を補助します。
また、
▽種苗などの資材の調達や繁殖用の牛や豚を再度、購入するのに必要な費用も半額を補助します。
水産業では、
▽津波で被害を受けた漁業者の操業再開に向けて、漁業協同組合などが漁船や定置網を購入する費用を県とともに3分の2以上補助します。
さらに、輪島市や珠洲市の広い範囲で地盤が隆起して海底が露出するなどして使えなくなっている漁港については、被害の実態を調査する費用を盛り込むとともに、地元の自治体が復旧に向けた方針を策定するのを支援します。
さらに、工事を国が代行する制度も活用できるようにするということです。
このほか、生産者の資金繰りを支援するため、災害関連資金の融資制度で、貸し付けから5年間、実質無利子にするとしています。
岸田総理大臣は記者会見で「先が見えないという不安に応えるとともに、被災された方々が再び住み慣れた土地に戻ってこられるよう、そして一日も早く元の平穏な生活を取り戻せるよう、政府として全力で支援していく」と述べました。
そのうえで「施策の実行に必要な財政措置については令和5年度と6年度の予備費を活用し、復旧・復興の段階に合わせ、数次にわたり機動的、弾力的に手当てする。被災地、被災者の立場に立って、できることはすべてやるという決意で被災者の生活となりわいの再建支援に全力で取り組む」と述べました。
首相「今回にとどまらず中長期的に支えていく」
岸田総理大臣は記者会見で「今回の災害では広範囲にわたる建物の損壊や道路の寸断、ライフラインの途絶のほか、輪島の朝市の消失など地域社会や経済に大きな被害が生じている。能登の復旧・復興のためにやるべきことは山積しており、今回の支援パッケージの策定にとどまらず中長期的に支えていく」と述べました。
イエローストーン国立公園
イエローストーン地区は北アメリカ大陸最大の火山地帯である。2015年現在、数百カ所から熱水を噴き上げている[2]。2014年には、1900回以上の地震を記録した。イエローストーン火山の根源となるホットスポットは地殻に固定されているが、イエローストーン国立公園を乗せた北アメリカプレートは南西方向に1年間に約4センチメートル移動しているので、イエローストーンの南西方向にはプレートの動きに平行して多くの噴火口跡が存在する。最古の噴火口は1800万年前のものである。イエローストーン国立公園では1890年以来、温泉や間欠泉で大火傷を負うなどして少なくとも22人が死亡している。
火山活動の歴史
巨大カルデラの形成を伴う超巨大な噴火が約210万年前、約130万年前、約64万年前の計3回起きたことが知られる。最後のカルデラ噴火は64万年前であるが、その噴火は比較的小さな噴火であったにも拘らず、セント・ヘレンズ山の1980年の噴火の1000倍の溶岩が噴出し、火山灰の地層はメキシコ湾に達する範囲で観察されている。直径60キロメートルの火口が形成され、1500キロメートル離れた場所でも3メートルの火山灰が堆積し、現在のアメリカ合衆国の面積の半分を覆ったとされる。210万年前の噴火では、ギャラティン山脈(英語版)の南側長さ80キロメートルの部分が吹き飛び、噴火後はカルデラ内の平地となった。それ以外にも小規模な噴火は約7万年前まで続いたが、その後は噴火は起きていない。
近年の火山活動
アメリカ地質調査所は、2004-2006年にかけてイエローストーン公園の東西80キロメートル南北30キロメートルの範囲で地盤が最大12センチメートル上昇したことを報告している。これはそれまで観察されなかった現象で、その後も地盤の上昇が継続している。アメリカ地方紙デンバーポストは、米国地質監査局のリーズ地質科学者が、1999年にイエローストーン公園内の湖の底で高さ30メートル以上、長さ700メートルの巨大な隆起を発見したと伝えている。ノリス間欠泉地帯は、最も人気がある観光スポットだったが、地面の温度が100度を超えた地点が出たり、新しい間欠泉が出現し、遊歩道まで熱泥が溢れ出したため、2003年に立ち入り禁止となった。
2015年に発表されたユタ大学の過去45000回の地震を解析した研究では、イエローストーンの地下20キロメートルから50キロメートルまでに、東西80キロメートル南北40キロメートル(容積は約4.6万立方キロメートル)の世界最大のマグマだまりがあるとされ、ホットプルームからのマグマの供給を受けている。そのマグマだまりに貯蔵されたマグマは、カルデラ直下にある別のマグマだまり(1万立方キロメートル)に入る。これらの推定は、研究者がそれまで知られていたものよりも深い場所にあるマグマだまりに原因があると考えていた、イエローストーンから毎日放出されていた45トンもの二酸化炭素の説明において重要である。
今後予想される噴火
イエローストーンは60-70万年前毎の周期で巨大噴火を起こしており、前回の巨大噴火より既に60万年が経過しているので、いずれ近いうち(近いといっても地質学的時間スケールであって数千年から数万年)に巨大噴火が起こることが予想されている。噴火の規模は最悪ピナトゥボ山の噴火(1991年)の100倍以上の規模になるとされる。 ユタ大学イエローストーン火山観測所のボブ・スミス所長によれば、超巨大噴火が起きた場合、イエローストーン国立公園は完全に消えてなくなるという。イギリスの科学者によるシミュレーションでは、もし破局噴火が起きた場合、3-4日内に大量の火山灰がヨーロッパ大陸に着き、米国の75%の土地の環境が変わり、火山から半径1000キロメートル以内に住む90%の人が火山灰で窒息死し、地球の年平均気温は最大10度下がり、その寒冷気候は6年から10年間続くとされている。
沿革
この地域と人との関りは1万2千年前にまで遡り、地域内の大峡谷周辺の鉄分を含む黄色い石の存在から、インディアン達に“Mitzi-a-dazi”(「黄色い石のある川」の意)として知られていた(黄色い色は一般に信じられている様に硫黄分の色ではなく、熱水作用によって変色した鉄分の色である)。
イエローストーン地区で産出される黒曜石は、一帯で狩猟していたインディアン達によって石鏃やナイフとして利用されていた。それらは遠くミシシッピ川周辺でも発見されており、イエローストーン周辺で生活していた部族と、はるか東方の部族との交易を示唆する物とされている。
1806年にルイス・アンド・クラーク探検隊を離れて猟師達に加わった元隊員のジョン・コルター(英語版)が、非インディアンとして初めてこの地域を訪れたとされている。その後、クロウ族とブラックフット族の戦いに巻き込まれて負った重傷の床で、彼はこの地を「火と硫黄」の地であると述懐した。しかしこの記述は熱に冒されていたためのうわごとだと捉えられ、人々はその土地の事を「コルターの地獄」と呼んだ。
1857年にイエローストーン地区を探検したジム・ブリッジャーは沸騰する泉や空高く飛び出す水、ガラスや黄色い石で出来た山の事を人々に話したが、ブリッジャーは法螺吹きとして通っていた為にほとんど信じてもらえなかった。しかし彼の話に興味を持った探険家兼地質学者のフェルディナンド・ヴァンデヴィア・ヘイデン(en:F.V.Hayden)は、1859年にブリッジャーとアメリカ陸軍測量官のレイノルズを伴って2年の予定でミズーリ川上流の測量の旅に出かけた。一行はイエローストーン地区の入り口まで達したが、豪雪のために先に進めなかった。更に南北戦争のために探検は中止を余儀なくされ、ヘイデンが探検を再開するのは11年後になる。
モンタナ州測量長官ヘンリー・ウォシュバーン(英語版)率いる探検隊は、後にイエローストーン国立公園初代管理官となったナサニエル・ラングフォード(英語版)や陸軍派遣隊司令官グスタフ・ドーンと共に1870年に1ヶ月間イエローストーン地区を探検。地域の山などを名付け、標本を持ち帰った。
1871年、ヘイデンは政府支援により大規模な2度目の探検隊を率いてイエローストーン地区に赴いた。ヘイデンはイエローストーンの総括報告書をまとめ、その中にはウィリアム・ヘンリー・ジャクソン(英語版)による写真や、トーマス・モランによる絵が含まれていた。このレポートによって議会はイエローストーン地区をオークションにかけて売却する案を変更し、1872年3月1日にユリシーズ・グラント大統領はイエローストーン国立公園を設立する法案に署名した。
1872年に世界で最初の国立公園として指定される。1976年にユネスコの生物圏保護区に(グランドティトン地域と共同)、1978年に世界遺産に登録された。
隣接する保留地(Reservation)を持つショーショーニー族、バンノック族(英語版)などは、伝統文化としてのバッファロー狩りを19世紀末に合衆国政府から禁止されてきたが、長年の要求運動によって1990年代に狩猟権を回復し、現在、イエローストーン内でのバッファロー狩りを年に数度行っている。
20世紀前半に平原オオカミが白人牧場主による組織的な駆除によって絶滅し、公園内の生態系のバランスが崩れていたが、周辺のインディアン部族の粘り強い復活請願が実り、1995年より人間の手で生態系への再導入が行われ、生態系の再構築に成功した。この再導入は違法であるという判決が一時下されたものの、控訴審でその判決が覆された。ネ・ペルセ族が要請を受け、オオカミの管理育成にあたっている。
イエローストーン地区は北アメリカ大陸最大の火山地帯である。2015年現在、数百カ所から熱水を噴き上げている[2]。2014年には、1900回以上の地震を記録した。イエローストーン火山の根源となるホットスポットは地殻に固定されているが、イエローストーン国立公園を乗せた北アメリカプレートは南西方向に1年間に約4センチメートル移動しているので、イエローストーンの南西方向にはプレートの動きに平行して多くの噴火口跡が存在する。最古の噴火口は1800万年前のものである。イエローストーン国立公園では1890年以来、温泉や間欠泉で大火傷を負うなどして少なくとも22人が死亡している。
火山活動の歴史
巨大カルデラの形成を伴う超巨大な噴火が約210万年前、約130万年前、約64万年前の計3回起きたことが知られる。最後のカルデラ噴火は64万年前であるが、その噴火は比較的小さな噴火であったにも拘らず、セント・ヘレンズ山の1980年の噴火の1000倍の溶岩が噴出し、火山灰の地層はメキシコ湾に達する範囲で観察されている。直径60キロメートルの火口が形成され、1500キロメートル離れた場所でも3メートルの火山灰が堆積し、現在のアメリカ合衆国の面積の半分を覆ったとされる。210万年前の噴火では、ギャラティン山脈(英語版)の南側長さ80キロメートルの部分が吹き飛び、噴火後はカルデラ内の平地となった。それ以外にも小規模な噴火は約7万年前まで続いたが、その後は噴火は起きていない。
近年の火山活動
アメリカ地質調査所は、2004-2006年にかけてイエローストーン公園の東西80キロメートル南北30キロメートルの範囲で地盤が最大12センチメートル上昇したことを報告している。これはそれまで観察されなかった現象で、その後も地盤の上昇が継続している。アメリカ地方紙デンバーポストは、米国地質監査局のリーズ地質科学者が、1999年にイエローストーン公園内の湖の底で高さ30メートル以上、長さ700メートルの巨大な隆起を発見したと伝えている。ノリス間欠泉地帯は、最も人気がある観光スポットだったが、地面の温度が100度を超えた地点が出たり、新しい間欠泉が出現し、遊歩道まで熱泥が溢れ出したため、2003年に立ち入り禁止となった。
2015年に発表されたユタ大学の過去45000回の地震を解析した研究では、イエローストーンの地下20キロメートルから50キロメートルまでに、東西80キロメートル南北40キロメートル(容積は約4.6万立方キロメートル)の世界最大のマグマだまりがあるとされ、ホットプルームからのマグマの供給を受けている。そのマグマだまりに貯蔵されたマグマは、カルデラ直下にある別のマグマだまり(1万立方キロメートル)に入る。これらの推定は、研究者がそれまで知られていたものよりも深い場所にあるマグマだまりに原因があると考えていた、イエローストーンから毎日放出されていた45トンもの二酸化炭素の説明において重要である。
今後予想される噴火
イエローストーンは60-70万年前毎の周期で巨大噴火を起こしており、前回の巨大噴火より既に60万年が経過しているので、いずれ近いうち(近いといっても地質学的時間スケールであって数千年から数万年)に巨大噴火が起こることが予想されている。噴火の規模は最悪ピナトゥボ山の噴火(1991年)の100倍以上の規模になるとされる。 ユタ大学イエローストーン火山観測所のボブ・スミス所長によれば、超巨大噴火が起きた場合、イエローストーン国立公園は完全に消えてなくなるという。イギリスの科学者によるシミュレーションでは、もし破局噴火が起きた場合、3-4日内に大量の火山灰がヨーロッパ大陸に着き、米国の75%の土地の環境が変わり、火山から半径1000キロメートル以内に住む90%の人が火山灰で窒息死し、地球の年平均気温は最大10度下がり、その寒冷気候は6年から10年間続くとされている。
沿革
この地域と人との関りは1万2千年前にまで遡り、地域内の大峡谷周辺の鉄分を含む黄色い石の存在から、インディアン達に“Mitzi-a-dazi”(「黄色い石のある川」の意)として知られていた(黄色い色は一般に信じられている様に硫黄分の色ではなく、熱水作用によって変色した鉄分の色である)。
イエローストーン地区で産出される黒曜石は、一帯で狩猟していたインディアン達によって石鏃やナイフとして利用されていた。それらは遠くミシシッピ川周辺でも発見されており、イエローストーン周辺で生活していた部族と、はるか東方の部族との交易を示唆する物とされている。
1806年にルイス・アンド・クラーク探検隊を離れて猟師達に加わった元隊員のジョン・コルター(英語版)が、非インディアンとして初めてこの地域を訪れたとされている。その後、クロウ族とブラックフット族の戦いに巻き込まれて負った重傷の床で、彼はこの地を「火と硫黄」の地であると述懐した。しかしこの記述は熱に冒されていたためのうわごとだと捉えられ、人々はその土地の事を「コルターの地獄」と呼んだ。
1857年にイエローストーン地区を探検したジム・ブリッジャーは沸騰する泉や空高く飛び出す水、ガラスや黄色い石で出来た山の事を人々に話したが、ブリッジャーは法螺吹きとして通っていた為にほとんど信じてもらえなかった。しかし彼の話に興味を持った探険家兼地質学者のフェルディナンド・ヴァンデヴィア・ヘイデン(en:F.V.Hayden)は、1859年にブリッジャーとアメリカ陸軍測量官のレイノルズを伴って2年の予定でミズーリ川上流の測量の旅に出かけた。一行はイエローストーン地区の入り口まで達したが、豪雪のために先に進めなかった。更に南北戦争のために探検は中止を余儀なくされ、ヘイデンが探検を再開するのは11年後になる。
モンタナ州測量長官ヘンリー・ウォシュバーン(英語版)率いる探検隊は、後にイエローストーン国立公園初代管理官となったナサニエル・ラングフォード(英語版)や陸軍派遣隊司令官グスタフ・ドーンと共に1870年に1ヶ月間イエローストーン地区を探検。地域の山などを名付け、標本を持ち帰った。
1871年、ヘイデンは政府支援により大規模な2度目の探検隊を率いてイエローストーン地区に赴いた。ヘイデンはイエローストーンの総括報告書をまとめ、その中にはウィリアム・ヘンリー・ジャクソン(英語版)による写真や、トーマス・モランによる絵が含まれていた。このレポートによって議会はイエローストーン地区をオークションにかけて売却する案を変更し、1872年3月1日にユリシーズ・グラント大統領はイエローストーン国立公園を設立する法案に署名した。
1872年に世界で最初の国立公園として指定される。1976年にユネスコの生物圏保護区に(グランドティトン地域と共同)、1978年に世界遺産に登録された。
隣接する保留地(Reservation)を持つショーショーニー族、バンノック族(英語版)などは、伝統文化としてのバッファロー狩りを19世紀末に合衆国政府から禁止されてきたが、長年の要求運動によって1990年代に狩猟権を回復し、現在、イエローストーン内でのバッファロー狩りを年に数度行っている。
20世紀前半に平原オオカミが白人牧場主による組織的な駆除によって絶滅し、公園内の生態系のバランスが崩れていたが、周辺のインディアン部族の粘り強い復活請願が実り、1995年より人間の手で生態系への再導入が行われ、生態系の再構築に成功した。この再導入は違法であるという判決が一時下されたものの、控訴審でその判決が覆された。ネ・ペルセ族が要請を受け、オオカミの管理育成にあたっている。
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