今天来陪老公上班(bushi
RRR
老公这周的お芝居和上周完全不一样!一开始也没有一副苦大仇深的样子了
非常喜欢 爱看!!!!!
感觉这周比上周漂亮 不知道是不是错觉
总之今天特别特别可爱
party和青风的互动 一上来就有点不機嫌的感觉 偷偷喝酒被青风敲头 她还把嘴鼓起来 可爱死了
然后转身把酒咽下去再张大嘴给青风看意思我嘴里没有酒
还把スコーン放在酒杯上硬递给客人
今日ご機嫌なのね♪
剧的最后 琉璃要去拿武器pii从背后抱着抓住她手那里
今天琉璃先是比了一个给她一拳的手势
又假装要用手肘再给她来一下
笑死我了 可爱死了 然后后面一直往pii身上靠 pii就努力撑着
总之特别特别可爱
还有今天才发现
老公和太子的头发都是小卷毛且棕色诶
真的好像一对父子[可爱]
喜欢
今天又变回剧里也好漂亮好漂亮的老公了[可爱][可爱][可爱]
秀
感觉她今天真的超级开心テンション超级高
見てる側も楽しくなっちゃう[太开心]
发型和上周看的时候不太一样 上周前髪是那种比较ストレート固定在侧边的感觉
今天是比较经典的男役发型 有点弧度的那种 不太会形容 就像是花轮同学的发型但是把刘海的发梢固定在后面了 垂下来几根シケ
也很漂亮
总之秀每天都很漂亮
她每场每场都很好多人开心的互动 我也看的好开心
好想全部记住
但是比起努力抓住这些残片 更希望不要忘记这些开心幸福的心情[可怜]
不过还是想memo一些
backstafe
情敌出来她跑到后面到处乱窜的时候 今天各种甩头发耍帅決めポーズ 我要笑晕了!真的特别特别ドヤ(どこ向けに?) 特别可爱特别好笑
每天的アドリブ
♂️ 今日もよかったねスターえま
️ 今日は先輩のパーティーがあるそうで
♂️ おぉ〜スターこと
️ そうなんです!行きましょうかご一緒に
中詰め
最开始上手要上银桥那里 今天又是比P
kiwami也比了 kiwami比的比她比的好看[笑cry]
同期三个人那里 似乎没想好要干什么 然后pii跑到ari和hmr中间搂着两个人的腰来回晃 然后三个人一起晃结果pii跟hmr撞到头[允悲][允悲][允悲]
笑死我了
下客席前盆还在转那里 今天他用手在头上比了一个大圈 然后套住了那段一直在她旁边的一个脸很大的下级生男役(x
很可爱
キャバレー
一开始的时候舞空的耳饰掉了 pii马上下一个动作捡了起来 然后幕布升起她脱礼帽递给小娘役waiter的时候放进去 还跟小娘役指了一下帽子里面示意里面有东西
スマート過ぎで惚れてしまうわ
不知道是不是因为这个对应 后面跟舞空跳的那段 舞空笑的超级开心 她也笑得好开心 看到了平时没看过的氛围我也好开心
然后今天似乎坐了她目線の置き場的位置
as time goes by 主舞台跳完 继续唱歌那里 硬生生对上两次目线
こんなにはっきりオペラ越しに目あったのも中々ない
ドキッと
ドキドキドキドキドキドキ
妈呀老公[害羞][害羞][害羞]
finale的群舞
真的是
今日の天華くん気合い入ってるね!って感じ
とてもよかった。
言葉にならない
気合い入ってんな!って感じ!
そしていつものことだけど
她的每个姿势真的都特别特别的漂亮
剧里即使是印度人 单膝跪地的时候 腿也特别漂亮
最后站在台阶上摘墨镜那里 她一甩头把那几根湿了的シケ甩到脸上了
有些凌乱 但又恰到好处
特别特别特别美 特别特别色气 特别特别好看
像是黄昏下淋了雨靠在长沙发上的颓废青年
真的好像保存下来这个画面
エトワールも目あったような気がする
太子宝宝今天也很可爱[可爱]
サーカス那段的扮相我是真的不喜欢
但是マント捌きとてもお上手
きれいだった♡
本当に将来楽しみ[抱一抱]
太子宝宝在秀里真的是个宝宝
但是孩子不经意间 一眨眼的功夫就会长大
突然变成立派的男役
珍惜当下
今天边看边走神 在想果然还是因为お芝居爱上的老公
我看星组看秀的时候也非常轻微的喜欢过一些个小男役 就算坐很好的位置 也完全没有注意到过她 そういうことだと思う
然后咖啡灌多了看到一半还去了一下洗手间[汗]
没想到时间卡的刚刚好 老公下场我出去然后回来正好轮到他要上场 一秒钟都没耽误 莫名兴奋[笑cry]
想到前两天看电视剧 キヨシ因为没靠手机就找到純子那里特别兴奋 感觉是一种[笑cry]
最後に
为什么每次看完都会写这么长[汗][汗][汗]
感觉以前话也没多到这份儿上啊??????
おわり
追伸
加完班今天也不是今天了
老公今天见
晚安
RRR
老公这周的お芝居和上周完全不一样!一开始也没有一副苦大仇深的样子了
非常喜欢 爱看!!!!!
感觉这周比上周漂亮 不知道是不是错觉
总之今天特别特别可爱
party和青风的互动 一上来就有点不機嫌的感觉 偷偷喝酒被青风敲头 她还把嘴鼓起来 可爱死了
然后转身把酒咽下去再张大嘴给青风看意思我嘴里没有酒
还把スコーン放在酒杯上硬递给客人
今日ご機嫌なのね♪
剧的最后 琉璃要去拿武器pii从背后抱着抓住她手那里
今天琉璃先是比了一个给她一拳的手势
又假装要用手肘再给她来一下
笑死我了 可爱死了 然后后面一直往pii身上靠 pii就努力撑着
总之特别特别可爱
还有今天才发现
老公和太子的头发都是小卷毛且棕色诶
真的好像一对父子[可爱]
喜欢
今天又变回剧里也好漂亮好漂亮的老公了[可爱][可爱][可爱]
秀
感觉她今天真的超级开心テンション超级高
見てる側も楽しくなっちゃう[太开心]
发型和上周看的时候不太一样 上周前髪是那种比较ストレート固定在侧边的感觉
今天是比较经典的男役发型 有点弧度的那种 不太会形容 就像是花轮同学的发型但是把刘海的发梢固定在后面了 垂下来几根シケ
也很漂亮
总之秀每天都很漂亮
她每场每场都很好多人开心的互动 我也看的好开心
好想全部记住
但是比起努力抓住这些残片 更希望不要忘记这些开心幸福的心情[可怜]
不过还是想memo一些
backstafe
情敌出来她跑到后面到处乱窜的时候 今天各种甩头发耍帅決めポーズ 我要笑晕了!真的特别特别ドヤ(どこ向けに?) 特别可爱特别好笑
每天的アドリブ
♂️ 今日もよかったねスターえま
️ 今日は先輩のパーティーがあるそうで
♂️ おぉ〜スターこと
️ そうなんです!行きましょうかご一緒に
中詰め
最开始上手要上银桥那里 今天又是比P
kiwami也比了 kiwami比的比她比的好看[笑cry]
同期三个人那里 似乎没想好要干什么 然后pii跑到ari和hmr中间搂着两个人的腰来回晃 然后三个人一起晃结果pii跟hmr撞到头[允悲][允悲][允悲]
笑死我了
下客席前盆还在转那里 今天他用手在头上比了一个大圈 然后套住了那段一直在她旁边的一个脸很大的下级生男役(x
很可爱
キャバレー
一开始的时候舞空的耳饰掉了 pii马上下一个动作捡了起来 然后幕布升起她脱礼帽递给小娘役waiter的时候放进去 还跟小娘役指了一下帽子里面示意里面有东西
スマート過ぎで惚れてしまうわ
不知道是不是因为这个对应 后面跟舞空跳的那段 舞空笑的超级开心 她也笑得好开心 看到了平时没看过的氛围我也好开心
然后今天似乎坐了她目線の置き場的位置
as time goes by 主舞台跳完 继续唱歌那里 硬生生对上两次目线
こんなにはっきりオペラ越しに目あったのも中々ない
ドキッと
ドキドキドキドキドキドキ
妈呀老公[害羞][害羞][害羞]
finale的群舞
真的是
今日の天華くん気合い入ってるね!って感じ
とてもよかった。
言葉にならない
気合い入ってんな!って感じ!
そしていつものことだけど
她的每个姿势真的都特别特别的漂亮
剧里即使是印度人 单膝跪地的时候 腿也特别漂亮
最后站在台阶上摘墨镜那里 她一甩头把那几根湿了的シケ甩到脸上了
有些凌乱 但又恰到好处
特别特别特别美 特别特别色气 特别特别好看
像是黄昏下淋了雨靠在长沙发上的颓废青年
真的好像保存下来这个画面
エトワールも目あったような気がする
太子宝宝今天也很可爱[可爱]
サーカス那段的扮相我是真的不喜欢
但是マント捌きとてもお上手
きれいだった♡
本当に将来楽しみ[抱一抱]
太子宝宝在秀里真的是个宝宝
但是孩子不经意间 一眨眼的功夫就会长大
突然变成立派的男役
珍惜当下
今天边看边走神 在想果然还是因为お芝居爱上的老公
我看星组看秀的时候也非常轻微的喜欢过一些个小男役 就算坐很好的位置 也完全没有注意到过她 そういうことだと思う
然后咖啡灌多了看到一半还去了一下洗手间[汗]
没想到时间卡的刚刚好 老公下场我出去然后回来正好轮到他要上场 一秒钟都没耽误 莫名兴奋[笑cry]
想到前两天看电视剧 キヨシ因为没靠手机就找到純子那里特别兴奋 感觉是一种[笑cry]
最後に
为什么每次看完都会写这么长[汗][汗][汗]
感觉以前话也没多到这份儿上啊??????
おわり
追伸
加完班今天也不是今天了
老公今天见
晚安
兄たち(下)
太宰治
「あッ、菊池寛だ。」と小さく叫んで、ふとったおじいさんを指さします。とても、まじめな顔して、そういうのですから、私も、信じないわけには、いかなかったのです。銀座の不二屋でお茶を飲んでいたときにも、肘ひじで私をそっとつついて、佐々木茂索がいるぞ、そら、おまえのうしろのテエブルだ、と小声で言って教えてくれたことがありますけれど、ずっとあとになって、私が直接、菊池先生や佐々木さんにお目にかかり、兄が私に嘘ばかり教えていたことを知りました。兄の所蔵の「感情装飾」という川端康成氏の短篇集の扉には、夢川利一様、著者、と毛筆で書かれて在って、それは兄が、伊豆かどこかの温泉宿で川端さんと知り合いになり、そのとき川端さんから戴いただいた本だ、ということになっていたのですが、いま思えば、これもどうだか、こんど川端さんにお逢いしたとき、お伺いしてみようと思って居ります。ほんとうであって、くれたらいいと思います。けれども私が川端さんから戴いているお手紙の字体と、それから思い出の中の、夢川利一様、著者、という字体とは、少し違うようにも思われるのです。兄は、いつでも、無邪気に人を、かつぎます。まったく油断が、できないのです。ミステフィカシオンが、フランスのプレッシュウたちの、お道楽の一つであったそうですから、兄にも、やっぱり、この神秘捏造ミステフィカシオンの悪癖が、争われなかったのであろうと思います。
兄がなくなったのは、私が大学へはいったとしの初夏でありましたが、そのとしのお正月には、応接室の床の間に自筆の掛軸を飾りました。半折に、「この春は、仏心なども出で、酒もあり、肴さかなもあるをよろこばぬなり。」と書かれていて、訪問客は、みんな大笑いして、兄もにやにや笑っていましたが、それは、れいの兄のミステフィカシオンでは無く、本心からのものだったのでしょうけれど、いつも、みんなを、かつぐものだから、訪問客たちも、ただ笑って、兄のいのちを懸念しようとはしないのでした。兄は、やがて小さい珠数じゅずを手首にはめて歩いて、そうして自分のことを、愚僧、と呼称することを案出しました。愚僧は、愚僧は、とまじめに言うので、兄のお友だちも、みんな真似して、愚僧は、愚僧は、と言い合い、一時は大流行いたしました。兄にとっては、ただ冗談だけでそんなことをしていたのでは無く、自身の肉体消滅の日時が、すぐ間近に迫っていることを、ひそかに知っていて、けれども兄の鬼面毒笑風の趣味が、それを素直に悲しむことを妨げ、かえって懸命に茶化して、しさいらしく珠数を爪繰つまぐっては人を笑わせ、愚僧もあの婦人には心が乱れ申したわい、お恥かしいが、まだ枯れて居らん証拠じゃのう、などと言い、私たちを誘って、高田の馬場の喫茶店へ蹌踉そうろうと乗り込むのでした。この愚僧は、たいへんおしゃれで、喫茶店へ行く途中、ふっと、指輪をはめて出るのを忘れて来たことに気がつき、躊躇ちゅうちょなくくるりと廻れ右して家へ引きかえし、そうしてきちんと指輪をはめて、出直し、やあ、お待ちどおさま、と澄ましていました。
私は大学へはいってからは、戸塚の、兄の家のすぐ近くの下宿屋に住み、それでも、お互い勉強の邪魔をせぬよう、三日にいちどか、一週間にいちど顔を合せて、そのときには必ず一緒にまちへ出て、落語を聞いたり、喫茶店をまわって歩いたりして、そのうちに兄は、ささやかな恋をしました。兄は、その粋紳士風の趣味のために、おそろしく気取ってばかりいて、女のひとには、さっぱり好かれないようでした。そのころ高田の馬場の喫茶店に、兄が内心好いている女の子がありましたが、あまり旗色がよくないようで、兄は困って居りました。それでも、兄は誇プライドの高いお人でありますから、その女の子に、いやらしい色目を使ったり、下等にふざけたりすることは絶対にせず、すっとはいって、コーヒー一ぱい飲んで、すっと帰るということばかり続けて居りました。或る晩、私とふたりで、その喫茶店へ行き、コーヒー一ぱい飲んで、やっぱり旗色がわるく、そのまま、すっと帰って、その帰途、兄は、花屋へ寄ってカーネーションと薔薇ばらとを組合せた十円ちかくの大きな花束をこしらえさせ、それを抱えて花屋から出て、何だかもじもじしていましたので、私には兄の気持が全部わかり、身を躍らしてその花束をひったくり脱兎だっとの如くいま来た道を駈け戻り喫茶店の扉かげに、ついと隠れて、あの子を呼びました。
「おじさん(私は兄を、そう呼んでいました。)を知ってるだろう? おじさんを忘れちゃいけない。はい、これはおじさんから。」口早に言って花束を手渡してやっても、あの子はぼんやりしていますので、私は、矢庭にあの子をぶん殴りたく思いました。私まで、すっかり元気がなくなり、それから、ぶらぶら兄の家へ行ってみましたら、兄は、もうベッドにもぐっていて、なんだか、ひどく不機嫌でした。兄は、そのとき、二十八歳でした。私は六つ下の二十二歳でありました。
そのとしの、四月ごろから、兄は異常の情熱を以もって、制作を開始いたしました。モデルを家に呼んで、大きいトルソオに取りかかった様子でありました。私は、兄の仕事の邪魔をしたくないので、そのころは、あまり兄の家を訪ねませんでした。いつか夜、ちょっと訪ねてみたら兄は、ベッドにもぐっていて、少し頬が赤く、「もう夢川利一なんて名前は、よすことにした。堂々、辻馬桂治(兄の本名)でやってみるつもりだ。」と兄にしては、全く珍らしく、少しも茶化さず、むきになって言って聞かせましたので、私は急に泣きそうになりました。
それから、二月ふたつき経って、兄は仕事を完成させずに死んでしまいました。様子が変だとWさん御夫妻も言い、私も、そう思いましたので、かかりのお医者に相談してみましたら、もう四五日とお医者は平気で言うので、私は仰天いたしました。すぐに、田舎の長兄へ電報を打ちました。長兄が来るまでは、私が兄の傍に寝て二晩、のどにからまる痰たんを指で除去してあげました。長兄が来て、すぐに看護婦を雇い、お友だちもだんだん集り、私も心強くなりましたが、長兄が見えるまでの二晩は、いま思っても地獄のような気がいたします。暗い電気の下で兄は、私にあちこちの引き出しをあけさせ、いろいろの手紙や、ノオトブックを破り棄てさせ、私が、言いつけられたとおり、それをばりばり破りながらめそめそ泣いているのを、兄は不思議そうに眺めているのでした。私は、世の中に、たった私たち二人しかいないような気がいたしました。
長兄や、お友だちに、とりかこまれて、息をひきとるまえに、私が、
「兄さん!」と呼ぶと、兄は、はっきりした言葉で、ダイヤのネクタイピンとプラチナの鎖があるから、おまえにあげるよ、と言いました。それは嘘なのです。兄は、きっと死ぬる際まで、粋紳士風プレッシュウの趣味を捨てず、そんなはいからのこと言って、私をかつごうとしていたのでしょう。無意識に、お得意の神秘捏造ミステフィカシオンをやっていたのでありましょう。ダイヤのネクタイピンなど、無いのを私は知って居りますので、なおのこと、兄の伊達だての気持ちが悲しく、わあわあ泣いてしまいました。なんにも作品残さなかったけれど、それでも水際立って一流の芸術家だったお兄さん。世界で一ばんの美貌を持っていたくせに、ちっとも女に好かれなかったお兄さん。
死んだ直後のことも、あれこれ書いてお知らせするつもりでありましたが、ふと考えてみれば、そんな悲しさは、私に限らず、誰だって肉親に死なれたときには味うものにちがいないので、なんだか私の特権みたいに書き誇るのは、読者にすまないことみたいで、気持ちが急に萎縮いしゅくしてしまいました。ケイジ、ケサ四ジ、セイキョセリ。という電文を、田舎の家にあてて頼信紙に書きしたためながら、当時三十三歳の長兄が、何を思ったか、急に手放しで慟哭どうこくをはじめたその姿が、いまでも私の痩せひからびた胸をゆすぶります。父に早く死なれた兄弟は、なんぼうお金はあっても、可哀想なものだと思います。
太宰治(だざい おさむ,1909年6月19日—1948年6月13日),本名津岛修治(つしま しゅうじ),日本小说家,日本战后无赖派文学代表作家。主要作品有小说《逆行》《斜阳》和《人间失格》等。
太宰治从学生时代起已希望成为作家,21岁时和银座咖啡馆女侍投海自杀未遂。1935年《晚年》一书中作品《逆行》列为第一届芥川奖的候选作品。结婚后,写出了《富岳百景》及《斜阳》等作品,成为当代流行作家。1948年6月13日深夜与崇拜他的女读者山崎富荣跳玉川上水自杀,时年39岁,留下了《人间失格》等作品。
太宰治
「あッ、菊池寛だ。」と小さく叫んで、ふとったおじいさんを指さします。とても、まじめな顔して、そういうのですから、私も、信じないわけには、いかなかったのです。銀座の不二屋でお茶を飲んでいたときにも、肘ひじで私をそっとつついて、佐々木茂索がいるぞ、そら、おまえのうしろのテエブルだ、と小声で言って教えてくれたことがありますけれど、ずっとあとになって、私が直接、菊池先生や佐々木さんにお目にかかり、兄が私に嘘ばかり教えていたことを知りました。兄の所蔵の「感情装飾」という川端康成氏の短篇集の扉には、夢川利一様、著者、と毛筆で書かれて在って、それは兄が、伊豆かどこかの温泉宿で川端さんと知り合いになり、そのとき川端さんから戴いただいた本だ、ということになっていたのですが、いま思えば、これもどうだか、こんど川端さんにお逢いしたとき、お伺いしてみようと思って居ります。ほんとうであって、くれたらいいと思います。けれども私が川端さんから戴いているお手紙の字体と、それから思い出の中の、夢川利一様、著者、という字体とは、少し違うようにも思われるのです。兄は、いつでも、無邪気に人を、かつぎます。まったく油断が、できないのです。ミステフィカシオンが、フランスのプレッシュウたちの、お道楽の一つであったそうですから、兄にも、やっぱり、この神秘捏造ミステフィカシオンの悪癖が、争われなかったのであろうと思います。
兄がなくなったのは、私が大学へはいったとしの初夏でありましたが、そのとしのお正月には、応接室の床の間に自筆の掛軸を飾りました。半折に、「この春は、仏心なども出で、酒もあり、肴さかなもあるをよろこばぬなり。」と書かれていて、訪問客は、みんな大笑いして、兄もにやにや笑っていましたが、それは、れいの兄のミステフィカシオンでは無く、本心からのものだったのでしょうけれど、いつも、みんなを、かつぐものだから、訪問客たちも、ただ笑って、兄のいのちを懸念しようとはしないのでした。兄は、やがて小さい珠数じゅずを手首にはめて歩いて、そうして自分のことを、愚僧、と呼称することを案出しました。愚僧は、愚僧は、とまじめに言うので、兄のお友だちも、みんな真似して、愚僧は、愚僧は、と言い合い、一時は大流行いたしました。兄にとっては、ただ冗談だけでそんなことをしていたのでは無く、自身の肉体消滅の日時が、すぐ間近に迫っていることを、ひそかに知っていて、けれども兄の鬼面毒笑風の趣味が、それを素直に悲しむことを妨げ、かえって懸命に茶化して、しさいらしく珠数を爪繰つまぐっては人を笑わせ、愚僧もあの婦人には心が乱れ申したわい、お恥かしいが、まだ枯れて居らん証拠じゃのう、などと言い、私たちを誘って、高田の馬場の喫茶店へ蹌踉そうろうと乗り込むのでした。この愚僧は、たいへんおしゃれで、喫茶店へ行く途中、ふっと、指輪をはめて出るのを忘れて来たことに気がつき、躊躇ちゅうちょなくくるりと廻れ右して家へ引きかえし、そうしてきちんと指輪をはめて、出直し、やあ、お待ちどおさま、と澄ましていました。
私は大学へはいってからは、戸塚の、兄の家のすぐ近くの下宿屋に住み、それでも、お互い勉強の邪魔をせぬよう、三日にいちどか、一週間にいちど顔を合せて、そのときには必ず一緒にまちへ出て、落語を聞いたり、喫茶店をまわって歩いたりして、そのうちに兄は、ささやかな恋をしました。兄は、その粋紳士風の趣味のために、おそろしく気取ってばかりいて、女のひとには、さっぱり好かれないようでした。そのころ高田の馬場の喫茶店に、兄が内心好いている女の子がありましたが、あまり旗色がよくないようで、兄は困って居りました。それでも、兄は誇プライドの高いお人でありますから、その女の子に、いやらしい色目を使ったり、下等にふざけたりすることは絶対にせず、すっとはいって、コーヒー一ぱい飲んで、すっと帰るということばかり続けて居りました。或る晩、私とふたりで、その喫茶店へ行き、コーヒー一ぱい飲んで、やっぱり旗色がわるく、そのまま、すっと帰って、その帰途、兄は、花屋へ寄ってカーネーションと薔薇ばらとを組合せた十円ちかくの大きな花束をこしらえさせ、それを抱えて花屋から出て、何だかもじもじしていましたので、私には兄の気持が全部わかり、身を躍らしてその花束をひったくり脱兎だっとの如くいま来た道を駈け戻り喫茶店の扉かげに、ついと隠れて、あの子を呼びました。
「おじさん(私は兄を、そう呼んでいました。)を知ってるだろう? おじさんを忘れちゃいけない。はい、これはおじさんから。」口早に言って花束を手渡してやっても、あの子はぼんやりしていますので、私は、矢庭にあの子をぶん殴りたく思いました。私まで、すっかり元気がなくなり、それから、ぶらぶら兄の家へ行ってみましたら、兄は、もうベッドにもぐっていて、なんだか、ひどく不機嫌でした。兄は、そのとき、二十八歳でした。私は六つ下の二十二歳でありました。
そのとしの、四月ごろから、兄は異常の情熱を以もって、制作を開始いたしました。モデルを家に呼んで、大きいトルソオに取りかかった様子でありました。私は、兄の仕事の邪魔をしたくないので、そのころは、あまり兄の家を訪ねませんでした。いつか夜、ちょっと訪ねてみたら兄は、ベッドにもぐっていて、少し頬が赤く、「もう夢川利一なんて名前は、よすことにした。堂々、辻馬桂治(兄の本名)でやってみるつもりだ。」と兄にしては、全く珍らしく、少しも茶化さず、むきになって言って聞かせましたので、私は急に泣きそうになりました。
それから、二月ふたつき経って、兄は仕事を完成させずに死んでしまいました。様子が変だとWさん御夫妻も言い、私も、そう思いましたので、かかりのお医者に相談してみましたら、もう四五日とお医者は平気で言うので、私は仰天いたしました。すぐに、田舎の長兄へ電報を打ちました。長兄が来るまでは、私が兄の傍に寝て二晩、のどにからまる痰たんを指で除去してあげました。長兄が来て、すぐに看護婦を雇い、お友だちもだんだん集り、私も心強くなりましたが、長兄が見えるまでの二晩は、いま思っても地獄のような気がいたします。暗い電気の下で兄は、私にあちこちの引き出しをあけさせ、いろいろの手紙や、ノオトブックを破り棄てさせ、私が、言いつけられたとおり、それをばりばり破りながらめそめそ泣いているのを、兄は不思議そうに眺めているのでした。私は、世の中に、たった私たち二人しかいないような気がいたしました。
長兄や、お友だちに、とりかこまれて、息をひきとるまえに、私が、
「兄さん!」と呼ぶと、兄は、はっきりした言葉で、ダイヤのネクタイピンとプラチナの鎖があるから、おまえにあげるよ、と言いました。それは嘘なのです。兄は、きっと死ぬる際まで、粋紳士風プレッシュウの趣味を捨てず、そんなはいからのこと言って、私をかつごうとしていたのでしょう。無意識に、お得意の神秘捏造ミステフィカシオンをやっていたのでありましょう。ダイヤのネクタイピンなど、無いのを私は知って居りますので、なおのこと、兄の伊達だての気持ちが悲しく、わあわあ泣いてしまいました。なんにも作品残さなかったけれど、それでも水際立って一流の芸術家だったお兄さん。世界で一ばんの美貌を持っていたくせに、ちっとも女に好かれなかったお兄さん。
死んだ直後のことも、あれこれ書いてお知らせするつもりでありましたが、ふと考えてみれば、そんな悲しさは、私に限らず、誰だって肉親に死なれたときには味うものにちがいないので、なんだか私の特権みたいに書き誇るのは、読者にすまないことみたいで、気持ちが急に萎縮いしゅくしてしまいました。ケイジ、ケサ四ジ、セイキョセリ。という電文を、田舎の家にあてて頼信紙に書きしたためながら、当時三十三歳の長兄が、何を思ったか、急に手放しで慟哭どうこくをはじめたその姿が、いまでも私の痩せひからびた胸をゆすぶります。父に早く死なれた兄弟は、なんぼうお金はあっても、可哀想なものだと思います。
太宰治(だざい おさむ,1909年6月19日—1948年6月13日),本名津岛修治(つしま しゅうじ),日本小说家,日本战后无赖派文学代表作家。主要作品有小说《逆行》《斜阳》和《人间失格》等。
太宰治从学生时代起已希望成为作家,21岁时和银座咖啡馆女侍投海自杀未遂。1935年《晚年》一书中作品《逆行》列为第一届芥川奖的候选作品。结婚后,写出了《富岳百景》及《斜阳》等作品,成为当代流行作家。1948年6月13日深夜与崇拜他的女读者山崎富荣跳玉川上水自杀,时年39岁,留下了《人间失格》等作品。
ごきぶり糞尿痰壺キチガイ変質者肥溜めヘドロ汚物男も女も気持ち悪いキチガイしかいないバイキン疫病神集団穢れテレビ朝日系列ごきぶり糞尿痰壺キチガイ変質者肥溜めヘドロ汚物男も女も気持ち悪いキチガイしかいないバイキン疫病神集団穢れ朝日放送の仕業と断定。
(プーチンに歯向かって謎の死を遂げた人々の中にもただの事故や病気で死んだ人がひとりやふたりいるだろうが全員暗殺されたんだろうとおまえらは決めつけてるだろ。それとおんなじことだ馬鹿。日頃の行いで判断されるんだよ糞馬鹿)
(プーチンに歯向かって謎の死を遂げた人々の中にもただの事故や病気で死んだ人がひとりやふたりいるだろうが全員暗殺されたんだろうとおまえらは決めつけてるだろ。それとおんなじことだ馬鹿。日頃の行いで判断されるんだよ糞馬鹿)
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