#珠城辽[超话]#2024年3月12日(火)から3月31日(日)まで東京・東急シアターオーブで、4月5日(金)から4月10日(水)まで大阪・オリックス劇場でミュージカル『20世紀号に乗って』が上演されます。主役・オスカー・ジャフィを増田貴久さんが、ヒロインのリリー・ガーランド役を珠城りょうさんが、オリバー・ウェッブ役を小野田龍之介さんが、オーエン・オマリー役を上川一哉さんが、ブルース・グラニット役を渡辺大輔さんが、レティシア・プリムローズ役を戸田恵子さんが演じます。
アイデアニュースでは、珠城りょうさんにインタビューしました。インタビューは上下に分けてお届けします。上下の無料部分では合同取材の内容を、有料部分では独自取材の内容を紹介します。「上」の無料部分では、本作への出演は「挑戦」であるというお話、オスカー役の増田さんのこと、クリス・ベイリーさんの演出のこと、リリーを演じるにあたって楽しいポイント、難しいポイントについて伺った内容などを紹介します。有料部分では、『天翔ける風に』を通しての変化についてのお話を紹介します。
「下」の無料部分では、クリス・ベイリーさんとベス・クランドールさん(演出補・共同振付)の振付のこと、今回、作中で歌う曲の難しさや歌う中で大切にされているポイント、初のヒロインというポジションを務められることについて、カンパニーの雰囲気のことなどについて伺った内容を紹介します。有料部分では、『天翔ける風に』で変化を感じた理由、珠城さんが大切にされていることなどについてのお話と、作品を楽しみにされている方々へのメッセージを紹介します。
――この作品に出演したいと思われた理由や、惹かれた部分について教えてください。
この2年半は、舞台だけに限らず、映像作品でも比較的内容が重いものが多くて、コメディー作品への出演はありませんでした。ですから「ザ・エンターテイメント」でお客様に楽しんでいただける作品かつ、ブロードウェイミュージカルで、演出家、振付家も海外の方ということもあり、「挑戦することに意味がある」という思いがありました。
――ご自身にとっては「挑戦」なんですね。
とても大きな挑戦です! ブロードウェイミュージカルはやはり、楽曲が難しいんです。ハーモニーとして、そういうところをうまく表現できると、とても美しいのですが、非常に難しいということもわかっているんですよ。
そしてこの作品は、1930年代のアメリカを舞台に作られているため、オールドスタイルのミュージカルでもあるんです。だからこそ、楽曲もより難解な作りなのではと思っていたんです。今回は、歌ったことがない音域の歌もあります。ですから、「なぜリリー・ガーランド役を珠城りょうにお願いしたいと言ってくださったのか、その理由を、私自身も見出していけたらいいな」という気持ちでお受けしました。本当に覚悟が必要でした。
――主演の増田(貴久)さんには、元々どのようなイメージがありましたか? 稽古の中で感じたイメージと違ったというギャップなどもあれば教えてください。
テレビなどで拝見しながら、人を楽しませることが好きな、面白くて優しい方なんだろうなと思っていました。初めてご挨拶した時も、以前ご一緒したスタッフの方に、私のことを少し聞いてくださっていて、とてもフランクにお話してくださいました。
最初は「どういうふうにコミュニケーションをとったらいいかな?」と、なるべく何かをお話できるように、増田さんが出演されているドラマや番組を事前に拝見したり、私なりに話のネタを用意していたのですが、そういうものが必要なかったくらい、いろいろ話しかけてくださったんです。相手のことを気遣ってくださる方ですね。
実際にお稽古が始まると、増田さんがポロッとおっしゃった言葉で場の空気が和んだりもしています。でも、台詞一つ一つをなぜオスカーはこう言うのかとご自身が腑に落ちるまで突き詰めていらっしゃってとても真摯に取り組まれる方なんだと思いました。私が台詞を間違えて一人で慌てていてもそれを笑いに変えてくださったこともありました。演出家のクリス(・ベイリー)さんも含め、増田さんのひと言や行動でみなさんが笑う空気感が、とても温かいなと感じています。
ーーそんなふうにコミュニケーションをとれているのは、素敵だなと思いました。
本当にありがたいことに、いろいろと向き合ってくださって。特にこの作品は、増田さんが演じるオスカーと、私が演じるリリーの二人を主軸に物語が進んでいくので、二人の関係性に説得力があるように作っていかなければいけなくて。お稽古でも今回の芝居について相談しながら作っていけたので、とても感謝しています。
ーーリリーという役柄については、演出・振付をされるクリスさんと、どのようなお話をされましたか?
とにかく、エネルギーを常に、前に爆発させてほしいと言われています。リリーは、ひとりの女性として、自分の意志や意見をきちんと持っていて、相手にそれをきちんと言っていく。そういう強いエネルギーのある人なんです。そしてオスカーとは対等なんだと。
でも、なかなか最初はうまくいきませんでした。私は、役の感情の流れが腑に落ちないと、歌を歌うこと自体にとても緊張してしまうんです。どうしても「歌っているだけ」になってしまい、ずっと自分ができていないことへの不安がありました。
そうやって、「どうしよう?」と思っていた時、「一歩引くという選択肢は、リリーの中には絶対にない感情。怖がらずにチャレンジしてほしい」とクリスさんが言ってくださったんです。その言葉にすごくはっとさせられました。クリスさんはいつも、役者が自分で表現したものをまず「グレート!」と言ってくださり、そこから「じゃあ、ここをこうしたらどうなるかな?」と一緒に作ってくださいます。
だから、チャレンジすることへの恐怖心がなくなるんですよ。「とりあえず、やってみよう」という気持ちになれるので、とてもいい現場だなと思います。クリスさんは、とてもチャーミングな方でもあるんです。クリスさんが稽古中、実際に動きながらリリーをやってくださることもあるので、そこからリリーのイメージをキャッチしたりもしています。
ーークリスさんならではの、印象的だったディレクションはありますか?また、ご自身のお芝居について、クリスさんとのコミュニケーションのなかで得られた新しい発見はありましたか?
やはり、先ほども少しお話ししましたが、いつも「怖がらずにチャレンジして。すごく素敵だから大丈夫」と言ってくださるんですよね。それがありがたいですし、もっと頑張ろう!と自分を奮い立たせていました。
クリスさんご自身が、いろいろな役を演じて見せてくださることがあるのですが、その動きが日本人にはない独特のボディーランゲージというか、身体の使い方が自然とコメディに見える時もあるんです。その動きそのものが面白かったりするので、そのまま自分の中に取り込めたら、もっとアメリカンコメディらしさを出せるのかなと思いながら拝見しています。いろいろなエッセンスを加えてくださっていると感じます。
――「挑戦」と仰っていましたが、今回役作りをされる中で、一番楽しいポイントと、一番難しくて苦労しているポイントをお聞かせください。
増田さん演じられるオスカーや、渡辺大輔さんが演じられるブルース、あとは小野田(龍之介)さんが演じられるオリバーとか、上川(一哉)さんが演じられるオーエンとか、いろんなキャラクターと絡むところですね。やり取りが非常にスピーディーかつコミカルで、歌以外での会話のやり取りもすごく楽しいです。そういうやり取りのなかで毎回「こう言葉をかけたら、相手はどう反応するかな?」「どう返ってくるかな?」というところを楽しんでいます。
個人的に非常に苦労しているのは、リリーという女性は、有名になってハリウッドスターになり一躍脚光を浴びていますが、どこか自分をまだ模索していたり、本当に自分はこのままでいいのか、何かちょっと満たされてない部分があったりして、かなり精神的に不安定なんです。ブルースともオスカーともすぐ喧嘩するし、人にもすぐにワーっと言うところがあって。彼女の女優としての葛藤や一人の女性としてオスカーに対して揺れる想いも一緒に表現していかなくてはいけません。
私自身は、比較的のんびりした性格をしているので、瞬時に感情を爆発させるのが難しくて。リリーの歌は、感情がきちんと上がっていないと歌えない曲が多いんですが、台詞でも苦労しています。ただ、彼女の核にある感情や思いがなんなのかを紐解くために、日々リリーと向き合っています。
アイデアニュースでは、珠城りょうさんにインタビューしました。インタビューは上下に分けてお届けします。上下の無料部分では合同取材の内容を、有料部分では独自取材の内容を紹介します。「上」の無料部分では、本作への出演は「挑戦」であるというお話、オスカー役の増田さんのこと、クリス・ベイリーさんの演出のこと、リリーを演じるにあたって楽しいポイント、難しいポイントについて伺った内容などを紹介します。有料部分では、『天翔ける風に』を通しての変化についてのお話を紹介します。
「下」の無料部分では、クリス・ベイリーさんとベス・クランドールさん(演出補・共同振付)の振付のこと、今回、作中で歌う曲の難しさや歌う中で大切にされているポイント、初のヒロインというポジションを務められることについて、カンパニーの雰囲気のことなどについて伺った内容を紹介します。有料部分では、『天翔ける風に』で変化を感じた理由、珠城さんが大切にされていることなどについてのお話と、作品を楽しみにされている方々へのメッセージを紹介します。
――この作品に出演したいと思われた理由や、惹かれた部分について教えてください。
この2年半は、舞台だけに限らず、映像作品でも比較的内容が重いものが多くて、コメディー作品への出演はありませんでした。ですから「ザ・エンターテイメント」でお客様に楽しんでいただける作品かつ、ブロードウェイミュージカルで、演出家、振付家も海外の方ということもあり、「挑戦することに意味がある」という思いがありました。
――ご自身にとっては「挑戦」なんですね。
とても大きな挑戦です! ブロードウェイミュージカルはやはり、楽曲が難しいんです。ハーモニーとして、そういうところをうまく表現できると、とても美しいのですが、非常に難しいということもわかっているんですよ。
そしてこの作品は、1930年代のアメリカを舞台に作られているため、オールドスタイルのミュージカルでもあるんです。だからこそ、楽曲もより難解な作りなのではと思っていたんです。今回は、歌ったことがない音域の歌もあります。ですから、「なぜリリー・ガーランド役を珠城りょうにお願いしたいと言ってくださったのか、その理由を、私自身も見出していけたらいいな」という気持ちでお受けしました。本当に覚悟が必要でした。
――主演の増田(貴久)さんには、元々どのようなイメージがありましたか? 稽古の中で感じたイメージと違ったというギャップなどもあれば教えてください。
テレビなどで拝見しながら、人を楽しませることが好きな、面白くて優しい方なんだろうなと思っていました。初めてご挨拶した時も、以前ご一緒したスタッフの方に、私のことを少し聞いてくださっていて、とてもフランクにお話してくださいました。
最初は「どういうふうにコミュニケーションをとったらいいかな?」と、なるべく何かをお話できるように、増田さんが出演されているドラマや番組を事前に拝見したり、私なりに話のネタを用意していたのですが、そういうものが必要なかったくらい、いろいろ話しかけてくださったんです。相手のことを気遣ってくださる方ですね。
実際にお稽古が始まると、増田さんがポロッとおっしゃった言葉で場の空気が和んだりもしています。でも、台詞一つ一つをなぜオスカーはこう言うのかとご自身が腑に落ちるまで突き詰めていらっしゃってとても真摯に取り組まれる方なんだと思いました。私が台詞を間違えて一人で慌てていてもそれを笑いに変えてくださったこともありました。演出家のクリス(・ベイリー)さんも含め、増田さんのひと言や行動でみなさんが笑う空気感が、とても温かいなと感じています。
ーーそんなふうにコミュニケーションをとれているのは、素敵だなと思いました。
本当にありがたいことに、いろいろと向き合ってくださって。特にこの作品は、増田さんが演じるオスカーと、私が演じるリリーの二人を主軸に物語が進んでいくので、二人の関係性に説得力があるように作っていかなければいけなくて。お稽古でも今回の芝居について相談しながら作っていけたので、とても感謝しています。
ーーリリーという役柄については、演出・振付をされるクリスさんと、どのようなお話をされましたか?
とにかく、エネルギーを常に、前に爆発させてほしいと言われています。リリーは、ひとりの女性として、自分の意志や意見をきちんと持っていて、相手にそれをきちんと言っていく。そういう強いエネルギーのある人なんです。そしてオスカーとは対等なんだと。
でも、なかなか最初はうまくいきませんでした。私は、役の感情の流れが腑に落ちないと、歌を歌うこと自体にとても緊張してしまうんです。どうしても「歌っているだけ」になってしまい、ずっと自分ができていないことへの不安がありました。
そうやって、「どうしよう?」と思っていた時、「一歩引くという選択肢は、リリーの中には絶対にない感情。怖がらずにチャレンジしてほしい」とクリスさんが言ってくださったんです。その言葉にすごくはっとさせられました。クリスさんはいつも、役者が自分で表現したものをまず「グレート!」と言ってくださり、そこから「じゃあ、ここをこうしたらどうなるかな?」と一緒に作ってくださいます。
だから、チャレンジすることへの恐怖心がなくなるんですよ。「とりあえず、やってみよう」という気持ちになれるので、とてもいい現場だなと思います。クリスさんは、とてもチャーミングな方でもあるんです。クリスさんが稽古中、実際に動きながらリリーをやってくださることもあるので、そこからリリーのイメージをキャッチしたりもしています。
ーークリスさんならではの、印象的だったディレクションはありますか?また、ご自身のお芝居について、クリスさんとのコミュニケーションのなかで得られた新しい発見はありましたか?
やはり、先ほども少しお話ししましたが、いつも「怖がらずにチャレンジして。すごく素敵だから大丈夫」と言ってくださるんですよね。それがありがたいですし、もっと頑張ろう!と自分を奮い立たせていました。
クリスさんご自身が、いろいろな役を演じて見せてくださることがあるのですが、その動きが日本人にはない独特のボディーランゲージというか、身体の使い方が自然とコメディに見える時もあるんです。その動きそのものが面白かったりするので、そのまま自分の中に取り込めたら、もっとアメリカンコメディらしさを出せるのかなと思いながら拝見しています。いろいろなエッセンスを加えてくださっていると感じます。
――「挑戦」と仰っていましたが、今回役作りをされる中で、一番楽しいポイントと、一番難しくて苦労しているポイントをお聞かせください。
増田さん演じられるオスカーや、渡辺大輔さんが演じられるブルース、あとは小野田(龍之介)さんが演じられるオリバーとか、上川(一哉)さんが演じられるオーエンとか、いろんなキャラクターと絡むところですね。やり取りが非常にスピーディーかつコミカルで、歌以外での会話のやり取りもすごく楽しいです。そういうやり取りのなかで毎回「こう言葉をかけたら、相手はどう反応するかな?」「どう返ってくるかな?」というところを楽しんでいます。
個人的に非常に苦労しているのは、リリーという女性は、有名になってハリウッドスターになり一躍脚光を浴びていますが、どこか自分をまだ模索していたり、本当に自分はこのままでいいのか、何かちょっと満たされてない部分があったりして、かなり精神的に不安定なんです。ブルースともオスカーともすぐ喧嘩するし、人にもすぐにワーっと言うところがあって。彼女の女優としての葛藤や一人の女性としてオスカーに対して揺れる想いも一緒に表現していかなくてはいけません。
私自身は、比較的のんびりした性格をしているので、瞬時に感情を爆発させるのが難しくて。リリーの歌は、感情がきちんと上がっていないと歌えない曲が多いんですが、台詞でも苦労しています。ただ、彼女の核にある感情や思いがなんなのかを紐解くために、日々リリーと向き合っています。
『絶句』は杜甫53歳の春の詩です。杜甫は759年48歳の時に官職を捨て、その後家族を連れて中国各地を転々とする生活を送り59歳で亡くなります。44歳の時にやっと得た官職をなぜ捨ててしまったのか、今も謎です。
この詩は蜀(四川省)のあちこちを放浪した後に成都にあった我が家・草堂に戻ってきて詠んだ歌です。『絶句二首』の二つ目の詩で、漢文の教科書で学んだ人も多いことでしょう。
『絶句』の原文
江碧鳥愈白
山青花欲然
今春看又過
何日是帰年
『絶句』の書き下し文
江こう碧みどりにして鳥愈いよいよ白く
山青くして花然もえんと欲す
今春看みすみす又過ぐ
何いづれの日にか是これ帰き年ねんならん
『絶句』の現代語訳
川は青緑色、鳥はいっそう白く見える。
山は青々と、花は燃えるように赤い。
今年の春もみるみるまた過ぎてしまう。
いつになったら故郷に帰ることができるのだろう。
『絶句』の解説
美しい蜀の春です。蜀の川はエメラルド色に澄んでいると言います。
山の木々の緑、その間から見える真っ赤な花。
こんな美しい景色を見ながら詩人の心はここに落ち着くことができません。
杜甫の故郷は蜀ではなく北の洛陽。洛陽は黄河流域・河南省西部の都市、古代中国で何度も都になっています。長江流域の蜀と黄河流域の洛陽、風土・風景はかなり異なります。どんなに美しい景色でもよそ者には完全に溶け込めないものがあるのでしょう。親兄弟とともに暮らした故郷のなつかしさは何者にも代えがたいものがあるに違いありません。
『絶句』の形式・技法
『絶句』の形式……五言絶句。
『絶句』の押韻……「然・年」が韻を踏んでいます。
『絶句』が詠まれた時代
唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)
唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。
『登岳陽楼』が詠まれたのは盛唐の頃です。
『絶句』の作者「杜甫」について
杜甫(とほ…712~770)
李白とともに唐代を代表する詩人。「詩聖」とも称されます。役人の家系に生まれ、官職につくべく努力をしますがなかなか思うようになりません。低い地位の官職についたのが44歳、その後戦乱に巻き込まれ安禄山の軍隊につかまって長安に幽閉されますが、その後唐朝はなんとか平穏を戻し、杜甫も官職に復帰します。ところがまもなく杜甫はこの官職を捨ててしまいます。甘粛省の秦州に行ったり、蜀のあちこちを放浪したり、やがて成都に建ててある我が家・草堂に戻ってきます。ここで詠んだ歌です。
この詩は蜀(四川省)のあちこちを放浪した後に成都にあった我が家・草堂に戻ってきて詠んだ歌です。『絶句二首』の二つ目の詩で、漢文の教科書で学んだ人も多いことでしょう。
『絶句』の原文
江碧鳥愈白
山青花欲然
今春看又過
何日是帰年
『絶句』の書き下し文
江こう碧みどりにして鳥愈いよいよ白く
山青くして花然もえんと欲す
今春看みすみす又過ぐ
何いづれの日にか是これ帰き年ねんならん
『絶句』の現代語訳
川は青緑色、鳥はいっそう白く見える。
山は青々と、花は燃えるように赤い。
今年の春もみるみるまた過ぎてしまう。
いつになったら故郷に帰ることができるのだろう。
『絶句』の解説
美しい蜀の春です。蜀の川はエメラルド色に澄んでいると言います。
山の木々の緑、その間から見える真っ赤な花。
こんな美しい景色を見ながら詩人の心はここに落ち着くことができません。
杜甫の故郷は蜀ではなく北の洛陽。洛陽は黄河流域・河南省西部の都市、古代中国で何度も都になっています。長江流域の蜀と黄河流域の洛陽、風土・風景はかなり異なります。どんなに美しい景色でもよそ者には完全に溶け込めないものがあるのでしょう。親兄弟とともに暮らした故郷のなつかしさは何者にも代えがたいものがあるに違いありません。
『絶句』の形式・技法
『絶句』の形式……五言絶句。
『絶句』の押韻……「然・年」が韻を踏んでいます。
『絶句』が詠まれた時代
唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)
唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。
『登岳陽楼』が詠まれたのは盛唐の頃です。
『絶句』の作者「杜甫」について
杜甫(とほ…712~770)
李白とともに唐代を代表する詩人。「詩聖」とも称されます。役人の家系に生まれ、官職につくべく努力をしますがなかなか思うようになりません。低い地位の官職についたのが44歳、その後戦乱に巻き込まれ安禄山の軍隊につかまって長安に幽閉されますが、その後唐朝はなんとか平穏を戻し、杜甫も官職に復帰します。ところがまもなく杜甫はこの官職を捨ててしまいます。甘粛省の秦州に行ったり、蜀のあちこちを放浪したり、やがて成都に建ててある我が家・草堂に戻ってきます。ここで詠んだ歌です。
二十四孝図(上)
鲁迅
私は何としても、最も激しく最も殺傷力のある呪文を見つけ出し、口語文に反対する人々、口語文を妨害する者を呪詛したい。たとい死後に、霊魂が残るとしても、この激しい憎悪の気持は、地獄に落ちても、悔いたりしない。まず何をおいても、口語文に反対する連中、口語文を妨害する連中を呪詛したい。
いわゆる「文学革命」以来、子供向けの本は、欧米、日本に比べまだだいぶ見劣りするが、挿し絵もつき、読めるかぎりは、理解できるようになった。しかし、ある思惑を持った連中は、それすら禁じようとし、子供の世界のわずかな楽しみも奪おうとしている。
北京で今、子供を怖がらせる時に「馬虎子」(マーフーズが来るぞ)という。一説には、「開河記」に書かれている、隋の煬帝の命で運河を開削したとき、小児を蒸して(食べた)麻叔謀という:正確には“麻胡人”と書くべきだが、そうであれば、麻叔謀は胡人となる。ただ、彼が何人であれ、彼が子供を食ったとしても、人数には限りがあり、彼の一生の短い間に過ぎない。口語文妨害者の流す害毒は、洪水や猛獣より過酷で、非常に広範、かつ長期に及んでいる。全中国を麻胡(マーフー)にさせて、すべての子供を彼の腹の中で殺している。
口語文を妨害せんとする連中を、滅亡せねばならない!
こういうと、紳士たちは耳を覆うだろう。即ち、(彼らを呪詛する筆者が)「中空まで跳びあがり、完膚なきまでに罵り、―――罵りを止めない」からである。さらには文士たちも罵るに違いない。口語文は「文格」にもとるとか、「人格」を損ねることおびただしい、と。「言は、心の声」ではないか?「文」と「人」とは当然、相関関係にあり、人の世はもともと、千奇百怪、なんでも起こるが、教授たちの中にも、作者(魯迅)の人格は「尊敬しない」が、「彼の小説は良くない」とは言えない、という変な人もいる。が、私は頓着しない。幸いまだ(現実乖離の:人民文学出版注)「象牙の塔」に上がってはいないから、何の心配もいらない。もし、知らないうちに上がっていたとしても、すぐ転げ落ちるまでだ。転げ落ちる途中、地面に着くまでにもう一度言う:
口語文を妨害せんとする連中を、滅亡せねばならない!
小学生が粗雑な「児童世界」を夢中になって読んでいるのを見ると、外国の児童が読んでいる本の美しさ、精巧さと比べ、中国の児童たちがかわいそうになる。ただ、私や私と同窓の童年のころを思い出すと、だいぶ良くなったとは思う。我々の過ぎ去りし時代に悲哀の弔辞を贈る。我々のころは、見るべきものは何も無い。少しでも挿し絵があると、塾の先生、すなわち当時の「青少年を指導すべき先輩」から禁じられ、しかられて、掌の中心を叩かれた。私の級友は「人の初め、性は本来善」(という三字経)だけを読まされ、余りの退屈さに耐えられず、「文星高照」の、悪鬼の魁星の像を偸み見して、幼い審美眼を満たしていた。昨日も見、今日もそれを見るのだが、彼の目にはきらめきが蘇生し、喜びの輝きが戻った。
塾外では禁令は緩やかで、というのは私個人のことだが、人によっては違うだろう。だが、皆の前でおおっぴらに読めたのは、「文昌帝君陰騭文図説」と「玉歴鈔伝」で、因果応報の物語だ。雷公と稲妻が雲の上に立ち、地面の下には牛頭と馬面がひしめき、「中空に跳びあがる」のは、天の掟を犯す者で、たとい一言半句でも符合せず、わずかの存念でもそれが抵触するようなら、相応の扱いを受ける。この扱いは決して「些細な怨み」などの騒ぎではない。そこでは鬼神が君主で、「公理」が宰相だから、跪いて酒を献じても何の役にもたたず、まったく手が出ない。中国では、人となるだけでなく、死者となるのも極めて困難なのだ。しかしこの世よりましと言えるのは、いわゆる「紳士」もいないし、「流言飛語」も無い点だ。
あの世で静かに過したいなら、あの世のことをあまりほめてはいけない。特に、筆を弄ぶのが好きな人間は、流言がとびかう今の中国では、そしてまた「言行一致」を大いに推進せんとしている今、前車の覆るのを鑑としなければならない。
アルツイバージェフが以前、若い女性の質問に答えた「ただ人生の事実そのものの中に、歓喜を探し出す者のみが、生きて行ける。そこで何も見いだせなかったら、死んだ方がましだ」という一節がある。それに対して、ミハロフという人が、手紙で罵った。「……、だから私は衷心よりお勧めするのだが、君は自殺して、自分の命に禍を与えて、福を取れ。それが一番ロジックにあっているし、二番目には言行不一致にならずに済む」と。
そうは言っても、この論法は人を謀殺するもので、彼自身はこのようにして、人生の歓喜を見つけ出してきたのだ。アルツイバ―ジェフは不平不満をならべただけで、自殺しなかった。ミハロフ氏はその後どうなったか知らない。歓びは失ったか、別に何かを探し出したか。まことに「そのころは勇敢でも安穏に暮せたし、情熱的であることに何の危険も無かった」ようだ。
しかしながら、私はすでにあの世のことをほめてしまったので、前言は撤回できない;「言行不一致」の嫌いはあるが、閻魔大王や小鬼からびた一文もらっていないから、この役はいつでも降りられるのだが。まあ、このまま書きすすめてみよう:
私が見たあの世の絵は、家の書庫にあった古い本で、私の専有ではない。私が自分の物として手にした最初の挿し絵本は、一族の年長者が呉れた:「二十四孝図」だ。ほんとうに薄い冊子だが、下に挿し絵、上に説明があり、鬼は少なく、人が多く描かれ、自分の本なので、とてもうれしかった。その中の故事は誰でも知っているもので:字の読めない者も、たとえば阿長(乳母)でも絵を見れば、滔々と物語ることができた。ただ、うれしさの後に来たものは、興味喪失感であった。
二十四孝図の物語を全て聞き終えたあと、「孝」がかくも難しく、それまで呆けたように妄想していたことと、孝子になろうとしていた望みは、完全に絶たれた。
「人の初め、性は本来善」というのは本当か?これは今、ここで研究しなければならぬテーマではない。ただ、私は今もはっきり覚えているが、幼いころ、親に逆らったことは一度も無いし、父母に対しては特に孝順であろうとした。しかし幼いときは、何も知らないから、自分なりに「孝順」を理解して「よく親の話を聞き、いいつけに従う」ことと思っていた。成人したら、年老いた父母に食事をあげること、だと。この孝子の教科書を見てから、決してそんな事だけではすまないのだと悟った。何十倍、何百倍も難しい、と。もちろん、努力すればできることもある。「子路、米を負う」「黄香、枕を煽ぐ」の類だ。「陸績、橘を懐にす」も難しくない。金持ちが私を招宴してくれたらの話だが。
「魯迅さん、デザートのミカンを懐に入れて持ち帰りますか?」私はすぐ跪いて「母の好物ですから、頂きます」と応える。主は敬服し、かくして孝子はいとも簡単に誕生する。
「(冬に)竹に哭いて、筝を生ず」は疑わしい。私の誠心では、このように天地を感動させる自信はない。ただ、哭いても筝が出てこないというだけなら、面子を無くすだけで済む話だが、「氷に臥して鯉を求む」となると、生命に関わってくる。我故郷は温暖だから、厳冬でも薄氷しか張らない。小さな子供でも、乗ったらバリっと割れて、池に落ちて鯉も逃げてしまう。もちろん命を大切にすべきで、それでこそ、孝が神明を感動させ、思いもつかない奇跡を呼ぶ。ただ、その頃私は幼くて、こんなことは知らなかった。
中でも特に分からなかったし、反感を覚えたのは、「老莱、親を娯(たのします)」と
「郭巨、児を埋める」の二篇、である。
今でも覚えているが、一つは、老父母の前で倒れている爺さん。もう一つは母の手に抱かれている幼児。どうして私は、この絵に違和感を覚えたのか。二人とも手にはデンデン太鼓を持っている。この玩具は可愛らしい。北京では小鼓という。即ち鼗(トウ)で、
朱熹曰く「鼗、小鼓、両側に耳あり、その柄を持って揺すると、傍らの耳が自ら撃ち」、
トントンと鳴る。しかしこんなものは老莱子の手に持たせるべきじゃない。彼は杖を持つべきで、こんな恰好はまったくでたらめで、子供を侮辱する。二度と見たくないので、このページに来ると、すぐ次をめくった。
当時の「二十四孝図」は、とうにどこかに無くした。今手元にあるのは、日本の小田海僊の描いた(絵を中国で印刷した)本だけ。老莱子のことを「七十才で、老と称せず、いつも五色の斑斕の衣を着て、嬰児となって、親の側に遊ぶ。また常に水(桶)を手に堂に上がり、詐りて転び、地に倒れ、嬰児のように泣き、以て親を娯す」だいたいの内容は旧い本と同じで、私の反感を招くのは、詐りて転ぶだ。逆らうにせよ、孝順にせよ、子供は多くは「詐りて」など望まぬ。物語を聞いても作り話は喜ばない。こんなことは少しでも児童心理に心得のあるものは、みな知っている。
もう少し古い本を見ると、こんなに虚偽に満ちてはいない。師覚授(南朝宋人)の「孝子伝」には、「老莱子…、いつも斑斕の着物で、親に飲み物を持って行き、堂に上がる際、
転んで父母の心を傷つけるのをおそれ、倒れ臥して嬰児の泣く真似をする」(太平御覧の413引)。今のと比べると、多少人情に近い。それがどうしたわけか、後世の君子が“詐りて”と改作しないと気が済まなくなったのか。鄧伯道が子を棄てて侄を救うというのも、考えてみれば、ただ“棄てる”だけなのだが、いい加減な連中が、子を樹にしばりつけ、追いかけて来られないようにした。まさしく「身の毛がよだつのを趣味」とするのと同じで、非情を封建道徳の鑑とするようだ。古人を侮蔑し、後の人に悪影響を及ぼすものだ。老莱子は、ほんの一例で、道学先生(朱子学者)は彼を無疵の完璧者とみなすが、子供たちの心の中では、すでに死滅している。
鲁迅
私は何としても、最も激しく最も殺傷力のある呪文を見つけ出し、口語文に反対する人々、口語文を妨害する者を呪詛したい。たとい死後に、霊魂が残るとしても、この激しい憎悪の気持は、地獄に落ちても、悔いたりしない。まず何をおいても、口語文に反対する連中、口語文を妨害する連中を呪詛したい。
いわゆる「文学革命」以来、子供向けの本は、欧米、日本に比べまだだいぶ見劣りするが、挿し絵もつき、読めるかぎりは、理解できるようになった。しかし、ある思惑を持った連中は、それすら禁じようとし、子供の世界のわずかな楽しみも奪おうとしている。
北京で今、子供を怖がらせる時に「馬虎子」(マーフーズが来るぞ)という。一説には、「開河記」に書かれている、隋の煬帝の命で運河を開削したとき、小児を蒸して(食べた)麻叔謀という:正確には“麻胡人”と書くべきだが、そうであれば、麻叔謀は胡人となる。ただ、彼が何人であれ、彼が子供を食ったとしても、人数には限りがあり、彼の一生の短い間に過ぎない。口語文妨害者の流す害毒は、洪水や猛獣より過酷で、非常に広範、かつ長期に及んでいる。全中国を麻胡(マーフー)にさせて、すべての子供を彼の腹の中で殺している。
口語文を妨害せんとする連中を、滅亡せねばならない!
こういうと、紳士たちは耳を覆うだろう。即ち、(彼らを呪詛する筆者が)「中空まで跳びあがり、完膚なきまでに罵り、―――罵りを止めない」からである。さらには文士たちも罵るに違いない。口語文は「文格」にもとるとか、「人格」を損ねることおびただしい、と。「言は、心の声」ではないか?「文」と「人」とは当然、相関関係にあり、人の世はもともと、千奇百怪、なんでも起こるが、教授たちの中にも、作者(魯迅)の人格は「尊敬しない」が、「彼の小説は良くない」とは言えない、という変な人もいる。が、私は頓着しない。幸いまだ(現実乖離の:人民文学出版注)「象牙の塔」に上がってはいないから、何の心配もいらない。もし、知らないうちに上がっていたとしても、すぐ転げ落ちるまでだ。転げ落ちる途中、地面に着くまでにもう一度言う:
口語文を妨害せんとする連中を、滅亡せねばならない!
小学生が粗雑な「児童世界」を夢中になって読んでいるのを見ると、外国の児童が読んでいる本の美しさ、精巧さと比べ、中国の児童たちがかわいそうになる。ただ、私や私と同窓の童年のころを思い出すと、だいぶ良くなったとは思う。我々の過ぎ去りし時代に悲哀の弔辞を贈る。我々のころは、見るべきものは何も無い。少しでも挿し絵があると、塾の先生、すなわち当時の「青少年を指導すべき先輩」から禁じられ、しかられて、掌の中心を叩かれた。私の級友は「人の初め、性は本来善」(という三字経)だけを読まされ、余りの退屈さに耐えられず、「文星高照」の、悪鬼の魁星の像を偸み見して、幼い審美眼を満たしていた。昨日も見、今日もそれを見るのだが、彼の目にはきらめきが蘇生し、喜びの輝きが戻った。
塾外では禁令は緩やかで、というのは私個人のことだが、人によっては違うだろう。だが、皆の前でおおっぴらに読めたのは、「文昌帝君陰騭文図説」と「玉歴鈔伝」で、因果応報の物語だ。雷公と稲妻が雲の上に立ち、地面の下には牛頭と馬面がひしめき、「中空に跳びあがる」のは、天の掟を犯す者で、たとい一言半句でも符合せず、わずかの存念でもそれが抵触するようなら、相応の扱いを受ける。この扱いは決して「些細な怨み」などの騒ぎではない。そこでは鬼神が君主で、「公理」が宰相だから、跪いて酒を献じても何の役にもたたず、まったく手が出ない。中国では、人となるだけでなく、死者となるのも極めて困難なのだ。しかしこの世よりましと言えるのは、いわゆる「紳士」もいないし、「流言飛語」も無い点だ。
あの世で静かに過したいなら、あの世のことをあまりほめてはいけない。特に、筆を弄ぶのが好きな人間は、流言がとびかう今の中国では、そしてまた「言行一致」を大いに推進せんとしている今、前車の覆るのを鑑としなければならない。
アルツイバージェフが以前、若い女性の質問に答えた「ただ人生の事実そのものの中に、歓喜を探し出す者のみが、生きて行ける。そこで何も見いだせなかったら、死んだ方がましだ」という一節がある。それに対して、ミハロフという人が、手紙で罵った。「……、だから私は衷心よりお勧めするのだが、君は自殺して、自分の命に禍を与えて、福を取れ。それが一番ロジックにあっているし、二番目には言行不一致にならずに済む」と。
そうは言っても、この論法は人を謀殺するもので、彼自身はこのようにして、人生の歓喜を見つけ出してきたのだ。アルツイバ―ジェフは不平不満をならべただけで、自殺しなかった。ミハロフ氏はその後どうなったか知らない。歓びは失ったか、別に何かを探し出したか。まことに「そのころは勇敢でも安穏に暮せたし、情熱的であることに何の危険も無かった」ようだ。
しかしながら、私はすでにあの世のことをほめてしまったので、前言は撤回できない;「言行不一致」の嫌いはあるが、閻魔大王や小鬼からびた一文もらっていないから、この役はいつでも降りられるのだが。まあ、このまま書きすすめてみよう:
私が見たあの世の絵は、家の書庫にあった古い本で、私の専有ではない。私が自分の物として手にした最初の挿し絵本は、一族の年長者が呉れた:「二十四孝図」だ。ほんとうに薄い冊子だが、下に挿し絵、上に説明があり、鬼は少なく、人が多く描かれ、自分の本なので、とてもうれしかった。その中の故事は誰でも知っているもので:字の読めない者も、たとえば阿長(乳母)でも絵を見れば、滔々と物語ることができた。ただ、うれしさの後に来たものは、興味喪失感であった。
二十四孝図の物語を全て聞き終えたあと、「孝」がかくも難しく、それまで呆けたように妄想していたことと、孝子になろうとしていた望みは、完全に絶たれた。
「人の初め、性は本来善」というのは本当か?これは今、ここで研究しなければならぬテーマではない。ただ、私は今もはっきり覚えているが、幼いころ、親に逆らったことは一度も無いし、父母に対しては特に孝順であろうとした。しかし幼いときは、何も知らないから、自分なりに「孝順」を理解して「よく親の話を聞き、いいつけに従う」ことと思っていた。成人したら、年老いた父母に食事をあげること、だと。この孝子の教科書を見てから、決してそんな事だけではすまないのだと悟った。何十倍、何百倍も難しい、と。もちろん、努力すればできることもある。「子路、米を負う」「黄香、枕を煽ぐ」の類だ。「陸績、橘を懐にす」も難しくない。金持ちが私を招宴してくれたらの話だが。
「魯迅さん、デザートのミカンを懐に入れて持ち帰りますか?」私はすぐ跪いて「母の好物ですから、頂きます」と応える。主は敬服し、かくして孝子はいとも簡単に誕生する。
「(冬に)竹に哭いて、筝を生ず」は疑わしい。私の誠心では、このように天地を感動させる自信はない。ただ、哭いても筝が出てこないというだけなら、面子を無くすだけで済む話だが、「氷に臥して鯉を求む」となると、生命に関わってくる。我故郷は温暖だから、厳冬でも薄氷しか張らない。小さな子供でも、乗ったらバリっと割れて、池に落ちて鯉も逃げてしまう。もちろん命を大切にすべきで、それでこそ、孝が神明を感動させ、思いもつかない奇跡を呼ぶ。ただ、その頃私は幼くて、こんなことは知らなかった。
中でも特に分からなかったし、反感を覚えたのは、「老莱、親を娯(たのします)」と
「郭巨、児を埋める」の二篇、である。
今でも覚えているが、一つは、老父母の前で倒れている爺さん。もう一つは母の手に抱かれている幼児。どうして私は、この絵に違和感を覚えたのか。二人とも手にはデンデン太鼓を持っている。この玩具は可愛らしい。北京では小鼓という。即ち鼗(トウ)で、
朱熹曰く「鼗、小鼓、両側に耳あり、その柄を持って揺すると、傍らの耳が自ら撃ち」、
トントンと鳴る。しかしこんなものは老莱子の手に持たせるべきじゃない。彼は杖を持つべきで、こんな恰好はまったくでたらめで、子供を侮辱する。二度と見たくないので、このページに来ると、すぐ次をめくった。
当時の「二十四孝図」は、とうにどこかに無くした。今手元にあるのは、日本の小田海僊の描いた(絵を中国で印刷した)本だけ。老莱子のことを「七十才で、老と称せず、いつも五色の斑斕の衣を着て、嬰児となって、親の側に遊ぶ。また常に水(桶)を手に堂に上がり、詐りて転び、地に倒れ、嬰児のように泣き、以て親を娯す」だいたいの内容は旧い本と同じで、私の反感を招くのは、詐りて転ぶだ。逆らうにせよ、孝順にせよ、子供は多くは「詐りて」など望まぬ。物語を聞いても作り話は喜ばない。こんなことは少しでも児童心理に心得のあるものは、みな知っている。
もう少し古い本を見ると、こんなに虚偽に満ちてはいない。師覚授(南朝宋人)の「孝子伝」には、「老莱子…、いつも斑斕の着物で、親に飲み物を持って行き、堂に上がる際、
転んで父母の心を傷つけるのをおそれ、倒れ臥して嬰児の泣く真似をする」(太平御覧の413引)。今のと比べると、多少人情に近い。それがどうしたわけか、後世の君子が“詐りて”と改作しないと気が済まなくなったのか。鄧伯道が子を棄てて侄を救うというのも、考えてみれば、ただ“棄てる”だけなのだが、いい加減な連中が、子を樹にしばりつけ、追いかけて来られないようにした。まさしく「身の毛がよだつのを趣味」とするのと同じで、非情を封建道徳の鑑とするようだ。古人を侮蔑し、後の人に悪影響を及ぼすものだ。老莱子は、ほんの一例で、道学先生(朱子学者)は彼を無疵の完璧者とみなすが、子供たちの心の中では、すでに死滅している。
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