火星の運河(上)
江戸川乱歩

 又あすこへ来たなという、寒い様な魅力が私を戦おののかせた。にぶ色の暗やみが私の全世界を覆いつくしていた。恐らくは音も匂においも、触覚さえもが私の身体からだから蒸発して了しまって、煉羊羹ねりようかんの濃こまやかに澱よどんだ色彩ばかりが、私のまわりを包んでいた。
 頭の上には夕立雲の様に、まっくらに層をなした木の葉が、音もなく鎮しずまり返って、そこからは巨大な黒褐色くろかっしょくの樹幹が、滝をなして地上に降り注ぎ、観兵式の兵列の様に、目も遙はるかに四方にうち続いて、末は奥知れぬ暗の中に消えていた。
 幾層の木の葉の暗のその上には、どの様なうららかな日が照っているか、或あるいは、どの様な冷い風が吹きすさんでいるか、私には少しも分らなかった。ただ分っていることは、私が今、果てしも知らぬ大森林の下闇を、行方ゆくえ定めず歩き続けている、その単調な事実だけであった。歩いても歩いても、幾抱えの大木の幹を、次から次へと、迎え見送るばかりで景色は少しも変らなかった。足の下には、この森が出来て以来、幾百年の落葉が、湿気の充みちたクッションを為なして、歩くたびに、ジクジクと、音を立てているに相違なかった。
 聴覚のない薄暗の世界は、この世からあらゆる生物が死滅したことを感じさせた。或は又、不気味にも、森全体がめしいたる魑魅魍魎ちみもうりょうに充みち満ちているが如ごとくにも、思われないではなかった。くちなわの様な山蛭やまびるが、まっくらな天井から、雨垂れを為して、私の襟えりくびに注いでいるのが想像された。私の眼界には一物の動くものとてなかったけれど、背後には、くらげの如きあやしの生きものが、ウヨウヨと身をすり合せて、声なき笑いを合唱しているのかも知れなかった。
 でも、暗闇と、暗闇の中に住むものとが、私を怖こわがらせたのは云いうまでもないけれど、それらにもまして、いつもながらこの森の無限が、奥底の知れぬ恐怖を以もって、私に迫った。それは、生れ出たばかりの嬰児えいじが、広々とした空間に畏怖いふして、手足をちぢめ、恐れ戦くが如き感じであった。
 私は「母さん、怖いよう」と、叫びそうになるのを、やっとこらえながら、一刻も早く、暗の世界を逃れ出そうと、あがいた。
 併しかし、あがけばあがく程、森の下闇は、益々ますます暗さをまして行った。何年の間、或は何十年の間、私はそこを歩き続けたことであろう! そこには時というものがなかった。日暮れも夜明けもなかった。歩き始めたのが昨日であったか、何十年の昔であったか、それさえ曖昧あいまいな感じであった。
 私は、ふと未来永劫みらいえいごうこの森の中に、大きな大きな円を描いて歩きつづけているのではないかと疑い始めた。外界の何物よりも私自身の歩幅ほはばの不確実が恐しかった。私は嘗かつて、右足と左足との歩きぐせにたった一吋インチの相違があった為に、沙漠さばくの中を円を描いて歩き続けた旅人の話を聞いていた。沙漠には雲がはれて、日も出よう、星もまたたこう。併し、暗闇の森の中には、いつまで待っても、何の目印も現れては呉くれないのだ。世にためしなき恐れであった。私はその時の、心の髄ずいからの戦きを、何と形容すればよいのであろう。
 私は生れてから、この同じ恐れを、幾度いくたびと知れず味あじわった。併し、一度たびごとに、いい知れぬ恐怖の念は、そして、それに伴うあるとしもなき懐なつかしさは、共に増しこそすれ、決して減じはしなかった。その様に度々のことながら、どの場合にも、不思議なことには、いつどこから森に入って、いつ又どこから森を抜け出すことが出来たのやら、少しも記憶していなかった。一度ずつ、全く新たなる恐怖が私の魂を圧し縮めた。
 巨大なる死の薄暗を、豆つぶの様な私という人間が、息を切り汗を流して、いつまでも、いつまでも歩いていた。
ふと気がつくと、私の周囲には異様な薄明うすあかりが漂い初めていた。それは例えば、幕に映った幻燈の光の様に、この世の外ほかの明るさではあったけれど、でも、歩くに随したがって闇はしりえに退いて行った。「ナンダ、これが森の出口だったのか」私はそれをどうして忘れていたのであろう。そして、まるで永久にそこにとじ込められた人の様に、おじ恐れていたのであろう。
 私は水中を駈けるに似た抵抗を感じながら、でも次第に光りの方へ近づいて行った。近づくに従って、森の切れ目が現れ、懐しき大空が見え初はじめた。併し、あの空の色は、あれが私達の空であったのだろうか。そして、その向うに見えるものは(?)アア、私はやっぱりまだ森を出ることが出来ないのだった。
 森の果てとばかり思い込んでいた所は、その実じつ森の真中であったのだ。
 そこには、直径一町ばかりの丸い沼があった。沼のまわりは、少しの余地も残さず、直ただちに森が囲んでいた。そのどちらの方角を見渡しても、末はあやめも知れぬ闇となり、今迄いままで私の歩いて来たのより浅い森はない様に見えた。
 度々森をさ迷いながら、私は斯様かような沼のあることを少しも知らなかった。それ故ゆえ、パッと森を出離れて、沼の岸に立った時、そこの景色の美しさに、私はめまいを感じた。万花鏡まんかきょうを一転して、ふと幻怪な花を発見した感じである。併し、そこには万花鏡の様な華はなやかな色彩がある訳わけではなく、空も森も水も、空はこの世のものならぬいぶし銀、森は黒ずんだ緑と茶、そして水は、それらの単調な色どりを映しているに過ぎないのだ。それにも拘かかわらず、この美しさは何物の業わざであろう。銀鼠ぎんねずの空の色か、巨大な蜘蛛くもが今獲えものをめがけて飛びかかろうとしている様な、奇怪なる樹木達の枝ぶりか、固体の様におし黙って、無限の底に空を映した沼の景色か、それもそうだ。併しもっと外ほかにある。えたいの知れぬものがある。
音もなく、匂いもなく、肌触りさえない世界の故か。そして、それらの聴覚、嗅覚、触覚が、たった一つの視覚に集められている為ためか、それもそうだ。併しもっと外にある。空も森も水も、何者かを待ち望んで、ハチ切れ相そうに見えるではないか。彼等の貪婪どんらん極りなき慾情が、いぶきとなってふき出しているのではないか。併しそれが、何故なぜなればかくも私の心をそそるのか。
 私は何気なく、眼を外界から私自身の、いぶかしくも裸の身体からだに移した。そして、そこに、男のではなくて、豊満なる乙女おとめの肉体を見出した時、私が男であったことをうち忘れて、さも当然の様にほほえんだ。ああこの肉体だ(!)私は余りの嬉しさに、心臓が喉のどの辺まで飛び上るのを感じた。
 私の肉体は、(それは不思議にも私の恋人のそれと、そっくり生いきうつしなのだが)何とまあすばらしい美しさであったろう。ぬれ鬘かつらの如く、豊ゆたかにたくましき黒髪、アラビヤ馬に似もって[#「似もって」はママ]、精悍せいかんにはり切った五体、蛇の腹の様につややかに、青白き皮膚の色、この肉体を以て、私は幾人の男子を征服して来たか。私という女王の前に、彼等がどの様な有様でひれ俯ふしたか。
 今こそ、何もかも明白になった。私は不思議な沼の美しさを、漸ようやく悟ることが出来たのだ。
「オオ、お前達はどんなに私を待ちこがれていたことであろう。幾千年、幾万年、お前たち、空も森も水も、ただこの一刹那いっせつなの為に生き永らえていたのではないか。お待ち遠さま(!)さあ、今、私はお前達の烈はげしい願ねがいをかなえて上げるのだよ」
 この景色の美しさは、それ自身完全なものではなかった。何かの背景としてそうであったのだ。そして今、この私が、世にもすばらしい俳優として彼等の前に現れたのだ。
闇の森に囲まれた底なし沼の、深く濃こまやかな灰色の世界に、私の雪白せっぱくの肌はだえが、如何いかに調和よく、如何に輝かしく見えたことであろう。何という大芝居だ。何という奥底知れぬ美しさだ。
 私は一歩沼の中に足を踏み入れた。そして、黒い水の中央に、同じ黒さで浮んでいる、一つの岩をめがけて、静しずかに泳ぎ初めた。水は冷たくも暖かくもなかった。油の様にトロリとして、手と足を動かすにつれてその部分丈だけ波立つけれど、音もしなければ、抵抗も感じない。私は胸のあたりに、二筋三筋の静な波紋はもんを描いて、丁度真白な水鳥が、風なき水面をすべる様に、音もなく進んで行った。やがて、中心に達すると、黒くヌルヌルした岩の上に這はい上あがる。その様さまは、例えば夕凪ゆうなぎの海に踊る人魚の様ようにも見えたであろうか。
 今、私はその岩の上にスックと立上った。オオ、何という美しさだ。私は顔を空ざまにして、あらん限りの肺臓の力を以て、花火の様な一声ひとこえを上げた。胸と喉の筋肉が無限の様に伸びて、一点の様にちぢんだ。
 それから、極端な筋肉の運動が始められた。それがまあ、どんなにすばらしいものであったか。青大将あおだいしょうが真二つにちぎられてのたうち廻まわるのだ。尺取虫しゃくとりむしと芋虫とみみずの断末魔だんまつまだ。無限の快楽に、或は無限の痛苦にもがくけだものだ。
 踊り疲れると、私は喉をうるおす為に、黒い水中に飛び込んだ。そして、胃の腑ふの受け容いれるだけ、水銀の様に重い水を飲んだ。
 そうして踊り狂いながらも、私は何か物足らなかった。私ばかりでなく周囲の背景達も、不思議に緊張をゆるめなかった。彼等はこの上に、まだ何事を待ち望んでいるのであろう。
「そうだ、紅くれないの一いろだ」
私はハットそこに気がついた。このすばらしい画面には、たった一つ、紅の色が欠けている。若もしそれを得ることが出来たならば、蛇の目が生きるのだ。奥底知れぬ灰色と、光り輝く雪の肌と、そして紅の一点、そこで、何物にもまして美しい蛇の目が生きるのだ。
 したが、私はどこにその絵の具を求めよう。この森の果てから果てを探したとて、一輪の椿つばきさえ咲いてはいないのだ。立並ぶ彼かの蜘蛛の木の外ほかに木はないのだ。
「待ち給たまえ、それ、そこに、すばらしい絵の具があるではないか。心臓というシボリ出し、こんな鮮かな紅を、どこの絵の具屋が売っている」
 私は薄く鋭い爪を以て、全身に、縦横無尽のかき傷を拵こしらえた、豊なる乳房、ふくよかな腹部、肉つきのよい肩、はり切った太股ふともも、そして美しい顔にさえも。傷口からしたたる血のりが川を為して、私の身体は真赤なほりものに覆われた。血潮の網シャツを着た様だ。
 それが沼の水面に映っている。火星の運河(!)私の身体は丁度あの気味悪い火星の運河だ。そこには水の代りに赤い血のりが流れている。
 

二十四孝図(上)
鲁迅

 私は何としても、最も激しく最も殺傷力のある呪文を見つけ出し、口語文に反対する人々、口語文を妨害する者を呪詛したい。たとい死後に、霊魂が残るとしても、この激しい憎悪の気持は、地獄に落ちても、悔いたりしない。まず何をおいても、口語文に反対する連中、口語文を妨害する連中を呪詛したい。
 いわゆる「文学革命」以来、子供向けの本は、欧米、日本に比べまだだいぶ見劣りするが、挿し絵もつき、読めるかぎりは、理解できるようになった。しかし、ある思惑を持った連中は、それすら禁じようとし、子供の世界のわずかな楽しみも奪おうとしている。
北京で今、子供を怖がらせる時に「馬虎子」(マーフーズが来るぞ)という。一説には、「開河記」に書かれている、隋の煬帝の命で運河を開削したとき、小児を蒸して(食べた)麻叔謀という:正確には“麻胡人”と書くべきだが、そうであれば、麻叔謀は胡人となる。ただ、彼が何人であれ、彼が子供を食ったとしても、人数には限りがあり、彼の一生の短い間に過ぎない。口語文妨害者の流す害毒は、洪水や猛獣より過酷で、非常に広範、かつ長期に及んでいる。全中国を麻胡(マーフー)にさせて、すべての子供を彼の腹の中で殺している。
 口語文を妨害せんとする連中を、滅亡せねばならない!
 こういうと、紳士たちは耳を覆うだろう。即ち、(彼らを呪詛する筆者が)「中空まで跳びあがり、完膚なきまでに罵り、―――罵りを止めない」からである。さらには文士たちも罵るに違いない。口語文は「文格」にもとるとか、「人格」を損ねることおびただしい、と。「言は、心の声」ではないか?「文」と「人」とは当然、相関関係にあり、人の世はもともと、千奇百怪、なんでも起こるが、教授たちの中にも、作者(魯迅)の人格は「尊敬しない」が、「彼の小説は良くない」とは言えない、という変な人もいる。が、私は頓着しない。幸いまだ(現実乖離の:人民文学出版注)「象牙の塔」に上がってはいないから、何の心配もいらない。もし、知らないうちに上がっていたとしても、すぐ転げ落ちるまでだ。転げ落ちる途中、地面に着くまでにもう一度言う:
 口語文を妨害せんとする連中を、滅亡せねばならない!
小学生が粗雑な「児童世界」を夢中になって読んでいるのを見ると、外国の児童が読んでいる本の美しさ、精巧さと比べ、中国の児童たちがかわいそうになる。ただ、私や私と同窓の童年のころを思い出すと、だいぶ良くなったとは思う。我々の過ぎ去りし時代に悲哀の弔辞を贈る。我々のころは、見るべきものは何も無い。少しでも挿し絵があると、塾の先生、すなわち当時の「青少年を指導すべき先輩」から禁じられ、しかられて、掌の中心を叩かれた。私の級友は「人の初め、性は本来善」(という三字経)だけを読まされ、余りの退屈さに耐えられず、「文星高照」の、悪鬼の魁星の像を偸み見して、幼い審美眼を満たしていた。昨日も見、今日もそれを見るのだが、彼の目にはきらめきが蘇生し、喜びの輝きが戻った。
 塾外では禁令は緩やかで、というのは私個人のことだが、人によっては違うだろう。だが、皆の前でおおっぴらに読めたのは、「文昌帝君陰騭文図説」と「玉歴鈔伝」で、因果応報の物語だ。雷公と稲妻が雲の上に立ち、地面の下には牛頭と馬面がひしめき、「中空に跳びあがる」のは、天の掟を犯す者で、たとい一言半句でも符合せず、わずかの存念でもそれが抵触するようなら、相応の扱いを受ける。この扱いは決して「些細な怨み」などの騒ぎではない。そこでは鬼神が君主で、「公理」が宰相だから、跪いて酒を献じても何の役にもたたず、まったく手が出ない。中国では、人となるだけでなく、死者となるのも極めて困難なのだ。しかしこの世よりましと言えるのは、いわゆる「紳士」もいないし、「流言飛語」も無い点だ。
 あの世で静かに過したいなら、あの世のことをあまりほめてはいけない。特に、筆を弄ぶのが好きな人間は、流言がとびかう今の中国では、そしてまた「言行一致」を大いに推進せんとしている今、前車の覆るのを鑑としなければならない。
アルツイバージェフが以前、若い女性の質問に答えた「ただ人生の事実そのものの中に、歓喜を探し出す者のみが、生きて行ける。そこで何も見いだせなかったら、死んだ方がましだ」という一節がある。それに対して、ミハロフという人が、手紙で罵った。「……、だから私は衷心よりお勧めするのだが、君は自殺して、自分の命に禍を与えて、福を取れ。それが一番ロジックにあっているし、二番目には言行不一致にならずに済む」と。
 そうは言っても、この論法は人を謀殺するもので、彼自身はこのようにして、人生の歓喜を見つけ出してきたのだ。アルツイバ―ジェフは不平不満をならべただけで、自殺しなかった。ミハロフ氏はその後どうなったか知らない。歓びは失ったか、別に何かを探し出したか。まことに「そのころは勇敢でも安穏に暮せたし、情熱的であることに何の危険も無かった」ようだ。
 しかしながら、私はすでにあの世のことをほめてしまったので、前言は撤回できない;「言行不一致」の嫌いはあるが、閻魔大王や小鬼からびた一文もらっていないから、この役はいつでも降りられるのだが。まあ、このまま書きすすめてみよう:
 私が見たあの世の絵は、家の書庫にあった古い本で、私の専有ではない。私が自分の物として手にした最初の挿し絵本は、一族の年長者が呉れた:「二十四孝図」だ。ほんとうに薄い冊子だが、下に挿し絵、上に説明があり、鬼は少なく、人が多く描かれ、自分の本なので、とてもうれしかった。その中の故事は誰でも知っているもので:字の読めない者も、たとえば阿長(乳母)でも絵を見れば、滔々と物語ることができた。ただ、うれしさの後に来たものは、興味喪失感であった。
二十四孝図の物語を全て聞き終えたあと、「孝」がかくも難しく、それまで呆けたように妄想していたことと、孝子になろうとしていた望みは、完全に絶たれた。
「人の初め、性は本来善」というのは本当か?これは今、ここで研究しなければならぬテーマではない。ただ、私は今もはっきり覚えているが、幼いころ、親に逆らったことは一度も無いし、父母に対しては特に孝順であろうとした。しかし幼いときは、何も知らないから、自分なりに「孝順」を理解して「よく親の話を聞き、いいつけに従う」ことと思っていた。成人したら、年老いた父母に食事をあげること、だと。この孝子の教科書を見てから、決してそんな事だけではすまないのだと悟った。何十倍、何百倍も難しい、と。もちろん、努力すればできることもある。「子路、米を負う」「黄香、枕を煽ぐ」の類だ。「陸績、橘を懐にす」も難しくない。金持ちが私を招宴してくれたらの話だが。
「魯迅さん、デザートのミカンを懐に入れて持ち帰りますか?」私はすぐ跪いて「母の好物ですから、頂きます」と応える。主は敬服し、かくして孝子はいとも簡単に誕生する。
「(冬に)竹に哭いて、筝を生ず」は疑わしい。私の誠心では、このように天地を感動させる自信はない。ただ、哭いても筝が出てこないというだけなら、面子を無くすだけで済む話だが、「氷に臥して鯉を求む」となると、生命に関わってくる。我故郷は温暖だから、厳冬でも薄氷しか張らない。小さな子供でも、乗ったらバリっと割れて、池に落ちて鯉も逃げてしまう。もちろん命を大切にすべきで、それでこそ、孝が神明を感動させ、思いもつかない奇跡を呼ぶ。ただ、その頃私は幼くて、こんなことは知らなかった。
 中でも特に分からなかったし、反感を覚えたのは、「老莱、親を娯(たのします)」と
「郭巨、児を埋める」の二篇、である。
 今でも覚えているが、一つは、老父母の前で倒れている爺さん。もう一つは母の手に抱かれている幼児。どうして私は、この絵に違和感を覚えたのか。二人とも手にはデンデン太鼓を持っている。この玩具は可愛らしい。北京では小鼓という。即ち鼗(トウ)で、
朱熹曰く「鼗、小鼓、両側に耳あり、その柄を持って揺すると、傍らの耳が自ら撃ち」、
トントンと鳴る。しかしこんなものは老莱子の手に持たせるべきじゃない。彼は杖を持つべきで、こんな恰好はまったくでたらめで、子供を侮辱する。二度と見たくないので、このページに来ると、すぐ次をめくった。
 当時の「二十四孝図」は、とうにどこかに無くした。今手元にあるのは、日本の小田海僊の描いた(絵を中国で印刷した)本だけ。老莱子のことを「七十才で、老と称せず、いつも五色の斑斕の衣を着て、嬰児となって、親の側に遊ぶ。また常に水(桶)を手に堂に上がり、詐りて転び、地に倒れ、嬰児のように泣き、以て親を娯す」だいたいの内容は旧い本と同じで、私の反感を招くのは、詐りて転ぶだ。逆らうにせよ、孝順にせよ、子供は多くは「詐りて」など望まぬ。物語を聞いても作り話は喜ばない。こんなことは少しでも児童心理に心得のあるものは、みな知っている。
 もう少し古い本を見ると、こんなに虚偽に満ちてはいない。師覚授(南朝宋人)の「孝子伝」には、「老莱子…、いつも斑斕の着物で、親に飲み物を持って行き、堂に上がる際、
転んで父母の心を傷つけるのをおそれ、倒れ臥して嬰児の泣く真似をする」(太平御覧の413引)。今のと比べると、多少人情に近い。それがどうしたわけか、後世の君子が“詐りて”と改作しないと気が済まなくなったのか。鄧伯道が子を棄てて侄を救うというのも、考えてみれば、ただ“棄てる”だけなのだが、いい加減な連中が、子を樹にしばりつけ、追いかけて来られないようにした。まさしく「身の毛がよだつのを趣味」とするのと同じで、非情を封建道徳の鑑とするようだ。古人を侮蔑し、後の人に悪影響を及ぼすものだ。老莱子は、ほんの一例で、道学先生(朱子学者)は彼を無疵の完璧者とみなすが、子供たちの心の中では、すでに死滅している。

オデュッセウス

テイレシアスの亡霊
キルケーのおかげで冥界へと足を踏み入れたオデュッセウスは、冥界の王ハーデースの館の前で儀式を行い、預言者テイレシアスを召喚した。テイレシアスは、オデュッセウス一行の旅がまだ苦難の連続であること、しかし、それを耐え抜けば必ず故国へ帰れることを教えてくれた。オデュッセウスは更に、母の霊に妻子の消息を訊ねたり、アキレウスやアガメムノンの霊と出会って幾多の話を聞いたりした。その後、冥界から現世へと戻り、再びアイアイエー島へと帰還した。キルケーは戻った彼に対しセイレーンに気を付けるように忠告し、オデュッセウスはそれを聞き入れてアイアイエー島から出発した。

セイレーンの歌

セイレーンは美しい歌声で航行中の人を惑わし、遭難・難破させる怪鳥であった。セイレーンのいる海域を通る際、オデュッセウスはキルケーの忠告通りに船員には蝋で耳栓をさせ、自分の体をマストに縛り付けた。1人だけセイレーンの歌が聞こえるオデュッセウスが暴れ出すと、歌に惑わされていると判断して船を進め、オデュッセウスが落ち着くともう安全であると判断した。

スキュラの海峡
セイレーンのいる海域を乗り越えたのもつかの間、次の航路の先には、渦潮を起こして船を沈没させるカリュブディスの潜む海峡か、6本の首で6人の船員を喰らうスキュラの棲息する海峡か、どちらかを選ばねばならなかった。キルケーの助言では、スキュラを選ぶべきである、ということであった。理由としては、カリュブディスによって船が沈没させられたら全滅してしまうが、スキュラなら6人が死ぬだけだからだ。キルケーの助言通りオデュッセウスはスキュラの海峡を選び、海から現れた6本の狂犬の首によって6人の部下たちが喰われることになった。この間、オデュッセウスは恐怖でただ見ていることしかできなかった。

ヘリオスの怒り
スキュラの海峡を乗り切ったオデュッセウス一行は、イタリア南岸にあるトリナキエ島に辿り着いた。この島では太陽神ヘリオスが家畜を飼育しており、テイレシアスからも「トリナキエ島はあまりにも危険であるから立ち寄るべきではない。立ち寄ってしまっても、決して太陽神の家畜には手を出すな」と忠告されていた。しかし、部下があまりにも疲れ切っていたので、仕方が無く休息の為に上陸することになってしまった。この時、嵐によって一ヶ月も出航できなくなってしまい、食料が尽きてしまった。空腹に耐えかねた部下の一人がヘリオスの家畜に手を出してしまい、立派な牛を殺して食べてしまった。
これに怒り狂ったヘリオスは、神々の王ゼウスに船を難破させるように頼んだ。ゼウスは嵐を呼び、やっと出航できたオデュッセウスの頑強な船を雷霆によって粉砕した。船は裂け、船員たちは海に投げ出された。オデュッセウスは大波に流されながらも、岩にしがみついた。すると、渦潮によって獲物を喰らう怪物カリュブディスによって船の残骸が丸呑みされるのを目撃した。カリュブディスは船の竜骨を吐き出し、オデュッセウスはそれにしがみついて、九日間も海を漂流する運命になった。部下は全員死亡した。

カリュプソーの島
漂流して十日目に、海の女神カリュプソーの住まう島にオデュッセウスは流れ着いた。そこは故郷からは途方も無く遠い場所だった。カリュプソーはオデュッセウスに一目惚れし、彼に愛情を注ぎ、七年の間オデュッセウスと共に暮らした。カリュプソーと愛を育みながらも、オデュッセウスは故郷への思いを捨てきれず、毎日涙を流す日々であった。

このことを哀れに思ったアテーナーは、オデュッセウスを帰郷させるべく行動を開始した。カリュプソーの元を訪れ、オデュッセウスをイタケーへと帰すように促した。オデュッセウスのことを愛していたカリュプソーは悲しむが、オリュンポスに住まう神々の意志ならばとしぶしぶ同意し、オデュッセウスの船出を見送った。
ポセイドーンの怒り
ポセイドーンは、海の女神とアテーナーの支援を受けて順調に故郷へと船を進めるオデュッセウスを視認すると、怒りで胸を焦がした。息子であるポリュペーモスの眼を潰された怒りが収まっていなかったポセイドーンは、三叉の矛を海に突き刺し、嵐を巻き起こしてオデュッセウスの船を破壊した。大波に呑み込まれたオデュッセウスは死を覚悟するが、海の女神レウコテアーがこれを哀れみ、着けたものは決して溺死することのない魔法のスカーフを彼に授けた。オデュッセウスはそれを着け、海中に潜ってポセイドーンの怒りをやり過ごした。ポセイドーンが去った後、アテーナーが風を吹かし、海上に漂うオデュッセウスをパイエケス人の国へと運んでいった。

ナウシカアとの出会い
オデュッセウスは浜辺へと打ち上げられ、そこでパイエケス人の王女であるナウシカアと出会った。彼女はオデュッセウスをパイエケス人の王宮へと招き入れた。アテーナーの手引きもあって、パイエケス人の王はオデュッセウスに帰郷のための船を提供することを約束すると、競技会や酒宴を開いた。そこで吟遊詩人がトロイア戦争の栄光の物語を語り、オデュッセウスは思わず涙を流してしまう。オデュッセウスは自らの名や身分を明かし、今までの苦難や数々の冒険譚を語り始めるのであった。

帰国
パイエケス人のおかげでオデュッセウスは故郷へと帰国することができた。故国イタケーでは、妻ペーネロペーに多くの男たちが言い寄り、その求婚者たちはオデュッセウスをもはや亡き者として扱い、彼の領地をさんざんに荒していた。オデュッセウスはすぐに正体を明かすことをせず、アテーナーの魔法でみすぼらしい老人に変身すると、好き放題に暴れていた求婚者たちを懲らしめる方法を考えた。ペーネロペーは夫の留守の間、なんとか貞操を守ってきたが、それももう限界だと思い、「オデュッセウスの強弓を使って12の斧の穴を一気に射抜けた者に嫁ぐ」と皆に知らせた。老人に変身していたオデュッセウスはこれを利用して求婚者たちを罰しようと考えた。

求婚者たちは矢を射ろうとするが、あまりにも強い弓だったため、弦を張ることすらできなかった。しかし、老人に変身したオデュッセウスは弓に弦を華麗に張ってみせ、矢を射て12の斧の穴を一気に貫通させた。そこで正体を現したオデュッセウスは、その弓矢で求婚者たちを皆殺しにした。求婚者たちも武装して対抗しようとしたが、歯が立たなかった。こうして、求婚者たちは死に、その魂はヘルメスに導かれて冥界へと下って行った。
ペーネロペーは、最初のうちはオデュッセウスのことを本物かどうか疑っていたが、彼がオデュッセウスしか知りえないことを発言すると、本物だと安心して泣き崩れた。こうして、二人は再会することができたのである。

奥德修斯,又译名“俄底修斯”,是古希腊神话中的英雄,对应罗马神话中的尤利西斯。

奥德修斯是希腊西部伊塔卡岛国王,荷马史诗《奥德赛》的主角,在特洛伊战争中献计,攻克了顽抗十年的特洛伊。

特洛伊战争结束后,在海上漂流十年,部下死伤殆尽,经历无数艰难险阻终于返回故乡,与妻儿团聚。人物简介
希腊联军围攻特洛伊10年期间,奥德修斯英勇善战,足智多谋,屡建奇功。他献木马计里应外合攻破特洛伊。在率领同伴从特洛伊回国途中,因刺瞎独目巨人波吕斐摩斯,得罪了海神波塞冬,从而屡遭波塞冬的阻挠,历尽各种艰辛、危难。他战胜魔女喀耳刻,克服海妖塞壬美妙歌声的诱惑,穿过海怪斯库拉和卡吕布狄斯的居地,摆脱神女卡吕普索的7年挽留,最后于第十年侥幸一人回到故土伊塔卡,同儿子特勒马科斯一起,杀死纠缠他妻子、挥霍他家财的求婚者,阖家团圆。奥德修斯的事迹在荷马史诗中有详细描述。奥德修斯的身上带有明显的时代特点,在对自己私有财产的维护和对妻子忠贞的试探中展现了狡猾和阴险。尽管如此,史诗对奥德赛形象的塑造依然是正面的,他海上战胜重重困难的壮举,彰显了人类在征服自然和面对险阻时百折不挠的坚定意志与豪迈精神。


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