《秦妤祁沅之 姜素顾晋为》
《青梅太娇软,竹马王爷视她如命》沈凝容澈
《池茉时夜宸》
《岑歆霍珉》
《许清桉林樾舟》 小说儿童的身心发展是一个从量变到质变的过程。儿童,尤其是处在幼儿时期的儿童,思维中没有理性的成分,认识事物是感性的。另外,儿童还有看问题片面、只知其一不知其二等年龄特征;即便是少年,还是阅历浅,认识事物的能力不是很强,对很多客观事实不易分清是非、善恶、美丑、荣辱等界线,他们的分辨是很肤浅的,也只知其然,不知其所以然。所以做错了事也不知道自己错在哪里,即使有他人提醒后还是不能马上认识错误的危害,后来还可能犯同样错误。另外,作为家长和老师,往往希望孩子看问题想事情一步到位,然而,这种做法违背了孩子的年龄特征,起不到什么好的效果。驾着我的“黄包车”,一路在尘土中突围,好不容易摆脱满街的黄土,一头扎进办公室。坐在办公桌前惊魂未定,只见办公室门缓缓打开,先见一双手摸摸索索的向我伸来,青筋突暴格外晃眼。随后,一个包裹严实的身影慢慢从门外挪进来,巨大的口罩下完全搞不清是哪位神仙的五官。
《青梅太娇软,竹马王爷视她如命》沈凝容澈
《池茉时夜宸》
《岑歆霍珉》
《许清桉林樾舟》 小说儿童的身心发展是一个从量变到质变的过程。儿童,尤其是处在幼儿时期的儿童,思维中没有理性的成分,认识事物是感性的。另外,儿童还有看问题片面、只知其一不知其二等年龄特征;即便是少年,还是阅历浅,认识事物的能力不是很强,对很多客观事实不易分清是非、善恶、美丑、荣辱等界线,他们的分辨是很肤浅的,也只知其然,不知其所以然。所以做错了事也不知道自己错在哪里,即使有他人提醒后还是不能马上认识错误的危害,后来还可能犯同样错误。另外,作为家长和老师,往往希望孩子看问题想事情一步到位,然而,这种做法违背了孩子的年龄特征,起不到什么好的效果。驾着我的“黄包车”,一路在尘土中突围,好不容易摆脱满街的黄土,一头扎进办公室。坐在办公桌前惊魂未定,只见办公室门缓缓打开,先见一双手摸摸索索的向我伸来,青筋突暴格外晃眼。随后,一个包裹严实的身影慢慢从门外挪进来,巨大的口罩下完全搞不清是哪位神仙的五官。
《青梅太娇软,竹马王爷视她如命》沈凝容澈
《沈玉谢明哲》
《全潇芷梁煜爵》
《秦妤祁沅之 姜素顾晋为》
《桑初絮裴麟州》
《宋颜星薄煦》 小说21世纪,因为科学知识向纵深方向发展,社会分工越来越精细。每个人都要借助他人的智慧完成自己人生的超越,广泛的社会交际,是保持自己和社会联系的最重要渠道,对于了解别人,了解社会起着一种“窗口”的作用。通过这个“窗口”,人们可以自由地互通消息、增加了解,可以更快和更深刻地洞悉社会所发生的各种变化。新生儿降临的一瞬间,就以一声响亮的啼哭来与外界世界交流,这一声洪亮有力的哭声,宣告了宝宝的诞生。在宝宝还没有学会说话之前,他一直用哭声来表达他的一切诉求,每当他饿了、冷了、热了,或是感觉身体不舒服了,就会用响亮的哭声来吸引大人的注意,表达自己的诉求。如果帮宝宝解决完他的问题后,宝宝仍然大哭不止的话,那就需要检查一下宝宝的其他方面是否出了问题。如果爸爸妈妈没有办法找出问题所在,那么很有可能是宝宝的身体出现了疾病,让宝宝烦躁不安,此时爸爸妈妈要及时带宝宝就诊。
《沈玉谢明哲》
《全潇芷梁煜爵》
《秦妤祁沅之 姜素顾晋为》
《桑初絮裴麟州》
《宋颜星薄煦》 小说21世纪,因为科学知识向纵深方向发展,社会分工越来越精细。每个人都要借助他人的智慧完成自己人生的超越,广泛的社会交际,是保持自己和社会联系的最重要渠道,对于了解别人,了解社会起着一种“窗口”的作用。通过这个“窗口”,人们可以自由地互通消息、增加了解,可以更快和更深刻地洞悉社会所发生的各种变化。新生儿降临的一瞬间,就以一声响亮的啼哭来与外界世界交流,这一声洪亮有力的哭声,宣告了宝宝的诞生。在宝宝还没有学会说话之前,他一直用哭声来表达他的一切诉求,每当他饿了、冷了、热了,或是感觉身体不舒服了,就会用响亮的哭声来吸引大人的注意,表达自己的诉求。如果帮宝宝解决完他的问题后,宝宝仍然大哭不止的话,那就需要检查一下宝宝的其他方面是否出了问题。如果爸爸妈妈没有办法找出问题所在,那么很有可能是宝宝的身体出现了疾病,让宝宝烦躁不安,此时爸爸妈妈要及时带宝宝就诊。
2024.03.16
めざましmedia (旧フジテレビュー!!)
@mezamashimedia
https://t.cn/A6TvoBLk
<試写室>『おっパン!』見ている僕らも
「少しだけ“アップデート”に成功したんだな」
と思える素晴らしい最終回!!!
3月16日(土)23時50分~土ドラ
『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』最終話
大石庸平
こんなに素晴らしい最終回、久しく出会ってない…
う・・うううぅぅ・・・・
うぉぉおおおぉぉおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーー!!!(結局号泣)
いやー、前回の最終回前、あまりにも僕がとり乱しすぎて、内容が1だった(ゼロではなく、1)、つまり内容が「大地くん(中島颯太)が小動物♡♡♡♡♡♡」のみで、こんなにも素晴らしいドラマのはずなのに、内容がなさすぎる!いや、内容とかいうレベルじゃなく、中身が一方的過ぎて、それがあまりにも不純すぎる!こんなに“いいドラマ”を目の前にしてんのに、「大地くんが小動物♡♡♡♡♡♡」だけ、じゃねーだろ!!
しかも、最終回前に、改まって、当たり前のことをいまさらに(大地くんが小動物なのは、あたりまえだかんな!!…逆ギレ)、そして何より、“アップデート”を大テーマに掲げた今作に対して、ルッキズムとも捉えかねない、ただのどうでもいい“私情”を、恥ずかしげもなく、むしろ堂々と、あけすけに言い放つだなんて、作品に対して失礼すぎる!!…と、少しは反省してた…(嘘つけ)、いや、こないだの原稿書きあげたときの、これまでにない達成感たるや、なかったよね!!?(やっぱり嘘だった)
いや、だけど、最終回くらいは、ホントに最終回くらいは、真面目に、自分の私情発露!だけじゃない、真面目なことを書こう…と思って、今回こそは、最後だから、気合い入れて、それこそ前半は、久しぶりに、メモ帳までとりだして、要点抑えながら視聴してたんだけど…
・・・・
しゃらくせぇぇぇぇぇ~~~~~~~ぇぇぇうぇぇぇぇ―――――!!!
メモとってる場合かぁぁぁぁーーーーー!?!?!ごるぁぁぁぁあああぁぁぁーーーーーああぁぁぁーー!!!
うん。はい。案の定でした。
…ということで、もうさすがに“しつこい”、ので、ここからは、ドラマ中盤、しゃらくせぇーーー!っと、グチャグチャにして投げ捨てた、メモを広げながら、いかにこのドラマが素晴らしいか、最後くらいは真面目に(たぶん)振り返りたいと思います。
フィクションの世界だけじゃなく、現実の世界も、少しだけ“変わった”気がしたんです!
“バイオリズム”の素晴らしさ
なんといってもこのドラマ、“バイオリズム”が素晴らしいですよね?(急に)いや、“バイオリズム”って言うのは、波長ってことなんですけどね(知ってる)。
誰かが“下がる”と誰かが“上がって”、誰かが“下がる”と誰かが“上がって”…って、そういうこと、です。
例えば初回、主人公の誠(原田泰造)が、“アップデート”できていなくて“下がって”いたとき、大地くんは“上がって”いて(っていう言い方も変だけど)、後半、大地くんがある意味“上がり過ぎて”いるとき、円(東啓介)は“下がりまくって”すれ違いが起きてたし、で、それはメインの登場人物たちだけじゃなく、細部にまで行き渡ってて、第9話でお姉ちゃんが人と関わる才能がないって“下がって”たとき、お父さんの誠は順調にアップデートできていて、“上がって”たもんだから、的確に励まし、アドバイスもできるし…という、そのそれぞれの登場人物の“バイオリズム”が絶妙で、しかもそれが作為的…物語の作劇上であえてそうしてる、みたいには見えないもんだから、お互いが助けあって理解し合う世界=“ダイバーシティ”という、このドラマのテーマ、世界観を見事に表現できていたし。
で、実際の現実でも、上がってる人もいれば下がっている人もいる…しかもそれは不思議と申し合わせてるかのように呼応しあっていることが多いから、とてつもないリアリティまでも生んでいた…と思うんです。
うん、だけど、そうは言っても、ここまでの10回。毎回毎回、“上がってる”人と、“下がってる”人が対(つい)になっている、わけがなくて…全員が全員“下がって”いるときもあれば、全員が全員“上がって”るときだって、ある…よね…ってことで、その“バイオリズム”の美しさが、最終回、見事に、見事に、美しく重なり合う!!!!その、瞬間、大ラスを迎えるのです!
“テーマ”と“ドラマティック”の“食べ合わせ”
『おっパン!』のように、時代の変化に合わせて自らを“アップデートする”っていう、“テーマ”が明確なドラマって、“ドラマティック”との“食べ合わせ”が、すごく悪いような気がするんです。
だって、テーマ先行だと説教臭くなってしまうし、ドラマティックが先行してしまうと何を言いたいのか?がぼやけてしまったり、物語のためだけにテーマを乱用してるみたいになっちゃうじゃないですか。
で、今回の『おっパン!』も、ともすれば、説教臭くなってもおかしくないし、テーマを掲げるためだけに大地くんと円の関係性を安易に当てはめた作品になってしまう可能性だってあった、わけです。で、それはもう、みなさんもおわかりの通り、ここまでは、決してそうならなかった…。
うん、そう、なんだけど、そこまではいいとして、ことドラマの最終回(とその前の回)っていうのは、どうしてもこれまで以上のドラマティックを用意しなければならない宿命があるわけです。だから、これまでは良くても、最終回前~最終回にかけてのドラマティック、最終回への“引き”、は、とてつもなく慎重にならなければならなかったと思うんです。
で、で、その最終回への、大一番への“引き”が、大地くんと円の“結婚”に反対する大地くんの父(相島一之)が現れる…って、言ってしまえば、結婚に反対する敵=ラスボスが現れるっていう、とてつもないドラマティック、なわけじゃないですか。なんだけど、字面からすると、とてつもなく危険。だって、これまで散々、いろんな紆余曲折を経て、大地くんと円は“結婚”を決意したっていうのに、最終回の“ためだけ”に、大きな“引き”をつけるためだけに、ドラマティックを用意した、みたいになるじゃないですか。
だけど、決してそうでは、なかったですよね?(誰に確かめてんだよ!)だって、大地くんと円の“結婚”は、このドラマにおいて、“その先”も描かなければならない。当事者ではない第三者だけが判断して、“愛し合ってる同士”なんだからって、“その先”は曖昧(あいまい)にして、コトが進められるドラマではない…じゃないですか。
責任のとれない他人よりも何よりも、責任が伴う親の反対をどう乗り越えるか、は、このドラマこそが描くべきで、“理解し合える世界”の、最も高い場所、かつ、険しい場所、と言ってもいいわけじゃないですか。
うん、だって、そう、このドラマは「恋愛ドラマ」じゃないんですからね。人は生きていくなかで、仕事もするし、親とケンカもするし、友情もはぐくむし、恋愛もする…それらを描いた、「人間ドラマ」、なんですからね。
で、まさか、その、危険、にも思えた、“結婚の反対”ってのが、“ドラマティック”的にも、“テーマ”的も、最終回前で、見事に合致するという奇跡!!!!!…では、“その先”を描く、最終回とは?…そう!期待を裏切らないわけがないのです!!
“恋愛ドラマ”としての着地点
ついさっき、「恋愛ドラマ」じゃない、とか断言しといて、舌の根の乾かぬうち…どころの騒ぎじゃないですが、ま、そうはいっても、大地くんと円の、「恋愛ドラマ」としての着地点が、気にならないわけ、ないですよね!??!(間違いない)
だって、男女の恋愛ドラマであれば、好き同士、で、話は完結。結婚する。どうぞどうぞ。じゃないですか。なのに、大地くんと円の場合、好き同士、だけでは完結しなくて、“結婚する”とは言っても、日本では“認められていない”わけだから、それがどう着地するのか?こんなにも二人の恋愛模様に、ラストどうなるのか?に、ドキドキしてしまうこと、ないですよね。往年の月9なら、タイトルバックでもうどう結ばれるかどうかなんて、わかっちゃうしね。
だけど、大地くんと円は好き同士、とはいっても、その先どうなるのか、どんな決着を迎えるのか…。あぁ、もう、無理…。最後の場面…いや、最後のお衣装、二人のビジュアル(そこ!?)、を思い出しただけで泣けてくる…。
そんな(!?)僕のように、不純に、「恋愛ドラマ」として楽しんでいる方にも…いいや!大地くんと円の恋愛模様を見守ることの、どこが、不純だって言えます!?(自分で言うたんやん!)ねぇ?!?!どこが、不純ですか!?(いい加減にしろ!)
うん、そう、結局は、最後の最後まで、どうなってしまうのか?ハラハラドキドキがたっぷりの、「至高の恋愛ドラマ」にも仕上がっておりますので、どうぞ、お楽しみに!!
“フィクション”飛び越えたよね?
最後に、僕がこれまで、あまりにもひとりで身勝手に熱狂し過ぎてしまったせいで、ずっと言い忘れていた大切なこと、があるので、最後ですし、ちゃんとここに記しておこうと思います。
それは、さっきも例に挙げた、お姉ちゃん(大原梓)が人付き合いがうまくないことで悩んでいた第9話の、あの場面…。誠が「萌はいい子だよ?」ってセリフを返した、あの瞬間、「あ、世界が変わったな…」って、思ったんです。
で、続けざま、大地くんと円が、大通りで“手をつないで”歩く場面を見て、その前の前の回、第7話で僕が叫んだあの言葉…(円が大地くんと一緒に熊本へ帰ったら)「あんた誰」じゃん!!「あの二人はゲイカップルだからね」って、すんなり、受け入れてもらえる、自然に受け止めてもらえる、そんな世界は、まだ、来てないじゃないかぁぁぁぁぁぁああああああぁぁぁーーーーーーーー!!!!(大号泣)…っていう、“あの叫び”が、このドラマの、あの場面によって、救われた気持ちになった…だけじゃなく、これはフィクションの世界だけじゃなく、現実の世界も、少しだけ“変わった”気がしたんです!!
そう、このドラマは、主人公・誠の“アップデート”を描いていたんだけれど、誠だけじゃなく、その家族が、大地くんが、円が、会社の同僚たちが、そして、見ている僕、視聴者全員が、みんな、少しだけ、 “アップデート”に成功したんだな!って、思えたんです!!
本当にそうなっているか?は問題じゃなくって、不思議と、日本が、世界が、変わりつつあるんだなって、このドラマを通して思えた!!…つまり、それって、このドラマ、“フィクション”、飛び越えたよね!?う…うん、だから、それって、そう!!!つまりそう!!!!大地くんと円が、もし、もし、もし、“そう”なったら(どうなったら!?)---
俺も、熊本帰る!!!(なんでだよ)
めざましmedia (旧フジテレビュー!!)
@mezamashimedia
https://t.cn/A6TvoBLk
<試写室>『おっパン!』見ている僕らも
「少しだけ“アップデート”に成功したんだな」
と思える素晴らしい最終回!!!
3月16日(土)23時50分~土ドラ
『おっさんのパンツがなんだっていいじゃないか!』最終話
大石庸平
こんなに素晴らしい最終回、久しく出会ってない…
う・・うううぅぅ・・・・
うぉぉおおおぉぉおおおおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉーーーー!!!(結局号泣)
いやー、前回の最終回前、あまりにも僕がとり乱しすぎて、内容が1だった(ゼロではなく、1)、つまり内容が「大地くん(中島颯太)が小動物♡♡♡♡♡♡」のみで、こんなにも素晴らしいドラマのはずなのに、内容がなさすぎる!いや、内容とかいうレベルじゃなく、中身が一方的過ぎて、それがあまりにも不純すぎる!こんなに“いいドラマ”を目の前にしてんのに、「大地くんが小動物♡♡♡♡♡♡」だけ、じゃねーだろ!!
しかも、最終回前に、改まって、当たり前のことをいまさらに(大地くんが小動物なのは、あたりまえだかんな!!…逆ギレ)、そして何より、“アップデート”を大テーマに掲げた今作に対して、ルッキズムとも捉えかねない、ただのどうでもいい“私情”を、恥ずかしげもなく、むしろ堂々と、あけすけに言い放つだなんて、作品に対して失礼すぎる!!…と、少しは反省してた…(嘘つけ)、いや、こないだの原稿書きあげたときの、これまでにない達成感たるや、なかったよね!!?(やっぱり嘘だった)
いや、だけど、最終回くらいは、ホントに最終回くらいは、真面目に、自分の私情発露!だけじゃない、真面目なことを書こう…と思って、今回こそは、最後だから、気合い入れて、それこそ前半は、久しぶりに、メモ帳までとりだして、要点抑えながら視聴してたんだけど…
・・・・
しゃらくせぇぇぇぇぇ~~~~~~~ぇぇぇうぇぇぇぇ―――――!!!
メモとってる場合かぁぁぁぁーーーーー!?!?!ごるぁぁぁぁあああぁぁぁーーーーーああぁぁぁーー!!!
うん。はい。案の定でした。
…ということで、もうさすがに“しつこい”、ので、ここからは、ドラマ中盤、しゃらくせぇーーー!っと、グチャグチャにして投げ捨てた、メモを広げながら、いかにこのドラマが素晴らしいか、最後くらいは真面目に(たぶん)振り返りたいと思います。
フィクションの世界だけじゃなく、現実の世界も、少しだけ“変わった”気がしたんです!
“バイオリズム”の素晴らしさ
なんといってもこのドラマ、“バイオリズム”が素晴らしいですよね?(急に)いや、“バイオリズム”って言うのは、波長ってことなんですけどね(知ってる)。
誰かが“下がる”と誰かが“上がって”、誰かが“下がる”と誰かが“上がって”…って、そういうこと、です。
例えば初回、主人公の誠(原田泰造)が、“アップデート”できていなくて“下がって”いたとき、大地くんは“上がって”いて(っていう言い方も変だけど)、後半、大地くんがある意味“上がり過ぎて”いるとき、円(東啓介)は“下がりまくって”すれ違いが起きてたし、で、それはメインの登場人物たちだけじゃなく、細部にまで行き渡ってて、第9話でお姉ちゃんが人と関わる才能がないって“下がって”たとき、お父さんの誠は順調にアップデートできていて、“上がって”たもんだから、的確に励まし、アドバイスもできるし…という、そのそれぞれの登場人物の“バイオリズム”が絶妙で、しかもそれが作為的…物語の作劇上であえてそうしてる、みたいには見えないもんだから、お互いが助けあって理解し合う世界=“ダイバーシティ”という、このドラマのテーマ、世界観を見事に表現できていたし。
で、実際の現実でも、上がってる人もいれば下がっている人もいる…しかもそれは不思議と申し合わせてるかのように呼応しあっていることが多いから、とてつもないリアリティまでも生んでいた…と思うんです。
うん、だけど、そうは言っても、ここまでの10回。毎回毎回、“上がってる”人と、“下がってる”人が対(つい)になっている、わけがなくて…全員が全員“下がって”いるときもあれば、全員が全員“上がって”るときだって、ある…よね…ってことで、その“バイオリズム”の美しさが、最終回、見事に、見事に、美しく重なり合う!!!!その、瞬間、大ラスを迎えるのです!
“テーマ”と“ドラマティック”の“食べ合わせ”
『おっパン!』のように、時代の変化に合わせて自らを“アップデートする”っていう、“テーマ”が明確なドラマって、“ドラマティック”との“食べ合わせ”が、すごく悪いような気がするんです。
だって、テーマ先行だと説教臭くなってしまうし、ドラマティックが先行してしまうと何を言いたいのか?がぼやけてしまったり、物語のためだけにテーマを乱用してるみたいになっちゃうじゃないですか。
で、今回の『おっパン!』も、ともすれば、説教臭くなってもおかしくないし、テーマを掲げるためだけに大地くんと円の関係性を安易に当てはめた作品になってしまう可能性だってあった、わけです。で、それはもう、みなさんもおわかりの通り、ここまでは、決してそうならなかった…。
うん、そう、なんだけど、そこまではいいとして、ことドラマの最終回(とその前の回)っていうのは、どうしてもこれまで以上のドラマティックを用意しなければならない宿命があるわけです。だから、これまでは良くても、最終回前~最終回にかけてのドラマティック、最終回への“引き”、は、とてつもなく慎重にならなければならなかったと思うんです。
で、で、その最終回への、大一番への“引き”が、大地くんと円の“結婚”に反対する大地くんの父(相島一之)が現れる…って、言ってしまえば、結婚に反対する敵=ラスボスが現れるっていう、とてつもないドラマティック、なわけじゃないですか。なんだけど、字面からすると、とてつもなく危険。だって、これまで散々、いろんな紆余曲折を経て、大地くんと円は“結婚”を決意したっていうのに、最終回の“ためだけ”に、大きな“引き”をつけるためだけに、ドラマティックを用意した、みたいになるじゃないですか。
だけど、決してそうでは、なかったですよね?(誰に確かめてんだよ!)だって、大地くんと円の“結婚”は、このドラマにおいて、“その先”も描かなければならない。当事者ではない第三者だけが判断して、“愛し合ってる同士”なんだからって、“その先”は曖昧(あいまい)にして、コトが進められるドラマではない…じゃないですか。
責任のとれない他人よりも何よりも、責任が伴う親の反対をどう乗り越えるか、は、このドラマこそが描くべきで、“理解し合える世界”の、最も高い場所、かつ、険しい場所、と言ってもいいわけじゃないですか。
うん、だって、そう、このドラマは「恋愛ドラマ」じゃないんですからね。人は生きていくなかで、仕事もするし、親とケンカもするし、友情もはぐくむし、恋愛もする…それらを描いた、「人間ドラマ」、なんですからね。
で、まさか、その、危険、にも思えた、“結婚の反対”ってのが、“ドラマティック”的にも、“テーマ”的も、最終回前で、見事に合致するという奇跡!!!!!…では、“その先”を描く、最終回とは?…そう!期待を裏切らないわけがないのです!!
“恋愛ドラマ”としての着地点
ついさっき、「恋愛ドラマ」じゃない、とか断言しといて、舌の根の乾かぬうち…どころの騒ぎじゃないですが、ま、そうはいっても、大地くんと円の、「恋愛ドラマ」としての着地点が、気にならないわけ、ないですよね!??!(間違いない)
だって、男女の恋愛ドラマであれば、好き同士、で、話は完結。結婚する。どうぞどうぞ。じゃないですか。なのに、大地くんと円の場合、好き同士、だけでは完結しなくて、“結婚する”とは言っても、日本では“認められていない”わけだから、それがどう着地するのか?こんなにも二人の恋愛模様に、ラストどうなるのか?に、ドキドキしてしまうこと、ないですよね。往年の月9なら、タイトルバックでもうどう結ばれるかどうかなんて、わかっちゃうしね。
だけど、大地くんと円は好き同士、とはいっても、その先どうなるのか、どんな決着を迎えるのか…。あぁ、もう、無理…。最後の場面…いや、最後のお衣装、二人のビジュアル(そこ!?)、を思い出しただけで泣けてくる…。
そんな(!?)僕のように、不純に、「恋愛ドラマ」として楽しんでいる方にも…いいや!大地くんと円の恋愛模様を見守ることの、どこが、不純だって言えます!?(自分で言うたんやん!)ねぇ?!?!どこが、不純ですか!?(いい加減にしろ!)
うん、そう、結局は、最後の最後まで、どうなってしまうのか?ハラハラドキドキがたっぷりの、「至高の恋愛ドラマ」にも仕上がっておりますので、どうぞ、お楽しみに!!
“フィクション”飛び越えたよね?
最後に、僕がこれまで、あまりにもひとりで身勝手に熱狂し過ぎてしまったせいで、ずっと言い忘れていた大切なこと、があるので、最後ですし、ちゃんとここに記しておこうと思います。
それは、さっきも例に挙げた、お姉ちゃん(大原梓)が人付き合いがうまくないことで悩んでいた第9話の、あの場面…。誠が「萌はいい子だよ?」ってセリフを返した、あの瞬間、「あ、世界が変わったな…」って、思ったんです。
で、続けざま、大地くんと円が、大通りで“手をつないで”歩く場面を見て、その前の前の回、第7話で僕が叫んだあの言葉…(円が大地くんと一緒に熊本へ帰ったら)「あんた誰」じゃん!!「あの二人はゲイカップルだからね」って、すんなり、受け入れてもらえる、自然に受け止めてもらえる、そんな世界は、まだ、来てないじゃないかぁぁぁぁぁぁああああああぁぁぁーーーーーーーー!!!!(大号泣)…っていう、“あの叫び”が、このドラマの、あの場面によって、救われた気持ちになった…だけじゃなく、これはフィクションの世界だけじゃなく、現実の世界も、少しだけ“変わった”気がしたんです!!
そう、このドラマは、主人公・誠の“アップデート”を描いていたんだけれど、誠だけじゃなく、その家族が、大地くんが、円が、会社の同僚たちが、そして、見ている僕、視聴者全員が、みんな、少しだけ、 “アップデート”に成功したんだな!って、思えたんです!!
本当にそうなっているか?は問題じゃなくって、不思議と、日本が、世界が、変わりつつあるんだなって、このドラマを通して思えた!!…つまり、それって、このドラマ、“フィクション”、飛び越えたよね!?う…うん、だから、それって、そう!!!つまりそう!!!!大地くんと円が、もし、もし、もし、“そう”なったら(どうなったら!?)---
俺も、熊本帰る!!!(なんでだよ)
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