根据かわさき健・古沢优原作改编的TV动画《オーイ!とんぼ》决定于4月开播,由はやしりか、东地宏树出演,片头曲定为Sacra e sole「羽ばたけ」,片尾曲为「Let’s Swing」。
《オーイ!とんぼ》讲述了职业高尔夫选手,与拥有非凡高尔夫才能的少女相遇所展开的故事。动画监督オ ジング,系列构成广田光毅负责,动画制作OLM。
《オーイ!とんぼ》讲述了职业高尔夫选手,与拥有非凡高尔夫才能的少女相遇所展开的故事。动画监督オ ジング,系列构成广田光毅负责,动画制作OLM。
輪島市の火災 “大津波警報で初期消火できず拡大か” 専門家
2024年1月6日 18時45分
今回の能登半島地震で、大規模な火災が起きた石川県輪島市の現場を専門家が調査したところ、大津波警報の影響で十分な初期消火ができず、火の手が激しくなっていったとみられることがわかりました。専門家は「地震火災の負の部分が強く出てしまった災害だ」と指摘しています。
輪島市中心部にある河井町では1月1日の地震で大規模な火災が発生し、店舗や住宅など200棟以上が焼けるなど、焼失面積はおよそ4万8000平方メートルにのぼるとみられています。
日本火災学会のメンバーで、地震火災に詳しい東京大学の廣井悠教授の研究グループは、6日に現地の状況を詳しく調べました。
現場では焼け焦げたプロパンガスのボンベが複数見つかり、廣井教授はプロパンガスへの引火で爆発的な火災が起こり、観光名所の「朝市通り」として知られる、古い木造の家屋や店舗が密集する地域に一気に火が燃え広がった可能性があると指摘しています。
また、火災を目撃していた住民に聞き取り調査を行った結果、
▽大津波警報が出されたことで、住民が避難を余儀なくされ、十分な初期消火が行えなかったことや、
▽駆けつけた消防も断水の影響で消火栓が使えず、防火水槽や川の水に頼らざるをえなかったこともわかりました。
廣井教授は「今回のいちばんの問題点は大津波警報で住民が十分に対応できなかった可能性があることで、地震火災の負の部分が強く出てしまった災害だ。被害をどう最小限に抑えるかが教訓で、今後の防災対策や地域の復興に生かしていく必要がある」と話していました。
住民「こんなに大きな火災になるとは」
輪島市の火災の状況を住民が撮影していました。映像にはパチパチと激しく音を立てながら、あたり一面に火が燃え広がっている様子が映っています。
撮影した石畑雅英さんによりますと、出火当時はほぼ風のない状態でしたが、しだいに弱い南風に変わり、南から北へ燃え広がっていったということです。
現場では大津波警報が出されていて、住民はその場から避難していたほか、地元の消防団が消火にあたろうとしたものの、断水で消火栓が使えなかったということです。
また、ほかの地域の消防団も道路が土砂崩れでふさがれるなどしたため、駆けつけることができなかったということです。
石畑さんは「火が出たときは、こんなに大きな火災になるとは思いませんでした。自分には何もすることができず、ただ見ているだけでした。災害なので仕方がないと思っています」と話していました。
火災現場を訪れた男性 “ひどい火災だった”
石川県輪島市の中心部で200棟以上が焼けたとみられる火災の現場では、6日も訪れる人の姿が見られました。
実家が火災で焼けたという50代の男性は、警察や消防が活動を行っている傍らで、焼け跡となった実家の跡地をじっと眺め続けていました。
男性によりますと、実家で暮らしていた母親は避難ができたため無事でしたが、近くで暮らす同級生の母親が亡くなったということです。
男性は「友人の母親が壊れた建物の下敷きになり、火災で亡くなったと聞いています。ひどい火災だったと思います」と涙ながらに話していました。
2024年1月6日 18時45分
今回の能登半島地震で、大規模な火災が起きた石川県輪島市の現場を専門家が調査したところ、大津波警報の影響で十分な初期消火ができず、火の手が激しくなっていったとみられることがわかりました。専門家は「地震火災の負の部分が強く出てしまった災害だ」と指摘しています。
輪島市中心部にある河井町では1月1日の地震で大規模な火災が発生し、店舗や住宅など200棟以上が焼けるなど、焼失面積はおよそ4万8000平方メートルにのぼるとみられています。
日本火災学会のメンバーで、地震火災に詳しい東京大学の廣井悠教授の研究グループは、6日に現地の状況を詳しく調べました。
現場では焼け焦げたプロパンガスのボンベが複数見つかり、廣井教授はプロパンガスへの引火で爆発的な火災が起こり、観光名所の「朝市通り」として知られる、古い木造の家屋や店舗が密集する地域に一気に火が燃え広がった可能性があると指摘しています。
また、火災を目撃していた住民に聞き取り調査を行った結果、
▽大津波警報が出されたことで、住民が避難を余儀なくされ、十分な初期消火が行えなかったことや、
▽駆けつけた消防も断水の影響で消火栓が使えず、防火水槽や川の水に頼らざるをえなかったこともわかりました。
廣井教授は「今回のいちばんの問題点は大津波警報で住民が十分に対応できなかった可能性があることで、地震火災の負の部分が強く出てしまった災害だ。被害をどう最小限に抑えるかが教訓で、今後の防災対策や地域の復興に生かしていく必要がある」と話していました。
住民「こんなに大きな火災になるとは」
輪島市の火災の状況を住民が撮影していました。映像にはパチパチと激しく音を立てながら、あたり一面に火が燃え広がっている様子が映っています。
撮影した石畑雅英さんによりますと、出火当時はほぼ風のない状態でしたが、しだいに弱い南風に変わり、南から北へ燃え広がっていったということです。
現場では大津波警報が出されていて、住民はその場から避難していたほか、地元の消防団が消火にあたろうとしたものの、断水で消火栓が使えなかったということです。
また、ほかの地域の消防団も道路が土砂崩れでふさがれるなどしたため、駆けつけることができなかったということです。
石畑さんは「火が出たときは、こんなに大きな火災になるとは思いませんでした。自分には何もすることができず、ただ見ているだけでした。災害なので仕方がないと思っています」と話していました。
火災現場を訪れた男性 “ひどい火災だった”
石川県輪島市の中心部で200棟以上が焼けたとみられる火災の現場では、6日も訪れる人の姿が見られました。
実家が火災で焼けたという50代の男性は、警察や消防が活動を行っている傍らで、焼け跡となった実家の跡地をじっと眺め続けていました。
男性によりますと、実家で暮らしていた母親は避難ができたため無事でしたが、近くで暮らす同級生の母親が亡くなったということです。
男性は「友人の母親が壊れた建物の下敷きになり、火災で亡くなったと聞いています。ひどい火災だったと思います」と涙ながらに話していました。
『把酒問月』李白
把酒問月は酒豪で知られる李白が、飲んだくれてふと目に入った月に「お前はいつこの世に現れたのだ」と問いかける詩です。「わしは月まで行けないのに、お前はどこまでもわしについてくる」と。誰でも子供の頃ふしぎに思ったであろう現象を、酔っ払った李白が素朴に月に問いかけます。
ここでは『把酒問月』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である李白の紹介をしていきます。
『把酒問月』の原文
青天有月来幾時
我今停盃一問之
人攀明月不可得
月行却与人相隋
皎如飛鏡臨丹闕
緑煙滅尽清輝発
但見宵従海上来
寧知暁向雲閒沒
白兔搗薬秋復春
姮娥孤棲与誰隣
今人不見古時月
今月曽経照古人
古人今人若流水
共看明月皆如此
唯願当歌対酒時
月光長照金樽裏
『把酒問月』の書き下し文
青天 月有ってより来(こ)のかた 幾時(いくとき)ぞ
我今盃(さかづき)を停(とど)めて 一たび之(これ)を問う
人の明月を攀(よ)ずるは 得(う)べからず
月行(げっこう)却(かえ)って 人と相(あ)い随(したが)う
皎(きょう)として飛鏡(ひきょう)の 丹闕(たんけつ)に臨(のぞ)むが如く
緑煙(りょくえん)滅(めっ)し尽くして 清輝(せいき)発す
但(た)だ見る 宵(よい)に海上より来たるを
寧(いずく)んぞ知らん 曉(あかつき)に雲間(うんかん)に向かって没するを
白兔(はくと)薬を搗(つ)く 秋復(ま)た春
姮娥(こうが)孤(ひと)り棲(す)んで 誰(たれ)とか隣(とな)りせん
今人(こんじん)は見ず 古時(こじ)の月
今月は曾経(かつ)て 古人(こじん)を照らせり
古人(こじん)今人(こんじん) 流水(りゅうすい)の若(ごと)し
共(とも)に明月を看(み)ること 皆此(かく)の如し
唯(た)だ願わくは 歌に当たり酒に対するの時
月光長(とこし)えに 金樽(きんそん)の裏(うち)を照らさんことを
『把酒問月』の現代語訳
夜の空に浮かぶ月よ、お前はいつ現れたのだ?
酒杯を持つ手を止めて、そのことを月に尋ねよう。
人は月まで辿(たど)りつけないのに、
月はしっかりと人について、どこまでも追いかけてくる。
月は鏡のように白く輝いて、夕焼けという赤い宮殿を照らす。
夜になって青い靄(もや)がすっかり消えると、月は清らかな光を放ち始める。
人はただ夜の月が海の果てから昇り来るのを見るのみで、
夜が明けて雲間に没する月を見る人はいない。
月の中では白兔が薬を搗(つ)いて月日は巡る。
月の女神である嫦娥(じょうが)は独り月に棲(す)み、寄り添う者はいない。
今の人はいにしえの月を見ることはできないが、
この今の月こそ古(いにしえ)に人を照らした月なのだ。
昔の人も今の人も流れる水のように消えていく。
共に見た月もまた同じ。
杯に向かって歌をうたう時、どうか
月の光が永久(とわ)に金の酒杯を照らさんことを。
『把酒問月』の解説
第5句…「丹闕」は「朱色の宮殿」。ここでは夕焼けを指す。「飛鏡」は「空を飛ぶ鏡」。
第6句…「緑煙」は「月光を覆う雲霧」。「滅尽」は「消し去る」。「清輝」は「月光がキラキラと輝くさま」。
第10句…「姮娥」は「弓の名人・羿(げい)の妻」で「嫦娥(じょうが)」とも。彼女は夫が持っていた不老不死の薬をこっそり盗んで飲むと体が軽くなって浮き月まで昇っていってしまうが、月には薬を搗(つ)く兎が住んでいるばかりで知る人もなく、一人寂しく暮らしているという言い伝えがある。
第15句…「当歌対酒」は、曹操の『短歌行』に「対酒当歌、人生幾何」(杯を手に歌を歌う。人生は瞬く間に終わってしまう)というフレーズがある。
李白が子供のように、そして哲学者のように月に問いかけた詩です。ただし手には酒杯があるのですから、一杯飲んで良い気分になったときの戯言(ざれごと)にも思えます。
李白が月に尋ねた内容は、今の私たちが子供の頃抱いた疑問と同じ。
太陽が後ろから追いかけてくる。「あんたはあっちに向かって歩いていって。わたしはこっちに歩いていくから」。太陽はどっちについてくるんだろう?「ぼくについてきたよ」。「わたしにもついてきたよ。」どうしてなんだろう。
こんなたわいもない話が、李白の手にかかると韻を踏んだ美しい七言古詩に変貌するのです。しかも月に住むという嫦娥(じょうが)と兎の伝説も織り込んで。
『把酒問月』の形式・技法
七言古詩。
『把酒問月』が詠まれた時代
唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)
唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。
『把酒問月』が詠まれたのは盛唐の頃です。
把酒問月は酒豪で知られる李白が、飲んだくれてふと目に入った月に「お前はいつこの世に現れたのだ」と問いかける詩です。「わしは月まで行けないのに、お前はどこまでもわしについてくる」と。誰でも子供の頃ふしぎに思ったであろう現象を、酔っ払った李白が素朴に月に問いかけます。
ここでは『把酒問月』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である李白の紹介をしていきます。
『把酒問月』の原文
青天有月来幾時
我今停盃一問之
人攀明月不可得
月行却与人相隋
皎如飛鏡臨丹闕
緑煙滅尽清輝発
但見宵従海上来
寧知暁向雲閒沒
白兔搗薬秋復春
姮娥孤棲与誰隣
今人不見古時月
今月曽経照古人
古人今人若流水
共看明月皆如此
唯願当歌対酒時
月光長照金樽裏
『把酒問月』の書き下し文
青天 月有ってより来(こ)のかた 幾時(いくとき)ぞ
我今盃(さかづき)を停(とど)めて 一たび之(これ)を問う
人の明月を攀(よ)ずるは 得(う)べからず
月行(げっこう)却(かえ)って 人と相(あ)い随(したが)う
皎(きょう)として飛鏡(ひきょう)の 丹闕(たんけつ)に臨(のぞ)むが如く
緑煙(りょくえん)滅(めっ)し尽くして 清輝(せいき)発す
但(た)だ見る 宵(よい)に海上より来たるを
寧(いずく)んぞ知らん 曉(あかつき)に雲間(うんかん)に向かって没するを
白兔(はくと)薬を搗(つ)く 秋復(ま)た春
姮娥(こうが)孤(ひと)り棲(す)んで 誰(たれ)とか隣(とな)りせん
今人(こんじん)は見ず 古時(こじ)の月
今月は曾経(かつ)て 古人(こじん)を照らせり
古人(こじん)今人(こんじん) 流水(りゅうすい)の若(ごと)し
共(とも)に明月を看(み)ること 皆此(かく)の如し
唯(た)だ願わくは 歌に当たり酒に対するの時
月光長(とこし)えに 金樽(きんそん)の裏(うち)を照らさんことを
『把酒問月』の現代語訳
夜の空に浮かぶ月よ、お前はいつ現れたのだ?
酒杯を持つ手を止めて、そのことを月に尋ねよう。
人は月まで辿(たど)りつけないのに、
月はしっかりと人について、どこまでも追いかけてくる。
月は鏡のように白く輝いて、夕焼けという赤い宮殿を照らす。
夜になって青い靄(もや)がすっかり消えると、月は清らかな光を放ち始める。
人はただ夜の月が海の果てから昇り来るのを見るのみで、
夜が明けて雲間に没する月を見る人はいない。
月の中では白兔が薬を搗(つ)いて月日は巡る。
月の女神である嫦娥(じょうが)は独り月に棲(す)み、寄り添う者はいない。
今の人はいにしえの月を見ることはできないが、
この今の月こそ古(いにしえ)に人を照らした月なのだ。
昔の人も今の人も流れる水のように消えていく。
共に見た月もまた同じ。
杯に向かって歌をうたう時、どうか
月の光が永久(とわ)に金の酒杯を照らさんことを。
『把酒問月』の解説
第5句…「丹闕」は「朱色の宮殿」。ここでは夕焼けを指す。「飛鏡」は「空を飛ぶ鏡」。
第6句…「緑煙」は「月光を覆う雲霧」。「滅尽」は「消し去る」。「清輝」は「月光がキラキラと輝くさま」。
第10句…「姮娥」は「弓の名人・羿(げい)の妻」で「嫦娥(じょうが)」とも。彼女は夫が持っていた不老不死の薬をこっそり盗んで飲むと体が軽くなって浮き月まで昇っていってしまうが、月には薬を搗(つ)く兎が住んでいるばかりで知る人もなく、一人寂しく暮らしているという言い伝えがある。
第15句…「当歌対酒」は、曹操の『短歌行』に「対酒当歌、人生幾何」(杯を手に歌を歌う。人生は瞬く間に終わってしまう)というフレーズがある。
李白が子供のように、そして哲学者のように月に問いかけた詩です。ただし手には酒杯があるのですから、一杯飲んで良い気分になったときの戯言(ざれごと)にも思えます。
李白が月に尋ねた内容は、今の私たちが子供の頃抱いた疑問と同じ。
太陽が後ろから追いかけてくる。「あんたはあっちに向かって歩いていって。わたしはこっちに歩いていくから」。太陽はどっちについてくるんだろう?「ぼくについてきたよ」。「わたしにもついてきたよ。」どうしてなんだろう。
こんなたわいもない話が、李白の手にかかると韻を踏んだ美しい七言古詩に変貌するのです。しかも月に住むという嫦娥(じょうが)と兎の伝説も織り込んで。
『把酒問月』の形式・技法
七言古詩。
『把酒問月』が詠まれた時代
唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)
唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。
『把酒問月』が詠まれたのは盛唐の頃です。
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