滋賀医科大学生母親殺害事件に関し、一審判決を覆され、かなり特殊な判例に対し、東京大学法学部卒、現教育系ユーチューバにお勤めいただいてる山田亮秀(以下あきぴ)さんのコメントを拝読していたところ、ものすごい尊敬な気持ちが湧き出し、お見せさせていただきたいと存じます。
「参考文献:
平成30年(わ)第293号死体損壊、死体遺棄、殺人被告事『大津地方裁判所』
令和2年(う)第447号 死体損壊、死体遺棄、殺人被告事『大阪高等裁判所』」

「なぜ母がここまで狂気的とも言える学歴仰、そして医者信仰を抱いてしまったのか。
どれも推測の域を出ないのだが、理由は以下のように落ち着いている。
X
・母自身の学歴コンプレックス
母は工業高校を卒業。最終学歴が高卒であることを悔やんでいると何百回も聞かされていた。
・看護師への偏見、医者への尊敬母の友人にNさんという人がいた。少し母より成績が劣っていたが、看護学校に行ったとのこと。看護師は介護士のように下の世話もしなければならない過酷な仕事と聞かされていた。
また母の実母(娘から見た母方の祖母)の再婚相手は元軍医のアメリカ人で、軍隊を除隊した後は歯科医となった。その暮らしぶりは豊かで、医者が社会的に認められているのを肌で感じていた。
・祖母への執着
上述の通り祖母はアメリカ人と再婚し、そのままアメリカに定住することになったが母は数年で日本に帰国した。小さい頃に再婚した祖母たちだけ米国に行ってしまって、母自身は祖母から十分な愛情を受けないまま育ってしまったのではないかと言われている。
母が娘に予備校代や家庭教師代、私立中学の学費など潤沢な教育費をかけられた背景には、祖母の経済的援助があった。娘を医者にしたいからと学費の協力をお願いしたり、何かと娘の現況を祖母に報告したりというやりとりが行われていたが、それも娘を引き合いに出して祖母を喜ばせ、振り向いてもらえなかった部分を埋めていたとか。そしてお金をもらっている以上は結果を出さねばという固執を鑑みると、もしかすると母は祖母のために子育てしていたのかもしれない。
そして2018年6月大学病院で看護師として働き始めていた 31歳の娘は死体遺棄、損壊容疑で逮捕、9月には殺人容疑で逮捕された。
20年2月に始まった大津地裁の一審裁判員裁判では、娘は「母は自殺した」と殺害を否定していた。しかし母には自殺の動機がなく死亡時に被告と2人きりだったため、3月の判決公判では殺人の罪を認定。懲役15の実刑(求刑懲役20年)が下った。
その一方で判決は、娘の育った環境を「長年にわたり母子だけの閉鎖的な環境」と指摘。成人後も行きすぎた干渉を受け、相当に追い詰められた末に犯行に及び、経緯には同情の余地があると結論づけた。裁判長は「母に敷かれていたレールを歩み続けていたが、自分の人生を歩んでください」と説諭した。
二審では娘は大阪高裁に陳述書を提出し、一転して自らの犯行を認めた。誰にも理解されないと思っていた母との確執を認められたことで、真相を話し、罪と向き合うことを決めたのだという。
また一審では父も立ち会っていたのだが、その後の面会に「本当のことを言った方がいい」と助言を施していた。父は娘が嘘をついていることがわかっていたのだった。生まれてから10年ほどで別居してしまった父だったが、娘にとっては唯一心を許せる存在でその助言を素直に聞き入れた。
判決後、滋賀県内の拘置所に面会に訪れた弁護人に、控訴審では殺人を認めると打ち明けた。
大阪高裁での控訴審はその8カ月後。被告人質問で、一審で殺害を否定した理由を問われた娘は「(父に)実の娘が母を刺したことを知られるのが怖かった」と打ち明けた。
21年1月、控訴審判決で言い渡された判決は、懲役10年。一審判決から大幅に減刑した。娘は時折ハンカチで目を押さえながら判決の読み上げを聞いた。
「自白したように、罪と向き合い反省して償ってください。これからは自身の判断で進路を決めなくてはいけません。大変なこともあるととで更生してほしいと思います」
言い渡し後、裁判長が説諭すると、娘は肩を震わせながら大きくうなずいた。控訴期限の2月上旬までに弁護側、検察側のいずれも控訴せず、刑が確定した。執行猶予はなく、彼女は
2023年8月現在も服役中である。
さてこの事件は結局懲役10年というところで決着したが、中にはこれを長すぎると思う人もいるかもしれない。ただここで1点注意しておきたいのが量刑は我々の想像する以上に難しいと言うことである。
例えば本当に娘は母をやるしかなかったのか、と言う点。
確かに探偵に見つかったり、就職を御破算にされたりとまさに八方塞がりのようにも思えるが物理的には足がついている以上何処かに出迎い助けを求めることができたのではないかと。
動画には出していないが、現に娘は自分が最も頼している教師の家に何度か転がり込んだこともあった。そこで事情を話し教師が担任や管
察に助けを求めようとするもそれを娘自身が拒んだのである。
このように物理的に逃げられる機会が本当になかった、とは言えないのである。
もちろん助けを求めても無駄だ、逃げても無駄だ、そう思わざるをえないくらい幼い頃から無慈悲な所業を受けていたのも事実である。
このように1つの争点を取り上げるだけでもさまざまな観点から事実を検証していくことが求められ、論理の応酬が始まっていく。そしてさらにそういった争点が複数存在するのである。
それらの検証を精密に繰り返し、今までの判例を擦り合わせて具体的な数値に落とし込む、量刑を考えるには並みの作業量と技術力では難しいのである。
さて私自身も判決文を細かに読んでいるわけではないのでこれ以上適当なことは申し上げられないが、ただ皆さんの感じた刑罰の「長い」「短い」その違和感、それは大事にすべきあなたの感性であることは間違いないと言うことだけ最後に付け加えておく。
そして最後にこの話を「毒親」「教育虐待」と言う言葉で片付けることは簡単であるが、私も調べていくうちにこの話はそんなに単純なものではないと感じるようになった。と言うのも母が完全に娘を憎悪しているとは思えず、また逆も然りと感じたからである。
実は9浪を医学科ではなく看護学科で終わらせ
ようと落とし所をつけたのは母の方だったのである。母としてもずっと浪人をさせて娘を苦しめている自覚があったのだ。
現に母は娘が5浪中の時に多量の睡眠薬を服薬して自殺を図ったが未遂に終わった。これもおそらくそういった自覚から来るものだと思うが、何より未遂に終わったのは娘がその現場を発見し救急車を呼んだからであった。
また娘の方も大学進学後しばらくは「できるだけ母に寄り添おう」という思いから休日を一緒に過ごすよう努め、母娘で旅行をすることもあった。長年互いに憎み、死を願い続けた険悪な関係だったが、やっと普通の母娘になって、楽しく笑い合うこともあった。母が喜んでくれるのが嬉しかったと、娘はその時の気持ちを語っている。
こうしてみると母も娘も完全にお互いを憎み切れていなかったことを象徴しているように思える。不器用な母の愛情とそれに応えようとする娘の優しさとが複雑に絡み合った呪縛。
親子関係、特に母と娘は血のつながっている限り絶縁しようと思っても他人になれない関係性である。そのために2人の関係性ではなく、どちらかの命そのものを消すことでしか解決できなかったことが、今回の事件を引き起こしてしまったのかもしれない。
毒親とは、愛情とは、虐待とは。その線引きは一体どこなのだろうと深く考えさせられる事件であった。最後に母氏のご冥福を心よりお祈りするとともに、娘氏が新しい人生を切り開かれることを祈念しております。
そしてこのような事件が再びと起こらないよう、広く広く皆様の耳目に留まることを願っております。」

以上により、あきぴさんが世間に表した驚嘆的な国語力や文章の綺麗さのみならず、あきぴがご自身は東大法卒なので、今回の件に対しより深い理解を持ちながら事件を分析する能力が半端ないと解され、この文章から私自身も現段階の実力と弁護士を目指せることとの間に努力だけなら埋められない穴があると痛感し、思考力、ロジック、アウトプットリテラシー、物事への是正などなど、弁護士として無くてはいけない物への重要性と弁護士となる道がイバラまみれで断じて怠けながら三日坊主の心で叶うものではなく、今後も精進して参ります。

二十四孝図(上)
鲁迅

 私は何としても、最も激しく最も殺傷力のある呪文を見つけ出し、口語文に反対する人々、口語文を妨害する者を呪詛したい。たとい死後に、霊魂が残るとしても、この激しい憎悪の気持は、地獄に落ちても、悔いたりしない。まず何をおいても、口語文に反対する連中、口語文を妨害する連中を呪詛したい。
 いわゆる「文学革命」以来、子供向けの本は、欧米、日本に比べまだだいぶ見劣りするが、挿し絵もつき、読めるかぎりは、理解できるようになった。しかし、ある思惑を持った連中は、それすら禁じようとし、子供の世界のわずかな楽しみも奪おうとしている。
北京で今、子供を怖がらせる時に「馬虎子」(マーフーズが来るぞ)という。一説には、「開河記」に書かれている、隋の煬帝の命で運河を開削したとき、小児を蒸して(食べた)麻叔謀という:正確には“麻胡人”と書くべきだが、そうであれば、麻叔謀は胡人となる。ただ、彼が何人であれ、彼が子供を食ったとしても、人数には限りがあり、彼の一生の短い間に過ぎない。口語文妨害者の流す害毒は、洪水や猛獣より過酷で、非常に広範、かつ長期に及んでいる。全中国を麻胡(マーフー)にさせて、すべての子供を彼の腹の中で殺している。
 口語文を妨害せんとする連中を、滅亡せねばならない!
 こういうと、紳士たちは耳を覆うだろう。即ち、(彼らを呪詛する筆者が)「中空まで跳びあがり、完膚なきまでに罵り、―――罵りを止めない」からである。さらには文士たちも罵るに違いない。口語文は「文格」にもとるとか、「人格」を損ねることおびただしい、と。「言は、心の声」ではないか?「文」と「人」とは当然、相関関係にあり、人の世はもともと、千奇百怪、なんでも起こるが、教授たちの中にも、作者(魯迅)の人格は「尊敬しない」が、「彼の小説は良くない」とは言えない、という変な人もいる。が、私は頓着しない。幸いまだ(現実乖離の:人民文学出版注)「象牙の塔」に上がってはいないから、何の心配もいらない。もし、知らないうちに上がっていたとしても、すぐ転げ落ちるまでだ。転げ落ちる途中、地面に着くまでにもう一度言う:
 口語文を妨害せんとする連中を、滅亡せねばならない!
小学生が粗雑な「児童世界」を夢中になって読んでいるのを見ると、外国の児童が読んでいる本の美しさ、精巧さと比べ、中国の児童たちがかわいそうになる。ただ、私や私と同窓の童年のころを思い出すと、だいぶ良くなったとは思う。我々の過ぎ去りし時代に悲哀の弔辞を贈る。我々のころは、見るべきものは何も無い。少しでも挿し絵があると、塾の先生、すなわち当時の「青少年を指導すべき先輩」から禁じられ、しかられて、掌の中心を叩かれた。私の級友は「人の初め、性は本来善」(という三字経)だけを読まされ、余りの退屈さに耐えられず、「文星高照」の、悪鬼の魁星の像を偸み見して、幼い審美眼を満たしていた。昨日も見、今日もそれを見るのだが、彼の目にはきらめきが蘇生し、喜びの輝きが戻った。
 塾外では禁令は緩やかで、というのは私個人のことだが、人によっては違うだろう。だが、皆の前でおおっぴらに読めたのは、「文昌帝君陰騭文図説」と「玉歴鈔伝」で、因果応報の物語だ。雷公と稲妻が雲の上に立ち、地面の下には牛頭と馬面がひしめき、「中空に跳びあがる」のは、天の掟を犯す者で、たとい一言半句でも符合せず、わずかの存念でもそれが抵触するようなら、相応の扱いを受ける。この扱いは決して「些細な怨み」などの騒ぎではない。そこでは鬼神が君主で、「公理」が宰相だから、跪いて酒を献じても何の役にもたたず、まったく手が出ない。中国では、人となるだけでなく、死者となるのも極めて困難なのだ。しかしこの世よりましと言えるのは、いわゆる「紳士」もいないし、「流言飛語」も無い点だ。
 あの世で静かに過したいなら、あの世のことをあまりほめてはいけない。特に、筆を弄ぶのが好きな人間は、流言がとびかう今の中国では、そしてまた「言行一致」を大いに推進せんとしている今、前車の覆るのを鑑としなければならない。
アルツイバージェフが以前、若い女性の質問に答えた「ただ人生の事実そのものの中に、歓喜を探し出す者のみが、生きて行ける。そこで何も見いだせなかったら、死んだ方がましだ」という一節がある。それに対して、ミハロフという人が、手紙で罵った。「……、だから私は衷心よりお勧めするのだが、君は自殺して、自分の命に禍を与えて、福を取れ。それが一番ロジックにあっているし、二番目には言行不一致にならずに済む」と。
 そうは言っても、この論法は人を謀殺するもので、彼自身はこのようにして、人生の歓喜を見つけ出してきたのだ。アルツイバ―ジェフは不平不満をならべただけで、自殺しなかった。ミハロフ氏はその後どうなったか知らない。歓びは失ったか、別に何かを探し出したか。まことに「そのころは勇敢でも安穏に暮せたし、情熱的であることに何の危険も無かった」ようだ。
 しかしながら、私はすでにあの世のことをほめてしまったので、前言は撤回できない;「言行不一致」の嫌いはあるが、閻魔大王や小鬼からびた一文もらっていないから、この役はいつでも降りられるのだが。まあ、このまま書きすすめてみよう:
 私が見たあの世の絵は、家の書庫にあった古い本で、私の専有ではない。私が自分の物として手にした最初の挿し絵本は、一族の年長者が呉れた:「二十四孝図」だ。ほんとうに薄い冊子だが、下に挿し絵、上に説明があり、鬼は少なく、人が多く描かれ、自分の本なので、とてもうれしかった。その中の故事は誰でも知っているもので:字の読めない者も、たとえば阿長(乳母)でも絵を見れば、滔々と物語ることができた。ただ、うれしさの後に来たものは、興味喪失感であった。
二十四孝図の物語を全て聞き終えたあと、「孝」がかくも難しく、それまで呆けたように妄想していたことと、孝子になろうとしていた望みは、完全に絶たれた。
「人の初め、性は本来善」というのは本当か?これは今、ここで研究しなければならぬテーマではない。ただ、私は今もはっきり覚えているが、幼いころ、親に逆らったことは一度も無いし、父母に対しては特に孝順であろうとした。しかし幼いときは、何も知らないから、自分なりに「孝順」を理解して「よく親の話を聞き、いいつけに従う」ことと思っていた。成人したら、年老いた父母に食事をあげること、だと。この孝子の教科書を見てから、決してそんな事だけではすまないのだと悟った。何十倍、何百倍も難しい、と。もちろん、努力すればできることもある。「子路、米を負う」「黄香、枕を煽ぐ」の類だ。「陸績、橘を懐にす」も難しくない。金持ちが私を招宴してくれたらの話だが。
「魯迅さん、デザートのミカンを懐に入れて持ち帰りますか?」私はすぐ跪いて「母の好物ですから、頂きます」と応える。主は敬服し、かくして孝子はいとも簡単に誕生する。
「(冬に)竹に哭いて、筝を生ず」は疑わしい。私の誠心では、このように天地を感動させる自信はない。ただ、哭いても筝が出てこないというだけなら、面子を無くすだけで済む話だが、「氷に臥して鯉を求む」となると、生命に関わってくる。我故郷は温暖だから、厳冬でも薄氷しか張らない。小さな子供でも、乗ったらバリっと割れて、池に落ちて鯉も逃げてしまう。もちろん命を大切にすべきで、それでこそ、孝が神明を感動させ、思いもつかない奇跡を呼ぶ。ただ、その頃私は幼くて、こんなことは知らなかった。
 中でも特に分からなかったし、反感を覚えたのは、「老莱、親を娯(たのします)」と
「郭巨、児を埋める」の二篇、である。
 今でも覚えているが、一つは、老父母の前で倒れている爺さん。もう一つは母の手に抱かれている幼児。どうして私は、この絵に違和感を覚えたのか。二人とも手にはデンデン太鼓を持っている。この玩具は可愛らしい。北京では小鼓という。即ち鼗(トウ)で、
朱熹曰く「鼗、小鼓、両側に耳あり、その柄を持って揺すると、傍らの耳が自ら撃ち」、
トントンと鳴る。しかしこんなものは老莱子の手に持たせるべきじゃない。彼は杖を持つべきで、こんな恰好はまったくでたらめで、子供を侮辱する。二度と見たくないので、このページに来ると、すぐ次をめくった。
 当時の「二十四孝図」は、とうにどこかに無くした。今手元にあるのは、日本の小田海僊の描いた(絵を中国で印刷した)本だけ。老莱子のことを「七十才で、老と称せず、いつも五色の斑斕の衣を着て、嬰児となって、親の側に遊ぶ。また常に水(桶)を手に堂に上がり、詐りて転び、地に倒れ、嬰児のように泣き、以て親を娯す」だいたいの内容は旧い本と同じで、私の反感を招くのは、詐りて転ぶだ。逆らうにせよ、孝順にせよ、子供は多くは「詐りて」など望まぬ。物語を聞いても作り話は喜ばない。こんなことは少しでも児童心理に心得のあるものは、みな知っている。
 もう少し古い本を見ると、こんなに虚偽に満ちてはいない。師覚授(南朝宋人)の「孝子伝」には、「老莱子…、いつも斑斕の着物で、親に飲み物を持って行き、堂に上がる際、
転んで父母の心を傷つけるのをおそれ、倒れ臥して嬰児の泣く真似をする」(太平御覧の413引)。今のと比べると、多少人情に近い。それがどうしたわけか、後世の君子が“詐りて”と改作しないと気が済まなくなったのか。鄧伯道が子を棄てて侄を救うというのも、考えてみれば、ただ“棄てる”だけなのだが、いい加減な連中が、子を樹にしばりつけ、追いかけて来られないようにした。まさしく「身の毛がよだつのを趣味」とするのと同じで、非情を封建道徳の鑑とするようだ。古人を侮蔑し、後の人に悪影響を及ぼすものだ。老莱子は、ほんの一例で、道学先生(朱子学者)は彼を無疵の完璧者とみなすが、子供たちの心の中では、すでに死滅している。

Merry Christmas

ーespressivoー

零と士欧の到着待ち&クリスマスパーティーの開会待ちで、呂庵と玄尉は思い思いに時間を潰していた。
2人には無理に会話をしなくても、気まずくないだけの関係性がある。

呂庵はパラパラと雑誌をめくって。
玄尉は楽譜を取り出して、赤ペンでさらさらと書き込みをしていた。

ふと、呂庵が楽譜に書かれた文字を指さして、玄尉に尋ねる。

「これ、どういう意味?」

「ん? …あぁ。

呂庵のようにってこと」

***

昔から、感情をコントロールするのが苦手だった。

子供の頃は『感情豊か』で、大人になった今は『感情過多』だ。
生まれながらの体質で汗っかきな人がいるように、自分は感情の『量』が少々多すぎるのかもしれない。
そんなことを、小さい頃から結構本気で考えている。

何かの切っ掛けで吹き出す感情は、まるで噴水か、間欠泉だ。
心臓のあたり、体の中心からぐわっと込み上げる、あの感情の波は、あの勢いは、何なのだろう。
こらえきれない生理現象みたいに、どうにかする間もなく飲み込まれてしまう。

成長したら。
成人したら。
大人になったら。
もう少しマシになると信じていたのに、正直ほとんど変わっていない。
なんなの、もう。

喜怒哀楽のうち『喜』と『楽』は、周りに迷惑をかけるものではないから、まだいいとして、問題なのは『怒』と『哀』だ。
いち社会人として、この2つをコントロールできないのは、本当に不味い。
そういう自覚はあるのだ、これ以上なく。

納得いかないことを飲み込みきれずに、涙が出て。
言いたいことがあるのにうまく言えずに、涙が出て。
泣きたくないのに、涙が出て。

改めて考えると、本当に俺は泣いてばかりだなぁ、と、ため息が出る。

『泣いたら許されると思うなよ』
『いい大人が泣くな』

本当にね?
自分自身でも思います。

少々痛い言葉を投げられても、『そりゃそうだ』と納得して、それでもやっぱり泣いてしまう。

せめてもの救いは『怒』がそのまま『哀』に移行するタイプだったことだろうか。
職業柄、怒りのままに行動していたら、今頃この場にはいないに違いない。
警察沙汰、週刊誌のネタ、考えるだけでぞっとする。

『泣き虫』『子供っぽい』と呆れられるくらいで済んでいる現状は、いっそ恵まれているのかもしれないね?

***

「espressivo……表情に富む、表情豊かに、かぁ」

スマホで調べて、ため息をつく。
玄尉はそれに、首を傾げた。

「言っとくけど、褒め言葉のつもり」
「え〜?」
「何で不満そうなんだよ」
「俺的には、クロのポーカーフェイスの方がいいもん」
「俺は、ポーカーフェイスでもなんでもなくて、表情筋の可動域が狭いだけ」
「……そういう人、知り合いにいるな。志季とか志季とか志季とか志季とか」
「篁さんがポーカーフェイスなのは伝わった」

顔見知りだっけと尋ねたら、この間、一緒にお汁粉を飲んだと教えてくれた。
どういう状況だ。
突っ込みどころしかない。

「あと、グラビの新と、ロクダンの悠人もかなぁ」
「……結構多いな」
「……俺もそう思った。
ポーカーフェイスっていう意味だともっと多いよね。
まず、零さんでしょ?
柊羽と孝明もそうだし……

……。
……。
……。
元ユニ、表情筋、仕事してる?????」

「プロとしてその場にあった顔を作るのが、上手いだけだろ。尊敬する」
「あ、どうもどうも」
「呂庵以外をな?」
「ちょっと」
「ふふっ」

玄尉がほんとにかすかに、だけど柔らかく笑って、思わずつられて笑った。
玄尉は『espressivo』の文字に、持っていた赤ペンで花マルを付けた。

「『表情豊かに』
白と黒。モノクロの楽譜を極彩色に彩ってやれってことだよ」

「うん?」

「心の色をそのまま表現できるのは、真っ白なキャンバスに筆を走らせる度胸があるヤツだけだ。
大人になると大抵は、小手先の技を覚えて下手になる。
うまく言えないけど、呂庵は、そのままで良いと思う」

「……」

「顔、赤いけど?」
「『espressivo』なもので!」
「ははっ」

我慢できない涙を恥じていた過去の自分に、聴かせてあげたい言葉だと思った。

少し遅めのクリスマスプレゼント。
泣き虫も、怒りん坊も、あわてんぼうも。

今夜は皆が笑顔になりますように!

#メリクリ##ᶫᵒᵛᵉ♡pionix#


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