#早安少女组[超话]#
【MODELPRESS全民偶像排名】
舞蹈表现优异的女团成员TOP10✨
1位:RAN(ME:I)
2位:ヒカル(Kep1er)
3位:マコ(NiziU)
4位:JURIN(XG)
5位:石田亜佑美(モーニング娘。'24)
6位:リオ(NiziU)
7位:ダヨン(Kep1er)
8位:佐々木莉佳子(アンジュルム)
9位:山崎天(※「崎」は正式には「たつさき」/櫻坂46)
10位:山口綺羅(Girls²/ガールズガールズ/「2」は二乗が正式表記)
调查时间:4月21日~26日
回答数:14,768(性别比例:女性90.7%、男性5.5%、未填性别3.8%)
年龄分布:10代13.2%、20代23.2%、30代18.4%、40代21.4%、50代18.6%、60代以上5.2%
#石田亚佑美#
惠普中唯一进入前五的是早安。'24的石田亚佑美。该组合在各方面都有很高的造诣,石田的舞蹈技艺深受综艺节目“TEPPEN”(富士电视台)观众的喜爱。她总是全力以赴,强劲又精准的舞姿每次都能让粉丝们惊艳。
<读者评论>
- “Ayumin的舞蹈让观众为之倾倒,同时也能让我们一起享受欢乐的表演!把“淳君”的16拍用的很好,能根据音乐性格展示不同舞蹈!”
- “充满生机的表情和动作的绝对美丽是其魅力所在”
- “在现场表演中不仅能展现出可爱又美丽的女性舞蹈,还有帅气犀利的男性舞蹈让人着迷”
#佐佐木莉佳子#
<读者评论>
- “无论是近看还是远观,她的舞姿都是那么犀利,气场十足!!!”
- “她灵动的舞姿、面部表情和临场发挥确实令人惊叹”
- 舞跳得好,而且华丽出众,全身舞动连带着头发和服装也舞动起来,在现场表演时自然会吸引观众的目光”
【MODELPRESS全民偶像排名】
舞蹈表现优异的女团成员TOP10✨
1位:RAN(ME:I)
2位:ヒカル(Kep1er)
3位:マコ(NiziU)
4位:JURIN(XG)
5位:石田亜佑美(モーニング娘。'24)
6位:リオ(NiziU)
7位:ダヨン(Kep1er)
8位:佐々木莉佳子(アンジュルム)
9位:山崎天(※「崎」は正式には「たつさき」/櫻坂46)
10位:山口綺羅(Girls²/ガールズガールズ/「2」は二乗が正式表記)
调查时间:4月21日~26日
回答数:14,768(性别比例:女性90.7%、男性5.5%、未填性别3.8%)
年龄分布:10代13.2%、20代23.2%、30代18.4%、40代21.4%、50代18.6%、60代以上5.2%
#石田亚佑美#
惠普中唯一进入前五的是早安。'24的石田亚佑美。该组合在各方面都有很高的造诣,石田的舞蹈技艺深受综艺节目“TEPPEN”(富士电视台)观众的喜爱。她总是全力以赴,强劲又精准的舞姿每次都能让粉丝们惊艳。
<读者评论>
- “Ayumin的舞蹈让观众为之倾倒,同时也能让我们一起享受欢乐的表演!把“淳君”的16拍用的很好,能根据音乐性格展示不同舞蹈!”
- “充满生机的表情和动作的绝对美丽是其魅力所在”
- “在现场表演中不仅能展现出可爱又美丽的女性舞蹈,还有帅气犀利的男性舞蹈让人着迷”
#佐佐木莉佳子#
<读者评论>
- “无论是近看还是远观,她的舞姿都是那么犀利,气场十足!!!”
- “她灵动的舞姿、面部表情和临场发挥确实令人惊叹”
- 舞跳得好,而且华丽出众,全身舞动连带着头发和服装也舞动起来,在现场表演时自然会吸引观众的目光”
记录一下脑洞(?)
銀の龍の背に乗って
很适合做切嗣和娜塔莉亚cb向的手书
Wake Up
适合做绮礼个人向或者绮礼视角的剪辑
No
高岭之花的搭讪指南,直男拒绝击剑♂,这两个标题都可以用,很明显的切嗣视角,5:20am的姊妹篇
ユメノツバサ(Duet Ver.)
翼设定下的是幼驯染,所以我愿称这首歌为幼驯染之歌,但是这首是男女对唱,用来剪幼驯染♂不太合适,所以献给切嗣和太太
tsubasa
上一首歌的英文版,倒是可以剪我家幼驯染
编号89757
绮礼仿生人设定,绝赞误解向剧情剪辑
生きるよすが (Acoustic ver.)
送给自己的生日手书,如果上述脑洞能在11月前完成的话——
吉原哀歌
es:等敬加成和新洗牌mv国服上线后剪
fz:切嗣花魁设定,可以尝试一下对口型风格的剪辑
ゴーゴー幽霊船
切嗣个人向+中心向
CaramellDansen
切嗣和绮礼击杀合集-鬼畜向
銀の龍の背に乗って
很适合做切嗣和娜塔莉亚cb向的手书
Wake Up
适合做绮礼个人向或者绮礼视角的剪辑
No
高岭之花的搭讪指南,直男拒绝击剑♂,这两个标题都可以用,很明显的切嗣视角,5:20am的姊妹篇
ユメノツバサ(Duet Ver.)
翼设定下的是幼驯染,所以我愿称这首歌为幼驯染之歌,但是这首是男女对唱,用来剪幼驯染♂不太合适,所以献给切嗣和太太
tsubasa
上一首歌的英文版,倒是可以剪我家幼驯染
编号89757
绮礼仿生人设定,绝赞误解向剧情剪辑
生きるよすが (Acoustic ver.)
送给自己的生日手书,如果上述脑洞能在11月前完成的话——
吉原哀歌
es:等敬加成和新洗牌mv国服上线后剪
fz:切嗣花魁设定,可以尝试一下对口型风格的剪辑
ゴーゴー幽霊船
切嗣个人向+中心向
CaramellDansen
切嗣和绮礼击杀合集-鬼畜向
江戸の化物
岡本綺堂
池袋の女
江戸の代表的怪談といえば、まず第一に池袋の女というものを挙げなければなりません。
今日の池袋の人からは抗議が出るかもしれませんが、どういうものか、この池袋の女を女中などに使いますと、きっと何か異変があると言い伝えられて、武家屋敷などでは絶対に池袋の女を使わないことにしていたということです。また、町家などでも池袋の女を使うことを嫌がりましたので、池袋の女の方でも池袋ということを隠して、大抵は板橋とか雑司ヶ谷とかいって奉公に出ていたのだそうです。
それも、女が無事におとなしく勤めている分には別になんの仔細もなかったのですが、もし男と関係でもしようものなら、忽ち怪異が頻々ひんぴんとして起こるというのです。
これは、池袋の女が七面様の氏子なので、その祟たたりだ[#「祟たたりだ」は底本では「崇たたりだ」]といわれていましたが、それならば不埓ふらちを働いた当人、即ち池袋の女に祟れば[#「祟れば」は底本では「崇れば」]よさそうなものですが、本人にはなんの祟も[#「祟も」は底本では「崇も」]なくて、必ずその女の使われている家へ祟る[#「祟る」は底本では「崇る」]のだそうです。まったく理窟では判断がつきませんが、まず家が揺れたり、自然に襖ふすまが開いたり、障子の紙が破れたり、行灯あんどんが天井に吸い付いたり、そこらにある物が躍おどったり、いろいろの不思議があるといいます。
こういうことがあると、まず第一に池袋の女を詮議することになっていましたが、果してその蔭には必ず池袋の女が忍んでいたということです。
これは私の父なども親しく見たということですが、麻布の龍土町(いまの港区六本木七丁目六~八番)に内藤紀伊守の下屋敷がありました。この下屋敷というところは、多く女子供などが住んでいるのです。
ある夜のことでした。何処からとなく沢山の蛙が出て来てぴょこぴょこと闇に動いていましたが、いつとはなしに女たちの寝ている蚊帳かやの上にあがって、じっとつくばっていたということです。それを見た女たちの騒ぎは、どんなであったでしょう。
すると、こんどは家がぐらぐらとぐらつき出したので、騒ぎはますます大きくなって、上屋敷からも武士が出張するし、また他藩の武士の見物に行った者などが交じって、そこらを調べて見ましたが、さっぱり訳が判りません。そこで狐狸こりの仕業ということになって屋敷中を狩り立てましたが、狐や狸はさておき、かわうそ一疋も出なかったということです。で、その夜は十畳ばかりの屋敷に十四、五人の武士が不寝番ねずのばんをすることになりました。
ところが、夜もだんだん更けゆくにつれ、行灯の火影も薄暗くなって、自然と首が下がるような心持になると、どこからとなく、ぱたりぱたりと石が落ちてくるのです。皆の者がしゃんとしている間は何事もないのですが、つい知らずに首が下がるにつれて、ぱたりぱたりと石が落ちてくるので、「これはどうしても狐狸の仕業に相違ない。ためしに空鉄砲を放してみよう」といって、井上某が鉄砲を取りに立とうとすると、ぽかりと切石が眉間みけんに当たって倒れました。
こんどは他の者が代わって立とうとすると、また、その者の横鬢よこびんのところに切石が当たったので、もう誰も鉄砲を[#「鉄砲を」は底本では「鉄砲に」]取りに行こうという者もありません。互いに顔を見合わせているばかりでしたが、ある一人が「石の落ちてくるところは、どうも天井らしい」と、いい終わるか終わらぬうちに、ぱっと畳の間から火を吹き出したそうです。
こういうような怪異のことが、約三月くらい続いているうちに、ふとかの地袋の女ということに気がついて、下屋敷の女たちを厳重に取調べたところが、果して池袋から来ている女中があって、それが出入りの者と密通していたということが知れました。
で、この女中を追い出してしまいますと、まるで嘘のように不思議なことが止んだということです。
これも塚原渋柿園じゅうしえんの直話じきわですが、牛込の江戸川橋のそばに矢柄やがら何某という槍の先生がありました。この家に板橋在の者だといって住み込んだ女中がありましたが、どうも池袋の女らしいので、そのことを細君から主人に告げて、今のうちに暇を出してしまいたいといいますと、さすがは槍の先生だけあって、「実は池袋の女の不思議を見たいと思っていたのだが、ちょうど幸いである。そのままにしておけ」ということで、細君も仕方なしに知らぬ振りをしていましたが、別になんのこともなかったそうです。
ところがある日、主人公が食事をしている時でした。給仕をしている細君があわてて飯櫃めしびつを押さえていますので、どうしたのかと聞くと、飯櫃がぐるぐる廻り出したというのです。
矢柄先生はそれを非常に面白がられて、ぐるぐると廻っている飯櫃をじっと見ていましたが、やがて庭の方の障子を開けますと、飯櫃はころころと庭に転げ落ちて、だんだん往来の方へ転げて行きます。で、稽古に来ている門弟たちを呼んでそのあとをつけさせますと、飯櫃は中の橋の真ん中に止まって、逆様さかさまに伏せって動かなくなったので、それを取ってみますとすっかり飯が減っていたということです。
これを調べて見ると、その池袋の女中が近所の若い者といたずらをしていたということが判りました。女中も驚いて自分から暇を取ろうとしましたが、先生は面白がってどうしても暇をやらなかったので、とうとういたたまらなくなって、女も無断で逃げていってしまったということです。この種の怪談が江戸時代にも沢山ありました。
天狗や狐憑き、河童など
天狗に攫さらわれるということも、随分沢山あったそうです。もちろんこれには嘘もあり、本当もあり、一概にはいえないのですが、とにかくに天狗に攫われるような者は、いつもぼんやりして意識の明瞭を欠いていた者が多かったそうです。従って、「あいつは天狗に攫われそうな奴だ」というような言葉があったくらいです。これは十日くらいの間、行方不明になっていて、どこからかふらりと戻って来るのです。
これらは科学的に説明すれば、いろいろの解釈がつくのですが、江戸時代ではまず怪談の一つとして数えていました。
狐憑きつねつき、これもなかなか多かったようですが、一種の神経衰弱者だったのでしょう。この時代には「狐憑」もあれば、「狐使い」もありました。狐を使う者は飯綱いいづなの行者だと言い伝えられていました。そのほかに管狐くだぎつねを使う者もありました。
管狐というのは、わざわざ伏見の稲荷へ行って管の中へ狐を入れて来るので、管の中へ入れられた狐は管から出してくれといって、途中で泣き騒いでいたということですが、もう箱根を越すと静かになるそうです。
昔は狐使いなどといって、他に嫌がられながらも一方にはまた恐れられ、種々の祈祷料などをもらっていたのですが、今日では狐を使う行者などは跡を絶ちました。
この狐憑は、狐が落ちさえすればけろりと治ってしまいますが、治らずに死ぬ者もありました。
河童かっぱは筑後の柳川が本場だとか聞いていますが、江戸でも盛んにその名を拡めています。これはかわうそと亀とを合併して河童といっていたらしく、川の中で足などに搦からみつくのは大抵は亀だそうです。
この河童というものが、江戸付近の川筋にはよく出たものです。どういう訳か、葛西かさいの源兵衛(源兵衛堀―いまの北十間じっけん川のこと)が名所になっています。
徳川の家来に福島何某なにがしという武士がありました。ある雨の夜でしたが、虎の門の濠端ほりばたを歩いていました。この濠のところを俗にどんどんといって、溜池の水がどんどんと濠に落ちる落口になっていたのです。
その前を一人の小僧が傘もささずに、びしょびしょと雨に濡れながら裾を引き摺って歩いているので、つい見かねて「おい、尻を端折はしょったらどうだ」といってやりましたが、小僧は振り向きもしないので、こんどは命令的に「おい、尻を端折れ」といいましたが、小僧は振り向きもしないので、こんどは命令的に「おい、尻を端折れ」といいましたが、小僧は相変わらず知らぬ顔をしています。で、つかつかと寄って、後ろから着物の裾をまくると、ぴかっと尻が光ったので、「おのれ」といいざま襟に手をかけて、どんどんの中へ投げ込みました。
が、あとで、もしそれが本当の小僧であっては可哀相だと思って、翌日そこへ行って見ましたが、それらしき死骸も浮いていなければ、そんな噂もなかったので、まったくかわうそだったのだろうと、他に語ったそうです。
芝の愛宕山の下〔桜川の大溝〕などでも、よくかわうそが出たということです。
それは多く雨の夜なのですが、差している傘の上にかわうそが取りつくので、非常に持ち重りがするということです。そうして顔などを引っ掻かれることなどがあったそうですが、武士などになると、そっと傘を手許に下げておよその見当をつけ、小柄こづかを抜いて傘越しにかわうそを刺し殺してしまったということです。
中村座の役者で、市川ちょび助という宙返ちゅうがえりの名人がありました。やはり雨の降る晩でしたが、芝居がはねて本所の宅へ帰る途中で遭ったそうです。差している傘が石のように重くなって、ひと足も歩くことができなくなったので、持前の芸を出して、傘を差したまま宙返りをすると、かわうそが大地に叩きつけられて死んでいた、ということです。
日比谷の亀も有名でした。桜田見附から日比谷へ行く濠の底に大きい亀が棲すんでいたということで、この亀が浮き出すと濠一杯になったと言い伝えられています。亀が浮くと、龍たつの口くちの火消屋敷の太鼓を打つことになっていました。その太鼓の音に驚いて、大亀は沈んでしまうといいます。しかし、その亀を見た者はないようです。
岡本綺堂
池袋の女
江戸の代表的怪談といえば、まず第一に池袋の女というものを挙げなければなりません。
今日の池袋の人からは抗議が出るかもしれませんが、どういうものか、この池袋の女を女中などに使いますと、きっと何か異変があると言い伝えられて、武家屋敷などでは絶対に池袋の女を使わないことにしていたということです。また、町家などでも池袋の女を使うことを嫌がりましたので、池袋の女の方でも池袋ということを隠して、大抵は板橋とか雑司ヶ谷とかいって奉公に出ていたのだそうです。
それも、女が無事におとなしく勤めている分には別になんの仔細もなかったのですが、もし男と関係でもしようものなら、忽ち怪異が頻々ひんぴんとして起こるというのです。
これは、池袋の女が七面様の氏子なので、その祟たたりだ[#「祟たたりだ」は底本では「崇たたりだ」]といわれていましたが、それならば不埓ふらちを働いた当人、即ち池袋の女に祟れば[#「祟れば」は底本では「崇れば」]よさそうなものですが、本人にはなんの祟も[#「祟も」は底本では「崇も」]なくて、必ずその女の使われている家へ祟る[#「祟る」は底本では「崇る」]のだそうです。まったく理窟では判断がつきませんが、まず家が揺れたり、自然に襖ふすまが開いたり、障子の紙が破れたり、行灯あんどんが天井に吸い付いたり、そこらにある物が躍おどったり、いろいろの不思議があるといいます。
こういうことがあると、まず第一に池袋の女を詮議することになっていましたが、果してその蔭には必ず池袋の女が忍んでいたということです。
これは私の父なども親しく見たということですが、麻布の龍土町(いまの港区六本木七丁目六~八番)に内藤紀伊守の下屋敷がありました。この下屋敷というところは、多く女子供などが住んでいるのです。
ある夜のことでした。何処からとなく沢山の蛙が出て来てぴょこぴょこと闇に動いていましたが、いつとはなしに女たちの寝ている蚊帳かやの上にあがって、じっとつくばっていたということです。それを見た女たちの騒ぎは、どんなであったでしょう。
すると、こんどは家がぐらぐらとぐらつき出したので、騒ぎはますます大きくなって、上屋敷からも武士が出張するし、また他藩の武士の見物に行った者などが交じって、そこらを調べて見ましたが、さっぱり訳が判りません。そこで狐狸こりの仕業ということになって屋敷中を狩り立てましたが、狐や狸はさておき、かわうそ一疋も出なかったということです。で、その夜は十畳ばかりの屋敷に十四、五人の武士が不寝番ねずのばんをすることになりました。
ところが、夜もだんだん更けゆくにつれ、行灯の火影も薄暗くなって、自然と首が下がるような心持になると、どこからとなく、ぱたりぱたりと石が落ちてくるのです。皆の者がしゃんとしている間は何事もないのですが、つい知らずに首が下がるにつれて、ぱたりぱたりと石が落ちてくるので、「これはどうしても狐狸の仕業に相違ない。ためしに空鉄砲を放してみよう」といって、井上某が鉄砲を取りに立とうとすると、ぽかりと切石が眉間みけんに当たって倒れました。
こんどは他の者が代わって立とうとすると、また、その者の横鬢よこびんのところに切石が当たったので、もう誰も鉄砲を[#「鉄砲を」は底本では「鉄砲に」]取りに行こうという者もありません。互いに顔を見合わせているばかりでしたが、ある一人が「石の落ちてくるところは、どうも天井らしい」と、いい終わるか終わらぬうちに、ぱっと畳の間から火を吹き出したそうです。
こういうような怪異のことが、約三月くらい続いているうちに、ふとかの地袋の女ということに気がついて、下屋敷の女たちを厳重に取調べたところが、果して池袋から来ている女中があって、それが出入りの者と密通していたということが知れました。
で、この女中を追い出してしまいますと、まるで嘘のように不思議なことが止んだということです。
これも塚原渋柿園じゅうしえんの直話じきわですが、牛込の江戸川橋のそばに矢柄やがら何某という槍の先生がありました。この家に板橋在の者だといって住み込んだ女中がありましたが、どうも池袋の女らしいので、そのことを細君から主人に告げて、今のうちに暇を出してしまいたいといいますと、さすがは槍の先生だけあって、「実は池袋の女の不思議を見たいと思っていたのだが、ちょうど幸いである。そのままにしておけ」ということで、細君も仕方なしに知らぬ振りをしていましたが、別になんのこともなかったそうです。
ところがある日、主人公が食事をしている時でした。給仕をしている細君があわてて飯櫃めしびつを押さえていますので、どうしたのかと聞くと、飯櫃がぐるぐる廻り出したというのです。
矢柄先生はそれを非常に面白がられて、ぐるぐると廻っている飯櫃をじっと見ていましたが、やがて庭の方の障子を開けますと、飯櫃はころころと庭に転げ落ちて、だんだん往来の方へ転げて行きます。で、稽古に来ている門弟たちを呼んでそのあとをつけさせますと、飯櫃は中の橋の真ん中に止まって、逆様さかさまに伏せって動かなくなったので、それを取ってみますとすっかり飯が減っていたということです。
これを調べて見ると、その池袋の女中が近所の若い者といたずらをしていたということが判りました。女中も驚いて自分から暇を取ろうとしましたが、先生は面白がってどうしても暇をやらなかったので、とうとういたたまらなくなって、女も無断で逃げていってしまったということです。この種の怪談が江戸時代にも沢山ありました。
天狗や狐憑き、河童など
天狗に攫さらわれるということも、随分沢山あったそうです。もちろんこれには嘘もあり、本当もあり、一概にはいえないのですが、とにかくに天狗に攫われるような者は、いつもぼんやりして意識の明瞭を欠いていた者が多かったそうです。従って、「あいつは天狗に攫われそうな奴だ」というような言葉があったくらいです。これは十日くらいの間、行方不明になっていて、どこからかふらりと戻って来るのです。
これらは科学的に説明すれば、いろいろの解釈がつくのですが、江戸時代ではまず怪談の一つとして数えていました。
狐憑きつねつき、これもなかなか多かったようですが、一種の神経衰弱者だったのでしょう。この時代には「狐憑」もあれば、「狐使い」もありました。狐を使う者は飯綱いいづなの行者だと言い伝えられていました。そのほかに管狐くだぎつねを使う者もありました。
管狐というのは、わざわざ伏見の稲荷へ行って管の中へ狐を入れて来るので、管の中へ入れられた狐は管から出してくれといって、途中で泣き騒いでいたということですが、もう箱根を越すと静かになるそうです。
昔は狐使いなどといって、他に嫌がられながらも一方にはまた恐れられ、種々の祈祷料などをもらっていたのですが、今日では狐を使う行者などは跡を絶ちました。
この狐憑は、狐が落ちさえすればけろりと治ってしまいますが、治らずに死ぬ者もありました。
河童かっぱは筑後の柳川が本場だとか聞いていますが、江戸でも盛んにその名を拡めています。これはかわうそと亀とを合併して河童といっていたらしく、川の中で足などに搦からみつくのは大抵は亀だそうです。
この河童というものが、江戸付近の川筋にはよく出たものです。どういう訳か、葛西かさいの源兵衛(源兵衛堀―いまの北十間じっけん川のこと)が名所になっています。
徳川の家来に福島何某なにがしという武士がありました。ある雨の夜でしたが、虎の門の濠端ほりばたを歩いていました。この濠のところを俗にどんどんといって、溜池の水がどんどんと濠に落ちる落口になっていたのです。
その前を一人の小僧が傘もささずに、びしょびしょと雨に濡れながら裾を引き摺って歩いているので、つい見かねて「おい、尻を端折はしょったらどうだ」といってやりましたが、小僧は振り向きもしないので、こんどは命令的に「おい、尻を端折れ」といいましたが、小僧は振り向きもしないので、こんどは命令的に「おい、尻を端折れ」といいましたが、小僧は相変わらず知らぬ顔をしています。で、つかつかと寄って、後ろから着物の裾をまくると、ぴかっと尻が光ったので、「おのれ」といいざま襟に手をかけて、どんどんの中へ投げ込みました。
が、あとで、もしそれが本当の小僧であっては可哀相だと思って、翌日そこへ行って見ましたが、それらしき死骸も浮いていなければ、そんな噂もなかったので、まったくかわうそだったのだろうと、他に語ったそうです。
芝の愛宕山の下〔桜川の大溝〕などでも、よくかわうそが出たということです。
それは多く雨の夜なのですが、差している傘の上にかわうそが取りつくので、非常に持ち重りがするということです。そうして顔などを引っ掻かれることなどがあったそうですが、武士などになると、そっと傘を手許に下げておよその見当をつけ、小柄こづかを抜いて傘越しにかわうそを刺し殺してしまったということです。
中村座の役者で、市川ちょび助という宙返ちゅうがえりの名人がありました。やはり雨の降る晩でしたが、芝居がはねて本所の宅へ帰る途中で遭ったそうです。差している傘が石のように重くなって、ひと足も歩くことができなくなったので、持前の芸を出して、傘を差したまま宙返りをすると、かわうそが大地に叩きつけられて死んでいた、ということです。
日比谷の亀も有名でした。桜田見附から日比谷へ行く濠の底に大きい亀が棲すんでいたということで、この亀が浮き出すと濠一杯になったと言い伝えられています。亀が浮くと、龍たつの口くちの火消屋敷の太鼓を打つことになっていました。その太鼓の音に驚いて、大亀は沈んでしまうといいます。しかし、その亀を見た者はないようです。
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