120出 土门热 土門熱 新・恋しかるべき 一色樹人編 带AS双特
360出 テトラポット登 消波块登 SEX DRIVE 黛愁悟 私の愛すべき化粧師 私の可哀想な化粧師
可拆 拆出不包 带AS双特 确收后可附赠PK特音源
100出 茶介 新・恋しかるべき 時田浩人編 带A特实体 确收后可附赠S特音源
33出 樱井真人 わるい魔法使いに姫が略奪されてしまいました 仅本体无侧封
50出 三楽章 三乐章 そこは狂った夢の淵 選択される定め 仅本体无侧封
27出 柿原彻也 柿原徹也 戦国添い寝 明智光秀編 全新未拆封 默认初伤
27出 河村真人 河村眞人 とろとろどるちぇ 第2弹 アイスクリームえっち編 单本体
均单张包邮 多带可刀(打包两件以上且总金额≥200)
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50出 三楽章 三乐章 そこは狂った夢の淵 選択される定め 仅本体无侧封
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#女の子三人から告白されました。ちなみに私も女です#
0004 死对头(3)
哭了。
在球场上针锋相对的对手现在在我面前放声大哭。
“呜呜呜——”
眼泪停不下来。
“等、等等,别哭了。”
“呜呜呜——”
“对不起,对不起了嘛。”
“呜呜——我、我很仰慕您的啊呜呜呜”
“知道了,我知道了嘛。”
话虽如此,但我完全不知道这是什么状况。
剑同学的眼泪是真的。如果这都是假的的话,那她去竞争最佳女演员简直是易如反掌。
欸?难道是真的?真的是真的?
总之先安慰一下剑同学。对于我们这种针锋相对的对手来说,这个样子还真是难以置信的奇观呢。我这是在干什么呀。
我花了很长时间才让剑同学不再哭了。
“嗝、嗝、嗝。”
“好点了么?”
“嗝、嗝,好点了。”
虽然声音依然哽咽着,但总算是不哭了。
我拾起刚才扔在一旁的信,示意剑同学。
“那个……这是真的?”
“嗝、确是如此。”
立刻就回答了,而且还直直的看着我。
“那个,我、我不是太懂这种复杂的表达方式。这个‘我很仰慕您。’是不是可以换成‘我喜欢你,请你跟我交往。’。
对于这个问题的回答她倒是停顿了一下。
剑同学煞白的脸又染上了红色,一边眼神闪烁着将视线移开一边回答道:
“是的,确实如此。我喜欢……穴吹同学。”
不对不对,这是怀春少女?
“那个……”
虽然说不出什么像样的话确实是我的问题,但是这种情况下我也没办法组织语言。
所以,如果是非常受欢迎的人一天被告白两次的话会怎么做呢?这种人应对起来应该很简单吧。
但是我是头一次被告白啊,而且——
“我,是女性呀。”
对方是同性,而且我也是第二次被同性告白了。
“是的,我也是女性。身为女性的我想与身为女性的穴吹同学谈恋爱。”
哦,是真的。话语也真诚,视线也是十分真诚执着的。
……欸?我的关注点是不是歪了?
“对不起,给您添麻烦了么?……呜呜呜——”
“啊——,所以不要在哭啦!没有添麻烦啦!”
与其说是添麻烦倒不如说是很困惑。剑同学是会这样哭的人么?她的形象在我这里被彻底颠覆了。
在我的帮助下她这次很快止住了哭声。
因为哭了两次,眼睛变得又大又肿,我问剑同学:
“额,剑同学也是想和我、那个、想和我接吻的意思么?”
“嗳!”
听了我的问题我感受到剑同学被吓的相靠着的肩膀都耸起来了。
呃?刚才的问题有那么奇怪吗?我以为这是符合现在潮流的。
“怎么会……接吻这种事……”
嗯?她怎么扭动起身子变得扭扭捏捏的?
“我……这种程度的事情我还没想过呢……如果是你现在想要的话……说的也是呢……我想那就开始认真的交往,紧紧牵着你的手,一起去约、约会吧。”
不这就是怀春少女啊!唔,确定了!剑同学就是怀春少女!
“穴吹同学有没有也这么想过呢?”
“欸?那个……”
她立刻倾身向我靠来。
这是想要听告白的回复么?如此神速的展开让我立刻回复多少是有一点困难的啊。果然还是饶了我吧!
“啊,对你做了这么卑鄙的事情真的对不起。”
也许是注意到我游离的目光,剑同学向后退了一步。
唔,得救了。
“我明天再来这里,到时候请告诉我你的答复。”
嗳,明天?!
她微笑着说出这残酷的话,之后便跑出学校去了。
“等、等等!”
我想叫住她,但她一瞬间就消失在黑暗中,看不见了。
不愧是白百合篮球部的王牌,跑的真快。……等,现在不是说这个的时候啊!
剩下我一个人,我躺在体育馆的地板上。
“哈啊————”
我仰面躺着,长长的呼了好大一口气。这是满载着我困惑的叹息。
一直以来我都以为她就是一个傲慢的女王,实际上她就是一个爱哭的小女孩罢了。
这样的死对头向我告白了。
从语言方面梳理起来大概比较简单,但我的心里却掀起了惊涛骇浪。
不管怎么说,我面临的是“告白的回复”这一超级难题。
但是,加上小浦的那个的话就一共有两个人向我告白了,我什么时候变成那种非常受欢迎的女人了?
说着“受不了了。”我又叹了一口气。
灯火通明的体育馆里顿时充满了沉闷的空气。
0004 死对头(3)
哭了。
在球场上针锋相对的对手现在在我面前放声大哭。
“呜呜呜——”
眼泪停不下来。
“等、等等,别哭了。”
“呜呜呜——”
“对不起,对不起了嘛。”
“呜呜——我、我很仰慕您的啊呜呜呜”
“知道了,我知道了嘛。”
话虽如此,但我完全不知道这是什么状况。
剑同学的眼泪是真的。如果这都是假的的话,那她去竞争最佳女演员简直是易如反掌。
欸?难道是真的?真的是真的?
总之先安慰一下剑同学。对于我们这种针锋相对的对手来说,这个样子还真是难以置信的奇观呢。我这是在干什么呀。
我花了很长时间才让剑同学不再哭了。
“嗝、嗝、嗝。”
“好点了么?”
“嗝、嗝,好点了。”
虽然声音依然哽咽着,但总算是不哭了。
我拾起刚才扔在一旁的信,示意剑同学。
“那个……这是真的?”
“嗝、确是如此。”
立刻就回答了,而且还直直的看着我。
“那个,我、我不是太懂这种复杂的表达方式。这个‘我很仰慕您。’是不是可以换成‘我喜欢你,请你跟我交往。’。
对于这个问题的回答她倒是停顿了一下。
剑同学煞白的脸又染上了红色,一边眼神闪烁着将视线移开一边回答道:
“是的,确实如此。我喜欢……穴吹同学。”
不对不对,这是怀春少女?
“那个……”
虽然说不出什么像样的话确实是我的问题,但是这种情况下我也没办法组织语言。
所以,如果是非常受欢迎的人一天被告白两次的话会怎么做呢?这种人应对起来应该很简单吧。
但是我是头一次被告白啊,而且——
“我,是女性呀。”
对方是同性,而且我也是第二次被同性告白了。
“是的,我也是女性。身为女性的我想与身为女性的穴吹同学谈恋爱。”
哦,是真的。话语也真诚,视线也是十分真诚执着的。
……欸?我的关注点是不是歪了?
“对不起,给您添麻烦了么?……呜呜呜——”
“啊——,所以不要在哭啦!没有添麻烦啦!”
与其说是添麻烦倒不如说是很困惑。剑同学是会这样哭的人么?她的形象在我这里被彻底颠覆了。
在我的帮助下她这次很快止住了哭声。
因为哭了两次,眼睛变得又大又肿,我问剑同学:
“额,剑同学也是想和我、那个、想和我接吻的意思么?”
“嗳!”
听了我的问题我感受到剑同学被吓的相靠着的肩膀都耸起来了。
呃?刚才的问题有那么奇怪吗?我以为这是符合现在潮流的。
“怎么会……接吻这种事……”
嗯?她怎么扭动起身子变得扭扭捏捏的?
“我……这种程度的事情我还没想过呢……如果是你现在想要的话……说的也是呢……我想那就开始认真的交往,紧紧牵着你的手,一起去约、约会吧。”
不这就是怀春少女啊!唔,确定了!剑同学就是怀春少女!
“穴吹同学有没有也这么想过呢?”
“欸?那个……”
她立刻倾身向我靠来。
这是想要听告白的回复么?如此神速的展开让我立刻回复多少是有一点困难的啊。果然还是饶了我吧!
“啊,对你做了这么卑鄙的事情真的对不起。”
也许是注意到我游离的目光,剑同学向后退了一步。
唔,得救了。
“我明天再来这里,到时候请告诉我你的答复。”
嗳,明天?!
她微笑着说出这残酷的话,之后便跑出学校去了。
“等、等等!”
我想叫住她,但她一瞬间就消失在黑暗中,看不见了。
不愧是白百合篮球部的王牌,跑的真快。……等,现在不是说这个的时候啊!
剩下我一个人,我躺在体育馆的地板上。
“哈啊————”
我仰面躺着,长长的呼了好大一口气。这是满载着我困惑的叹息。
一直以来我都以为她就是一个傲慢的女王,实际上她就是一个爱哭的小女孩罢了。
这样的死对头向我告白了。
从语言方面梳理起来大概比较简单,但我的心里却掀起了惊涛骇浪。
不管怎么说,我面临的是“告白的回复”这一超级难题。
但是,加上小浦的那个的话就一共有两个人向我告白了,我什么时候变成那种非常受欢迎的女人了?
说着“受不了了。”我又叹了一口气。
灯火通明的体育馆里顿时充满了沉闷的空气。
#柚
『不死身ラヴァーズ』では最高の親友に
青木柚が松居大悟監督と映画館を語る
──『不死身ラヴァーズ』の物語に最初に触れた際の感想を聞かせてください。
青木柚(以下:青木) 映画の脚本を読み、合わせて原作マンガも読ませてもらって最初に感じたことは、“まぶしいなぁ”というものでした。「好き」を伝え続ける主人公があまりにピュアで突き抜けていて、すごくまぶしく感じたんです。同時にふと自分が10代だった頃を振り返り、“自分も考える前に好きという衝動的な感情は多かったかもしれない”と懐かしくなったり。今の自分の視点だけではなく、ふと昔の自分の視点でもこの物語を受け止めていることに気づき、面白いなと思いました。りのとじゅんがたくさんの時間を重ねていく中では、切ない瞬間も増えてきて。放課後に疲れ果てるまで遊んだ後の帰り道のような。あの思い返すとどこか締めつけられるような時間を、この作品に感じました。
──物語に自身の経験を重ねてみる、それはほかの作品でもよくしていることですか。
青木 そうかもしれません。例えば、脚本を読んでグッときたとして。“どうして今、自分はグッときたんだろう?”と、その理由が知りたくなる時があるんです。それで、昔のことを思い返してみたり、“誰かこんな人が近くにいたかもしれない”と似ている人を探してみたり。そういうことはよくあります。ただ、グッときた理由をあえて言葉にしたくない時もあって、そういう時はそのままにしておきます。でも基本的には、映画で描かれることをよその物事だとは思わず、自分が生きている世界の物事だと思って受け取ってみたい。そういう感覚は割と持っていたいなと思います。
──例えば、SF映画の脚本だとしても?
青木 SFでもそうだと思います。SFってまったく違う世界の話のようでいて、実は自分たちの世界と地続きにあると感じられる瞬間が多いと思っていて。僕が素敵だなと思うSF映画は、壮大な設定や世界観の中に垣間見える人の生活感というか。きっとどんな物語にも自分たちが身に覚えのある感情や、生きていく中で抱く違和感みたいなものが含まれている。あとはそれをどう人の目に触れさせるか。いろいろなアウトプットの形があって面白いですよね。
──松居監督とは映画『アイスと雨音』(2017)でも一緒に仕事をされていて、その作家性もよくおわかりかと。松居監督がこの物語を撮るイメージはすぐに浮かびましたか。
青木 タイトルとあらすじだけを最初に聞いた時には、“こんなにピュアなラブストーリーを撮られるんだ!”と少し驚きましたが、脚本を読み進めるうちに“あ、これは松居監督が撮る作品だ”と思える雰囲気を感じて。これまでの松居監督作品では男の子が突っ走るイメージが強くありましたが、今回突っ走るのは女の子のほう。でも、芯の部分は変わっていない気がして。僕は松居監督の作品を観ると、理屈ではなく湧き上がってくる人間のエネルギーみたいなものを大切にされているんだなといつも感じます。今回の映画もまさに、整理されていない生命力みたいなものに満ちていると感じられるものでした。
──『アイスと雨音』は74分間全編をワンカットで撮影され、映画ですが演劇的な作り方だったかと思います。『不死身ラヴァーズ』の作り方はまた違っていたのでは?
青木 確かに全体の進み方は違っていましたが、松居監督の居方はまったく変わっていなくて、そこが僕としてはうれしかったです。松居監督はリハーサルから現場まで、ずっと近い距離にい続けてくださる方です。特にリハーサルの時の監督の居方が印象に残っています。りの役の見上愛さん、りのが恋する甲野じゅん役の佐藤寛太君、僕の3人が集まって本読みと立ち稽古をする日が1日だけあって。3人のバランスや空気感を3人で共有する時間だったのかなと思います。松居監督は僕ら3人がお芝居しているのをものすごく近くから、靴も脱いで裸足で座って見ているんです。「え、近っ!」って言いたくなるぐらい(笑)、体感としては松居監督に覗き込まれているようでした。“松居監督は今、僕らの何を見ているんだろう?”と興味が湧きましたし、同時に“ああ、『アイスと雨音』の時も松居監督はこうだった”と懐かしくて。改めて、自分にとって信頼できる方で、役の近くにもいてくれる監督だと思いました。
──本作で演じた主人公の親友・田中の人物像はどう感じていましたか。
青木 田中はあまりカテゴリーに縛られず、物事を俯瞰することに長けている人なのかなと思っていました。その俯瞰する姿勢が弱さから来るものなのか、それとも意志を持ってそうしているのか、そのすべては僕にははっきりわかりません。でも、田中のそういうスタンスは僕自身もとても理解できますし、純粋にこういう人が友だちにいたらいいなと思いました。田中のフラットな感じが魅力的だなと。
──田中は核心を突く言葉をたびたび放ちます。その言葉をこれ見よがしに言うわけでも上っ面で言うわけでもない。そのトーンや温度が絶妙だと感じました。
青木 本当ですか? そう感じていただけてうれしいです。確かに田中の台詞には“これは刺さる人にはものすごく刺さる”という言葉もありました。そういう言葉って脚本上や文字だけで読んでいる時にはすんなり入ってくることが多い気がしますが、それを実際に僕ら俳優が言う。つまりは生身の人を通した瞬間に、良くも悪くも核心が散らばっていく可能性があるとも思っていて。僕としては脚本や言葉が持つ力をただただ信じて、純粋に表現と向き合えたらと思っています。田中という人物を自分の近くに感じられていたら、特に何かを加える必要はないのかなと。なんというか…その言葉に溶け込むような感覚であれたらと思っていました。今回の田中に限らず、どの役を演じる時も、そういった感覚は失わないようにしています。
──余計なことをしないというのは、実は難しいものでしょうね。
青木 自分ができているかわかりませんが…。より俯瞰してくれている監督を信じて取り組んでいます。今回の現場でも本番の1テイク目を撮り終わってから、松居監督が「もう1回行こうか」と言う時がありました。その時の松居監督の目が印象的なんです。独特の熱い目をされていて。
──松居監督が「もう1回行こうか」と言う時、次のテイクでめざすべき具体的なゴール地点も合わせて示されるんですか。
青木 全部は言わないです。これは僕の勝手な想像ですが、多分松居監督は、“これを言葉にしたらなんか違うものになってしまう”という感覚を持たれていると思うんです。すべてを言葉にして説明するよりも、言葉にできない、言葉にしたくない感覚のほうを大切にされているのかなと、僕は勝手に想像しています。その松居監督の思いを汲み取りたい。そんな思いでいました。
──完成した映画『不死身ラヴァーズ』はいかがでしたか。『アイスと雨音』とはまた違う松居監督作の魅力を感じることもあったのでしょうか。
青木 ありました。今回の映画で松居監督が描いた“好き”は、これまでの映画で描いてきたそれよりも距離が近くなった感覚があって。すごく近いところまで来てくれる映画だと思えるものだったんです。フレンドリーな雰囲気が漂っていたというか。もちろん、変わらぬ魅力もありつつ、また新しい面を感じられたな…って、僕が偉そうに松居監督作を語ったりはできないのですが(笑)。
──脚本を読んだ際と同じように、完成した映画を観て自らの人生に重ね合わせる瞬間もありましたか。
青木 完成した映画を観た直後はなかったです。どうしてかと言うと、あまりに見上愛さんと佐藤寛太君の魅力が炸裂していたので。観ている時はずっとふたりに夢中で、自分のことはすっかり頭から抜け落ちていました。僕は“この役はこの人が演じなければいけなかった”というものをスクリーンで観られることに喜びを感じます。観る人の心を動かすのはそういうきらめきだなと思いますし、僕もおふたりのような人間でありたいと改めて思いました。
──FLYING POSTMAN PRESSのコンセプトは<GOOD CULTURE, GOOD LIFE>。人生において、カルチャー作品に大きく影響されたことはありますか。
青木 僕は映画が好きですが、実はこの仕事を通して好きになったものなんです。よく映画館に行くようになったのもここ3〜4年で。だから、“思春期にこの映画を観てすごく影響を受けた”みたいな作品を挙げることは難しくて。ただ、間違いなく今の自分にとって映画館という場所は欠かせないものになっています。新作映画も観ますが、最近よく行くのは特集上映とかリバイバル上映。ある映画監督の最新作が公開されるタイミングで、その監督の過去の名作を一気に特集上映したり、4Kリバイバル上映したりするじゃないですか。そういうものをよく観に行きます。今の僕にとって映画館は、自分が生まれる遥か前に生まれた映画に出会え、その映画が今の自分にとって必要だと感じられる特別な場所。出会うはずなかった映画を観て、それを今、等身大で受け取ることができるってすごいですよね。勝手に、待っていてくれてありがとうございますという気持ちになります。
──特にガツンときた特集上映、リバイバル上映は?
青木 (アンドレイ・)タルコフスキー監督の『ノスタルジア』(1983)の4K修復版が最近上映されていたんです。もともと、信頼する方々に「『ノスタルジア』は観たほうがいいよ」と言われていたこともあり、観に行きました。僕は自分が何かを観たり、聴いたりして、“うわ、これ好きだ”と思えた瞬間、文字通り息をのむんです。呼吸が浅くなり、ドキドキしてしまう。『ノスタルジア』の4K修復版を観ている時はその連続でした。靄がかった山間の風景や温泉から上る湯気…そういうふとしたカットがすごく自分の中に流れ込んできて。今の自分が『ノスタルジア』に触れられたこと、言葉に言い表せないもので感動できたことがうれしかったです。僕は、言葉を突き詰めていけばいくほど“言葉で言い表せないもの”をより痛感できるというか、感動できると思っていて。そういった考えを育む時間も、カルチャー作品は与えてくれる。僕の生活の中で欠かせないものになっています。
──今、青木さんはその作り手側にいます。日々の創作において大切にしていることを聞かせてください。
青木 俳優という職業は受ける側に立つことが多い職業だと思います。つまり、企画が走り出してからそこに合流する、という。もちろん、最近では俳優自身が旗を持って企画を動かし、成功させる姿にもすごく刺激を受けていますし、そういった創作への姿勢はとても格好良いなと思います。ただ、僕はまだまだそのフェーズではないと感じていて。そんな自分だからこそ、声をかけていただいた時には、規模だけでなく、その作品の持つメッセージや機微だったり、監督が大事にしている感覚だったりをちゃんと受け止め、しっかりとフィールしながら取り組んでいきたい。そこをあいまいにすると、俳優としての自分の存在意義はなくなってしまうとも思っていますね。
──いつかはご自身が旗を持って企画を走らせたいという思いも?
青木 それがどれだけ大変なことかも重々わかっていますが、いつかは、という思いはどこかにあります。普段生活している中で、“この感情ってなんだろう?”と思うことや、これは自分だけなのではないかと思ってしまう違和感は忘れないようにしていて。自分が演じる役を通して昇華できることもありますが、その違和感や悩みが役と合致するのは珍しいですし、ほとんどは、芽生えたものの行き場がなくただ消えていくだけというか。そんな思いを自分の作品として形にできたら、その先には何があるのだろうと気になりますね。“今やらなきゃ!”と思える時が来たら、自主的にでも好きな人たちと作れたら幸せですね。純度高く創作してみたいです。
『不死身ラヴァーズ』では最高の親友に
青木柚が松居大悟監督と映画館を語る
──『不死身ラヴァーズ』の物語に最初に触れた際の感想を聞かせてください。
青木柚(以下:青木) 映画の脚本を読み、合わせて原作マンガも読ませてもらって最初に感じたことは、“まぶしいなぁ”というものでした。「好き」を伝え続ける主人公があまりにピュアで突き抜けていて、すごくまぶしく感じたんです。同時にふと自分が10代だった頃を振り返り、“自分も考える前に好きという衝動的な感情は多かったかもしれない”と懐かしくなったり。今の自分の視点だけではなく、ふと昔の自分の視点でもこの物語を受け止めていることに気づき、面白いなと思いました。りのとじゅんがたくさんの時間を重ねていく中では、切ない瞬間も増えてきて。放課後に疲れ果てるまで遊んだ後の帰り道のような。あの思い返すとどこか締めつけられるような時間を、この作品に感じました。
──物語に自身の経験を重ねてみる、それはほかの作品でもよくしていることですか。
青木 そうかもしれません。例えば、脚本を読んでグッときたとして。“どうして今、自分はグッときたんだろう?”と、その理由が知りたくなる時があるんです。それで、昔のことを思い返してみたり、“誰かこんな人が近くにいたかもしれない”と似ている人を探してみたり。そういうことはよくあります。ただ、グッときた理由をあえて言葉にしたくない時もあって、そういう時はそのままにしておきます。でも基本的には、映画で描かれることをよその物事だとは思わず、自分が生きている世界の物事だと思って受け取ってみたい。そういう感覚は割と持っていたいなと思います。
──例えば、SF映画の脚本だとしても?
青木 SFでもそうだと思います。SFってまったく違う世界の話のようでいて、実は自分たちの世界と地続きにあると感じられる瞬間が多いと思っていて。僕が素敵だなと思うSF映画は、壮大な設定や世界観の中に垣間見える人の生活感というか。きっとどんな物語にも自分たちが身に覚えのある感情や、生きていく中で抱く違和感みたいなものが含まれている。あとはそれをどう人の目に触れさせるか。いろいろなアウトプットの形があって面白いですよね。
──松居監督とは映画『アイスと雨音』(2017)でも一緒に仕事をされていて、その作家性もよくおわかりかと。松居監督がこの物語を撮るイメージはすぐに浮かびましたか。
青木 タイトルとあらすじだけを最初に聞いた時には、“こんなにピュアなラブストーリーを撮られるんだ!”と少し驚きましたが、脚本を読み進めるうちに“あ、これは松居監督が撮る作品だ”と思える雰囲気を感じて。これまでの松居監督作品では男の子が突っ走るイメージが強くありましたが、今回突っ走るのは女の子のほう。でも、芯の部分は変わっていない気がして。僕は松居監督の作品を観ると、理屈ではなく湧き上がってくる人間のエネルギーみたいなものを大切にされているんだなといつも感じます。今回の映画もまさに、整理されていない生命力みたいなものに満ちていると感じられるものでした。
──『アイスと雨音』は74分間全編をワンカットで撮影され、映画ですが演劇的な作り方だったかと思います。『不死身ラヴァーズ』の作り方はまた違っていたのでは?
青木 確かに全体の進み方は違っていましたが、松居監督の居方はまったく変わっていなくて、そこが僕としてはうれしかったです。松居監督はリハーサルから現場まで、ずっと近い距離にい続けてくださる方です。特にリハーサルの時の監督の居方が印象に残っています。りの役の見上愛さん、りのが恋する甲野じゅん役の佐藤寛太君、僕の3人が集まって本読みと立ち稽古をする日が1日だけあって。3人のバランスや空気感を3人で共有する時間だったのかなと思います。松居監督は僕ら3人がお芝居しているのをものすごく近くから、靴も脱いで裸足で座って見ているんです。「え、近っ!」って言いたくなるぐらい(笑)、体感としては松居監督に覗き込まれているようでした。“松居監督は今、僕らの何を見ているんだろう?”と興味が湧きましたし、同時に“ああ、『アイスと雨音』の時も松居監督はこうだった”と懐かしくて。改めて、自分にとって信頼できる方で、役の近くにもいてくれる監督だと思いました。
──本作で演じた主人公の親友・田中の人物像はどう感じていましたか。
青木 田中はあまりカテゴリーに縛られず、物事を俯瞰することに長けている人なのかなと思っていました。その俯瞰する姿勢が弱さから来るものなのか、それとも意志を持ってそうしているのか、そのすべては僕にははっきりわかりません。でも、田中のそういうスタンスは僕自身もとても理解できますし、純粋にこういう人が友だちにいたらいいなと思いました。田中のフラットな感じが魅力的だなと。
──田中は核心を突く言葉をたびたび放ちます。その言葉をこれ見よがしに言うわけでも上っ面で言うわけでもない。そのトーンや温度が絶妙だと感じました。
青木 本当ですか? そう感じていただけてうれしいです。確かに田中の台詞には“これは刺さる人にはものすごく刺さる”という言葉もありました。そういう言葉って脚本上や文字だけで読んでいる時にはすんなり入ってくることが多い気がしますが、それを実際に僕ら俳優が言う。つまりは生身の人を通した瞬間に、良くも悪くも核心が散らばっていく可能性があるとも思っていて。僕としては脚本や言葉が持つ力をただただ信じて、純粋に表現と向き合えたらと思っています。田中という人物を自分の近くに感じられていたら、特に何かを加える必要はないのかなと。なんというか…その言葉に溶け込むような感覚であれたらと思っていました。今回の田中に限らず、どの役を演じる時も、そういった感覚は失わないようにしています。
──余計なことをしないというのは、実は難しいものでしょうね。
青木 自分ができているかわかりませんが…。より俯瞰してくれている監督を信じて取り組んでいます。今回の現場でも本番の1テイク目を撮り終わってから、松居監督が「もう1回行こうか」と言う時がありました。その時の松居監督の目が印象的なんです。独特の熱い目をされていて。
──松居監督が「もう1回行こうか」と言う時、次のテイクでめざすべき具体的なゴール地点も合わせて示されるんですか。
青木 全部は言わないです。これは僕の勝手な想像ですが、多分松居監督は、“これを言葉にしたらなんか違うものになってしまう”という感覚を持たれていると思うんです。すべてを言葉にして説明するよりも、言葉にできない、言葉にしたくない感覚のほうを大切にされているのかなと、僕は勝手に想像しています。その松居監督の思いを汲み取りたい。そんな思いでいました。
──完成した映画『不死身ラヴァーズ』はいかがでしたか。『アイスと雨音』とはまた違う松居監督作の魅力を感じることもあったのでしょうか。
青木 ありました。今回の映画で松居監督が描いた“好き”は、これまでの映画で描いてきたそれよりも距離が近くなった感覚があって。すごく近いところまで来てくれる映画だと思えるものだったんです。フレンドリーな雰囲気が漂っていたというか。もちろん、変わらぬ魅力もありつつ、また新しい面を感じられたな…って、僕が偉そうに松居監督作を語ったりはできないのですが(笑)。
──脚本を読んだ際と同じように、完成した映画を観て自らの人生に重ね合わせる瞬間もありましたか。
青木 完成した映画を観た直後はなかったです。どうしてかと言うと、あまりに見上愛さんと佐藤寛太君の魅力が炸裂していたので。観ている時はずっとふたりに夢中で、自分のことはすっかり頭から抜け落ちていました。僕は“この役はこの人が演じなければいけなかった”というものをスクリーンで観られることに喜びを感じます。観る人の心を動かすのはそういうきらめきだなと思いますし、僕もおふたりのような人間でありたいと改めて思いました。
──FLYING POSTMAN PRESSのコンセプトは<GOOD CULTURE, GOOD LIFE>。人生において、カルチャー作品に大きく影響されたことはありますか。
青木 僕は映画が好きですが、実はこの仕事を通して好きになったものなんです。よく映画館に行くようになったのもここ3〜4年で。だから、“思春期にこの映画を観てすごく影響を受けた”みたいな作品を挙げることは難しくて。ただ、間違いなく今の自分にとって映画館という場所は欠かせないものになっています。新作映画も観ますが、最近よく行くのは特集上映とかリバイバル上映。ある映画監督の最新作が公開されるタイミングで、その監督の過去の名作を一気に特集上映したり、4Kリバイバル上映したりするじゃないですか。そういうものをよく観に行きます。今の僕にとって映画館は、自分が生まれる遥か前に生まれた映画に出会え、その映画が今の自分にとって必要だと感じられる特別な場所。出会うはずなかった映画を観て、それを今、等身大で受け取ることができるってすごいですよね。勝手に、待っていてくれてありがとうございますという気持ちになります。
──特にガツンときた特集上映、リバイバル上映は?
青木 (アンドレイ・)タルコフスキー監督の『ノスタルジア』(1983)の4K修復版が最近上映されていたんです。もともと、信頼する方々に「『ノスタルジア』は観たほうがいいよ」と言われていたこともあり、観に行きました。僕は自分が何かを観たり、聴いたりして、“うわ、これ好きだ”と思えた瞬間、文字通り息をのむんです。呼吸が浅くなり、ドキドキしてしまう。『ノスタルジア』の4K修復版を観ている時はその連続でした。靄がかった山間の風景や温泉から上る湯気…そういうふとしたカットがすごく自分の中に流れ込んできて。今の自分が『ノスタルジア』に触れられたこと、言葉に言い表せないもので感動できたことがうれしかったです。僕は、言葉を突き詰めていけばいくほど“言葉で言い表せないもの”をより痛感できるというか、感動できると思っていて。そういった考えを育む時間も、カルチャー作品は与えてくれる。僕の生活の中で欠かせないものになっています。
──今、青木さんはその作り手側にいます。日々の創作において大切にしていることを聞かせてください。
青木 俳優という職業は受ける側に立つことが多い職業だと思います。つまり、企画が走り出してからそこに合流する、という。もちろん、最近では俳優自身が旗を持って企画を動かし、成功させる姿にもすごく刺激を受けていますし、そういった創作への姿勢はとても格好良いなと思います。ただ、僕はまだまだそのフェーズではないと感じていて。そんな自分だからこそ、声をかけていただいた時には、規模だけでなく、その作品の持つメッセージや機微だったり、監督が大事にしている感覚だったりをちゃんと受け止め、しっかりとフィールしながら取り組んでいきたい。そこをあいまいにすると、俳優としての自分の存在意義はなくなってしまうとも思っていますね。
──いつかはご自身が旗を持って企画を走らせたいという思いも?
青木 それがどれだけ大変なことかも重々わかっていますが、いつかは、という思いはどこかにあります。普段生活している中で、“この感情ってなんだろう?”と思うことや、これは自分だけなのではないかと思ってしまう違和感は忘れないようにしていて。自分が演じる役を通して昇華できることもありますが、その違和感や悩みが役と合致するのは珍しいですし、ほとんどは、芽生えたものの行き場がなくただ消えていくだけというか。そんな思いを自分の作品として形にできたら、その先には何があるのだろうと気になりますね。“今やらなきゃ!”と思える時が来たら、自主的にでも好きな人たちと作れたら幸せですね。純度高く創作してみたいです。
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