去bookoff把订的空境第三卷领回来了
打开QA就被蘑菇狠狠创死
不怎么搞翻译,浅翻一下有错误麻烦指正
Q:
あの後、浅上藤乃は視力を失ったというような表記があったのですが、彼女は救われるのでしょうか
之后的内容中有浅上藤乃失去视力的表现,她有没有可能得到拯救呢(哭)
A:
奈:それが彼女の罪と罰。けど完全に失明したワケでもなく、視力を失った、というより視力が極端に低くなった、というのが近いかも。その後、彼女が日常生活に順応できているかは原作の6章でチラッと出てきます。また、藤乃のハッピーエンドというのなら3章の冒頭、幹也と出会って一緒に歩いているところが藤乃のハッピーエンドです。救いはあったのかと言えば、あの夜のあの会話こそ彼女が求めていたものですから。藤乃的にはあそこで物語が終わっていれば良かったのですがーーーー。
奈:这就是她的罪和罚。但是倒也不是完全失明,与其说是失去了视力,更接近是视力低到了极端的程度。在之后原作的第六章里也有略微提到过她是否适应了日常生活。并且要说藤乃的HappyEnd的话就在第三章的开头,遇到干也和他一起走路的时候就是藤乃的HappyEnd。要说有没有拯救的话,那天晚上的那个对话就是她所渴求的东西。对藤乃来说要是故事就在那里结束的话就好了,可惜----。
武:あ。だからこそのあの笑顔なワケか。
武:啊,所以这就是在那里有那个笑容的理由啊。
奈:まあ、結局は「間に合わなかったハッピーエンド」なんですけどね。最高のEDへの選択肢は、三年前に過ぎ去っていたのです。
奈:说到底就是“没有赶上HappyEnd”(距离HE一步之遥)的这种感觉。毕竟通向最好ED的选项,在三年前就已经错过了。
很痛但是还是在笑的藤乃,谁死了,藤乃的厨子死了。
P3是认真武内画的
打开QA就被蘑菇狠狠创死
不怎么搞翻译,浅翻一下有错误麻烦指正
Q:
あの後、浅上藤乃は視力を失ったというような表記があったのですが、彼女は救われるのでしょうか
之后的内容中有浅上藤乃失去视力的表现,她有没有可能得到拯救呢(哭)
A:
奈:それが彼女の罪と罰。けど完全に失明したワケでもなく、視力を失った、というより視力が極端に低くなった、というのが近いかも。その後、彼女が日常生活に順応できているかは原作の6章でチラッと出てきます。また、藤乃のハッピーエンドというのなら3章の冒頭、幹也と出会って一緒に歩いているところが藤乃のハッピーエンドです。救いはあったのかと言えば、あの夜のあの会話こそ彼女が求めていたものですから。藤乃的にはあそこで物語が終わっていれば良かったのですがーーーー。
奈:这就是她的罪和罚。但是倒也不是完全失明,与其说是失去了视力,更接近是视力低到了极端的程度。在之后原作的第六章里也有略微提到过她是否适应了日常生活。并且要说藤乃的HappyEnd的话就在第三章的开头,遇到干也和他一起走路的时候就是藤乃的HappyEnd。要说有没有拯救的话,那天晚上的那个对话就是她所渴求的东西。对藤乃来说要是故事就在那里结束的话就好了,可惜----。
武:あ。だからこそのあの笑顔なワケか。
武:啊,所以这就是在那里有那个笑容的理由啊。
奈:まあ、結局は「間に合わなかったハッピーエンド」なんですけどね。最高のEDへの選択肢は、三年前に過ぎ去っていたのです。
奈:说到底就是“没有赶上HappyEnd”(距离HE一步之遥)的这种感觉。毕竟通向最好ED的选项,在三年前就已经错过了。
很痛但是还是在笑的藤乃,谁死了,藤乃的厨子死了。
P3是认真武内画的
雨夜の怪談
岡本綺堂
秋……殊ことに雨などが漕々そうそう降ると、人は兎角とかくに陰気になつて、動ややもすれば魔物臭い話が出る。さればこそ、七偏人しちへんじんは百物語を催ほして大愚大人を脅かさんと巧み、和合人わごうじんの土場六先生はヅーフラ(註:オランダ渡来の、ラツパのような形状をした呼筒。半七捕物帳「ズウフラ怪談」に詳しい。)を以て和次さん等を驚かさんと企つるに至るのだ。聞く所に拠よれば近来も怪談大流行、到る所に百物語式の会合があると云ふ。で、私も流行を趁おうて、自分が見聞の怪談二三を紹介する。但ただし何いずれも実録であるから、芝居や講釈の様に物凄いのは無い。それは前以てお断り申して置く。
一
明治六七年の頃、私わたしの家うちは高輪たかなわから飯田町いいだまちに移つた。飯田町の家は大久保何某なにがしといふ旗本はたもとの古屋敷で随分広い。移つてから二月ふたつきほど経つた或夜の事、私の母が夜半よなかに起きて便所に行く。途中は長い廊下、真闇まっくらの中なかで何やら摺違すれちがつたやうな物の気息けはいがする、之これと同時に何とは無しに後あとへ引戻されるやうな心地がした。けれども、別に意にも介とめず、用を済すまして寝床へ帰つた。
こゝに住むこと約半年、更さらに同町内の他へ移転した。すると、出入でいりの酒商さかやが来て、旧宅にゐる間に何か変つた事は無かつたかと問ふ。いや、何事も無かつたと答へると、実は彼あの家うちは昔から有名なだいの化物屋敷、あなた方が住んでお在いでの時に、そんな事を申上げては却かえつて悪いと、今日こんにちまで差控さしひかえて居おりましたと云ふ。併しかし此方こっちでは何等の不思議を見た事無し、強しいて心当りを探り出せば、前に記しるした一件のみ。これでも怪談の部であらうか。
二
安政あんせいの末年まつねん、一人の若武士わかざむらいが品川から高輪たかなわの海端うみばたを通る。夜は四よつ過ぎ、他ほかに人通りは無い。芝しばの田町たまちの方から人魂ひとだまのやうな火が宙ちゅうを迷まようて来る。それが漸次しだいに近ちかづくと、女の背に負おぶはれた三歳みっつばかりの小供が、竹の柄えを付けた白張しらはりのぶら提灯ぢょうちんを持つてゐるのだ。唯ただ是これだけの事ならば別に仔細しさい無なし、こゝに不思議なるは其その女の顔で、眼も鼻も無い所謂いわゆるのツぺらぼう。武士さむらいも驚いて、思はず刀に手を掛けたが、待て暫しばし、広い世の中には病気又は怪我けがの為に不思議な顔を有もつ女が無いとも限らぬ、迂闊うかつに手を下くだすのも短慮だと、少時しばしづツと見てゐる中うちに、女は消ゆるが如ごとくに行き過ぎて遠く残るは提灯ちょうちんの影ばかり。是これ果はたして人か怪かいか竟ついに分らぬ。其その武士さむらいと云ふのは私の父である。
忠盛ただもりは油坊主あぶらぼうずを捕へた。私も引捕へて詮議すれば可よかつたものを……と、老後の悔くやみ話。
三
慶応けいおうの初年しょねん、私の叔父おじは富津ふっつの台場だいばを固めてゐた、で、或日あるひの事。同僚吉田何某なにがしと共に近所へ酒を飲みに行つた帰途かえりみち、冬の日も暮れかゝる田甫路たんぼみちをぶら/\来ると、吉田は何故なぜか知らず、動ややもすれば田たの方へ踉蹌よろけて行く。勿論幾分か酔つてはゐるが、足下あしもとの危い程でも無いに兎角とかくに左の方へと行きたがる。おい、田へ落ちるぞ、確乎しっかりしろと、叔父は幾いくたびか注意しても、本人は夢の様、無意識に田の中なかへ行かうとする。
其中そのうちに、叔父が不図ふと見ると、田を隔へだてたる左手ゆんでの丘に一匹の狐がゐて、宛さながら招まねくが如くに手を挙あげてゐる。こん畜生! 武士さむらいを化ばかさうなどゝは怪けしからぬと、叔父も酒の勢ひ、腰なる刀をひらりと抜く。これを見て狐は逃げた。吉田は眼を摩こすりながら「あゝ、睡ねむかつた……。」それから後のちは何事も無い。
動物電気に依よって一種のヒプノヂズム式作用を起すものと見える。狐が人を化すと云ふのも嘘では無いらしい。
四
鼬いたちの立つのは珍しくはないが私は猫の立つて歩くのを見た。
時は明治三十一年の八月十二日、夜の一時頃であらう。私は寝苦しいので蚊帳かやを出た。庭を一巡して扨さてそれから表へ出やうと、何心なく門を明けると、門から往来へ出る路次ろじの真中まんなかに何物か立つてゐる。月は明るい。其そのうしろ姿は正まさしく猫、加之しかも表通りの焼芋商やきいもやに飼つてある雉子猫きじねこだ。彼奴きゃつ、どうするかと息を潜ひそめて窺うかがつてゐると、彼かれは長き尾を地に曳ひき二本の後脚あとあしを以もって矗然すっくと立つたまゝ、宛さながら人のやうに歩んで行く、足下あしもとは中々なかなか確たしかだ。
はて、不思議と見てゐる中うちに、彼は既すでに二間けんばかりも歩き出した。私は一種の好奇心に駆られて、背後うしろから其後そのあとを尾つけやうと、跫音あしおとを偸ぬすんで一歩蹈ふみ出すや否や、彼は忽たちまち顧みかえつた。と思ふと、平常へいぜいの四脚よつあしに復かえつて飛鳥ひちょうの如ごとくに往来へ逃げ去つた。私も続いて逐おうたが、もう影も見せぬ。
翌日、焼芋屋の店を窺うかがふと彼は例の如く竈前かままえに遊んでゐる。併しかし昨夜の事を迂闊うっかり饒舌しゃべつて、家内の者を閙さわがすのも悪いと思つたから、私は何にも言はなかつた。が、其後も絶えず彼の挙動に注目してゐると、翌月の末頃から彼は姿を現はさぬ。同家に就ついて訊けば、猫は二三日前から行方不明となつたと云ふ。
動物学上から云へば、猫の立つて歩くのも或あるいは当然の事かも知れぬ。併しかし我々俗人は之これをも不思議の一つに数かぞへるのが慣例ならいだ。
五
明治廿三にじゅうさん年の二月、父と共に信州軽井沢に宿やどる。昨日から降積ふりつむ雪で外へは出られぬ。日の暮れる頃に猟夫かりうどが来て、鹿の肉を買つて呉くれと云ふ。退屈の折柄おりから、彼を炉辺ろへんに呼び入れて、種々いろいろの話をする。
木曾路の山へ分け入ると、折々に不思議を見る。猟夫仲間では之これをえてものと云ふ。現に此この猟夫も七八年前ぜん二三人の同業者と連れ立つて、木曾の山奥へ猟りょうに行つた。斯かかる深山へ登る時には、四五日にち分ぶんの米の他に鍋なべ釜かまをも携たずさへて行くのが慣例ならい。
登山してから三日目の夕刻、一同は唯とある大樹たいじゅの下に屯たむろして夕飯ゆうめしを焚たく。で、もう好よい頃と一人が釜の蓋ふたを明けると、濛々もうもうと颺あがる湯気ゆげの白き中なかから、真蒼まっさおな人間の首がぬツと出た。あツと驚いて再び蓋をすると、其中そのなかで物馴ものなれた一人が「えてものだ、鉄砲を撃て。」と云ふ。一同直すぐに鉄砲を把とつて、何処どこを的あてとも無なしに二三発ぱつ。それから更さらに釜の蓋を明けると今度は何の不思議もない。
えてものの正体は何なんだか知らぬが、処々おりおりに斯こういふ悪戯いたずらをすると、猟夫の話。
六
日露戦争の際、私は東京日々とうきょうにちにち新聞社から通信員として戦地へ派遣された。三十七年の九月、遼陽りょうようより北一里り半はんの大紙房だいしぼうといふ村に宿とまつて、滞留約半月はんつき。其間そのあいだに村人の話を聞くと、大紙房と小紙房との村境むらざかいに一間の空家あきやがあつて十数年来誰たれも住まぬ。それは『鬼き』が祟たたりを作なす為だと云ふ。
中国の怪物ばけもの………私は例の好奇心に促されて、一夜を彼かの空屋に送るべく決心した。で、更さらに委くわしく其その『鬼き』の有様を質ただすと、曰いわく、半夜に凄風せいふう颯さっとして至る。大鬼だいきは衣冠いかんにして騎馬、小鬼しょうき数十何いずれも剣戟けんげきを携たずさへて従ふ。屋おくに進んで大鬼先まづ瞋いかつて呼ぶ、小鬼それに応じて口より火を噴き、光熖こうえん屋おくを照てらすと。
何の事だ。宛まるで子不語しふごが今古奇観こんこきかんにでも有ありさうな怪談だ。余り馬鹿々々しいので、
七
これは最近の話。今年の五月、菊五郎一座が水戸みとへ乗込んだ時とき。一座の鼻升びしょう、菊太郎、市勝いちかつ等ら五名は下市しもいちの某旅店ぼうりょてん(名は憚はばかつて記しるさぬ)に泊つて、下座敷したざしきの六畳の間まに陣取る。で、第一日の夜、市勝が俯向うつむいて手紙を書いてゐると、鼻の頭さきの障子しょうじが自然にすうと明いた。之これを序開じょびらきとして種々いろいろの不思議がある。段々だんだん詮議すると、これは此家このやに年古く住む鼬いたちの仕業しわざだと云ふ。
併しかし人間に対して害は加へぬと分つたので、一同も先まづ安心。其後そのごは芝居から帰ると、毎夜彼かの鼬を対手あいてにして遊ぶ。就中なかんずく面白いのは、例の狐狗狸式こくりしきに物を当てさせる事で、例へば此室このへやに女が居いるかと問ひ、居ない時には彼かれが廊下をとんと一つ打つ。居る時にはとん/\と二つ打つと云ふ類たぐいだ。
或時あるとき、此室このへやに手拭てぬぐいが幾筋いくすじ掛けてあるかと問へば、彼は廊下を四つ打つた。けれども、手拭は三筋より無い。更さらに聞直しても矢はり四つだと答へる。で、念の為に手拭を検あらためると、三筋と思つたのは此方こっちの過失あやまりで、一つの釘くぎに二筋の手拭が重ねて掛けて有あつて、都合つごう四筋といふのが成なるほど本当だ。是これには何いずれも敬服したと云ふ。が、彼かれは果はたして鼬いたちか狸たぬきか、或あるいは人の悪戯いたずらかと種々いろいろに穿索せんさくしたが、遂ついに其正体を見出し得なかつた。宿やどの者は飽あくまでも鼬と信じてゐるらしいとの事。
岡本綺堂
秋……殊ことに雨などが漕々そうそう降ると、人は兎角とかくに陰気になつて、動ややもすれば魔物臭い話が出る。さればこそ、七偏人しちへんじんは百物語を催ほして大愚大人を脅かさんと巧み、和合人わごうじんの土場六先生はヅーフラ(註:オランダ渡来の、ラツパのような形状をした呼筒。半七捕物帳「ズウフラ怪談」に詳しい。)を以て和次さん等を驚かさんと企つるに至るのだ。聞く所に拠よれば近来も怪談大流行、到る所に百物語式の会合があると云ふ。で、私も流行を趁おうて、自分が見聞の怪談二三を紹介する。但ただし何いずれも実録であるから、芝居や講釈の様に物凄いのは無い。それは前以てお断り申して置く。
一
明治六七年の頃、私わたしの家うちは高輪たかなわから飯田町いいだまちに移つた。飯田町の家は大久保何某なにがしといふ旗本はたもとの古屋敷で随分広い。移つてから二月ふたつきほど経つた或夜の事、私の母が夜半よなかに起きて便所に行く。途中は長い廊下、真闇まっくらの中なかで何やら摺違すれちがつたやうな物の気息けはいがする、之これと同時に何とは無しに後あとへ引戻されるやうな心地がした。けれども、別に意にも介とめず、用を済すまして寝床へ帰つた。
こゝに住むこと約半年、更さらに同町内の他へ移転した。すると、出入でいりの酒商さかやが来て、旧宅にゐる間に何か変つた事は無かつたかと問ふ。いや、何事も無かつたと答へると、実は彼あの家うちは昔から有名なだいの化物屋敷、あなた方が住んでお在いでの時に、そんな事を申上げては却かえつて悪いと、今日こんにちまで差控さしひかえて居おりましたと云ふ。併しかし此方こっちでは何等の不思議を見た事無し、強しいて心当りを探り出せば、前に記しるした一件のみ。これでも怪談の部であらうか。
二
安政あんせいの末年まつねん、一人の若武士わかざむらいが品川から高輪たかなわの海端うみばたを通る。夜は四よつ過ぎ、他ほかに人通りは無い。芝しばの田町たまちの方から人魂ひとだまのやうな火が宙ちゅうを迷まようて来る。それが漸次しだいに近ちかづくと、女の背に負おぶはれた三歳みっつばかりの小供が、竹の柄えを付けた白張しらはりのぶら提灯ぢょうちんを持つてゐるのだ。唯ただ是これだけの事ならば別に仔細しさい無なし、こゝに不思議なるは其その女の顔で、眼も鼻も無い所謂いわゆるのツぺらぼう。武士さむらいも驚いて、思はず刀に手を掛けたが、待て暫しばし、広い世の中には病気又は怪我けがの為に不思議な顔を有もつ女が無いとも限らぬ、迂闊うかつに手を下くだすのも短慮だと、少時しばしづツと見てゐる中うちに、女は消ゆるが如ごとくに行き過ぎて遠く残るは提灯ちょうちんの影ばかり。是これ果はたして人か怪かいか竟ついに分らぬ。其その武士さむらいと云ふのは私の父である。
忠盛ただもりは油坊主あぶらぼうずを捕へた。私も引捕へて詮議すれば可よかつたものを……と、老後の悔くやみ話。
三
慶応けいおうの初年しょねん、私の叔父おじは富津ふっつの台場だいばを固めてゐた、で、或日あるひの事。同僚吉田何某なにがしと共に近所へ酒を飲みに行つた帰途かえりみち、冬の日も暮れかゝる田甫路たんぼみちをぶら/\来ると、吉田は何故なぜか知らず、動ややもすれば田たの方へ踉蹌よろけて行く。勿論幾分か酔つてはゐるが、足下あしもとの危い程でも無いに兎角とかくに左の方へと行きたがる。おい、田へ落ちるぞ、確乎しっかりしろと、叔父は幾いくたびか注意しても、本人は夢の様、無意識に田の中なかへ行かうとする。
其中そのうちに、叔父が不図ふと見ると、田を隔へだてたる左手ゆんでの丘に一匹の狐がゐて、宛さながら招まねくが如くに手を挙あげてゐる。こん畜生! 武士さむらいを化ばかさうなどゝは怪けしからぬと、叔父も酒の勢ひ、腰なる刀をひらりと抜く。これを見て狐は逃げた。吉田は眼を摩こすりながら「あゝ、睡ねむかつた……。」それから後のちは何事も無い。
動物電気に依よって一種のヒプノヂズム式作用を起すものと見える。狐が人を化すと云ふのも嘘では無いらしい。
四
鼬いたちの立つのは珍しくはないが私は猫の立つて歩くのを見た。
時は明治三十一年の八月十二日、夜の一時頃であらう。私は寝苦しいので蚊帳かやを出た。庭を一巡して扨さてそれから表へ出やうと、何心なく門を明けると、門から往来へ出る路次ろじの真中まんなかに何物か立つてゐる。月は明るい。其そのうしろ姿は正まさしく猫、加之しかも表通りの焼芋商やきいもやに飼つてある雉子猫きじねこだ。彼奴きゃつ、どうするかと息を潜ひそめて窺うかがつてゐると、彼かれは長き尾を地に曳ひき二本の後脚あとあしを以もって矗然すっくと立つたまゝ、宛さながら人のやうに歩んで行く、足下あしもとは中々なかなか確たしかだ。
はて、不思議と見てゐる中うちに、彼は既すでに二間けんばかりも歩き出した。私は一種の好奇心に駆られて、背後うしろから其後そのあとを尾つけやうと、跫音あしおとを偸ぬすんで一歩蹈ふみ出すや否や、彼は忽たちまち顧みかえつた。と思ふと、平常へいぜいの四脚よつあしに復かえつて飛鳥ひちょうの如ごとくに往来へ逃げ去つた。私も続いて逐おうたが、もう影も見せぬ。
翌日、焼芋屋の店を窺うかがふと彼は例の如く竈前かままえに遊んでゐる。併しかし昨夜の事を迂闊うっかり饒舌しゃべつて、家内の者を閙さわがすのも悪いと思つたから、私は何にも言はなかつた。が、其後も絶えず彼の挙動に注目してゐると、翌月の末頃から彼は姿を現はさぬ。同家に就ついて訊けば、猫は二三日前から行方不明となつたと云ふ。
動物学上から云へば、猫の立つて歩くのも或あるいは当然の事かも知れぬ。併しかし我々俗人は之これをも不思議の一つに数かぞへるのが慣例ならいだ。
五
明治廿三にじゅうさん年の二月、父と共に信州軽井沢に宿やどる。昨日から降積ふりつむ雪で外へは出られぬ。日の暮れる頃に猟夫かりうどが来て、鹿の肉を買つて呉くれと云ふ。退屈の折柄おりから、彼を炉辺ろへんに呼び入れて、種々いろいろの話をする。
木曾路の山へ分け入ると、折々に不思議を見る。猟夫仲間では之これをえてものと云ふ。現に此この猟夫も七八年前ぜん二三人の同業者と連れ立つて、木曾の山奥へ猟りょうに行つた。斯かかる深山へ登る時には、四五日にち分ぶんの米の他に鍋なべ釜かまをも携たずさへて行くのが慣例ならい。
登山してから三日目の夕刻、一同は唯とある大樹たいじゅの下に屯たむろして夕飯ゆうめしを焚たく。で、もう好よい頃と一人が釜の蓋ふたを明けると、濛々もうもうと颺あがる湯気ゆげの白き中なかから、真蒼まっさおな人間の首がぬツと出た。あツと驚いて再び蓋をすると、其中そのなかで物馴ものなれた一人が「えてものだ、鉄砲を撃て。」と云ふ。一同直すぐに鉄砲を把とつて、何処どこを的あてとも無なしに二三発ぱつ。それから更さらに釜の蓋を明けると今度は何の不思議もない。
えてものの正体は何なんだか知らぬが、処々おりおりに斯こういふ悪戯いたずらをすると、猟夫の話。
六
日露戦争の際、私は東京日々とうきょうにちにち新聞社から通信員として戦地へ派遣された。三十七年の九月、遼陽りょうようより北一里り半はんの大紙房だいしぼうといふ村に宿とまつて、滞留約半月はんつき。其間そのあいだに村人の話を聞くと、大紙房と小紙房との村境むらざかいに一間の空家あきやがあつて十数年来誰たれも住まぬ。それは『鬼き』が祟たたりを作なす為だと云ふ。
中国の怪物ばけもの………私は例の好奇心に促されて、一夜を彼かの空屋に送るべく決心した。で、更さらに委くわしく其その『鬼き』の有様を質ただすと、曰いわく、半夜に凄風せいふう颯さっとして至る。大鬼だいきは衣冠いかんにして騎馬、小鬼しょうき数十何いずれも剣戟けんげきを携たずさへて従ふ。屋おくに進んで大鬼先まづ瞋いかつて呼ぶ、小鬼それに応じて口より火を噴き、光熖こうえん屋おくを照てらすと。
何の事だ。宛まるで子不語しふごが今古奇観こんこきかんにでも有ありさうな怪談だ。余り馬鹿々々しいので、
七
これは最近の話。今年の五月、菊五郎一座が水戸みとへ乗込んだ時とき。一座の鼻升びしょう、菊太郎、市勝いちかつ等ら五名は下市しもいちの某旅店ぼうりょてん(名は憚はばかつて記しるさぬ)に泊つて、下座敷したざしきの六畳の間まに陣取る。で、第一日の夜、市勝が俯向うつむいて手紙を書いてゐると、鼻の頭さきの障子しょうじが自然にすうと明いた。之これを序開じょびらきとして種々いろいろの不思議がある。段々だんだん詮議すると、これは此家このやに年古く住む鼬いたちの仕業しわざだと云ふ。
併しかし人間に対して害は加へぬと分つたので、一同も先まづ安心。其後そのごは芝居から帰ると、毎夜彼かの鼬を対手あいてにして遊ぶ。就中なかんずく面白いのは、例の狐狗狸式こくりしきに物を当てさせる事で、例へば此室このへやに女が居いるかと問ひ、居ない時には彼かれが廊下をとんと一つ打つ。居る時にはとん/\と二つ打つと云ふ類たぐいだ。
或時あるとき、此室このへやに手拭てぬぐいが幾筋いくすじ掛けてあるかと問へば、彼は廊下を四つ打つた。けれども、手拭は三筋より無い。更さらに聞直しても矢はり四つだと答へる。で、念の為に手拭を検あらためると、三筋と思つたのは此方こっちの過失あやまりで、一つの釘くぎに二筋の手拭が重ねて掛けて有あつて、都合つごう四筋といふのが成なるほど本当だ。是これには何いずれも敬服したと云ふ。が、彼かれは果はたして鼬いたちか狸たぬきか、或あるいは人の悪戯いたずらかと種々いろいろに穿索せんさくしたが、遂ついに其正体を見出し得なかつた。宿やどの者は飽あくまでも鼬と信じてゐるらしいとの事。
新潟 秋田 山形で30度超 沖縄を除きことし初の真夏日に
2024年4月15日 17時50分
15日は東日本や北日本を中心に晴れて気温が上がり、新潟県や秋田県、山形県では30度を超え、沖縄県を除いてことし初めての真夏日となりました。この時期はまだ体が暑さに慣れていないため体調管理に注意が必要です。
気象庁によりますと、15日は東日本や北日本を中心に高気圧に覆われて晴れ、日本海側では南から暖かい空気も流れ込んで気温が上がりました。
日中の最高気温は、
▽新潟県の三条市で32.5度
▽長岡市で31.4度
▽秋田県横手市で30.7度
▽山形県鶴岡市で30.2度などと
沖縄県を除き、ことし全国で初めて30度以上の真夏日となりました。
また、
▽長野県飯山市で29.3度
▽福井市で27.9度
▽東京の都心で26.8度
▽札幌市で26.1度などと
真夏並みの季節外れの暑さとなったところもありました。
16日は引き続き西日本や北日本などで夏日が予想されているほか、今週は平年より気温が高く、かなり高くなるところもあると予想されています。
この時期は、まだ体が暑さに慣れていないため屋外の活動などは体調管理に注意が必要です。
新潟県三条市では、午後2時までの最高気温が32.2度と、4月の観測史上で最も高くなりました。
三条市の川沿いにある公園では、半袖姿でキャンプを楽しむ人たちの姿が見られました。
新潟市から訪れた40代の男性は「天気がいいとは思っていましたが、ここまで暑くなるとは思いませんでした」と話していました。
東京からキャンプに訪れていた60代の男性は「セーターを持ってきましたが、半袖になりました。季節外れの暑さになっています」と話していました。
また、日中の最高気温が31.4度と4月の観測史上で最も高くなった新潟県長岡市では、7月下旬並みの季節外れの暑さとなる中、日傘をさしたり半袖の服を着たりする人の姿が見られました。
80代の男性は「4月でこれだけ暑いのは経験がありません。花見の時期はもう過ぎてしまったかと感じるほどの暑さです」と話していました。
40代の女性は「きょうは半袖の服でちょうどよかったです。飲み物を飲む回数も多かったです」と話していました。
秋田県は晴れて気温が上がり、各地で7月中旬から8月上旬並みのことし一番の暑さとなりました。
横手市ではことし初めて気温が30度以上の真夏日となったほか、秋田市などで4月の観測史上、最も高くなりました。
秋田地方気象台によりますと、15日の県内は高気圧に覆われて晴れ各地で気温が上がりました。
日中の最高気温は
▽横手市で30.7度とことし初めて真夏日となったほか
▽大館市で29.7度
▽由利本荘市東由利で29.3度
▽秋田市で28.3度などと
各地で25度以上の夏日となり、ことし一番の暑さとなりました。
これは7月中旬から8月上旬並みの暑さで、秋田市や男鹿市など5つの観測地点では4月の観測史上で最も高くなりました。
16日は気圧の谷の影響で次第に曇り、午後には雨が降るところもある見込みで、日中の最高気温は
▽横手市で28度
▽秋田市で25度などと予想されています。
北海道内は15日も高気圧に覆われて各地で気温が上がり、札幌市では観測史上、最も早く25度以上の夏日を観測しました。
札幌管区気象台によりますと、北海道内は15日も高気圧に覆われ、南から暖かい空気が流れ込んでいる影響で各地で気温が上がりました。
15日、日中の最高気温は
▽遠軽町生田原で27.2度
▽置戸町境野で26.5度
▽日高町で26.4度
▽札幌市で26.1度などと
各地で25度以上の夏日となりました。
日高町など15の地点で、4月としては観測史上最も高い気温となったほか、札幌市で4月15日に夏日となったのは、1877年に観測が始まって以来、最も早いということです。
道内は16日も内陸部を中心に気温が高い状態が続く見込みで、日中の最高気温は
▽旭川市で24度
▽北見市で23度
▽札幌市で20度などと予想されています。
観測史上、最も早く夏日となった札幌市の中心部にある大通公園では、半袖になったり冷たい飲み物を飲んだりして涼む人たちの姿が見られました。
5歳の娘を連れて訪れていた30代の女性は「冬物の服しかなかったので急きょ、子どもに半袖の服を出しました。暑いですが、外に出るにはこのくらいの気温のほうが過ごしやすいです」と話していました。
また、80代の男性は「コートを持ってきましたが、暑いのでリュックサックの中にしまいました。今、着ているジャケットもいらないくらい暑いです」と話していました。
15日の石川県内は各地で気温が20度を超え、七尾市など3か所では日中の最高気温が25度以上の夏日になりました。
15日、日中の最高気温は
▽七尾市で26.6度
▽加賀市中津原で26.1度
▽輪島市の三井で25.2度と
石川県内の観測地点のうち3か所で夏日となりました。
また、羽咋市を除く県内のすべての観測地点でことし一番の暑さとなりました。
気象台によりますと、16日も気温の高い状態が続き、
▽金沢市では日中の最高気温が25度と夏日になると予想されています。
この時期は体が暑さに慣れていないため、屋外で活動する時は水分を補給するように心がけ、熱中症に注意するようにしてください。
2024年4月15日 17時50分
15日は東日本や北日本を中心に晴れて気温が上がり、新潟県や秋田県、山形県では30度を超え、沖縄県を除いてことし初めての真夏日となりました。この時期はまだ体が暑さに慣れていないため体調管理に注意が必要です。
気象庁によりますと、15日は東日本や北日本を中心に高気圧に覆われて晴れ、日本海側では南から暖かい空気も流れ込んで気温が上がりました。
日中の最高気温は、
▽新潟県の三条市で32.5度
▽長岡市で31.4度
▽秋田県横手市で30.7度
▽山形県鶴岡市で30.2度などと
沖縄県を除き、ことし全国で初めて30度以上の真夏日となりました。
また、
▽長野県飯山市で29.3度
▽福井市で27.9度
▽東京の都心で26.8度
▽札幌市で26.1度などと
真夏並みの季節外れの暑さとなったところもありました。
16日は引き続き西日本や北日本などで夏日が予想されているほか、今週は平年より気温が高く、かなり高くなるところもあると予想されています。
この時期は、まだ体が暑さに慣れていないため屋外の活動などは体調管理に注意が必要です。
新潟県三条市では、午後2時までの最高気温が32.2度と、4月の観測史上で最も高くなりました。
三条市の川沿いにある公園では、半袖姿でキャンプを楽しむ人たちの姿が見られました。
新潟市から訪れた40代の男性は「天気がいいとは思っていましたが、ここまで暑くなるとは思いませんでした」と話していました。
東京からキャンプに訪れていた60代の男性は「セーターを持ってきましたが、半袖になりました。季節外れの暑さになっています」と話していました。
また、日中の最高気温が31.4度と4月の観測史上で最も高くなった新潟県長岡市では、7月下旬並みの季節外れの暑さとなる中、日傘をさしたり半袖の服を着たりする人の姿が見られました。
80代の男性は「4月でこれだけ暑いのは経験がありません。花見の時期はもう過ぎてしまったかと感じるほどの暑さです」と話していました。
40代の女性は「きょうは半袖の服でちょうどよかったです。飲み物を飲む回数も多かったです」と話していました。
秋田県は晴れて気温が上がり、各地で7月中旬から8月上旬並みのことし一番の暑さとなりました。
横手市ではことし初めて気温が30度以上の真夏日となったほか、秋田市などで4月の観測史上、最も高くなりました。
秋田地方気象台によりますと、15日の県内は高気圧に覆われて晴れ各地で気温が上がりました。
日中の最高気温は
▽横手市で30.7度とことし初めて真夏日となったほか
▽大館市で29.7度
▽由利本荘市東由利で29.3度
▽秋田市で28.3度などと
各地で25度以上の夏日となり、ことし一番の暑さとなりました。
これは7月中旬から8月上旬並みの暑さで、秋田市や男鹿市など5つの観測地点では4月の観測史上で最も高くなりました。
16日は気圧の谷の影響で次第に曇り、午後には雨が降るところもある見込みで、日中の最高気温は
▽横手市で28度
▽秋田市で25度などと予想されています。
北海道内は15日も高気圧に覆われて各地で気温が上がり、札幌市では観測史上、最も早く25度以上の夏日を観測しました。
札幌管区気象台によりますと、北海道内は15日も高気圧に覆われ、南から暖かい空気が流れ込んでいる影響で各地で気温が上がりました。
15日、日中の最高気温は
▽遠軽町生田原で27.2度
▽置戸町境野で26.5度
▽日高町で26.4度
▽札幌市で26.1度などと
各地で25度以上の夏日となりました。
日高町など15の地点で、4月としては観測史上最も高い気温となったほか、札幌市で4月15日に夏日となったのは、1877年に観測が始まって以来、最も早いということです。
道内は16日も内陸部を中心に気温が高い状態が続く見込みで、日中の最高気温は
▽旭川市で24度
▽北見市で23度
▽札幌市で20度などと予想されています。
観測史上、最も早く夏日となった札幌市の中心部にある大通公園では、半袖になったり冷たい飲み物を飲んだりして涼む人たちの姿が見られました。
5歳の娘を連れて訪れていた30代の女性は「冬物の服しかなかったので急きょ、子どもに半袖の服を出しました。暑いですが、外に出るにはこのくらいの気温のほうが過ごしやすいです」と話していました。
また、80代の男性は「コートを持ってきましたが、暑いのでリュックサックの中にしまいました。今、着ているジャケットもいらないくらい暑いです」と話していました。
15日の石川県内は各地で気温が20度を超え、七尾市など3か所では日中の最高気温が25度以上の夏日になりました。
15日、日中の最高気温は
▽七尾市で26.6度
▽加賀市中津原で26.1度
▽輪島市の三井で25.2度と
石川県内の観測地点のうち3か所で夏日となりました。
また、羽咋市を除く県内のすべての観測地点でことし一番の暑さとなりました。
気象台によりますと、16日も気温の高い状態が続き、
▽金沢市では日中の最高気温が25度と夏日になると予想されています。
この時期は体が暑さに慣れていないため、屋外で活動する時は水分を補給するように心がけ、熱中症に注意するようにしてください。
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