週プレNEWS 第二篇
采访,存图
详细的内心斗争,讲过很多次的,对自己很重要的岩窟王,因为岩窟王想辞退声优工作,刚出道时从青二离开, 在鲁鲁之前被说没有代表作。
2018年8月8号
数々のヒット作に出演してきた人気声優・福山潤が「声優を辞めようと思った」ほど燃え尽きた作品とは?https://t.cn/RDCD8R7
■とにかく悶々としていた若き日々
――もしかして、昔からぐるぐると考えがちな性格でしたか?
福山 悶々とはしていましたね(笑)。よく喋るんですけど、それ以上に頭の中で問答しているタイプで、ずっと自問自答の日々でした。
――デビューしたときの事務所を辞めてしばらく仕事がなかった時期も、将来についてかなり悶々とされていたそうですね。
福山 辞めたきっかけは、自分が根本的にこの業界で戦っていく力がないって自覚したことでした。最初に所属したのが大きい事務所だったこともあり、このまま守られていたら、いつまでも外で戦う力がつかないんじゃないかって危機感があったんですね。
それで僕は出演していた『∀ガンダム』の途中で事務所を辞めたんですけど、自分としては出演シーンも多くないし、大事にはならないと思っていたんです。でも周囲からは、「何やってんだ!?」ってどよめきが起こるくらいのことをしでかしていて。いかに無知だったか。未だに当時の自分には、「とりあえず誰かに相談してから決めろ」って声をかけたいですもの。
――それくらい自分一人で考えるタイプだった。
福山 そうですね。案の定、事務所を辞めてフリーになってからは仕事もなくなって。かといって声優を辞めるわけでもなく、身が入らないバイトをしながら、「いずれ戻りたい」と中途半端に思っていました。それなら誰かに助けを求めればいいのに、「いや、悶々とする時期だって必要だ」っていうめんどくさいことも考えていて(苦笑)。
たまにお仕事をもらっては、「やっぱりこの世界でやっていきたい」と思うんですけど、「イチからやり直したいので事務所を紹介してください」とは言えない。「たまたま作品に出させてもらったくらいで事務所に入れてくれって、あまりに節操がないのでは......」ってまたぐるぐると負のスパイラルに入ってしまう。大変に自分らしい時期だったと思います(笑)。
そういう苦しい期間を過ごしたので、再出発できたときには、一度なくしたものが戻ってきた喜びがすごくデカかったですね。それで余計なことは求めず、まずは自分ができることを積み重ねていこうと決めました。
。。。。。。
■「代表作がない」と言われた
福山 本当に巡り合わせが良かったんです。僕は『コードギアス』という作品に出会う前、「君には代表作がないよね」ってよく言われていました。僕自身は「そんなことないですよ」って答えるんですけど、「でも、突出して売れた作品がないじゃない?」と言われて。当時はアニメのソフトがすごく売れていたので、今だったら大ヒットになるような数字でもヒットとして扱われなかったんです。
もちろん、僕にとっては『巌窟王』を始めとして、全精力を注いだ作品はたくさんありました。でも、一般の人から見たら何をやっている人なのかわかりにくいよねって指摘も納得できて。要するに、僕は数字を持ってなかったんですね。
なので、『コードギアス』に抜擢されたときも、監督の谷口(悟朗)さんはああいう皮肉屋な方ですから、「福山くんを起用しようとしたら、止められたんですよ。売れないからって」と言われました(笑)。まあ、谷口さんなりの発破のかけ方と理解しています(笑)。
。。。。。。
――主演としてヒットの責任と向き合うようになった、と?
福山 全てを背負い込む必要はないんですけど、せめて自覚はしないといけないなって。そういうことを考え始めたタイミングで出会ったのが、『コードギアス』という作品でした。
#福山润#
https://t.cn/A6TECDNM
采访,存图
详细的内心斗争,讲过很多次的,对自己很重要的岩窟王,因为岩窟王想辞退声优工作,刚出道时从青二离开, 在鲁鲁之前被说没有代表作。
2018年8月8号
数々のヒット作に出演してきた人気声優・福山潤が「声優を辞めようと思った」ほど燃え尽きた作品とは?https://t.cn/RDCD8R7
■とにかく悶々としていた若き日々
――もしかして、昔からぐるぐると考えがちな性格でしたか?
福山 悶々とはしていましたね(笑)。よく喋るんですけど、それ以上に頭の中で問答しているタイプで、ずっと自問自答の日々でした。
――デビューしたときの事務所を辞めてしばらく仕事がなかった時期も、将来についてかなり悶々とされていたそうですね。
福山 辞めたきっかけは、自分が根本的にこの業界で戦っていく力がないって自覚したことでした。最初に所属したのが大きい事務所だったこともあり、このまま守られていたら、いつまでも外で戦う力がつかないんじゃないかって危機感があったんですね。
それで僕は出演していた『∀ガンダム』の途中で事務所を辞めたんですけど、自分としては出演シーンも多くないし、大事にはならないと思っていたんです。でも周囲からは、「何やってんだ!?」ってどよめきが起こるくらいのことをしでかしていて。いかに無知だったか。未だに当時の自分には、「とりあえず誰かに相談してから決めろ」って声をかけたいですもの。
――それくらい自分一人で考えるタイプだった。
福山 そうですね。案の定、事務所を辞めてフリーになってからは仕事もなくなって。かといって声優を辞めるわけでもなく、身が入らないバイトをしながら、「いずれ戻りたい」と中途半端に思っていました。それなら誰かに助けを求めればいいのに、「いや、悶々とする時期だって必要だ」っていうめんどくさいことも考えていて(苦笑)。
たまにお仕事をもらっては、「やっぱりこの世界でやっていきたい」と思うんですけど、「イチからやり直したいので事務所を紹介してください」とは言えない。「たまたま作品に出させてもらったくらいで事務所に入れてくれって、あまりに節操がないのでは......」ってまたぐるぐると負のスパイラルに入ってしまう。大変に自分らしい時期だったと思います(笑)。
そういう苦しい期間を過ごしたので、再出発できたときには、一度なくしたものが戻ってきた喜びがすごくデカかったですね。それで余計なことは求めず、まずは自分ができることを積み重ねていこうと決めました。
。。。。。。
■「代表作がない」と言われた
福山 本当に巡り合わせが良かったんです。僕は『コードギアス』という作品に出会う前、「君には代表作がないよね」ってよく言われていました。僕自身は「そんなことないですよ」って答えるんですけど、「でも、突出して売れた作品がないじゃない?」と言われて。当時はアニメのソフトがすごく売れていたので、今だったら大ヒットになるような数字でもヒットとして扱われなかったんです。
もちろん、僕にとっては『巌窟王』を始めとして、全精力を注いだ作品はたくさんありました。でも、一般の人から見たら何をやっている人なのかわかりにくいよねって指摘も納得できて。要するに、僕は数字を持ってなかったんですね。
なので、『コードギアス』に抜擢されたときも、監督の谷口(悟朗)さんはああいう皮肉屋な方ですから、「福山くんを起用しようとしたら、止められたんですよ。売れないからって」と言われました(笑)。まあ、谷口さんなりの発破のかけ方と理解しています(笑)。
。。。。。。
――主演としてヒットの責任と向き合うようになった、と?
福山 全てを背負い込む必要はないんですけど、せめて自覚はしないといけないなって。そういうことを考え始めたタイミングで出会ったのが、『コードギアス』という作品でした。
#福山润#
https://t.cn/A6TECDNM
采访 存图
週プレNEWS 第一篇
2018年8月7号
なぜ、福山潤は新事務所を設立したのか? 人気声優が業界の劇的変化を語る https://t.cn/RDtNU0v
――なぜ、立花さんと共にBLACK SHIPを立ち上げることになったのでしょうか?
福山 昔から独立心が強かったわけではないんです。僕が業界に入った頃は声優の仕事といえば、アニメのアテレコとナレーションと吹き替えの3本柱が主な活動の場でした。だから僕も、いちプレーヤーとしてそれをまっとうすることに集中してきました。しかし30歳を過ぎた頃から、仕事の範囲がタレントさんのようなものまで広がるようになり、個人としていろいろやりたいことが出てくるようになって。
前に僕と立花が所属していた「アクセルワン」でも、スタッフの方々に良くしていただき、いろんなサポートをしてもらいました。でも、人気声優をたくさん抱える事務所でもあったので、僕だけのために動いてもらうわけにもいかない。それで40歳という節目が見えてきた37歳くらいのときから、いよいよ自分で行動を起こしたいという気持ちが芽生えてきて、社長の森川さんに相談したんです。
――アクセルワンの創業者であり、自身も声優である森川智之さんですね。
福山 まだ何も決まってなかったのですが、「いつか独立しようと思っています」とお話させていただいて。森川さんからは、「自分も声優として事務所を作ったし、独立心を持つことは良いことだから、いつでも応援する」と温かい言葉をもらいました。そこから、具体的に独立について考え始めたんです。
――その時点では、まだ立花さんと話し合っていたわけではない?
福山 立花と独立について話すようになったのは、その後ですね。以前から「DABA」というプロジェクト(1978年生まれ――午年にちなみ命名――の声優たちで結成したユニット)で一緒に活動していたんですが、お互いに独立の意志があると知ったのは2年ほど前のことで。自分が「まだ具体的なことは決まってないけど、いつか勝負しようと思っている」と伝えると、彼が今の会社の構想を話してくれました。
正直、自分がやりたいことをやるだけであれば、会社にする必要はないんです。でも僕自身、プレーヤーとしての成長を求めるだけじゃなく、後進の育成について考え始めた時期でもありました。以前の僕は他人のパフォーマンスには口を出さず、自分のやりたいことを追求すればいいって思いが強かったんですね。
でも、2015年に殺せんせー役で『暗殺教室』に出演したときから、そうした考えが間違っていたのかもしれないと思い始めて。あのとき生徒役を演じた若手の声優たちが現場ですごく頑張ってくれて、僕にとっても助けになったんですね。僕の後輩で現場に入っていた子が、レギュラーが初めてくらいの新人の子にアドバイスしていたりするのを見て、「自分だったら、どういう言葉をかけてあげられるだろう?」って考えるようになりました。
これまでずっと現場では下の世代のつもりでしたけど、気が付けば40歳も目前になり、後輩が大多数の年齢になったんですよね。それなのに自分は若い子たちと仕事について一歩踏み込んだコミュニケーションをとってきたかというと、その経験値がすごく不足している実感があって。これからは僕なりに若い子たちにプラスになるようなこともやっていきたいと思ったのが、立花との会社というかたちを選んだきっかけではありますね。
。。。。。。
――昔の雑誌アンケートで、「嫌いなこと」に「カラオケ」を挙げてましたね。
福山 自分が音程をとれてないのがわかるし、周りが盛り下がっているのもわかるから、本当に苦手で(笑)。キャラクターソングはキャラクターとして一生懸命にやらせていただいていたんですが、本職の歌手の方に比べたら足元にも及ばない。それなのに売り出されるCDの値段は一緒じゃないですか。そこに申し訳なさを感じていて。
――それで「30歳になるまで歌は出さない」と言っていたんですか。
福山 それは歌だけじゃなく、個人名義の活動全体ですね。声優としての本来のフィールドをしっかりやったあとでないと個人の活動をする余裕はないから、30歳まではそこに集中させてくださいと当時の事務所とは話していて。だから、ブログの開設も30歳になってからでした。
。。。。。。
――『JUNON』などアイドル雑誌への登場が目立つようになるのも、この時期からですよね。
福山 最初は僕も、「どうかしてるな」って思ったんですよ(笑)。当時の僕は30歳を過ぎていたのに、ほかのページに載っているのは10代、20代の子たちじゃないですか。なので、状況が理解できないままに、「やったことのないことに挑戦する」って気持ちで出ていました。
#福山润#
好傻的笑容[笑cry]
週プレNEWS 第一篇
2018年8月7号
なぜ、福山潤は新事務所を設立したのか? 人気声優が業界の劇的変化を語る https://t.cn/RDtNU0v
――なぜ、立花さんと共にBLACK SHIPを立ち上げることになったのでしょうか?
福山 昔から独立心が強かったわけではないんです。僕が業界に入った頃は声優の仕事といえば、アニメのアテレコとナレーションと吹き替えの3本柱が主な活動の場でした。だから僕も、いちプレーヤーとしてそれをまっとうすることに集中してきました。しかし30歳を過ぎた頃から、仕事の範囲がタレントさんのようなものまで広がるようになり、個人としていろいろやりたいことが出てくるようになって。
前に僕と立花が所属していた「アクセルワン」でも、スタッフの方々に良くしていただき、いろんなサポートをしてもらいました。でも、人気声優をたくさん抱える事務所でもあったので、僕だけのために動いてもらうわけにもいかない。それで40歳という節目が見えてきた37歳くらいのときから、いよいよ自分で行動を起こしたいという気持ちが芽生えてきて、社長の森川さんに相談したんです。
――アクセルワンの創業者であり、自身も声優である森川智之さんですね。
福山 まだ何も決まってなかったのですが、「いつか独立しようと思っています」とお話させていただいて。森川さんからは、「自分も声優として事務所を作ったし、独立心を持つことは良いことだから、いつでも応援する」と温かい言葉をもらいました。そこから、具体的に独立について考え始めたんです。
――その時点では、まだ立花さんと話し合っていたわけではない?
福山 立花と独立について話すようになったのは、その後ですね。以前から「DABA」というプロジェクト(1978年生まれ――午年にちなみ命名――の声優たちで結成したユニット)で一緒に活動していたんですが、お互いに独立の意志があると知ったのは2年ほど前のことで。自分が「まだ具体的なことは決まってないけど、いつか勝負しようと思っている」と伝えると、彼が今の会社の構想を話してくれました。
正直、自分がやりたいことをやるだけであれば、会社にする必要はないんです。でも僕自身、プレーヤーとしての成長を求めるだけじゃなく、後進の育成について考え始めた時期でもありました。以前の僕は他人のパフォーマンスには口を出さず、自分のやりたいことを追求すればいいって思いが強かったんですね。
でも、2015年に殺せんせー役で『暗殺教室』に出演したときから、そうした考えが間違っていたのかもしれないと思い始めて。あのとき生徒役を演じた若手の声優たちが現場ですごく頑張ってくれて、僕にとっても助けになったんですね。僕の後輩で現場に入っていた子が、レギュラーが初めてくらいの新人の子にアドバイスしていたりするのを見て、「自分だったら、どういう言葉をかけてあげられるだろう?」って考えるようになりました。
これまでずっと現場では下の世代のつもりでしたけど、気が付けば40歳も目前になり、後輩が大多数の年齢になったんですよね。それなのに自分は若い子たちと仕事について一歩踏み込んだコミュニケーションをとってきたかというと、その経験値がすごく不足している実感があって。これからは僕なりに若い子たちにプラスになるようなこともやっていきたいと思ったのが、立花との会社というかたちを選んだきっかけではありますね。
。。。。。。
――昔の雑誌アンケートで、「嫌いなこと」に「カラオケ」を挙げてましたね。
福山 自分が音程をとれてないのがわかるし、周りが盛り下がっているのもわかるから、本当に苦手で(笑)。キャラクターソングはキャラクターとして一生懸命にやらせていただいていたんですが、本職の歌手の方に比べたら足元にも及ばない。それなのに売り出されるCDの値段は一緒じゃないですか。そこに申し訳なさを感じていて。
――それで「30歳になるまで歌は出さない」と言っていたんですか。
福山 それは歌だけじゃなく、個人名義の活動全体ですね。声優としての本来のフィールドをしっかりやったあとでないと個人の活動をする余裕はないから、30歳まではそこに集中させてくださいと当時の事務所とは話していて。だから、ブログの開設も30歳になってからでした。
。。。。。。
――『JUNON』などアイドル雑誌への登場が目立つようになるのも、この時期からですよね。
福山 最初は僕も、「どうかしてるな」って思ったんですよ(笑)。当時の僕は30歳を過ぎていたのに、ほかのページに載っているのは10代、20代の子たちじゃないですか。なので、状況が理解できないままに、「やったことのないことに挑戦する」って気持ちで出ていました。
#福山润#
好傻的笑容[笑cry]
あさましきもの
太宰治
賭弓のりゆみに、わななく/\久しうありて、はづしたる矢の、もて離れてことかたへ行きたる。
こんな話を聞いた。
たばこ屋の娘で、小さく、愛くるしいのがいた。男は、この娘のために、飲酒をやめようと決心した。娘は、男のその決意を聞き、「うれしい。」と呟つぶやいて、うつむいた。うれしそうであった。「僕の意志の強さを信じて呉れるね?」男の声も真剣であった。娘はだまって、こっくり首肯うなずいた。信じた様子であった。
男の意志は強くなかった。その翌々日、すでに飲酒を為した。日暮れて、男は蹌踉そうろう、たばこ屋の店さきに立った。
「すみません」と小声で言って、ぴょこんと頭をさげた。真実わるい、と思っていた。娘は、笑っていた。
「こんどこそ、飲まないからね」
「なにさ」娘は、無心に笑っていた。
「かんにんして、ね」
「だめよ、お酒飲みの真似なんかして」
男の酔いは一時にさめた。「ありがとう。もう飲まない」
「たんと、たんと、からかいなさい」
「おや、僕は、僕は、ほんとうに飲んでいるのだよ」
あらためて娘の瞳ひとみを凝視した。
「だって」娘は、濁りなき笑顔で応じた。「誓ったのだもの。飲むわけないわ。ここではお芝居およしなさいね」
てんから疑って呉くれなかった。
男は、キネマ俳優であった。岡田時彦さんである。先年なくなったが、じみな人であった。あんな、せつなかったこと、ございませんでした、としんみり述懐して、行儀よく紅茶を一口すすった。
また、こんな話も聞いた。
どんなに永いこと散歩しても、それでも物たりなかったという。ひとけなき夜の道。女は、息もたえだえの思いで、幾度となく胴をくねらせた。けれども、大学生は、レインコオトのポケットに両手をつっこんだまま、さっさと歩いた。女は、その大学生の怒った肩に、おのれの丸いやわらかな肩をこすりつけるようにしながら男の後を追った。
大学生は、頭がよかった。女の発情を察知していた。歩きながら囁ささやいた。
「ね、この道をまっすぐに歩いていって、三つ目のポストのところでキスしよう」
女は、からだを固くした。
一つ。女は、死にそうになった。
二つ。息ができなくなった。
三つ。大学生は、やはりどんどん歩いて行った。女は、そのあとを追って、死ぬよりほかはないわ、と呟いて、わが身が雑巾ぞうきんのように思われたそうである。
女は、私の友人の画家が使っていたモデル女である。花の衣服をするっと脱いだら、おまもり袋が首にぷらんとさがっていたっけ、とその友人の画家が苦笑していた。
また、こんな話も聞いた。
その男は、甚はなはだ身だしなみがよかった。鼻をかむのにさえ、両手の小指をつんとそらして行った。洗練されている、と人もおのれも許していた。その男が、或る微妙な罪名のもとに、牢へいれられた。牢へはいっても、身だしなみがよかった。男は、左肺を少し悪くしていた。
検事は、男を、病気も重いことだし、不起訴にしてやってもいいと思っていたらしい。男は、それを見抜いていた。一日、男を呼び出して、訊問じんもんした。検事は、机の上の医師の診断書に眼を落しながら、
「君は、肺がわるいのだね?」
男は、突然、咳せきにむせかえった。こんこんこん、と三つはげしく咳をしたが、これは、ほんとうの咳であった。けれども、それから更に、こん、こん、と二つ弱い咳をしたが、それは、あきらかに嘘の咳であった。身だしなみのよい男は、その咳をしすましてから、なよなよと首こうべをあげた。
「ほんとうかね」能面に似た秀麗な検事の顔は、薄笑いしていた。
男は、五年の懲役ちょうえきを求刑されたよりも、みじめな思いをした。男の罪名は、結婚詐欺であった。不起訴ということになって、やがて出牢できたけれども、男は、そのときの検事の笑いを思うと、五年のちの今日こんにちでさえ、いても立っても居られません、と、やはり典雅に、なげいて見せた。男の名は、いまになっては、少し有名になってしまって、ここには、わざと明記しない。
弱く、あさましき人の世の姿を、冷く三つ列記したが、さて、そういう乃公だいこう自身は、どんなものであるか。これは、かの新人競作、幻燈のまちの、なでしこ、はまゆう、椿、などの、ちょいと、ちょいとの手招きと変らぬ早春コント集の一篇たるべき運命の不文、知りつつも濁酒三合を得たくて、ペン百貫の杖よりも重き思い、しのびつつ、ようやく六枚、あきらかにこれ、破廉恥はれんちの市井しせい売文の徒ともがら、あさましとも、はずかしとも、ひとりでは大家のような気で居れど、誰も大家と見ぬぞ悲しき。一笑。
太宰治
賭弓のりゆみに、わななく/\久しうありて、はづしたる矢の、もて離れてことかたへ行きたる。
こんな話を聞いた。
たばこ屋の娘で、小さく、愛くるしいのがいた。男は、この娘のために、飲酒をやめようと決心した。娘は、男のその決意を聞き、「うれしい。」と呟つぶやいて、うつむいた。うれしそうであった。「僕の意志の強さを信じて呉れるね?」男の声も真剣であった。娘はだまって、こっくり首肯うなずいた。信じた様子であった。
男の意志は強くなかった。その翌々日、すでに飲酒を為した。日暮れて、男は蹌踉そうろう、たばこ屋の店さきに立った。
「すみません」と小声で言って、ぴょこんと頭をさげた。真実わるい、と思っていた。娘は、笑っていた。
「こんどこそ、飲まないからね」
「なにさ」娘は、無心に笑っていた。
「かんにんして、ね」
「だめよ、お酒飲みの真似なんかして」
男の酔いは一時にさめた。「ありがとう。もう飲まない」
「たんと、たんと、からかいなさい」
「おや、僕は、僕は、ほんとうに飲んでいるのだよ」
あらためて娘の瞳ひとみを凝視した。
「だって」娘は、濁りなき笑顔で応じた。「誓ったのだもの。飲むわけないわ。ここではお芝居およしなさいね」
てんから疑って呉くれなかった。
男は、キネマ俳優であった。岡田時彦さんである。先年なくなったが、じみな人であった。あんな、せつなかったこと、ございませんでした、としんみり述懐して、行儀よく紅茶を一口すすった。
また、こんな話も聞いた。
どんなに永いこと散歩しても、それでも物たりなかったという。ひとけなき夜の道。女は、息もたえだえの思いで、幾度となく胴をくねらせた。けれども、大学生は、レインコオトのポケットに両手をつっこんだまま、さっさと歩いた。女は、その大学生の怒った肩に、おのれの丸いやわらかな肩をこすりつけるようにしながら男の後を追った。
大学生は、頭がよかった。女の発情を察知していた。歩きながら囁ささやいた。
「ね、この道をまっすぐに歩いていって、三つ目のポストのところでキスしよう」
女は、からだを固くした。
一つ。女は、死にそうになった。
二つ。息ができなくなった。
三つ。大学生は、やはりどんどん歩いて行った。女は、そのあとを追って、死ぬよりほかはないわ、と呟いて、わが身が雑巾ぞうきんのように思われたそうである。
女は、私の友人の画家が使っていたモデル女である。花の衣服をするっと脱いだら、おまもり袋が首にぷらんとさがっていたっけ、とその友人の画家が苦笑していた。
また、こんな話も聞いた。
その男は、甚はなはだ身だしなみがよかった。鼻をかむのにさえ、両手の小指をつんとそらして行った。洗練されている、と人もおのれも許していた。その男が、或る微妙な罪名のもとに、牢へいれられた。牢へはいっても、身だしなみがよかった。男は、左肺を少し悪くしていた。
検事は、男を、病気も重いことだし、不起訴にしてやってもいいと思っていたらしい。男は、それを見抜いていた。一日、男を呼び出して、訊問じんもんした。検事は、机の上の医師の診断書に眼を落しながら、
「君は、肺がわるいのだね?」
男は、突然、咳せきにむせかえった。こんこんこん、と三つはげしく咳をしたが、これは、ほんとうの咳であった。けれども、それから更に、こん、こん、と二つ弱い咳をしたが、それは、あきらかに嘘の咳であった。身だしなみのよい男は、その咳をしすましてから、なよなよと首こうべをあげた。
「ほんとうかね」能面に似た秀麗な検事の顔は、薄笑いしていた。
男は、五年の懲役ちょうえきを求刑されたよりも、みじめな思いをした。男の罪名は、結婚詐欺であった。不起訴ということになって、やがて出牢できたけれども、男は、そのときの検事の笑いを思うと、五年のちの今日こんにちでさえ、いても立っても居られません、と、やはり典雅に、なげいて見せた。男の名は、いまになっては、少し有名になってしまって、ここには、わざと明記しない。
弱く、あさましき人の世の姿を、冷く三つ列記したが、さて、そういう乃公だいこう自身は、どんなものであるか。これは、かの新人競作、幻燈のまちの、なでしこ、はまゆう、椿、などの、ちょいと、ちょいとの手招きと変らぬ早春コント集の一篇たるべき運命の不文、知りつつも濁酒三合を得たくて、ペン百貫の杖よりも重き思い、しのびつつ、ようやく六枚、あきらかにこれ、破廉恥はれんちの市井しせい売文の徒ともがら、あさましとも、はずかしとも、ひとりでは大家のような気で居れど、誰も大家と見ぬぞ悲しき。一笑。
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