東條老师对鬼灭第13话的感想
原文:寝る前にアニメ鬼滅の刃、今日は第13話。
エンターテイメントとして視聴すれば、能力バトルと友情を絵描いたお話で大変面白く、良質なアニメーションだった。
しかし、ものを作って世に出そうとした人、それによって評価され比較される業界で生き残ろうとした人にとっては、ただの良質なアニメーションで済ますことのできないストーリーになっている。
今回の鬼の気持ちはとてもよくわかる。
わたしもそういう経験は何度もしたし、時に鬼を宿すようにペンを握っていたし、わたしはどちらかといえば鬼にもなれずに折れた側の人間だ。
この作者もきっと鬼の過去回想のような経験をしたか、そういった光景を周囲に見てきたのだろう。
連載枠を巡って、熾烈な競争を体感してきたのだ。
うまくいかなければ、自分の大切なものを次々に無かったことにされる、という業界だ。
鬼も大量発生しているに違いない。
それについての良し悪しは、アニメ鬼滅の刃の感想という趣旨から外れるので横へ置いておいて…。
そこへきて、折れても頑張る、折れずに頑張る炭治郎がまぶしくて尊い。
しかもそんな炭治郎が、鬼の作ったものを尊重し、そしてすごいと認める言動が大変ありがたい。
わたしは途中から、過去回想のあたりから鬼のほうに感情移入をしていたので、この炭治郎の1いいねに思わず瞑目してしまった。
キミほど努力している若者から認められるのならばと、きっとこの鬼は消える間際に感謝していただろう。
わたしはした。
しかしこの作品の、作者のすごいのはここからだった。
暗闇の中を折れずに(折れながらも)進んで屋敷から脱出した炭治郎は、妹の入った箱を善逸が守っている場面に遭遇する。
これは、苦しくても進めばもしかしたら、大切なものを守ってくれている存在がいるかもしれないという希望だ。
この作品は、悲しい結末を見せるだけでなく、視聴者の…そしてものを作る人間の背中を押してくれている…ようにわたしは勝手に受け取った。
鬼にも善逸のような人がいればよかったのに…。
善逸も善逸で、きっと出会ってからの短い時間で同じような「認め」を炭治郎からされ、だからこそ炭治郎の大切なものを守ろうとしたのだ。
もう一度過去回を見直してみようと思う、きっとそういうシーンがあったはず…。
他人を認められる、そういう炭治郎だからこそ、いざというときに待っててもらえる、大切なものを守れるという事か。
だが今回のストーリーのロジックを考えると、大切なものを守れなかった時には炭治郎も鬼になりうる、ということを強烈に示唆している。
あってほしくはないが、妹や善逸を失う展開があったら、もしかしたら…と嫌な想像をしてしまう。
それはそれでジャンプ漫画的ではあるが。
さて話は変わって猪頭
野性的で短気な性格とは別に、彼が一番鬼殺隊の組織人としての働きを全うしている。
この時点だと、炭治郎と善逸は鬼を守る不真面目な隊員で、猪頭がとても真面目に見える。
はたして猪頭は、このパーティーに馴染めるのだろうか…
次回からはきっと妹も交えたハチャメチャ珍道中が始まるに違いない!(願望)
今後の彼らの関係性も楽しみです
译文(机翻):
《睡前鬼灭之刃》今天是第13集。
作为娱乐节目来看的话,这是一部描绘能力对决和友情的故事,非常有趣,是一部高质量的动画片。
但是,对于那些想要制作东西并将其公诸于世的人,以及那些想要在因此而受到重视和比较的行业中生存下来的人来说,只需要优质的动画就可以了这是一个不可能的故事。
这次鬼的心情我非常了解。
我也有过很多次这样的经历,有时候我握着笔就像是怀着鬼一样,而我更像是一个没能成为鬼而折服的一方。
这位作者一定也有过类似鬼的过去回忆的经历,或是在周围看到过这样的情景吧。
围绕着连载名额,我切身感受到了激烈的竞争。
如果不顺利的话,自己重要的东西就会一个接一个地被当作没发生过,这就是这个行业。
鬼也一定大量出现。
关于那个的好坏,因为脱离了动画鬼灭之刃的感想这个宗旨所以放在一边... 。
来到这里,即使折断也要努力,不折不扣地努力的炭治郎令人眼花缭乱,令人尊敬。
而且这样的炭治郎,尊重鬼制作的东西,并且承认鬼厉害的言行举止,真是令人感激。
我从中途开始,就从过去的回忆中把感情移入到鬼的身上,所以不由得对这个炭治郎的1赞不禁瞑目。
如果能得到像你这么努力的年轻人的认可的话,这个鬼一定会在消失之前感谢你的吧。
我做到了。
但是,这部作品的作者之所以了不起,就是从这里开始的。
炭治郎在黑暗中无法折断(虽然折断了)主动逃离宅邸,却遇到了善逸守护着装有妹妹的箱子的场面。这是希望,即使痛苦也要前进,说不定会有守护着重要事物的存在。
这部电影不仅有一个悲伤的结局,而且还为观众和制作人提供了支持... 我擅自接受了。
要是鬼也有善逸这样的人就好了... ..。
善逸也是善逸,一定是在相遇后的短暂时间里从炭治郎那里得到了同样的“认可”,所以才会想要守护炭治郎重要的东西。
我想重新回顾过去,一定有这样的场景... 。
能够认同他人,正因为是这样的炭治郎,才能在关键时刻守护着等待着自己的重要的东西吗。
但是考虑到这次故事的逻辑,强烈暗示了炭治郎在没能保护好重要的东西的时候也可以变成鬼。
虽然不希望发生这样的事,但如果失去了妹妹和善逸的话,说不定... ... 会产生不愉快的想象。
虽然它是漫画的跳跃就可以了。
话说回来,除了猪头
野性、急躁的性格之外,他是最能完成鬼杀队组织者工作的人。
此时,炭治郎和善逸都是守护鬼怪的不认真队员,猪头看起来非常认真。
猪头果真能适应这个派对吗...
下次一定会开始和妹妹一起的奇怪奇遇之旅!(愿望)我很期待他们之间的关系
原文:寝る前にアニメ鬼滅の刃、今日は第13話。
エンターテイメントとして視聴すれば、能力バトルと友情を絵描いたお話で大変面白く、良質なアニメーションだった。
しかし、ものを作って世に出そうとした人、それによって評価され比較される業界で生き残ろうとした人にとっては、ただの良質なアニメーションで済ますことのできないストーリーになっている。
今回の鬼の気持ちはとてもよくわかる。
わたしもそういう経験は何度もしたし、時に鬼を宿すようにペンを握っていたし、わたしはどちらかといえば鬼にもなれずに折れた側の人間だ。
この作者もきっと鬼の過去回想のような経験をしたか、そういった光景を周囲に見てきたのだろう。
連載枠を巡って、熾烈な競争を体感してきたのだ。
うまくいかなければ、自分の大切なものを次々に無かったことにされる、という業界だ。
鬼も大量発生しているに違いない。
それについての良し悪しは、アニメ鬼滅の刃の感想という趣旨から外れるので横へ置いておいて…。
そこへきて、折れても頑張る、折れずに頑張る炭治郎がまぶしくて尊い。
しかもそんな炭治郎が、鬼の作ったものを尊重し、そしてすごいと認める言動が大変ありがたい。
わたしは途中から、過去回想のあたりから鬼のほうに感情移入をしていたので、この炭治郎の1いいねに思わず瞑目してしまった。
キミほど努力している若者から認められるのならばと、きっとこの鬼は消える間際に感謝していただろう。
わたしはした。
しかしこの作品の、作者のすごいのはここからだった。
暗闇の中を折れずに(折れながらも)進んで屋敷から脱出した炭治郎は、妹の入った箱を善逸が守っている場面に遭遇する。
これは、苦しくても進めばもしかしたら、大切なものを守ってくれている存在がいるかもしれないという希望だ。
この作品は、悲しい結末を見せるだけでなく、視聴者の…そしてものを作る人間の背中を押してくれている…ようにわたしは勝手に受け取った。
鬼にも善逸のような人がいればよかったのに…。
善逸も善逸で、きっと出会ってからの短い時間で同じような「認め」を炭治郎からされ、だからこそ炭治郎の大切なものを守ろうとしたのだ。
もう一度過去回を見直してみようと思う、きっとそういうシーンがあったはず…。
他人を認められる、そういう炭治郎だからこそ、いざというときに待っててもらえる、大切なものを守れるという事か。
だが今回のストーリーのロジックを考えると、大切なものを守れなかった時には炭治郎も鬼になりうる、ということを強烈に示唆している。
あってほしくはないが、妹や善逸を失う展開があったら、もしかしたら…と嫌な想像をしてしまう。
それはそれでジャンプ漫画的ではあるが。
さて話は変わって猪頭
野性的で短気な性格とは別に、彼が一番鬼殺隊の組織人としての働きを全うしている。
この時点だと、炭治郎と善逸は鬼を守る不真面目な隊員で、猪頭がとても真面目に見える。
はたして猪頭は、このパーティーに馴染めるのだろうか…
次回からはきっと妹も交えたハチャメチャ珍道中が始まるに違いない!(願望)
今後の彼らの関係性も楽しみです
译文(机翻):
《睡前鬼灭之刃》今天是第13集。
作为娱乐节目来看的话,这是一部描绘能力对决和友情的故事,非常有趣,是一部高质量的动画片。
但是,对于那些想要制作东西并将其公诸于世的人,以及那些想要在因此而受到重视和比较的行业中生存下来的人来说,只需要优质的动画就可以了这是一个不可能的故事。
这次鬼的心情我非常了解。
我也有过很多次这样的经历,有时候我握着笔就像是怀着鬼一样,而我更像是一个没能成为鬼而折服的一方。
这位作者一定也有过类似鬼的过去回忆的经历,或是在周围看到过这样的情景吧。
围绕着连载名额,我切身感受到了激烈的竞争。
如果不顺利的话,自己重要的东西就会一个接一个地被当作没发生过,这就是这个行业。
鬼也一定大量出现。
关于那个的好坏,因为脱离了动画鬼灭之刃的感想这个宗旨所以放在一边... 。
来到这里,即使折断也要努力,不折不扣地努力的炭治郎令人眼花缭乱,令人尊敬。
而且这样的炭治郎,尊重鬼制作的东西,并且承认鬼厉害的言行举止,真是令人感激。
我从中途开始,就从过去的回忆中把感情移入到鬼的身上,所以不由得对这个炭治郎的1赞不禁瞑目。
如果能得到像你这么努力的年轻人的认可的话,这个鬼一定会在消失之前感谢你的吧。
我做到了。
但是,这部作品的作者之所以了不起,就是从这里开始的。
炭治郎在黑暗中无法折断(虽然折断了)主动逃离宅邸,却遇到了善逸守护着装有妹妹的箱子的场面。这是希望,即使痛苦也要前进,说不定会有守护着重要事物的存在。
这部电影不仅有一个悲伤的结局,而且还为观众和制作人提供了支持... 我擅自接受了。
要是鬼也有善逸这样的人就好了... ..。
善逸也是善逸,一定是在相遇后的短暂时间里从炭治郎那里得到了同样的“认可”,所以才会想要守护炭治郎重要的东西。
我想重新回顾过去,一定有这样的场景... 。
能够认同他人,正因为是这样的炭治郎,才能在关键时刻守护着等待着自己的重要的东西吗。
但是考虑到这次故事的逻辑,强烈暗示了炭治郎在没能保护好重要的东西的时候也可以变成鬼。
虽然不希望发生这样的事,但如果失去了妹妹和善逸的话,说不定... ... 会产生不愉快的想象。
虽然它是漫画的跳跃就可以了。
话说回来,除了猪头
野性、急躁的性格之外,他是最能完成鬼杀队组织者工作的人。
此时,炭治郎和善逸都是守护鬼怪的不认真队员,猪头看起来非常认真。
猪头果真能适应这个派对吗...
下次一定会开始和妹妹一起的奇怪奇遇之旅!(愿望)我很期待他们之间的关系
#宫腰友里亚# えいえいおー!!
2024.04.20
こんばんは!
宮腰友里亜(みやこしゆりあ)です
沢山の応援メッセージ、本当にありがとうございます。
一つ、一つ、しっかり心に焼き付けました。
みんなのコメント読みながら電車乗ってたから、
電車の中で泣いてる人になったよ〜笑
すっごく嬉しかったし、
もっともっと努力して成長した姿を見てもらいたい
って思いました!!
今ゆりはすごく楽しみです!!
ダンスとか全部みんなに褒めてもらえるように
頑張るよ
そしてーー!!!
雲組単独公演#05の開催が決定しました
みんなに会えるね!!!✌
先行受付が開始です
FC先行受付
4月20日(土) 18:00~4月29日(月/祝) 23:59
URLはこちらです♀️
https://t.cn/A6TQsbfW
待ってます!!
是非きてください❤️
えれんと私が2人加わったことによって前とは、
また雰囲気が変わった雲組ライブになると思います!!
ぜっっっったいに!来て良かったって
思ってもらえるように頑張る
雲組メンバー全員で最高のパフォーマンスを
披露するから楽しみに待ってて❣️
ちゃんとみててね
昔の写真だけど〜お姉ちゃん会いたいな
福井の秋吉もたべたーいー!
それでは今日の一曲は!!
『クリス・ブラウン』さんの
『Loyal』です!!
今日はレッスンだったんだけど
めちゃめちゃ頑張ったよー!!
明日も頑張るど!!
みんなも一緒にね
無理は禁物!!ゆっくり自分のペースで!
それではまた
2024.04.20
こんばんは!
宮腰友里亜(みやこしゆりあ)です
沢山の応援メッセージ、本当にありがとうございます。
一つ、一つ、しっかり心に焼き付けました。
みんなのコメント読みながら電車乗ってたから、
電車の中で泣いてる人になったよ〜笑
すっごく嬉しかったし、
もっともっと努力して成長した姿を見てもらいたい
って思いました!!
今ゆりはすごく楽しみです!!
ダンスとか全部みんなに褒めてもらえるように
頑張るよ
そしてーー!!!
雲組単独公演#05の開催が決定しました
みんなに会えるね!!!✌
先行受付が開始です
FC先行受付
4月20日(土) 18:00~4月29日(月/祝) 23:59
URLはこちらです♀️
https://t.cn/A6TQsbfW
待ってます!!
是非きてください❤️
えれんと私が2人加わったことによって前とは、
また雰囲気が変わった雲組ライブになると思います!!
ぜっっっったいに!来て良かったって
思ってもらえるように頑張る
雲組メンバー全員で最高のパフォーマンスを
披露するから楽しみに待ってて❣️
ちゃんとみててね
昔の写真だけど〜お姉ちゃん会いたいな
福井の秋吉もたべたーいー!
それでは今日の一曲は!!
『クリス・ブラウン』さんの
『Loyal』です!!
今日はレッスンだったんだけど
めちゃめちゃ頑張ったよー!!
明日も頑張るど!!
みんなも一緒にね
無理は禁物!!ゆっくり自分のペースで!
それではまた
江戸の化物
岡本綺堂
池袋の女
江戸の代表的怪談といえば、まず第一に池袋の女というものを挙げなければなりません。
今日の池袋の人からは抗議が出るかもしれませんが、どういうものか、この池袋の女を女中などに使いますと、きっと何か異変があると言い伝えられて、武家屋敷などでは絶対に池袋の女を使わないことにしていたということです。また、町家などでも池袋の女を使うことを嫌がりましたので、池袋の女の方でも池袋ということを隠して、大抵は板橋とか雑司ヶ谷とかいって奉公に出ていたのだそうです。
それも、女が無事におとなしく勤めている分には別になんの仔細もなかったのですが、もし男と関係でもしようものなら、忽ち怪異が頻々ひんぴんとして起こるというのです。
これは、池袋の女が七面様の氏子なので、その祟たたりだ[#「祟たたりだ」は底本では「崇たたりだ」]といわれていましたが、それならば不埓ふらちを働いた当人、即ち池袋の女に祟れば[#「祟れば」は底本では「崇れば」]よさそうなものですが、本人にはなんの祟も[#「祟も」は底本では「崇も」]なくて、必ずその女の使われている家へ祟る[#「祟る」は底本では「崇る」]のだそうです。まったく理窟では判断がつきませんが、まず家が揺れたり、自然に襖ふすまが開いたり、障子の紙が破れたり、行灯あんどんが天井に吸い付いたり、そこらにある物が躍おどったり、いろいろの不思議があるといいます。
こういうことがあると、まず第一に池袋の女を詮議することになっていましたが、果してその蔭には必ず池袋の女が忍んでいたということです。
これは私の父なども親しく見たということですが、麻布の龍土町(いまの港区六本木七丁目六~八番)に内藤紀伊守の下屋敷がありました。この下屋敷というところは、多く女子供などが住んでいるのです。
ある夜のことでした。何処からとなく沢山の蛙が出て来てぴょこぴょこと闇に動いていましたが、いつとはなしに女たちの寝ている蚊帳かやの上にあがって、じっとつくばっていたということです。それを見た女たちの騒ぎは、どんなであったでしょう。
すると、こんどは家がぐらぐらとぐらつき出したので、騒ぎはますます大きくなって、上屋敷からも武士が出張するし、また他藩の武士の見物に行った者などが交じって、そこらを調べて見ましたが、さっぱり訳が判りません。そこで狐狸こりの仕業ということになって屋敷中を狩り立てましたが、狐や狸はさておき、かわうそ一疋も出なかったということです。で、その夜は十畳ばかりの屋敷に十四、五人の武士が不寝番ねずのばんをすることになりました。
ところが、夜もだんだん更けゆくにつれ、行灯の火影も薄暗くなって、自然と首が下がるような心持になると、どこからとなく、ぱたりぱたりと石が落ちてくるのです。皆の者がしゃんとしている間は何事もないのですが、つい知らずに首が下がるにつれて、ぱたりぱたりと石が落ちてくるので、「これはどうしても狐狸の仕業に相違ない。ためしに空鉄砲を放してみよう」といって、井上某が鉄砲を取りに立とうとすると、ぽかりと切石が眉間みけんに当たって倒れました。
こんどは他の者が代わって立とうとすると、また、その者の横鬢よこびんのところに切石が当たったので、もう誰も鉄砲を[#「鉄砲を」は底本では「鉄砲に」]取りに行こうという者もありません。互いに顔を見合わせているばかりでしたが、ある一人が「石の落ちてくるところは、どうも天井らしい」と、いい終わるか終わらぬうちに、ぱっと畳の間から火を吹き出したそうです。
こういうような怪異のことが、約三月くらい続いているうちに、ふとかの地袋の女ということに気がついて、下屋敷の女たちを厳重に取調べたところが、果して池袋から来ている女中があって、それが出入りの者と密通していたということが知れました。
で、この女中を追い出してしまいますと、まるで嘘のように不思議なことが止んだということです。
これも塚原渋柿園じゅうしえんの直話じきわですが、牛込の江戸川橋のそばに矢柄やがら何某という槍の先生がありました。この家に板橋在の者だといって住み込んだ女中がありましたが、どうも池袋の女らしいので、そのことを細君から主人に告げて、今のうちに暇を出してしまいたいといいますと、さすがは槍の先生だけあって、「実は池袋の女の不思議を見たいと思っていたのだが、ちょうど幸いである。そのままにしておけ」ということで、細君も仕方なしに知らぬ振りをしていましたが、別になんのこともなかったそうです。
ところがある日、主人公が食事をしている時でした。給仕をしている細君があわてて飯櫃めしびつを押さえていますので、どうしたのかと聞くと、飯櫃がぐるぐる廻り出したというのです。
矢柄先生はそれを非常に面白がられて、ぐるぐると廻っている飯櫃をじっと見ていましたが、やがて庭の方の障子を開けますと、飯櫃はころころと庭に転げ落ちて、だんだん往来の方へ転げて行きます。で、稽古に来ている門弟たちを呼んでそのあとをつけさせますと、飯櫃は中の橋の真ん中に止まって、逆様さかさまに伏せって動かなくなったので、それを取ってみますとすっかり飯が減っていたということです。
これを調べて見ると、その池袋の女中が近所の若い者といたずらをしていたということが判りました。女中も驚いて自分から暇を取ろうとしましたが、先生は面白がってどうしても暇をやらなかったので、とうとういたたまらなくなって、女も無断で逃げていってしまったということです。この種の怪談が江戸時代にも沢山ありました。
天狗や狐憑き、河童など
天狗に攫さらわれるということも、随分沢山あったそうです。もちろんこれには嘘もあり、本当もあり、一概にはいえないのですが、とにかくに天狗に攫われるような者は、いつもぼんやりして意識の明瞭を欠いていた者が多かったそうです。従って、「あいつは天狗に攫われそうな奴だ」というような言葉があったくらいです。これは十日くらいの間、行方不明になっていて、どこからかふらりと戻って来るのです。
これらは科学的に説明すれば、いろいろの解釈がつくのですが、江戸時代ではまず怪談の一つとして数えていました。
狐憑きつねつき、これもなかなか多かったようですが、一種の神経衰弱者だったのでしょう。この時代には「狐憑」もあれば、「狐使い」もありました。狐を使う者は飯綱いいづなの行者だと言い伝えられていました。そのほかに管狐くだぎつねを使う者もありました。
管狐というのは、わざわざ伏見の稲荷へ行って管の中へ狐を入れて来るので、管の中へ入れられた狐は管から出してくれといって、途中で泣き騒いでいたということですが、もう箱根を越すと静かになるそうです。
昔は狐使いなどといって、他に嫌がられながらも一方にはまた恐れられ、種々の祈祷料などをもらっていたのですが、今日では狐を使う行者などは跡を絶ちました。
この狐憑は、狐が落ちさえすればけろりと治ってしまいますが、治らずに死ぬ者もありました。
河童かっぱは筑後の柳川が本場だとか聞いていますが、江戸でも盛んにその名を拡めています。これはかわうそと亀とを合併して河童といっていたらしく、川の中で足などに搦からみつくのは大抵は亀だそうです。
この河童というものが、江戸付近の川筋にはよく出たものです。どういう訳か、葛西かさいの源兵衛(源兵衛堀―いまの北十間じっけん川のこと)が名所になっています。
徳川の家来に福島何某なにがしという武士がありました。ある雨の夜でしたが、虎の門の濠端ほりばたを歩いていました。この濠のところを俗にどんどんといって、溜池の水がどんどんと濠に落ちる落口になっていたのです。
その前を一人の小僧が傘もささずに、びしょびしょと雨に濡れながら裾を引き摺って歩いているので、つい見かねて「おい、尻を端折はしょったらどうだ」といってやりましたが、小僧は振り向きもしないので、こんどは命令的に「おい、尻を端折れ」といいましたが、小僧は振り向きもしないので、こんどは命令的に「おい、尻を端折れ」といいましたが、小僧は相変わらず知らぬ顔をしています。で、つかつかと寄って、後ろから着物の裾をまくると、ぴかっと尻が光ったので、「おのれ」といいざま襟に手をかけて、どんどんの中へ投げ込みました。
が、あとで、もしそれが本当の小僧であっては可哀相だと思って、翌日そこへ行って見ましたが、それらしき死骸も浮いていなければ、そんな噂もなかったので、まったくかわうそだったのだろうと、他に語ったそうです。
芝の愛宕山の下〔桜川の大溝〕などでも、よくかわうそが出たということです。
それは多く雨の夜なのですが、差している傘の上にかわうそが取りつくので、非常に持ち重りがするということです。そうして顔などを引っ掻かれることなどがあったそうですが、武士などになると、そっと傘を手許に下げておよその見当をつけ、小柄こづかを抜いて傘越しにかわうそを刺し殺してしまったということです。
中村座の役者で、市川ちょび助という宙返ちゅうがえりの名人がありました。やはり雨の降る晩でしたが、芝居がはねて本所の宅へ帰る途中で遭ったそうです。差している傘が石のように重くなって、ひと足も歩くことができなくなったので、持前の芸を出して、傘を差したまま宙返りをすると、かわうそが大地に叩きつけられて死んでいた、ということです。
日比谷の亀も有名でした。桜田見附から日比谷へ行く濠の底に大きい亀が棲すんでいたということで、この亀が浮き出すと濠一杯になったと言い伝えられています。亀が浮くと、龍たつの口くちの火消屋敷の太鼓を打つことになっていました。その太鼓の音に驚いて、大亀は沈んでしまうといいます。しかし、その亀を見た者はないようです。
岡本綺堂
池袋の女
江戸の代表的怪談といえば、まず第一に池袋の女というものを挙げなければなりません。
今日の池袋の人からは抗議が出るかもしれませんが、どういうものか、この池袋の女を女中などに使いますと、きっと何か異変があると言い伝えられて、武家屋敷などでは絶対に池袋の女を使わないことにしていたということです。また、町家などでも池袋の女を使うことを嫌がりましたので、池袋の女の方でも池袋ということを隠して、大抵は板橋とか雑司ヶ谷とかいって奉公に出ていたのだそうです。
それも、女が無事におとなしく勤めている分には別になんの仔細もなかったのですが、もし男と関係でもしようものなら、忽ち怪異が頻々ひんぴんとして起こるというのです。
これは、池袋の女が七面様の氏子なので、その祟たたりだ[#「祟たたりだ」は底本では「崇たたりだ」]といわれていましたが、それならば不埓ふらちを働いた当人、即ち池袋の女に祟れば[#「祟れば」は底本では「崇れば」]よさそうなものですが、本人にはなんの祟も[#「祟も」は底本では「崇も」]なくて、必ずその女の使われている家へ祟る[#「祟る」は底本では「崇る」]のだそうです。まったく理窟では判断がつきませんが、まず家が揺れたり、自然に襖ふすまが開いたり、障子の紙が破れたり、行灯あんどんが天井に吸い付いたり、そこらにある物が躍おどったり、いろいろの不思議があるといいます。
こういうことがあると、まず第一に池袋の女を詮議することになっていましたが、果してその蔭には必ず池袋の女が忍んでいたということです。
これは私の父なども親しく見たということですが、麻布の龍土町(いまの港区六本木七丁目六~八番)に内藤紀伊守の下屋敷がありました。この下屋敷というところは、多く女子供などが住んでいるのです。
ある夜のことでした。何処からとなく沢山の蛙が出て来てぴょこぴょこと闇に動いていましたが、いつとはなしに女たちの寝ている蚊帳かやの上にあがって、じっとつくばっていたということです。それを見た女たちの騒ぎは、どんなであったでしょう。
すると、こんどは家がぐらぐらとぐらつき出したので、騒ぎはますます大きくなって、上屋敷からも武士が出張するし、また他藩の武士の見物に行った者などが交じって、そこらを調べて見ましたが、さっぱり訳が判りません。そこで狐狸こりの仕業ということになって屋敷中を狩り立てましたが、狐や狸はさておき、かわうそ一疋も出なかったということです。で、その夜は十畳ばかりの屋敷に十四、五人の武士が不寝番ねずのばんをすることになりました。
ところが、夜もだんだん更けゆくにつれ、行灯の火影も薄暗くなって、自然と首が下がるような心持になると、どこからとなく、ぱたりぱたりと石が落ちてくるのです。皆の者がしゃんとしている間は何事もないのですが、つい知らずに首が下がるにつれて、ぱたりぱたりと石が落ちてくるので、「これはどうしても狐狸の仕業に相違ない。ためしに空鉄砲を放してみよう」といって、井上某が鉄砲を取りに立とうとすると、ぽかりと切石が眉間みけんに当たって倒れました。
こんどは他の者が代わって立とうとすると、また、その者の横鬢よこびんのところに切石が当たったので、もう誰も鉄砲を[#「鉄砲を」は底本では「鉄砲に」]取りに行こうという者もありません。互いに顔を見合わせているばかりでしたが、ある一人が「石の落ちてくるところは、どうも天井らしい」と、いい終わるか終わらぬうちに、ぱっと畳の間から火を吹き出したそうです。
こういうような怪異のことが、約三月くらい続いているうちに、ふとかの地袋の女ということに気がついて、下屋敷の女たちを厳重に取調べたところが、果して池袋から来ている女中があって、それが出入りの者と密通していたということが知れました。
で、この女中を追い出してしまいますと、まるで嘘のように不思議なことが止んだということです。
これも塚原渋柿園じゅうしえんの直話じきわですが、牛込の江戸川橋のそばに矢柄やがら何某という槍の先生がありました。この家に板橋在の者だといって住み込んだ女中がありましたが、どうも池袋の女らしいので、そのことを細君から主人に告げて、今のうちに暇を出してしまいたいといいますと、さすがは槍の先生だけあって、「実は池袋の女の不思議を見たいと思っていたのだが、ちょうど幸いである。そのままにしておけ」ということで、細君も仕方なしに知らぬ振りをしていましたが、別になんのこともなかったそうです。
ところがある日、主人公が食事をしている時でした。給仕をしている細君があわてて飯櫃めしびつを押さえていますので、どうしたのかと聞くと、飯櫃がぐるぐる廻り出したというのです。
矢柄先生はそれを非常に面白がられて、ぐるぐると廻っている飯櫃をじっと見ていましたが、やがて庭の方の障子を開けますと、飯櫃はころころと庭に転げ落ちて、だんだん往来の方へ転げて行きます。で、稽古に来ている門弟たちを呼んでそのあとをつけさせますと、飯櫃は中の橋の真ん中に止まって、逆様さかさまに伏せって動かなくなったので、それを取ってみますとすっかり飯が減っていたということです。
これを調べて見ると、その池袋の女中が近所の若い者といたずらをしていたということが判りました。女中も驚いて自分から暇を取ろうとしましたが、先生は面白がってどうしても暇をやらなかったので、とうとういたたまらなくなって、女も無断で逃げていってしまったということです。この種の怪談が江戸時代にも沢山ありました。
天狗や狐憑き、河童など
天狗に攫さらわれるということも、随分沢山あったそうです。もちろんこれには嘘もあり、本当もあり、一概にはいえないのですが、とにかくに天狗に攫われるような者は、いつもぼんやりして意識の明瞭を欠いていた者が多かったそうです。従って、「あいつは天狗に攫われそうな奴だ」というような言葉があったくらいです。これは十日くらいの間、行方不明になっていて、どこからかふらりと戻って来るのです。
これらは科学的に説明すれば、いろいろの解釈がつくのですが、江戸時代ではまず怪談の一つとして数えていました。
狐憑きつねつき、これもなかなか多かったようですが、一種の神経衰弱者だったのでしょう。この時代には「狐憑」もあれば、「狐使い」もありました。狐を使う者は飯綱いいづなの行者だと言い伝えられていました。そのほかに管狐くだぎつねを使う者もありました。
管狐というのは、わざわざ伏見の稲荷へ行って管の中へ狐を入れて来るので、管の中へ入れられた狐は管から出してくれといって、途中で泣き騒いでいたということですが、もう箱根を越すと静かになるそうです。
昔は狐使いなどといって、他に嫌がられながらも一方にはまた恐れられ、種々の祈祷料などをもらっていたのですが、今日では狐を使う行者などは跡を絶ちました。
この狐憑は、狐が落ちさえすればけろりと治ってしまいますが、治らずに死ぬ者もありました。
河童かっぱは筑後の柳川が本場だとか聞いていますが、江戸でも盛んにその名を拡めています。これはかわうそと亀とを合併して河童といっていたらしく、川の中で足などに搦からみつくのは大抵は亀だそうです。
この河童というものが、江戸付近の川筋にはよく出たものです。どういう訳か、葛西かさいの源兵衛(源兵衛堀―いまの北十間じっけん川のこと)が名所になっています。
徳川の家来に福島何某なにがしという武士がありました。ある雨の夜でしたが、虎の門の濠端ほりばたを歩いていました。この濠のところを俗にどんどんといって、溜池の水がどんどんと濠に落ちる落口になっていたのです。
その前を一人の小僧が傘もささずに、びしょびしょと雨に濡れながら裾を引き摺って歩いているので、つい見かねて「おい、尻を端折はしょったらどうだ」といってやりましたが、小僧は振り向きもしないので、こんどは命令的に「おい、尻を端折れ」といいましたが、小僧は振り向きもしないので、こんどは命令的に「おい、尻を端折れ」といいましたが、小僧は相変わらず知らぬ顔をしています。で、つかつかと寄って、後ろから着物の裾をまくると、ぴかっと尻が光ったので、「おのれ」といいざま襟に手をかけて、どんどんの中へ投げ込みました。
が、あとで、もしそれが本当の小僧であっては可哀相だと思って、翌日そこへ行って見ましたが、それらしき死骸も浮いていなければ、そんな噂もなかったので、まったくかわうそだったのだろうと、他に語ったそうです。
芝の愛宕山の下〔桜川の大溝〕などでも、よくかわうそが出たということです。
それは多く雨の夜なのですが、差している傘の上にかわうそが取りつくので、非常に持ち重りがするということです。そうして顔などを引っ掻かれることなどがあったそうですが、武士などになると、そっと傘を手許に下げておよその見当をつけ、小柄こづかを抜いて傘越しにかわうそを刺し殺してしまったということです。
中村座の役者で、市川ちょび助という宙返ちゅうがえりの名人がありました。やはり雨の降る晩でしたが、芝居がはねて本所の宅へ帰る途中で遭ったそうです。差している傘が石のように重くなって、ひと足も歩くことができなくなったので、持前の芸を出して、傘を差したまま宙返りをすると、かわうそが大地に叩きつけられて死んでいた、ということです。
日比谷の亀も有名でした。桜田見附から日比谷へ行く濠の底に大きい亀が棲すんでいたということで、この亀が浮き出すと濠一杯になったと言い伝えられています。亀が浮くと、龍たつの口くちの火消屋敷の太鼓を打つことになっていました。その太鼓の音に驚いて、大亀は沈んでしまうといいます。しかし、その亀を見た者はないようです。
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