#news# 堂本剛 2024年10月公開の『まる』で27年ぶり映画主演!荻上直子監督とタッグ
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人気デュオ『KinKi Kids』堂本剛が2024年10月公開予定の映画『まる』(配給:アスミック・エース)を主演予定であることが5月10日に発表。あわせてティザービジュアル2種類と特報映像が公開となった。
堂本が映画主演するのは、1997年に公開された『金田一少年の事件簿 上海魚人伝説』以来、27年ぶり。本作のメガホンは映画『かもめ食堂』、映画『彼らが本気で編むときは、』を手掛けた荻上直子監督がとる。
近年は音楽活動を中心にしていた堂本。その出演経緯としては荻上監督と企画プロデューサーが約2年にわたり堂本へ熱烈オファー。これに堂本も「自分が必要とされている役なら」と心を動かし出演へと至ったという。
そんな堂本は、美大卒だがアートで身を立てられず、人気現代美術家のアシスタントをしている男・沢田役。独立する気配もなければ、そんな気力さえも失って、言われたことを淡々とこなすことに慣れてしまっている沢田。ある日、通勤途中に事故に遭い、腕の怪我が原因で職を失う。部屋に帰ると床には蟻が1匹。その蟻に導かれるように描いた○(まる)を発端に、日常が○に浸食され始める奇想天外な物語となっている。これまで自らストーリーを進めていく役柄の多かった堂本が、今回は不思議な事態に巻き込まれるキャラクターとして新境地を開く。年始から撮影は行われていたといい、すでに本編撮影は終了。現在は仕上げの段階に入っているという。
公開されたティザービジュアルはメインとキャラクターVer.の2種類。ティザービジュアル(メイン)は、沢田が住む街を背景に撮り下ろした写真を使用。巨大な○に飲み込まれそうな堂本演じる沢田の上に、「ある日突然、○が迫ってきた」という言葉が微妙に歪んだ形で添えられている。
一方のキャラクターVer.は、沢田らしい虚無感のある表情、すぐ後ろには○が迫ってきているというもの。そのデザインは、A24作品の日本版ビジュアル(『ミッドサマー』『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』)、荻上監督の初期作品『バーバー吉野』、『めがね』、『トイレット』などを手掛けるデザイナー・大島依提亜氏が、グラフィカルで普遍的な〇の形を日常的な実写風景、人物と組み合せる事で不思議な作品世界を表現したものとなっている。
また、特報映像には、日常が○に浸食されはじめ、いつしか○に囚われ始める沢田の様子が映しだされていく。最後には襲い掛かる奇妙な出来事に対して、「すごっ」とどこかひと事のような沢田の一幕も。いつの間にか観ているこちらの心までぐるぐる回り出すような、不思議な世界観を纏った特報に仕上がっている。
今回の発表にあわせ、堂本は沢田の人生に寄り添った繊細なコメントをはじめ、荻上監督からもコメントが寄せられている。以下、全文。
●主演:堂本剛(沢田役)コメント
主演でお芝居させていただくのは久しぶりです。寝不足で誰のために何のために働いているのかも考えられない毎日を過ごしている主人公の沢田。だから顔色も良くはない、目の下にはクマ、顔の筋肉も動いていない。自分本来の心で人生を柔らかく生きて描きたいままに画を描くこと。これが叶えば良いだけなのに、人は自分を誰かと比べ、審査し、点数のようなものを付ける。孤独だということをそれこそ理解できずにそうしてしまう人も多いのだろう。孤独を感じていなければ人はそうならないだろう。頼んでもいないのに人は人の生き方や道にそうする事で我が身や我が心が安心するのだろう。ならばそれに付き合うこともまた人生か?と、沢田なりに人々の孤独に漂ってみている。きっと正しくないしもはや楽しくもない事はわかっているが、いらぬ優しさがそうさせてしまうのかも知れない。そんな沢田を演じるうえでいろいろを整えることをやめて崩すイメージで演じさせていただきました。
共演者の皆様がとても優しく接して下さいました。荻上監督をはじめスタッフの皆様も大変優しく接して下さいました。そのことがいちばん嬉しくて幸せでした。「人は人に優しく生きることができる」を叶え合い大切な一日を繰り返し完成した作品『まる』。
まるという言葉や文字を皆様はどう捉えてこの作品を楽しんでいただけるか興味深いところです。
劇中でもたくさんまるを描きました。細部に渡る隅々まで。たくさんたくさん描きました。世の中が平和を諦めずに平和を作ることへ時間や命を繋げてほしいと想いを込めて「。」
●監督・脚本:荻上直子コメント
撮影中の1ヶ月間、純度の高い無色透明な塊、みたいなもののそばにいるような気持ちでした。もし彼のタマシイが見えたら、きっとそんな感じなのだろうと思う。混じり気のないどこまでもどこまでも透明な珠(たま)。
■特報映像(YouTubeリンク)
https://t.cn/A6HUzcNy
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人気デュオ『KinKi Kids』堂本剛が2024年10月公開予定の映画『まる』(配給:アスミック・エース)を主演予定であることが5月10日に発表。あわせてティザービジュアル2種類と特報映像が公開となった。
堂本が映画主演するのは、1997年に公開された『金田一少年の事件簿 上海魚人伝説』以来、27年ぶり。本作のメガホンは映画『かもめ食堂』、映画『彼らが本気で編むときは、』を手掛けた荻上直子監督がとる。
近年は音楽活動を中心にしていた堂本。その出演経緯としては荻上監督と企画プロデューサーが約2年にわたり堂本へ熱烈オファー。これに堂本も「自分が必要とされている役なら」と心を動かし出演へと至ったという。
そんな堂本は、美大卒だがアートで身を立てられず、人気現代美術家のアシスタントをしている男・沢田役。独立する気配もなければ、そんな気力さえも失って、言われたことを淡々とこなすことに慣れてしまっている沢田。ある日、通勤途中に事故に遭い、腕の怪我が原因で職を失う。部屋に帰ると床には蟻が1匹。その蟻に導かれるように描いた○(まる)を発端に、日常が○に浸食され始める奇想天外な物語となっている。これまで自らストーリーを進めていく役柄の多かった堂本が、今回は不思議な事態に巻き込まれるキャラクターとして新境地を開く。年始から撮影は行われていたといい、すでに本編撮影は終了。現在は仕上げの段階に入っているという。
公開されたティザービジュアルはメインとキャラクターVer.の2種類。ティザービジュアル(メイン)は、沢田が住む街を背景に撮り下ろした写真を使用。巨大な○に飲み込まれそうな堂本演じる沢田の上に、「ある日突然、○が迫ってきた」という言葉が微妙に歪んだ形で添えられている。
一方のキャラクターVer.は、沢田らしい虚無感のある表情、すぐ後ろには○が迫ってきているというもの。そのデザインは、A24作品の日本版ビジュアル(『ミッドサマー』『エブリシング・エブリウェア・オール・アット・ワンス』)、荻上監督の初期作品『バーバー吉野』、『めがね』、『トイレット』などを手掛けるデザイナー・大島依提亜氏が、グラフィカルで普遍的な〇の形を日常的な実写風景、人物と組み合せる事で不思議な作品世界を表現したものとなっている。
また、特報映像には、日常が○に浸食されはじめ、いつしか○に囚われ始める沢田の様子が映しだされていく。最後には襲い掛かる奇妙な出来事に対して、「すごっ」とどこかひと事のような沢田の一幕も。いつの間にか観ているこちらの心までぐるぐる回り出すような、不思議な世界観を纏った特報に仕上がっている。
今回の発表にあわせ、堂本は沢田の人生に寄り添った繊細なコメントをはじめ、荻上監督からもコメントが寄せられている。以下、全文。
●主演:堂本剛(沢田役)コメント
主演でお芝居させていただくのは久しぶりです。寝不足で誰のために何のために働いているのかも考えられない毎日を過ごしている主人公の沢田。だから顔色も良くはない、目の下にはクマ、顔の筋肉も動いていない。自分本来の心で人生を柔らかく生きて描きたいままに画を描くこと。これが叶えば良いだけなのに、人は自分を誰かと比べ、審査し、点数のようなものを付ける。孤独だということをそれこそ理解できずにそうしてしまう人も多いのだろう。孤独を感じていなければ人はそうならないだろう。頼んでもいないのに人は人の生き方や道にそうする事で我が身や我が心が安心するのだろう。ならばそれに付き合うこともまた人生か?と、沢田なりに人々の孤独に漂ってみている。きっと正しくないしもはや楽しくもない事はわかっているが、いらぬ優しさがそうさせてしまうのかも知れない。そんな沢田を演じるうえでいろいろを整えることをやめて崩すイメージで演じさせていただきました。
共演者の皆様がとても優しく接して下さいました。荻上監督をはじめスタッフの皆様も大変優しく接して下さいました。そのことがいちばん嬉しくて幸せでした。「人は人に優しく生きることができる」を叶え合い大切な一日を繰り返し完成した作品『まる』。
まるという言葉や文字を皆様はどう捉えてこの作品を楽しんでいただけるか興味深いところです。
劇中でもたくさんまるを描きました。細部に渡る隅々まで。たくさんたくさん描きました。世の中が平和を諦めずに平和を作ることへ時間や命を繋げてほしいと想いを込めて「。」
●監督・脚本:荻上直子コメント
撮影中の1ヶ月間、純度の高い無色透明な塊、みたいなもののそばにいるような気持ちでした。もし彼のタマシイが見えたら、きっとそんな感じなのだろうと思う。混じり気のないどこまでもどこまでも透明な珠(たま)。
■特報映像(YouTubeリンク)
https://t.cn/A6HUzcNy
「凧揚げ」鲁迅
北京の冬は雪が地上に残ったまま、葉をすっかり落とした黒い木の枝が晴朗な天に向かって突き出している。その遥かかなたに凧が一二個浮かんでいるのを見ると、私はなぜかある種の驚異と悲哀に襲われる。
故郷の凧上げの季節は、春二月で、ヒューヒューと風車の音がして空を仰ぐと、薄墨色の蟹凧か、薄藍色の百足凧が浮かんでいる。寂しげな瓦凧は風車も無く、低空にさびしげに憔悴した可憐な姿に見える。しかしこのころには、地上の楊柳はもう芽を出し、早咲きの山桃もたくさんの蕾をつけ、子供たちの空の点景と呼応して、春日の温和な光景を醸し出す。
私は今どこにいるのか?まわりはまだ厳冬の粛殺とした冷気の中に、離れて久しい故郷の過ぎ去りし春が、この天空にただよっている。
私はこれまで、凧上げは好きでは無く、どちらかと言えば嫌いだった。それは向上心のない、意気地無しの子のする遊びだと思っていた。私と逆に、弟はあのころ十歳くらいだったが、病気がちでとても痩せていたが、凧が大好きで、自分では買えないのと、私が許さなかったので、小さな口を開けて、ただポカンと空を眺めているだけだった。時には小半日もそうしていた。遠くの蟹凧が突然落下して、彼は驚いて声を出した。二つの瓦凧がからんでいたのが、やっととけると、とても喜んで跳びあがった。こうしたことは私には、こっけいで軽蔑すべきものにみえた。
ある日、彼の姿を何日も見かけなくなったことを思い出した。後園で枯れた竹を拾っていたのを見かけたことを思い出した。ふとあることを悟って、普段人が行かない物置の小屋に走って行った。戸を開けると、ほこりにまみれた道具のやまの中に、彼がいた。大きな角椅子に向かって、小さな椅子に坐っていたが、驚いて立ち上がり、色を失いかしこまった格好をみせた。角椅子の傍らには、糊づけしていない胡蝶凧の竹骨が凭せ掛けてあり、
椅子の上には目玉用の小さな風車があり、今まさに紅い紙きれで装飾中。まもなく完成するところだった。私は秘密をかぎつけた満足と、我が目を偸んだことに憤怒し、人に隠れて、いくじなしのこどもの玩具を作っているのを怒った。すぐ手を伸ばして、蝶の翅骨を折り、風車も地面に叩きつけ、踏んづけた。年齢と体力の差から彼は私にはむかえないので、もちろん私の勝ちであった。そして傲然と外に出た。彼は絶望して物置に残った。その後どうなったか知らないし、気にもしなかった。
しかし、私への懲罰はついにめぐってきた。我々二人が離れてかなり久しくなった。私は中年になった。不幸にも偶々、外国の児童書を見て、初めて遊戯(あそび)はこどもの
最も正常な行動で、玩具はこどもの天使である、と。二十年来忘れていた小さいころの精神的虐待のシーンが、突如目の前に現れ、私の心は鉛の塊を飲んだようになり、ズーンと沈みこんだ。
しかしどれほど沈み込んでも、千切れるまでには至らず、ただ気が重く沈んでゆくのだった。私はどうすべきかは知っていた。凧を贈るとか、凧上げを賛成し、勧めるとか、一緒になって揚げるとか。一緒に叫び、走り、笑う。……然し彼はもうその時私と一緒で、髭が生えていた。
もう一つの償い方も知っている。彼の許しを請い、「もう何も怨んでいないよ」と言ってもらったら、私の気もきっと軽くなる。たしかにいい方法だった。ある日、我々二人が会った時、顔にはすでに多くの「生」の辛苦の皺を刻んでいて、私の気持ちはたいへん沈んでいた。話がじょじょに子供のころのことになり、この場面のことを話し出した。自ら少年時代はひどくでたらめだったと話した。
「でもなにも怒っちゃいないよ」彼がそう言ってくれたら、許しを得て私の気持ちはおちついて安心すると思った。
「そんなこと、あったっけ?」彼は驚いて笑いながら、まるでひとのことを聞いているようで、何も覚えていなかった。
全部忘れちゃったし、何も怨んじゃいない。だから許すも無いよ。怨んでないのに怨むなんて、嘘になるでしょ。
私はこれ以上なにを望むか?
私の心は深く沈んで行くしかない。
今、故郷の春がまたこの異郷の空にあり、私の遠い昔のこどもの頃の記憶をよみがえらせてくれたが、それと同時に、とらえどころの無い悲哀に襲われた。私はやはり粛殺とした厳冬の中に身をひそめるしかないのだ。
まわりは本当の厳冬で、非常な寒さと冷気が私を冷たくする。
一九二五年二月十四日
北京の冬は雪が地上に残ったまま、葉をすっかり落とした黒い木の枝が晴朗な天に向かって突き出している。その遥かかなたに凧が一二個浮かんでいるのを見ると、私はなぜかある種の驚異と悲哀に襲われる。
故郷の凧上げの季節は、春二月で、ヒューヒューと風車の音がして空を仰ぐと、薄墨色の蟹凧か、薄藍色の百足凧が浮かんでいる。寂しげな瓦凧は風車も無く、低空にさびしげに憔悴した可憐な姿に見える。しかしこのころには、地上の楊柳はもう芽を出し、早咲きの山桃もたくさんの蕾をつけ、子供たちの空の点景と呼応して、春日の温和な光景を醸し出す。
私は今どこにいるのか?まわりはまだ厳冬の粛殺とした冷気の中に、離れて久しい故郷の過ぎ去りし春が、この天空にただよっている。
私はこれまで、凧上げは好きでは無く、どちらかと言えば嫌いだった。それは向上心のない、意気地無しの子のする遊びだと思っていた。私と逆に、弟はあのころ十歳くらいだったが、病気がちでとても痩せていたが、凧が大好きで、自分では買えないのと、私が許さなかったので、小さな口を開けて、ただポカンと空を眺めているだけだった。時には小半日もそうしていた。遠くの蟹凧が突然落下して、彼は驚いて声を出した。二つの瓦凧がからんでいたのが、やっととけると、とても喜んで跳びあがった。こうしたことは私には、こっけいで軽蔑すべきものにみえた。
ある日、彼の姿を何日も見かけなくなったことを思い出した。後園で枯れた竹を拾っていたのを見かけたことを思い出した。ふとあることを悟って、普段人が行かない物置の小屋に走って行った。戸を開けると、ほこりにまみれた道具のやまの中に、彼がいた。大きな角椅子に向かって、小さな椅子に坐っていたが、驚いて立ち上がり、色を失いかしこまった格好をみせた。角椅子の傍らには、糊づけしていない胡蝶凧の竹骨が凭せ掛けてあり、
椅子の上には目玉用の小さな風車があり、今まさに紅い紙きれで装飾中。まもなく完成するところだった。私は秘密をかぎつけた満足と、我が目を偸んだことに憤怒し、人に隠れて、いくじなしのこどもの玩具を作っているのを怒った。すぐ手を伸ばして、蝶の翅骨を折り、風車も地面に叩きつけ、踏んづけた。年齢と体力の差から彼は私にはむかえないので、もちろん私の勝ちであった。そして傲然と外に出た。彼は絶望して物置に残った。その後どうなったか知らないし、気にもしなかった。
しかし、私への懲罰はついにめぐってきた。我々二人が離れてかなり久しくなった。私は中年になった。不幸にも偶々、外国の児童書を見て、初めて遊戯(あそび)はこどもの
最も正常な行動で、玩具はこどもの天使である、と。二十年来忘れていた小さいころの精神的虐待のシーンが、突如目の前に現れ、私の心は鉛の塊を飲んだようになり、ズーンと沈みこんだ。
しかしどれほど沈み込んでも、千切れるまでには至らず、ただ気が重く沈んでゆくのだった。私はどうすべきかは知っていた。凧を贈るとか、凧上げを賛成し、勧めるとか、一緒になって揚げるとか。一緒に叫び、走り、笑う。……然し彼はもうその時私と一緒で、髭が生えていた。
もう一つの償い方も知っている。彼の許しを請い、「もう何も怨んでいないよ」と言ってもらったら、私の気もきっと軽くなる。たしかにいい方法だった。ある日、我々二人が会った時、顔にはすでに多くの「生」の辛苦の皺を刻んでいて、私の気持ちはたいへん沈んでいた。話がじょじょに子供のころのことになり、この場面のことを話し出した。自ら少年時代はひどくでたらめだったと話した。
「でもなにも怒っちゃいないよ」彼がそう言ってくれたら、許しを得て私の気持ちはおちついて安心すると思った。
「そんなこと、あったっけ?」彼は驚いて笑いながら、まるでひとのことを聞いているようで、何も覚えていなかった。
全部忘れちゃったし、何も怨んじゃいない。だから許すも無いよ。怨んでないのに怨むなんて、嘘になるでしょ。
私はこれ以上なにを望むか?
私の心は深く沈んで行くしかない。
今、故郷の春がまたこの異郷の空にあり、私の遠い昔のこどもの頃の記憶をよみがえらせてくれたが、それと同時に、とらえどころの無い悲哀に襲われた。私はやはり粛殺とした厳冬の中に身をひそめるしかないのだ。
まわりは本当の厳冬で、非常な寒さと冷気が私を冷たくする。
一九二五年二月十四日
希望 鲁迅
私の心は、どうしようもないくらい寂しい。
しかし、いっぽうで落ち着いてもいる。愛憎も哀楽も、そして色も音も無い。
私は老いてしまったのか。髪はもう明らかに半ば白い。手も震えが止まらない。
これも明白ではないか。我魂の手もきっと震え、髪も半白に違いない。
しかしこれは何年も前からのことだ。
かつて我が心も血腥い歌声に充ちていた:血と鉄、炎と毒、再起と報復。しかし突然、これらのすべては虚しくなってしまった。時には故意に自らを欺き、なんの足しにもならない希望を探してきては、穴埋めしようとした。
希望、希望、希望という盾で、あの虚しく暗い夜の襲来を拒もうとした。盾の裏も、虚しい暗闇なのを知りながら、それでもなお、我青春をつぎつぎと消耗し尽くしてきた。
我青春はとうに過ぎ去ってしまったことを私が気付かないとでもいうのか。体外の青春は、なお存在している:星、月光、地に落ちた蝶、暗中の花、ミミズクの不吉な鳴き声、杜鵑の血を吐く声、意味も無い笑い、愛の飛翔する舞、……。悲しみに寂しく漂う青春、しかしそれも青春なのだ。
しかし今、なにゆえかくも寂しいのか。体外の青春も過ぎ去ってしまったというのか。世の青年も多くは老いてしまったのか。
私は自ら、この虚しき暗夜に肉迫するほかない。私は希望の盾を放り投げ、ペトーフィ シャンドル(1823-49)の“希望”の歌を聴く。
希望とは何? そは娼婦:
そは誰をも蠱惑し、すべてをささげさせ:
君が、一番大切な宝――
青春を献じたとき、――君を棄てる。
この偉大な抒情詩人、ハンガリーの愛国者は、祖国のためにコザック兵の矛先の犠牲となってから、七十五年経った。悲しいかなその死:しかし更に悲しいのは、彼の詩が、今もなお死んでいないことだ。
悲惨な人生! あの勇敢なペトーフィも、終には暗夜に対して歩を止め、茫々と広がる東方を顧みて、言う:
絶望の虚妄なのは、希望がそうであるのと同じだ。
明暗のない“虚妄”のこの世に、私になお生を偸ませるのなら、あの過ぎ去った、悲涼ただよう青春を探し求めよう。それが体外のものでも良い。体外の青春すら消えてしまったら、体内の晩年はすぐ凋落してしまうから。
だが、今は星も月も無い。地に落ちた蝶も、意味の無い笑い、愛の飛翔する舞にいたるまで、すべて無い。しかし青年たちはとても平安だ。だが、私の面前には、ついにそしてまたもや、真の暗闇も消え去った。
絶望の虚妄なのは、希望がそうであるのと同じだ。
一九二五年一月一日
訳者あとがき
「絶望の虚妄なることは、まさに希望と相同じい」
これは、1956年岩波版の魯迅選集の竹内好訳である。
絶望の淵に臨んだとき、その絶望すらも虚妄、うそ偽り、根拠のないものだと悟れば、希望がそうであるのと同じく、希望がはかなく潰えるのと同じく、絶望も当てにならない根拠のないものだから、絶望に打ちひしがれることも無用だ、と理解してきた。
今回、人民文学出版社2006年版の注に、ペトーフィの友人に宛てた手紙の中国語訳を付している。そこには、大略次のようである。
「この句は、1847年、ペトーフィが友人に宛てた手紙で(中略)遠い目的地まで行かねばならなくなった場面で、それまでの旅程で見たことも無いような、やせた悪劣な駑馬しかなく、怒髪天を突くような絶望に陥った。それでその駑馬の車に乗ったのだが、…おお我が友よ!
絶望があのように人を騙すのは、まさしく希望といっしょだ。
これらのやせ細った駑馬が、こんなに速く私を目的地に運んでくれた。燕麦と干し草で飼育された貴族たちの馬さえも、彼らを称賛した。前にも言ったが、外面だけで物を判断してはならない、そんなことをしていては、真理はつかめない。」
という状況下で、発せられた言葉だと解説している。
絶望が人を騙す。絶望という状況に陥ったとき、人はその外面の状況に騙されて真実をつかみ損ねてしまう。絶望が虚妄、嘘いつわり、中国語の辞書には“没有根拠”とある。
絶望が根拠の無いものというのは、希望がそうであるのと同じである。
絶望して、生きる望みを失ったとしても、虚妄な希望を失ったときと同じである。されば、
絶望に直面したときも、希望をもっていたときと、なんら変わることもないのである、と。
新聞にチンパンジーは、絶望しないと書いていた。どんな重病を患っても絶望しないそうだ。想像力が人間ほどはないから、くよくよしないので、治療の結果は良好だという。
《希望》是现代文学家鲁迅于1925年创作的一首散文诗。这首诗以直抒胸臆为基本笔法,结合运用象征隐喻,通过繁富的意象,生动地呈现了主体的情感体验。同时频繁使用“然而”等转折词语,造成宛曲周致的抒情语调,淋漓尽致地表现了抒情主人公错综复杂的心情,感受和思想矛盾。
作品原文
希望
我的心分外地寂寞。
然而我的心很平安;没有爱憎,没有哀乐,也没有颜色和声音。
我大概老了。我的头发已经苍白,不是很明白的事么?我的手颤抖着,不是很明白的事么?那么我的灵魂的手一定也颤抖着,头发也一定苍白了。
然而这是许多年前的事了。
这以前,我的心也曾充满过血腥的歌声:血和铁,火焰和毒,恢复和报仇。而忽然这些都空虚了,但有时故意地填以没奈何的自欺的希望。希望,希望,用这希望的盾,抗拒那空虚中的暗夜的袭来,虽然盾后面也依然是空虚中的暗夜。然而就是如此,陆续地耗尽了我的青春。
我早先岂不知我的青春已经逝去?但以为身外的青春固在:星,月光,僵坠的蝴蝶,暗中的花,猫头鹰的不祥之言,杜鹃的啼血,笑的渺茫,爱的翔舞……。虽然是悲凉漂渺的青春罢,然而究竟是青春。
然而现在何以如此寂寞?难道连身外的青春也都逝去,世上的青年也多衰老了么?
我只得由我来肉薄这空虚中的暗夜了。我放下了希望之盾,我听到Petőfi Sándor(1823-49)的“希望”之歌:
希望是什么?是娼妓:
她对谁都蛊惑,将一切都献给;
待你牺牲了极多的宝贝——
你的青春——她就抛弃你。
这伟大的抒情诗人,匈牙利的爱国者,为了祖国而死在可萨克兵的矛尖上,已经七十五年了。悲哉死也,然而更可悲的是他的诗至今没有死。
但是,可惨的人生!桀骜英勇如Petőfi,也终于对了暗夜止步,回顾茫茫的东方了。他说:
绝望之为虚妄,正与希望相同。
倘使我还得偷生在不明不暗的这“虚妄”中,我就还要寻求那逝去的悲凉漂渺的青春,但不妨在我的身外。因为身外的青春倘一消灭,我身中的迟暮也即凋零了。
然而现在没有星和月光,没有僵坠的蝴蝶以至笑的渺茫,爱的翔舞。然而青年们很平安。
我只得由我来肉薄这空虚中的暗夜了,纵使寻不到身外的青春,也总得自己来一掷我身中的迟暮。但暗夜又在那里呢?现在没有星,没有月光以至没有笑的渺茫和爱的翔舞;青年们很平安,而我的面前又竟至于并且没有真的暗夜。
绝望之为虚妄,正与希望相同!
一九二五年一月一日
私の心は、どうしようもないくらい寂しい。
しかし、いっぽうで落ち着いてもいる。愛憎も哀楽も、そして色も音も無い。
私は老いてしまったのか。髪はもう明らかに半ば白い。手も震えが止まらない。
これも明白ではないか。我魂の手もきっと震え、髪も半白に違いない。
しかしこれは何年も前からのことだ。
かつて我が心も血腥い歌声に充ちていた:血と鉄、炎と毒、再起と報復。しかし突然、これらのすべては虚しくなってしまった。時には故意に自らを欺き、なんの足しにもならない希望を探してきては、穴埋めしようとした。
希望、希望、希望という盾で、あの虚しく暗い夜の襲来を拒もうとした。盾の裏も、虚しい暗闇なのを知りながら、それでもなお、我青春をつぎつぎと消耗し尽くしてきた。
我青春はとうに過ぎ去ってしまったことを私が気付かないとでもいうのか。体外の青春は、なお存在している:星、月光、地に落ちた蝶、暗中の花、ミミズクの不吉な鳴き声、杜鵑の血を吐く声、意味も無い笑い、愛の飛翔する舞、……。悲しみに寂しく漂う青春、しかしそれも青春なのだ。
しかし今、なにゆえかくも寂しいのか。体外の青春も過ぎ去ってしまったというのか。世の青年も多くは老いてしまったのか。
私は自ら、この虚しき暗夜に肉迫するほかない。私は希望の盾を放り投げ、ペトーフィ シャンドル(1823-49)の“希望”の歌を聴く。
希望とは何? そは娼婦:
そは誰をも蠱惑し、すべてをささげさせ:
君が、一番大切な宝――
青春を献じたとき、――君を棄てる。
この偉大な抒情詩人、ハンガリーの愛国者は、祖国のためにコザック兵の矛先の犠牲となってから、七十五年経った。悲しいかなその死:しかし更に悲しいのは、彼の詩が、今もなお死んでいないことだ。
悲惨な人生! あの勇敢なペトーフィも、終には暗夜に対して歩を止め、茫々と広がる東方を顧みて、言う:
絶望の虚妄なのは、希望がそうであるのと同じだ。
明暗のない“虚妄”のこの世に、私になお生を偸ませるのなら、あの過ぎ去った、悲涼ただよう青春を探し求めよう。それが体外のものでも良い。体外の青春すら消えてしまったら、体内の晩年はすぐ凋落してしまうから。
だが、今は星も月も無い。地に落ちた蝶も、意味の無い笑い、愛の飛翔する舞にいたるまで、すべて無い。しかし青年たちはとても平安だ。だが、私の面前には、ついにそしてまたもや、真の暗闇も消え去った。
絶望の虚妄なのは、希望がそうであるのと同じだ。
一九二五年一月一日
訳者あとがき
「絶望の虚妄なることは、まさに希望と相同じい」
これは、1956年岩波版の魯迅選集の竹内好訳である。
絶望の淵に臨んだとき、その絶望すらも虚妄、うそ偽り、根拠のないものだと悟れば、希望がそうであるのと同じく、希望がはかなく潰えるのと同じく、絶望も当てにならない根拠のないものだから、絶望に打ちひしがれることも無用だ、と理解してきた。
今回、人民文学出版社2006年版の注に、ペトーフィの友人に宛てた手紙の中国語訳を付している。そこには、大略次のようである。
「この句は、1847年、ペトーフィが友人に宛てた手紙で(中略)遠い目的地まで行かねばならなくなった場面で、それまでの旅程で見たことも無いような、やせた悪劣な駑馬しかなく、怒髪天を突くような絶望に陥った。それでその駑馬の車に乗ったのだが、…おお我が友よ!
絶望があのように人を騙すのは、まさしく希望といっしょだ。
これらのやせ細った駑馬が、こんなに速く私を目的地に運んでくれた。燕麦と干し草で飼育された貴族たちの馬さえも、彼らを称賛した。前にも言ったが、外面だけで物を判断してはならない、そんなことをしていては、真理はつかめない。」
という状況下で、発せられた言葉だと解説している。
絶望が人を騙す。絶望という状況に陥ったとき、人はその外面の状況に騙されて真実をつかみ損ねてしまう。絶望が虚妄、嘘いつわり、中国語の辞書には“没有根拠”とある。
絶望が根拠の無いものというのは、希望がそうであるのと同じである。
絶望して、生きる望みを失ったとしても、虚妄な希望を失ったときと同じである。されば、
絶望に直面したときも、希望をもっていたときと、なんら変わることもないのである、と。
新聞にチンパンジーは、絶望しないと書いていた。どんな重病を患っても絶望しないそうだ。想像力が人間ほどはないから、くよくよしないので、治療の結果は良好だという。
《希望》是现代文学家鲁迅于1925年创作的一首散文诗。这首诗以直抒胸臆为基本笔法,结合运用象征隐喻,通过繁富的意象,生动地呈现了主体的情感体验。同时频繁使用“然而”等转折词语,造成宛曲周致的抒情语调,淋漓尽致地表现了抒情主人公错综复杂的心情,感受和思想矛盾。
作品原文
希望
我的心分外地寂寞。
然而我的心很平安;没有爱憎,没有哀乐,也没有颜色和声音。
我大概老了。我的头发已经苍白,不是很明白的事么?我的手颤抖着,不是很明白的事么?那么我的灵魂的手一定也颤抖着,头发也一定苍白了。
然而这是许多年前的事了。
这以前,我的心也曾充满过血腥的歌声:血和铁,火焰和毒,恢复和报仇。而忽然这些都空虚了,但有时故意地填以没奈何的自欺的希望。希望,希望,用这希望的盾,抗拒那空虚中的暗夜的袭来,虽然盾后面也依然是空虚中的暗夜。然而就是如此,陆续地耗尽了我的青春。
我早先岂不知我的青春已经逝去?但以为身外的青春固在:星,月光,僵坠的蝴蝶,暗中的花,猫头鹰的不祥之言,杜鹃的啼血,笑的渺茫,爱的翔舞……。虽然是悲凉漂渺的青春罢,然而究竟是青春。
然而现在何以如此寂寞?难道连身外的青春也都逝去,世上的青年也多衰老了么?
我只得由我来肉薄这空虚中的暗夜了。我放下了希望之盾,我听到Petőfi Sándor(1823-49)的“希望”之歌:
希望是什么?是娼妓:
她对谁都蛊惑,将一切都献给;
待你牺牲了极多的宝贝——
你的青春——她就抛弃你。
这伟大的抒情诗人,匈牙利的爱国者,为了祖国而死在可萨克兵的矛尖上,已经七十五年了。悲哉死也,然而更可悲的是他的诗至今没有死。
但是,可惨的人生!桀骜英勇如Petőfi,也终于对了暗夜止步,回顾茫茫的东方了。他说:
绝望之为虚妄,正与希望相同。
倘使我还得偷生在不明不暗的这“虚妄”中,我就还要寻求那逝去的悲凉漂渺的青春,但不妨在我的身外。因为身外的青春倘一消灭,我身中的迟暮也即凋零了。
然而现在没有星和月光,没有僵坠的蝴蝶以至笑的渺茫,爱的翔舞。然而青年们很平安。
我只得由我来肉薄这空虚中的暗夜了,纵使寻不到身外的青春,也总得自己来一掷我身中的迟暮。但暗夜又在那里呢?现在没有星,没有月光以至没有笑的渺茫和爱的翔舞;青年们很平安,而我的面前又竟至于并且没有真的暗夜。
绝望之为虚妄,正与希望相同!
一九二五年一月一日
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