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' ゚*.+ ❀ *:・゚⋆ ☽ ⋆
-「今晩は月がきれいですね」
今夜月色真美
-「お姉ちゃんも」
姐姐也是
https://t.cn/A6lp6dkE
#梦女[超话]##凛冬下盛开的你#
卷手动揪13.14r*1、5.2r*2 16号中午开
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卷手动揪13.14r*1、5.2r*2 16号中午开
嬰寧(下)
蒲松齢
田中貢太郎訳
嬰寧は花を愛するのが癖になっていた。そっと金の釵かんざしを質に入れて、その金で親類の家をかたっぱしから探して、佳よい花の種を買って植えたが、数月の中に、家の入口、踏石ふみいし、垣根かきね、便所にかけて花でない所はなくなった。庭の後に木香もっこうの木の棚があった。それは元から西隣の家との境にあった。嬰寧はいつもその棚の上に攀よじ登って、薔薇ばらの花のようなその花を摘んで頭髪にさした。母親は時どきそれを見つけて叱ったが嬰寧はついに改めなかった。
ある日、西隣の男がこれを見つけて、じっと見とれたが、嬰寧は逃げもせずに男の方を見て笑った。西隣の男は女が自分に気があると思ったので、心がますますとろけた。と、女は牆かきねの下に指をさして笑ってからおりていった。西隣の男は女が晩にここへ来いといったと思ったので、大悦びで日の暮れるのを待ちかねて牆の下へいった。いってみると果して女が来ていた。西隣の男はすぐ抱きかかえた。と体の一部が錐きりで刺されたように痛さが体にしみわたったので、大声に叫ぶなり踣たおれてしまった。その男の女と思ったのは一本の枯木であった。その男の父親は悴せがれの叫び声を聞きつけて走って来て、
「おい、どうした、どうした。」
といったが悴は呻うめくのみで何もいわなかった。そこへ細君が来たので悴は事実を話した。そこで火を点つけて枯木の穴を照らしてみた。そこには小さな蟹かにのようなさそりがいた。父親は木を砕いてさそりを殺し、悴をおぶったが、夜半頃になって悴は死んでしまった。
西隣では王を訟うったえて、嬰寧が怪しいことをするといった。村役人はかねてから王の才能を尊敬して、篤行の士と言うことを知っていたので、西隣の父親のいうことは誣しいごとだといって、杖むちで打たそうとした。王は西隣の父親のためにあやまってやったので、西隣の父親は釈ゆるしてもらって帰って来た。
王の母親は嬰寧にいった。
「馬鹿なことをするから、こんなことになるのだよ。もう笑うことはよして、悲しいことも知るがいいよ。村役人は幸にわかった方だから、よかったものの、これがわからない役人だったら、きっとお前を役所で調べたのだよ。もしこんなことがあったら、あれが親類へ顔向けができますか。」
嬰寧は顔色を正していった。
「もう、これからは、決して笑いません。」
母親はいった。
「人は笑わないものはないから、笑ってもいいが、ただ時と場合を考えなくちゃ。」
嬰寧はこれからはまたと笑わなかった。昔の知人に逢ってもついに笑わなかった。しかし、終日淋さびしそうな顔はしなかった。
ある夜、嬰寧は王といる時に、涙を流した。王は不思議に思って訊きいた。
「どうした。」
すると嬰寧はむせび泣きをしていった。
「これまでは日が浅いから、こんなことをいったら、怪しまれるだろうと思って黙っていましたが、今ではお母さんもあなたも、皆さんが私を可愛がってくださって、へだてをしてくださらないからありのままに申しますが、私はもと狐から生まれたものです。母が他へゆくことになって、私を没くなっているお母さんに頼んだものですから、私は十年あまりもお母さんの世話になってて、今日のようなことになりました。私には他に兄弟もありませんし、恃たのみにするのはあなたばかりです。今、お母さんは寂しい山かげにいるのですが、だれもお父さんの傍へ葬ってくれないものですから、お母さんはあの世で悲しんでいるのです。あなたがもし、費用をおかまいなさらないなら、あの世の人の悲しみをなくしてやってください。私をお世話してくだされてるから、すてておくこともできないと思って。」
王はうなずいた。
「いいとも、だがどこにあるだろう。」
嬰寧はいった。
「すぐ判わかります。」
日を期して二人は櫬ひつぎを持って出かけていった。嬰寧はいばらの生い茂った荒れはてた中を指さした。掘ってみると果して老婆の尸しがいがあった。皮膚も肉体もそのままであった。嬰寧はその尸を撫なでて泣いた。
そこで二人はその尸を櫬 に入れて帰り、秦氏の墓を尋ねて合葬した。その夜、王の夢に老婆が来て礼をいって帰った。王は寤さめてそれを嬰寧に話した。嬰寧はいった。
「私は、ゆうべ逢ったのですよ。あなたをびっくりさしてはいけないというものですから。」
王はいった。
「なぜ留とめておかなかったのだ。」
嬰寧はいった。
「あの人はあの世の人ですから、生きた人の多い、陽気の勝った所にはいられないのです。」
そこで王は訊いた。
「小栄はどうしたのだろう。」
嬰寧がいった。
「あれは狐ですよ。あれは気が利いてたから、母が私の世話をさしたものです。しょっちゅう木の実を取って来てくれました。だから私は有難いと思ってるのですが、母に訊きますと、もうお嫁にいったのですって。」
その歳から冬至とうじから百五日目にあたる寒食かんしょくの日には、夫婦で秦氏の墓へいって掃除するのを欠かさなかった。女は翌年になって一人の子を生んだが、抱かれているうちから知らない人を畏おそれなかった。そして、人さえ見れば笑ってまた大いに母のふうがあった。
异史氏曰:观其孜孜憨笑,似全无心肝者。而墙下恶作剧,其黠孰甚焉。至凄恋鬼母,反笑为哭,我婴宁殆隐于笑者矣。窃闻山中有草,名“笑矣乎”,嗅之则笑不可止。房中植此一种,则合欢忘忧,并无颜色矣。若解语花,正嫌其作态耳。
蒲松齢
田中貢太郎訳
嬰寧は花を愛するのが癖になっていた。そっと金の釵かんざしを質に入れて、その金で親類の家をかたっぱしから探して、佳よい花の種を買って植えたが、数月の中に、家の入口、踏石ふみいし、垣根かきね、便所にかけて花でない所はなくなった。庭の後に木香もっこうの木の棚があった。それは元から西隣の家との境にあった。嬰寧はいつもその棚の上に攀よじ登って、薔薇ばらの花のようなその花を摘んで頭髪にさした。母親は時どきそれを見つけて叱ったが嬰寧はついに改めなかった。
ある日、西隣の男がこれを見つけて、じっと見とれたが、嬰寧は逃げもせずに男の方を見て笑った。西隣の男は女が自分に気があると思ったので、心がますますとろけた。と、女は牆かきねの下に指をさして笑ってからおりていった。西隣の男は女が晩にここへ来いといったと思ったので、大悦びで日の暮れるのを待ちかねて牆の下へいった。いってみると果して女が来ていた。西隣の男はすぐ抱きかかえた。と体の一部が錐きりで刺されたように痛さが体にしみわたったので、大声に叫ぶなり踣たおれてしまった。その男の女と思ったのは一本の枯木であった。その男の父親は悴せがれの叫び声を聞きつけて走って来て、
「おい、どうした、どうした。」
といったが悴は呻うめくのみで何もいわなかった。そこへ細君が来たので悴は事実を話した。そこで火を点つけて枯木の穴を照らしてみた。そこには小さな蟹かにのようなさそりがいた。父親は木を砕いてさそりを殺し、悴をおぶったが、夜半頃になって悴は死んでしまった。
西隣では王を訟うったえて、嬰寧が怪しいことをするといった。村役人はかねてから王の才能を尊敬して、篤行の士と言うことを知っていたので、西隣の父親のいうことは誣しいごとだといって、杖むちで打たそうとした。王は西隣の父親のためにあやまってやったので、西隣の父親は釈ゆるしてもらって帰って来た。
王の母親は嬰寧にいった。
「馬鹿なことをするから、こんなことになるのだよ。もう笑うことはよして、悲しいことも知るがいいよ。村役人は幸にわかった方だから、よかったものの、これがわからない役人だったら、きっとお前を役所で調べたのだよ。もしこんなことがあったら、あれが親類へ顔向けができますか。」
嬰寧は顔色を正していった。
「もう、これからは、決して笑いません。」
母親はいった。
「人は笑わないものはないから、笑ってもいいが、ただ時と場合を考えなくちゃ。」
嬰寧はこれからはまたと笑わなかった。昔の知人に逢ってもついに笑わなかった。しかし、終日淋さびしそうな顔はしなかった。
ある夜、嬰寧は王といる時に、涙を流した。王は不思議に思って訊きいた。
「どうした。」
すると嬰寧はむせび泣きをしていった。
「これまでは日が浅いから、こんなことをいったら、怪しまれるだろうと思って黙っていましたが、今ではお母さんもあなたも、皆さんが私を可愛がってくださって、へだてをしてくださらないからありのままに申しますが、私はもと狐から生まれたものです。母が他へゆくことになって、私を没くなっているお母さんに頼んだものですから、私は十年あまりもお母さんの世話になってて、今日のようなことになりました。私には他に兄弟もありませんし、恃たのみにするのはあなたばかりです。今、お母さんは寂しい山かげにいるのですが、だれもお父さんの傍へ葬ってくれないものですから、お母さんはあの世で悲しんでいるのです。あなたがもし、費用をおかまいなさらないなら、あの世の人の悲しみをなくしてやってください。私をお世話してくだされてるから、すてておくこともできないと思って。」
王はうなずいた。
「いいとも、だがどこにあるだろう。」
嬰寧はいった。
「すぐ判わかります。」
日を期して二人は櫬ひつぎを持って出かけていった。嬰寧はいばらの生い茂った荒れはてた中を指さした。掘ってみると果して老婆の尸しがいがあった。皮膚も肉体もそのままであった。嬰寧はその尸を撫なでて泣いた。
そこで二人はその尸を櫬 に入れて帰り、秦氏の墓を尋ねて合葬した。その夜、王の夢に老婆が来て礼をいって帰った。王は寤さめてそれを嬰寧に話した。嬰寧はいった。
「私は、ゆうべ逢ったのですよ。あなたをびっくりさしてはいけないというものですから。」
王はいった。
「なぜ留とめておかなかったのだ。」
嬰寧はいった。
「あの人はあの世の人ですから、生きた人の多い、陽気の勝った所にはいられないのです。」
そこで王は訊いた。
「小栄はどうしたのだろう。」
嬰寧がいった。
「あれは狐ですよ。あれは気が利いてたから、母が私の世話をさしたものです。しょっちゅう木の実を取って来てくれました。だから私は有難いと思ってるのですが、母に訊きますと、もうお嫁にいったのですって。」
その歳から冬至とうじから百五日目にあたる寒食かんしょくの日には、夫婦で秦氏の墓へいって掃除するのを欠かさなかった。女は翌年になって一人の子を生んだが、抱かれているうちから知らない人を畏おそれなかった。そして、人さえ見れば笑ってまた大いに母のふうがあった。
异史氏曰:观其孜孜憨笑,似全无心肝者。而墙下恶作剧,其黠孰甚焉。至凄恋鬼母,反笑为哭,我婴宁殆隐于笑者矣。窃闻山中有草,名“笑矣乎”,嗅之则笑不可止。房中植此一种,则合欢忘忧,并无颜色矣。若解语花,正嫌其作态耳。
『把酒問月』李白
把酒問月は酒豪で知られる李白が、飲んだくれてふと目に入った月に「お前はいつこの世に現れたのだ」と問いかける詩です。「わしは月まで行けないのに、お前はどこまでもわしについてくる」と。誰でも子供の頃ふしぎに思ったであろう現象を、酔っ払った李白が素朴に月に問いかけます。
ここでは『把酒問月』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である李白の紹介をしていきます。
『把酒問月』の原文
青天有月来幾時
我今停盃一問之
人攀明月不可得
月行却与人相隋
皎如飛鏡臨丹闕
緑煙滅尽清輝発
但見宵従海上来
寧知暁向雲閒沒
白兔搗薬秋復春
姮娥孤棲与誰隣
今人不見古時月
今月曽経照古人
古人今人若流水
共看明月皆如此
唯願当歌対酒時
月光長照金樽裏
『把酒問月』の書き下し文
青天 月有ってより来(こ)のかた 幾時(いくとき)ぞ
我今盃(さかづき)を停(とど)めて 一たび之(これ)を問う
人の明月を攀(よ)ずるは 得(う)べからず
月行(げっこう)却(かえ)って 人と相(あ)い随(したが)う
皎(きょう)として飛鏡(ひきょう)の 丹闕(たんけつ)に臨(のぞ)むが如く
緑煙(りょくえん)滅(めっ)し尽くして 清輝(せいき)発す
但(た)だ見る 宵(よい)に海上より来たるを
寧(いずく)んぞ知らん 曉(あかつき)に雲間(うんかん)に向かって没するを
白兔(はくと)薬を搗(つ)く 秋復(ま)た春
姮娥(こうが)孤(ひと)り棲(す)んで 誰(たれ)とか隣(とな)りせん
今人(こんじん)は見ず 古時(こじ)の月
今月は曾経(かつ)て 古人(こじん)を照らせり
古人(こじん)今人(こんじん) 流水(りゅうすい)の若(ごと)し
共(とも)に明月を看(み)ること 皆此(かく)の如し
唯(た)だ願わくは 歌に当たり酒に対するの時
月光長(とこし)えに 金樽(きんそん)の裏(うち)を照らさんことを
『把酒問月』の現代語訳
夜の空に浮かぶ月よ、お前はいつ現れたのだ?
酒杯を持つ手を止めて、そのことを月に尋ねよう。
人は月まで辿(たど)りつけないのに、
月はしっかりと人について、どこまでも追いかけてくる。
月は鏡のように白く輝いて、夕焼けという赤い宮殿を照らす。
夜になって青い靄(もや)がすっかり消えると、月は清らかな光を放ち始める。
人はただ夜の月が海の果てから昇り来るのを見るのみで、
夜が明けて雲間に没する月を見る人はいない。
月の中では白兔が薬を搗(つ)いて月日は巡る。
月の女神である嫦娥(じょうが)は独り月に棲(す)み、寄り添う者はいない。
今の人はいにしえの月を見ることはできないが、
この今の月こそ古(いにしえ)に人を照らした月なのだ。
昔の人も今の人も流れる水のように消えていく。
共に見た月もまた同じ。
杯に向かって歌をうたう時、どうか
月の光が永久(とわ)に金の酒杯を照らさんことを。
『把酒問月』の解説
第5句…「丹闕」は「朱色の宮殿」。ここでは夕焼けを指す。「飛鏡」は「空を飛ぶ鏡」。
第6句…「緑煙」は「月光を覆う雲霧」。「滅尽」は「消し去る」。「清輝」は「月光がキラキラと輝くさま」。
第10句…「姮娥」は「弓の名人・羿(げい)の妻」で「嫦娥(じょうが)」とも。彼女は夫が持っていた不老不死の薬をこっそり盗んで飲むと体が軽くなって浮き月まで昇っていってしまうが、月には薬を搗(つ)く兎が住んでいるばかりで知る人もなく、一人寂しく暮らしているという言い伝えがある。
第15句…「当歌対酒」は、曹操の『短歌行』に「対酒当歌、人生幾何」(杯を手に歌を歌う。人生は瞬く間に終わってしまう)というフレーズがある。
李白が子供のように、そして哲学者のように月に問いかけた詩です。ただし手には酒杯があるのですから、一杯飲んで良い気分になったときの戯言(ざれごと)にも思えます。
李白が月に尋ねた内容は、今の私たちが子供の頃抱いた疑問と同じ。
太陽が後ろから追いかけてくる。「あんたはあっちに向かって歩いていって。わたしはこっちに歩いていくから」。太陽はどっちについてくるんだろう?「ぼくについてきたよ」。「わたしにもついてきたよ。」どうしてなんだろう。
こんなたわいもない話が、李白の手にかかると韻を踏んだ美しい七言古詩に変貌するのです。しかも月に住むという嫦娥(じょうが)と兎の伝説も織り込んで。
『把酒問月』の形式・技法
七言古詩。
『把酒問月』が詠まれた時代
唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)
唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。
『把酒問月』が詠まれたのは盛唐の頃です。
把酒問月は酒豪で知られる李白が、飲んだくれてふと目に入った月に「お前はいつこの世に現れたのだ」と問いかける詩です。「わしは月まで行けないのに、お前はどこまでもわしについてくる」と。誰でも子供の頃ふしぎに思ったであろう現象を、酔っ払った李白が素朴に月に問いかけます。
ここでは『把酒問月』の原文・書き下し文・現代語訳・解説・作者である李白の紹介をしていきます。
『把酒問月』の原文
青天有月来幾時
我今停盃一問之
人攀明月不可得
月行却与人相隋
皎如飛鏡臨丹闕
緑煙滅尽清輝発
但見宵従海上来
寧知暁向雲閒沒
白兔搗薬秋復春
姮娥孤棲与誰隣
今人不見古時月
今月曽経照古人
古人今人若流水
共看明月皆如此
唯願当歌対酒時
月光長照金樽裏
『把酒問月』の書き下し文
青天 月有ってより来(こ)のかた 幾時(いくとき)ぞ
我今盃(さかづき)を停(とど)めて 一たび之(これ)を問う
人の明月を攀(よ)ずるは 得(う)べからず
月行(げっこう)却(かえ)って 人と相(あ)い随(したが)う
皎(きょう)として飛鏡(ひきょう)の 丹闕(たんけつ)に臨(のぞ)むが如く
緑煙(りょくえん)滅(めっ)し尽くして 清輝(せいき)発す
但(た)だ見る 宵(よい)に海上より来たるを
寧(いずく)んぞ知らん 曉(あかつき)に雲間(うんかん)に向かって没するを
白兔(はくと)薬を搗(つ)く 秋復(ま)た春
姮娥(こうが)孤(ひと)り棲(す)んで 誰(たれ)とか隣(とな)りせん
今人(こんじん)は見ず 古時(こじ)の月
今月は曾経(かつ)て 古人(こじん)を照らせり
古人(こじん)今人(こんじん) 流水(りゅうすい)の若(ごと)し
共(とも)に明月を看(み)ること 皆此(かく)の如し
唯(た)だ願わくは 歌に当たり酒に対するの時
月光長(とこし)えに 金樽(きんそん)の裏(うち)を照らさんことを
『把酒問月』の現代語訳
夜の空に浮かぶ月よ、お前はいつ現れたのだ?
酒杯を持つ手を止めて、そのことを月に尋ねよう。
人は月まで辿(たど)りつけないのに、
月はしっかりと人について、どこまでも追いかけてくる。
月は鏡のように白く輝いて、夕焼けという赤い宮殿を照らす。
夜になって青い靄(もや)がすっかり消えると、月は清らかな光を放ち始める。
人はただ夜の月が海の果てから昇り来るのを見るのみで、
夜が明けて雲間に没する月を見る人はいない。
月の中では白兔が薬を搗(つ)いて月日は巡る。
月の女神である嫦娥(じょうが)は独り月に棲(す)み、寄り添う者はいない。
今の人はいにしえの月を見ることはできないが、
この今の月こそ古(いにしえ)に人を照らした月なのだ。
昔の人も今の人も流れる水のように消えていく。
共に見た月もまた同じ。
杯に向かって歌をうたう時、どうか
月の光が永久(とわ)に金の酒杯を照らさんことを。
『把酒問月』の解説
第5句…「丹闕」は「朱色の宮殿」。ここでは夕焼けを指す。「飛鏡」は「空を飛ぶ鏡」。
第6句…「緑煙」は「月光を覆う雲霧」。「滅尽」は「消し去る」。「清輝」は「月光がキラキラと輝くさま」。
第10句…「姮娥」は「弓の名人・羿(げい)の妻」で「嫦娥(じょうが)」とも。彼女は夫が持っていた不老不死の薬をこっそり盗んで飲むと体が軽くなって浮き月まで昇っていってしまうが、月には薬を搗(つ)く兎が住んでいるばかりで知る人もなく、一人寂しく暮らしているという言い伝えがある。
第15句…「当歌対酒」は、曹操の『短歌行』に「対酒当歌、人生幾何」(杯を手に歌を歌う。人生は瞬く間に終わってしまう)というフレーズがある。
李白が子供のように、そして哲学者のように月に問いかけた詩です。ただし手には酒杯があるのですから、一杯飲んで良い気分になったときの戯言(ざれごと)にも思えます。
李白が月に尋ねた内容は、今の私たちが子供の頃抱いた疑問と同じ。
太陽が後ろから追いかけてくる。「あんたはあっちに向かって歩いていって。わたしはこっちに歩いていくから」。太陽はどっちについてくるんだろう?「ぼくについてきたよ」。「わたしにもついてきたよ。」どうしてなんだろう。
こんなたわいもない話が、李白の手にかかると韻を踏んだ美しい七言古詩に変貌するのです。しかも月に住むという嫦娥(じょうが)と兎の伝説も織り込んで。
『把酒問月』の形式・技法
七言古詩。
『把酒問月』が詠まれた時代
唐の時代区分(初唐・盛唐・中唐・晩唐)
唐詩が書かれた時代は、しばしば初唐(618~709)・盛唐(710~765)・中唐(766~835)・晩唐(836~907)に分けて説明します。時代の変化を表わすとともに、詩の持ち味の変化も表します。
『把酒問月』が詠まれたのは盛唐の頃です。
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