5月4日,福冈在北九州市的山中,发现了一种奇怪的生物。
一名居住在北九州市的男子偶然发现了一个有两个头的生物,体长约20厘米,已经死亡。
专家表示,它的真实身份可能是毒蛇的母鸡,它可能是在突然变异后生来具有两个头的。
~~~
5月4日、福岡・北九州市の山中で、不思議な生き物が見つかった。
北九州市に住む男性が偶然見つけたのは頭が2つある生物で、体長は約20cm、すでに死んでいたという。
専門家によると、正体は毒蛇のマムシで、突然変異で2つの頭がある状態で生まれてきた可能性があるという。#秋武ノ日本留学##日本[地点]#
一名居住在北九州市的男子偶然发现了一个有两个头的生物,体长约20厘米,已经死亡。
专家表示,它的真实身份可能是毒蛇的母鸡,它可能是在突然变异后生来具有两个头的。
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5月4日、福岡・北九州市の山中で、不思議な生き物が見つかった。
北九州市に住む男性が偶然見つけたのは頭が2つある生物で、体長は約20cm、すでに死んでいたという。
専門家によると、正体は毒蛇のマムシで、突然変異で2つの頭がある状態で生まれてきた可能性があるという。#秋武ノ日本留学##日本[地点]#
目黒さんは、今作がフジテレビドラマ初主演。都内の印刷会社で働く28歳の青年、月岡夏を演じます。
3歳のときに両親は離婚し、母親に引き取られた過去が。その後、母親が再婚したことで、血のつながっていない父親と、3歳下の弟がいます。
夏は、高校を卒業後、都内の大学へ。その大学の新入生歓迎会の場で、水季と出会います。最初は、話す言葉や考え方から「変な子だなぁ」と思っていましたが、そのペースが心地よく、自然と距離が縮まっていったことで水季と付き合うように。
しかし、2年生の冬、水季から一方的に別れを告げられます。その後、大学も辞めてしまった水季と会うこともなく卒業し、そのまま就職。今も大学時代と変わらず同じアパートに住んでいます。
「んー」が口ぐせの夏は、その曖昧な返事に対して「『うん』と『ううん』の間みたいな返事やめれる?」と、冗談でツッコまれることも。
また、めんどくさいことや、頭を使うことなどを避けるようにして生きてきた部分があり、特に大きな挫折を経験したこともありません。
そんな夏が、別れて以来、7年もの間会うことがなかった水季の死をきっかけに、自分と血のつながった娘の存在を知ることになり…。
■目黒蓮コメント
――今作の主演のオファーを受けての印象を
とてもうれしかったです。20歳の時デビューもしていない、この仕事を続けるかどうか迷っていた時期に、叶(かな)うわけがないけど憧れのことを書く夢ノートに、自分自身を奮い立たせるために半ば無理やり月9の主演をしたいと書いた日を思い出しました。本当に夢のような気持ちです。
――今作で月9初出演、初主演となるが月9への印象や、出演にあたっての特別感などは事務所の先輩方もそうですが、これまでたくさんの役者のみなさんが作り上げてきた月9は、やはり特別なものを感じます。遠い場所から見ていたときはとにかく特別で、ただただすごい場所という見方をしていましたが、いざ自分が出演するとなるとオファーは自分のチャンスではなく、ドラマを作る全てのみなさんの思いや挑みの一部に選ばれたということなので、その思いを正解にしたい気持ちと、とにかく自分らしく、見てくださるみなさんの心を動かせるお芝居を全うしたいという気持ちです。
――台本を読んでの感想や、夏役の印象、演じる上での意気込みを
やはり制作チームが僕のことを熟知していただいているということもあって、僕自身、自然と共感できる役柄だなと感じました。脚本を作る段階からたくさん話し合いもしました。ただ、やはり自分とは違う感性や言動ももちろんあるのでどれだけ、夏という1人の人間を新しく生み出せるか、楽しみですし、早く夏が来てほしいです。
――視聴者へのメッセージを
自分らしく大切に、作品そしてみなさんの今年の夏の楽しみ、ひとつの思い出になるような世界を作れるように一生懸命取り組みたいと思います。みなさんの心に何かしらの形で残るものにします。たくさんの方に愛される作品になればいいなと思います。僕もこれから楽しみながら撮影に挑みたいと思うのでみなさんも楽しみにお待ちいただけたらと思います。
目黒の活躍は音楽活動だけでなく、『教場II』で髪を短く切り、鋭い観察眼を持った生徒役という難しい役どころを演じきったことも話題になった。特に『silent』は、その繊細で丁寧な演技力が話題を呼び、『東京ドラマアウォード2023』で助演男優賞を受賞したほか、『第31回 橋田賞』や2024年の『エランドール賞』で新人賞を獲得するなど、俳優としての評価を高める大きなきっかけとなる作品でもあった。
ーー村瀬健(プロデュース )コメント
満を持して、目黒蓮さんを主演にお迎えいたします。目黒さんとは、『silent』でご一緒して以降、2人でたくさんの話をしてきました。
目黒さんの芝居に対する真剣な思い、作品に対する誠実な思いを改めて感じ、見てくださる方の心に響くものにしたいという同じ思いを持っていることも改めて強く感じました。それで今回、この企画をご一緒いただくことにしました。
3歳のときに両親は離婚し、母親に引き取られた過去が。その後、母親が再婚したことで、血のつながっていない父親と、3歳下の弟がいます。
夏は、高校を卒業後、都内の大学へ。その大学の新入生歓迎会の場で、水季と出会います。最初は、話す言葉や考え方から「変な子だなぁ」と思っていましたが、そのペースが心地よく、自然と距離が縮まっていったことで水季と付き合うように。
しかし、2年生の冬、水季から一方的に別れを告げられます。その後、大学も辞めてしまった水季と会うこともなく卒業し、そのまま就職。今も大学時代と変わらず同じアパートに住んでいます。
「んー」が口ぐせの夏は、その曖昧な返事に対して「『うん』と『ううん』の間みたいな返事やめれる?」と、冗談でツッコまれることも。
また、めんどくさいことや、頭を使うことなどを避けるようにして生きてきた部分があり、特に大きな挫折を経験したこともありません。
そんな夏が、別れて以来、7年もの間会うことがなかった水季の死をきっかけに、自分と血のつながった娘の存在を知ることになり…。
■目黒蓮コメント
――今作の主演のオファーを受けての印象を
とてもうれしかったです。20歳の時デビューもしていない、この仕事を続けるかどうか迷っていた時期に、叶(かな)うわけがないけど憧れのことを書く夢ノートに、自分自身を奮い立たせるために半ば無理やり月9の主演をしたいと書いた日を思い出しました。本当に夢のような気持ちです。
――今作で月9初出演、初主演となるが月9への印象や、出演にあたっての特別感などは事務所の先輩方もそうですが、これまでたくさんの役者のみなさんが作り上げてきた月9は、やはり特別なものを感じます。遠い場所から見ていたときはとにかく特別で、ただただすごい場所という見方をしていましたが、いざ自分が出演するとなるとオファーは自分のチャンスではなく、ドラマを作る全てのみなさんの思いや挑みの一部に選ばれたということなので、その思いを正解にしたい気持ちと、とにかく自分らしく、見てくださるみなさんの心を動かせるお芝居を全うしたいという気持ちです。
――台本を読んでの感想や、夏役の印象、演じる上での意気込みを
やはり制作チームが僕のことを熟知していただいているということもあって、僕自身、自然と共感できる役柄だなと感じました。脚本を作る段階からたくさん話し合いもしました。ただ、やはり自分とは違う感性や言動ももちろんあるのでどれだけ、夏という1人の人間を新しく生み出せるか、楽しみですし、早く夏が来てほしいです。
――視聴者へのメッセージを
自分らしく大切に、作品そしてみなさんの今年の夏の楽しみ、ひとつの思い出になるような世界を作れるように一生懸命取り組みたいと思います。みなさんの心に何かしらの形で残るものにします。たくさんの方に愛される作品になればいいなと思います。僕もこれから楽しみながら撮影に挑みたいと思うのでみなさんも楽しみにお待ちいただけたらと思います。
目黒の活躍は音楽活動だけでなく、『教場II』で髪を短く切り、鋭い観察眼を持った生徒役という難しい役どころを演じきったことも話題になった。特に『silent』は、その繊細で丁寧な演技力が話題を呼び、『東京ドラマアウォード2023』で助演男優賞を受賞したほか、『第31回 橋田賞』や2024年の『エランドール賞』で新人賞を獲得するなど、俳優としての評価を高める大きなきっかけとなる作品でもあった。
ーー村瀬健(プロデュース )コメント
満を持して、目黒蓮さんを主演にお迎えいたします。目黒さんとは、『silent』でご一緒して以降、2人でたくさんの話をしてきました。
目黒さんの芝居に対する真剣な思い、作品に対する誠実な思いを改めて感じ、見てくださる方の心に響くものにしたいという同じ思いを持っていることも改めて強く感じました。それで今回、この企画をご一緒いただくことにしました。
国富論
正式名は『諸国民の富の性質と原因に関する研究』(英: An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)。
全5篇で構成されている本書は、近現代における経済学の出発点と位置づけられているだけでなく、社会思想史上の古典とも位置づけられている。「見えざる手」への言及とともに、あらゆる規制を排した自由放任主義を推進した文献と受け止められることもあるが、20世紀以降の研究ではそのような短絡的な見方は斥けられており、スミスのもう一つの著書『道徳感情論』も考慮に入れる形で、より広い視野から研究されている。
背景
アダム・スミスは1751年からグラスゴー大学教授として、当初論理学、次いで道徳哲学を講じていた。グラスゴー大学の講義中に、ピン製造を使った分業論をはじめ、『国富論』に含まれることになる理論のかなりの部分が見られる。
スミスが1759年に刊行した『道徳感情論』は大きな反響を呼んだ。それがきっかけとなって、チャールズ・タウンゼンドの依頼に応じて大学教授を辞し、バクルー公の大陸へのグランドツアーに、家庭教師として同行することになった。この旅行の中では、親友デイヴィッド・ヒュームの仲介もあり、フランソワ・ケネー、ジャック・チュルゴー、ヴォルテールらとも親交を持った。この旅行でスミスは、『国富論』執筆のための刺激と、執筆に専念できるだけの十分な年金とを得た。帰国後のスミスは、ベンジャミン・フランクリンとも出会う機会があり、アメリカ植民地に関するスミスの認識には、フランクリンからの影響が見られる。
スミスは『道徳感情論』の中で、さらに法と統治に関する一般理論の刊行を予告していたが、その全体像が実現することはなかった。死を迎えた1790年の『道徳感情論』第6版では、1776年に刊行した『国富論』がその構想の一部であったことを、序論に付け加えた。
内容
『国富論』の「序論および本論の構想」においては、富を生活の必需品と便益品すべてと位置づけ、年々の労働によって生み出されるものとした。この定義は、貴金属などを富と見なした重商主義の定義などを批判あるいは否定したものとされる。
『国富論』は全5篇において理論、歴史、政策を包括的に扱っているとされ、例えば第1、2篇が理論、第3篇が経済史、第4篇が経済思想史・経済学史あるいは経済政策論、第5篇が財政学などと分類される。その叙述は十分に整理されているとは言い難いが、後の古典派経済学の要素のほとんど、あるいは後の経済学に登場する着想のほとんどが含まれているとさえ言われる。
『国富論』はジョン・ロック、フランソワ・ケネー、ジャック・チュルゴーをはじめとする数多くの先達の思想を踏まえたものであり、そのすべてが独創的というわけではないが、鋭い洞察と広い視野に裏付けられた網羅性という点で抜きんでている。
構成
以下の全5篇から成る。
序論(introduction)および本書の構想(plan)。
第1篇 - 労働(labor)の生産力(productive powers)における改善(improvement)の原因(causes)と、その生産物(produce)が国民(people)のさまざまな階級(ranks)のあいだに自然(naturally)に分配(distribute)される秩序(order)について。- 全11章。
第1章 - 分業(division of labor)について。
第2章 - 分業(division of labor)をひきおこす原理(principle)について。
第3章 - 分業(division of labor)は市場(market)の大きさ(extent)によって制限(limit)される。
第4章 - 貨幣(money)の起源(origin)と使用(use)について。
第5章 - 商品(commodities)の真の価格(real price)と名目上の価格(nominal price)について、すなわちその労働価格(price in labor)と貨幣価格(price in money)について。
第6章 - 商品(commodities)の価格(price)の構成部分(component parts)について。
第7章 - 商品(commodities)の自然価格(natural price)と市場価格(market price)について。
第8章 - 労働(labor)の賃金(wages)について。
第9章 - 資本(stock)の利潤(profits)について。
第10章 - 労働(labor)と資本(stock)の種々な用途(employments)における賃金(wages)と利潤(profits)について。
第11章 - 土地(land)の地代(rent)について。
第2篇 - 資本(stock)の性質(nature)・蓄積(accumulation)・用途(employment)について。- 全5章。
序論
第1章 - 資本(stock)の分類(division)について。
第2章 - 社会(society)の総資材(general stock)の一特定部門(particular branch)とみなされる貨幣(money)について、すなわち国民資本(national capital)の維持費について。
第3章 - 資本(stock)の蓄積(accumulation)について、すなわち生産的労働(productive labor)と非生産的労働(unproductive labor)について。
第4章 - 利子(interest)を取って貸し付けられる資本(stock)について。
第5章 - 資本(capitals)のさまざまな用途(employments)について。
第3篇 - 国(nation)ごとに富裕(opulence)への進路(progress)が異なることについて。- 全4章。
第1章 - 富裕(opulence)になる自然(natural)な進路(progress)について。
第2章 - ローマ帝国(Roman Empire)没落後のヨーロッパ(Europe)の旧状(ancient state)における農業(agriculture)の阻害(discouragement)について。
第3章 - ローマ帝国(Roman Empire)没落後における都市(cities and towns)の発生(rise)と発達(progress)について。
第4章 - 都市(towns)の商業(commerce)がいかにして農村(country)の改良(improvement)に貢献(contribute)したか。
第4篇 - 経済学(political economy)の諸体系(systems)について。- 全9章。
序論
第1章 - 商業主義(commercial)または重商主義(mercantile system)の原理(principle)について。
第2章 - 国内(home)でも生産(produce)できる財貨(goods)の外国(foreign countries)からの輸入(importation)に対する制限(restraints)について。
第3章 - 貿易差額(balance)が自国に不利(disadvantageous)と思われる諸国からのほとんどあらゆる種類の財貨(goods)の輸入(importation)に対する特別の制限(extraordinary restraints)について。
第4章 - 戻税(drawbacks)について。
第5章 - 奨励金(bounties)について。
第6章 - 通商条約(treaties of commerce)について。
第7章 - 植民地(colonies)について。
第8章 - 重商主義(mercantile system)の結論(conclusion)。
第9章 - 重農主義(agricultural systems)について、すなわち土地(land)の生産物(produce)がすべての国(country)の収入(revenue)と富(wealth)の唯一または主な源泉(source)だと説く経済学(political economy)上の主義について。
第5篇 - 主権者(sovereign)または国家(commonwealth)の収入(revenue)について。- 全3章。
第1章 - 主権者(sovereign)または国家(commonwealth)の経費(expences)について。
第2章 - 社会(society)の一般収入(general revenue)あるいは公共収入(public revenue)の財源(sources)について。
第3章 - 公債(public debts)について。
第1篇
第1篇は、分業による労働生産性の上昇と、その配分の問題が論じられる。
スミスの分業論は、ピン製造の題材から始まる。この例は、スミスが故郷カーコーディで幼い時に見た経験が生かされていると言われる。従来、その着想は『百科全書』のピンの項目から得たと言われており、直接的体験をそこに加える見解は1970年代以降に現れたものだったが、21世紀に入ってから、『百科全書』以外のフランス語文献の利用を指摘する研究も現れている。
『国富論』の出現は産業革命初期に当たっており、アダム・スミスは機械制大量生産の本格化を見ていなかったという時代的制約がある。ゆえに、もう少し時代がずれていたら、ピン製造を踏まえた立論は違ったものになっていたのではないかとも言われている。しかし、スミスの重要な貢献は、新時代の予言よりも、それまでの考えの古さを打破したことや、人間社会における関係性を、労働を介して把握した点などに求められる。
分業のシステムを理論的に定式化する際に用いられたのが、交換性向や説得性向といった人間の本性に含まれる特質である。すなわち、分業しても生活が成り立つためには、交換する市場が先んじて成立している必要があり、交換性向はそれを裏支えする人間の性向といえる。そして、その交換性向よりも本源的に存在するのが説得性向であり、他人と言葉を交わし同感を得ようとする本性が、他者を説得して交換を成立させることに結び付くと考えたのである。そして、その交換性向は、他者への慈愛ではなく、自己の生存を確立するために自分自身の利益に持つ関心、すなわち自愛心に由来するとした。
スミスは工場内分業の進展を、社会内の分業、すなわち職業の分化にも拡大する。彼の立論においては工場内分業と社会内分業の違いが明確に区別されていない憾みはあるものの、ともあれ分業の進展が生産力の上昇、ひいては商業社会の発展につながることが説かれる。
スミスが想定する商業社会は、地主、資本家、労働者による階級社会が想定されており、商業社会においては賃金、地代、利潤の自然な水準に規定された「自然価格」が存在し、公正さを含む参加者の同感に市場が支えられていれば、需要と供給によって決定される市場価格は、長期的には自然価格に一致するように動くとされる。この議論の基盤をなしたのは、まだ十分に練られた形ではなかったが、労働価値説であった。スミスは投下労働価値説と支配労働価値説とを用いたが、この問題を十分に突き詰めたとは言い難い。
第2篇
第2篇で論じられるのは資本蓄積の問題である。分業が発展するためには、それに先立って剰余生産物が蓄積されている必要がある。というのは、分業を始めるには、それを支える機械や設備を整える必要があるし、分業による生産物が実際に交換されるまでの生活も支えなければならないからである。
スミスはこの問題を扱うのに際し、労働を生産的労働と不生産的労働に分けた。前者は農業や工業を指すのに対し、後者はサービス業を指す。これらを分ける基準はスミスが富と定義した生活の必需品・便益品を生産するかどうかであって、不生産的労働が持つ社会での有用性を否定するものではない。
スミスは生産的労働から資本が蓄積されると捉えた。スミスは生産的労働の生産物のうち、生産に用いられた分の資本が回収され、残った部分が剰余となる。剰余は税及び消費(不生産的労働の雇用を含む)に充てられ、残りの部分が貯蓄となり、この貯蓄がすなわち資本の蓄積に回される。
言い換えると、剰余の中から税と消費に回る分を抑えれば抑えるほど、資本の蓄積量は増大することになる。そしてスミスは、人には支出性向と倹約性向があり、長期的には後者の方が上回ると見なした。しかし、倹約性向はあくまでも自身の財産にしか及ばず、公共財産の管理にはこうした性向が働かないと考え、資本蓄積を妨げる要素としては個人の浪費よりも政府の浪費の方が深刻であるとした。こうした考えは、浪費を肯定的に捉えた重商主義とは、対立的なものである。
正式名は『諸国民の富の性質と原因に関する研究』(英: An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nations)。
全5篇で構成されている本書は、近現代における経済学の出発点と位置づけられているだけでなく、社会思想史上の古典とも位置づけられている。「見えざる手」への言及とともに、あらゆる規制を排した自由放任主義を推進した文献と受け止められることもあるが、20世紀以降の研究ではそのような短絡的な見方は斥けられており、スミスのもう一つの著書『道徳感情論』も考慮に入れる形で、より広い視野から研究されている。
背景
アダム・スミスは1751年からグラスゴー大学教授として、当初論理学、次いで道徳哲学を講じていた。グラスゴー大学の講義中に、ピン製造を使った分業論をはじめ、『国富論』に含まれることになる理論のかなりの部分が見られる。
スミスが1759年に刊行した『道徳感情論』は大きな反響を呼んだ。それがきっかけとなって、チャールズ・タウンゼンドの依頼に応じて大学教授を辞し、バクルー公の大陸へのグランドツアーに、家庭教師として同行することになった。この旅行の中では、親友デイヴィッド・ヒュームの仲介もあり、フランソワ・ケネー、ジャック・チュルゴー、ヴォルテールらとも親交を持った。この旅行でスミスは、『国富論』執筆のための刺激と、執筆に専念できるだけの十分な年金とを得た。帰国後のスミスは、ベンジャミン・フランクリンとも出会う機会があり、アメリカ植民地に関するスミスの認識には、フランクリンからの影響が見られる。
スミスは『道徳感情論』の中で、さらに法と統治に関する一般理論の刊行を予告していたが、その全体像が実現することはなかった。死を迎えた1790年の『道徳感情論』第6版では、1776年に刊行した『国富論』がその構想の一部であったことを、序論に付け加えた。
内容
『国富論』の「序論および本論の構想」においては、富を生活の必需品と便益品すべてと位置づけ、年々の労働によって生み出されるものとした。この定義は、貴金属などを富と見なした重商主義の定義などを批判あるいは否定したものとされる。
『国富論』は全5篇において理論、歴史、政策を包括的に扱っているとされ、例えば第1、2篇が理論、第3篇が経済史、第4篇が経済思想史・経済学史あるいは経済政策論、第5篇が財政学などと分類される。その叙述は十分に整理されているとは言い難いが、後の古典派経済学の要素のほとんど、あるいは後の経済学に登場する着想のほとんどが含まれているとさえ言われる。
『国富論』はジョン・ロック、フランソワ・ケネー、ジャック・チュルゴーをはじめとする数多くの先達の思想を踏まえたものであり、そのすべてが独創的というわけではないが、鋭い洞察と広い視野に裏付けられた網羅性という点で抜きんでている。
構成
以下の全5篇から成る。
序論(introduction)および本書の構想(plan)。
第1篇 - 労働(labor)の生産力(productive powers)における改善(improvement)の原因(causes)と、その生産物(produce)が国民(people)のさまざまな階級(ranks)のあいだに自然(naturally)に分配(distribute)される秩序(order)について。- 全11章。
第1章 - 分業(division of labor)について。
第2章 - 分業(division of labor)をひきおこす原理(principle)について。
第3章 - 分業(division of labor)は市場(market)の大きさ(extent)によって制限(limit)される。
第4章 - 貨幣(money)の起源(origin)と使用(use)について。
第5章 - 商品(commodities)の真の価格(real price)と名目上の価格(nominal price)について、すなわちその労働価格(price in labor)と貨幣価格(price in money)について。
第6章 - 商品(commodities)の価格(price)の構成部分(component parts)について。
第7章 - 商品(commodities)の自然価格(natural price)と市場価格(market price)について。
第8章 - 労働(labor)の賃金(wages)について。
第9章 - 資本(stock)の利潤(profits)について。
第10章 - 労働(labor)と資本(stock)の種々な用途(employments)における賃金(wages)と利潤(profits)について。
第11章 - 土地(land)の地代(rent)について。
第2篇 - 資本(stock)の性質(nature)・蓄積(accumulation)・用途(employment)について。- 全5章。
序論
第1章 - 資本(stock)の分類(division)について。
第2章 - 社会(society)の総資材(general stock)の一特定部門(particular branch)とみなされる貨幣(money)について、すなわち国民資本(national capital)の維持費について。
第3章 - 資本(stock)の蓄積(accumulation)について、すなわち生産的労働(productive labor)と非生産的労働(unproductive labor)について。
第4章 - 利子(interest)を取って貸し付けられる資本(stock)について。
第5章 - 資本(capitals)のさまざまな用途(employments)について。
第3篇 - 国(nation)ごとに富裕(opulence)への進路(progress)が異なることについて。- 全4章。
第1章 - 富裕(opulence)になる自然(natural)な進路(progress)について。
第2章 - ローマ帝国(Roman Empire)没落後のヨーロッパ(Europe)の旧状(ancient state)における農業(agriculture)の阻害(discouragement)について。
第3章 - ローマ帝国(Roman Empire)没落後における都市(cities and towns)の発生(rise)と発達(progress)について。
第4章 - 都市(towns)の商業(commerce)がいかにして農村(country)の改良(improvement)に貢献(contribute)したか。
第4篇 - 経済学(political economy)の諸体系(systems)について。- 全9章。
序論
第1章 - 商業主義(commercial)または重商主義(mercantile system)の原理(principle)について。
第2章 - 国内(home)でも生産(produce)できる財貨(goods)の外国(foreign countries)からの輸入(importation)に対する制限(restraints)について。
第3章 - 貿易差額(balance)が自国に不利(disadvantageous)と思われる諸国からのほとんどあらゆる種類の財貨(goods)の輸入(importation)に対する特別の制限(extraordinary restraints)について。
第4章 - 戻税(drawbacks)について。
第5章 - 奨励金(bounties)について。
第6章 - 通商条約(treaties of commerce)について。
第7章 - 植民地(colonies)について。
第8章 - 重商主義(mercantile system)の結論(conclusion)。
第9章 - 重農主義(agricultural systems)について、すなわち土地(land)の生産物(produce)がすべての国(country)の収入(revenue)と富(wealth)の唯一または主な源泉(source)だと説く経済学(political economy)上の主義について。
第5篇 - 主権者(sovereign)または国家(commonwealth)の収入(revenue)について。- 全3章。
第1章 - 主権者(sovereign)または国家(commonwealth)の経費(expences)について。
第2章 - 社会(society)の一般収入(general revenue)あるいは公共収入(public revenue)の財源(sources)について。
第3章 - 公債(public debts)について。
第1篇
第1篇は、分業による労働生産性の上昇と、その配分の問題が論じられる。
スミスの分業論は、ピン製造の題材から始まる。この例は、スミスが故郷カーコーディで幼い時に見た経験が生かされていると言われる。従来、その着想は『百科全書』のピンの項目から得たと言われており、直接的体験をそこに加える見解は1970年代以降に現れたものだったが、21世紀に入ってから、『百科全書』以外のフランス語文献の利用を指摘する研究も現れている。
『国富論』の出現は産業革命初期に当たっており、アダム・スミスは機械制大量生産の本格化を見ていなかったという時代的制約がある。ゆえに、もう少し時代がずれていたら、ピン製造を踏まえた立論は違ったものになっていたのではないかとも言われている。しかし、スミスの重要な貢献は、新時代の予言よりも、それまでの考えの古さを打破したことや、人間社会における関係性を、労働を介して把握した点などに求められる。
分業のシステムを理論的に定式化する際に用いられたのが、交換性向や説得性向といった人間の本性に含まれる特質である。すなわち、分業しても生活が成り立つためには、交換する市場が先んじて成立している必要があり、交換性向はそれを裏支えする人間の性向といえる。そして、その交換性向よりも本源的に存在するのが説得性向であり、他人と言葉を交わし同感を得ようとする本性が、他者を説得して交換を成立させることに結び付くと考えたのである。そして、その交換性向は、他者への慈愛ではなく、自己の生存を確立するために自分自身の利益に持つ関心、すなわち自愛心に由来するとした。
スミスは工場内分業の進展を、社会内の分業、すなわち職業の分化にも拡大する。彼の立論においては工場内分業と社会内分業の違いが明確に区別されていない憾みはあるものの、ともあれ分業の進展が生産力の上昇、ひいては商業社会の発展につながることが説かれる。
スミスが想定する商業社会は、地主、資本家、労働者による階級社会が想定されており、商業社会においては賃金、地代、利潤の自然な水準に規定された「自然価格」が存在し、公正さを含む参加者の同感に市場が支えられていれば、需要と供給によって決定される市場価格は、長期的には自然価格に一致するように動くとされる。この議論の基盤をなしたのは、まだ十分に練られた形ではなかったが、労働価値説であった。スミスは投下労働価値説と支配労働価値説とを用いたが、この問題を十分に突き詰めたとは言い難い。
第2篇
第2篇で論じられるのは資本蓄積の問題である。分業が発展するためには、それに先立って剰余生産物が蓄積されている必要がある。というのは、分業を始めるには、それを支える機械や設備を整える必要があるし、分業による生産物が実際に交換されるまでの生活も支えなければならないからである。
スミスはこの問題を扱うのに際し、労働を生産的労働と不生産的労働に分けた。前者は農業や工業を指すのに対し、後者はサービス業を指す。これらを分ける基準はスミスが富と定義した生活の必需品・便益品を生産するかどうかであって、不生産的労働が持つ社会での有用性を否定するものではない。
スミスは生産的労働から資本が蓄積されると捉えた。スミスは生産的労働の生産物のうち、生産に用いられた分の資本が回収され、残った部分が剰余となる。剰余は税及び消費(不生産的労働の雇用を含む)に充てられ、残りの部分が貯蓄となり、この貯蓄がすなわち資本の蓄積に回される。
言い換えると、剰余の中から税と消費に回る分を抑えれば抑えるほど、資本の蓄積量は増大することになる。そしてスミスは、人には支出性向と倹約性向があり、長期的には後者の方が上回ると見なした。しかし、倹約性向はあくまでも自身の財産にしか及ばず、公共財産の管理にはこうした性向が働かないと考え、資本蓄積を妨げる要素としては個人の浪費よりも政府の浪費の方が深刻であるとした。こうした考えは、浪費を肯定的に捉えた重商主義とは、対立的なものである。
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