新しい本は船のようなもので、私たちを乗せて生活の海に向かいます;美文は明かりのようで、私たちの進む方向を照らす。本の香りと縁を結んで、文苑を歩いて、私たちは一緒に幸せな日光の夢を追求しましょう。本は流れる血液であり、本は霊魂の生命であり、本は無限の源泉である。本の中を歩くと、私が感じたのは知恵であり、幸せであり、解放であり、暖かい静けさであり、激しいダンスである……本は奇跡で、そこには作者の魂が隠されている。本を開いてこの魂を解き放つと、それは神秘的にあなたと話します。
中国古代の女性作家~李清照①
李清照(1084年~1155年)は中国で、最も偉大な女性文学者の一人です。李清照は北宋末期から南宋初期に生きていました。その時、一番隆盛したのは、宋詞です。「詞」は字数、句数、押韻の決まったパターンに字を当て嵌めて作る韻文です。曲にあわせて書かれます。当時では全部歌になって歌うことができました。なので、歌謡文芸の一つとも呼ばれます。
李清照は現在の山東省済南市の所轄、章丘市に生まれました。その父親も文学者として有名です。家にはたくさんの書籍を収蔵しています。そんな家で豊かで天真爛漫な幼少時代を送りました。18歳の時、結婚しました。夫は当時太学の学生だった趙明誠です。太学とは当時の中国の一番レベルの高い教育機関です。日本で言えば東京大学、今の中国で言えば、北京大学か清華大学に当たると思います。趙明誠は当時学生でありながら、鐘や鼎、石碑などに刻されている古代の文字を研究する金石学者として、すでに名が知られていました。二人は書画の収集・整理など学術研究の分野で同じような趣味を持っています。それが、夫婦円満の秘訣となり、幸せな結婚生活を送っていました。後に清照は夫の著作『金石録』の編纂を手伝う事になりました。しかし、結婚1年後、政争のために、夫とやむを得ず別居するようになり、二、三年の間分かれて過ごしました。
これにはとても難しい歴史背景がありますが、要するに、清照の父親と夫趙明誠の父親はそれぞれ違う政治陣営に所属しています。皇帝が改革を行うことが引き金となって、政治陣営の争いが激しくなりました。その中で、まず清照の父親が失脚しました。趙明誠の父親のほうは、皇帝に重用され、やがて宰相になりました。しかし、政局の変化は激しいのです。今度は趙の父親がいた陣営、新党内部で利権をめぐる争いが熾烈になり、趙の父親は辞任せざるを得ませんでした。数日後、、趙明誠の父親は亡くなりました。一家は首都を離れ、実家山東省青州に帰りました。趙明誠と清照はやっと静かに暮らせるようになり、10年ほど山東省青州で過ごしていました。10後には、趙明誠は再び朝廷に起用されるようになり、清照と別れて、単身赴任しました。
人生の時期によって、清照の作風は大きく異なります。前期の作品は、自然の謳歌や少女時代の恥じらい、新婚の幸せ、別居の時の不安や哀愁などをテーマに描いていました。前期の作品から、私が大好きなものを一首ご紹介します。
如夢令 (和訓)
昨夜雨疏風驟 昨夜雨疏に風驟なりしが
濃睡不消殘酒 濃き睡りも 残酒を消さず
試問捲簾人 試に簾巻く人に問ふに
却道海棠依舊 却りて「海棠は旧に依る」と道ふ
知否 知るや 知らざるや
知否 まことに知らざるや
應是綠肥紅痩 応に是れ 緑の肥えて 紅痩せしならむを
のんびりしていて優雅な貴族女性の生活を描く詞です。朝、目が覚めて、夕べ酔いながら見た夢の中の風や雨を思い出しました。庭に植えた海棠の花はどうなったの?すだれを巻く下女との問答を通じて、海棠の花は雨にさらされた後、花がまばらになり、葉っぱが一層茂った景色を描き出しています。これと同時に、春に咲く花を惜しむ女性作家の気持ちも表しています。花が散ることによって、青春があっというに去ってしまうという淡い哀愁も表しました。これこそ、女性特有の繊細な視点でしょうね。
もう一首ご紹介します。
《点絳唇》
蹴罢秋千,
起来慵整纤纤手。
露浓花瘦,
薄汗轻衣透。
见有人来,
袜刬金钗溜。
和羞走,
倚门回首,
却把青梅嗅。
この詞はぶらんこに乗って、遊んでいた女の子が、すこし汗を掻いた衣を整えていました。この時、見知らぬ男が歩いてきました。中国では昔、結婚適齢の未婚女性は原則的に家族以外の男性とあってはいけませんでした。少女は恥ずかしくて、靴をはく暇もなく、靴下のまま逃げようとしました。そして、髪の毛に飾った金のアクセサリーを落としたことにも気づきませんでした。でも、好奇心から男の人を見たくて、門の闇に隠れた後、そっと振り返えりました。人にばれたら恥ずかしいと思って、青梅を手に持ってその香を嗅ぐ様子を見せました。少女のしぐさをくっきりと描写し、自由と恋に対する憧れを表しています。とても素敵ですよね。
宋詞は風格によって、婉約派や豪放派などいくつかの流派がありますが、李清照は婉曲な感情表現の婉約派の代表的な作家でした。中国現代を代表する文学者鄭振鐸は「李清照は宋の時代で最も偉大な女流詩人であるばかりでなく、中国文学史上最も偉大な女性詩人である」と評価しました。特に、中国古代に女性作家が少ないという環境の中で、非常に貴重な存在です。
しかし、とても残念なことですが、李清照は動乱の真っ只中に生きていたこともあって、作品の大部分は散逸してしまいました。現在、およそ50首ぐらいしか残されていません。李清照の作品には詞はもちろん、詩や文章もあります。李清照は若い時、ツーについての論評『詞論』を書いたこともあります。詞は「詩」とは違う別のジャンルのものだと主張し、当時の文才、晏殊や歐陽修、蘇軾の詞は「上手く書けなかった詩」だと酷評しました。自分の才能にかなり誇りを持っていたのですね。
李清照の人生は一生、波乱万丈でした。1127年、清照が44歳のとき、中国では「靖康の乱」が起き、北宋の北部にある少数民族の国、金の軍隊が宋の首都を攻め落としました。44歳の時以降、人生に清照の人生においても、様々なことが起こり、作風に大きな変化が起こりました。その作品などについては、後半で紹介します。
李清照(1084年~1155年)は中国で、最も偉大な女性文学者の一人です。李清照は北宋末期から南宋初期に生きていました。その時、一番隆盛したのは、宋詞です。「詞」は字数、句数、押韻の決まったパターンに字を当て嵌めて作る韻文です。曲にあわせて書かれます。当時では全部歌になって歌うことができました。なので、歌謡文芸の一つとも呼ばれます。
李清照は現在の山東省済南市の所轄、章丘市に生まれました。その父親も文学者として有名です。家にはたくさんの書籍を収蔵しています。そんな家で豊かで天真爛漫な幼少時代を送りました。18歳の時、結婚しました。夫は当時太学の学生だった趙明誠です。太学とは当時の中国の一番レベルの高い教育機関です。日本で言えば東京大学、今の中国で言えば、北京大学か清華大学に当たると思います。趙明誠は当時学生でありながら、鐘や鼎、石碑などに刻されている古代の文字を研究する金石学者として、すでに名が知られていました。二人は書画の収集・整理など学術研究の分野で同じような趣味を持っています。それが、夫婦円満の秘訣となり、幸せな結婚生活を送っていました。後に清照は夫の著作『金石録』の編纂を手伝う事になりました。しかし、結婚1年後、政争のために、夫とやむを得ず別居するようになり、二、三年の間分かれて過ごしました。
これにはとても難しい歴史背景がありますが、要するに、清照の父親と夫趙明誠の父親はそれぞれ違う政治陣営に所属しています。皇帝が改革を行うことが引き金となって、政治陣営の争いが激しくなりました。その中で、まず清照の父親が失脚しました。趙明誠の父親のほうは、皇帝に重用され、やがて宰相になりました。しかし、政局の変化は激しいのです。今度は趙の父親がいた陣営、新党内部で利権をめぐる争いが熾烈になり、趙の父親は辞任せざるを得ませんでした。数日後、、趙明誠の父親は亡くなりました。一家は首都を離れ、実家山東省青州に帰りました。趙明誠と清照はやっと静かに暮らせるようになり、10年ほど山東省青州で過ごしていました。10後には、趙明誠は再び朝廷に起用されるようになり、清照と別れて、単身赴任しました。
人生の時期によって、清照の作風は大きく異なります。前期の作品は、自然の謳歌や少女時代の恥じらい、新婚の幸せ、別居の時の不安や哀愁などをテーマに描いていました。前期の作品から、私が大好きなものを一首ご紹介します。
如夢令 (和訓)
昨夜雨疏風驟 昨夜雨疏に風驟なりしが
濃睡不消殘酒 濃き睡りも 残酒を消さず
試問捲簾人 試に簾巻く人に問ふに
却道海棠依舊 却りて「海棠は旧に依る」と道ふ
知否 知るや 知らざるや
知否 まことに知らざるや
應是綠肥紅痩 応に是れ 緑の肥えて 紅痩せしならむを
のんびりしていて優雅な貴族女性の生活を描く詞です。朝、目が覚めて、夕べ酔いながら見た夢の中の風や雨を思い出しました。庭に植えた海棠の花はどうなったの?すだれを巻く下女との問答を通じて、海棠の花は雨にさらされた後、花がまばらになり、葉っぱが一層茂った景色を描き出しています。これと同時に、春に咲く花を惜しむ女性作家の気持ちも表しています。花が散ることによって、青春があっというに去ってしまうという淡い哀愁も表しました。これこそ、女性特有の繊細な視点でしょうね。
もう一首ご紹介します。
《点絳唇》
蹴罢秋千,
起来慵整纤纤手。
露浓花瘦,
薄汗轻衣透。
见有人来,
袜刬金钗溜。
和羞走,
倚门回首,
却把青梅嗅。
この詞はぶらんこに乗って、遊んでいた女の子が、すこし汗を掻いた衣を整えていました。この時、見知らぬ男が歩いてきました。中国では昔、結婚適齢の未婚女性は原則的に家族以外の男性とあってはいけませんでした。少女は恥ずかしくて、靴をはく暇もなく、靴下のまま逃げようとしました。そして、髪の毛に飾った金のアクセサリーを落としたことにも気づきませんでした。でも、好奇心から男の人を見たくて、門の闇に隠れた後、そっと振り返えりました。人にばれたら恥ずかしいと思って、青梅を手に持ってその香を嗅ぐ様子を見せました。少女のしぐさをくっきりと描写し、自由と恋に対する憧れを表しています。とても素敵ですよね。
宋詞は風格によって、婉約派や豪放派などいくつかの流派がありますが、李清照は婉曲な感情表現の婉約派の代表的な作家でした。中国現代を代表する文学者鄭振鐸は「李清照は宋の時代で最も偉大な女流詩人であるばかりでなく、中国文学史上最も偉大な女性詩人である」と評価しました。特に、中国古代に女性作家が少ないという環境の中で、非常に貴重な存在です。
しかし、とても残念なことですが、李清照は動乱の真っ只中に生きていたこともあって、作品の大部分は散逸してしまいました。現在、およそ50首ぐらいしか残されていません。李清照の作品には詞はもちろん、詩や文章もあります。李清照は若い時、ツーについての論評『詞論』を書いたこともあります。詞は「詩」とは違う別のジャンルのものだと主張し、当時の文才、晏殊や歐陽修、蘇軾の詞は「上手く書けなかった詩」だと酷評しました。自分の才能にかなり誇りを持っていたのですね。
李清照の人生は一生、波乱万丈でした。1127年、清照が44歳のとき、中国では「靖康の乱」が起き、北宋の北部にある少数民族の国、金の軍隊が宋の首都を攻め落としました。44歳の時以降、人生に清照の人生においても、様々なことが起こり、作風に大きな変化が起こりました。その作品などについては、後半で紹介します。
【存档】【采访】EXILE TAKAHIROインタビューPART2 【新たなスタートのアルバム『EXPLORE』】(女性セブン)
ソロ活動10周年を迎えるEXILE TAKAHIROが、アルバム『EXPLORE』(発売中、リズムゾーン)をリリース。9月21日には、EXILE加入の最終審査が行われた思い出の日本武道館で一夜限りの単独ライブも開催する。ソロ10周年のキャリアの中で、また新たなスタートを……という思いも込められた今回のアルバム『EXPLORE』の制作秘話を聞いた。
──今回のアルバム『EXPLORE』は、宝箱のようにいろいろな作品が詰まっていて、盛りだくさんですよね。
昔から、“出し惜しみ”をするということができないんです(笑い)。全部、入れたくなってしまうんですよね。例えば、プレゼントを3つ用意して、サプライズで1つずつ渡せたらいいんですけど、結局、我慢が出来なくて、全部まとめて渡しちゃうみたいな性格なんです(笑い)。その性格がこのアルバムにも表れている感じですね。
──いろいろな作品が収録されていますが、その中でも、ソロだからこそチャレンジできた曲を挙げると、どの曲になるでしょうか?
個人的にロックが好きなので、『EXPLORE』や『YOU are ROCK STAR』は、EXILEではできない曲かなと思います。あと、EXILEのカバー曲の『Choo Choo TRAIN』や『Everything』も、ロックアレンジになっています。相乗効果というか、自分の色を落としこむことで、EXILEの曲にも新たな表情を見せられたんじゃないかなと思っています。
──オリジナル曲も充分にありながら、グループの曲をリスペクトという形でカバーされていて、両方楽しめるのはファンの方も喜ばれると思います。グループの曲をカバーする中で、改めて楽曲の魅力に気づいたことはありますか?
それは、かなりあります。デビューしてから自分が思うように歌えなかった暗黒時代のような時期が、長く続いていたので……。その頃は、とにかく歌い始めても楽しめないし、歌うたびにため息が出るような月日が続いていました。だから、曲の魅力に気づく余裕もなかったんです。いま、セルフカバーをしてていねいに歌い直すことで、曲の魅力を噛みしめながら、その曲を愛しながらお届けすることができているんじゃないかなと思います。
──この活動をしていると、受け止めきれる量ではないくらいいろいろな意見が耳に入ってしまうと思いますけど、最初の頃はそれを全部受け止めてしまっていたんでしょうか。
そうですね。そういう意味では、他人の声が気にならなくなって、それと同時にプライドも恥も捨てようという感覚になりました。これはもう、男らしく修行をしようと。ファンのみなさんの力をお借りしながら、ファンのみなさんに見守っていただきながら、自分なりの武者修行をしようという思いで、ファンクラブイベントとして47都道府県を回るツアーをしました。その経験は、自分にとってとても大きなものになりました。
──まさに実りある武者修行だったんですね。
はい。実は、そのツアーのリハーサルの前日に、夢を見たんです。ずっと左手でマイクを持って歌っていたんですけど、夢の中では右手で持っていたんですね。考えてみたら、デビュー当時は右手でマイクを持っていたんですよ。これは初心にかえるべきということなのかな……と思って、リハーサルからマイクを右手で持つようにしたら、自分の中で何かが大きく変わった感覚があったんです。歌いやすさとか、無駄なことを考えずに歌に没頭できる感覚があって、そこから急展開で真っ暗闇に光が射したように変わりました。
──そのお話を伺うと、アルバムの先行配信曲『Spotlight 〜光の先へ〜』という曲がTAKAHIROさんの状況にまさにリンクしてくるような感じがします。この曲は作曲がATSUSHIさんで、作詞が清木場俊介さんなんですよね。
はい。ぼくが人生でもっとも憧れた2人がぼくに曲をプレゼントしてくださったというのは、想像もしていなかったことです。ぼく自身のもがき方や、あがき方や、どういうトンネルの中を歩いてきたのかということを、いっしょに活動しているわけではない俊さんが手に取るようにわかってくださって歌詞にしてくださった。それは本当にぼくのことを気にかけて下さっているからでしかないので、心配してくださっていたんだなと思うと、感謝もありますし、ぼくは幸せ者だなと思いました。だからこそ、この曲をただ有難く受け取るだけではなくて、この曲を歌っていくことで殻を破って、また1つ成長した姿をお見せすることがお2人への恩返しになるのかなと。歌うたびに成長していきたいですし、大事に歌っていきたいと思っています。
──この曲は10周年のために制作されたんでしょうか?
実はそれよりも前から、お2人が「TAKAHIROのために曲をプレゼント出来たらいいね」というお話をして下さっていたそうなんです。それがたまたま10周年のタイミングと重なって、サプライズプレゼントのような形でいただきました。お2人が曲を作ってくださったことを初めて聞いたときには、本当に感動しました。この曲で戦うべきだなと思い、ソロツアーの1曲目という自分がいちばん緊張する状況の中で、裸一貫で勝負するような気持ちで歌わせていただきました。
ソロ活動10周年を迎えるEXILE TAKAHIROが、アルバム『EXPLORE』(発売中、リズムゾーン)をリリース。9月21日には、EXILE加入の最終審査が行われた思い出の日本武道館で一夜限りの単独ライブも開催する。ソロ10周年のキャリアの中で、また新たなスタートを……という思いも込められた今回のアルバム『EXPLORE』の制作秘話を聞いた。
──今回のアルバム『EXPLORE』は、宝箱のようにいろいろな作品が詰まっていて、盛りだくさんですよね。
昔から、“出し惜しみ”をするということができないんです(笑い)。全部、入れたくなってしまうんですよね。例えば、プレゼントを3つ用意して、サプライズで1つずつ渡せたらいいんですけど、結局、我慢が出来なくて、全部まとめて渡しちゃうみたいな性格なんです(笑い)。その性格がこのアルバムにも表れている感じですね。
──いろいろな作品が収録されていますが、その中でも、ソロだからこそチャレンジできた曲を挙げると、どの曲になるでしょうか?
個人的にロックが好きなので、『EXPLORE』や『YOU are ROCK STAR』は、EXILEではできない曲かなと思います。あと、EXILEのカバー曲の『Choo Choo TRAIN』や『Everything』も、ロックアレンジになっています。相乗効果というか、自分の色を落としこむことで、EXILEの曲にも新たな表情を見せられたんじゃないかなと思っています。
──オリジナル曲も充分にありながら、グループの曲をリスペクトという形でカバーされていて、両方楽しめるのはファンの方も喜ばれると思います。グループの曲をカバーする中で、改めて楽曲の魅力に気づいたことはありますか?
それは、かなりあります。デビューしてから自分が思うように歌えなかった暗黒時代のような時期が、長く続いていたので……。その頃は、とにかく歌い始めても楽しめないし、歌うたびにため息が出るような月日が続いていました。だから、曲の魅力に気づく余裕もなかったんです。いま、セルフカバーをしてていねいに歌い直すことで、曲の魅力を噛みしめながら、その曲を愛しながらお届けすることができているんじゃないかなと思います。
──この活動をしていると、受け止めきれる量ではないくらいいろいろな意見が耳に入ってしまうと思いますけど、最初の頃はそれを全部受け止めてしまっていたんでしょうか。
そうですね。そういう意味では、他人の声が気にならなくなって、それと同時にプライドも恥も捨てようという感覚になりました。これはもう、男らしく修行をしようと。ファンのみなさんの力をお借りしながら、ファンのみなさんに見守っていただきながら、自分なりの武者修行をしようという思いで、ファンクラブイベントとして47都道府県を回るツアーをしました。その経験は、自分にとってとても大きなものになりました。
──まさに実りある武者修行だったんですね。
はい。実は、そのツアーのリハーサルの前日に、夢を見たんです。ずっと左手でマイクを持って歌っていたんですけど、夢の中では右手で持っていたんですね。考えてみたら、デビュー当時は右手でマイクを持っていたんですよ。これは初心にかえるべきということなのかな……と思って、リハーサルからマイクを右手で持つようにしたら、自分の中で何かが大きく変わった感覚があったんです。歌いやすさとか、無駄なことを考えずに歌に没頭できる感覚があって、そこから急展開で真っ暗闇に光が射したように変わりました。
──そのお話を伺うと、アルバムの先行配信曲『Spotlight 〜光の先へ〜』という曲がTAKAHIROさんの状況にまさにリンクしてくるような感じがします。この曲は作曲がATSUSHIさんで、作詞が清木場俊介さんなんですよね。
はい。ぼくが人生でもっとも憧れた2人がぼくに曲をプレゼントしてくださったというのは、想像もしていなかったことです。ぼく自身のもがき方や、あがき方や、どういうトンネルの中を歩いてきたのかということを、いっしょに活動しているわけではない俊さんが手に取るようにわかってくださって歌詞にしてくださった。それは本当にぼくのことを気にかけて下さっているからでしかないので、心配してくださっていたんだなと思うと、感謝もありますし、ぼくは幸せ者だなと思いました。だからこそ、この曲をただ有難く受け取るだけではなくて、この曲を歌っていくことで殻を破って、また1つ成長した姿をお見せすることがお2人への恩返しになるのかなと。歌うたびに成長していきたいですし、大事に歌っていきたいと思っています。
──この曲は10周年のために制作されたんでしょうか?
実はそれよりも前から、お2人が「TAKAHIROのために曲をプレゼント出来たらいいね」というお話をして下さっていたそうなんです。それがたまたま10周年のタイミングと重なって、サプライズプレゼントのような形でいただきました。お2人が曲を作ってくださったことを初めて聞いたときには、本当に感動しました。この曲で戦うべきだなと思い、ソロツアーの1曲目という自分がいちばん緊張する状況の中で、裸一貫で勝負するような気持ちで歌わせていただきました。
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