黄英(上)
田中貢太郎
馬子才ばしさいは順天じゅんてんの人であった。その家は代々菊が好きであったが、馬子才に至ってからもっとも甚しく、佳い種があるということを聞くときっと買った。それには千里を遠しとせずして出かけて往くという有様であった。
ある日、金陵の客が来て馬の家に泊ったが、その客が、
「自分のいとこの家に、佳い菊が一つあるが、それは北の方にはないものだ」
と言った。馬はひどく喜んで、すぐ旅装を整えて、客に従ついて金陵へ往ったが、その客がいろいろと頼んでくれたので、二つの芽を手に入れることができた。馬はそれを大事にくるんで帰ってきたが、途の中ほどまで帰った時、一人の少年に逢った。少年は驢ろばに乗って幕を垂れた車の後から往っていたが、その姿がきりっとしていた。だんだん近くなって話しあってみると、少年は自分で陶とうという姓であると言ったが、その話しぶりが上品で趣があった。そこで少年は馬の旅行しているわけを訊いた。馬は隠さずにほんとうのことを話した。すると少年が言った。
「種に佳くないという種はないのですが、作るのは人にあるのですから」
そこでいっしょに菊の作り方を話しあった。馬はひどく悦よろこんで、
「これから何所どこへいらっしゃるのです」
と言って訊いた。少年は、
「姉が金陵を厭がりますから、河北かほくに移って往くところです」
と答えた。馬はいそいそとして言った。
「僕の家は貧乏ですが、榻ねだいを置く位の所はあります、きたなくておかまいがなけりゃ、他ほかへ往かなくってもいいじゃありませんか」
陶は車の前へ往って姉に向って相談した。車の中からは簾すだれをあげて返事をした。それは二十歳はたちばかりの珍しい美人であった。女は陶を見かえって、
「家はどんなに狭くてもかまわないけど、庭の広い所がね」
と言った。そこで陶の代りに馬が返事をして、とうとういっしょに伴れだって帰ってきた。
馬の家の南に荒れた圃はたがあって、そこに椽たるきの三四本しかない小舎こやがあった。陶はよろこんでそこにおって、毎日北の庭へきて馬のために菊の手入れをした。菊の枯れたものがあると、根を抜いてまた植えたが、活きないものはなかった。
しかし家は貧しいようであった。陶は毎日馬といっしょに飯を喫くっていたが、その家の容子ようすを見るに煮たきをしないようであった。馬の細君の呂は、これまた陶の姉をかわいがって、おりおり幾升いくますかを恵んでやった。陶の姉は幼名を黄英こうえいといっていつもよく話をした。黄英は時とすると呂の所へ来ていっしょに裁縫したり糸をつむいだりした。
陶はある日、馬に言った。
「あなたの家も、もともと豊かでないのに、僕がこうして毎日厄介をかけているのですが、いつまでもこうしてはいられないのです、菊を売って生計くらしをたてたいとおもうのですが」
馬は生れつき片意地な男であった。陶の言葉を聞いてひどく鄙いやしんで言った。
「僕は、君は風流の高士で、能よく貧に安んずる人と思ってたが、今そんなことを言うのは、風流をもってあきないとするもので、菊を辱めるというものだね」
すると陶は笑って言った。
「自分の力で喫ってゆくことは、貪むさぼりじゃあないのです、花を販うって、生計をたてることは、俗なことじゃないのです、人はかりそめに富を求めてはならないですが、しかし、また務めて貧を求めなければならないこともないでしょう」
馬がそれっきり口をきかないので、陶も起って出て往ったが、それから陶は馬の所で寝たり食事をしたりしないようになった。呼びにやるとやっと一度位は来た。その時から陶は馬の棄ててある菊の枝の残りや悪い種のものを悉く拾って往くようになった。
間もなく菊の花が咲いた。馬は陶の家の門口が市場のようにやかましいのを聞いて、へんに思って往って窺のぞいてみた。そこには市まちの人が集まってきて菊の花を買うところであった。そしてその人達が車に載せたり肩に負ったりして帰って往くのが道に続いていた。その花を見るに皆かわり種の珍しいもので、馬のまだ一度も見たことのないものであった。馬は心に陶が金を貪るのを厭いとうて絶交しようと思ったが、しかしまたひそかに佳い木をかくしているのが恨めしくもあって、とうとう逢って誚せめてやろうと思って扉を叩いた。すると陶が出てきて手をとって曳き入れた。
見ると荒れた庭の半畝位は皆菊の畦あぜになって小舎の外には空地がなかった。抜き取った跡には別の枝を折って插してあった。畦に在る花で佳くないものはなかった、そして、細かにそれを見ると皆自分がいつか抜いて棄てたものであった。陶は内へ入って酒と肴を持ってきて、畦の側に席をかまえ、
「僕は清貧に安んずることができなかったのですが、毎朝幸いにすこしばかりの金が取れますので、酔っていただくことができます」
と言った。暫くして房へやの中から、
「三郎」
といって呼んだ。陶は、
「はい」
と返事をして出て往ったが、すぐに立派な肴を出してきた。それは手のこんだ良い料理であった。馬はそこで、
「姉さんは、なぜ結婚しないのですか」
といって訊いた。陶は答えて言った。
「時機がまだこないのです」
馬は訊いた。
「いつです」
陶は言った。
「四十三箇月の後です」
そこで馬は、
「どういうわけです」
と訊いたが、陶はただ笑うのみで何も言わなかった。
二人はそこで歓を尽して別れた。翌日になった。馬はまた陶の所へ往った。新たに插してあったのがもう一尺にもなっていた。馬はひどく不思議に思って、
「ぜひ、その作り方を教えてください」
と言ってしきりに頼んだ。陶は言った。
「これは口で教えることはできないですが、それにあなたは、菊で生計をたてていらっしゃらないから、そんな術はいらないでしょう」
それから数日して陶の家はやや静かになった。陶はそこで蒲かばの莚むしろで菊を包んで、それを数台の車に載せて何所かへ往ったが、翌年の春の中比なかごろになって、南の方からめずらしい種を持って帰ってきた。そこで市中へ花肆はなみせを出して売ると、十日の間に売れてしまった。陶はまた家へ帰って菊を作ったが、客がまた群集した。訊いてみると、去年陶から花を買った者は、その根を残しておいて作ったが、尽ことごとくつまらないものとなってしまったので、そこでまた陶から買うことになったのであった。
それがために陶は日ましに富んで、一年目には家を建て増し、二年目には広い大きな家を新築し、思うままに建築したが、すこしも主人の馬には相談しなかった。陶は昔の花畦はなあぜが建物のためになくなってしまったので、さらに田を買って、周囲に墉かきを築いてすっかり菊を植えた。
秋になって陶は花を車に載せて何所へか往ったが、翌年の春がすぎても帰らなかった。その時になって馬の細君の呂が病気で亡くなった。馬は黄英のことを心に思うて、人に頼んでちらとほのめかしてもらうと、黄英はにっと笑って、心の中では許しているようであった。そこで馬はもっぱら陶の帰るのを待っていたが、一年あまりしても陶はついに帰ってこなかった。
黄英は僕げなんに言いつけて菊を植えたが、陶のやることとすこしもかわらなかった。そして、金をとることがますます多くなって、商人のすることにかなっていた。黄英はその金で村はずれに肥えた田を二十頃けい買って、屋敷をますます立派にした。と、馬の所へ東粤とうえつから客が来て陶の手紙を出した。開いてみるとそれは姉と結婚してくれという頼みであった。その手紙を出した日を考えてみると、それは細君の死んだ日であった。庭で酒を飲んだときのことを思いだしてみると、ちょうど四十三箇月目に当っていたからひどく不思議に思って、その手紙を黄英に見せて、
「何所へ結納ゆいのうをあげましょう」
といって訊くと、黄英は、
「結納はおもらいしません」
と言った。黄英は馬の家がきたないので、南の家におらして入婿のようにしようとしたが、馬はきかないで日を選んで黄英を自分の家へ迎えた。
黄英はすでに馬の所へ往ってから、壁に扉を開けて南の家へ通えるようにした。そして毎日往って、自分の家の僕に言いつけていろいろの為事しごとをさした。馬は細君に金のあるのを恥じて、いつも黄英に言いつけて南の家と北の家の帳簿をこしらえさして、物のごたごたになるのを防がしたが、黄英は家に入用なものは、ややもすると南の家から取ってくるので、半年もしないうちに家の中にあるものは、皆陶の家のものばかりになった。馬はすぐに人をやって一いちそれを持ち帰らした。
「二度と取ってくるな」
といって戒めたが、まだ十日もたたないうちに雑まじっていた。こんなことが幾回もくりかえされたので、馬はうるさくてたまらなかった。黄英は笑って言った。
「陳仲子、くたびれはしませんか」
馬ははじてまたとしらべなかった。そして、一切のことは黄英に聴くようになった。黄英は大工を集め建築の材料をかまえて、工事を盛んにやりだしたが馬は止めることができなかった。二三箇月すると両方の家が一つに連なって、彊界きょうかいが解らなくなった。しかし、黄英は馬の教えに遵したごうて、門を閉じてまたと菊を商売にしないようになった。けれどもくらしむきは、家柄の家にも勝っていた。馬は自ら安んずることができないので、
「俺の三十年の清徳も、おまえのために累わずらわされてしまったのだ、この世の中に生きていて、徒いたずらに女に養われるということは、ほんとうに、すこしも男らしくないことだ、人は皆富をいのるけれども、俺はただ貧をいのるのだ」
と言った。黄英は言った。
「私は金を貪るつもりはないのですが、ただすこし豊かにならないと、後世の人に、あの淵明は貧乏性だ、いつまでも世に出ることができなかったじゃないかと言われるのですから、それで我家うちを豊かにしていいわけにしたのです、だけど、貧乏人が金持になろうとするのはむつかしくっても、金持が貧乏になろうとするのは、わけのないことなのです、私の金は、あなたが勝手に遣ってしまってください、私は惜しくはありませんから」
馬は言った。
「他人の金を遣うのも、やはりよくないことなのだ」
そこで黄英が言った。
「あなたは金持が厭だし、私は貧乏ができないし、しかたがなければ、あなたと家を別けて、清い者は清く、濁った者は濁ってることにしたら、さしつかえがないじゃありませんか」
そこで庭の中に茅葺かやぶき屋根を建てて馬を住まわし、きれいな婢じょちゅうを選んでつけてあった。馬はそれでおちついたが、しかし、数日するとひどく黄英のことが思われるので呼びにやった。黄英はどうしてもこなかった。馬はしかたなしに自分から黄英の方へ往った。馬はそれから一晩おきに黄英の方へ往くのが例になった。黄英は笑って、
「東食西宿とうしょくせいしゅくですね、廉潔な人はこんなことをしないでしょうね」
と言った。馬もまた自分で笑って返事ができなかった。そこでとうとう初めのようにいっしょにいることになった。
ある時、馬は用事ができて金陵へ旅行したが、ちょうど九月九日の菊日に逢ったので、朝早く花屋に往った。肆の中には菊の盆はちがうるさいほど列んでいたが、皆枝ぶりの面白い美しい花の咲いたものばかりであった。馬はそれがどうも陶の作った菊に似ていると思った。
![](https://wx3.sinaimg.cn/large/008sH4ehly1hox09zbxinj30dw0x7dkz.jpg)
田中貢太郎
馬子才ばしさいは順天じゅんてんの人であった。その家は代々菊が好きであったが、馬子才に至ってからもっとも甚しく、佳い種があるということを聞くときっと買った。それには千里を遠しとせずして出かけて往くという有様であった。
ある日、金陵の客が来て馬の家に泊ったが、その客が、
「自分のいとこの家に、佳い菊が一つあるが、それは北の方にはないものだ」
と言った。馬はひどく喜んで、すぐ旅装を整えて、客に従ついて金陵へ往ったが、その客がいろいろと頼んでくれたので、二つの芽を手に入れることができた。馬はそれを大事にくるんで帰ってきたが、途の中ほどまで帰った時、一人の少年に逢った。少年は驢ろばに乗って幕を垂れた車の後から往っていたが、その姿がきりっとしていた。だんだん近くなって話しあってみると、少年は自分で陶とうという姓であると言ったが、その話しぶりが上品で趣があった。そこで少年は馬の旅行しているわけを訊いた。馬は隠さずにほんとうのことを話した。すると少年が言った。
「種に佳くないという種はないのですが、作るのは人にあるのですから」
そこでいっしょに菊の作り方を話しあった。馬はひどく悦よろこんで、
「これから何所どこへいらっしゃるのです」
と言って訊いた。少年は、
「姉が金陵を厭がりますから、河北かほくに移って往くところです」
と答えた。馬はいそいそとして言った。
「僕の家は貧乏ですが、榻ねだいを置く位の所はあります、きたなくておかまいがなけりゃ、他ほかへ往かなくってもいいじゃありませんか」
陶は車の前へ往って姉に向って相談した。車の中からは簾すだれをあげて返事をした。それは二十歳はたちばかりの珍しい美人であった。女は陶を見かえって、
「家はどんなに狭くてもかまわないけど、庭の広い所がね」
と言った。そこで陶の代りに馬が返事をして、とうとういっしょに伴れだって帰ってきた。
馬の家の南に荒れた圃はたがあって、そこに椽たるきの三四本しかない小舎こやがあった。陶はよろこんでそこにおって、毎日北の庭へきて馬のために菊の手入れをした。菊の枯れたものがあると、根を抜いてまた植えたが、活きないものはなかった。
しかし家は貧しいようであった。陶は毎日馬といっしょに飯を喫くっていたが、その家の容子ようすを見るに煮たきをしないようであった。馬の細君の呂は、これまた陶の姉をかわいがって、おりおり幾升いくますかを恵んでやった。陶の姉は幼名を黄英こうえいといっていつもよく話をした。黄英は時とすると呂の所へ来ていっしょに裁縫したり糸をつむいだりした。
陶はある日、馬に言った。
「あなたの家も、もともと豊かでないのに、僕がこうして毎日厄介をかけているのですが、いつまでもこうしてはいられないのです、菊を売って生計くらしをたてたいとおもうのですが」
馬は生れつき片意地な男であった。陶の言葉を聞いてひどく鄙いやしんで言った。
「僕は、君は風流の高士で、能よく貧に安んずる人と思ってたが、今そんなことを言うのは、風流をもってあきないとするもので、菊を辱めるというものだね」
すると陶は笑って言った。
「自分の力で喫ってゆくことは、貪むさぼりじゃあないのです、花を販うって、生計をたてることは、俗なことじゃないのです、人はかりそめに富を求めてはならないですが、しかし、また務めて貧を求めなければならないこともないでしょう」
馬がそれっきり口をきかないので、陶も起って出て往ったが、それから陶は馬の所で寝たり食事をしたりしないようになった。呼びにやるとやっと一度位は来た。その時から陶は馬の棄ててある菊の枝の残りや悪い種のものを悉く拾って往くようになった。
間もなく菊の花が咲いた。馬は陶の家の門口が市場のようにやかましいのを聞いて、へんに思って往って窺のぞいてみた。そこには市まちの人が集まってきて菊の花を買うところであった。そしてその人達が車に載せたり肩に負ったりして帰って往くのが道に続いていた。その花を見るに皆かわり種の珍しいもので、馬のまだ一度も見たことのないものであった。馬は心に陶が金を貪るのを厭いとうて絶交しようと思ったが、しかしまたひそかに佳い木をかくしているのが恨めしくもあって、とうとう逢って誚せめてやろうと思って扉を叩いた。すると陶が出てきて手をとって曳き入れた。
見ると荒れた庭の半畝位は皆菊の畦あぜになって小舎の外には空地がなかった。抜き取った跡には別の枝を折って插してあった。畦に在る花で佳くないものはなかった、そして、細かにそれを見ると皆自分がいつか抜いて棄てたものであった。陶は内へ入って酒と肴を持ってきて、畦の側に席をかまえ、
「僕は清貧に安んずることができなかったのですが、毎朝幸いにすこしばかりの金が取れますので、酔っていただくことができます」
と言った。暫くして房へやの中から、
「三郎」
といって呼んだ。陶は、
「はい」
と返事をして出て往ったが、すぐに立派な肴を出してきた。それは手のこんだ良い料理であった。馬はそこで、
「姉さんは、なぜ結婚しないのですか」
といって訊いた。陶は答えて言った。
「時機がまだこないのです」
馬は訊いた。
「いつです」
陶は言った。
「四十三箇月の後です」
そこで馬は、
「どういうわけです」
と訊いたが、陶はただ笑うのみで何も言わなかった。
二人はそこで歓を尽して別れた。翌日になった。馬はまた陶の所へ往った。新たに插してあったのがもう一尺にもなっていた。馬はひどく不思議に思って、
「ぜひ、その作り方を教えてください」
と言ってしきりに頼んだ。陶は言った。
「これは口で教えることはできないですが、それにあなたは、菊で生計をたてていらっしゃらないから、そんな術はいらないでしょう」
それから数日して陶の家はやや静かになった。陶はそこで蒲かばの莚むしろで菊を包んで、それを数台の車に載せて何所かへ往ったが、翌年の春の中比なかごろになって、南の方からめずらしい種を持って帰ってきた。そこで市中へ花肆はなみせを出して売ると、十日の間に売れてしまった。陶はまた家へ帰って菊を作ったが、客がまた群集した。訊いてみると、去年陶から花を買った者は、その根を残しておいて作ったが、尽ことごとくつまらないものとなってしまったので、そこでまた陶から買うことになったのであった。
それがために陶は日ましに富んで、一年目には家を建て増し、二年目には広い大きな家を新築し、思うままに建築したが、すこしも主人の馬には相談しなかった。陶は昔の花畦はなあぜが建物のためになくなってしまったので、さらに田を買って、周囲に墉かきを築いてすっかり菊を植えた。
秋になって陶は花を車に載せて何所へか往ったが、翌年の春がすぎても帰らなかった。その時になって馬の細君の呂が病気で亡くなった。馬は黄英のことを心に思うて、人に頼んでちらとほのめかしてもらうと、黄英はにっと笑って、心の中では許しているようであった。そこで馬はもっぱら陶の帰るのを待っていたが、一年あまりしても陶はついに帰ってこなかった。
黄英は僕げなんに言いつけて菊を植えたが、陶のやることとすこしもかわらなかった。そして、金をとることがますます多くなって、商人のすることにかなっていた。黄英はその金で村はずれに肥えた田を二十頃けい買って、屋敷をますます立派にした。と、馬の所へ東粤とうえつから客が来て陶の手紙を出した。開いてみるとそれは姉と結婚してくれという頼みであった。その手紙を出した日を考えてみると、それは細君の死んだ日であった。庭で酒を飲んだときのことを思いだしてみると、ちょうど四十三箇月目に当っていたからひどく不思議に思って、その手紙を黄英に見せて、
「何所へ結納ゆいのうをあげましょう」
といって訊くと、黄英は、
「結納はおもらいしません」
と言った。黄英は馬の家がきたないので、南の家におらして入婿のようにしようとしたが、馬はきかないで日を選んで黄英を自分の家へ迎えた。
黄英はすでに馬の所へ往ってから、壁に扉を開けて南の家へ通えるようにした。そして毎日往って、自分の家の僕に言いつけていろいろの為事しごとをさした。馬は細君に金のあるのを恥じて、いつも黄英に言いつけて南の家と北の家の帳簿をこしらえさして、物のごたごたになるのを防がしたが、黄英は家に入用なものは、ややもすると南の家から取ってくるので、半年もしないうちに家の中にあるものは、皆陶の家のものばかりになった。馬はすぐに人をやって一いちそれを持ち帰らした。
「二度と取ってくるな」
といって戒めたが、まだ十日もたたないうちに雑まじっていた。こんなことが幾回もくりかえされたので、馬はうるさくてたまらなかった。黄英は笑って言った。
「陳仲子、くたびれはしませんか」
馬ははじてまたとしらべなかった。そして、一切のことは黄英に聴くようになった。黄英は大工を集め建築の材料をかまえて、工事を盛んにやりだしたが馬は止めることができなかった。二三箇月すると両方の家が一つに連なって、彊界きょうかいが解らなくなった。しかし、黄英は馬の教えに遵したごうて、門を閉じてまたと菊を商売にしないようになった。けれどもくらしむきは、家柄の家にも勝っていた。馬は自ら安んずることができないので、
「俺の三十年の清徳も、おまえのために累わずらわされてしまったのだ、この世の中に生きていて、徒いたずらに女に養われるということは、ほんとうに、すこしも男らしくないことだ、人は皆富をいのるけれども、俺はただ貧をいのるのだ」
と言った。黄英は言った。
「私は金を貪るつもりはないのですが、ただすこし豊かにならないと、後世の人に、あの淵明は貧乏性だ、いつまでも世に出ることができなかったじゃないかと言われるのですから、それで我家うちを豊かにしていいわけにしたのです、だけど、貧乏人が金持になろうとするのはむつかしくっても、金持が貧乏になろうとするのは、わけのないことなのです、私の金は、あなたが勝手に遣ってしまってください、私は惜しくはありませんから」
馬は言った。
「他人の金を遣うのも、やはりよくないことなのだ」
そこで黄英が言った。
「あなたは金持が厭だし、私は貧乏ができないし、しかたがなければ、あなたと家を別けて、清い者は清く、濁った者は濁ってることにしたら、さしつかえがないじゃありませんか」
そこで庭の中に茅葺かやぶき屋根を建てて馬を住まわし、きれいな婢じょちゅうを選んでつけてあった。馬はそれでおちついたが、しかし、数日するとひどく黄英のことが思われるので呼びにやった。黄英はどうしてもこなかった。馬はしかたなしに自分から黄英の方へ往った。馬はそれから一晩おきに黄英の方へ往くのが例になった。黄英は笑って、
「東食西宿とうしょくせいしゅくですね、廉潔な人はこんなことをしないでしょうね」
と言った。馬もまた自分で笑って返事ができなかった。そこでとうとう初めのようにいっしょにいることになった。
ある時、馬は用事ができて金陵へ旅行したが、ちょうど九月九日の菊日に逢ったので、朝早く花屋に往った。肆の中には菊の盆はちがうるさいほど列んでいたが、皆枝ぶりの面白い美しい花の咲いたものばかりであった。馬はそれがどうも陶の作った菊に似ていると思った。
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2024年4月26日发售本月《月刊Comic电击大王》(2024年6月号)封面公开。本期为Comic电击大王创刊30周年纪念号,封绘为仲谷鳰老师绘制的杂志历年刊载作品角色全明星。
★★描かれたキャラクターはこちら★★
・逢坂大河 (とらドラ!)
・赤松結衣 (三ツ星カラーズ)
・アリナ・クローバー (ギルドの受付嬢ですが、残業は嫌なのでボスをソロ討伐しようと思います)
・アルクェイド・ブリュンスタッド (真月譚 月姫)
・和泉紗霧 (エロマンガ先生)
・HMX-12マルチ (ToHeart)
・キリト (ソードアート・オンライン Re:Aincrad)
・小糸侑&七海燈子 (やがて君になる)
・小岩井よつば (よつばと!)
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・忍&音速丸 (ニニンがシノブ伝)
・司波深雪 (魔法科高校の優等生)
・シャナ (灼眼のシャナ)
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・野田さん (お見合いにすごいコミュ症が来た)
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・水谷サチ&月城あやり (新米姉妹のふたりごはん)
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・向井戸まなか (凪のあすから)
・百瀬月渚 (僕と君が夫婦になるまで)
・ユノ・アスタリオ (真の実力はギリギリまで隠していようと思う)
(五十音順)
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2024年4月26日发售本月《月刊Comic电击大王》(2024年6月号)封面公开。本期为Comic电击大王创刊30周年纪念号,封绘为仲谷鳰老师绘制的杂志历年刊载作品角色全明星。
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・百瀬月渚 (僕と君が夫婦になるまで)
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荷花公主(上)
田中貢太郎
南昌なんしょうに彭徳孚ほうとくふという秀才があった。色の白い面長な顔をした男であったが、ある時、銭塘せんとうにいる友人を訪ねて行って、昭慶寺しょうけいじという寺へ下宿していた。
その彭は、ある日西湖せいこの縁を歩いていた。それは夏の夕方のことで、水の中では葉を捲いていた蓮の葉に涼しい風が吹いて、ぎらぎらする夕陽の光も冷たくなっていた。聖因寺せいいんじの前へ行ったところで、中から若い眼のさめるような女が出てきた。十七八に見える碧あおい着物を着た手足の細ほっそりした女で、一人の老婆が後からきていた。その女の眼はちらと彭の顔へきた。
「あなたは、何所どこからいらっしたのです」
彭が声をかけると女は恥かしそうに顔を赤らめたが、そのままその顔を老婆の方へやって、
「婆や、早く行きましょうよ」
と言ってからむこうのほうへ歩いた。彭は引きずられるように老婆の後から随ついて行った。
すこし行くと女は斜に後ろを振り返って、老婆の横から彭を覗くようにした。女の気配に彭は顔をあげたが、その拍子に女の視線と視線が合った。女はきまり悪そうにあわてて前むこうをむいて歩いた。
女の眼の色に親しみを見出した彭は、非常に気が強くなってそのまま随いて行ったが、女も老婆も不思議に足が早いので、路の曲っている所などでは、ときどき二人の姿を見失いそうになった。
彭はすこしも油断することができなかった。孤山の麓にある水仙廟がすぐ眼の前に見えてきた。もう陽が入って西の空が真赤に夕映えていた。女と老婆は水仙廟の手前から廟に沿うて折れて行った。その二人の顔に夕映の色がうっすらと映っていた。
みるみる女と老婆は水仙廟の後ろへ行ったが、そのまま見えなくなった。彭は女の姿が見えなくなると、小走りに走って廟後へ着くなり、ぴったり走ることを止めて、そのまわりに注意して廻ったが、何所へ行ったのかもう影も見えなかった。
彭はしかたなしに其所そこへ立ち止った。いつの間にか夕映も消えて四辺あたりが微暗うすぐらくなった中に、水仙廟の建物が黒い絵になって見えていた。
「おい、彭君じゃないか」
だしぬけに声をかけるものがあった。彭は吃驚びっくりして我に返った。それは霊隠寺れいいんじへ行っていた友人であった。
「ああ君か」
「君は、いったい此所ここで何をしているのだ」
彭は女を捜しているとも言えなかった。
「散歩に来たところなのだ」
「そうかね、じゃ、いっしょに帰ろうじゃないか」
彭は友人と同時いっしょに帰ってきたが、女のことが諦められないので、翌日は朝から孤山の麓へ行って、彼方此方と探して歩いたがどうしても判らなかった。人を見つけて聞いてみても、何人だれも知っている者がなかった。それでも思い切れないので、その翌日もまたその翌日も、毎日のように孤山の麓へ行って日を暮した。
彭はとうとう病気になって、飯もろくろく喫くわずに寝ているようになった。と、ある夜、扉を開けて入ってきた者があった。彭は何人だれかきたとは思ったが、顔をあげるのも苦しいのでそのままじっとしていた。
「公主からお迎えにあがりました」
眼を開けて見ると、稚児髷ちごまげに結ゆうた女の子が燈籠を持って枕頭まくらもとに立っていた。しかし、彭は相手になるのが面倒であったから、ぐるりと寝返りして壁の方を向いた。
「貴郎あなたが、この間、水仙廟の所でお逢いになりました、公主からのお迎えでございます」
彭は急に体を起した。
「水仙廟で逢った公主というのですか」
「そうでございます、公主から貴郎のお供をしてくるようにという、お使いでございます」
「公主とは、どうした方です」
「いらしてくだされたら、お判りになります」
「では、行ってみましょう」
彭は起きて着物を調ととのえると、女の子は前さきに立って行った。外には月が出て涼しい風が吹いていた。燈籠の灯はその月の光にぼかされて黄いろく見えていた。
彭は生き返ったような軽い気もちになっていた。路は彼方に曲り此方に曲って行った。
「やっとまいりました」
彭はその声に顔をあげて見た。水仙廟の後ろと思われる山の麓に楼閣が簷のきを並べていた。女を尋ねて毎日水仙廟のあたりから孤山の頂にかけて歩いていた彭は、そんな楼閣を見たことがなかったので驚いた。
「公主のいらっしゃる所は、別院でございます、私がまいりますから、そっといらっしてくださいまし」
彭はうなずいてみせた。女の子はすぐ眼の前にあった朱塗の大きな門を入って、玉を敷いてあるような綺麗な路を行った。路の両側には花をつけた草や木が一めんに生えていた。椿のような花の木もあれば、牡丹のような大きな花をつけた草もあった。白い花をつけた高い木には、凌宵花のうぜんかずらのような黄いろな蔓草の花が星の落ちてきてかかったように咲いていた。花の梢から宮殿の簷が見えていた。
路は爪さきあがりにあがっていた。その路をすこし歩いていると、すぐなだらかな路になった。と、洞穴の口のように見える建物の入口がきた。その入口には「水晶城」とした額がかかっていた。建物の周囲には水があって、白や紅の蓮の花が月の光の中の下に夢見るように咲いていた。水に臨んで朱塗の欄干も見えていた。
女の子はその中へ入って行った。彭もそれに随いて行った。其所は窓という窓は皆水晶で、それに青白い月の光が射していた。公主といわれているかの女は欄干に凭もたれて月を観ていた。
「あの方かたを、お供してまいりました」
かの女は此方を見るなりすぐ体を起して寄ってきた。
「好奇ものずきの坊ちゃん、この四五日は、お見えにならないじゃありませんか」
女はにっと笑いながら彭の手に自分の手をかけた。彭はきまりが悪いので、微笑するだけで何も言えなかった。
「すこしお眼にかからない間に、こんなにお痩せになりまして」
女はこう言ってから傍に立っていた女の子の顔を見た。
「あの碧霞漿へきかしょうを一杯持っておいで」
女の子はちょっと頭をさげて次の室へやへ行ったが、すぐ盃を捧げ持ってきた。彭と手をとり合っていた女は、一方の手にそれを取って彭に渡した。それは紺碧の色をした甘い匂いのする物であった。
「これは緑蕚夫人りょくがくふじんから戴いた物でございます」
彭はそれを飲みながら不思議な周囲まわりにその眼を向けた。
「此所は何所でしょう」
「此所は広寒香界こうかんこうかいでございます、あなたのような俗人は、長く此所にいることはできないのです、早くお帰りなさい」
女は冗談に言って笑った。彭はもう何の遠慮もいらなかった。彼はいきなり女を抱きあげて綺麗な帷とばりの垂れている室の中へ入って行った。
已而菌縟流丹、女屡乞休始止。彭と女とはその後で話をした。彭は匂いのある女の体を撫でながら言った。
「貴女は、合徳ごうとくの生れかわりじゃないのですか」
女は艶めかしそうに笑った。
「貴郎は、物に怖れない方だから申しますが、私は水仙王の娘で、荷はすの花の精でございます、貴郎が情の深いことを知りましたので、こうしてお眼にかかることになりましたが、私は舅おじさんの世話になっております、舅さんは非常に物堅い方ですから、もし舅さんに知られると、もうお眼にかかることができません、どうか舅さんに知られないように、夜そっといらして、朝も早く夜が明けない内に帰ってください」
「舅さんは、どうした方です」
「蟹の王ですよ、今この西湖の判官になっております」
朝になって寺の鐘が鳴り出したので、彭は急いで起きて帰ってきたが、それから毎晩のように行って朝早く帰った。
ある朝、二人が寝すごしたところで、女の保姆うばが来た。保姆はそれを見るとその足で判官に知らせに行った。それがためにあわてて起きて帰ろうとしていた彭は、判官の捕卒のために縛られてその前へ引き出された。判官は黒い頭巾ずきんをつけて緑の袍ほうを着ていた。
「曲者をひっ捕えてまいりました」
捕卒の一人は後退しりごみする彭を判官の前へ引き据えた。彭はどんな目にあわされることかと思って生きた心地きもちがしなかった。判官はその容さまをにくにくしそうに見おろしていたが、何を考えたのか急に眼を瞠みはるとともに急いで堂の上からおりてきた。
「貴君あなたは私の恩人だ、これはあいすまんことをした弁解もうしわけがない」
判官は急いで彭を縛った縄を解いたが、彭にはその意味が判らなかった。
「私はいつか貴君に助けられた者だ」
彭は女から舅さんは蟹の王であると言われたことを思いだした。彭はふと気が注ついた。彼はある日、友人と二人で南屏なんびょうへ遊びに行ったが、帰ってくるとすぐ近くで網を曳いている舟があった。ちょうど網があがったところであったから、どんな魚が捕れるだろうと思って、中腰になって網の中を覗いた。網の中にはおおきな甲羅をした蟹が入っていて、それが紫色の鋏をあげて逃げようとでもするように悶掻もがいていた。彼にはこれまで曾かつて一度も見たことのない蟹であった。彼は何かしらそれに神秘を感じたので、放してやろうと思って網舟の傍へ自分の舟を持って行かした。その結果、彭の銭が漁師の手に渡って、漁師の蟹が彭の舟にきた。彭の舟はやがて網舟を離れたが、再び漁師に獲られる危険のない所へくると蟹を水の中に入れてやった。蟹は大きな鋏を前で合わせて人が拱揖れいをするような容さまをして沈んでいった。…………
「さあどうか、おあがりくだされ」
判官が強しいて言うので彭は安心してあがった。
「姪めいの室に人がきているというので、貴君とは知らずに大変無礼をいたした。時に貴君は何方どちらの生れです」
「私は南昌の者で彭徳孚と申します」
「貴君は許婚いいなずけの人でもありますか」
「ありません」
「では、良縁だ、私の姪と結婚して貰いたい」
彭はもとより望むところであった。その席には保姆もいた。判官は保姆に言いつけた。
「あれを呼んでこい」
保姆は公主を連れて入ってきた。女は恥かしそうにして顔をあげなかった。判官の夫人も其所へ入ってきた。
「この方が、わしの恩人じゃ、あれをお願いすることにした」
彭は女と結婚の式をあげて水晶館にいることになった。彭は琴が上手であった。彭が琴を弾ひくと女はいつも傍で歌った。二人はこうした夢のような日を一年ばかり送ったが、その翌年の春、西湖の年中行事の一つになっている水遊びの日がきた。その日、西湖では舟の競争があるので、その見物をかたがけて遊びにくるものが多かった。彭も舟で女を連れて出かけて行った。
風のない暖かな日であった。前からそろそろと漕いできた一艘の舟があったが、その舟の中から声をかける者があった。
「彭君じゃないか」
彭は聞き覚えのある声を聞いて顔をあげた。それは銭塘の友人であった。
「やあ」
「君は、いったい何所を歩いてるのだ、君の家から手紙がきたから、僕はこの間中、君の居所を捜していたのだよ」
その時、舟と舟の小縁こべりがくっつくようになって、彭と友人とは手を握れそうになった。
「それはすまなかったね」
「では手紙を渡すよ」
![](https://wx4.sinaimg.cn/large/008sH4ehly1horrnd3ubaj30dw0mtq3z.jpg)
田中貢太郎
南昌なんしょうに彭徳孚ほうとくふという秀才があった。色の白い面長な顔をした男であったが、ある時、銭塘せんとうにいる友人を訪ねて行って、昭慶寺しょうけいじという寺へ下宿していた。
その彭は、ある日西湖せいこの縁を歩いていた。それは夏の夕方のことで、水の中では葉を捲いていた蓮の葉に涼しい風が吹いて、ぎらぎらする夕陽の光も冷たくなっていた。聖因寺せいいんじの前へ行ったところで、中から若い眼のさめるような女が出てきた。十七八に見える碧あおい着物を着た手足の細ほっそりした女で、一人の老婆が後からきていた。その女の眼はちらと彭の顔へきた。
「あなたは、何所どこからいらっしたのです」
彭が声をかけると女は恥かしそうに顔を赤らめたが、そのままその顔を老婆の方へやって、
「婆や、早く行きましょうよ」
と言ってからむこうのほうへ歩いた。彭は引きずられるように老婆の後から随ついて行った。
すこし行くと女は斜に後ろを振り返って、老婆の横から彭を覗くようにした。女の気配に彭は顔をあげたが、その拍子に女の視線と視線が合った。女はきまり悪そうにあわてて前むこうをむいて歩いた。
女の眼の色に親しみを見出した彭は、非常に気が強くなってそのまま随いて行ったが、女も老婆も不思議に足が早いので、路の曲っている所などでは、ときどき二人の姿を見失いそうになった。
彭はすこしも油断することができなかった。孤山の麓にある水仙廟がすぐ眼の前に見えてきた。もう陽が入って西の空が真赤に夕映えていた。女と老婆は水仙廟の手前から廟に沿うて折れて行った。その二人の顔に夕映の色がうっすらと映っていた。
みるみる女と老婆は水仙廟の後ろへ行ったが、そのまま見えなくなった。彭は女の姿が見えなくなると、小走りに走って廟後へ着くなり、ぴったり走ることを止めて、そのまわりに注意して廻ったが、何所へ行ったのかもう影も見えなかった。
彭はしかたなしに其所そこへ立ち止った。いつの間にか夕映も消えて四辺あたりが微暗うすぐらくなった中に、水仙廟の建物が黒い絵になって見えていた。
「おい、彭君じゃないか」
だしぬけに声をかけるものがあった。彭は吃驚びっくりして我に返った。それは霊隠寺れいいんじへ行っていた友人であった。
「ああ君か」
「君は、いったい此所ここで何をしているのだ」
彭は女を捜しているとも言えなかった。
「散歩に来たところなのだ」
「そうかね、じゃ、いっしょに帰ろうじゃないか」
彭は友人と同時いっしょに帰ってきたが、女のことが諦められないので、翌日は朝から孤山の麓へ行って、彼方此方と探して歩いたがどうしても判らなかった。人を見つけて聞いてみても、何人だれも知っている者がなかった。それでも思い切れないので、その翌日もまたその翌日も、毎日のように孤山の麓へ行って日を暮した。
彭はとうとう病気になって、飯もろくろく喫くわずに寝ているようになった。と、ある夜、扉を開けて入ってきた者があった。彭は何人だれかきたとは思ったが、顔をあげるのも苦しいのでそのままじっとしていた。
「公主からお迎えにあがりました」
眼を開けて見ると、稚児髷ちごまげに結ゆうた女の子が燈籠を持って枕頭まくらもとに立っていた。しかし、彭は相手になるのが面倒であったから、ぐるりと寝返りして壁の方を向いた。
「貴郎あなたが、この間、水仙廟の所でお逢いになりました、公主からのお迎えでございます」
彭は急に体を起した。
「水仙廟で逢った公主というのですか」
「そうでございます、公主から貴郎のお供をしてくるようにという、お使いでございます」
「公主とは、どうした方です」
「いらしてくだされたら、お判りになります」
「では、行ってみましょう」
彭は起きて着物を調ととのえると、女の子は前さきに立って行った。外には月が出て涼しい風が吹いていた。燈籠の灯はその月の光にぼかされて黄いろく見えていた。
彭は生き返ったような軽い気もちになっていた。路は彼方に曲り此方に曲って行った。
「やっとまいりました」
彭はその声に顔をあげて見た。水仙廟の後ろと思われる山の麓に楼閣が簷のきを並べていた。女を尋ねて毎日水仙廟のあたりから孤山の頂にかけて歩いていた彭は、そんな楼閣を見たことがなかったので驚いた。
「公主のいらっしゃる所は、別院でございます、私がまいりますから、そっといらっしてくださいまし」
彭はうなずいてみせた。女の子はすぐ眼の前にあった朱塗の大きな門を入って、玉を敷いてあるような綺麗な路を行った。路の両側には花をつけた草や木が一めんに生えていた。椿のような花の木もあれば、牡丹のような大きな花をつけた草もあった。白い花をつけた高い木には、凌宵花のうぜんかずらのような黄いろな蔓草の花が星の落ちてきてかかったように咲いていた。花の梢から宮殿の簷が見えていた。
路は爪さきあがりにあがっていた。その路をすこし歩いていると、すぐなだらかな路になった。と、洞穴の口のように見える建物の入口がきた。その入口には「水晶城」とした額がかかっていた。建物の周囲には水があって、白や紅の蓮の花が月の光の中の下に夢見るように咲いていた。水に臨んで朱塗の欄干も見えていた。
女の子はその中へ入って行った。彭もそれに随いて行った。其所は窓という窓は皆水晶で、それに青白い月の光が射していた。公主といわれているかの女は欄干に凭もたれて月を観ていた。
「あの方かたを、お供してまいりました」
かの女は此方を見るなりすぐ体を起して寄ってきた。
「好奇ものずきの坊ちゃん、この四五日は、お見えにならないじゃありませんか」
女はにっと笑いながら彭の手に自分の手をかけた。彭はきまりが悪いので、微笑するだけで何も言えなかった。
「すこしお眼にかからない間に、こんなにお痩せになりまして」
女はこう言ってから傍に立っていた女の子の顔を見た。
「あの碧霞漿へきかしょうを一杯持っておいで」
女の子はちょっと頭をさげて次の室へやへ行ったが、すぐ盃を捧げ持ってきた。彭と手をとり合っていた女は、一方の手にそれを取って彭に渡した。それは紺碧の色をした甘い匂いのする物であった。
「これは緑蕚夫人りょくがくふじんから戴いた物でございます」
彭はそれを飲みながら不思議な周囲まわりにその眼を向けた。
「此所は何所でしょう」
「此所は広寒香界こうかんこうかいでございます、あなたのような俗人は、長く此所にいることはできないのです、早くお帰りなさい」
女は冗談に言って笑った。彭はもう何の遠慮もいらなかった。彼はいきなり女を抱きあげて綺麗な帷とばりの垂れている室の中へ入って行った。
已而菌縟流丹、女屡乞休始止。彭と女とはその後で話をした。彭は匂いのある女の体を撫でながら言った。
「貴女は、合徳ごうとくの生れかわりじゃないのですか」
女は艶めかしそうに笑った。
「貴郎は、物に怖れない方だから申しますが、私は水仙王の娘で、荷はすの花の精でございます、貴郎が情の深いことを知りましたので、こうしてお眼にかかることになりましたが、私は舅おじさんの世話になっております、舅さんは非常に物堅い方ですから、もし舅さんに知られると、もうお眼にかかることができません、どうか舅さんに知られないように、夜そっといらして、朝も早く夜が明けない内に帰ってください」
「舅さんは、どうした方です」
「蟹の王ですよ、今この西湖の判官になっております」
朝になって寺の鐘が鳴り出したので、彭は急いで起きて帰ってきたが、それから毎晩のように行って朝早く帰った。
ある朝、二人が寝すごしたところで、女の保姆うばが来た。保姆はそれを見るとその足で判官に知らせに行った。それがためにあわてて起きて帰ろうとしていた彭は、判官の捕卒のために縛られてその前へ引き出された。判官は黒い頭巾ずきんをつけて緑の袍ほうを着ていた。
「曲者をひっ捕えてまいりました」
捕卒の一人は後退しりごみする彭を判官の前へ引き据えた。彭はどんな目にあわされることかと思って生きた心地きもちがしなかった。判官はその容さまをにくにくしそうに見おろしていたが、何を考えたのか急に眼を瞠みはるとともに急いで堂の上からおりてきた。
「貴君あなたは私の恩人だ、これはあいすまんことをした弁解もうしわけがない」
判官は急いで彭を縛った縄を解いたが、彭にはその意味が判らなかった。
「私はいつか貴君に助けられた者だ」
彭は女から舅さんは蟹の王であると言われたことを思いだした。彭はふと気が注ついた。彼はある日、友人と二人で南屏なんびょうへ遊びに行ったが、帰ってくるとすぐ近くで網を曳いている舟があった。ちょうど網があがったところであったから、どんな魚が捕れるだろうと思って、中腰になって網の中を覗いた。網の中にはおおきな甲羅をした蟹が入っていて、それが紫色の鋏をあげて逃げようとでもするように悶掻もがいていた。彼にはこれまで曾かつて一度も見たことのない蟹であった。彼は何かしらそれに神秘を感じたので、放してやろうと思って網舟の傍へ自分の舟を持って行かした。その結果、彭の銭が漁師の手に渡って、漁師の蟹が彭の舟にきた。彭の舟はやがて網舟を離れたが、再び漁師に獲られる危険のない所へくると蟹を水の中に入れてやった。蟹は大きな鋏を前で合わせて人が拱揖れいをするような容さまをして沈んでいった。…………
「さあどうか、おあがりくだされ」
判官が強しいて言うので彭は安心してあがった。
「姪めいの室に人がきているというので、貴君とは知らずに大変無礼をいたした。時に貴君は何方どちらの生れです」
「私は南昌の者で彭徳孚と申します」
「貴君は許婚いいなずけの人でもありますか」
「ありません」
「では、良縁だ、私の姪と結婚して貰いたい」
彭はもとより望むところであった。その席には保姆もいた。判官は保姆に言いつけた。
「あれを呼んでこい」
保姆は公主を連れて入ってきた。女は恥かしそうにして顔をあげなかった。判官の夫人も其所へ入ってきた。
「この方が、わしの恩人じゃ、あれをお願いすることにした」
彭は女と結婚の式をあげて水晶館にいることになった。彭は琴が上手であった。彭が琴を弾ひくと女はいつも傍で歌った。二人はこうした夢のような日を一年ばかり送ったが、その翌年の春、西湖の年中行事の一つになっている水遊びの日がきた。その日、西湖では舟の競争があるので、その見物をかたがけて遊びにくるものが多かった。彭も舟で女を連れて出かけて行った。
風のない暖かな日であった。前からそろそろと漕いできた一艘の舟があったが、その舟の中から声をかける者があった。
「彭君じゃないか」
彭は聞き覚えのある声を聞いて顔をあげた。それは銭塘の友人であった。
「やあ」
「君は、いったい何所を歩いてるのだ、君の家から手紙がきたから、僕はこの間中、君の居所を捜していたのだよ」
その時、舟と舟の小縁こべりがくっつくようになって、彭と友人とは手を握れそうになった。
「それはすまなかったね」
「では手紙を渡すよ」
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