(426) 欲为佛弟子,怎样行持才可不愧佛心之名?
●为佛弟子,必须依教奉行。于家庭必须尽孝、尽悌,对朋友必须劝善规过,居心必以诚敬为主,作事必以慎重当先。诸恶莫作,众善奉行,起一念不正心,即是恶,必须洗涤净尽,非谓行之于事,方为恶也。凡属主敬存诚,希圣希贤之念头,即是善,必须扩充令其由中达外,圆满无馁。世之大恶莫过于杀生食肉,若能自由即可断荤,否则心生怜悯勿贪多食。世间大善莫过于自己念佛求生西方,又种种方便劝父母兄弟,妻子眷属,乡党邻里,亲戚朋友及一切有缘者,同念佛求生西方。汝宜量力而行,庶可不愧佛心之名矣。
昨由上海商务印书馆转来汝书,知年当志学,便慕佛道,不胜欣慰。即令商务馆任心白君寄汝《文钞》一包,以便自看,余送有善根者。一切众生,皆有佛性,但以迷而不知,反承此佛性功德力,起贪嗔痴,造杀盗淫,以兹沉沦于三途六道,永不能出。如来愍之,令修戒定慧以断妄起之贪嗔痴。贪嗔痴尽,则可了生脱死,超凡入圣矣。此自力法门,欲于现生了脱者,万不得一。以故令生信发愿持佛名号求生西方。果能信愿真切,即可仗佛慈力带业往生。较彼仗自力者,其艰易天地悬隔也。汝既欲皈依佛法,为佛弟子,必须依教奉行,方可名实相副。于家庭必须尽孝、尽悌,对朋友必须劝善规过,居心必以诚敬为主,作事必以慎重当先。诸恶莫作,众善奉行,起一念不正心,即是恶,必须洗涤净尽。非谓行之于事,方为恶也。凡属主敬存诚,希圣希贤之念头,即是善。必须扩充令其由中达外,圆满无馁。世之大恶莫过于杀生食肉,若能自由即可断荤,否则心生怜悯勿贪多食。世间大善莫过于自己念佛求生西方,又种种方便劝父母兄弟,妻子眷属,乡党邻里,亲戚朋友及一切有缘者,同念佛求生西方。汝宜量力而行,庶可不愧佛心之名矣。寻常皈依必起法名,即以汝名为法名。汝其顾名思义,勉力而为则可不负此一番诚心矣。详看《文钞》,修持之法,悉可了知。不必常常来信,致令彼此烦心。(《新编全本印光法师文钞》卷二十三第39页 复佛心居士书)
●为佛弟子,必须依教奉行。于家庭必须尽孝、尽悌,对朋友必须劝善规过,居心必以诚敬为主,作事必以慎重当先。诸恶莫作,众善奉行,起一念不正心,即是恶,必须洗涤净尽,非谓行之于事,方为恶也。凡属主敬存诚,希圣希贤之念头,即是善,必须扩充令其由中达外,圆满无馁。世之大恶莫过于杀生食肉,若能自由即可断荤,否则心生怜悯勿贪多食。世间大善莫过于自己念佛求生西方,又种种方便劝父母兄弟,妻子眷属,乡党邻里,亲戚朋友及一切有缘者,同念佛求生西方。汝宜量力而行,庶可不愧佛心之名矣。
昨由上海商务印书馆转来汝书,知年当志学,便慕佛道,不胜欣慰。即令商务馆任心白君寄汝《文钞》一包,以便自看,余送有善根者。一切众生,皆有佛性,但以迷而不知,反承此佛性功德力,起贪嗔痴,造杀盗淫,以兹沉沦于三途六道,永不能出。如来愍之,令修戒定慧以断妄起之贪嗔痴。贪嗔痴尽,则可了生脱死,超凡入圣矣。此自力法门,欲于现生了脱者,万不得一。以故令生信发愿持佛名号求生西方。果能信愿真切,即可仗佛慈力带业往生。较彼仗自力者,其艰易天地悬隔也。汝既欲皈依佛法,为佛弟子,必须依教奉行,方可名实相副。于家庭必须尽孝、尽悌,对朋友必须劝善规过,居心必以诚敬为主,作事必以慎重当先。诸恶莫作,众善奉行,起一念不正心,即是恶,必须洗涤净尽。非谓行之于事,方为恶也。凡属主敬存诚,希圣希贤之念头,即是善。必须扩充令其由中达外,圆满无馁。世之大恶莫过于杀生食肉,若能自由即可断荤,否则心生怜悯勿贪多食。世间大善莫过于自己念佛求生西方,又种种方便劝父母兄弟,妻子眷属,乡党邻里,亲戚朋友及一切有缘者,同念佛求生西方。汝宜量力而行,庶可不愧佛心之名矣。寻常皈依必起法名,即以汝名为法名。汝其顾名思义,勉力而为则可不负此一番诚心矣。详看《文钞》,修持之法,悉可了知。不必常常来信,致令彼此烦心。(《新编全本印光法师文钞》卷二十三第39页 复佛心居士书)
#往復書簡#
「シッター小竹」、5歳女児2人との濃密な「4時間」
片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)×作詞家・小竹正人 往復書簡26
特別子供好きでも何でもないのだが、就学前の子供たちに妙に懐かれることが少なくない小竹。作詞家ではなく、シッターとしての濃密な数時間をリポートする。
***
拝啓 片寄涼太様
この連載で、「子供たち」やら「ベビーシッター」やらと折にふれ書いている私。ここ数年、少子化問題も何のその、私の周りではやたらと子供が生まれ育っていて、どういうわけかその子供たち(特に就学前の)が妙に私に懐いてくる。特別子供好きでも何でもないのに。
人間ではなくゆるキャラみたいに思われている節があるかも。
2020年の終わりのとある夜、我が家で2人の女児(共に5歳)を預かることになった。そう、巷で噂の「シッター小竹」である。
午後5時ちょっと前、2人が我が家に到着。なんだかとてもしおらしくそれぞれの両親に「行ってらっしゃい」と言っている。
だが2つの顔に悲しさや淋しさは皆無。何故なら物心ついたときからしょっちゅう我が家に遊びに来ていて、「おだちゃんちに遊びに行きたい」が口癖の2人だから。
親を見送って我が家のドアが閉まったその瞬間、2人は「モモコ」と「ラミー」という名前になる(ホントは2人とも全然違う名前)。
彼女たちが3歳くらいの頃からだろうか、「なりきりごっこ」なるものが流行り始め、それぞれが自分に別の名前(ごっこネーム)をつけ、親がいなくなると、私に対して常に普段より少し大人ぶったキャラを演じ始めるのだ(親の前では絶対にやらない)。
2人がモモコとラミーになると私は強制的に「おだちゃん」から「ボンボン」という名前に変身する。これもなりきりごっこのルールの一環。ここでモモコとラミーとボンボンは同年代(推定ハタチくらい)になる。
我が家のリビングで彼女たちが人形遊びを始めたので、私はバタバタと夕飯を作る(15歳からひとり暮らしをしている私は料理が得意だ)。
モモコとラミーが好きな牛ひき肉と卵のそぼろごはん、山芋とチーズのふわふわ焼き、モロヘイヤとえのきのお浸し、たらこ白滝などを、大皿小皿に盛り付けて出す。
おしゃべりに夢中で2人ともボロボロこぼすので、それをいちいちすぐに拭き取る私(神経質なもんで)。
夕飯が終わり、山のような調理器具や食器をゆすいで食洗機へ入れ、諸々の後片付けを私がしている間、2人にはサンタさんへの手紙を書かせる。
モモコもラミーも何色ものペンを使ってイラスト付きで「さんたさんへ でぃずにーのふるうと(フルート)がほしいです」と書き、それを我が家のクリスマスツリーの下に置いた。あとで、Amazonで注文しなくては。
手紙を書き終えると、我が家の空き部屋に移動。この部屋、いつの間にか我が家に子供が来たときの遊び部屋になり、徐々に増えたおもちゃ(特にママゴト系の)がたくさん置いてある。
もはや完全に子供部屋(ひとり暮らしなのに)。この部屋に入ったとたん、なりきりごっこはより本格的になる。
3人でルームシェアをしている設定で、全員が敬語を使うのがルール。彼女たちの中では「敬語=大人っぽい」から。
先ほどのキッチンでの私を真似るかのように調理を始める2人(もちろんママゴト)。次々に私の目の前に運ばれてくる料理。それをさも美味しそうに食べなくてはならない私。本気で食べる真似をしないとめちゃくちゃ怒られるので。
ママゴトに飽きると、今度はダンスの発表会。それぞれが曲を選んでワンコーラス分踊る。私は「モモコ最高!」だの「ラミー可愛い!」だの、熱狂的なファンとして声援を送る役割。
この様子をスマホで撮影でもしようもんなら、「ボンボン、写真禁止!!」と烈火のごとく怒られる。たとえ5歳であっても、何かを真剣にやっている様子を面白おかしく撮影されるのは心外なのである。
やがて、デザートの時間(ママゴトではなく本物のデザート)。
今日は前もって2人のためにケーキを買ってある。これも最近の彼女たちのブームなのだが、デザートのときはスイーツとドリンクのメニューを紙に書いて(全部平仮名で)、私が店員、モモコとラミーが客の「即席カフェごっこ」になる。
「いらっしゃいませ」から始まり、ラミーが「シュークリームをおひとつとミントティーをおひとつ」と気取って言えば、モモコが「チーズケーキをおひとつとミントティーおひとつお願いします」と、これまた妙な「おひとつ」の使い方で注文してくる。
私が「今日誕生日の方?」と聞くと2人とも即座に「はい!」(もちろんホントは違う)。
それぞれが選んだケーキに小さなキャンドルを1本ずつさして、「Happy birthday to you~♪」と歌いながらケーキ(5歳児なので半分にカットした)を出す。
ナイフとフォークを使って上品ぶって食べるのも2人のワクワクポイント。いきなり無言になり、普段はあまり食べさせてもらえないケーキに夢中になる2人。
しかしケーキを食べ終えると、どちらからともなくアイスミントティーをストローでぶくぶくやりながらキャッキャと笑い合い、私に「コラー!!」と本気で叱られる。
カフェタイムが終わり、おもちゃを片付けさせていたら、どちらが何を片付けるかが原因で2人が喧嘩になった。
するとモモコが「じゃあ、にらめっこで決めよう」と言い、急に2人が向き合って、変顔をしながら「あかりをつけましょぼんぼりに~♪」とひなまつりの歌を歌い始める。
なんだこれ? 流行りなのか? 傍で見ていた私が爆笑しているのにもかかわらず2人とも一切笑わず真剣にらめっこ。
夜も更け、2人に歯磨きをさせ、再び子供部屋でなりきりごっこをやっていたら、9時前に両家の親たちが迎えに来た。
ほんの数秒前までは「今日、おだちゃんちに泊まりたい」と私に懇願していた2人。けれどそれぞれのパパとママを見たとたん、モモコとラミーは姿を消し、普段の2人に瞬時にして戻り、帰って行った。
シッター小竹、今夜も任務遂行。……疲れた。作詞2曲分くらいのエネルギーを消耗した。
涼太、こんな私の姿、想像できないよね? だが、私にはこの時間がいとおしいのである。一言では言い表せないしみじみとした多幸感。昔、子供って大嫌いだったのになあ。
ああ、往復書簡始まって以来の長い文章になってしまった。
さて、デビュー10年を目前にしている君たちに声をかけるなら、「まだまだ頑張れ!」です。
私にしたら、デビュー前から溺愛しているGENERATIONSメンバー全員に感慨深い思い出がたくさんある。いまだにグッとくるエピソードだって書ききれないくらいある。
ただ、私にとって今の君たちは、「少年が10年経って若者になった」という感じ。依然として発展途上にあるし、可能性という名の伸びしろだらけ。
しかも、これから君たちに訪れる「男の30代」って心身共にエネルギーが充満してめちゃくちゃ仕事が楽しくなるんだよ。羨ましい!!
ますますのご活躍を心から期待しております。
小竹正人
p1 毎年初詣は親友・妻夫木聡氏と。絶対に欠かせない正月の行事になっている。出逢った20年前は2人とも案外暇で、温泉巡りとゲームばっかりしていた。お互いに劇的に状況が変わって、それでも関係性はあの頃のままなのが嬉しい
p2 シッターの日の夕飯。身体にいい物を食べさせようと思うと全体的に色合いが濁ってしまい、あまり美味しそうに見えませんが(笑)、子供達には好評で「おだちゃんのゴハンが食べたい!」と頻繁にリクエストされます
原文链接https://t.cn/A65ZleMU
「シッター小竹」、5歳女児2人との濃密な「4時間」
片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)×作詞家・小竹正人 往復書簡26
特別子供好きでも何でもないのだが、就学前の子供たちに妙に懐かれることが少なくない小竹。作詞家ではなく、シッターとしての濃密な数時間をリポートする。
***
拝啓 片寄涼太様
この連載で、「子供たち」やら「ベビーシッター」やらと折にふれ書いている私。ここ数年、少子化問題も何のその、私の周りではやたらと子供が生まれ育っていて、どういうわけかその子供たち(特に就学前の)が妙に私に懐いてくる。特別子供好きでも何でもないのに。
人間ではなくゆるキャラみたいに思われている節があるかも。
2020年の終わりのとある夜、我が家で2人の女児(共に5歳)を預かることになった。そう、巷で噂の「シッター小竹」である。
午後5時ちょっと前、2人が我が家に到着。なんだかとてもしおらしくそれぞれの両親に「行ってらっしゃい」と言っている。
だが2つの顔に悲しさや淋しさは皆無。何故なら物心ついたときからしょっちゅう我が家に遊びに来ていて、「おだちゃんちに遊びに行きたい」が口癖の2人だから。
親を見送って我が家のドアが閉まったその瞬間、2人は「モモコ」と「ラミー」という名前になる(ホントは2人とも全然違う名前)。
彼女たちが3歳くらいの頃からだろうか、「なりきりごっこ」なるものが流行り始め、それぞれが自分に別の名前(ごっこネーム)をつけ、親がいなくなると、私に対して常に普段より少し大人ぶったキャラを演じ始めるのだ(親の前では絶対にやらない)。
2人がモモコとラミーになると私は強制的に「おだちゃん」から「ボンボン」という名前に変身する。これもなりきりごっこのルールの一環。ここでモモコとラミーとボンボンは同年代(推定ハタチくらい)になる。
我が家のリビングで彼女たちが人形遊びを始めたので、私はバタバタと夕飯を作る(15歳からひとり暮らしをしている私は料理が得意だ)。
モモコとラミーが好きな牛ひき肉と卵のそぼろごはん、山芋とチーズのふわふわ焼き、モロヘイヤとえのきのお浸し、たらこ白滝などを、大皿小皿に盛り付けて出す。
おしゃべりに夢中で2人ともボロボロこぼすので、それをいちいちすぐに拭き取る私(神経質なもんで)。
夕飯が終わり、山のような調理器具や食器をゆすいで食洗機へ入れ、諸々の後片付けを私がしている間、2人にはサンタさんへの手紙を書かせる。
モモコもラミーも何色ものペンを使ってイラスト付きで「さんたさんへ でぃずにーのふるうと(フルート)がほしいです」と書き、それを我が家のクリスマスツリーの下に置いた。あとで、Amazonで注文しなくては。
手紙を書き終えると、我が家の空き部屋に移動。この部屋、いつの間にか我が家に子供が来たときの遊び部屋になり、徐々に増えたおもちゃ(特にママゴト系の)がたくさん置いてある。
もはや完全に子供部屋(ひとり暮らしなのに)。この部屋に入ったとたん、なりきりごっこはより本格的になる。
3人でルームシェアをしている設定で、全員が敬語を使うのがルール。彼女たちの中では「敬語=大人っぽい」から。
先ほどのキッチンでの私を真似るかのように調理を始める2人(もちろんママゴト)。次々に私の目の前に運ばれてくる料理。それをさも美味しそうに食べなくてはならない私。本気で食べる真似をしないとめちゃくちゃ怒られるので。
ママゴトに飽きると、今度はダンスの発表会。それぞれが曲を選んでワンコーラス分踊る。私は「モモコ最高!」だの「ラミー可愛い!」だの、熱狂的なファンとして声援を送る役割。
この様子をスマホで撮影でもしようもんなら、「ボンボン、写真禁止!!」と烈火のごとく怒られる。たとえ5歳であっても、何かを真剣にやっている様子を面白おかしく撮影されるのは心外なのである。
やがて、デザートの時間(ママゴトではなく本物のデザート)。
今日は前もって2人のためにケーキを買ってある。これも最近の彼女たちのブームなのだが、デザートのときはスイーツとドリンクのメニューを紙に書いて(全部平仮名で)、私が店員、モモコとラミーが客の「即席カフェごっこ」になる。
「いらっしゃいませ」から始まり、ラミーが「シュークリームをおひとつとミントティーをおひとつ」と気取って言えば、モモコが「チーズケーキをおひとつとミントティーおひとつお願いします」と、これまた妙な「おひとつ」の使い方で注文してくる。
私が「今日誕生日の方?」と聞くと2人とも即座に「はい!」(もちろんホントは違う)。
それぞれが選んだケーキに小さなキャンドルを1本ずつさして、「Happy birthday to you~♪」と歌いながらケーキ(5歳児なので半分にカットした)を出す。
ナイフとフォークを使って上品ぶって食べるのも2人のワクワクポイント。いきなり無言になり、普段はあまり食べさせてもらえないケーキに夢中になる2人。
しかしケーキを食べ終えると、どちらからともなくアイスミントティーをストローでぶくぶくやりながらキャッキャと笑い合い、私に「コラー!!」と本気で叱られる。
カフェタイムが終わり、おもちゃを片付けさせていたら、どちらが何を片付けるかが原因で2人が喧嘩になった。
するとモモコが「じゃあ、にらめっこで決めよう」と言い、急に2人が向き合って、変顔をしながら「あかりをつけましょぼんぼりに~♪」とひなまつりの歌を歌い始める。
なんだこれ? 流行りなのか? 傍で見ていた私が爆笑しているのにもかかわらず2人とも一切笑わず真剣にらめっこ。
夜も更け、2人に歯磨きをさせ、再び子供部屋でなりきりごっこをやっていたら、9時前に両家の親たちが迎えに来た。
ほんの数秒前までは「今日、おだちゃんちに泊まりたい」と私に懇願していた2人。けれどそれぞれのパパとママを見たとたん、モモコとラミーは姿を消し、普段の2人に瞬時にして戻り、帰って行った。
シッター小竹、今夜も任務遂行。……疲れた。作詞2曲分くらいのエネルギーを消耗した。
涼太、こんな私の姿、想像できないよね? だが、私にはこの時間がいとおしいのである。一言では言い表せないしみじみとした多幸感。昔、子供って大嫌いだったのになあ。
ああ、往復書簡始まって以来の長い文章になってしまった。
さて、デビュー10年を目前にしている君たちに声をかけるなら、「まだまだ頑張れ!」です。
私にしたら、デビュー前から溺愛しているGENERATIONSメンバー全員に感慨深い思い出がたくさんある。いまだにグッとくるエピソードだって書ききれないくらいある。
ただ、私にとって今の君たちは、「少年が10年経って若者になった」という感じ。依然として発展途上にあるし、可能性という名の伸びしろだらけ。
しかも、これから君たちに訪れる「男の30代」って心身共にエネルギーが充満してめちゃくちゃ仕事が楽しくなるんだよ。羨ましい!!
ますますのご活躍を心から期待しております。
小竹正人
p1 毎年初詣は親友・妻夫木聡氏と。絶対に欠かせない正月の行事になっている。出逢った20年前は2人とも案外暇で、温泉巡りとゲームばっかりしていた。お互いに劇的に状況が変わって、それでも関係性はあの頃のままなのが嬉しい
p2 シッターの日の夕飯。身体にいい物を食べさせようと思うと全体的に色合いが濁ってしまい、あまり美味しそうに見えませんが(笑)、子供達には好評で「おだちゃんのゴハンが食べたい!」と頻繁にリクエストされます
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君曰:“彼其道远而险,又有江山,我无舟车,奈何?”市南子曰:“君无形倨,无留居,以为君车。”君曰:“彼其道幽远而无人,吾谁与为邻?吾无粮,我无食,安得而至焉?”
市南子曰:“少君之费,寡君之欲,虽无粮而乃足。君其涉于江而浮于海,望之而不见其崖,愈往而不知其所穷。送君者皆自崖而反,君自此远矣!故有人者累,见有于人者忧。故尧非有人,非见有于人也。吾愿去君之累,除君之忧,而独与道游于大莫之国。方舟而济于河,有虚船来触舟,虽有惼心之人不怒,有一人在其上,则呼张歙之,一呼而不闻,再呼而不闻,于是三呼邪,则必以恶声随之。向也不怒而今也怒,向也虚而今也实。人能虚己以游世,其孰能害之!”(庄子.外篇•山木第二十) https://t.cn/R2WxT6z
市南子曰:“少君之费,寡君之欲,虽无粮而乃足。君其涉于江而浮于海,望之而不见其崖,愈往而不知其所穷。送君者皆自崖而反,君自此远矣!故有人者累,见有于人者忧。故尧非有人,非见有于人也。吾愿去君之累,除君之忧,而独与道游于大莫之国。方舟而济于河,有虚船来触舟,虽有惼心之人不怒,有一人在其上,则呼张歙之,一呼而不闻,再呼而不闻,于是三呼邪,则必以恶声随之。向也不怒而今也怒,向也虚而今也实。人能虚己以游世,其孰能害之!”(庄子.外篇•山木第二十) https://t.cn/R2WxT6z
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