#每日一读# #地狱老师#
ネットでは、間違った情報でも、発信力の強い者が正しいと認識されてしまう。結局、デカイ声の者が勝つ。お前に本当に伝えたいことがあるんなら、デケェ声で叫べってことだ
在网络上,即使是错误的言论,若发出者的影响力强,就会被认为是正确的。结果,还是声音大的一方获胜。如果你有真正想要传达的东西,就大声呐喊吧。
ネットでは、間違った情報でも、発信力の強い者が正しいと認識されてしまう。結局、デカイ声の者が勝つ。お前に本当に伝えたいことがあるんなら、デケェ声で叫べってことだ
在网络上,即使是错误的言论,若发出者的影响力强,就会被认为是正确的。结果,还是声音大的一方获胜。如果你有真正想要传达的东西,就大声呐喊吧。
みーぱん「絶対飛ぶってきめてたので。あーーどうしよってなってました。もーね、怖すぎました。(笑)人生であんな怖いことしたことないってくらいなの!本当に。失神するくらい怖かったです。もーね、涙が止まりませんでした。でもみんな落ちた時に大声でみんながみーぱん! 起きてって叫んでくれてその声で気づいてあー! 良かった飛べた! って思いました!」
今日はちょっとLDPのツアーを振り返った。
久々に「魂の叫び」という中二病まみれの単語を思い浮かべた。
かれこれ何年目なのかよく覚えていない記憶もどんどん薄れていく身だけど、LiSAのことだけが心に沁みているのがよく分かっている。
LDPツアーはたった4公演だったけど、フル参加できたことは、今に思っても至福の三週間であったことが変わりはない。
確かに、年末の雑談では、生意気にLiSAにちょっと他者より低めな評価を与えた。それは事実上なことだし、嘘をつくのは自分の性分ではないから、いくら愛という不確かなものが脳みそを侵しているとしても、結局自分的な正しさでは許すわけがなかった。
ただ、否定はしていなかった。否定だけがするつもりはなかった。今でもそう思ってる。
LiSAという歌手、いや、人間にとって、人格の美しさは、他人ではそう簡単にまねできることではない。ましては超えることなど、海から針を掬う程度の夢物語みたいなイメージしかできない。
音楽以外では接しない。と思ったのだが、結局音楽以外では一番接していた。ただ極シンプルなことばかりだった。例えばラジオを聴く度の喜び、ツイターでの自己主張、他者のライブを見た感想、好きなミニオンズ、泣きながら見た映画のこと、できた友たちとライバル、自撮りの写真一枚一枚、ブログの数だけの収穫などなど。たとえ半年以上会えてないくても、そんなに距離を感じてはいない。むしろ毎日そばにいる気分だ。
何せ俺の人生を大きく覆した女だから、その魅力は並大抵なやつでは比べものすらならない。今でも感謝している。
LiSAのおかげで、たくさん友も作った。他にもたくさん優れる歌手と曲と出会った。ただ、たとえ友が全部いなくても、また独りぼっちに返ったとしても、俺は俺でLiSAを愛するだろう。誰も責めずに恨まずに。
日本にいるこの日々に、なんとなくお互い成長したなあと頷いたときも多々あったが、本当は何も変わっていないじゃないかって思うときも決して少なくはなかった。アーティストの世界と一般社員の世界が雲泥の差だ。と蓋然性合理主義的な世間の価値観はそう人の思考を束縛しているみたいだが、最近の俺はそうは思っていない。
結局歌手も社畜もただの人間だ。と今強く実感している。仕事の内容が異なるとしても、生きることは同じだ。そして、互い赤の他人であることも永遠に変わらない。変わる必要もない。
本当は会いに行けて、それだけですごく嬉しく思える、幸せを感じる。
キミは光と闇の調べ、ささやく天使と悪魔、轟く鐘と静めるせせらぎ。どれでもキミ、どれでもLiSAであることは、日々の虚しさから俺を救い上げている。
それだけで、十分だ。
平凡で暮らし、平凡で死んでゆく。ただLiSAという色に染められながら、死ぬまでに生きていきたいと願っている。LiSAを愛し続けることが、遠くから見守ることが、小さくて一番の宝物だからだ。
久々に「魂の叫び」という中二病まみれの単語を思い浮かべた。
かれこれ何年目なのかよく覚えていない記憶もどんどん薄れていく身だけど、LiSAのことだけが心に沁みているのがよく分かっている。
LDPツアーはたった4公演だったけど、フル参加できたことは、今に思っても至福の三週間であったことが変わりはない。
確かに、年末の雑談では、生意気にLiSAにちょっと他者より低めな評価を与えた。それは事実上なことだし、嘘をつくのは自分の性分ではないから、いくら愛という不確かなものが脳みそを侵しているとしても、結局自分的な正しさでは許すわけがなかった。
ただ、否定はしていなかった。否定だけがするつもりはなかった。今でもそう思ってる。
LiSAという歌手、いや、人間にとって、人格の美しさは、他人ではそう簡単にまねできることではない。ましては超えることなど、海から針を掬う程度の夢物語みたいなイメージしかできない。
音楽以外では接しない。と思ったのだが、結局音楽以外では一番接していた。ただ極シンプルなことばかりだった。例えばラジオを聴く度の喜び、ツイターでの自己主張、他者のライブを見た感想、好きなミニオンズ、泣きながら見た映画のこと、できた友たちとライバル、自撮りの写真一枚一枚、ブログの数だけの収穫などなど。たとえ半年以上会えてないくても、そんなに距離を感じてはいない。むしろ毎日そばにいる気分だ。
何せ俺の人生を大きく覆した女だから、その魅力は並大抵なやつでは比べものすらならない。今でも感謝している。
LiSAのおかげで、たくさん友も作った。他にもたくさん優れる歌手と曲と出会った。ただ、たとえ友が全部いなくても、また独りぼっちに返ったとしても、俺は俺でLiSAを愛するだろう。誰も責めずに恨まずに。
日本にいるこの日々に、なんとなくお互い成長したなあと頷いたときも多々あったが、本当は何も変わっていないじゃないかって思うときも決して少なくはなかった。アーティストの世界と一般社員の世界が雲泥の差だ。と蓋然性合理主義的な世間の価値観はそう人の思考を束縛しているみたいだが、最近の俺はそうは思っていない。
結局歌手も社畜もただの人間だ。と今強く実感している。仕事の内容が異なるとしても、生きることは同じだ。そして、互い赤の他人であることも永遠に変わらない。変わる必要もない。
本当は会いに行けて、それだけですごく嬉しく思える、幸せを感じる。
キミは光と闇の調べ、ささやく天使と悪魔、轟く鐘と静めるせせらぎ。どれでもキミ、どれでもLiSAであることは、日々の虚しさから俺を救い上げている。
それだけで、十分だ。
平凡で暮らし、平凡で死んでゆく。ただLiSAという色に染められながら、死ぬまでに生きていきたいと願っている。LiSAを愛し続けることが、遠くから見守ることが、小さくて一番の宝物だからだ。
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