前些天,听闻了一个悲剧,我心里悲伤了许久
一女子,我小时邻居家女儿,大我几岁
我们不熟,但后来有渊源,至今她结婚三次
第二次、第三次婚姻,共生育三个小孩
前些日子,得知她第三次结婚的老公,今年病死了,留下一对六七岁的儿女
这个女人的故事,从头到尾都透露着一种弥散不开的个人不争气和命运的无情
我是看着她从清高漂亮的青春少女,到如今的三婚丧夫,育有三个子女的近五十岁的工厂女工…
她30岁,出轨离婚,再嫁,第二次婚姻不到两年又出轨,再次离婚,第二段婚姻育一小孩
第二次离婚时,她父母强烈反对
下通牒,如果离婚就断绝关系,老父母也离开生活了几十年的城市,远走他乡,即便父母如此强硬,依然没能阻碍她第二次离婚
只是,第二次离婚后,她也没能和出轨的姘头结婚,但再无颜在原来的环境生活下去。因为两任前夫,都是邻居,而且这两次离婚,都是拼死也要离婚,自然是满城风雨,人尽皆知
破碎了好几个家庭
老父母的颜面,两次都丢尽,替女儿给人道歉
后来,听闻她嫁给了一个外省男人,又生了两个孩子。夫妻俩还曾短暂地染过毒瘾,十年前,戒掉了
她三婚所嫁的男人,是云南人,据说云南种罂粟,就是回云南夫家时,染上的毒瘾。为了彻底戒掉,所以夫妻二人远离云南,在浙江打工多年
这十几年来,她一直生活外地,很少回娘家
她可以说是负尽天下人,抛弃了整个前半生所有亲朋好友的枝枝脉脉,断了后路去追求她想要的幸福,却扑了个空,好在后来遇到的第三任丈夫,待她应是知冷暖,懂疼惜,所以后来这十年左右,她过得应是幸福
那男的,我看过照片,面相看起来,性格温和。从社会阶层来说,二人都在电子工厂打工,是社会底层,但是,一个会疼女人的男人,是由性格和认知观念决定的,不是社会层次
这些年,我听闻过几次她的消息,组装出以上她至今的人生框架
其实,我也早就原谅了她的一再出轨离婚遗弃孩子的荒唐。因为,她第一任老公,我不了解,但是她第二任老公,我了解,实在不值得嫁
她前两次嫁人,只要人不对,她就敢毫不犹豫地挑战天下,这方面,是个狠人。要知道,多少知名明星艺人,都要忍多年后,才敢挣破世俗枷锁,去做率性的自我
很多年前,我曾以一个女性的角度,客观地剖析过她三次婚姻的原因,发现她没有一次是因为物质,就是这点,让我原谅了她。她辜负所有人,不是为了钱,是为了她想要的情感生活
确实,她没有一次是因为哪个男人更有钱才出轨,她就是单纯因为有个男人给了她温情,于是,她就像抓住了救命稻草一样,奋不顾身扑了过去
所以我想,她所追求的应该只是一个会疼她的男人,而不是满足于“吃饭睡觉过日子”这种马斯洛最低的基础需求的“植物人”
但是,中国底层男人,大多粗糙愚昧,没有生活乐趣,没有情怀情感,仿如植物一样的活着,而她不想跟植物生活一辈子,所以她才会每次遇到一个对她稍好一点的男人,就奋不顾身地飞蛾扑火过去
但是,她没有深层次的思维,不懂甄别,不会思考,所以两次结婚后,都很快发现不是自己要的,于是日渐冷淡无趣,内心不满,她本身又有几分姿色,遇到有个男人予她温情,她就会快速决绝地离开她早就觉察到已经开始枯萎的婚姻生活
而且,即便生了孩子,也套不住她追求自己幸福生活的念头。所以,纵观她这抬不起头的前半生,虽然可恶,但是本质里,她其实不过是一个不惧怕流言蜚语不怕道德枷锁、舆论口舌、勇于追求自我幸福生活但是又缺乏思考能力和独立精神的女人
某种角度来说,我挺佩服她这种为了自己,把道德和舆论枷锁都视为无物、光明正大不管不顾的自私
所以,在得知她三婚、共同育有一儿一女的老公,今年年初病死的消息,我很震惊,从嫌弃她,到悲悯她
她二婚时生的小孩,她几乎没有怎么陪伴过,完全是她养父母和前夫家帮着养大
对,她自己也是被遗弃,她的父母其实是养父养母,但是她养父母没有子女,只有她一个,所以待她及其宠爱,这才宠成了任性的毛病吧
她三婚时,生的两个小孩,跟爷爷奶奶生活在云南
如今的她,没有一技之长,三十几岁后才尝试着自己养活自己,所以她下半生,能养活自己就不错了。而那两小孩,得靠已经年迈的爷爷奶奶吧
她行至如今,咎由自取的悲剧人生,看起来只是平平淡淡的个体沧桑,也没有兵荒马乱的战乱时代背景能为她开脱,但是,即便如此,一想到她的经历,还是让我窒息
我倒是希望她幸福美满,让我生出一份忿忿不平来的好
现在,我对她会有一份心疼
所以,我一直倡导每一个女孩,要自小就严格教育,要塑造女孩自强自立的思想,不要有意无意地灌输那种“嫁汉嫁汉穿衣吃饭”的依附性人格,长大后才不会把希望寄予男人,把自己的一生轻易交给遇到的男人的质量来决定
一个独立自我的女人,会不断提升自己,会甑别男人,会在拼搏进取中,逐渐拥有掌控自己命运的能力
那些没嫁的姑娘,真的不要急,结婚只是另一种开始,而一旦开启这个开始,你的人生就不再是由你一个人做主,所以一定要有自己具备独立过好生活的能力
一女子,我小时邻居家女儿,大我几岁
我们不熟,但后来有渊源,至今她结婚三次
第二次、第三次婚姻,共生育三个小孩
前些日子,得知她第三次结婚的老公,今年病死了,留下一对六七岁的儿女
这个女人的故事,从头到尾都透露着一种弥散不开的个人不争气和命运的无情
我是看着她从清高漂亮的青春少女,到如今的三婚丧夫,育有三个子女的近五十岁的工厂女工…
她30岁,出轨离婚,再嫁,第二次婚姻不到两年又出轨,再次离婚,第二段婚姻育一小孩
第二次离婚时,她父母强烈反对
下通牒,如果离婚就断绝关系,老父母也离开生活了几十年的城市,远走他乡,即便父母如此强硬,依然没能阻碍她第二次离婚
只是,第二次离婚后,她也没能和出轨的姘头结婚,但再无颜在原来的环境生活下去。因为两任前夫,都是邻居,而且这两次离婚,都是拼死也要离婚,自然是满城风雨,人尽皆知
破碎了好几个家庭
老父母的颜面,两次都丢尽,替女儿给人道歉
后来,听闻她嫁给了一个外省男人,又生了两个孩子。夫妻俩还曾短暂地染过毒瘾,十年前,戒掉了
她三婚所嫁的男人,是云南人,据说云南种罂粟,就是回云南夫家时,染上的毒瘾。为了彻底戒掉,所以夫妻二人远离云南,在浙江打工多年
这十几年来,她一直生活外地,很少回娘家
她可以说是负尽天下人,抛弃了整个前半生所有亲朋好友的枝枝脉脉,断了后路去追求她想要的幸福,却扑了个空,好在后来遇到的第三任丈夫,待她应是知冷暖,懂疼惜,所以后来这十年左右,她过得应是幸福
那男的,我看过照片,面相看起来,性格温和。从社会阶层来说,二人都在电子工厂打工,是社会底层,但是,一个会疼女人的男人,是由性格和认知观念决定的,不是社会层次
这些年,我听闻过几次她的消息,组装出以上她至今的人生框架
其实,我也早就原谅了她的一再出轨离婚遗弃孩子的荒唐。因为,她第一任老公,我不了解,但是她第二任老公,我了解,实在不值得嫁
她前两次嫁人,只要人不对,她就敢毫不犹豫地挑战天下,这方面,是个狠人。要知道,多少知名明星艺人,都要忍多年后,才敢挣破世俗枷锁,去做率性的自我
很多年前,我曾以一个女性的角度,客观地剖析过她三次婚姻的原因,发现她没有一次是因为物质,就是这点,让我原谅了她。她辜负所有人,不是为了钱,是为了她想要的情感生活
确实,她没有一次是因为哪个男人更有钱才出轨,她就是单纯因为有个男人给了她温情,于是,她就像抓住了救命稻草一样,奋不顾身扑了过去
所以我想,她所追求的应该只是一个会疼她的男人,而不是满足于“吃饭睡觉过日子”这种马斯洛最低的基础需求的“植物人”
但是,中国底层男人,大多粗糙愚昧,没有生活乐趣,没有情怀情感,仿如植物一样的活着,而她不想跟植物生活一辈子,所以她才会每次遇到一个对她稍好一点的男人,就奋不顾身地飞蛾扑火过去
但是,她没有深层次的思维,不懂甄别,不会思考,所以两次结婚后,都很快发现不是自己要的,于是日渐冷淡无趣,内心不满,她本身又有几分姿色,遇到有个男人予她温情,她就会快速决绝地离开她早就觉察到已经开始枯萎的婚姻生活
而且,即便生了孩子,也套不住她追求自己幸福生活的念头。所以,纵观她这抬不起头的前半生,虽然可恶,但是本质里,她其实不过是一个不惧怕流言蜚语不怕道德枷锁、舆论口舌、勇于追求自我幸福生活但是又缺乏思考能力和独立精神的女人
某种角度来说,我挺佩服她这种为了自己,把道德和舆论枷锁都视为无物、光明正大不管不顾的自私
所以,在得知她三婚、共同育有一儿一女的老公,今年年初病死的消息,我很震惊,从嫌弃她,到悲悯她
她二婚时生的小孩,她几乎没有怎么陪伴过,完全是她养父母和前夫家帮着养大
对,她自己也是被遗弃,她的父母其实是养父养母,但是她养父母没有子女,只有她一个,所以待她及其宠爱,这才宠成了任性的毛病吧
她三婚时,生的两个小孩,跟爷爷奶奶生活在云南
如今的她,没有一技之长,三十几岁后才尝试着自己养活自己,所以她下半生,能养活自己就不错了。而那两小孩,得靠已经年迈的爷爷奶奶吧
她行至如今,咎由自取的悲剧人生,看起来只是平平淡淡的个体沧桑,也没有兵荒马乱的战乱时代背景能为她开脱,但是,即便如此,一想到她的经历,还是让我窒息
我倒是希望她幸福美满,让我生出一份忿忿不平来的好
现在,我对她会有一份心疼
所以,我一直倡导每一个女孩,要自小就严格教育,要塑造女孩自强自立的思想,不要有意无意地灌输那种“嫁汉嫁汉穿衣吃饭”的依附性人格,长大后才不会把希望寄予男人,把自己的一生轻易交给遇到的男人的质量来决定
一个独立自我的女人,会不断提升自己,会甑别男人,会在拼搏进取中,逐渐拥有掌控自己命运的能力
那些没嫁的姑娘,真的不要急,结婚只是另一种开始,而一旦开启这个开始,你的人生就不再是由你一个人做主,所以一定要有自己具备独立过好生活的能力
#往復書簡#
「これが私の天職だ!」って思いながら働いている人ってどのくらいいるのだろう
片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)×作詞家・小竹正人 往復書簡20
片寄からのメッセージにあった「天職」について。小竹はこれまで受けたインタビューでのエピソードから掘り下げて綴る。
***
拝啓 片寄涼太様
3年前、初めての歌詞&エッセイ集『あの日、あの曲、あの人は』を上梓した際、インタビューが苦手な私にしては珍しくたくさんの媒体のインタビューを受けた。
なぜ私がインタビューが苦手か? よく知らない人に会って質問されるのが嫌だとかではなく、ついつい喋りすぎて疲れちゃうから苦手なのである。
顔出しもしないSNSもやらない私は取材を受ける際、ここぞとばかりに余計なサービス精神を出してしまう。
インタビュアーの人を楽しませよう! と意気込んだり、より深いところを掘り下げようとして逆にとんちんかんな方向に話題を持っていったり。
30分の予定で組んでいたインタビューが2時間以上になってしまったこともあるくらい。何なら、予定時間内にインタビューを終えたことは1度もないと思う。勝手に張り切って勝手にエネルギーを消耗して、とにかく疲労困憊でへとへとになるのが常。
「こんなに楽しいインタビュー、初めてでした!」と女性誌の編集の方に言ってもらい、「えっ、やった!」などとおちゃらけて返す私。
どちらかと言うと暗い歌詞ばかり書いている私には、気難しそうとか神経質そうとか無口そうとかのイメージがあるらしく、「小竹さんがこんなに明るい人だとは思いませんでした」と満面の笑みで言われたことも数知れず。
笑いをとって、自分や自分の歌詞のイメージを自分で崩壊させて、あんたの職業一体何なんだよ? ってハナシだね、ホント。
ところで、そのインタビューラッシュの際に、私は何人ものインタビュアーの方に「作詞家って小竹さんにとって天職ですね」と言われた。
その都度、「えっ!?」と、妙に驚いたのを覚えている。もちろんありがたかった。しかし、素直に「ありがとうございます」とは言えず、「そうだったら嬉しいですね」とお茶を濁した。
世の中に、「これが私の天職だ!」って思いながら働いている人ってどのくらいいるのだろう。
若気の至りからその職業の酸いも甘いもまだ熟知せずにそう言っている人って結構いそうだし、やっていてただただ楽しいからそれを天職だと思い込んでいる人もいるだろう。
ひとつだけ確かなのは、楽しいだけの仕事=天職ではないということ。どんな仕事だって、その仕事を長く(これ絶対条件)真摯にやっていたら、辛くて仕方のない瞬間がきっとあるし、辞めてしまいたいと思うことだって少なからずあるはずだ。
自分のやりがいや喜びや収入、他人からの評価だけではなく、他者には計り知れない苦悩の部分も含めてその生業を「天職」と胸を張って言えるのなら、それはもう本当にそうなのだと思う。
私自身、作詞という仕事は心から大好きだし相当な遣り甲斐があるけれど、幾度も苦い汁をゴボゴボ飲んできたし、執筆を放り出したくなったことだって1度や2度じゃない。しかも、作詞以外の作詞家としての仕事(打ち合わせ、レコーディング、諸々の確認事など)が苦手ときている。
更に、同じ30年くらいの社会人としてのキャリアを持つ君の父上(テレビ電話でお話ししたことがあるね)が持っているような勤勉さや実直さがなかった私は、ひどくダラダラと作詞家初期を過ごしていた。
いわゆる「プロ意識」を持っていなかったのだ。「職業は作詞家です!」と堂々と言えるようになったのはここ10年くらい。そんな私が「天職は作詞家です!」といけしゃあしゃあ高らかに宣言できるわけがない。一生無理かも。
私は、人間って生まれた瞬間にその人が生きる年月と同じ分くらいページ数のある「人生の問題集」みたいなものを神様から渡されて、その問題集を解き続けながら生きているのでは? と思うことがある。
私の問題集には序盤のページのあたりから、言葉や歌詞や文章の難問がたくさん出題されていて、頭を抱えながらそれを解いているうちに「学ぶこと」や「成果が出ること」に喜びを見出した気がする。
だからこそ私はどんどん悪くなっていく視力と戦いながらもずっと「書く」のをやめられないのだと思う。
作詞を生業として早30年、相変わらず目には見えない問題集を抱えながらも、「私の天職って実はベビーシッターでは?」と本気で思いがちな近頃だが(それくらい周りに子供が多いし、その子たちは私に懐いてくれるんです)、作詞家を引退するまでには今世の問題集を自分なりに完遂して、そこからふわふわとした余生を謳歌できたら。
今までに私が読んできた数千冊に及ぶと思われる本や漫画で特に好きだったものを読み返したり、何かしらつれづれと執筆したりしながら、最期には安らかな気持ちで「作詞家って私にとって天職だったな。ありがとう人生!」と悟りたい。
その頃には、活躍の幅を更に広げているであろう君をメディアで見て、「涼太、大人になったなあ。なんか美味しいものをご馳走してくれないかなあ」なんて呟いたりしてね。こんな、君の倍くらいの歳の大人になるとさ、これはもう「夢」ではなく、「切実な願い」です。
あれっ、なんか「最後の手紙」みたいになっているが、未熟者の私はまだまだ踏ん張って問題を解き続け、まだまだ君を隠れ家的名店に連れて行けるよう頑張りますよ。はい。
小竹正人
敬具
p1 道を歩いていたらまさかの偶然、キミの相方(数原龍友)にバッタリ!会うのは数ヶ月ぶりで妙に嬉しかった。こんなご時世だから尚更。しかし、こんなご時世じゃなければ絶対にハグしてた
p2 人間のとんでもない醜態を暴いたあとに、思いもよらぬ感動で読者を泣かせる。いつだってそれを、せせらぎみたいに淡々とした文章でやってのける吉田修一氏。私が生涯で一番好きな作家です
原文链接https://t.cn/A6q735O6
「これが私の天職だ!」って思いながら働いている人ってどのくらいいるのだろう
片寄涼太(GENERATIONS from EXILE TRIBE)×作詞家・小竹正人 往復書簡20
片寄からのメッセージにあった「天職」について。小竹はこれまで受けたインタビューでのエピソードから掘り下げて綴る。
***
拝啓 片寄涼太様
3年前、初めての歌詞&エッセイ集『あの日、あの曲、あの人は』を上梓した際、インタビューが苦手な私にしては珍しくたくさんの媒体のインタビューを受けた。
なぜ私がインタビューが苦手か? よく知らない人に会って質問されるのが嫌だとかではなく、ついつい喋りすぎて疲れちゃうから苦手なのである。
顔出しもしないSNSもやらない私は取材を受ける際、ここぞとばかりに余計なサービス精神を出してしまう。
インタビュアーの人を楽しませよう! と意気込んだり、より深いところを掘り下げようとして逆にとんちんかんな方向に話題を持っていったり。
30分の予定で組んでいたインタビューが2時間以上になってしまったこともあるくらい。何なら、予定時間内にインタビューを終えたことは1度もないと思う。勝手に張り切って勝手にエネルギーを消耗して、とにかく疲労困憊でへとへとになるのが常。
「こんなに楽しいインタビュー、初めてでした!」と女性誌の編集の方に言ってもらい、「えっ、やった!」などとおちゃらけて返す私。
どちらかと言うと暗い歌詞ばかり書いている私には、気難しそうとか神経質そうとか無口そうとかのイメージがあるらしく、「小竹さんがこんなに明るい人だとは思いませんでした」と満面の笑みで言われたことも数知れず。
笑いをとって、自分や自分の歌詞のイメージを自分で崩壊させて、あんたの職業一体何なんだよ? ってハナシだね、ホント。
ところで、そのインタビューラッシュの際に、私は何人ものインタビュアーの方に「作詞家って小竹さんにとって天職ですね」と言われた。
その都度、「えっ!?」と、妙に驚いたのを覚えている。もちろんありがたかった。しかし、素直に「ありがとうございます」とは言えず、「そうだったら嬉しいですね」とお茶を濁した。
世の中に、「これが私の天職だ!」って思いながら働いている人ってどのくらいいるのだろう。
若気の至りからその職業の酸いも甘いもまだ熟知せずにそう言っている人って結構いそうだし、やっていてただただ楽しいからそれを天職だと思い込んでいる人もいるだろう。
ひとつだけ確かなのは、楽しいだけの仕事=天職ではないということ。どんな仕事だって、その仕事を長く(これ絶対条件)真摯にやっていたら、辛くて仕方のない瞬間がきっとあるし、辞めてしまいたいと思うことだって少なからずあるはずだ。
自分のやりがいや喜びや収入、他人からの評価だけではなく、他者には計り知れない苦悩の部分も含めてその生業を「天職」と胸を張って言えるのなら、それはもう本当にそうなのだと思う。
私自身、作詞という仕事は心から大好きだし相当な遣り甲斐があるけれど、幾度も苦い汁をゴボゴボ飲んできたし、執筆を放り出したくなったことだって1度や2度じゃない。しかも、作詞以外の作詞家としての仕事(打ち合わせ、レコーディング、諸々の確認事など)が苦手ときている。
更に、同じ30年くらいの社会人としてのキャリアを持つ君の父上(テレビ電話でお話ししたことがあるね)が持っているような勤勉さや実直さがなかった私は、ひどくダラダラと作詞家初期を過ごしていた。
いわゆる「プロ意識」を持っていなかったのだ。「職業は作詞家です!」と堂々と言えるようになったのはここ10年くらい。そんな私が「天職は作詞家です!」といけしゃあしゃあ高らかに宣言できるわけがない。一生無理かも。
私は、人間って生まれた瞬間にその人が生きる年月と同じ分くらいページ数のある「人生の問題集」みたいなものを神様から渡されて、その問題集を解き続けながら生きているのでは? と思うことがある。
私の問題集には序盤のページのあたりから、言葉や歌詞や文章の難問がたくさん出題されていて、頭を抱えながらそれを解いているうちに「学ぶこと」や「成果が出ること」に喜びを見出した気がする。
だからこそ私はどんどん悪くなっていく視力と戦いながらもずっと「書く」のをやめられないのだと思う。
作詞を生業として早30年、相変わらず目には見えない問題集を抱えながらも、「私の天職って実はベビーシッターでは?」と本気で思いがちな近頃だが(それくらい周りに子供が多いし、その子たちは私に懐いてくれるんです)、作詞家を引退するまでには今世の問題集を自分なりに完遂して、そこからふわふわとした余生を謳歌できたら。
今までに私が読んできた数千冊に及ぶと思われる本や漫画で特に好きだったものを読み返したり、何かしらつれづれと執筆したりしながら、最期には安らかな気持ちで「作詞家って私にとって天職だったな。ありがとう人生!」と悟りたい。
その頃には、活躍の幅を更に広げているであろう君をメディアで見て、「涼太、大人になったなあ。なんか美味しいものをご馳走してくれないかなあ」なんて呟いたりしてね。こんな、君の倍くらいの歳の大人になるとさ、これはもう「夢」ではなく、「切実な願い」です。
あれっ、なんか「最後の手紙」みたいになっているが、未熟者の私はまだまだ踏ん張って問題を解き続け、まだまだ君を隠れ家的名店に連れて行けるよう頑張りますよ。はい。
小竹正人
敬具
p1 道を歩いていたらまさかの偶然、キミの相方(数原龍友)にバッタリ!会うのは数ヶ月ぶりで妙に嬉しかった。こんなご時世だから尚更。しかし、こんなご時世じゃなければ絶対にハグしてた
p2 人間のとんでもない醜態を暴いたあとに、思いもよらぬ感動で読者を泣かせる。いつだってそれを、せせらぎみたいに淡々とした文章でやってのける吉田修一氏。私が生涯で一番好きな作家です
原文链接https://t.cn/A6q735O6
##婚礼#予一己真心。盼一生偕老。 從相識到相愛,
從相知到相熟。
你們一共花了10來年,
這場婚禮來之不易,從求婚到完成這個婚禮。
歷時三年,幾遇波折。
最終,我們還是把你給嫁了出去。
亲爱的,
願你幸福!
願你在踏上另一道旅程時,能開心能快樂。
願你在傷心難過不如意時,記得回頭。
我們———一直都在。
#送嫁# #閨蜜婚禮# #幸福日子# #濁水溪以南# https://t.cn/A6Gaz4Kq
從相知到相熟。
你們一共花了10來年,
這場婚禮來之不易,從求婚到完成這個婚禮。
歷時三年,幾遇波折。
最終,我們還是把你給嫁了出去。
亲爱的,
願你幸福!
願你在踏上另一道旅程時,能開心能快樂。
願你在傷心難過不如意時,記得回頭。
我們———一直都在。
#送嫁# #閨蜜婚禮# #幸福日子# #濁水溪以南# https://t.cn/A6Gaz4Kq
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