汉学教育26:求学、办学,师承最重要(一)
承传汉学
在佛法裡面只有一个师道,师就代表一切,最重视师承的、最尊敬师道的是佛法。那我们要学,没有老师这怎麽能成就!可是今天我们要找老师,到哪裡去找?已经找不到了。纵然你找到老师,说老实话,我们自己做学生的资格也没有,这是实在的。那个好老师遇到你,不肯教你。我在南部遇到文学院几个同学,我就问问他,你们学佛多久了?他说学了二、三年了,曾经看过什麽书?看了一大堆。这就是什麽?思想已经乱了。所以我就很坦白跟他说,你们如果到台中找李老师,那李老师点点头,不错,很好,很难得,好,你回去!不教你了。为什麽不教你?你的思想已经乱了,不容易理出一个头绪出来,没法子教你。如果你找到李老师,你想跟他学佛,问学佛多久了?我现在刚刚想开始学佛。你看过什麽经没有?我什麽都没看过。好,你跟我学,为什麽?你是一张白纸,你没有受过染污,你能够接受。这是讲我们今天做学生的资格都很难!
我所以幸运,比你们好一点的地方,就是我碰到老师,我发心学这个东西,没有听过经,自己看了一点,没听过经,没有跟任何人学过,所以老师一看到我很欢喜。我的学佛就跟一个老师,自始至终听他的教诲,一个人给我带路,走的是一条路。你听两个人的两条路,听三个人的三条路,听四个人就四条路,到底哪个路正确?无所适从!所以你们今天看东西,每家的东西都看,这个麻烦大了,这就是什麽?一开头你们就错了。在佛法、在我们中国过去教学不是如此的。一开头一定是师承,师承裡面顶重要的根本老师,根本老师是启蒙的老师。今天来讲小学老师,你看从前的念书人中了状元,他回家去拜老师第一个拜老师拜谁?拜他启蒙的老师。而不是拜以后所教学指导的老师,不是拜这个。
老师怎麽找法?我常常在外头劝别人,今天要想找老师,哪个是真正好老师,这我们不晓得。你要跟到一个邪师,那好了,这一辈子就错了!他走错,你也走错了;你跟著一个好老师,那走对了。实在是遇不到老师的话就找古人,不找今人找古人,古人这是已经有成就的,你找一个这样的老师,这种师承的方法,在古时候就有。譬如说莲池大师,蕅益大师就是私淑莲池大师,蕅益大师那个时候想求学,莲池大师已经过去,不在人间了。但是他的著作在,所以他的修学就是依莲池大师所有的著作为中心,接受他一个人的教育,依莲池大师为老师。老师已经不在世了,蕅益大师的成就以及他的基础,奠定在《莲池大师全集》上,他有几十种的著作,是一个人写的。你看这几十种的经论是一个老师指导的,不是两条路,是一个老师。必须要这样子下上十年,至少得十年的工夫,有个一家做为基础,你的根底深厚,就跟树一样有根、有本,然后才能够生枝叶。枝叶是什麽?任何家的著作东西我都可以看,都可以听,都可以参考,你就不会迷失方向。
我们今天怎麽样?没有根、没有本,一开头就要去参访,到处去乱听、乱看,看得头脑一塌糊涂,满脑袋的浆糊。你怎麽会开智慧?你怎麽会有受用?所以今天我奉劝诸位是学一家之言,譬如在佛法裡头,《莲池大师全集》我们现在到处可以能够找得到;《蕅益大师全集》,这都是比较近一点的人。他们的文字还不太古,我们能够看得懂、能够受用,这是明朝末年的人,距离我们现在差不多是五百年的样子。如果更近一点的这真正有成就的,清朝的灌顶法师,他的著作也有三十几种,他是乾隆年间人。再晚近一点的像我们民国初年的,圆瑛法师有成就的,谛闲法师有成就的,他们都有《全集》在台湾流通。可是诸位要学什麽,就得学一家,我学谛闲法师的,就专门看《谛闲法师全集》,在这个《全集》上用十年工夫,要把别的都放下,跟著一个老师学,学十年,然后才看其他各家的东西,你才会有受用。你才会像《金刚经》所说的,「不取于相,如如不动」。你所见、所闻一切明瞭,不被境界所转,不会被人牵著鼻子走。可是古来注疏虽然著作很多,你要是统统都学很困难,不容易!要在他所有著作当中选一门,这一门为主修,其馀的做助修,正助双修。香港过去的海仁和尚,我在香港讲经去拜访过他,他那时候已经九十多岁了,好像是前年圆寂的。我看他已经九十多岁,他是专攻蕅益大师的,而且在蕅益大师三十多种著作裡面,他是专门攻《楞严》。蕅益大师《楞严经》的注解,就是《楞严文句》他完全能够背诵,在香港有「首楞严王」之称,可见得人家造诣之深。他是不搞另外东西的,他就是搞一家的,一生受持一家。诸位你们要能体会到这个意思,从这个上面奠定自己的基础、根基,你们会有成就,一定有成就。
千万不要这个也不错,那个也很好,好奇心!好奇心害死了自己,不老实。得老实守一家才管用!我比你们幸运,就是一开端我到台湾来就三个老师,我的哲学就是方东美先生一个人指导的,跟他一个人学的。一入到佛门就章嘉大师,章嘉大师走了之后,我就跟李炳南老师,我跟他十年,跟章嘉大师三年,领路的人一个人,不是那麽多,多就麻烦了!你们今天,章嘉大师已经不在了,李老师已经九十三岁,你现在找他已经不行。我那个时候去还算是很好,我跟他的时候他七十岁,现在九十三岁。九十三岁还在教书、还在讲经,可是教学他已经不愿意做了。所以今天顶重要的就是师法古人,师法前贤,你看看哪个人他的思想跟你比较接近,你对他很尊敬,他的著作你念起来很有兴趣,你就选择这一门,下十年工夫,把自己的基础打好。
——恭录自《八识规矩颂》
#中华传统文化##传统文化大讲堂##正能量#
承传汉学
在佛法裡面只有一个师道,师就代表一切,最重视师承的、最尊敬师道的是佛法。那我们要学,没有老师这怎麽能成就!可是今天我们要找老师,到哪裡去找?已经找不到了。纵然你找到老师,说老实话,我们自己做学生的资格也没有,这是实在的。那个好老师遇到你,不肯教你。我在南部遇到文学院几个同学,我就问问他,你们学佛多久了?他说学了二、三年了,曾经看过什麽书?看了一大堆。这就是什麽?思想已经乱了。所以我就很坦白跟他说,你们如果到台中找李老师,那李老师点点头,不错,很好,很难得,好,你回去!不教你了。为什麽不教你?你的思想已经乱了,不容易理出一个头绪出来,没法子教你。如果你找到李老师,你想跟他学佛,问学佛多久了?我现在刚刚想开始学佛。你看过什麽经没有?我什麽都没看过。好,你跟我学,为什麽?你是一张白纸,你没有受过染污,你能够接受。这是讲我们今天做学生的资格都很难!
我所以幸运,比你们好一点的地方,就是我碰到老师,我发心学这个东西,没有听过经,自己看了一点,没听过经,没有跟任何人学过,所以老师一看到我很欢喜。我的学佛就跟一个老师,自始至终听他的教诲,一个人给我带路,走的是一条路。你听两个人的两条路,听三个人的三条路,听四个人就四条路,到底哪个路正确?无所适从!所以你们今天看东西,每家的东西都看,这个麻烦大了,这就是什麽?一开头你们就错了。在佛法、在我们中国过去教学不是如此的。一开头一定是师承,师承裡面顶重要的根本老师,根本老师是启蒙的老师。今天来讲小学老师,你看从前的念书人中了状元,他回家去拜老师第一个拜老师拜谁?拜他启蒙的老师。而不是拜以后所教学指导的老师,不是拜这个。
老师怎麽找法?我常常在外头劝别人,今天要想找老师,哪个是真正好老师,这我们不晓得。你要跟到一个邪师,那好了,这一辈子就错了!他走错,你也走错了;你跟著一个好老师,那走对了。实在是遇不到老师的话就找古人,不找今人找古人,古人这是已经有成就的,你找一个这样的老师,这种师承的方法,在古时候就有。譬如说莲池大师,蕅益大师就是私淑莲池大师,蕅益大师那个时候想求学,莲池大师已经过去,不在人间了。但是他的著作在,所以他的修学就是依莲池大师所有的著作为中心,接受他一个人的教育,依莲池大师为老师。老师已经不在世了,蕅益大师的成就以及他的基础,奠定在《莲池大师全集》上,他有几十种的著作,是一个人写的。你看这几十种的经论是一个老师指导的,不是两条路,是一个老师。必须要这样子下上十年,至少得十年的工夫,有个一家做为基础,你的根底深厚,就跟树一样有根、有本,然后才能够生枝叶。枝叶是什麽?任何家的著作东西我都可以看,都可以听,都可以参考,你就不会迷失方向。
我们今天怎麽样?没有根、没有本,一开头就要去参访,到处去乱听、乱看,看得头脑一塌糊涂,满脑袋的浆糊。你怎麽会开智慧?你怎麽会有受用?所以今天我奉劝诸位是学一家之言,譬如在佛法裡头,《莲池大师全集》我们现在到处可以能够找得到;《蕅益大师全集》,这都是比较近一点的人。他们的文字还不太古,我们能够看得懂、能够受用,这是明朝末年的人,距离我们现在差不多是五百年的样子。如果更近一点的这真正有成就的,清朝的灌顶法师,他的著作也有三十几种,他是乾隆年间人。再晚近一点的像我们民国初年的,圆瑛法师有成就的,谛闲法师有成就的,他们都有《全集》在台湾流通。可是诸位要学什麽,就得学一家,我学谛闲法师的,就专门看《谛闲法师全集》,在这个《全集》上用十年工夫,要把别的都放下,跟著一个老师学,学十年,然后才看其他各家的东西,你才会有受用。你才会像《金刚经》所说的,「不取于相,如如不动」。你所见、所闻一切明瞭,不被境界所转,不会被人牵著鼻子走。可是古来注疏虽然著作很多,你要是统统都学很困难,不容易!要在他所有著作当中选一门,这一门为主修,其馀的做助修,正助双修。香港过去的海仁和尚,我在香港讲经去拜访过他,他那时候已经九十多岁了,好像是前年圆寂的。我看他已经九十多岁,他是专攻蕅益大师的,而且在蕅益大师三十多种著作裡面,他是专门攻《楞严》。蕅益大师《楞严经》的注解,就是《楞严文句》他完全能够背诵,在香港有「首楞严王」之称,可见得人家造诣之深。他是不搞另外东西的,他就是搞一家的,一生受持一家。诸位你们要能体会到这个意思,从这个上面奠定自己的基础、根基,你们会有成就,一定有成就。
千万不要这个也不错,那个也很好,好奇心!好奇心害死了自己,不老实。得老实守一家才管用!我比你们幸运,就是一开端我到台湾来就三个老师,我的哲学就是方东美先生一个人指导的,跟他一个人学的。一入到佛门就章嘉大师,章嘉大师走了之后,我就跟李炳南老师,我跟他十年,跟章嘉大师三年,领路的人一个人,不是那麽多,多就麻烦了!你们今天,章嘉大师已经不在了,李老师已经九十三岁,你现在找他已经不行。我那个时候去还算是很好,我跟他的时候他七十岁,现在九十三岁。九十三岁还在教书、还在讲经,可是教学他已经不愿意做了。所以今天顶重要的就是师法古人,师法前贤,你看看哪个人他的思想跟你比较接近,你对他很尊敬,他的著作你念起来很有兴趣,你就选择这一门,下十年工夫,把自己的基础打好。
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「JENESYS2019」中国高校生訪日団
2019年6月11日から6月19日までの9日間、中国高校生訪日団 (団長=翟密林 山西省教育庁 基礎教育処 副処長)が来日した。本団は、山西省・雲南省から選抜された高校生と引率の計100名で、外務省が推進する対日理解促進交流プログラム「JENESYS2019」の一環として招聘した。
訪日団は、東京都をはじめ、3つの分団に分かれて京都府・滋賀県・埼玉県・神奈川県・北海道・大阪府を訪問し、高校訪問やホームステイ等での交流や体験を通じて、同世代および一般市民との友好交流と相互理解を深めたほか、さまざまな分野における日本の魅力・強みを体感した。
日本のボランティアの現状について学ぶ
本団は、「ボランティア」をテーマとし、日本財団学生ボランティアセンターの宮腰義仁氏よりセミナーを受けた。講師は日本の大学生のボランティアに対する意識や取り巻く環境について紹介し、ボランティアとは自発的な活動で枠にはまらないことが大切であると説いた。その後、講師への質問や感想を学校ごとに話し合い、発表を行った。中国高校生からは、参加したい人が多くいるのに、行動に移していないのはなぜか、どうすれば日本のボランティア活動に参加できるか、ボランティア活動は自分を高めるためか、それとも他人を助けるためか、など沢山の質問や感想が挙がり、ボランティアとは何か?を自分達なりに考えるきっかけになった。
また、第1・2分団はしながわ防災体験館、第3分団は横浜市民防災センターを訪問し、応急救護やケガ人の搬送、要配慮者避難誘導等を学び、災害が発生した時にどのような対応ができるか、体験することができた。
高校訪問で授業や部活動参加を通して同世代交流
学校交流は、前半に京都府・北海道の3校、後半に埼玉県・東京都・大阪府の3校を訪問。各校とも多彩なプログラムが準備され、漢詩、英語、数学、生物、体育などさまざまな授業に参加したほか、茶道、自然科学、バスケットボール、バレーボールなどの部活動も体験した。また、日中の高校生が学校生活や文化等を紹介し、共通点や相違点に驚くこともあった。当初、緊張していた高校生たちも、英語や筆談、翻訳アプリやジェスチャーを駆使してお互いのことを知り合い、楽しい時間を共有した。
ホームステイや酪農体験も
また、各分団でさまざまな体験プログラムに参加。第1・2分団は滋賀県日野町でホームステイを行い、各家庭で家事や農作業の手伝い、小物作りや着付け体験等を通して、思い出に残る時間を過ごし、ホストファミリーと交流を深めることができた。第3分団は北海道にて牧場で乳搾りやバター作りなどの酪農体験や、和風温泉旅館に宿泊し、雄大な北海道を体感した。
そのほか一行は、東京都では虹の下水道館、国会議事堂、ニコンミュージアム、江戸東京博物館等、各地方では嵐山や伏見稲荷大社、琵琶湖博物館、北海道キッコーマン工場や札幌オリンピックミュージアム、ATCエイジレスセンター等を参観し、歴史・自然科学・政治経済・文化など、広くさまざまな分野から包括的な日本理解に努めた。
帰国を前に中国高校生からは、「日本の高校生がフレンドリーに接してくれてうれしかった。たくさんの友人ができたので帰国しても連絡を続け、今度は中国で再会したい」「セミナーを通じ、ボランティアに必要な愛の心を学んだ」「日本人はマナーを守り、協調性を大切にしている。中国も学ぶべきだと思った」「ホストファミリーとの交流では、言語は違っても心は通じ合えると分かった」「帰国後は、日本での体験をまとめて、学校内で発表を行って共有したい」など思い思いの感想が聞かれた。
「JENESYS2019」中国高校生訪日団
2019年6月11日から6月19日までの9日間、中国高校生訪日団 (団長=翟密林 山西省教育庁 基礎教育処 副処長)が来日した。本団は、山西省・雲南省から選抜された高校生と引率の計100名で、外務省が推進する対日理解促進交流プログラム「JENESYS2019」の一環として招聘した。
訪日団は、東京都をはじめ、3つの分団に分かれて京都府・滋賀県・埼玉県・神奈川県・北海道・大阪府を訪問し、高校訪問やホームステイ等での交流や体験を通じて、同世代および一般市民との友好交流と相互理解を深めたほか、さまざまな分野における日本の魅力・強みを体感した。
日本のボランティアの現状について学ぶ
本団は、「ボランティア」をテーマとし、日本財団学生ボランティアセンターの宮腰義仁氏よりセミナーを受けた。講師は日本の大学生のボランティアに対する意識や取り巻く環境について紹介し、ボランティアとは自発的な活動で枠にはまらないことが大切であると説いた。その後、講師への質問や感想を学校ごとに話し合い、発表を行った。中国高校生からは、参加したい人が多くいるのに、行動に移していないのはなぜか、どうすれば日本のボランティア活動に参加できるか、ボランティア活動は自分を高めるためか、それとも他人を助けるためか、など沢山の質問や感想が挙がり、ボランティアとは何か?を自分達なりに考えるきっかけになった。
また、第1・2分団はしながわ防災体験館、第3分団は横浜市民防災センターを訪問し、応急救護やケガ人の搬送、要配慮者避難誘導等を学び、災害が発生した時にどのような対応ができるか、体験することができた。
高校訪問で授業や部活動参加を通して同世代交流
学校交流は、前半に京都府・北海道の3校、後半に埼玉県・東京都・大阪府の3校を訪問。各校とも多彩なプログラムが準備され、漢詩、英語、数学、生物、体育などさまざまな授業に参加したほか、茶道、自然科学、バスケットボール、バレーボールなどの部活動も体験した。また、日中の高校生が学校生活や文化等を紹介し、共通点や相違点に驚くこともあった。当初、緊張していた高校生たちも、英語や筆談、翻訳アプリやジェスチャーを駆使してお互いのことを知り合い、楽しい時間を共有した。
ホームステイや酪農体験も
また、各分団でさまざまな体験プログラムに参加。第1・2分団は滋賀県日野町でホームステイを行い、各家庭で家事や農作業の手伝い、小物作りや着付け体験等を通して、思い出に残る時間を過ごし、ホストファミリーと交流を深めることができた。第3分団は北海道にて牧場で乳搾りやバター作りなどの酪農体験や、和風温泉旅館に宿泊し、雄大な北海道を体感した。
そのほか一行は、東京都では虹の下水道館、国会議事堂、ニコンミュージアム、江戸東京博物館等、各地方では嵐山や伏見稲荷大社、琵琶湖博物館、北海道キッコーマン工場や札幌オリンピックミュージアム、ATCエイジレスセンター等を参観し、歴史・自然科学・政治経済・文化など、広くさまざまな分野から包括的な日本理解に努めた。
帰国を前に中国高校生からは、「日本の高校生がフレンドリーに接してくれてうれしかった。たくさんの友人ができたので帰国しても連絡を続け、今度は中国で再会したい」「セミナーを通じ、ボランティアに必要な愛の心を学んだ」「日本人はマナーを守り、協調性を大切にしている。中国も学ぶべきだと思った」「ホストファミリーとの交流では、言語は違っても心は通じ合えると分かった」「帰国後は、日本での体験をまとめて、学校内で発表を行って共有したい」など思い思いの感想が聞かれた。
青原山阳明书院
王阳明(1472—1528),明哲学家、教育家,名守仁,浙江余姚人,官至南京兵部尚书。曾筑室故乡阳明洞中,世称阳明先生。卒谥文成。他创立的“致良知”学说在明朝的中后期影响很大,还流行到日本。
青原山阳明书院位于江西吉安市青原山风景区内,其前身为九邑会馆、青原会馆,迄今已有500多年历史。明正德五年(1510年),王阳明任庐陵知县时,在青原山讲学,奠定了江右王学的发展基础,并使庐陵成为“理学之邦”,有“东南邹鲁,西江杏坛”之誉。为纪念王阳明,庐陵人于道光十九年(1839年),在青原山建阳明书院,后几度兴废。2012年,吉安市按庐陵古建特色在原址上原貌复建阳明书院,书院中轴线由门厅、传心堂和五贤祠三部分构成,古色古香,美轮美奂。
王阳明(1472—1528),明哲学家、教育家,名守仁,浙江余姚人,官至南京兵部尚书。曾筑室故乡阳明洞中,世称阳明先生。卒谥文成。他创立的“致良知”学说在明朝的中后期影响很大,还流行到日本。
青原山阳明书院位于江西吉安市青原山风景区内,其前身为九邑会馆、青原会馆,迄今已有500多年历史。明正德五年(1510年),王阳明任庐陵知县时,在青原山讲学,奠定了江右王学的发展基础,并使庐陵成为“理学之邦”,有“东南邹鲁,西江杏坛”之誉。为纪念王阳明,庐陵人于道光十九年(1839年),在青原山建阳明书院,后几度兴废。2012年,吉安市按庐陵古建特色在原址上原貌复建阳明书院,书院中轴线由门厅、传心堂和五贤祠三部分构成,古色古香,美轮美奂。
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