真正的朋友,是一生的财富
来自网络
喜欢那么一种友情,不是那么多,不是那么浓烈,不是那么甘甜,也不是那么时时刻刻,甚至有时候会用年、十年、半个世纪去给它计时,它是那么少,那么真,那么久长。
很多年后,我一回头,你还在……
- 01 -
三毛说:朋友中的极品,便如好茶,淡而不涩,清香但不扑鼻,缓缓飘来,似水长流。
驰骋疆场40年的传奇唐代名将薛仁贵,在参军之前,与妻子住在一个破窑洞中,衣食无着落,全靠好友王茂生夫妇经常接济。
后来,薛仁贵参军,跟随唐太宗李世民御驾东征时,被封为“平辽王”。一登龙门,身价百倍,前来王府送礼祝贺的文武大臣络绎不绝,可都被薛仁贵婉言谢绝了。
他惟一收下的是普通老百姓王茂生送来的“美酒两坛”。一打开酒坛,负责启封的执事官吓得面如土色,因为坛中装的不是美酒而是清水!
“启禀王爷,此人如此大胆戏弄王爷,请王爷重重地惩罚他!”
薛仁贵听了,不但没有生气,而且命令执事官取来大碗,当着下属的面饮下三大碗王茂生送来的清水。在场的文武百官不解其意,薛仁贵喝完三大碗清水之后说:
我过去落难时,全靠王兄弟夫妇经常资助,没有他们就没有我今天的荣华富贵。如今我美酒不沾,厚礼不收,却偏偏要收下王兄弟送来的清水,因为我知道王兄弟贫寒,送清水也是王兄的一番美意,这就叫君子之交淡如水。
真正的朋友,是你失落时的一双手,痛苦时的一个肩膀,气馁时的一句安慰。真正的朋友,不会因你的荣耀而想沾光,更不会因你的落魄避而远之。
- 02 -
走过流年的山高水长,总有一处风景,会因为我们而美丽;总有一个笑脸,是为我们而绽放;总有一份遇见,唯美了整个曾经;总会有一个人知你冷暖,懂你悲欢。
传说,伯牙是一位善于演奏鼓琴的人,但一直找不到知己,能够体会琴音美妙。
直到遇见钟子期,他是一个戴斗笠、披蓑衣、背扁担、拿板斧的樵夫,但他却能听出伯牙乐曲中的意境和故事。
伯牙弹《高山流水》时,心中想到高山,钟子期便陶醉在其中,赞叹道:“听得此曲,犹如巍峨挺拔的高山屹立在我的面前。”
伯牙心中想到流水,子期听后,便高兴地说道:“真是妙极了,这琴声宛如奔腾不息的江河从我面前流过。
钟子期死后,伯牙痛失知音,奏完一曲《高手流水》,摔琴绝弦,终身不再弹奏乐曲,因为世上再无心灵默契之人。
我们来到世上,所有相遇都千回百转,幸运的是,遇到那个懂你的人。
懂得,是生命中最美的缘。
- 03 -
朋友之间相处,伤害往往是无心的,帮助却是真心的。
阿拉伯传说中有两个朋友在沙漠中旅行。在旅行中他们吵架了,一个来个另一个一记耳光。
被打的觉得受辱,一言不语,在沙子上写下:“今天我的好朋友打了我一巴掌。”
他们继续往前走。走到了沃野,他们决定停下。被打巴掌的那位差点淹死,幸好被朋友救来了。
被救起后,他拿了一把小剑在石头上刻了:“今天我的好朋友救了我一命。”
一旁好奇的朋友问到:“为什么我打了你以后你要写在沙子上,而现在要刻在石头上呢?”
另一个笑笑回答说:“当被一个朋友伤害时,要写在易忘的地方,风会负责抹去它;相反的如果被帮助,我们要把它刻在心灵的深处,任何风都抹不去的。”
我们人生里的感情,无非是亲情、爱情、友情。
亲情总让我们歉疚,爱情总让我们迷乱,三者之中,友情最轻,但却因为它的轻,最让我们舒服。
我们想在友情里找的,难道是陪伴?是依靠?是慰藉?大概都不是,我们想要的,是一种不必刻意逞强也不心虚,不时常维系也不歉疚,不必相濡以沫,却随时虚位以待的感情——那是我们人生的休憩之处。
忘记那些无心的伤害,铭记那些对你真心的帮助,你会发现这世上你会有很多真心的朋友。
时间帮你筛选了许多人,你不必考虑和谁的友情多一点,和谁少一点,时间已经沉淀了一切。
- 04 -
最适合的朋友即使很久不见,坐下来就能一起吃火锅,问好也不需要,撸起袖子边涮肉边说我跟你讲啊,仿佛昨天刚刚见过面。
最好的友情是各自忙碌,又互相牵挂,不用刻意想起,因为从未忘记。
李白在东都洛阳认识了比他小11岁的诗人杜甫。杜甫“性豪业嗜酒,嫉恶怀刚肠。”其抱负是“致君尧舜上,再使风俗淳。”与李白意气相投。他们情同手足,“醉眠秋共被,携手日同行”。
第二年的秋天,杜甫西去长安,李白准备重游江东,他们在兖州分手,此后没有再会面。这是他们的第一次见面,也是最后一次见面。
在一起的一段日子里,二人畅游齐鲁,访道寻友,谈诗论文,有时也议论时事,两人结下了深厚的友谊,两人分手后,杜甫为此写过不少怀念李白的感人诗篇。
陈佩斯和朱时茂是几十年的好友,他们数次登上春晚舞台,表演的《吃面条》《羊肉串》等节目深受观众喜爱。
后来,陈佩斯主要活跃在话剧舞台,而朱时茂则下海经商,两人没有见面的机会,相识多年,相聚的机会越来越少。
但是有关当年一起奋斗、共同成就的岁月是刻在记忆里的,无法抹去,就像陈佩斯曾形容和朱时茂现在的关系:从来不会想起,但永远不会忘记......
古诗云:
汉恩自浅胡自深,人生乐在相知心。
那些各自忙乱,彼此牵挂的老友,其实也无非“知心”二字而。
知心,所以不会因为时光而缺失了共同语言,也不会因为彼此看透而疏远,就好像,昨天才刚刚一起喝过茶。
白居易的《问刘十九》中有一句:“晚来天欲雪,能饮一杯无?”,千言万语不过一句:能饮一杯无?
真正的友情,就是金风玉露一相逢,便胜却人间无数的美好;是海内存知己,天涯若比邻的踏实;是桃李春风一杯酒,江湖夜雨十年灯的思念。哪怕多年不见,再见面时,也犹如朝夕相处,心里没有一丝隔阂。
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喜欢那么一种友情,不是那么多,不是那么浓烈,不是那么甘甜,也不是那么时时刻刻,甚至有时候会用年、十年、半个世纪去给它计时,它是那么少,那么真,那么久长。
很多年后,我一回头,你还在……
- 01 -
三毛说:朋友中的极品,便如好茶,淡而不涩,清香但不扑鼻,缓缓飘来,似水长流。
驰骋疆场40年的传奇唐代名将薛仁贵,在参军之前,与妻子住在一个破窑洞中,衣食无着落,全靠好友王茂生夫妇经常接济。
后来,薛仁贵参军,跟随唐太宗李世民御驾东征时,被封为“平辽王”。一登龙门,身价百倍,前来王府送礼祝贺的文武大臣络绎不绝,可都被薛仁贵婉言谢绝了。
他惟一收下的是普通老百姓王茂生送来的“美酒两坛”。一打开酒坛,负责启封的执事官吓得面如土色,因为坛中装的不是美酒而是清水!
“启禀王爷,此人如此大胆戏弄王爷,请王爷重重地惩罚他!”
薛仁贵听了,不但没有生气,而且命令执事官取来大碗,当着下属的面饮下三大碗王茂生送来的清水。在场的文武百官不解其意,薛仁贵喝完三大碗清水之后说:
我过去落难时,全靠王兄弟夫妇经常资助,没有他们就没有我今天的荣华富贵。如今我美酒不沾,厚礼不收,却偏偏要收下王兄弟送来的清水,因为我知道王兄弟贫寒,送清水也是王兄的一番美意,这就叫君子之交淡如水。
真正的朋友,是你失落时的一双手,痛苦时的一个肩膀,气馁时的一句安慰。真正的朋友,不会因你的荣耀而想沾光,更不会因你的落魄避而远之。
- 02 -
走过流年的山高水长,总有一处风景,会因为我们而美丽;总有一个笑脸,是为我们而绽放;总有一份遇见,唯美了整个曾经;总会有一个人知你冷暖,懂你悲欢。
传说,伯牙是一位善于演奏鼓琴的人,但一直找不到知己,能够体会琴音美妙。
直到遇见钟子期,他是一个戴斗笠、披蓑衣、背扁担、拿板斧的樵夫,但他却能听出伯牙乐曲中的意境和故事。
伯牙弹《高山流水》时,心中想到高山,钟子期便陶醉在其中,赞叹道:“听得此曲,犹如巍峨挺拔的高山屹立在我的面前。”
伯牙心中想到流水,子期听后,便高兴地说道:“真是妙极了,这琴声宛如奔腾不息的江河从我面前流过。
钟子期死后,伯牙痛失知音,奏完一曲《高手流水》,摔琴绝弦,终身不再弹奏乐曲,因为世上再无心灵默契之人。
我们来到世上,所有相遇都千回百转,幸运的是,遇到那个懂你的人。
懂得,是生命中最美的缘。
- 03 -
朋友之间相处,伤害往往是无心的,帮助却是真心的。
阿拉伯传说中有两个朋友在沙漠中旅行。在旅行中他们吵架了,一个来个另一个一记耳光。
被打的觉得受辱,一言不语,在沙子上写下:“今天我的好朋友打了我一巴掌。”
他们继续往前走。走到了沃野,他们决定停下。被打巴掌的那位差点淹死,幸好被朋友救来了。
被救起后,他拿了一把小剑在石头上刻了:“今天我的好朋友救了我一命。”
一旁好奇的朋友问到:“为什么我打了你以后你要写在沙子上,而现在要刻在石头上呢?”
另一个笑笑回答说:“当被一个朋友伤害时,要写在易忘的地方,风会负责抹去它;相反的如果被帮助,我们要把它刻在心灵的深处,任何风都抹不去的。”
我们人生里的感情,无非是亲情、爱情、友情。
亲情总让我们歉疚,爱情总让我们迷乱,三者之中,友情最轻,但却因为它的轻,最让我们舒服。
我们想在友情里找的,难道是陪伴?是依靠?是慰藉?大概都不是,我们想要的,是一种不必刻意逞强也不心虚,不时常维系也不歉疚,不必相濡以沫,却随时虚位以待的感情——那是我们人生的休憩之处。
忘记那些无心的伤害,铭记那些对你真心的帮助,你会发现这世上你会有很多真心的朋友。
时间帮你筛选了许多人,你不必考虑和谁的友情多一点,和谁少一点,时间已经沉淀了一切。
- 04 -
最适合的朋友即使很久不见,坐下来就能一起吃火锅,问好也不需要,撸起袖子边涮肉边说我跟你讲啊,仿佛昨天刚刚见过面。
最好的友情是各自忙碌,又互相牵挂,不用刻意想起,因为从未忘记。
李白在东都洛阳认识了比他小11岁的诗人杜甫。杜甫“性豪业嗜酒,嫉恶怀刚肠。”其抱负是“致君尧舜上,再使风俗淳。”与李白意气相投。他们情同手足,“醉眠秋共被,携手日同行”。
第二年的秋天,杜甫西去长安,李白准备重游江东,他们在兖州分手,此后没有再会面。这是他们的第一次见面,也是最后一次见面。
在一起的一段日子里,二人畅游齐鲁,访道寻友,谈诗论文,有时也议论时事,两人结下了深厚的友谊,两人分手后,杜甫为此写过不少怀念李白的感人诗篇。
陈佩斯和朱时茂是几十年的好友,他们数次登上春晚舞台,表演的《吃面条》《羊肉串》等节目深受观众喜爱。
后来,陈佩斯主要活跃在话剧舞台,而朱时茂则下海经商,两人没有见面的机会,相识多年,相聚的机会越来越少。
但是有关当年一起奋斗、共同成就的岁月是刻在记忆里的,无法抹去,就像陈佩斯曾形容和朱时茂现在的关系:从来不会想起,但永远不会忘记......
古诗云:
汉恩自浅胡自深,人生乐在相知心。
那些各自忙乱,彼此牵挂的老友,其实也无非“知心”二字而。
知心,所以不会因为时光而缺失了共同语言,也不会因为彼此看透而疏远,就好像,昨天才刚刚一起喝过茶。
白居易的《问刘十九》中有一句:“晚来天欲雪,能饮一杯无?”,千言万语不过一句:能饮一杯无?
真正的友情,就是金风玉露一相逢,便胜却人间无数的美好;是海内存知己,天涯若比邻的踏实;是桃李春风一杯酒,江湖夜雨十年灯的思念。哪怕多年不见,再见面时,也犹如朝夕相处,心里没有一丝隔阂。
2021年07月25日
Flow 第百五十五回目
音频指路https://t.cn/A6f16cMi
⭐ 聊了去海外拍戏,他还疑问过为什么选他,因为原著里面他的角色不是日本人。
⭐ 聊了消暑开胃的梅子素面绝佳食用方法
⭐ 还说了他之前做的那盆盆栽。现在变得已经不好意思发ins了
⭐ 还说了uomo连载对谈的感想
想看详情的可以复制下面的日语全文去翻译软件↓
今週は、みなさんからいただいたメッセージを紹介します。
最後までよろしくお願いします!
まずは、“こちら”に関するメッセージがたくさん届いています。
【宮城県 かずみ 35歳 女性】
拓哉キャプテン、海外ドラマ出演おめでとうございます!
本当に突然のビックニュースで、ウキウキでした。
何でも、プロデューサーからの熱烈なオファーを受けて決まったとの事。
これが一番に嬉しかったです。体には気をつけて、撮影楽しんできて下さいね。
無理しない程度に、インスタでの報告も待っています。
木村:他、本当にたくさんのリスナーの方からメールをいただいております。ありがとうございます。まあ、はい。ちょうどLiLiCoが来てくれた時にさ、「木村さ~~ん!」で、“冒険映画のおすすめ”みたいなやつやったじゃないですか。その時に挙げさせていただいた『ゲーム・オブ・スローンズ』っていうドラマがあるんですけど、僕、それがすごい好きで。で、今回一緒にやらないかって言ってくれたスタッフが、その『ゲーム・オブ・スローンズ』をやっていた方みたいで、それも何かの巡り合わせだな~っていうね。それで、まあこういう状況下なので、みなさんは慣れてらっしゃるとは思うんですけど、リモートでニューヨークにいるプロデューサーのフランク(・ドルジャー)さんと繋いでご挨拶をさせていただいて、「今回、ぜひ一緒にやってくれないかな?」みたいなことを言ってくださったんですけど、1つだけ質問させていただきました。「なぜ俺なんですか?」って(笑)。そしたら、物語の中に、アジア人ということではなくて、はっきりと“日本人”という役でキャスティングをしたいという風に言ってくださって。「“日本人で見ている人たちをワクワクさせてくれるのは彼じゃないか”っていうのをたくさん周りの方から聞いたから、僕は君の名前を挙げさせてもらったんだ」っていう風に言ってくれて、「ありがとうございます」って言って、そのリモートは終わったんですけど。
本当に初の経験というか、以前『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』(2019年)だったりとか、多国籍キャストでやった経験もあるんですけど、また今回は違う世界観。原作が『THE SWARM』っていう、深海に生息する未確認知的生物と人類との闘いを描いていくという、若干海洋…SFが入るかな。海洋SFサスペンスドラマっていう形になると思うんですけども。少しの間日本を離れることになりますが、みなさんに作品を楽しんでもらえるように、“やったろうかな!”と思っておりますので、楽しみに待っててほしいと思います。まあ現場の状況によりますが、幸いなことにインスタとかやらせていただいてるので、ちらほらと向こうでの模様をみなさんにご報告できたらいいなと思ってますので、楽しみにしててほしいと思います。
さあ、続いてはこちら。
【千葉県 おひるねねるね 44歳 女性】
暑くなってきましたね!
最近はさっぱり食べられるそうめんにハマってます。
薬味をいろいろ変えたりしてますが、どうしてもワンパターンになってしまいます。
拓哉キャプテンおすすめのアレンジそうめんメニューを教えて欲しいです!
お願いします♪
木村:確かに暑いよね。僕も、(そうめんは)割とささっと作れるし、けっこう口にすることが多いかな。暑くなってきたし。僕の場合なんですけど、これはね、おすすめというか、僕は好きだからこうやって食べてます、こういうパターンで食べてますっていうのを、おひるねねるねさんにお伝えしますね。
もう、簡単です。めちゃくちゃ簡単です。はちみつ漬けの梅干しあるじゃないですか。それを2つ、めんつゆを入れるお椀に落とします。そしてそこに、まあチューブのわさびでも全然構わないんですけど、わさびを割と多めに入れます。何センチって言えばいいのかな…わさびを4センチ越えぐらい入れます。けっこう入れます。そして、手間が問題なければ、大葉を千切りにして…そうだな、大葉が4かな。で、6がネギ。あさつきを刻んで入れて、そこに氷を1個か2個入れます。そこにめんつゆをダーっと落とし、あとはそのめんつゆを割るお水をちょっと足し、それで茹で上がったそうめんをいただくんです…が!(その前に)さっき4センチ強入れてほしいって言ったわさびを、はちみつ漬けの梅の種を取り除くが如く、つゆを張る前のお椀で(梅干しと)よ~くミックスしちゃうんですよね。そこで種がどどって2個出てくるんですけど、そこで種は取りません。
それでさっき言った大葉・ネギを入れて、氷2つととっと落として、めんつゆを注ぎ、お水で割って、“いただけるぞ、うまそうだぞ~!”っていう状態ができたら茹でたそうめんをいただくんですけど、食べ進むにつれて徐々に徐々に梅肉だったりどんどん減ってくるじゃないですか。で、食べ終わるぐらいの時に、中に入ってた2個の梅干しの種を1個ずつお口の中に入れて、種まわりの梅肉をこう口の中で削ぎ取って、種を落として、で、最後のそうめんをまた一口…という感じかな。これ、僕はずっと好きでやってますね。
今話ししててすっげー口の中がもう…それを欲してしまって、今腹が鳴ってきましたね(笑)。これけっこう僕は好きかな。いろんなそうめんアレンジも「木村さ~~ん!」でできたらいいですよね。以前、納豆アレンジしたじゃないですか。だからそうめんアレンジも「木村さ~~ん!」でできそうな感じがしますね。そうね、時期的に寒くなってきたら逆ににゅうめんにしたりとか、温かいお出汁の中に入れていただくってことが多いかな。その時は、ざっくりと野菜とお肉…鶏肉が合うかな~って感じですけどね。
そして、こんなメッセージもいただきました。
【愛知県 まきまきこ 56歳 女性】
先日の「木村さ~~ん」での盆栽、素敵な出来栄えでしたね。
私はキャプテンの盆栽がすごく気に入ったので、スマフォの画面の背景として毎日拝んでます。
緑はとっても癒されるし、休んでほっと一息という時、見ると安らぎます。
お世話をする人は大変だとは思いますが、わんちゃん同様、可愛がって、またインスタにあげてくださいね♪ 楽しみにしてます♪
木村:あれさ、「鉢に植えて10日間ぐらいはお部屋の中で水やりをしていただければ」って先生が言ってたじゃん。そしたらさ、植えたあのケヤキ(欅)があったでしょ。あれ、やっぱ太陽に当たってないから、すげー葉が落ちてきたんだよね。それで“やっべー!”と思って、“そろそろもういいかな”と思って、10日経たないぐらいで外に出したんですよ。そしたら今度は、俺、苔を張ったじゃないですか。そしたら、今度は陽に当てたせいか、苔が一気になんか「僕たち、もうやる気ないです」みたいな感じになっちゃって、“あれ…?”っていう状況です。だから、「またインスタにあげてくださいね」ってまきまきこさんは言ってくれてますけど、今インスタにあげられる状況じゃないですね。
こちらは、男性リスナーから多かったメッセージです。
【埼玉県 ケイイチ 46歳 男性】
早速ですが拓哉さん! ヤバいでしょ!
「UOMO」7月号!! 拓哉さんと藤原ヒロシさんのトークセッション!
初の対談だったそうで意外でした。
記事を読んで感じたのは、良い意味で力の抜けた対談というか、生涯少年の心を持つヤンチャでかっこいい大人の対談でした。
お2人が持ってきた「ゴローズ」のギターもシビレました!
いろいろ聞きたいです! いろいろ聞かせてください!
あと、Flowでもトークセッションしてもらいたいです!!
木村:…っていうメールが来てますけど。たまたま「UOMO」という雑誌の中でヒロシ君も連載をされてるページがあって、「じゃあ、お互いがお互いの連載にお邪魔するっていう感じでもいいんじゃない?」っていう話になって実現したんですけどね。でも、ヒロシ君も「動く生の木村拓哉っていうのを見るのは20年ぶりだよ」みたいな感じで言ってくれてましたけど、本当に…それこそ20年以上前は、まだヒロシ君は原宿に事務所があって。その事務所に行くと、なんかムラジュン(村上淳)がパソコンでカチャカチャ遊んでたりとか。「ああ、拓哉君!」みたいなみたいな感じで。(その事務所で)友達と一緒にエレベーターを待ってたら、エレベーターが来て、(扉が)開いたら(外人がいて)“あ、外人さん。え? でも今の外人さん、すっげークラプトンに似てねぇ!?”って思ってたら、本人だったらしく。“なんでヒロシ君の事務所にクラプトンがいるの?”みたいな(笑)。なんか不思議な空間でしたね。
そしてメッセージの中にも書いてくれてましたけど、それこそヒロシ君とエリック・クラプトンさんが発起人となって、「(ゴローズの創業者)高橋吾郎さんがお亡くなりになったのを忘れたくないよね」っていうことで、「じゃあ吾郎さんのことを想ったMartinのギターを作ろう」っていう話をクラプトンとヒロシ君の間でしてくれたらしく、それで製作したギターが…なんか限定で39本作ったらしいんですけど、そのうちの1本が僕のところに来てくれて、ヒロシ君もそのうちの1本を所有してたので、「じゃあ、そのギターとギターを会わせるっていうのもいいかもしれないですね」ということで、ギター持参であのページの撮影をさせてもらったんです。なんかこう軽く曲を弾き始めたら、ヒロシ君が「いいねいいね」って感じで、まずチューニングを合わせるところから始めて、チューニングが合ったところでようやく弾いて遊んだりしたんですけど。その撮影中のセッションでも弾いてましたが、発起人となってくれたクラプトンのナンバーをお送りしましょう。
M1. Change The World/Eric Clapton
Flow 第百五十五回目
音频指路https://t.cn/A6f16cMi
⭐ 聊了去海外拍戏,他还疑问过为什么选他,因为原著里面他的角色不是日本人。
⭐ 聊了消暑开胃的梅子素面绝佳食用方法
⭐ 还说了他之前做的那盆盆栽。现在变得已经不好意思发ins了
⭐ 还说了uomo连载对谈的感想
想看详情的可以复制下面的日语全文去翻译软件↓
今週は、みなさんからいただいたメッセージを紹介します。
最後までよろしくお願いします!
まずは、“こちら”に関するメッセージがたくさん届いています。
【宮城県 かずみ 35歳 女性】
拓哉キャプテン、海外ドラマ出演おめでとうございます!
本当に突然のビックニュースで、ウキウキでした。
何でも、プロデューサーからの熱烈なオファーを受けて決まったとの事。
これが一番に嬉しかったです。体には気をつけて、撮影楽しんできて下さいね。
無理しない程度に、インスタでの報告も待っています。
木村:他、本当にたくさんのリスナーの方からメールをいただいております。ありがとうございます。まあ、はい。ちょうどLiLiCoが来てくれた時にさ、「木村さ~~ん!」で、“冒険映画のおすすめ”みたいなやつやったじゃないですか。その時に挙げさせていただいた『ゲーム・オブ・スローンズ』っていうドラマがあるんですけど、僕、それがすごい好きで。で、今回一緒にやらないかって言ってくれたスタッフが、その『ゲーム・オブ・スローンズ』をやっていた方みたいで、それも何かの巡り合わせだな~っていうね。それで、まあこういう状況下なので、みなさんは慣れてらっしゃるとは思うんですけど、リモートでニューヨークにいるプロデューサーのフランク(・ドルジャー)さんと繋いでご挨拶をさせていただいて、「今回、ぜひ一緒にやってくれないかな?」みたいなことを言ってくださったんですけど、1つだけ質問させていただきました。「なぜ俺なんですか?」って(笑)。そしたら、物語の中に、アジア人ということではなくて、はっきりと“日本人”という役でキャスティングをしたいという風に言ってくださって。「“日本人で見ている人たちをワクワクさせてくれるのは彼じゃないか”っていうのをたくさん周りの方から聞いたから、僕は君の名前を挙げさせてもらったんだ」っていう風に言ってくれて、「ありがとうございます」って言って、そのリモートは終わったんですけど。
本当に初の経験というか、以前『アイ・カム・ウィズ・ザ・レイン』(2019年)だったりとか、多国籍キャストでやった経験もあるんですけど、また今回は違う世界観。原作が『THE SWARM』っていう、深海に生息する未確認知的生物と人類との闘いを描いていくという、若干海洋…SFが入るかな。海洋SFサスペンスドラマっていう形になると思うんですけども。少しの間日本を離れることになりますが、みなさんに作品を楽しんでもらえるように、“やったろうかな!”と思っておりますので、楽しみに待っててほしいと思います。まあ現場の状況によりますが、幸いなことにインスタとかやらせていただいてるので、ちらほらと向こうでの模様をみなさんにご報告できたらいいなと思ってますので、楽しみにしててほしいと思います。
さあ、続いてはこちら。
【千葉県 おひるねねるね 44歳 女性】
暑くなってきましたね!
最近はさっぱり食べられるそうめんにハマってます。
薬味をいろいろ変えたりしてますが、どうしてもワンパターンになってしまいます。
拓哉キャプテンおすすめのアレンジそうめんメニューを教えて欲しいです!
お願いします♪
木村:確かに暑いよね。僕も、(そうめんは)割とささっと作れるし、けっこう口にすることが多いかな。暑くなってきたし。僕の場合なんですけど、これはね、おすすめというか、僕は好きだからこうやって食べてます、こういうパターンで食べてますっていうのを、おひるねねるねさんにお伝えしますね。
もう、簡単です。めちゃくちゃ簡単です。はちみつ漬けの梅干しあるじゃないですか。それを2つ、めんつゆを入れるお椀に落とします。そしてそこに、まあチューブのわさびでも全然構わないんですけど、わさびを割と多めに入れます。何センチって言えばいいのかな…わさびを4センチ越えぐらい入れます。けっこう入れます。そして、手間が問題なければ、大葉を千切りにして…そうだな、大葉が4かな。で、6がネギ。あさつきを刻んで入れて、そこに氷を1個か2個入れます。そこにめんつゆをダーっと落とし、あとはそのめんつゆを割るお水をちょっと足し、それで茹で上がったそうめんをいただくんです…が!(その前に)さっき4センチ強入れてほしいって言ったわさびを、はちみつ漬けの梅の種を取り除くが如く、つゆを張る前のお椀で(梅干しと)よ~くミックスしちゃうんですよね。そこで種がどどって2個出てくるんですけど、そこで種は取りません。
それでさっき言った大葉・ネギを入れて、氷2つととっと落として、めんつゆを注ぎ、お水で割って、“いただけるぞ、うまそうだぞ~!”っていう状態ができたら茹でたそうめんをいただくんですけど、食べ進むにつれて徐々に徐々に梅肉だったりどんどん減ってくるじゃないですか。で、食べ終わるぐらいの時に、中に入ってた2個の梅干しの種を1個ずつお口の中に入れて、種まわりの梅肉をこう口の中で削ぎ取って、種を落として、で、最後のそうめんをまた一口…という感じかな。これ、僕はずっと好きでやってますね。
今話ししててすっげー口の中がもう…それを欲してしまって、今腹が鳴ってきましたね(笑)。これけっこう僕は好きかな。いろんなそうめんアレンジも「木村さ~~ん!」でできたらいいですよね。以前、納豆アレンジしたじゃないですか。だからそうめんアレンジも「木村さ~~ん!」でできそうな感じがしますね。そうね、時期的に寒くなってきたら逆ににゅうめんにしたりとか、温かいお出汁の中に入れていただくってことが多いかな。その時は、ざっくりと野菜とお肉…鶏肉が合うかな~って感じですけどね。
そして、こんなメッセージもいただきました。
【愛知県 まきまきこ 56歳 女性】
先日の「木村さ~~ん」での盆栽、素敵な出来栄えでしたね。
私はキャプテンの盆栽がすごく気に入ったので、スマフォの画面の背景として毎日拝んでます。
緑はとっても癒されるし、休んでほっと一息という時、見ると安らぎます。
お世話をする人は大変だとは思いますが、わんちゃん同様、可愛がって、またインスタにあげてくださいね♪ 楽しみにしてます♪
木村:あれさ、「鉢に植えて10日間ぐらいはお部屋の中で水やりをしていただければ」って先生が言ってたじゃん。そしたらさ、植えたあのケヤキ(欅)があったでしょ。あれ、やっぱ太陽に当たってないから、すげー葉が落ちてきたんだよね。それで“やっべー!”と思って、“そろそろもういいかな”と思って、10日経たないぐらいで外に出したんですよ。そしたら今度は、俺、苔を張ったじゃないですか。そしたら、今度は陽に当てたせいか、苔が一気になんか「僕たち、もうやる気ないです」みたいな感じになっちゃって、“あれ…?”っていう状況です。だから、「またインスタにあげてくださいね」ってまきまきこさんは言ってくれてますけど、今インスタにあげられる状況じゃないですね。
こちらは、男性リスナーから多かったメッセージです。
【埼玉県 ケイイチ 46歳 男性】
早速ですが拓哉さん! ヤバいでしょ!
「UOMO」7月号!! 拓哉さんと藤原ヒロシさんのトークセッション!
初の対談だったそうで意外でした。
記事を読んで感じたのは、良い意味で力の抜けた対談というか、生涯少年の心を持つヤンチャでかっこいい大人の対談でした。
お2人が持ってきた「ゴローズ」のギターもシビレました!
いろいろ聞きたいです! いろいろ聞かせてください!
あと、Flowでもトークセッションしてもらいたいです!!
木村:…っていうメールが来てますけど。たまたま「UOMO」という雑誌の中でヒロシ君も連載をされてるページがあって、「じゃあ、お互いがお互いの連載にお邪魔するっていう感じでもいいんじゃない?」っていう話になって実現したんですけどね。でも、ヒロシ君も「動く生の木村拓哉っていうのを見るのは20年ぶりだよ」みたいな感じで言ってくれてましたけど、本当に…それこそ20年以上前は、まだヒロシ君は原宿に事務所があって。その事務所に行くと、なんかムラジュン(村上淳)がパソコンでカチャカチャ遊んでたりとか。「ああ、拓哉君!」みたいなみたいな感じで。(その事務所で)友達と一緒にエレベーターを待ってたら、エレベーターが来て、(扉が)開いたら(外人がいて)“あ、外人さん。え? でも今の外人さん、すっげークラプトンに似てねぇ!?”って思ってたら、本人だったらしく。“なんでヒロシ君の事務所にクラプトンがいるの?”みたいな(笑)。なんか不思議な空間でしたね。
そしてメッセージの中にも書いてくれてましたけど、それこそヒロシ君とエリック・クラプトンさんが発起人となって、「(ゴローズの創業者)高橋吾郎さんがお亡くなりになったのを忘れたくないよね」っていうことで、「じゃあ吾郎さんのことを想ったMartinのギターを作ろう」っていう話をクラプトンとヒロシ君の間でしてくれたらしく、それで製作したギターが…なんか限定で39本作ったらしいんですけど、そのうちの1本が僕のところに来てくれて、ヒロシ君もそのうちの1本を所有してたので、「じゃあ、そのギターとギターを会わせるっていうのもいいかもしれないですね」ということで、ギター持参であのページの撮影をさせてもらったんです。なんかこう軽く曲を弾き始めたら、ヒロシ君が「いいねいいね」って感じで、まずチューニングを合わせるところから始めて、チューニングが合ったところでようやく弾いて遊んだりしたんですけど。その撮影中のセッションでも弾いてましたが、発起人となってくれたクラプトンのナンバーをお送りしましょう。
M1. Change The World/Eric Clapton
经典美文 :
语言大师
叶圣陶笔下
的
印光法师
和
弘一法师
文 / 叶圣陶《两法师》
在到功德林去会见弘一法师的路上,我怀着似乎从来不曾有过的洁净的心情;
也可以说带着渴望。
弘一法师就是李叔同先生,我对于他的书画篆刻都中意。
以后数年,听人说李先生已经出了家,在西湖某寺,现在称弘一了。
于是不免向丰子恺先生询问关于弘一法师的种种。
十分感兴趣之余,自然来了见一见的愿望。
以后遇见子恺先生,他常常告诉我弘一法师的近况。
记得有一次给我看弘一法师的来信,中间有 “ 叶居士 ” 云云,
我看了很觉惭愧,虽然 “ 居士 ” 不是什么特别的尊称。
一天,我去上班,劈面来三辆人力车。
最先是个和尚,我并不介意。
第二是子恺先生,他惊喜似地向我点头。
我也点头,心里就闪电般想起 “ 后面一定是他 ”。
人力车夫跑得很快,第三辆一霎经过时,
我见坐着的果然是个和尚,清癯的脸,颔下有稀疏的长髯。
我的感情有点激动,“ 他来了!”
这样想着,屡屡回头望那越去越远的车篷的后影。
第二天,就接到子恺先生的信,约我星期日到功德林去会见。
弘一法师是深深尝了世间味,探了艺术之宫的,
却回过来过那种通常以为枯寂的持律念佛的生活,
他的态度该是怎样,
他的言论该是怎样,
实在难以悬揣。
走上功德林的扶梯,被侍者导引进那房间时,近十位先到的人恬静地起立相迎。
靠窗的左角,正是光线最明亮的地方,站着那位弘一法师,带笑的容颜,细小的眼眸子放出晶莹的光。
丏尊先生给我介绍之后,叫我坐在弘一法师的侧边。
弘一法师坐下来之后,就悠然数着手里的念珠。
我想一颗念珠一声 “ 阿弥陀佛 ” 吧,
本来没有什么话要向他谈,见这样更沉入近乎催眠状态的凝思,言语是全不需要了。
可怪的是在座一些人,
或是他的旧友,
或是他的学生,
在这难得的会晤时,似乎该有好些抒情的话与他谈,然而大家也只默然。
未必因僧俗殊途,尘净异致,而有所矜持吧。
或许他们以为这样默对一二小时,已胜于十年的晤谈了。
晴秋的午前,时光在恬然的静默中经过,觉得有难言的美。
随后又来了几位客,向弘一法师问几时来的,到什么地方去那些话。
他的回答总是一句短语,可是殷勤极了,有如倾诉整个心愿。
因为弘一法师是过午不食的,十一点钟就开始聚餐。
我看他那曾经挥洒书画、弹奏钢琴的手郑重地夹起一荚豇豆来,欢喜满足地送入口中去咀嚼的那种神情,真惭愧自己平时的乱吞胡咽。
“ 这碟子是酱油吧?”
以为他要酱油,某君想把酱油碟子移到他前面。
“ 不,是这个日本的居士要。”
果然,这位日本人道谢了,法师于无形中体会到他的愿欲。
石岑先生爱谈人生问题,著有《人生哲学》,席间他请弘一法师谈些关于人生的意见。
“ 惭愧 ”,
弘一法师虔敬地回答,
“ 没有研究,不能说什么。”
我想,问他像他这样的生活,达到了怎样一种境界,或者比较落实一点儿。
然而健康的人不自觉健康,哀乐的当时也不能描状哀乐;
境界又岂是说得出的。
我就把这意思遣开,从侧面看弘一法师的长髯以及眼边细密的皱纹,出神久之。
饭后,他说约定了去见印光法师,谁愿意去可同去。
印光法师这个名字知道得很久了, 并且见过他的文钞,是现代净土宗的大师,自然也想见一见。
同去者计七八人。
决定不坐人力车,弘一法师拔脚就走,我开始惊异他步履的轻捷。
他的脚是赤着的,穿一双布缕缠成的行脚鞋。
这是独特健康的象征啊,同行的一群人哪里有第二双这样的脚。
惭愧,我这年轻人常常落在他背后。
我在他背后这样想:
他的行止笑语,真所谓纯任自然,使人永不能忘,然而在这背后却是极严谨的戒律。
丏尊先生告诉我,他曾经叹息中国的律宗有待振起,可见他是持律极严的。
他念佛,他过午不食,都为的持律。
但持律而到达非由 “ 外铄 ” 的程度,人就只觉得他一切纯任自然了。
似乎他的心非常之安,躁忿全消,到处自得;
似乎他以为这世间十分平和,十分宁静,自己处身其间,甚而至于会把它淡忘。
他与我们差不多处在不同的两个世界。
到新闸太平寺,有人家借这里办丧事,乐工以为吊客来了,预备吹打起来,
及见我们中间有一个和尚,而且问起的也是和尚,才知道误会,
说道:
“ 他们都是佛教里的。”
寺役去通报时,弘一法师从包袱里取出一件大袖僧衣来
( 他平时穿的,袖子与我们的长衫袖子一样 ),
恭而敬之地穿上身,眉宇间异样地静穆。
我是欢喜四处看望的,见寺役走进去的沿街的那个房间里,有个躯体硕大的和尚刚洗了脸,背部略微佝着,我想这一定就是了。
果然,弘一法师头一个跨进去时,就对这位和尚屈膝拜伏,动作严谨且安详,
我心里肃然,有些人以为弘一法师该是和尚里的浪漫派,看见这样可知完全不对。
印光法师的皮肤呈褐色,肌理颇粗,一望而知是北方人;
头顶几乎全秃,发光亮;
脑额很阔;
浓眉底下一双眼睛这时虽不戴眼镜,却用戴了眼镜从眼镜上方射出眼光来的样子看人,嘴唇略微皱瘪,大概六十左右了,
弘一法师与印光法师并肩而坐,正是绝好的对比,一个是水样的秀美,飘逸,一个是山样的浑朴,凝重。
弘一法师合掌恳请了:
“ 几位居士都欢喜佛法,有曾经看了禅宗的语录的,
今来见法师,请有所开示,慈悲,慈悲。”
对于这 “ 慈悲,慈悲 ” 感到深长的趣味。
“ 嗯,看了语录,看了什么语录?”
印光法师的声音带有神秘味,我想这话里或者就藏着机锋吧。
没有人答应。
弘一法师就指石岑先生,说这位先生看了语录的。
石岑先生说也不专看哪几种语录,只研究过法相宗的义理。
这就开了印光法师的话源。
“ 他说学佛须要得实益,徒然嘴里说说,作几篇文字,没有道理。
他说人眼前最紧要的事情是了生死,生死不了,非常危险。
他说某先生只说自己才对,别人念佛就是迷信,真不应该。”
他说来声色有点儿严厉,间以呵喝。
弘一法师再作第二次恳请,希望于儒说佛法会通之点给我们开示。
“ 印光法师说二者本一致,无非教人父慈子孝兄友弟恭等等。
不过儒家说这是人的天职,人若不守天职就没有办法。
佛家用因果来说,那就深奥得多。
行善就有福,行恶就吃苦。
人谁愿意吃苦呢?”
他的话语很多,有零星的插话,有应验的故事,从其间可以窥见他的信仰与欢喜。
他显然以传道者自任,故遇有机缘不惮尽力宣传。
弘一法师似乎春原上一株小树,毫不愧怍地欣欣向荣,却没有凌驾旁的卉木而上之的气概。
在佛徒中,这位老人的地位崇高极了,从他的文钞里,有许多的信徒恳求他的指示,仿佛他就是往生净土的导引者。
弘一法师第三次 “ 慈悲,慈悲 ” 地恳求时,是说这里有讲经义的书,可让居士们 “ 请 ” 几部回去。
这个 “ 请 ” 字又有特别的味道。
房间的右角里,线袋、平袋的书堆着不少,不禁想起外间纷纷飞散的那些宣传品。
我分到黄智海演述的《阿弥陀经白话解释》,
大圆居士说的《般若波罗蜜多心经讲义》,
李荣祥编的《印光法师嘉言录》三种。
于是弘一法师又屈膝拜伏,辞别。
印光法师点着头,从不大敏捷的动作上显露他的老态。
待我们都辞别了走出房间,弘一法师伸两手,郑重而轻捷地把两扇门拉上了。
随即脱下那件大袖的僧衣,就人家停放在寺门内的包车上,方正平帖地把它摺好包起来。
弘一法师就要回到江湾子恺先生的家里,石岑先生予同先生和我就向他告别。
这位带有通常所谓仙气的和尚,将使我永远怀念了。
语言大师
叶圣陶笔下
的
印光法师
和
弘一法师
文 / 叶圣陶《两法师》
在到功德林去会见弘一法师的路上,我怀着似乎从来不曾有过的洁净的心情;
也可以说带着渴望。
弘一法师就是李叔同先生,我对于他的书画篆刻都中意。
以后数年,听人说李先生已经出了家,在西湖某寺,现在称弘一了。
于是不免向丰子恺先生询问关于弘一法师的种种。
十分感兴趣之余,自然来了见一见的愿望。
以后遇见子恺先生,他常常告诉我弘一法师的近况。
记得有一次给我看弘一法师的来信,中间有 “ 叶居士 ” 云云,
我看了很觉惭愧,虽然 “ 居士 ” 不是什么特别的尊称。
一天,我去上班,劈面来三辆人力车。
最先是个和尚,我并不介意。
第二是子恺先生,他惊喜似地向我点头。
我也点头,心里就闪电般想起 “ 后面一定是他 ”。
人力车夫跑得很快,第三辆一霎经过时,
我见坐着的果然是个和尚,清癯的脸,颔下有稀疏的长髯。
我的感情有点激动,“ 他来了!”
这样想着,屡屡回头望那越去越远的车篷的后影。
第二天,就接到子恺先生的信,约我星期日到功德林去会见。
弘一法师是深深尝了世间味,探了艺术之宫的,
却回过来过那种通常以为枯寂的持律念佛的生活,
他的态度该是怎样,
他的言论该是怎样,
实在难以悬揣。
走上功德林的扶梯,被侍者导引进那房间时,近十位先到的人恬静地起立相迎。
靠窗的左角,正是光线最明亮的地方,站着那位弘一法师,带笑的容颜,细小的眼眸子放出晶莹的光。
丏尊先生给我介绍之后,叫我坐在弘一法师的侧边。
弘一法师坐下来之后,就悠然数着手里的念珠。
我想一颗念珠一声 “ 阿弥陀佛 ” 吧,
本来没有什么话要向他谈,见这样更沉入近乎催眠状态的凝思,言语是全不需要了。
可怪的是在座一些人,
或是他的旧友,
或是他的学生,
在这难得的会晤时,似乎该有好些抒情的话与他谈,然而大家也只默然。
未必因僧俗殊途,尘净异致,而有所矜持吧。
或许他们以为这样默对一二小时,已胜于十年的晤谈了。
晴秋的午前,时光在恬然的静默中经过,觉得有难言的美。
随后又来了几位客,向弘一法师问几时来的,到什么地方去那些话。
他的回答总是一句短语,可是殷勤极了,有如倾诉整个心愿。
因为弘一法师是过午不食的,十一点钟就开始聚餐。
我看他那曾经挥洒书画、弹奏钢琴的手郑重地夹起一荚豇豆来,欢喜满足地送入口中去咀嚼的那种神情,真惭愧自己平时的乱吞胡咽。
“ 这碟子是酱油吧?”
以为他要酱油,某君想把酱油碟子移到他前面。
“ 不,是这个日本的居士要。”
果然,这位日本人道谢了,法师于无形中体会到他的愿欲。
石岑先生爱谈人生问题,著有《人生哲学》,席间他请弘一法师谈些关于人生的意见。
“ 惭愧 ”,
弘一法师虔敬地回答,
“ 没有研究,不能说什么。”
我想,问他像他这样的生活,达到了怎样一种境界,或者比较落实一点儿。
然而健康的人不自觉健康,哀乐的当时也不能描状哀乐;
境界又岂是说得出的。
我就把这意思遣开,从侧面看弘一法师的长髯以及眼边细密的皱纹,出神久之。
饭后,他说约定了去见印光法师,谁愿意去可同去。
印光法师这个名字知道得很久了, 并且见过他的文钞,是现代净土宗的大师,自然也想见一见。
同去者计七八人。
决定不坐人力车,弘一法师拔脚就走,我开始惊异他步履的轻捷。
他的脚是赤着的,穿一双布缕缠成的行脚鞋。
这是独特健康的象征啊,同行的一群人哪里有第二双这样的脚。
惭愧,我这年轻人常常落在他背后。
我在他背后这样想:
他的行止笑语,真所谓纯任自然,使人永不能忘,然而在这背后却是极严谨的戒律。
丏尊先生告诉我,他曾经叹息中国的律宗有待振起,可见他是持律极严的。
他念佛,他过午不食,都为的持律。
但持律而到达非由 “ 外铄 ” 的程度,人就只觉得他一切纯任自然了。
似乎他的心非常之安,躁忿全消,到处自得;
似乎他以为这世间十分平和,十分宁静,自己处身其间,甚而至于会把它淡忘。
他与我们差不多处在不同的两个世界。
到新闸太平寺,有人家借这里办丧事,乐工以为吊客来了,预备吹打起来,
及见我们中间有一个和尚,而且问起的也是和尚,才知道误会,
说道:
“ 他们都是佛教里的。”
寺役去通报时,弘一法师从包袱里取出一件大袖僧衣来
( 他平时穿的,袖子与我们的长衫袖子一样 ),
恭而敬之地穿上身,眉宇间异样地静穆。
我是欢喜四处看望的,见寺役走进去的沿街的那个房间里,有个躯体硕大的和尚刚洗了脸,背部略微佝着,我想这一定就是了。
果然,弘一法师头一个跨进去时,就对这位和尚屈膝拜伏,动作严谨且安详,
我心里肃然,有些人以为弘一法师该是和尚里的浪漫派,看见这样可知完全不对。
印光法师的皮肤呈褐色,肌理颇粗,一望而知是北方人;
头顶几乎全秃,发光亮;
脑额很阔;
浓眉底下一双眼睛这时虽不戴眼镜,却用戴了眼镜从眼镜上方射出眼光来的样子看人,嘴唇略微皱瘪,大概六十左右了,
弘一法师与印光法师并肩而坐,正是绝好的对比,一个是水样的秀美,飘逸,一个是山样的浑朴,凝重。
弘一法师合掌恳请了:
“ 几位居士都欢喜佛法,有曾经看了禅宗的语录的,
今来见法师,请有所开示,慈悲,慈悲。”
对于这 “ 慈悲,慈悲 ” 感到深长的趣味。
“ 嗯,看了语录,看了什么语录?”
印光法师的声音带有神秘味,我想这话里或者就藏着机锋吧。
没有人答应。
弘一法师就指石岑先生,说这位先生看了语录的。
石岑先生说也不专看哪几种语录,只研究过法相宗的义理。
这就开了印光法师的话源。
“ 他说学佛须要得实益,徒然嘴里说说,作几篇文字,没有道理。
他说人眼前最紧要的事情是了生死,生死不了,非常危险。
他说某先生只说自己才对,别人念佛就是迷信,真不应该。”
他说来声色有点儿严厉,间以呵喝。
弘一法师再作第二次恳请,希望于儒说佛法会通之点给我们开示。
“ 印光法师说二者本一致,无非教人父慈子孝兄友弟恭等等。
不过儒家说这是人的天职,人若不守天职就没有办法。
佛家用因果来说,那就深奥得多。
行善就有福,行恶就吃苦。
人谁愿意吃苦呢?”
他的话语很多,有零星的插话,有应验的故事,从其间可以窥见他的信仰与欢喜。
他显然以传道者自任,故遇有机缘不惮尽力宣传。
弘一法师似乎春原上一株小树,毫不愧怍地欣欣向荣,却没有凌驾旁的卉木而上之的气概。
在佛徒中,这位老人的地位崇高极了,从他的文钞里,有许多的信徒恳求他的指示,仿佛他就是往生净土的导引者。
弘一法师第三次 “ 慈悲,慈悲 ” 地恳求时,是说这里有讲经义的书,可让居士们 “ 请 ” 几部回去。
这个 “ 请 ” 字又有特别的味道。
房间的右角里,线袋、平袋的书堆着不少,不禁想起外间纷纷飞散的那些宣传品。
我分到黄智海演述的《阿弥陀经白话解释》,
大圆居士说的《般若波罗蜜多心经讲义》,
李荣祥编的《印光法师嘉言录》三种。
于是弘一法师又屈膝拜伏,辞别。
印光法师点着头,从不大敏捷的动作上显露他的老态。
待我们都辞别了走出房间,弘一法师伸两手,郑重而轻捷地把两扇门拉上了。
随即脱下那件大袖的僧衣,就人家停放在寺门内的包车上,方正平帖地把它摺好包起来。
弘一法师就要回到江湾子恺先生的家里,石岑先生予同先生和我就向他告别。
这位带有通常所谓仙气的和尚,将使我永远怀念了。
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