幸い、濃厚接触者がゼロだったので、夏休み期間中、朝7時半から夕方6時まで、子どもたちは児童館、こども園で見てもらいました。
いま、臨時休校の学校もあるそうです。子どもたちも大変でしょうし、親御さんも大変だと思います。それに、明日は我が身です。もともと8月下旬に帰国して、新学期に合わせようかと考えたこともあるのですが、早く決断して早く行動できたのはラッキーでした。こちらでは、早くも新学期が始まりました。
娘も小学校近くのこども園まで歩いて登校しています。ここはまだ緊急事態宣言ではありませんが、かなり気を付けています。
さて、ワクチン接種後、熱が出ました。しばらくは辛かったです。
そうそう、お隣中国では久しぶりに感染者が0人だったというニュースがありましたが、たった数名の感染者数に神経を尖らせ、都市全体でPCR検査をするのは一体なぜだろう?と不思議に思いながらも、もしかしたら、今後さらに状況が悪化するのだろうか?と心配になりました。でも、ウイルスに対して、こんなに厳しい態度だから、封じ込められるのだと思います。
長い期間、自粛自粛で疲れてくるのも理解できます。でも、中国の態度と比べたら、なんとなく、大丈夫かな?とも思います。テレビや新聞、ネットの情報だけで、私が勝手に思っているだけかもしれませんが、なんとなく、私たちは気持ちが弛んでしまって、国や都のリーダーの話を聞きたくないような心の状態?に陥り、自分たちの思い通りに動いてくれない国や都のリーダーを批判するばかりで、「もうどうにでもなれ!」ぐらいに考えている人が増えているのではないかと心配しています。実際、感染者数がかなり増えていますから…。リーダーは聖人じゃないから、私たちはリーダーにそういうものを期待しちゃいけませんよね。このままなら、最後に苦しむのは自分たちになりそうな気がして怖いです。
夫婦間の問題に「お気楽夫」というのがあるようですね。先日の漫才コンビの解散も、なんとなく「お気楽夫」のような立ち振る舞いに苛立った相方が解散を申し出たように見えますが、私たちは、老若男女、どんなときでも「お気楽」ではいけないのでしょう。
「お気楽夫」のまずいところは、「自分はこれだけやって成果もあげているから、多少のことは許してもらえるだろう!」といった甘えと「自分だけは大丈夫だ」という驕り、油断です。昔はそれで通ったそうですが、いまは甘えが許されないようで、たとえ70億の命を救ったとしても、「だからちょっとぐらい許してくれよ」という甘えや驕りは許されないのだと思います。
話を元に戻しますが、いまコロナ禍で、本当に苦しんでいるのはまだ一部だけかもしれませんが、半年後、私たちにとって見たくない現実が訪れるかもしれません。だから、ウイルスに対して厳しい態度で臨み、リーダーに多くを望まないこと。もし、リーダーや問題を起こした芸能人に注目したり、文句を言ったりする心の余裕があるなら、「自分だけは大丈夫だろう」という考えを捨て、半年後食べていけなくなるかもしれないことを想定し、自分の身を自分で守る準備をしておかなきゃと思いました。
厳しい態度で準備をしていたら、実際にそうなったときに慌てふためくことはないでしょうし、実際にそうならなかったらそうならなかったで、準備の段階で作ったエネルギーを生かして、大幅に前進できると思います。
「自分たちはまだまだ大丈夫!」と考えて30年。私たちは実際にちょっとずつ落ちていきましたが、なんだかんだ言ってまだ大丈夫でした。しかし、さすがに今回も大丈夫だろうとは簡単には言えません。厳しい態度で望んでもどうなるかわからないので、耐えきれなかったときの心構えくらいは今からしておかなくちゃと思っています。
「備えあれば憂いなし」と言いますし、一番良いのは最悪の状況にならないことですから、それはそれで祈るとして、祈りが通じなかったときに、間髪入れずに次々と対応できる心構えだけはしておきたいです。準備しなかったことが原因のショックさえ受けなければ、人はある程度、どんな試練でも乗り越えられるはずですから。
二年前、いまの状況を想像できた人がいるでしょうか。だからいま想像できないことがこれから起こっても不思議ではありません。以前の状況に戻れたら一番ですが、たぶん、戻れないでしょう。だから、いま、油断せず、驕りや甘えといった考えや態度を捨て、まじめにコツコツ、一歩一歩やるしかないですよね。
おかげさまで、やっと熱が下がりました^_^。
いま、臨時休校の学校もあるそうです。子どもたちも大変でしょうし、親御さんも大変だと思います。それに、明日は我が身です。もともと8月下旬に帰国して、新学期に合わせようかと考えたこともあるのですが、早く決断して早く行動できたのはラッキーでした。こちらでは、早くも新学期が始まりました。
娘も小学校近くのこども園まで歩いて登校しています。ここはまだ緊急事態宣言ではありませんが、かなり気を付けています。
さて、ワクチン接種後、熱が出ました。しばらくは辛かったです。
そうそう、お隣中国では久しぶりに感染者が0人だったというニュースがありましたが、たった数名の感染者数に神経を尖らせ、都市全体でPCR検査をするのは一体なぜだろう?と不思議に思いながらも、もしかしたら、今後さらに状況が悪化するのだろうか?と心配になりました。でも、ウイルスに対して、こんなに厳しい態度だから、封じ込められるのだと思います。
長い期間、自粛自粛で疲れてくるのも理解できます。でも、中国の態度と比べたら、なんとなく、大丈夫かな?とも思います。テレビや新聞、ネットの情報だけで、私が勝手に思っているだけかもしれませんが、なんとなく、私たちは気持ちが弛んでしまって、国や都のリーダーの話を聞きたくないような心の状態?に陥り、自分たちの思い通りに動いてくれない国や都のリーダーを批判するばかりで、「もうどうにでもなれ!」ぐらいに考えている人が増えているのではないかと心配しています。実際、感染者数がかなり増えていますから…。リーダーは聖人じゃないから、私たちはリーダーにそういうものを期待しちゃいけませんよね。このままなら、最後に苦しむのは自分たちになりそうな気がして怖いです。
夫婦間の問題に「お気楽夫」というのがあるようですね。先日の漫才コンビの解散も、なんとなく「お気楽夫」のような立ち振る舞いに苛立った相方が解散を申し出たように見えますが、私たちは、老若男女、どんなときでも「お気楽」ではいけないのでしょう。
「お気楽夫」のまずいところは、「自分はこれだけやって成果もあげているから、多少のことは許してもらえるだろう!」といった甘えと「自分だけは大丈夫だ」という驕り、油断です。昔はそれで通ったそうですが、いまは甘えが許されないようで、たとえ70億の命を救ったとしても、「だからちょっとぐらい許してくれよ」という甘えや驕りは許されないのだと思います。
話を元に戻しますが、いまコロナ禍で、本当に苦しんでいるのはまだ一部だけかもしれませんが、半年後、私たちにとって見たくない現実が訪れるかもしれません。だから、ウイルスに対して厳しい態度で臨み、リーダーに多くを望まないこと。もし、リーダーや問題を起こした芸能人に注目したり、文句を言ったりする心の余裕があるなら、「自分だけは大丈夫だろう」という考えを捨て、半年後食べていけなくなるかもしれないことを想定し、自分の身を自分で守る準備をしておかなきゃと思いました。
厳しい態度で準備をしていたら、実際にそうなったときに慌てふためくことはないでしょうし、実際にそうならなかったらそうならなかったで、準備の段階で作ったエネルギーを生かして、大幅に前進できると思います。
「自分たちはまだまだ大丈夫!」と考えて30年。私たちは実際にちょっとずつ落ちていきましたが、なんだかんだ言ってまだ大丈夫でした。しかし、さすがに今回も大丈夫だろうとは簡単には言えません。厳しい態度で望んでもどうなるかわからないので、耐えきれなかったときの心構えくらいは今からしておかなくちゃと思っています。
「備えあれば憂いなし」と言いますし、一番良いのは最悪の状況にならないことですから、それはそれで祈るとして、祈りが通じなかったときに、間髪入れずに次々と対応できる心構えだけはしておきたいです。準備しなかったことが原因のショックさえ受けなければ、人はある程度、どんな試練でも乗り越えられるはずですから。
二年前、いまの状況を想像できた人がいるでしょうか。だからいま想像できないことがこれから起こっても不思議ではありません。以前の状況に戻れたら一番ですが、たぶん、戻れないでしょう。だから、いま、油断せず、驕りや甘えといった考えや態度を捨て、まじめにコツコツ、一歩一歩やるしかないですよね。
おかげさまで、やっと熱が下がりました^_^。
在家收拾东西,无意间发现了一个能勾起回忆的“老物件”,这个胸牌上叫做“黄博宏”的先生是2013年夏天弛老台湾之行时的导游,我们叫他“阿宏”,阿宏并不年轻,是一个50来岁的大叔,身材挺拔、皮肤黝黑,长相酷似小黑哥柯受良,但在他北方大汉的粗犷外形之下却藏着宝岛男人的温柔体贴,说话轻声细语、待人彬彬有礼,会事无巨细地考虑照顾到团里的每一个游客,也会自掏腰包地买一些牛轧糖、槟郎果、凤梨酥之类的当地零食分享给大家,还记得弛老在他的劝说下一口槟郎下去,瞬间脸红耳热、呼吸困难,差点儿在大巴上咽气儿又把全车人逗得人仰马翻、不停大笑的场景……现在想想,往事还历历在目但这一晃,有快10年的时间过去了,阿宏叔今年应该有大概60岁了,不知道他现在身体如何,是否还在忙碌奔波地带团旅行,也不知道全球的新冠疫情什么时候可以过去更不知道台独作乱的岛内局势何时才能安宁……但我坚信祖国统一是民心所向、大势所趋,不远的将来,如果还有机会能再去台湾的话,一定会专程去拜访一下阿宏先生,再听他侃侃大山、讲讲老兵,再逛一次台东夜市,再喝一杯珍珠奶茶,再敷一张“我的美丽日记”,再争一回费玉清和周杰伦到底谁更有名#台湾##台湾旅游# https://t.cn/RxBHUwf
捕蛇者说
柳宗元在唐王朝由盛到衰的时代做官,经过了“安史之乱”,当时唐朝为了筹措军费和满足个人挥霍,加紧了对百姓的横征暴敛,由于税上加税,社会生产日益凋蔽。大臣王叔文,柳宗元等依靠唐顺宗的支持,着手改革弊政,减轻赋税,可是因为反对派的强烈反抗,这场革运动仅进行了一百四十多天就以失败而告终。结果唐顺宗退位,王叔文被杀,柳宗元被贬到邵阳当刺史,后又改贬为永州司马。柳宗元谪居永州时写了《捕蛇者说》,文章说:
永州的野外出产一种奇异的蛇,它黑色的质地白色的花纹;这种蛇碰到的草木全都干枯而死;如果蛇咬了人,没有能够抵挡蛇毒的办法。然而捉到后把它晾干用来做成药饵,可以用来治愈麻疯、手脚拳曲、脖肿、恶疮,去除坏死的肌肉,杀死人体内的寄生虫。
起初,太医用皇帝的命令征集这种蛇,每年征收这种蛇两次,招募有能力捕捉这种蛇的人,抵他的赋税。永州的人都争着去做捕蛇这件事。
有个姓蒋的人家,享有这种捕蛇而不纳税的好处三代了。我问他,他却说:“我的祖父死在捕蛇这件差事上,我父亲也死在这件事情上。现在我继承祖业干这差事也已十二年了,险些丧命也有好几次了。”他说这番话时,神情像是很悲伤。
我很同情他,就说:“你怨恨这差事吗?我将要告诉管理政事的人,让他更换你的差事,恢复你的赋税,那么怎么样?”
蒋氏听了,更加悲伤,满眼含泪地说:“您是哀怜我,使我活下去吗?我这差事的不幸,还不如恢复我赋税遭受的不幸那么厉害呀。如果从前我不干这差事,那我早已困苦不堪了。
自从我家三代住到这个地方,累计到现在,已经六十年了,可乡邻们的生活一天天地窘迫,把他们土地上生产出来的都拿去,把他们家里的收入也尽数拿去交租税仍不够,只得号啕痛哭辗转逃亡,又饥又渴倒在地上,一路上顶着狂风暴雨,冒着严寒酷暑,呼吸着带毒的疫气,一个接一个死去,常死人互相压着。从前和我祖父同住在这里的,现在十户当中剩不下一户了;和我父亲住在一起的人家,现在十户当中只有不到两三户了;和我一起住了十二年的人家,现在十户当中只有不到四五户了。那些人家不是死了就是迁走了。可是我却由于捕蛇这个差事才活了下来。凶暴的官吏来到我乡,到处吵嚷叫嚣,到处骚扰,那种喧闹的样子惊扰了乡间的平静,即使是鸡狗也不得安宁呢!我就小心翼翼地起来,看看我的瓦罐,我的蛇还在,就放心地躺下了。我小心地喂养蛇,到规定的日子把它献上去。回家后有滋有味地吃着田地里出产的东西,来度过我的余年。估计一年当中冒死的情况只是两次,其余时间我都可以快快乐乐地过日子。哪像我的乡邻们天天都在危险之中呢!现在我即使死在这差事上,比起我的乡邻就已经死在他们后面了,又怎么敢怨恨捕蛇这件事呢?”
我听了蒋氏的诉说,越听越悲伤。孔子说:“严苛的政治比老虎还要凶猛啊!”我曾经怀疑过这句话,现在从蒋氏的遭遇来看,还真是可信的。唉!谁知道搜刮老百姓的毒害有比这种毒蛇更厉害呢!所以写了这篇文章,以期待那些朝廷派遣的考察民情的人从这里得到它。
评:柳宗元通过《捕蛇者说》这篇文章,揭露永州百姓在封建官吏的横征暴敛下家破人亡的悲惨遭遇,有力得控诉了社会吏治的腐败,曲折得反映了自己坚持改革的愿望。捕蛇者与纳税的对比, 捕蛇者的危险与纳税之沉重的对比,捕蛇者与不捕蛇者(蒋氏与乡邻)的对比——六十年来存亡的对比,悍吏来吾乡是我和乡邻受扰的情况,一年受死亡威胁的次数和即使死于捕蛇也已死于乡邻之后等情况。鲜明的对比深刻地揭示了“赋敛毒于蛇”这一中心
——记于2021.08.22.
【原文】
永州之野产异蛇:黑质而白章,触草木尽死;以啮人,无御之者。然得而腊之以为饵,可以已大风、挛踠、瘘疠,去死肌,杀三虫。其始太医以王命聚之,岁赋其二。募有能捕之者,当其租入。永之人争奔走焉。
有蒋氏者,专其利三世矣。问之,则曰:“吾祖死于是,吾父死于是,今吾嗣为之十二年,几死者数矣。”言之貌若甚戚者。余悲之,且曰:“若毒之乎?余将告于莅事者,更若役,复若赋,则何如?”蒋氏大戚,汪然出涕,曰:“君将哀而生之乎?则吾斯役之不幸,未若复吾赋不幸之甚也。向吾不为斯役,则久已病矣。自吾氏三世居是乡,积于今六十岁矣。而乡邻之生日蹙,殚其地之出,竭其庐之入。号呼而转徙,饥渴而顿踣。触风雨,犯寒暑,呼嘘毒疠,往往而死者,相藉也。曩与吾祖居者,今其室十无一焉。与吾父居者,今其室十无二三焉。与吾居十二年者,今其室十无四五焉。非死则徙尔,而吾以捕蛇独存。悍吏之来吾乡,叫嚣乎东西,隳突乎南北;哗然而骇者,虽鸡狗不得宁焉。吾恂恂而起,视其缶,而吾蛇尚存,则弛然而卧。谨食之,时而献焉。退而甘食其土之有,以尽吾齿。盖一岁之犯死者二焉,其余则熙熙而乐,岂若吾乡邻之旦旦有是哉。今虽死乎此,比吾乡邻之死则已后矣,又安敢毒耶?”
余闻而愈悲,孔子曰:“苛政猛于虎也!”吾尝疑乎是,今以蒋氏观之,犹信。呜呼!孰知赋敛之毒,有甚是蛇者乎!故为之说,以俟夫观人风者得焉。
(出处:唐·柳宗元·《柳河东集》) https://t.cn/RI7nYAL
柳宗元在唐王朝由盛到衰的时代做官,经过了“安史之乱”,当时唐朝为了筹措军费和满足个人挥霍,加紧了对百姓的横征暴敛,由于税上加税,社会生产日益凋蔽。大臣王叔文,柳宗元等依靠唐顺宗的支持,着手改革弊政,减轻赋税,可是因为反对派的强烈反抗,这场革运动仅进行了一百四十多天就以失败而告终。结果唐顺宗退位,王叔文被杀,柳宗元被贬到邵阳当刺史,后又改贬为永州司马。柳宗元谪居永州时写了《捕蛇者说》,文章说:
永州的野外出产一种奇异的蛇,它黑色的质地白色的花纹;这种蛇碰到的草木全都干枯而死;如果蛇咬了人,没有能够抵挡蛇毒的办法。然而捉到后把它晾干用来做成药饵,可以用来治愈麻疯、手脚拳曲、脖肿、恶疮,去除坏死的肌肉,杀死人体内的寄生虫。
起初,太医用皇帝的命令征集这种蛇,每年征收这种蛇两次,招募有能力捕捉这种蛇的人,抵他的赋税。永州的人都争着去做捕蛇这件事。
有个姓蒋的人家,享有这种捕蛇而不纳税的好处三代了。我问他,他却说:“我的祖父死在捕蛇这件差事上,我父亲也死在这件事情上。现在我继承祖业干这差事也已十二年了,险些丧命也有好几次了。”他说这番话时,神情像是很悲伤。
我很同情他,就说:“你怨恨这差事吗?我将要告诉管理政事的人,让他更换你的差事,恢复你的赋税,那么怎么样?”
蒋氏听了,更加悲伤,满眼含泪地说:“您是哀怜我,使我活下去吗?我这差事的不幸,还不如恢复我赋税遭受的不幸那么厉害呀。如果从前我不干这差事,那我早已困苦不堪了。
自从我家三代住到这个地方,累计到现在,已经六十年了,可乡邻们的生活一天天地窘迫,把他们土地上生产出来的都拿去,把他们家里的收入也尽数拿去交租税仍不够,只得号啕痛哭辗转逃亡,又饥又渴倒在地上,一路上顶着狂风暴雨,冒着严寒酷暑,呼吸着带毒的疫气,一个接一个死去,常死人互相压着。从前和我祖父同住在这里的,现在十户当中剩不下一户了;和我父亲住在一起的人家,现在十户当中只有不到两三户了;和我一起住了十二年的人家,现在十户当中只有不到四五户了。那些人家不是死了就是迁走了。可是我却由于捕蛇这个差事才活了下来。凶暴的官吏来到我乡,到处吵嚷叫嚣,到处骚扰,那种喧闹的样子惊扰了乡间的平静,即使是鸡狗也不得安宁呢!我就小心翼翼地起来,看看我的瓦罐,我的蛇还在,就放心地躺下了。我小心地喂养蛇,到规定的日子把它献上去。回家后有滋有味地吃着田地里出产的东西,来度过我的余年。估计一年当中冒死的情况只是两次,其余时间我都可以快快乐乐地过日子。哪像我的乡邻们天天都在危险之中呢!现在我即使死在这差事上,比起我的乡邻就已经死在他们后面了,又怎么敢怨恨捕蛇这件事呢?”
我听了蒋氏的诉说,越听越悲伤。孔子说:“严苛的政治比老虎还要凶猛啊!”我曾经怀疑过这句话,现在从蒋氏的遭遇来看,还真是可信的。唉!谁知道搜刮老百姓的毒害有比这种毒蛇更厉害呢!所以写了这篇文章,以期待那些朝廷派遣的考察民情的人从这里得到它。
评:柳宗元通过《捕蛇者说》这篇文章,揭露永州百姓在封建官吏的横征暴敛下家破人亡的悲惨遭遇,有力得控诉了社会吏治的腐败,曲折得反映了自己坚持改革的愿望。捕蛇者与纳税的对比, 捕蛇者的危险与纳税之沉重的对比,捕蛇者与不捕蛇者(蒋氏与乡邻)的对比——六十年来存亡的对比,悍吏来吾乡是我和乡邻受扰的情况,一年受死亡威胁的次数和即使死于捕蛇也已死于乡邻之后等情况。鲜明的对比深刻地揭示了“赋敛毒于蛇”这一中心
——记于2021.08.22.
【原文】
永州之野产异蛇:黑质而白章,触草木尽死;以啮人,无御之者。然得而腊之以为饵,可以已大风、挛踠、瘘疠,去死肌,杀三虫。其始太医以王命聚之,岁赋其二。募有能捕之者,当其租入。永之人争奔走焉。
有蒋氏者,专其利三世矣。问之,则曰:“吾祖死于是,吾父死于是,今吾嗣为之十二年,几死者数矣。”言之貌若甚戚者。余悲之,且曰:“若毒之乎?余将告于莅事者,更若役,复若赋,则何如?”蒋氏大戚,汪然出涕,曰:“君将哀而生之乎?则吾斯役之不幸,未若复吾赋不幸之甚也。向吾不为斯役,则久已病矣。自吾氏三世居是乡,积于今六十岁矣。而乡邻之生日蹙,殚其地之出,竭其庐之入。号呼而转徙,饥渴而顿踣。触风雨,犯寒暑,呼嘘毒疠,往往而死者,相藉也。曩与吾祖居者,今其室十无一焉。与吾父居者,今其室十无二三焉。与吾居十二年者,今其室十无四五焉。非死则徙尔,而吾以捕蛇独存。悍吏之来吾乡,叫嚣乎东西,隳突乎南北;哗然而骇者,虽鸡狗不得宁焉。吾恂恂而起,视其缶,而吾蛇尚存,则弛然而卧。谨食之,时而献焉。退而甘食其土之有,以尽吾齿。盖一岁之犯死者二焉,其余则熙熙而乐,岂若吾乡邻之旦旦有是哉。今虽死乎此,比吾乡邻之死则已后矣,又安敢毒耶?”
余闻而愈悲,孔子曰:“苛政猛于虎也!”吾尝疑乎是,今以蒋氏观之,犹信。呜呼!孰知赋敛之毒,有甚是蛇者乎!故为之说,以俟夫观人风者得焉。
(出处:唐·柳宗元·《柳河东集》) https://t.cn/RI7nYAL
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