#就这一刻
##王者荣耀## 为思念之人寻最美之花# 1.君がため 夜空の背き 小草中 月に照れるは 一輪の花(为思念之人,寻最美之花)
2.この先は 現世と幽世の境(前方则是今生和来世的分界)
3.命脈が ありて我が剣 輝けり(我命但在,我剑永辉)
4.貴方がこの花に出会えたように、私は貴方に出会えた(若你见到此花,如我遇见了你)
5.黄昏や 両の手に咲く 曼珠沙華(黄昏啊,宛如手心里绽放的曼珠沙华)
6.散りて後 のざらす者の 悲しさよ(繁华散尽后,行者徒伤悲)
7.盃に 紅一点の雪の花 酔い冷め易し 月無しの酒(无月虽醉亦易醒,杯中雪花一点红)
8.私と貴殿も 引き返せぬとあれば ごめん(我与你既然都无法回头的话……抱歉!)
9.冬海に 身を尽くしても 我往かん 斬る(纵使葬身冬海,吾亦往矣……看剑!)
10.我逝かん 倒るる野辺の花褥 君に背を向く 六道の辻(路边花圃乃我葬身之地,六道轮回是君远离之乡)
11.悪魂滅殺(诛尽恶魂!)
##王者荣耀## 为思念之人寻最美之花# 1.君がため 夜空の背き 小草中 月に照れるは 一輪の花(为思念之人,寻最美之花)
2.この先は 現世と幽世の境(前方则是今生和来世的分界)
3.命脈が ありて我が剣 輝けり(我命但在,我剑永辉)
4.貴方がこの花に出会えたように、私は貴方に出会えた(若你见到此花,如我遇见了你)
5.黄昏や 両の手に咲く 曼珠沙華(黄昏啊,宛如手心里绽放的曼珠沙华)
6.散りて後 のざらす者の 悲しさよ(繁华散尽后,行者徒伤悲)
7.盃に 紅一点の雪の花 酔い冷め易し 月無しの酒(无月虽醉亦易醒,杯中雪花一点红)
8.私と貴殿も 引き返せぬとあれば ごめん(我与你既然都无法回头的话……抱歉!)
9.冬海に 身を尽くしても 我往かん 斬る(纵使葬身冬海,吾亦往矣……看剑!)
10.我逝かん 倒るる野辺の花褥 君に背を向く 六道の辻(路边花圃乃我葬身之地,六道轮回是君远离之乡)
11.悪魂滅殺(诛尽恶魂!)
KinKi Kids、2020年締め括るアルバムチャートで首位に 『O album』は王道&実験に溢れた“歌謡の本懐”を感じさせる1枚
https://t.cn/A6qn6Je5
参照:https://t.cn/A6qH8O1h
事実上2020年最後となる1月4日付(12月21日〜12月27日)のオリコン週間アルバムランキング。首位に輝いたのはKinKi Kidsの『O album』でした。2位のBABYMETAL(5.3万枚)、3位のEve(3.5万枚)など、話題のアーティストから大きく数字を引き離しての初登場1位。約13.6万枚とセールスも安定しています。
安定と言いましたが、KinKi Kidsのアルバムは実に4年ぶり。ジャニーズ系アイドルは1~2年のサイクルでアルバムが出るのが普通なので、ずいぶん久々と言うべきでしょうか。とはいえ既視感があるのは堂本剛のソロプロジェクト ENDRECHERIが2018年、2019年、2020年と年1枚のペースで作品を量産していたから。バキバキに踊れて強烈にエロティックな、日本の音楽シーンを見渡しても他に見当たらないファンクでした。
ことに、『SUMMER SONIC』出演が大きな話題になった2018年以降、剛の音楽は一般層からコアな音楽ファンにまで面白いほど浸透していきました。“ジャニーズのアイドルがやっている”という枕詞なしに“ENDRECHERIのファンクがすごい”のだと。自作曲でデビューすること、それがラブソングではなくメッセージソングだったことなど、剛ソロに関しては最初から異端の要素が強かったけれど、本人の情熱が長い時間をかけて周囲のバイアスを壊していったのでしょう。
その間、堂本光一はといえば舞台をメインに大活躍。主演ミュージカル『Endless SHOCK』は上演回数日本一の人気公演であり、本人が主演するだけでなく、構成・演出・総合演出もすべてプロデュース。そのための肉体改造も厭わない情熱を見せていました。舞台に生きると決めた彼のストイシズムも、剛と同じくらい一本気。『O album』のジャケットもそうですが、KinKi Kidsのイメージって、いかにもアイドルらしい笑顔じゃないんですよね。自分の居場所はこれと決めた覚悟のある目。どこか職人っぽい雰囲気の二人組というのも、やはりジャニーズでは異端なのかもしれません。
いまやそれぞれ居場所がある二人。無理に寄り添う必要のない異端の二人。ですが、それでもKinKi Kidsの名の下に、音楽性は不思議と王道に戻ります。デビュー曲「硝子の少年」にあったコテコテな昭和歌謡の匂い。カラオケで熱唱したくなるマイナー調のメロディと、本人の歌声やビブラートから漂う色気が勝負の昭和歌謡。デビューからこれだけ時間が経っても、KinKi Kidsのサウンドってそこが軸になっているんですね。
どんな要素もKinKi Kidsの黄金律として聴かせる
声音と色気を重視したラブソングが多数。ただし古臭くはないのです。松本隆作詞・細野晴臣作曲の「99%」など、音数をどこまでも引いていく洒脱なセンスに驚きました。単にオシャレぶった雰囲気モノではなく、最終的には剛&光一の声のエロスが光るように計算された音の配置と歌詞世界。すなわち、これぞ歌謡の本懐! KinKi Kidsってもしかすると、野口五郎や西城秀樹あたり、ピンで輝いていた男性昭和歌手のDNAを受け継ぐ稀有な存在なのかも。それを今様にアップデートしたのは共同プロデュースを手掛けた堂島孝平です。
また、ソロで培ってきた要素を遠慮なく発揮しているのも本作の面白いところ。先行シングル「KANZAI BOYA」は、KinKi Kidsと命名される前にジャニー喜多川が思いついたグループ名をネタにした1曲で、ENDRECHERIが最も得意とするリフレイン命のファンクナンバー。ここに光一が、ちゃんと乗るんですね。舞台で培った演出力を総動員してジャニーさんのモノマネをやりきっている。それなのに笑いでは終わらない。ちゃんとエロティックなKinKiの歌謡曲として成立している。これってすごいことだなぁと思います。
ジャニーズのアイドルの中でも特に主体性の強い二人組。それぞれの居場所からいつでも戻れる王道の歌謡曲。これは安定というより、一番の冒険、あるいは大実験かもしれない。KinKi Kidsの深みを改めて感じる傑作です。
■石井恵梨子
1977年石川県生まれ。投稿をきっかけに、97年より音楽雑誌に執筆活動を開始。パンク/ラウドロックを好む傍ら、ヒットチャート観察も趣味。現在「音楽と人」「SPA!」などに寄稿。
https://t.cn/A6qn6Je5
参照:https://t.cn/A6qH8O1h
事実上2020年最後となる1月4日付(12月21日〜12月27日)のオリコン週間アルバムランキング。首位に輝いたのはKinKi Kidsの『O album』でした。2位のBABYMETAL(5.3万枚)、3位のEve(3.5万枚)など、話題のアーティストから大きく数字を引き離しての初登場1位。約13.6万枚とセールスも安定しています。
安定と言いましたが、KinKi Kidsのアルバムは実に4年ぶり。ジャニーズ系アイドルは1~2年のサイクルでアルバムが出るのが普通なので、ずいぶん久々と言うべきでしょうか。とはいえ既視感があるのは堂本剛のソロプロジェクト ENDRECHERIが2018年、2019年、2020年と年1枚のペースで作品を量産していたから。バキバキに踊れて強烈にエロティックな、日本の音楽シーンを見渡しても他に見当たらないファンクでした。
ことに、『SUMMER SONIC』出演が大きな話題になった2018年以降、剛の音楽は一般層からコアな音楽ファンにまで面白いほど浸透していきました。“ジャニーズのアイドルがやっている”という枕詞なしに“ENDRECHERIのファンクがすごい”のだと。自作曲でデビューすること、それがラブソングではなくメッセージソングだったことなど、剛ソロに関しては最初から異端の要素が強かったけれど、本人の情熱が長い時間をかけて周囲のバイアスを壊していったのでしょう。
その間、堂本光一はといえば舞台をメインに大活躍。主演ミュージカル『Endless SHOCK』は上演回数日本一の人気公演であり、本人が主演するだけでなく、構成・演出・総合演出もすべてプロデュース。そのための肉体改造も厭わない情熱を見せていました。舞台に生きると決めた彼のストイシズムも、剛と同じくらい一本気。『O album』のジャケットもそうですが、KinKi Kidsのイメージって、いかにもアイドルらしい笑顔じゃないんですよね。自分の居場所はこれと決めた覚悟のある目。どこか職人っぽい雰囲気の二人組というのも、やはりジャニーズでは異端なのかもしれません。
いまやそれぞれ居場所がある二人。無理に寄り添う必要のない異端の二人。ですが、それでもKinKi Kidsの名の下に、音楽性は不思議と王道に戻ります。デビュー曲「硝子の少年」にあったコテコテな昭和歌謡の匂い。カラオケで熱唱したくなるマイナー調のメロディと、本人の歌声やビブラートから漂う色気が勝負の昭和歌謡。デビューからこれだけ時間が経っても、KinKi Kidsのサウンドってそこが軸になっているんですね。
どんな要素もKinKi Kidsの黄金律として聴かせる
声音と色気を重視したラブソングが多数。ただし古臭くはないのです。松本隆作詞・細野晴臣作曲の「99%」など、音数をどこまでも引いていく洒脱なセンスに驚きました。単にオシャレぶった雰囲気モノではなく、最終的には剛&光一の声のエロスが光るように計算された音の配置と歌詞世界。すなわち、これぞ歌謡の本懐! KinKi Kidsってもしかすると、野口五郎や西城秀樹あたり、ピンで輝いていた男性昭和歌手のDNAを受け継ぐ稀有な存在なのかも。それを今様にアップデートしたのは共同プロデュースを手掛けた堂島孝平です。
また、ソロで培ってきた要素を遠慮なく発揮しているのも本作の面白いところ。先行シングル「KANZAI BOYA」は、KinKi Kidsと命名される前にジャニー喜多川が思いついたグループ名をネタにした1曲で、ENDRECHERIが最も得意とするリフレイン命のファンクナンバー。ここに光一が、ちゃんと乗るんですね。舞台で培った演出力を総動員してジャニーさんのモノマネをやりきっている。それなのに笑いでは終わらない。ちゃんとエロティックなKinKiの歌謡曲として成立している。これってすごいことだなぁと思います。
ジャニーズのアイドルの中でも特に主体性の強い二人組。それぞれの居場所からいつでも戻れる王道の歌謡曲。これは安定というより、一番の冒険、あるいは大実験かもしれない。KinKi Kidsの深みを改めて感じる傑作です。
■石井恵梨子
1977年石川県生まれ。投稿をきっかけに、97年より音楽雑誌に執筆活動を開始。パンク/ラウドロックを好む傍ら、ヒットチャート観察も趣味。現在「音楽と人」「SPA!」などに寄稿。
堂本剛を救い、導いた「愛」 母とジャニーさんへの思い(有料会員限定記事)
https://t.cn/AisCgk2W
奈良で生まれ育ち、仏像修復師や刀鍛冶(かじ)といった、1人で黙々と対象と向き合う仕事に憧れていた。それが、きらめくステージに立つ人気アイドルに。不惑と言われる40歳になった今も、堂本剛さんは「想定とは真逆(まぎゃく)の人生になった」という戸惑いを感じることがある。その世界で新たな表現に挑み続け、芸能活動を続けられるかという危機も乗り越えた。支えになったのは、大切な人たちの言葉だった。
堂本剛さんが導き…奈良に移った打楽器奏者「東京と逆」
心身に訪れた2度の危機
12歳で家族が履歴書を送り、ジャニーズ事務所へ。18歳でKinKi Kidsとしてデビューし、ミリオンセラーを連発。俳優としても活躍するが、デビュー後10年ほどは忙しすぎて、日常の記憶がほとんどないという。疲れ果て、テレビ局の廊下に座り込んで眠ってしまったことも。
10代のときに体調を崩し、パニック障害と診断されたが、当時の社会では今ほどこの疾患は理解されてはいなかった。今でも時々、症状に悩まされる。
さらにデビュー20周年の2017年、突発性難聴を発症。大きな音が耳の中で響く音響障害に悩んだ。なんとか日常生活を送れるまで回復し、今は後遺症の克服に向き合っている。
10代のときも難聴のときも、懸命に支えてくれたのは母、姉、家族だった。母とは子供の頃から何でも話せる仲。10代のつらい時期、たわいもない会話の中で母が授けてくれた言葉が心にしみた。
「愛は求めるものではなく、与えるものなんだよ」
あなたは悪くない。周囲があなたに求める一方では、体が壊れてもおかしくない――そんないたわり。半面、求められるなら与える強さを持ってほしい、つらくても人生を諦めないで――という励ましも感じた。
アイドルだから、を消し去り
母は幼いときに戦争で空襲を体験している。愛とともに、平和の大切さといったこともずっと口にしてきたのは、そんな人生体験があるからだ。その母の言葉は、自身の音楽、エンターテインメントの核にもなっている。
2000年代にアーティスト「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」(現在は「ENDRECHERI」)として本格的にソロでの創作活動を始めた。魅せられたのは、黒人音楽のファンク。人種や国籍を超える多様性、自分一人が主役になるのではなく皆で平等に音を進めていくところにひかれたのは、母の教えに通じるところもあるからだろう。
日本でファンクは決してメジャーではない。でも、昨夏亡くなったジャニーズ事務所の創業者、ジャニー喜多川さんはこう言った。
「YOUはYOUのルールでやらなきゃダメだよ」
アイドルだからこうあるべきだという概念を頭の中から消し去り、アイドルがなじみのない音楽を手がけることの面白さを選んだ。
「人のやっていないことをしなきゃダメ」「海外で通用するものを」とも言われた。それこそファンクだ。そして自分にしかできない、「愛を与える」表現方法だと思っている。
ジャニーさんへの愛
ジャニーズ初のデュオであるKinKi Kidsとして、相方の堂本光一さんとともに、事務所では誰もしていない様々な経験に挑んできたという自負がある。昨年12月から1月1日まで、東京ドームと京セラドーム大阪で行われたコンサートでは、ジャニーさんへの思いも存分に語った。
ジャニーさんが亡くなったあと、不思議な力がみなぎっているという。「ジャニーさんは僕らの中で生きている。彼が生前にかなえられなかったことを僕らが生み出せたらうれしい」
輝く舞台で、人々に囲まれて。かつての憧れとは違う人生を歩んでいるけれど、これが運命だったのだろうと、今は思っている。(林るみ)
◇
〈どうもと・つよし〉 1979年、奈良県生まれ。KinKi Kidsとして97年デビュー。2002年、自作の「街/溺愛ロジック」でソロデビュー。バラエティー番組「KinKi Kidsのブンブブーン!」に出演中。
https://t.cn/AisCgk2W
奈良で生まれ育ち、仏像修復師や刀鍛冶(かじ)といった、1人で黙々と対象と向き合う仕事に憧れていた。それが、きらめくステージに立つ人気アイドルに。不惑と言われる40歳になった今も、堂本剛さんは「想定とは真逆(まぎゃく)の人生になった」という戸惑いを感じることがある。その世界で新たな表現に挑み続け、芸能活動を続けられるかという危機も乗り越えた。支えになったのは、大切な人たちの言葉だった。
堂本剛さんが導き…奈良に移った打楽器奏者「東京と逆」
心身に訪れた2度の危機
12歳で家族が履歴書を送り、ジャニーズ事務所へ。18歳でKinKi Kidsとしてデビューし、ミリオンセラーを連発。俳優としても活躍するが、デビュー後10年ほどは忙しすぎて、日常の記憶がほとんどないという。疲れ果て、テレビ局の廊下に座り込んで眠ってしまったことも。
10代のときに体調を崩し、パニック障害と診断されたが、当時の社会では今ほどこの疾患は理解されてはいなかった。今でも時々、症状に悩まされる。
さらにデビュー20周年の2017年、突発性難聴を発症。大きな音が耳の中で響く音響障害に悩んだ。なんとか日常生活を送れるまで回復し、今は後遺症の克服に向き合っている。
10代のときも難聴のときも、懸命に支えてくれたのは母、姉、家族だった。母とは子供の頃から何でも話せる仲。10代のつらい時期、たわいもない会話の中で母が授けてくれた言葉が心にしみた。
「愛は求めるものではなく、与えるものなんだよ」
あなたは悪くない。周囲があなたに求める一方では、体が壊れてもおかしくない――そんないたわり。半面、求められるなら与える強さを持ってほしい、つらくても人生を諦めないで――という励ましも感じた。
アイドルだから、を消し去り
母は幼いときに戦争で空襲を体験している。愛とともに、平和の大切さといったこともずっと口にしてきたのは、そんな人生体験があるからだ。その母の言葉は、自身の音楽、エンターテインメントの核にもなっている。
2000年代にアーティスト「ENDLICHERI☆ENDLICHERI」(現在は「ENDRECHERI」)として本格的にソロでの創作活動を始めた。魅せられたのは、黒人音楽のファンク。人種や国籍を超える多様性、自分一人が主役になるのではなく皆で平等に音を進めていくところにひかれたのは、母の教えに通じるところもあるからだろう。
日本でファンクは決してメジャーではない。でも、昨夏亡くなったジャニーズ事務所の創業者、ジャニー喜多川さんはこう言った。
「YOUはYOUのルールでやらなきゃダメだよ」
アイドルだからこうあるべきだという概念を頭の中から消し去り、アイドルがなじみのない音楽を手がけることの面白さを選んだ。
「人のやっていないことをしなきゃダメ」「海外で通用するものを」とも言われた。それこそファンクだ。そして自分にしかできない、「愛を与える」表現方法だと思っている。
ジャニーさんへの愛
ジャニーズ初のデュオであるKinKi Kidsとして、相方の堂本光一さんとともに、事務所では誰もしていない様々な経験に挑んできたという自負がある。昨年12月から1月1日まで、東京ドームと京セラドーム大阪で行われたコンサートでは、ジャニーさんへの思いも存分に語った。
ジャニーさんが亡くなったあと、不思議な力がみなぎっているという。「ジャニーさんは僕らの中で生きている。彼が生前にかなえられなかったことを僕らが生み出せたらうれしい」
輝く舞台で、人々に囲まれて。かつての憧れとは違う人生を歩んでいるけれど、これが運命だったのだろうと、今は思っている。(林るみ)
◇
〈どうもと・つよし〉 1979年、奈良県生まれ。KinKi Kidsとして97年デビュー。2002年、自作の「街/溺愛ロジック」でソロデビュー。バラエティー番組「KinKi Kidsのブンブブーン!」に出演中。
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