【radio repo】
2021年10月10日
Flow 第百六十六回目「拓哉キャプテン × 堂本剛」Part2
click:https://t.cn/A6Movj4S
今月10月のマンスリーゲストは、堂本剛さんをお迎えしました!
ここでしか聞けないトーク、お楽しみに!
堂本:(事務所から)急に「明日デビュー」って言われたりとか、全部急だったんですよ、僕ら。事務所に呼ばれて“何かなぁ?”って思って行ったら、「明日デビューだから」って言われたんですよ。「あ、明日ですか?」みたいな。「明日会見するからね」って言われた。
木村:(CDデビューする)その前に、金田一少年(ドラマ『金田一少年の事件簿』・日本テレビ)だったり、わりと色々なことやってたじゃん。
堂本:CDデビューさせてもらう前にいろんな活動はしてたって感じなんですけど。なので、僕たち(KinKi Kids)はこういう感じでいくのかなぁ…くらいに思ってたところで。
木村:そしたら急に呼ばれて、「明日デビューね」って。
堂本:はい。「家族にも言わないで」って言われたんですよ。「え? お母さんにも…」「あ、言わないで!」って。僕、真面目に、“言ったらアカンのか”って思って(デビューすることを)言わなかったんですよ。そしたら家族、そりゃビックリしますよね。「デビューすんの!?」みたいな。だから、Kinki Kidsは全部が「?」だらけで始まっていっちゃったって感じですね。
木村:でも、始まり方としては、とてつもない始まり方したじゃん。「硝子の少年」っていうやつ(曲)で。
堂本:はい。「硝子の少年」も…これもですね、先輩方のデビュー曲って、パーンッて感じの、キラキラキラーッてした感じの楽曲ってイメージがあって。当時、その時代はユーロビートとかが流行ってた時代なので。
木村:ですね。
堂本:そんな雰囲気の音楽が世の中に流れてたところに、急にマイナーコードの歌謡曲テイストの楽曲(「硝子の少年」)がドーンと入ってきて。これでデビューするってなったんで、それもかなり驚きました。
木村:(自分の場合は)楽曲に対する意識が全然なかったかも。
堂本:感覚的にですけど、デビュー曲ってもっと明るい派手なイメージだったので、(デビュー曲が「硝子の少年」に決まって)“え? この感じ?”と思いながら…でも、色々と聞いてたら、社長(ジャニーさん)も「この暗いのでいくの?」みたいな雰囲気はあったっていう話で。でも、周りのスタッフと色々話して「これでいきましょう!」っていうことで「硝子の少年」になったって話でした。
木村:へ〜!
堂本:今となっては、あの楽曲(「硝子の少年」)でデビューさせていただいて良かったなと思うことばっかりですけど、当時は若かったんで。
木村:今振り返ると、「硝子の少年」って良いよね。
堂本:とてつもない曲だなと思います。歌詞とかもそうですし、メロディもアレンジもそう。自分が音楽を勉強していく上でも、松本さんと達郎さん(作詞:松本隆、作曲・編曲:山下達郎)お2人の当時のご年齢や色々な状況の中で、10代の、ジャニーズのアイドルに曲を書くっていう時に、「よし! これでいこう!」みたいに(曲を生み)出していく感じとか、カッコいいなぁと。創り手として考えても、すごい曲だなって思いますね。
(松本隆さんと山下達郎さんは)「僕たちが歳を取っても歌えるようなデビュー曲を書きたい!」っていうテーマで書いて下さったっていうのも聞きまして。そこまで考えてもらって出来上がった曲だったんだなぁと。本当に、振り返っても、色々体感しても体験しても、もう1回勉強しなおしても、“デビュー曲”というもののすごさと、そこに込めてもらってる色々な想いというのはずっと続いていくもんなんだなぁ…とか、自分が歳を取る毎に、(曲に対して)深みが変わってくる、不思議なものだなと思って。今も大切に歌わさせてもらってますけど、いまだに難しいんですよ。ちょっと難しいです、この曲。
木村:そうなの? デビューってことで、パフォーマンスする際にはダンスもあったじゃん。で、“曲としては難しい”ってなったら、かなりハードル高いじゃないですか。
堂本:ハードル高いんですよねぇ。だから、(イントロ部分の)メロディが下りて“雨が~”って入るこの時が1番、めちゃくちゃ緊張するんですよね。なんか無意識に力入っちゃいますね。毎回緊張してるんですよ、この曲歌う時。
木村:そうなんだ。そういう風には見えてなかったなぁ。
堂本:“今日はなんか上手くいったなぁ”って時と“今日はちょっと全然アカンかったなぁ”って時と。ほんとになんか、「お前次第やからな!」って言われてる感じもあって、すごく大変っていうか、勉強になる曲ですね。
M1. 硝子の少年/KinKi Kids
木村:音楽面でかなり大きな影響を剛に与えたって考えると、やっぱり音楽番組の『LOVE LOVE あいしてる』(フジテレビ)って相当だよ。
堂本:相当です。お兄さんにも来ていただきましたけど。
木村:お邪魔しました。
堂本:いわゆる、音楽業界のモンスターだらけでしたので。
木村:そうだよね。『LOVE LOVE あいしてる』のスタッフの方が音楽大好きで、ミュージシャンの方たちに対してのリスペクトもものすごくあった人だったから、そこにいてくれたバンドのメンバーのことは、あまり詳しくなくても知ってたもん。
堂本:ほんとにそんな感じでした。一番最初に「吉田拓郎さんと(番組を)やります」って言われた時に「え、どなたですか?」って。僕ら2人はほんと失礼な(笑)。拓郎さんも「こんな若者と…」みたいな感じで(笑)。でも、「すごい組み合わせだな!」って周りが言うんですよ。「あの吉田拓郎がテレビ出て、こんなちっちゃい子供と番組やる?」みたいな。“すごいことなんだなぁ”と思いながら、でも、周りの人は“吉田拓郎”という人を「こういう目で」「ああいう目で」見てるかも知れないけど、僕は「僕の目」で吉田拓郎という人を見ようと思って接したので。
それで、そのままずっと接しさせてもらう中で、“この人、すごい人なんや”ということを理解し、色々調べて“この人が僕と同じ歳の時にこのステージに立って、この歌歌ってんの?”とか、色々衝撃を受けながら、だんだん“音楽”っていうものの更に深みに招待してもらったというか。「こういうところが面白いんだよ」「こういうところが大変なんだけど、でも、ここがまたやっぱり音楽を作る喜びなんだよ」とか、そういうことを自然と教えてもらったので、あの番組はほんとに大きかったですね。
木村:(ギターは)あそこ(番組)で弾くようになった?
堂本:寮に岡本(健一)君が置いていってたオベーションのギターがあったんですよ。そのギターを長瀬(智也)君が弾いてて。「ああ、ギター弾けるようになりたいなぁ…」って言ったら、「剛も弾けばいいじゃん」って言われて、その時に弾いたのが、本当は一番最初なんです。その後に『LOVE LOVE あいしてる』で「ギターを演ります」って言われて。“いや、弾きたいと思ったけど、宿題がめちゃくちゃ多いなぁ”って思いながら。
木村:仕事になっちゃうとね。
堂本:なので、ドラマとかをさせていただく合間に帰って(ギターの)譜面を見て覚えて、それで当日行って(演奏する)とかやっていたので、最初の頃は楽しむまで余裕はなかったですけど。
木村:もう「仕事」という形で宿題を出され。
堂本:譜面を見るのが当時はしんどかったんですけど、今は譜面見るのも楽しくはなってまして。「ああ、こうか、ああか」って言いながらやるんですけど、昔は譜面、ほんと見たくなかったですね。
木村・堂本:(笑)。
堂本:それくらい、“毎日これやるんや…”って感じで。
木村:けっこう“漬け”だったんだね。
堂本:漬けでしたね。で、現場に行って、拓郎さんとか坂崎(幸之助)さんを捕まえて「すいません、ここわからないんですけど」って。
木村:すごいよね。「ちょっとわからないんですけど」って聞く相手が拓郎さんか坂崎さんっていう(笑)。すごい先生だよね。
堂本:すごいんです。贅沢な環境なんですよ。すごい先生がいっぱいいるので、「アベンジャーズ」の状態じゃないですか。
木村:そうだね、音楽アベンジャーズに囲まれて。
堂本:で、「おい新人!」って言われて「はい!」って入ったような感じなので。これはもうアベンジャーズに聞いた方が早いし。
木村:まぁそうだね、力は強いけどね。アベンジャーズだから(笑)。
堂本:(笑)。拓郎さんとかはたまに、「うん、考えなくていいよ、そんなのは」って言う。
木村:(吉田拓郎は)ブルース・リーの領域だもん、それは(笑)。領域的には。
堂本:(笑)。ほんとブルース・リーの領域でした。「あ、全然考えることじゃないから」とか(笑)。「え? 拓郎さん、教えて下さいって言ってるんですよ?」「いい、いい教えることない! 大丈夫だから、考えることじゃないから」って「え?」って、そのままステージに行ったりとか。でも、それが逆に良かったりとかもしますし、色々わかってやってくださってるんだなぁという思い出しかないです、この番組には。
木村:すごいよね。だって、エアロスミスとか行ったよね。ジェームス・ブラウンも。
堂本:そうですね、イングヴェイ・マルムスティーンとかも来ましたし。いろんな方々が来てくださいましたね。
木村:いやぁ、すごいなぁ。
堂本:その時は忙しすぎて、今みたいな“すげーなー!”みたいな気持ちよりも、“とにかくこれをこなしていかないと!”という気持ちが強くて。
木村:だから、自分がお邪魔させていただいた時も、なんか音楽バラエティっていう雰囲気はあるじゃん。『LOVE LOVE あいしてる』っていうタイトルだし。で、行ったらKinki Kidsいるし、“あ、じゃあ…”ってすごいカジュアルなテンションで「お願いしまーす」って感じで行くと、自分を迎えてくれるのがアベンジャーズだから、“やっべぇ!”っていう。
堂本:アベンジャーズ、無言の圧あるじゃないですか。圧力をかけてるわけじゃなくて、オーラですね。
木村:オーラ半端ないよね。
堂本:エメラルドのオーラの中に包まれてずっとやってましたんで、途中でよくわからなくなってきましたもん。拓郎さんてすごい人なんですけど、もう「拓ちゃん」って呼んでた時もありましたから(笑)。
木村:(笑)。
堂本:「拓ちゃ~ん」って。「ちゃんと拓郎さんって呼べ!」ってそういうやり取りとかもさせてもらってる位、ちょっとどうかしてましたね(笑)。
木村:どうかしてましたって言うより、そこまでKinKi Kidsがいったんじゃない? “アベンジャー”になったからじゃないの?
堂本:アベンジャーになってたんですかね?
木村:なってないと呼べないしょ? 「拓ちゃん」だなんて(笑)。
堂本:みなさんが後輩の僕たちに対して目線を合わせてくださったりとかすることが多かったから、自分たちもそういう風にくだけることもできたし、本当にいろんなことを学びました。
M2. 全部だきしめて/KinKi Kids
(後TM:MOJO DRIVE/木村拓哉)
2021年10月10日
Flow 第百六十六回目「拓哉キャプテン × 堂本剛」Part2
click:https://t.cn/A6Movj4S
今月10月のマンスリーゲストは、堂本剛さんをお迎えしました!
ここでしか聞けないトーク、お楽しみに!
堂本:(事務所から)急に「明日デビュー」って言われたりとか、全部急だったんですよ、僕ら。事務所に呼ばれて“何かなぁ?”って思って行ったら、「明日デビューだから」って言われたんですよ。「あ、明日ですか?」みたいな。「明日会見するからね」って言われた。
木村:(CDデビューする)その前に、金田一少年(ドラマ『金田一少年の事件簿』・日本テレビ)だったり、わりと色々なことやってたじゃん。
堂本:CDデビューさせてもらう前にいろんな活動はしてたって感じなんですけど。なので、僕たち(KinKi Kids)はこういう感じでいくのかなぁ…くらいに思ってたところで。
木村:そしたら急に呼ばれて、「明日デビューね」って。
堂本:はい。「家族にも言わないで」って言われたんですよ。「え? お母さんにも…」「あ、言わないで!」って。僕、真面目に、“言ったらアカンのか”って思って(デビューすることを)言わなかったんですよ。そしたら家族、そりゃビックリしますよね。「デビューすんの!?」みたいな。だから、Kinki Kidsは全部が「?」だらけで始まっていっちゃったって感じですね。
木村:でも、始まり方としては、とてつもない始まり方したじゃん。「硝子の少年」っていうやつ(曲)で。
堂本:はい。「硝子の少年」も…これもですね、先輩方のデビュー曲って、パーンッて感じの、キラキラキラーッてした感じの楽曲ってイメージがあって。当時、その時代はユーロビートとかが流行ってた時代なので。
木村:ですね。
堂本:そんな雰囲気の音楽が世の中に流れてたところに、急にマイナーコードの歌謡曲テイストの楽曲(「硝子の少年」)がドーンと入ってきて。これでデビューするってなったんで、それもかなり驚きました。
木村:(自分の場合は)楽曲に対する意識が全然なかったかも。
堂本:感覚的にですけど、デビュー曲ってもっと明るい派手なイメージだったので、(デビュー曲が「硝子の少年」に決まって)“え? この感じ?”と思いながら…でも、色々と聞いてたら、社長(ジャニーさん)も「この暗いのでいくの?」みたいな雰囲気はあったっていう話で。でも、周りのスタッフと色々話して「これでいきましょう!」っていうことで「硝子の少年」になったって話でした。
木村:へ〜!
堂本:今となっては、あの楽曲(「硝子の少年」)でデビューさせていただいて良かったなと思うことばっかりですけど、当時は若かったんで。
木村:今振り返ると、「硝子の少年」って良いよね。
堂本:とてつもない曲だなと思います。歌詞とかもそうですし、メロディもアレンジもそう。自分が音楽を勉強していく上でも、松本さんと達郎さん(作詞:松本隆、作曲・編曲:山下達郎)お2人の当時のご年齢や色々な状況の中で、10代の、ジャニーズのアイドルに曲を書くっていう時に、「よし! これでいこう!」みたいに(曲を生み)出していく感じとか、カッコいいなぁと。創り手として考えても、すごい曲だなって思いますね。
(松本隆さんと山下達郎さんは)「僕たちが歳を取っても歌えるようなデビュー曲を書きたい!」っていうテーマで書いて下さったっていうのも聞きまして。そこまで考えてもらって出来上がった曲だったんだなぁと。本当に、振り返っても、色々体感しても体験しても、もう1回勉強しなおしても、“デビュー曲”というもののすごさと、そこに込めてもらってる色々な想いというのはずっと続いていくもんなんだなぁ…とか、自分が歳を取る毎に、(曲に対して)深みが変わってくる、不思議なものだなと思って。今も大切に歌わさせてもらってますけど、いまだに難しいんですよ。ちょっと難しいです、この曲。
木村:そうなの? デビューってことで、パフォーマンスする際にはダンスもあったじゃん。で、“曲としては難しい”ってなったら、かなりハードル高いじゃないですか。
堂本:ハードル高いんですよねぇ。だから、(イントロ部分の)メロディが下りて“雨が~”って入るこの時が1番、めちゃくちゃ緊張するんですよね。なんか無意識に力入っちゃいますね。毎回緊張してるんですよ、この曲歌う時。
木村:そうなんだ。そういう風には見えてなかったなぁ。
堂本:“今日はなんか上手くいったなぁ”って時と“今日はちょっと全然アカンかったなぁ”って時と。ほんとになんか、「お前次第やからな!」って言われてる感じもあって、すごく大変っていうか、勉強になる曲ですね。
M1. 硝子の少年/KinKi Kids
木村:音楽面でかなり大きな影響を剛に与えたって考えると、やっぱり音楽番組の『LOVE LOVE あいしてる』(フジテレビ)って相当だよ。
堂本:相当です。お兄さんにも来ていただきましたけど。
木村:お邪魔しました。
堂本:いわゆる、音楽業界のモンスターだらけでしたので。
木村:そうだよね。『LOVE LOVE あいしてる』のスタッフの方が音楽大好きで、ミュージシャンの方たちに対してのリスペクトもものすごくあった人だったから、そこにいてくれたバンドのメンバーのことは、あまり詳しくなくても知ってたもん。
堂本:ほんとにそんな感じでした。一番最初に「吉田拓郎さんと(番組を)やります」って言われた時に「え、どなたですか?」って。僕ら2人はほんと失礼な(笑)。拓郎さんも「こんな若者と…」みたいな感じで(笑)。でも、「すごい組み合わせだな!」って周りが言うんですよ。「あの吉田拓郎がテレビ出て、こんなちっちゃい子供と番組やる?」みたいな。“すごいことなんだなぁ”と思いながら、でも、周りの人は“吉田拓郎”という人を「こういう目で」「ああいう目で」見てるかも知れないけど、僕は「僕の目」で吉田拓郎という人を見ようと思って接したので。
それで、そのままずっと接しさせてもらう中で、“この人、すごい人なんや”ということを理解し、色々調べて“この人が僕と同じ歳の時にこのステージに立って、この歌歌ってんの?”とか、色々衝撃を受けながら、だんだん“音楽”っていうものの更に深みに招待してもらったというか。「こういうところが面白いんだよ」「こういうところが大変なんだけど、でも、ここがまたやっぱり音楽を作る喜びなんだよ」とか、そういうことを自然と教えてもらったので、あの番組はほんとに大きかったですね。
木村:(ギターは)あそこ(番組)で弾くようになった?
堂本:寮に岡本(健一)君が置いていってたオベーションのギターがあったんですよ。そのギターを長瀬(智也)君が弾いてて。「ああ、ギター弾けるようになりたいなぁ…」って言ったら、「剛も弾けばいいじゃん」って言われて、その時に弾いたのが、本当は一番最初なんです。その後に『LOVE LOVE あいしてる』で「ギターを演ります」って言われて。“いや、弾きたいと思ったけど、宿題がめちゃくちゃ多いなぁ”って思いながら。
木村:仕事になっちゃうとね。
堂本:なので、ドラマとかをさせていただく合間に帰って(ギターの)譜面を見て覚えて、それで当日行って(演奏する)とかやっていたので、最初の頃は楽しむまで余裕はなかったですけど。
木村:もう「仕事」という形で宿題を出され。
堂本:譜面を見るのが当時はしんどかったんですけど、今は譜面見るのも楽しくはなってまして。「ああ、こうか、ああか」って言いながらやるんですけど、昔は譜面、ほんと見たくなかったですね。
木村・堂本:(笑)。
堂本:それくらい、“毎日これやるんや…”って感じで。
木村:けっこう“漬け”だったんだね。
堂本:漬けでしたね。で、現場に行って、拓郎さんとか坂崎(幸之助)さんを捕まえて「すいません、ここわからないんですけど」って。
木村:すごいよね。「ちょっとわからないんですけど」って聞く相手が拓郎さんか坂崎さんっていう(笑)。すごい先生だよね。
堂本:すごいんです。贅沢な環境なんですよ。すごい先生がいっぱいいるので、「アベンジャーズ」の状態じゃないですか。
木村:そうだね、音楽アベンジャーズに囲まれて。
堂本:で、「おい新人!」って言われて「はい!」って入ったような感じなので。これはもうアベンジャーズに聞いた方が早いし。
木村:まぁそうだね、力は強いけどね。アベンジャーズだから(笑)。
堂本:(笑)。拓郎さんとかはたまに、「うん、考えなくていいよ、そんなのは」って言う。
木村:(吉田拓郎は)ブルース・リーの領域だもん、それは(笑)。領域的には。
堂本:(笑)。ほんとブルース・リーの領域でした。「あ、全然考えることじゃないから」とか(笑)。「え? 拓郎さん、教えて下さいって言ってるんですよ?」「いい、いい教えることない! 大丈夫だから、考えることじゃないから」って「え?」って、そのままステージに行ったりとか。でも、それが逆に良かったりとかもしますし、色々わかってやってくださってるんだなぁという思い出しかないです、この番組には。
木村:すごいよね。だって、エアロスミスとか行ったよね。ジェームス・ブラウンも。
堂本:そうですね、イングヴェイ・マルムスティーンとかも来ましたし。いろんな方々が来てくださいましたね。
木村:いやぁ、すごいなぁ。
堂本:その時は忙しすぎて、今みたいな“すげーなー!”みたいな気持ちよりも、“とにかくこれをこなしていかないと!”という気持ちが強くて。
木村:だから、自分がお邪魔させていただいた時も、なんか音楽バラエティっていう雰囲気はあるじゃん。『LOVE LOVE あいしてる』っていうタイトルだし。で、行ったらKinki Kidsいるし、“あ、じゃあ…”ってすごいカジュアルなテンションで「お願いしまーす」って感じで行くと、自分を迎えてくれるのがアベンジャーズだから、“やっべぇ!”っていう。
堂本:アベンジャーズ、無言の圧あるじゃないですか。圧力をかけてるわけじゃなくて、オーラですね。
木村:オーラ半端ないよね。
堂本:エメラルドのオーラの中に包まれてずっとやってましたんで、途中でよくわからなくなってきましたもん。拓郎さんてすごい人なんですけど、もう「拓ちゃん」って呼んでた時もありましたから(笑)。
木村:(笑)。
堂本:「拓ちゃ~ん」って。「ちゃんと拓郎さんって呼べ!」ってそういうやり取りとかもさせてもらってる位、ちょっとどうかしてましたね(笑)。
木村:どうかしてましたって言うより、そこまでKinKi Kidsがいったんじゃない? “アベンジャー”になったからじゃないの?
堂本:アベンジャーになってたんですかね?
木村:なってないと呼べないしょ? 「拓ちゃん」だなんて(笑)。
堂本:みなさんが後輩の僕たちに対して目線を合わせてくださったりとかすることが多かったから、自分たちもそういう風にくだけることもできたし、本当にいろんなことを学びました。
M2. 全部だきしめて/KinKi Kids
(後TM:MOJO DRIVE/木村拓哉)
#网络暴力# #拒绝网络暴力# #拒绝网络语言暴力#
我记得我在最生气的时候,曾经说过:
这样的孩子就应该让老师家长口诛笔伐一下,在班级同学面前踢、打、批评,说出他不写作业的罪行。
然后让全班同学都上来对其拳打脚踢,脱衣服扯裤子,一番施暴过后然后笑盈盈地说“小宝贝,下次作业写成这样,可是要被口诛笔伐的哟~”然后全班同学哄堂大笑。
这样他就会明白自己的话有怎样的作用,会对人造成怎样的伤害了,不然你让他自己琢磨,永远琢磨不明白的。
事实证明,的确如此,有些话,说在他自己身上知道疼,说在别人身上,永远轻飘飘的“反正我是对的嘛”。
那么请问,即使你是对的,你不是当事人,你有什么标准证明,那个人就是故意的?又为什么把一个小错误,挂出去让人口诛笔伐。
于是一群人过来“她就是这个意思!”“她的话冒犯了我们的神!”“我们这样做是全然公平而且正义的!”“犯了错误就应该道歉,就应该受到批评!”
于是我也模仿,把一些我认为是错误的挂出去。
然后就来了“你必须删掉!”“我就不信你敢告我!”“我凭什么相信你!”
人类的劣根性就是,不相信自己身边的人,为了自己心中虚拟的“神”,伤害老师、伤害同学、伤害家长、伤害普通人。
不止是网络,我有一个同学去小学代课,也喜欢某部动漫,但闲谈间说错了那个人的名字。
和我的遭遇一样,只不过她没有被口诛笔伐,而是直接……那些学生对她扔鞋子、吐唾沫、扔鸡蛋,还有不知道什么东西……
“你把我心目中神的名字都能搞错,你还有脸当我们的老师?给我们上课?”
看到没有,如果不遏制,暴力正在从网络上升到现实。
只要你说不对我家“神”的信息,我就有权利打你;
只要你不买我家“神”的周边,你就是不爱他;
管你是欲抑先扬还是欲扬先抑还是什么文体,我看完了,你就是想黑我们家“神”。
为什么现在越来越多的人不愿意写作,就是因为找不到共鸣的人,找不到朋友。
到处都是饭圈,举着各种角色神仙哥哥的牌子到处行走。
既然饭圈化无可避免,要么顺应大众,要么,坚持自己的风格以暴制暴。
我走后面一条道路走了一段时间,后来发现行不通,决定以后再发生类似的事件,直接付诸法律,并且收集证据,层层上报。
至于你们触犯了什么法条,这是我和律师或者法官讨论的问题。当然如果你是网络暴力者或者当时事件的当事人,我就告诉你你犯了哪条法,你自己决定接不接传票。
因为大家都是网上相互攻击,并没有一个人上升到,或者说敢上升到法律。如果我做这个第一个吃螃蟹的人,那么会不会以后网络上强硬的,暴力的事情会少一些?
不是我非要在意,而是你作为一个网民,面对网上的任何一个陌生人,都应该给予尊重。
我不给你寄传票不是我怕你,而是不到最后一步,我不想让法庭把你真名全名等全部公开,开庭审理。
即使未成年人不公布信息,但是你有了案底,你想吗?
如果想,我不怕奉陪到底,吵架不是明智之举,所以,我更坚定了法律的保护作用。
吵架无功无用,浪费时间;一次开庭,一劳永逸。
不是所有的人,都非暴力不合作,暴力之下的合作,是我们期待的和谐吗?
我不愿意想象,
还是那句话,喜欢我文章的,给我鼓励,不喜欢我文章的,出门左拐别评论,大不了拉黑,你那些带着个人想法的肮脏评论,我没时间看。如果非要掰扯起没完,我学聪明了,不和你吵架,直接举报,然后一张传票送给你,什么也别解释。
最后,希望我们把强硬用在爱国爱家上,抵御外敌上,而不是为了日本的动漫,韩国的电视剧,拼命伤害我们的同胞:你不了解,你不配写这个剧的同人。
要知道我们有的人为他们的剧站台,和自己的同胞吵得如此激烈。
以此造成人心分化,正是那些国家所期待的。
你怎么知道你说了什么话,不会有那些国家的人看到。
不是说他们的作品不好,我也喜欢那些作品,但是为了那些作品吵架,是绝对的愚蠢。
因为这样他们就可以不浪费一兵一卒看我们是如何对身边的普通人进行不亚于南京大屠杀的暴力,血战。
也许小孩子年纪小还不知道这意味着什么,
但我真的可以希望能够勇敢一些阻止网络暴力的发生,并防止它蔓延到现实。
偶像是虚拟的,他不会带来什么。
但是你骂的,人肉的,因为你的话语受到影响的,是活生生的人。
你不知道你的一句话会造成什么后果,希望你可以看过这篇文后认真反思一下:
真的不会造成什么后果吗?
假如突然有一群人冒出来骂你,人肉你的地址,你会怎么样?
和平年代,网络暴力之风却尚未停止。
真心希望这阵风不要再刮下去了,否则,受到影响的,将不止双方当事人。
我记得我在最生气的时候,曾经说过:
这样的孩子就应该让老师家长口诛笔伐一下,在班级同学面前踢、打、批评,说出他不写作业的罪行。
然后让全班同学都上来对其拳打脚踢,脱衣服扯裤子,一番施暴过后然后笑盈盈地说“小宝贝,下次作业写成这样,可是要被口诛笔伐的哟~”然后全班同学哄堂大笑。
这样他就会明白自己的话有怎样的作用,会对人造成怎样的伤害了,不然你让他自己琢磨,永远琢磨不明白的。
事实证明,的确如此,有些话,说在他自己身上知道疼,说在别人身上,永远轻飘飘的“反正我是对的嘛”。
那么请问,即使你是对的,你不是当事人,你有什么标准证明,那个人就是故意的?又为什么把一个小错误,挂出去让人口诛笔伐。
于是一群人过来“她就是这个意思!”“她的话冒犯了我们的神!”“我们这样做是全然公平而且正义的!”“犯了错误就应该道歉,就应该受到批评!”
于是我也模仿,把一些我认为是错误的挂出去。
然后就来了“你必须删掉!”“我就不信你敢告我!”“我凭什么相信你!”
人类的劣根性就是,不相信自己身边的人,为了自己心中虚拟的“神”,伤害老师、伤害同学、伤害家长、伤害普通人。
不止是网络,我有一个同学去小学代课,也喜欢某部动漫,但闲谈间说错了那个人的名字。
和我的遭遇一样,只不过她没有被口诛笔伐,而是直接……那些学生对她扔鞋子、吐唾沫、扔鸡蛋,还有不知道什么东西……
“你把我心目中神的名字都能搞错,你还有脸当我们的老师?给我们上课?”
看到没有,如果不遏制,暴力正在从网络上升到现实。
只要你说不对我家“神”的信息,我就有权利打你;
只要你不买我家“神”的周边,你就是不爱他;
管你是欲抑先扬还是欲扬先抑还是什么文体,我看完了,你就是想黑我们家“神”。
为什么现在越来越多的人不愿意写作,就是因为找不到共鸣的人,找不到朋友。
到处都是饭圈,举着各种角色神仙哥哥的牌子到处行走。
既然饭圈化无可避免,要么顺应大众,要么,坚持自己的风格以暴制暴。
我走后面一条道路走了一段时间,后来发现行不通,决定以后再发生类似的事件,直接付诸法律,并且收集证据,层层上报。
至于你们触犯了什么法条,这是我和律师或者法官讨论的问题。当然如果你是网络暴力者或者当时事件的当事人,我就告诉你你犯了哪条法,你自己决定接不接传票。
因为大家都是网上相互攻击,并没有一个人上升到,或者说敢上升到法律。如果我做这个第一个吃螃蟹的人,那么会不会以后网络上强硬的,暴力的事情会少一些?
不是我非要在意,而是你作为一个网民,面对网上的任何一个陌生人,都应该给予尊重。
我不给你寄传票不是我怕你,而是不到最后一步,我不想让法庭把你真名全名等全部公开,开庭审理。
即使未成年人不公布信息,但是你有了案底,你想吗?
如果想,我不怕奉陪到底,吵架不是明智之举,所以,我更坚定了法律的保护作用。
吵架无功无用,浪费时间;一次开庭,一劳永逸。
不是所有的人,都非暴力不合作,暴力之下的合作,是我们期待的和谐吗?
我不愿意想象,
还是那句话,喜欢我文章的,给我鼓励,不喜欢我文章的,出门左拐别评论,大不了拉黑,你那些带着个人想法的肮脏评论,我没时间看。如果非要掰扯起没完,我学聪明了,不和你吵架,直接举报,然后一张传票送给你,什么也别解释。
最后,希望我们把强硬用在爱国爱家上,抵御外敌上,而不是为了日本的动漫,韩国的电视剧,拼命伤害我们的同胞:你不了解,你不配写这个剧的同人。
要知道我们有的人为他们的剧站台,和自己的同胞吵得如此激烈。
以此造成人心分化,正是那些国家所期待的。
你怎么知道你说了什么话,不会有那些国家的人看到。
不是说他们的作品不好,我也喜欢那些作品,但是为了那些作品吵架,是绝对的愚蠢。
因为这样他们就可以不浪费一兵一卒看我们是如何对身边的普通人进行不亚于南京大屠杀的暴力,血战。
也许小孩子年纪小还不知道这意味着什么,
但我真的可以希望能够勇敢一些阻止网络暴力的发生,并防止它蔓延到现实。
偶像是虚拟的,他不会带来什么。
但是你骂的,人肉的,因为你的话语受到影响的,是活生生的人。
你不知道你的一句话会造成什么后果,希望你可以看过这篇文后认真反思一下:
真的不会造成什么后果吗?
假如突然有一群人冒出来骂你,人肉你的地址,你会怎么样?
和平年代,网络暴力之风却尚未停止。
真心希望这阵风不要再刮下去了,否则,受到影响的,将不止双方当事人。
一路上走在【环境艺术之森】满是红叶堆叠形成的红地毯散步,在随风飘落的红叶中,一边感受着这一年最后的艳丽,一边感叹人世间的变化无常,别有一番风情。这里的红叶树有树龄600年和1000年的红叶树。红叶树很难成长茁壮,树龄1000年的红叶非常珍贵。
[小红花]地址∶佐贺県唐津市厳木町平之667
#九州云市集# #九州旅行# #佐贺旅行# #带着微博去旅行#
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