大乘离文字普光明藏经
如是我闻。一时佛在王舍城耆(qi)阇(she)崛山中,与大菩萨无量百千亿那由他数,皆是大智精进善巧,证无言法获妙辩才,是处非处不相违反,善调身心具诸解脱,常游三昧不舍大悲,惭愧为身智慧为首,多所饶益如大宝洲,了知诸法善不善相,不著文字而有言说,于真俗门洞达无碍,深明实际不住其中,善能分别而无所受,虽厌生死常护世间,周遍十方有大名称,于真妙藏寂然宴息,虽现受身永出三界,而行诸有勉济众生,平等教诲志常贤善,平等怜愍心无染著(zhuo),能令自他莫不清净,成就如是无量功德。其名曰胜思惟菩萨、法震音菩萨、妙身菩萨、法辋(wǎng)菩萨、辩积菩萨、持地菩萨、持世菩萨、大名称菩萨、具诸辩菩萨、千容相菩萨、功德山菩萨、莲华眼菩萨、莲华面菩萨、珠髻(jì)菩萨、妙音菩萨,如是等菩萨摩诃萨,皆如童子色相端严,于此众中而为上首。
尔时观自在菩萨与恒河沙等绍尊位者诸菩萨俱。殊胜见菩萨与无央数天帝释俱。虚空藏菩萨与无量菩萨及无量四天王众俱。大势至菩萨与无量亿梵天众俱。遍吉祥菩萨与无量婇(cǎi)女俱。普贤菩萨、不空见菩萨、星宿王菩萨、离疑菩萨、息诸盖菩萨、药王菩萨、药上菩萨,各与无量菩萨众俱。其中亦有无量诸佛,自变其身作菩萨像。尊者舍利弗、摩诃目揵(qian)连、摩诃迦叶,如是等大阿罗汉,各与无量声闻众俱。那罗延等无量天众,乃至恒沙国土日月诸天,威光照耀悉来佛所。至佛所已。彼天威光不能复现,犹如聚墨对阎浮金。婆楼那龙王、德叉迦龙王、阿那婆达多龙王、美音乾闼(tà)婆王、无扰浊迦楼罗王、各与无量诸眷属俱,来入此会。十方世界如恒河沙所有菩萨,咸于本土启请如来,与诸四众同时到此,各持种种出过世间殊好供事,奉上于佛诸菩萨已。即于会中坐莲华座。
尔时胜思惟菩萨摩诃萨从座而起,偏袒右肩右膝著地,合掌向佛,而作是言:“世尊,我今欲请二字之义,惟愿如来垂哀见许。”
佛告胜思惟菩萨言:“善男子,欲有问者随汝意问,如来不为一众生故出现世间。为欲利益无量众生而出现耳。
于是胜思惟菩萨即白佛言:“世尊,何者一法,是诸菩萨所应永离?何者一法,是诸菩萨应常护持?何者一法,是诸如来现所觉了?”佛言:“善哉善哉!善男子,汝以如来威神之力,乃能问我如是深义。谛听谛听!善思念之,当为汝说。
“善男子,有一种法菩萨应离,所谓欲贪。善男子,如是一法是诸菩萨所应永离。
善男子,复有一法菩萨应离,所谓瞋(chēn)怒。如是一法是诸菩萨所应永离。
善男子,复有一法菩萨应离,所谓愚痴。如是一法是诸菩萨所应永离。
善男子,复有一法菩萨应离,所谓我取。
善男子,复有一法菩萨应离,所谓疑惑。
善男子,复有一法菩萨应离,所谓憍(jiāo)慢。
善男子,复有一法菩萨应离,所谓懈怠。
善男子,复有一法菩萨应离,所谓惛(hūn)眠。
善男子,复有一法菩萨应离,所谓爱著。
善男子,如是一法,是诸菩萨所应永离。
“善男子,汝复问我,何者一法,是诸菩萨应常护持?善男子,谓诸菩萨非己所安不加于物。若诸菩萨守护此法,即是能持诸佛如来一切禁戒。何以故?自爱身命不应杀生。自重资财不应偷盗。自护妻室不应侵他。如是等行皆名一法。善男子。若有敬顺如来语者,于此一法常当忆念。何以故?无有众生爱乐于苦,凡有所作悉求安乐。乃至菩萨求阿耨多罗三藐三菩提,亦为自他皆得乐故。善男子,以如是义我说此言。非己所安不加于物,如是一法是诸菩萨应常护持。
“善男子,如汝所问何者一法是诸如来现所觉了。善男子,无有少法是如来觉。何以故?如来觉者无所觉故。善男子,一切法无生是如来觉。一切法无灭是如来觉。一切法离二边是如来觉。一切法不实是如来觉。善男子,诸业自性是如来觉。一切法从因缘生,是如来觉。因缘之法犹如电光,是如来觉。以因缘故而有诸业,是如来觉。
善男子,一切法性普光明藏,是如来觉。善男子,何故法性名普光明藏?善男子,世出世智依之以生,如母怀子故名为藏。若智生时反照其本,如是法性为般若波罗蜜之所摄藏,是故名为普光明藏。
善男子,一切法如幻如焰,是如来觉。善男子,诸法实性一味解脱,是如来觉。一味解脱是即名为普光明藏。
善男子,一相法是如来觉。云何一相?所谓诸法不来不去、非因非缘、不生不灭、无取无舍、不增不减。
善男子,诸法自性本无所有不可为喻,非是文辞之所辩说。如是一法,是诸如来现所觉了。”
当佛说此庄严王离文字普光明藏法门之时,有十地菩萨所见微尘数众生,悉发阿耨多罗三藐三菩提心。复有如是微尘数众生,皆发声闻辟支佛心。复有如是微尘数众生,在地狱者皆得离苦生人天中。无量菩萨得入初地。无量菩萨得百千三昧。无量众生悉蒙利益无空过者。
尔时佛告罗睺(hóu)罗言:“善男子,我此法要汝当受持。”说是语时,会中有九十亿菩萨摩诃萨,承佛威神即皆避座,白佛言:“世尊,我等誓当受持如来所说法要,于此娑(suō)婆国土最后时中,见有其人流通为说。”
尔时四天王白佛言:“世尊,若有能持此经典者我当拥护,令其志愿皆得满足。所以者何?能持此经是法器故。”
尔时世尊,普观众会而作是言:“诸仁者,我此所说甚深方广希有法门,非诸众生有少善根而能听受。能听受者即为承事供养于我,亦为荷担无上菩提。是人当得辩才无碍。决定生于清净佛土。是人临终定得亲见阿弥陀佛菩萨大众而现在前。我今在此耆(qi)阇(she)崛山诸菩萨众所共围绕。彼临终时亦如是见。当知是人即为已得无尽法藏。当知是人得宿命智。当知是人不堕恶道。善男子,我今说此一切世间难信之法,设有众生作五逆罪,闻是经已书持读诵为人解说,所有业障咸得消除,终不受于恶趣之苦。斯人即为诸佛菩萨之所护念,在在所生诸根具足,蒙佛灌顶五眼清净。善男子,取要言之,我见是人已成佛道。”
佛说此经已,胜思惟等一切菩萨,及诸声闻天龙八部,皆大欢喜信受奉行。
回向:“仅以此功德,一者回向,普光明藏,现量实证; 二者回向,佛果菩提,速疾圆满 ; 三者回向,法界众生,同生净土。”
如是我闻。一时佛在王舍城耆(qi)阇(she)崛山中,与大菩萨无量百千亿那由他数,皆是大智精进善巧,证无言法获妙辩才,是处非处不相违反,善调身心具诸解脱,常游三昧不舍大悲,惭愧为身智慧为首,多所饶益如大宝洲,了知诸法善不善相,不著文字而有言说,于真俗门洞达无碍,深明实际不住其中,善能分别而无所受,虽厌生死常护世间,周遍十方有大名称,于真妙藏寂然宴息,虽现受身永出三界,而行诸有勉济众生,平等教诲志常贤善,平等怜愍心无染著(zhuo),能令自他莫不清净,成就如是无量功德。其名曰胜思惟菩萨、法震音菩萨、妙身菩萨、法辋(wǎng)菩萨、辩积菩萨、持地菩萨、持世菩萨、大名称菩萨、具诸辩菩萨、千容相菩萨、功德山菩萨、莲华眼菩萨、莲华面菩萨、珠髻(jì)菩萨、妙音菩萨,如是等菩萨摩诃萨,皆如童子色相端严,于此众中而为上首。
尔时观自在菩萨与恒河沙等绍尊位者诸菩萨俱。殊胜见菩萨与无央数天帝释俱。虚空藏菩萨与无量菩萨及无量四天王众俱。大势至菩萨与无量亿梵天众俱。遍吉祥菩萨与无量婇(cǎi)女俱。普贤菩萨、不空见菩萨、星宿王菩萨、离疑菩萨、息诸盖菩萨、药王菩萨、药上菩萨,各与无量菩萨众俱。其中亦有无量诸佛,自变其身作菩萨像。尊者舍利弗、摩诃目揵(qian)连、摩诃迦叶,如是等大阿罗汉,各与无量声闻众俱。那罗延等无量天众,乃至恒沙国土日月诸天,威光照耀悉来佛所。至佛所已。彼天威光不能复现,犹如聚墨对阎浮金。婆楼那龙王、德叉迦龙王、阿那婆达多龙王、美音乾闼(tà)婆王、无扰浊迦楼罗王、各与无量诸眷属俱,来入此会。十方世界如恒河沙所有菩萨,咸于本土启请如来,与诸四众同时到此,各持种种出过世间殊好供事,奉上于佛诸菩萨已。即于会中坐莲华座。
尔时胜思惟菩萨摩诃萨从座而起,偏袒右肩右膝著地,合掌向佛,而作是言:“世尊,我今欲请二字之义,惟愿如来垂哀见许。”
佛告胜思惟菩萨言:“善男子,欲有问者随汝意问,如来不为一众生故出现世间。为欲利益无量众生而出现耳。
于是胜思惟菩萨即白佛言:“世尊,何者一法,是诸菩萨所应永离?何者一法,是诸菩萨应常护持?何者一法,是诸如来现所觉了?”佛言:“善哉善哉!善男子,汝以如来威神之力,乃能问我如是深义。谛听谛听!善思念之,当为汝说。
“善男子,有一种法菩萨应离,所谓欲贪。善男子,如是一法是诸菩萨所应永离。
善男子,复有一法菩萨应离,所谓瞋(chēn)怒。如是一法是诸菩萨所应永离。
善男子,复有一法菩萨应离,所谓愚痴。如是一法是诸菩萨所应永离。
善男子,复有一法菩萨应离,所谓我取。
善男子,复有一法菩萨应离,所谓疑惑。
善男子,复有一法菩萨应离,所谓憍(jiāo)慢。
善男子,复有一法菩萨应离,所谓懈怠。
善男子,复有一法菩萨应离,所谓惛(hūn)眠。
善男子,复有一法菩萨应离,所谓爱著。
善男子,如是一法,是诸菩萨所应永离。
“善男子,汝复问我,何者一法,是诸菩萨应常护持?善男子,谓诸菩萨非己所安不加于物。若诸菩萨守护此法,即是能持诸佛如来一切禁戒。何以故?自爱身命不应杀生。自重资财不应偷盗。自护妻室不应侵他。如是等行皆名一法。善男子。若有敬顺如来语者,于此一法常当忆念。何以故?无有众生爱乐于苦,凡有所作悉求安乐。乃至菩萨求阿耨多罗三藐三菩提,亦为自他皆得乐故。善男子,以如是义我说此言。非己所安不加于物,如是一法是诸菩萨应常护持。
“善男子,如汝所问何者一法是诸如来现所觉了。善男子,无有少法是如来觉。何以故?如来觉者无所觉故。善男子,一切法无生是如来觉。一切法无灭是如来觉。一切法离二边是如来觉。一切法不实是如来觉。善男子,诸业自性是如来觉。一切法从因缘生,是如来觉。因缘之法犹如电光,是如来觉。以因缘故而有诸业,是如来觉。
善男子,一切法性普光明藏,是如来觉。善男子,何故法性名普光明藏?善男子,世出世智依之以生,如母怀子故名为藏。若智生时反照其本,如是法性为般若波罗蜜之所摄藏,是故名为普光明藏。
善男子,一切法如幻如焰,是如来觉。善男子,诸法实性一味解脱,是如来觉。一味解脱是即名为普光明藏。
善男子,一相法是如来觉。云何一相?所谓诸法不来不去、非因非缘、不生不灭、无取无舍、不增不减。
善男子,诸法自性本无所有不可为喻,非是文辞之所辩说。如是一法,是诸如来现所觉了。”
当佛说此庄严王离文字普光明藏法门之时,有十地菩萨所见微尘数众生,悉发阿耨多罗三藐三菩提心。复有如是微尘数众生,皆发声闻辟支佛心。复有如是微尘数众生,在地狱者皆得离苦生人天中。无量菩萨得入初地。无量菩萨得百千三昧。无量众生悉蒙利益无空过者。
尔时佛告罗睺(hóu)罗言:“善男子,我此法要汝当受持。”说是语时,会中有九十亿菩萨摩诃萨,承佛威神即皆避座,白佛言:“世尊,我等誓当受持如来所说法要,于此娑(suō)婆国土最后时中,见有其人流通为说。”
尔时四天王白佛言:“世尊,若有能持此经典者我当拥护,令其志愿皆得满足。所以者何?能持此经是法器故。”
尔时世尊,普观众会而作是言:“诸仁者,我此所说甚深方广希有法门,非诸众生有少善根而能听受。能听受者即为承事供养于我,亦为荷担无上菩提。是人当得辩才无碍。决定生于清净佛土。是人临终定得亲见阿弥陀佛菩萨大众而现在前。我今在此耆(qi)阇(she)崛山诸菩萨众所共围绕。彼临终时亦如是见。当知是人即为已得无尽法藏。当知是人得宿命智。当知是人不堕恶道。善男子,我今说此一切世间难信之法,设有众生作五逆罪,闻是经已书持读诵为人解说,所有业障咸得消除,终不受于恶趣之苦。斯人即为诸佛菩萨之所护念,在在所生诸根具足,蒙佛灌顶五眼清净。善男子,取要言之,我见是人已成佛道。”
佛说此经已,胜思惟等一切菩萨,及诸声闻天龙八部,皆大欢喜信受奉行。
回向:“仅以此功德,一者回向,普光明藏,现量实证; 二者回向,佛果菩提,速疾圆满 ; 三者回向,法界众生,同生净土。”
【DIVOC-12】Interview 1/2
チャンスは自分から作っていくしかない 藤原季節
歩の年表を埋めたり衣装を着て生活することで余白をひとつひとつ埋めていった
――今作に参加されたきっかけを教えてください。
藤原 僕がW主演を務めた短編映画『中村屋酒店の兄弟』(20)が、「東京学生映画祭」というコンテストでグランプリをいただいたんですが、そのときの審査員が三島有紀子監督で、そこでご挨拶させて頂いたことがありました。いつか三島監督の作品に出演したいと思っていたので、この作品のお話をいただいたときはうれしかったですね。
――実際に作品をご覧になって、いかがでしたか?
藤原 この作品は世界の片隅で誰にも知られず生きている人たちが出会う物語だなと思っています。その人たちを取り巻く環境は閉塞しているけど、こういった状況を出会いという物語で打ち倒すんだという気概というか、気持ちにあふれた映画になっていて。現実を厳しく見つめながらも、物語にロマンを持っている三島監督だからこそ撮れた作品だと思いました。他の『DIVOC-12』の作品とはいい意味で全然似ていなくて、この作品に出演できて本当に幸せです。
――短編だけに余白が多く、説明されない部分も多かったと思います。
藤原 台本から読み取れることは本当に少なかったです。三島さんと初めて打ち合わせをしたときに、主人公の歩という人物に何があったのかが書かれた年表みたいなものをもらって、「どんどん自分で埋めていっていいから」と言われて。衣装が決まってからは普段から歩の衣装を着て生活させてもらって、歩という人物を自分の中に馴染ませていきました。最初に本を読んだ段階では余白の部分が多くて、「なぜこのセリフになってるんだろう」と簡単には結びつかなかったので、三島さんと相談しながら一つ一つ埋めていった感じです。
――それを演技で伝える難しさはありましたか?
藤原 画面の向こう側にどう届けるかというのは、監督や見てくださるお客さんにゆだねた部分は大きいです。自分自身がリアリティーを感じ、それを信じることが大切だと思いました。一つ一つ、目に見えないものを埋めていくことでようやく信じる気持ちが強くなっていくというか。自分の中でそういうものが弱いと、自分の存在は正解なのだろうかみたいな気持ちになって、立っているだけで不安になるような気がします。それを埋めていくことで初めて、現場に立っても怖くなくなるのかなと思っています。
――改めて三島監督の印象をお聞かせください。
藤原 現場でも、われ先に行くというか、誰よりも率先して傷つきにいく姿を見せてくださいます。三島さんが撮った『ぶどうのなみだ』(14)という映画は、大泉洋さん演じるアオがもがき苦しみながらやっと一本のワインを誕生させるという物語なんですけど、その主人公を地で体現している監督というか。10分の映画を撮るためにここまで魂を削っているんだなというのを間近で見せて頂きましたね。感受性が豊かな方ってたくさんいらっしゃると思うんですけど、三島さんは感受性がせき止められずにあふれ出ちゃっている感じです。
――共演した富司純子さんに対する印象を教えてください。
藤原 去年の緊急事態宣言中に、家でずっと高倉健さんの映画を見ていたんです。その中で富司さんが主演を務められている作品もあって、「この女優さん素晴らしいな」と思っていた矢先のことだったので、体が震えました。そんな伝説の方とご一緒できるんだ、と思って。でも実際にお会いするとすごく優しい方でした。完成した映画を見たときに一番驚いたのは、富司さんがあまりに軽やかに演じられていたことです。懸命さやひたむきさという分かりやすいことはさておき、もっともっとリアリティーを持って生活されていて。必死に生きていて、辛くて辛くてという人が何かを変えようとする映画じゃなくて、たくましく生きているけど「焼肉食べたい、ハーゲンダッツ食べたい」と思ったときに、人生を変えようとするっていうのはこの作品っぽいなと思いました。
一つの作品を通過するたびに大切な出会いが増えている
――富司さん演じる冬海さんと出会ったことで、歩が生き生きしてきたように思えました。
藤原 お金だとか目に見えるもの……、そういうものでしか大切なことを語れなくなっちゃっていたんだろうなと思います。僕もこの1年間でそうなってしまいそうだったんですけど、そのたびにこういう作品が人間らしいところに引き戻してくれている感じがしました。だから多分、歩にとっては冬海さんがまさにそういう存在だったのかな。大切なものはそれだけじゃないんだよと、心というものを取り戻すきっかけになったんだと思います。
――出演が発表されたときに、「この作品のことを思い出そうとすると頭が真っ白になります」とコメントされていたのも印象的です。
藤原 この作品のタイトルが入る場面を撮ったときに、余計なことは何も考えられなくなりました。自分自身がこの物語にすごく救われているんだなと思ったんです。それまで悶々とした生活を送っていて、携帯とかテレビから入ってくるいろいろな情報に自分自身が踊らされて、アタフタして暮らしていたんです。でも、あの海に立った瞬間だけは冬海さんの姿しか見えなかったので、そこに向かって駆け出していくときは、開放感に満ち溢れていました。三島さんが泥だらけになりながらそういう環境を与えてくださって、本当に頭が真っ白になるような感覚でしたね。たった2日間の撮影であそこまでひとつの役に入れ込んだことは初めてかもしれないですし、仮に撮影期間の長い作品であっても、現場に入る前に10日間役として生活するというのはやったことがなかったので、不思議な体験でした。この作品に自分自身が何かを懸けて臨んでいたな、と思います。
――『よろこびのうた』が伝えたいテーマは何だと思いますか?
藤原 言葉にするとちょっと簡単に聞こえてしまうかもしれないんですけど、不安や喜びを分かち合うということ。生きていると、一緒にいることでより悲しくなったりとか、よりうれしくなったりすることもありますよね。この人と出会わなければこんな苦しい思いをせずに済んだのにと思いつつ、この人と過ごしたから自分は豊かさを知ることができたなという。豊かさを知るのは痛みを伴うことだと思うんですけど、それがまさに歩にとって冬海さんと経験したことで、その後のカラオケのシーンでは涙が止まらなくなる。知らなくてもよかったかもしれないんですけど、僕は歩にとって必要な時間だったのかなと思いました。実はあのカラオケのシーン、ザ・ブルーハーツを歌っているんですよ。三島さんと一緒に決めたんです。
――歩が冬海さんに出会ったように、今までの人生で藤原さんにとって印象的な出会いはありますか?
藤原 たくさんありましたね。この映画でいえば冬海さん、三島監督との出会い、あと『DIVOC-12』には12本の映画が集まっていて、同世代の俳優や新しい監督たちともたくさん出会うことができました。僕の人生でいえば、二十歳のときの松田美由紀さんとの出会い、『his』(20)という映画で宮沢氷魚という男に出会ったこと、『佐々木、イン、マイマイン』(20)の細川岳。一つの作品を通過するたびに大切な出会いがどんどん増えている感じがします。逆にそれがあるから続けていられるのかもしれません。
――具体的にお名前があがった松田さんと宮沢さんとの出会いは、藤原さんにとってどんな出来事だったのでしょうか。
藤原 最近『his』を見直したんですけど、宮沢くんは一滴の涙も流さずに悲しみを表現していたんだなと思ったんです。なんて正々堂々と演技する人だろう、とすごい発見でした。一方の僕は、すべてのシーンでめそめそ泣きそうな感じで芝居していたんですけど、それを包むように宮沢くんは演技してくれたんだなと思って。撮影が終わって数年経って、こんなに支えてもらっていたんだなと彼の優しさに改めて気づきました。あんな俳優になりたいという意味でもすごく尊敬しています。高倉健さんの映画にハマっているときは、彼の家の前に「高倉健さんの映画観て」と置き手紙したこともありました(笑)。美由紀さんは僕にとって、唯一怒ってくれる存在。僕が熊本の天草で撮影していた「のさりの島」という映画の現場に会いに来てくれたこともあります。言葉では尽くせない恩がありますね。
https://t.cn/A6M6b0Pd
チャンスは自分から作っていくしかない 藤原季節
歩の年表を埋めたり衣装を着て生活することで余白をひとつひとつ埋めていった
――今作に参加されたきっかけを教えてください。
藤原 僕がW主演を務めた短編映画『中村屋酒店の兄弟』(20)が、「東京学生映画祭」というコンテストでグランプリをいただいたんですが、そのときの審査員が三島有紀子監督で、そこでご挨拶させて頂いたことがありました。いつか三島監督の作品に出演したいと思っていたので、この作品のお話をいただいたときはうれしかったですね。
――実際に作品をご覧になって、いかがでしたか?
藤原 この作品は世界の片隅で誰にも知られず生きている人たちが出会う物語だなと思っています。その人たちを取り巻く環境は閉塞しているけど、こういった状況を出会いという物語で打ち倒すんだという気概というか、気持ちにあふれた映画になっていて。現実を厳しく見つめながらも、物語にロマンを持っている三島監督だからこそ撮れた作品だと思いました。他の『DIVOC-12』の作品とはいい意味で全然似ていなくて、この作品に出演できて本当に幸せです。
――短編だけに余白が多く、説明されない部分も多かったと思います。
藤原 台本から読み取れることは本当に少なかったです。三島さんと初めて打ち合わせをしたときに、主人公の歩という人物に何があったのかが書かれた年表みたいなものをもらって、「どんどん自分で埋めていっていいから」と言われて。衣装が決まってからは普段から歩の衣装を着て生活させてもらって、歩という人物を自分の中に馴染ませていきました。最初に本を読んだ段階では余白の部分が多くて、「なぜこのセリフになってるんだろう」と簡単には結びつかなかったので、三島さんと相談しながら一つ一つ埋めていった感じです。
――それを演技で伝える難しさはありましたか?
藤原 画面の向こう側にどう届けるかというのは、監督や見てくださるお客さんにゆだねた部分は大きいです。自分自身がリアリティーを感じ、それを信じることが大切だと思いました。一つ一つ、目に見えないものを埋めていくことでようやく信じる気持ちが強くなっていくというか。自分の中でそういうものが弱いと、自分の存在は正解なのだろうかみたいな気持ちになって、立っているだけで不安になるような気がします。それを埋めていくことで初めて、現場に立っても怖くなくなるのかなと思っています。
――改めて三島監督の印象をお聞かせください。
藤原 現場でも、われ先に行くというか、誰よりも率先して傷つきにいく姿を見せてくださいます。三島さんが撮った『ぶどうのなみだ』(14)という映画は、大泉洋さん演じるアオがもがき苦しみながらやっと一本のワインを誕生させるという物語なんですけど、その主人公を地で体現している監督というか。10分の映画を撮るためにここまで魂を削っているんだなというのを間近で見せて頂きましたね。感受性が豊かな方ってたくさんいらっしゃると思うんですけど、三島さんは感受性がせき止められずにあふれ出ちゃっている感じです。
――共演した富司純子さんに対する印象を教えてください。
藤原 去年の緊急事態宣言中に、家でずっと高倉健さんの映画を見ていたんです。その中で富司さんが主演を務められている作品もあって、「この女優さん素晴らしいな」と思っていた矢先のことだったので、体が震えました。そんな伝説の方とご一緒できるんだ、と思って。でも実際にお会いするとすごく優しい方でした。完成した映画を見たときに一番驚いたのは、富司さんがあまりに軽やかに演じられていたことです。懸命さやひたむきさという分かりやすいことはさておき、もっともっとリアリティーを持って生活されていて。必死に生きていて、辛くて辛くてという人が何かを変えようとする映画じゃなくて、たくましく生きているけど「焼肉食べたい、ハーゲンダッツ食べたい」と思ったときに、人生を変えようとするっていうのはこの作品っぽいなと思いました。
一つの作品を通過するたびに大切な出会いが増えている
――富司さん演じる冬海さんと出会ったことで、歩が生き生きしてきたように思えました。
藤原 お金だとか目に見えるもの……、そういうものでしか大切なことを語れなくなっちゃっていたんだろうなと思います。僕もこの1年間でそうなってしまいそうだったんですけど、そのたびにこういう作品が人間らしいところに引き戻してくれている感じがしました。だから多分、歩にとっては冬海さんがまさにそういう存在だったのかな。大切なものはそれだけじゃないんだよと、心というものを取り戻すきっかけになったんだと思います。
――出演が発表されたときに、「この作品のことを思い出そうとすると頭が真っ白になります」とコメントされていたのも印象的です。
藤原 この作品のタイトルが入る場面を撮ったときに、余計なことは何も考えられなくなりました。自分自身がこの物語にすごく救われているんだなと思ったんです。それまで悶々とした生活を送っていて、携帯とかテレビから入ってくるいろいろな情報に自分自身が踊らされて、アタフタして暮らしていたんです。でも、あの海に立った瞬間だけは冬海さんの姿しか見えなかったので、そこに向かって駆け出していくときは、開放感に満ち溢れていました。三島さんが泥だらけになりながらそういう環境を与えてくださって、本当に頭が真っ白になるような感覚でしたね。たった2日間の撮影であそこまでひとつの役に入れ込んだことは初めてかもしれないですし、仮に撮影期間の長い作品であっても、現場に入る前に10日間役として生活するというのはやったことがなかったので、不思議な体験でした。この作品に自分自身が何かを懸けて臨んでいたな、と思います。
――『よろこびのうた』が伝えたいテーマは何だと思いますか?
藤原 言葉にするとちょっと簡単に聞こえてしまうかもしれないんですけど、不安や喜びを分かち合うということ。生きていると、一緒にいることでより悲しくなったりとか、よりうれしくなったりすることもありますよね。この人と出会わなければこんな苦しい思いをせずに済んだのにと思いつつ、この人と過ごしたから自分は豊かさを知ることができたなという。豊かさを知るのは痛みを伴うことだと思うんですけど、それがまさに歩にとって冬海さんと経験したことで、その後のカラオケのシーンでは涙が止まらなくなる。知らなくてもよかったかもしれないんですけど、僕は歩にとって必要な時間だったのかなと思いました。実はあのカラオケのシーン、ザ・ブルーハーツを歌っているんですよ。三島さんと一緒に決めたんです。
――歩が冬海さんに出会ったように、今までの人生で藤原さんにとって印象的な出会いはありますか?
藤原 たくさんありましたね。この映画でいえば冬海さん、三島監督との出会い、あと『DIVOC-12』には12本の映画が集まっていて、同世代の俳優や新しい監督たちともたくさん出会うことができました。僕の人生でいえば、二十歳のときの松田美由紀さんとの出会い、『his』(20)という映画で宮沢氷魚という男に出会ったこと、『佐々木、イン、マイマイン』(20)の細川岳。一つの作品を通過するたびに大切な出会いがどんどん増えている感じがします。逆にそれがあるから続けていられるのかもしれません。
――具体的にお名前があがった松田さんと宮沢さんとの出会いは、藤原さんにとってどんな出来事だったのでしょうか。
藤原 最近『his』を見直したんですけど、宮沢くんは一滴の涙も流さずに悲しみを表現していたんだなと思ったんです。なんて正々堂々と演技する人だろう、とすごい発見でした。一方の僕は、すべてのシーンでめそめそ泣きそうな感じで芝居していたんですけど、それを包むように宮沢くんは演技してくれたんだなと思って。撮影が終わって数年経って、こんなに支えてもらっていたんだなと彼の優しさに改めて気づきました。あんな俳優になりたいという意味でもすごく尊敬しています。高倉健さんの映画にハマっているときは、彼の家の前に「高倉健さんの映画観て」と置き手紙したこともありました(笑)。美由紀さんは僕にとって、唯一怒ってくれる存在。僕が熊本の天草で撮影していた「のさりの島」という映画の現場に会いに来てくれたこともあります。言葉では尽くせない恩がありますね。
https://t.cn/A6M6b0Pd
大乘离文字普光明藏经
唐中天竺三藏法师地婆诃罗奉敕译
如是我闻。一时佛在王舍城耆阇崛山中,与大菩萨无量百千亿那由他数,皆是大智精进善巧,证无言法获妙辩才,是处非处不相违反,善调身心具诸解脱,常游三昧不舍大悲,惭愧为身智慧为首,多所饶益如大宝洲,了知诸法善不善相,不著文字而有言说,于真俗门洞达无碍,深明实际不住其中,善能分别而无所受,虽厌生死常护世间,周遍十方有大名称,于真妙藏寂然宴息,虽现受身永出三界,而行诸有勉济众生,平等教诲志常贤善,平等怜愍心无染著,能令自他莫不清净,成就如是无量功德。其名曰胜思惟菩萨、法震音菩萨、妙身菩萨、法辋菩萨、辩积菩萨、持地菩萨、持世菩萨、大名称菩萨、具诸辩菩萨、千容相菩萨、功德山菩萨、莲华眼菩萨、莲华面菩萨、珠髻菩萨、妙音菩萨,如是等菩萨摩诃萨,皆如童子色相端严,于此众中而为上首。
尔时观自在菩萨与恒河沙等绍尊位者诸菩萨俱。殊胜见菩萨与无央数天帝释俱。虚空藏菩萨与无量菩萨及无量四天王众俱。大势至菩萨与无量亿梵天众俱。遍吉祥菩萨与无量婇女俱。普贤菩萨、不空见菩萨、星宿王菩萨、离疑菩萨、息诸盖菩萨、药王菩萨、药上菩萨,各与无量菩萨众俱。其中亦有无量诸佛,自变其身作菩萨像。尊者舍利弗、摩诃目揵连、摩诃迦叶,如是等大阿罗汉,各与无量声闻众俱。那罗延等无量天众,乃至恒沙国土日月诸天,威光照耀悉来佛所。至佛所已。彼天威光不能复现,犹如聚墨对阎浮金。婆楼那龙王、德叉迦龙王、阿那婆达多龙王、美音乾闼婆王、无扰浊迦楼罗王、各与无量诸眷属俱,来入此会。十方世界如恒河沙所有菩萨,咸于本土启请如来,与诸四众同时到此,各持种种出过世间殊好供事,奉上于佛诸菩萨已。即于会中坐莲华座。
尔时胜思惟菩萨摩诃萨从座而起,偏袒右肩右膝著地,合掌向佛,而作是言:“世尊,我今欲请二字之义,惟愿如来垂哀见许。”
佛告胜思惟菩萨言:“善男子,欲有问者随汝意问,如来不为一众生故出现世间。为欲利益无量众生而出现耳。于是胜思惟菩萨即白佛言:“世尊,何者一法,是诸菩萨所应永离?何者一法,是诸菩萨应常护持?何者一法,是诸如来现所觉了?”佛言:“善哉善哉!善男子,汝以如来威神之力,乃能问我如是深义。谛听谛听!善思念之,当为汝说。
“善男子,有一种法菩萨应离,所谓欲贪。善男子,如是一法是诸菩萨所应永离。善男子,复有一法菩萨应离,所谓瞋怒。如是一法是诸菩萨所应永离。善男子,复有一法菩萨应离,所谓愚痴。如是一法是诸菩萨所应永离。善男子,复有一法菩萨应离,所谓我取。善男子,复有一法菩萨应离,所谓疑惑。善男子,复有一法菩萨应离,所谓憍慢。善男子,复有一法菩萨应离,所谓懈怠。善男子,复有一法菩萨应离,所谓惛眠。善男子,复有一法菩萨应离,所谓爱著。善男子,如是一法,是诸菩萨所应永离。
“善男子,汝复问我,何者一法,是诸菩萨应常护持?善男子,谓诸菩萨非己所安不加于物。若诸菩萨守护此法,即是能持诸佛如来一切禁戒。何以故?自爱身命不应杀生。自重资财不应偷盗。自护妻室不应侵他。如是等行皆名一法。善男子。若有敬顺如来语者,于此一法常当忆念。何以故?无有众生爱乐于苦,凡有所作悉求安乐。乃至菩萨求阿耨多罗三藐三菩提,亦为自他皆得乐故。善男子,以如是义我说此言。非己所安不加于物,如是一法是诸菩萨应常护持。
“善男子,如汝所问何者一法是诸如来现所觉了。善男子,无有少法是如来觉。何以故?如来觉者无所觉故。善男子,一切法无生是如来觉。一切法无灭是如来觉。一切法离二边是如来觉。一切法不实是如来觉。善男子,诸业自性是如来觉。一切法从因缘生,是如来觉。因缘之法犹如电光,是如来觉。以因缘故而有诸业,是如来觉。善男子,一切法性普光明藏,是如来觉。善男子,何故法性名普光明藏?善男子,世出世智依之以生,如母怀子故名为藏。若智生时反照其本,如是法性为般若波罗蜜之所摄藏,是故名为普光明藏。善男子,一切法如幻如焰,是如来觉。善男子,诸法实性一味解脱,是如来觉。一味解脱是即名为普光明藏。善男子,一相法是如来觉。云何一相?所谓诸法不来不去、非因非缘、不生不灭、无取无舍、不增不减。善男子,诸法自性本无所有不可为喻,非是文辞之所辩说。如是一法,是诸如来现所觉了。”
当佛说此庄严王离文字普光明藏法门之时,有十地菩萨所见微尘数众生,悉发阿耨多罗三藐三菩提心。复有如是微尘数众生,皆发声闻辟支佛心。复有如是微尘数众生,在地狱者皆得离苦生人天中。无量菩萨得入初地。无量菩萨得百千三昧。无量众生悉蒙利益无空过者。
尔时佛告罗睺罗言:“善男子,我此法要汝当受持。”说是语时,会中有九十亿菩萨摩诃萨,承佛威神即皆避座,白佛言:“世尊,我等誓当受持如来所说法要,于此娑婆国土最后时中,见有其人流通为说。”
尔时四天王白佛言:“世尊,若有能持此经典者我当拥护,令其志愿皆得满足。所以者何?能持此经是法器故。”尔时世尊,普观众会而作是言:“诸仁者,我此所说甚深方广希有法门,非诸众生有少善根而能听受。能听受者即为承事供养于我,亦为荷担无上菩提。是人当得辩才无碍。决定生于清净佛土。是人临终定得亲见阿弥陀佛菩萨大众而现在前。我今在此耆阇崛山诸菩萨众所共围绕。彼临终时亦如是见。当知是人即为已得无尽法藏。当知是人得宿命智。当知是人不堕恶道。善男子,我今说此一切世间难信之法,设有众生作五逆罪,闻是经已书持读诵为人解说,所有业障咸得消除,终不受于恶趣之苦。斯人即为诸佛菩萨之所护念,在在所生诸根具足,蒙佛灌顶五眼清净。善男子,取要言之,我见是人已成佛道。”
佛说此经已,胜思惟等一切菩萨,及诸声闻天龙八部,皆大欢喜信受奉行。
唐中天竺三藏法师地婆诃罗奉敕译
如是我闻。一时佛在王舍城耆阇崛山中,与大菩萨无量百千亿那由他数,皆是大智精进善巧,证无言法获妙辩才,是处非处不相违反,善调身心具诸解脱,常游三昧不舍大悲,惭愧为身智慧为首,多所饶益如大宝洲,了知诸法善不善相,不著文字而有言说,于真俗门洞达无碍,深明实际不住其中,善能分别而无所受,虽厌生死常护世间,周遍十方有大名称,于真妙藏寂然宴息,虽现受身永出三界,而行诸有勉济众生,平等教诲志常贤善,平等怜愍心无染著,能令自他莫不清净,成就如是无量功德。其名曰胜思惟菩萨、法震音菩萨、妙身菩萨、法辋菩萨、辩积菩萨、持地菩萨、持世菩萨、大名称菩萨、具诸辩菩萨、千容相菩萨、功德山菩萨、莲华眼菩萨、莲华面菩萨、珠髻菩萨、妙音菩萨,如是等菩萨摩诃萨,皆如童子色相端严,于此众中而为上首。
尔时观自在菩萨与恒河沙等绍尊位者诸菩萨俱。殊胜见菩萨与无央数天帝释俱。虚空藏菩萨与无量菩萨及无量四天王众俱。大势至菩萨与无量亿梵天众俱。遍吉祥菩萨与无量婇女俱。普贤菩萨、不空见菩萨、星宿王菩萨、离疑菩萨、息诸盖菩萨、药王菩萨、药上菩萨,各与无量菩萨众俱。其中亦有无量诸佛,自变其身作菩萨像。尊者舍利弗、摩诃目揵连、摩诃迦叶,如是等大阿罗汉,各与无量声闻众俱。那罗延等无量天众,乃至恒沙国土日月诸天,威光照耀悉来佛所。至佛所已。彼天威光不能复现,犹如聚墨对阎浮金。婆楼那龙王、德叉迦龙王、阿那婆达多龙王、美音乾闼婆王、无扰浊迦楼罗王、各与无量诸眷属俱,来入此会。十方世界如恒河沙所有菩萨,咸于本土启请如来,与诸四众同时到此,各持种种出过世间殊好供事,奉上于佛诸菩萨已。即于会中坐莲华座。
尔时胜思惟菩萨摩诃萨从座而起,偏袒右肩右膝著地,合掌向佛,而作是言:“世尊,我今欲请二字之义,惟愿如来垂哀见许。”
佛告胜思惟菩萨言:“善男子,欲有问者随汝意问,如来不为一众生故出现世间。为欲利益无量众生而出现耳。于是胜思惟菩萨即白佛言:“世尊,何者一法,是诸菩萨所应永离?何者一法,是诸菩萨应常护持?何者一法,是诸如来现所觉了?”佛言:“善哉善哉!善男子,汝以如来威神之力,乃能问我如是深义。谛听谛听!善思念之,当为汝说。
“善男子,有一种法菩萨应离,所谓欲贪。善男子,如是一法是诸菩萨所应永离。善男子,复有一法菩萨应离,所谓瞋怒。如是一法是诸菩萨所应永离。善男子,复有一法菩萨应离,所谓愚痴。如是一法是诸菩萨所应永离。善男子,复有一法菩萨应离,所谓我取。善男子,复有一法菩萨应离,所谓疑惑。善男子,复有一法菩萨应离,所谓憍慢。善男子,复有一法菩萨应离,所谓懈怠。善男子,复有一法菩萨应离,所谓惛眠。善男子,复有一法菩萨应离,所谓爱著。善男子,如是一法,是诸菩萨所应永离。
“善男子,汝复问我,何者一法,是诸菩萨应常护持?善男子,谓诸菩萨非己所安不加于物。若诸菩萨守护此法,即是能持诸佛如来一切禁戒。何以故?自爱身命不应杀生。自重资财不应偷盗。自护妻室不应侵他。如是等行皆名一法。善男子。若有敬顺如来语者,于此一法常当忆念。何以故?无有众生爱乐于苦,凡有所作悉求安乐。乃至菩萨求阿耨多罗三藐三菩提,亦为自他皆得乐故。善男子,以如是义我说此言。非己所安不加于物,如是一法是诸菩萨应常护持。
“善男子,如汝所问何者一法是诸如来现所觉了。善男子,无有少法是如来觉。何以故?如来觉者无所觉故。善男子,一切法无生是如来觉。一切法无灭是如来觉。一切法离二边是如来觉。一切法不实是如来觉。善男子,诸业自性是如来觉。一切法从因缘生,是如来觉。因缘之法犹如电光,是如来觉。以因缘故而有诸业,是如来觉。善男子,一切法性普光明藏,是如来觉。善男子,何故法性名普光明藏?善男子,世出世智依之以生,如母怀子故名为藏。若智生时反照其本,如是法性为般若波罗蜜之所摄藏,是故名为普光明藏。善男子,一切法如幻如焰,是如来觉。善男子,诸法实性一味解脱,是如来觉。一味解脱是即名为普光明藏。善男子,一相法是如来觉。云何一相?所谓诸法不来不去、非因非缘、不生不灭、无取无舍、不增不减。善男子,诸法自性本无所有不可为喻,非是文辞之所辩说。如是一法,是诸如来现所觉了。”
当佛说此庄严王离文字普光明藏法门之时,有十地菩萨所见微尘数众生,悉发阿耨多罗三藐三菩提心。复有如是微尘数众生,皆发声闻辟支佛心。复有如是微尘数众生,在地狱者皆得离苦生人天中。无量菩萨得入初地。无量菩萨得百千三昧。无量众生悉蒙利益无空过者。
尔时佛告罗睺罗言:“善男子,我此法要汝当受持。”说是语时,会中有九十亿菩萨摩诃萨,承佛威神即皆避座,白佛言:“世尊,我等誓当受持如来所说法要,于此娑婆国土最后时中,见有其人流通为说。”
尔时四天王白佛言:“世尊,若有能持此经典者我当拥护,令其志愿皆得满足。所以者何?能持此经是法器故。”尔时世尊,普观众会而作是言:“诸仁者,我此所说甚深方广希有法门,非诸众生有少善根而能听受。能听受者即为承事供养于我,亦为荷担无上菩提。是人当得辩才无碍。决定生于清净佛土。是人临终定得亲见阿弥陀佛菩萨大众而现在前。我今在此耆阇崛山诸菩萨众所共围绕。彼临终时亦如是见。当知是人即为已得无尽法藏。当知是人得宿命智。当知是人不堕恶道。善男子,我今说此一切世间难信之法,设有众生作五逆罪,闻是经已书持读诵为人解说,所有业障咸得消除,终不受于恶趣之苦。斯人即为诸佛菩萨之所护念,在在所生诸根具足,蒙佛灌顶五眼清净。善男子,取要言之,我见是人已成佛道。”
佛说此经已,胜思惟等一切菩萨,及诸声闻天龙八部,皆大欢喜信受奉行。
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