【radio repo】
2021年10月10日
Flow 第百六十六回目「拓哉キャプテン × 堂本剛」Part2
click:https://t.cn/A6Movj4S
今月10月のマンスリーゲストは、堂本剛さんをお迎えしました!
ここでしか聞けないトーク、お楽しみに!
堂本:(事務所から)急に「明日デビュー」って言われたりとか、全部急だったんですよ、僕ら。事務所に呼ばれて“何かなぁ?”って思って行ったら、「明日デビューだから」って言われたんですよ。「あ、明日ですか?」みたいな。「明日会見するからね」って言われた。
木村:(CDデビューする)その前に、金田一少年(ドラマ『金田一少年の事件簿』・日本テレビ)だったり、わりと色々なことやってたじゃん。
堂本:CDデビューさせてもらう前にいろんな活動はしてたって感じなんですけど。なので、僕たち(KinKi Kids)はこういう感じでいくのかなぁ…くらいに思ってたところで。
木村:そしたら急に呼ばれて、「明日デビューね」って。
堂本:はい。「家族にも言わないで」って言われたんですよ。「え? お母さんにも…」「あ、言わないで!」って。僕、真面目に、“言ったらアカンのか”って思って(デビューすることを)言わなかったんですよ。そしたら家族、そりゃビックリしますよね。「デビューすんの!?」みたいな。だから、Kinki Kidsは全部が「?」だらけで始まっていっちゃったって感じですね。
木村:でも、始まり方としては、とてつもない始まり方したじゃん。「硝子の少年」っていうやつ(曲)で。
堂本:はい。「硝子の少年」も…これもですね、先輩方のデビュー曲って、パーンッて感じの、キラキラキラーッてした感じの楽曲ってイメージがあって。当時、その時代はユーロビートとかが流行ってた時代なので。
木村:ですね。
堂本:そんな雰囲気の音楽が世の中に流れてたところに、急にマイナーコードの歌謡曲テイストの楽曲(「硝子の少年」)がドーンと入ってきて。これでデビューするってなったんで、それもかなり驚きました。
木村:(自分の場合は)楽曲に対する意識が全然なかったかも。
堂本:感覚的にですけど、デビュー曲ってもっと明るい派手なイメージだったので、(デビュー曲が「硝子の少年」に決まって)“え? この感じ?”と思いながら…でも、色々と聞いてたら、社長(ジャニーさん)も「この暗いのでいくの?」みたいな雰囲気はあったっていう話で。でも、周りのスタッフと色々話して「これでいきましょう!」っていうことで「硝子の少年」になったって話でした。
木村:へ〜!
堂本:今となっては、あの楽曲(「硝子の少年」)でデビューさせていただいて良かったなと思うことばっかりですけど、当時は若かったんで。
木村:今振り返ると、「硝子の少年」って良いよね。
堂本:とてつもない曲だなと思います。歌詞とかもそうですし、メロディもアレンジもそう。自分が音楽を勉強していく上でも、松本さんと達郎さん(作詞:松本隆、作曲・編曲:山下達郎)お2人の当時のご年齢や色々な状況の中で、10代の、ジャニーズのアイドルに曲を書くっていう時に、「よし! これでいこう!」みたいに(曲を生み)出していく感じとか、カッコいいなぁと。創り手として考えても、すごい曲だなって思いますね。
(松本隆さんと山下達郎さんは)「僕たちが歳を取っても歌えるようなデビュー曲を書きたい!」っていうテーマで書いて下さったっていうのも聞きまして。そこまで考えてもらって出来上がった曲だったんだなぁと。本当に、振り返っても、色々体感しても体験しても、もう1回勉強しなおしても、“デビュー曲”というもののすごさと、そこに込めてもらってる色々な想いというのはずっと続いていくもんなんだなぁ…とか、自分が歳を取る毎に、(曲に対して)深みが変わってくる、不思議なものだなと思って。今も大切に歌わさせてもらってますけど、いまだに難しいんですよ。ちょっと難しいです、この曲。
木村:そうなの? デビューってことで、パフォーマンスする際にはダンスもあったじゃん。で、“曲としては難しい”ってなったら、かなりハードル高いじゃないですか。
堂本:ハードル高いんですよねぇ。だから、(イントロ部分の)メロディが下りて“雨が~”って入るこの時が1番、めちゃくちゃ緊張するんですよね。なんか無意識に力入っちゃいますね。毎回緊張してるんですよ、この曲歌う時。
木村:そうなんだ。そういう風には見えてなかったなぁ。
堂本:“今日はなんか上手くいったなぁ”って時と“今日はちょっと全然アカンかったなぁ”って時と。ほんとになんか、「お前次第やからな!」って言われてる感じもあって、すごく大変っていうか、勉強になる曲ですね。
M1. 硝子の少年/KinKi Kids
木村:音楽面でかなり大きな影響を剛に与えたって考えると、やっぱり音楽番組の『LOVE LOVE あいしてる』(フジテレビ)って相当だよ。
堂本:相当です。お兄さんにも来ていただきましたけど。
木村:お邪魔しました。
堂本:いわゆる、音楽業界のモンスターだらけでしたので。
木村:そうだよね。『LOVE LOVE あいしてる』のスタッフの方が音楽大好きで、ミュージシャンの方たちに対してのリスペクトもものすごくあった人だったから、そこにいてくれたバンドのメンバーのことは、あまり詳しくなくても知ってたもん。
堂本:ほんとにそんな感じでした。一番最初に「吉田拓郎さんと(番組を)やります」って言われた時に「え、どなたですか?」って。僕ら2人はほんと失礼な(笑)。拓郎さんも「こんな若者と…」みたいな感じで(笑)。でも、「すごい組み合わせだな!」って周りが言うんですよ。「あの吉田拓郎がテレビ出て、こんなちっちゃい子供と番組やる?」みたいな。“すごいことなんだなぁ”と思いながら、でも、周りの人は“吉田拓郎”という人を「こういう目で」「ああいう目で」見てるかも知れないけど、僕は「僕の目」で吉田拓郎という人を見ようと思って接したので。
それで、そのままずっと接しさせてもらう中で、“この人、すごい人なんや”ということを理解し、色々調べて“この人が僕と同じ歳の時にこのステージに立って、この歌歌ってんの?”とか、色々衝撃を受けながら、だんだん“音楽”っていうものの更に深みに招待してもらったというか。「こういうところが面白いんだよ」「こういうところが大変なんだけど、でも、ここがまたやっぱり音楽を作る喜びなんだよ」とか、そういうことを自然と教えてもらったので、あの番組はほんとに大きかったですね。
木村:(ギターは)あそこ(番組)で弾くようになった?
堂本:寮に岡本(健一)君が置いていってたオベーションのギターがあったんですよ。そのギターを長瀬(智也)君が弾いてて。「ああ、ギター弾けるようになりたいなぁ…」って言ったら、「剛も弾けばいいじゃん」って言われて、その時に弾いたのが、本当は一番最初なんです。その後に『LOVE LOVE あいしてる』で「ギターを演ります」って言われて。“いや、弾きたいと思ったけど、宿題がめちゃくちゃ多いなぁ”って思いながら。
木村:仕事になっちゃうとね。
堂本:なので、ドラマとかをさせていただく合間に帰って(ギターの)譜面を見て覚えて、それで当日行って(演奏する)とかやっていたので、最初の頃は楽しむまで余裕はなかったですけど。
木村:もう「仕事」という形で宿題を出され。
堂本:譜面を見るのが当時はしんどかったんですけど、今は譜面見るのも楽しくはなってまして。「ああ、こうか、ああか」って言いながらやるんですけど、昔は譜面、ほんと見たくなかったですね。
木村・堂本:(笑)。
堂本:それくらい、“毎日これやるんや…”って感じで。
木村:けっこう“漬け”だったんだね。
堂本:漬けでしたね。で、現場に行って、拓郎さんとか坂崎(幸之助)さんを捕まえて「すいません、ここわからないんですけど」って。
木村:すごいよね。「ちょっとわからないんですけど」って聞く相手が拓郎さんか坂崎さんっていう(笑)。すごい先生だよね。
堂本:すごいんです。贅沢な環境なんですよ。すごい先生がいっぱいいるので、「アベンジャーズ」の状態じゃないですか。
木村:そうだね、音楽アベンジャーズに囲まれて。
堂本:で、「おい新人!」って言われて「はい!」って入ったような感じなので。これはもうアベンジャーズに聞いた方が早いし。
木村:まぁそうだね、力は強いけどね。アベンジャーズだから(笑)。
堂本:(笑)。拓郎さんとかはたまに、「うん、考えなくていいよ、そんなのは」って言う。
木村:(吉田拓郎は)ブルース・リーの領域だもん、それは(笑)。領域的には。
堂本:(笑)。ほんとブルース・リーの領域でした。「あ、全然考えることじゃないから」とか(笑)。「え? 拓郎さん、教えて下さいって言ってるんですよ?」「いい、いい教えることない! 大丈夫だから、考えることじゃないから」って「え?」って、そのままステージに行ったりとか。でも、それが逆に良かったりとかもしますし、色々わかってやってくださってるんだなぁという思い出しかないです、この番組には。
木村:すごいよね。だって、エアロスミスとか行ったよね。ジェームス・ブラウンも。
堂本:そうですね、イングヴェイ・マルムスティーンとかも来ましたし。いろんな方々が来てくださいましたね。
木村:いやぁ、すごいなぁ。
堂本:その時は忙しすぎて、今みたいな“すげーなー!”みたいな気持ちよりも、“とにかくこれをこなしていかないと!”という気持ちが強くて。
木村:だから、自分がお邪魔させていただいた時も、なんか音楽バラエティっていう雰囲気はあるじゃん。『LOVE LOVE あいしてる』っていうタイトルだし。で、行ったらKinki Kidsいるし、“あ、じゃあ…”ってすごいカジュアルなテンションで「お願いしまーす」って感じで行くと、自分を迎えてくれるのがアベンジャーズだから、“やっべぇ!”っていう。
堂本:アベンジャーズ、無言の圧あるじゃないですか。圧力をかけてるわけじゃなくて、オーラですね。
木村:オーラ半端ないよね。
堂本:エメラルドのオーラの中に包まれてずっとやってましたんで、途中でよくわからなくなってきましたもん。拓郎さんてすごい人なんですけど、もう「拓ちゃん」って呼んでた時もありましたから(笑)。
木村:(笑)。
堂本:「拓ちゃ~ん」って。「ちゃんと拓郎さんって呼べ!」ってそういうやり取りとかもさせてもらってる位、ちょっとどうかしてましたね(笑)。
木村:どうかしてましたって言うより、そこまでKinKi Kidsがいったんじゃない? “アベンジャー”になったからじゃないの?
堂本:アベンジャーになってたんですかね?
木村:なってないと呼べないしょ? 「拓ちゃん」だなんて(笑)。
堂本:みなさんが後輩の僕たちに対して目線を合わせてくださったりとかすることが多かったから、自分たちもそういう風にくだけることもできたし、本当にいろんなことを学びました。
M2. 全部だきしめて/KinKi Kids
(後TM:MOJO DRIVE/木村拓哉)
2021年10月10日
Flow 第百六十六回目「拓哉キャプテン × 堂本剛」Part2
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今月10月のマンスリーゲストは、堂本剛さんをお迎えしました!
ここでしか聞けないトーク、お楽しみに!
堂本:(事務所から)急に「明日デビュー」って言われたりとか、全部急だったんですよ、僕ら。事務所に呼ばれて“何かなぁ?”って思って行ったら、「明日デビューだから」って言われたんですよ。「あ、明日ですか?」みたいな。「明日会見するからね」って言われた。
木村:(CDデビューする)その前に、金田一少年(ドラマ『金田一少年の事件簿』・日本テレビ)だったり、わりと色々なことやってたじゃん。
堂本:CDデビューさせてもらう前にいろんな活動はしてたって感じなんですけど。なので、僕たち(KinKi Kids)はこういう感じでいくのかなぁ…くらいに思ってたところで。
木村:そしたら急に呼ばれて、「明日デビューね」って。
堂本:はい。「家族にも言わないで」って言われたんですよ。「え? お母さんにも…」「あ、言わないで!」って。僕、真面目に、“言ったらアカンのか”って思って(デビューすることを)言わなかったんですよ。そしたら家族、そりゃビックリしますよね。「デビューすんの!?」みたいな。だから、Kinki Kidsは全部が「?」だらけで始まっていっちゃったって感じですね。
木村:でも、始まり方としては、とてつもない始まり方したじゃん。「硝子の少年」っていうやつ(曲)で。
堂本:はい。「硝子の少年」も…これもですね、先輩方のデビュー曲って、パーンッて感じの、キラキラキラーッてした感じの楽曲ってイメージがあって。当時、その時代はユーロビートとかが流行ってた時代なので。
木村:ですね。
堂本:そんな雰囲気の音楽が世の中に流れてたところに、急にマイナーコードの歌謡曲テイストの楽曲(「硝子の少年」)がドーンと入ってきて。これでデビューするってなったんで、それもかなり驚きました。
木村:(自分の場合は)楽曲に対する意識が全然なかったかも。
堂本:感覚的にですけど、デビュー曲ってもっと明るい派手なイメージだったので、(デビュー曲が「硝子の少年」に決まって)“え? この感じ?”と思いながら…でも、色々と聞いてたら、社長(ジャニーさん)も「この暗いのでいくの?」みたいな雰囲気はあったっていう話で。でも、周りのスタッフと色々話して「これでいきましょう!」っていうことで「硝子の少年」になったって話でした。
木村:へ〜!
堂本:今となっては、あの楽曲(「硝子の少年」)でデビューさせていただいて良かったなと思うことばっかりですけど、当時は若かったんで。
木村:今振り返ると、「硝子の少年」って良いよね。
堂本:とてつもない曲だなと思います。歌詞とかもそうですし、メロディもアレンジもそう。自分が音楽を勉強していく上でも、松本さんと達郎さん(作詞:松本隆、作曲・編曲:山下達郎)お2人の当時のご年齢や色々な状況の中で、10代の、ジャニーズのアイドルに曲を書くっていう時に、「よし! これでいこう!」みたいに(曲を生み)出していく感じとか、カッコいいなぁと。創り手として考えても、すごい曲だなって思いますね。
(松本隆さんと山下達郎さんは)「僕たちが歳を取っても歌えるようなデビュー曲を書きたい!」っていうテーマで書いて下さったっていうのも聞きまして。そこまで考えてもらって出来上がった曲だったんだなぁと。本当に、振り返っても、色々体感しても体験しても、もう1回勉強しなおしても、“デビュー曲”というもののすごさと、そこに込めてもらってる色々な想いというのはずっと続いていくもんなんだなぁ…とか、自分が歳を取る毎に、(曲に対して)深みが変わってくる、不思議なものだなと思って。今も大切に歌わさせてもらってますけど、いまだに難しいんですよ。ちょっと難しいです、この曲。
木村:そうなの? デビューってことで、パフォーマンスする際にはダンスもあったじゃん。で、“曲としては難しい”ってなったら、かなりハードル高いじゃないですか。
堂本:ハードル高いんですよねぇ。だから、(イントロ部分の)メロディが下りて“雨が~”って入るこの時が1番、めちゃくちゃ緊張するんですよね。なんか無意識に力入っちゃいますね。毎回緊張してるんですよ、この曲歌う時。
木村:そうなんだ。そういう風には見えてなかったなぁ。
堂本:“今日はなんか上手くいったなぁ”って時と“今日はちょっと全然アカンかったなぁ”って時と。ほんとになんか、「お前次第やからな!」って言われてる感じもあって、すごく大変っていうか、勉強になる曲ですね。
M1. 硝子の少年/KinKi Kids
木村:音楽面でかなり大きな影響を剛に与えたって考えると、やっぱり音楽番組の『LOVE LOVE あいしてる』(フジテレビ)って相当だよ。
堂本:相当です。お兄さんにも来ていただきましたけど。
木村:お邪魔しました。
堂本:いわゆる、音楽業界のモンスターだらけでしたので。
木村:そうだよね。『LOVE LOVE あいしてる』のスタッフの方が音楽大好きで、ミュージシャンの方たちに対してのリスペクトもものすごくあった人だったから、そこにいてくれたバンドのメンバーのことは、あまり詳しくなくても知ってたもん。
堂本:ほんとにそんな感じでした。一番最初に「吉田拓郎さんと(番組を)やります」って言われた時に「え、どなたですか?」って。僕ら2人はほんと失礼な(笑)。拓郎さんも「こんな若者と…」みたいな感じで(笑)。でも、「すごい組み合わせだな!」って周りが言うんですよ。「あの吉田拓郎がテレビ出て、こんなちっちゃい子供と番組やる?」みたいな。“すごいことなんだなぁ”と思いながら、でも、周りの人は“吉田拓郎”という人を「こういう目で」「ああいう目で」見てるかも知れないけど、僕は「僕の目」で吉田拓郎という人を見ようと思って接したので。
それで、そのままずっと接しさせてもらう中で、“この人、すごい人なんや”ということを理解し、色々調べて“この人が僕と同じ歳の時にこのステージに立って、この歌歌ってんの?”とか、色々衝撃を受けながら、だんだん“音楽”っていうものの更に深みに招待してもらったというか。「こういうところが面白いんだよ」「こういうところが大変なんだけど、でも、ここがまたやっぱり音楽を作る喜びなんだよ」とか、そういうことを自然と教えてもらったので、あの番組はほんとに大きかったですね。
木村:(ギターは)あそこ(番組)で弾くようになった?
堂本:寮に岡本(健一)君が置いていってたオベーションのギターがあったんですよ。そのギターを長瀬(智也)君が弾いてて。「ああ、ギター弾けるようになりたいなぁ…」って言ったら、「剛も弾けばいいじゃん」って言われて、その時に弾いたのが、本当は一番最初なんです。その後に『LOVE LOVE あいしてる』で「ギターを演ります」って言われて。“いや、弾きたいと思ったけど、宿題がめちゃくちゃ多いなぁ”って思いながら。
木村:仕事になっちゃうとね。
堂本:なので、ドラマとかをさせていただく合間に帰って(ギターの)譜面を見て覚えて、それで当日行って(演奏する)とかやっていたので、最初の頃は楽しむまで余裕はなかったですけど。
木村:もう「仕事」という形で宿題を出され。
堂本:譜面を見るのが当時はしんどかったんですけど、今は譜面見るのも楽しくはなってまして。「ああ、こうか、ああか」って言いながらやるんですけど、昔は譜面、ほんと見たくなかったですね。
木村・堂本:(笑)。
堂本:それくらい、“毎日これやるんや…”って感じで。
木村:けっこう“漬け”だったんだね。
堂本:漬けでしたね。で、現場に行って、拓郎さんとか坂崎(幸之助)さんを捕まえて「すいません、ここわからないんですけど」って。
木村:すごいよね。「ちょっとわからないんですけど」って聞く相手が拓郎さんか坂崎さんっていう(笑)。すごい先生だよね。
堂本:すごいんです。贅沢な環境なんですよ。すごい先生がいっぱいいるので、「アベンジャーズ」の状態じゃないですか。
木村:そうだね、音楽アベンジャーズに囲まれて。
堂本:で、「おい新人!」って言われて「はい!」って入ったような感じなので。これはもうアベンジャーズに聞いた方が早いし。
木村:まぁそうだね、力は強いけどね。アベンジャーズだから(笑)。
堂本:(笑)。拓郎さんとかはたまに、「うん、考えなくていいよ、そんなのは」って言う。
木村:(吉田拓郎は)ブルース・リーの領域だもん、それは(笑)。領域的には。
堂本:(笑)。ほんとブルース・リーの領域でした。「あ、全然考えることじゃないから」とか(笑)。「え? 拓郎さん、教えて下さいって言ってるんですよ?」「いい、いい教えることない! 大丈夫だから、考えることじゃないから」って「え?」って、そのままステージに行ったりとか。でも、それが逆に良かったりとかもしますし、色々わかってやってくださってるんだなぁという思い出しかないです、この番組には。
木村:すごいよね。だって、エアロスミスとか行ったよね。ジェームス・ブラウンも。
堂本:そうですね、イングヴェイ・マルムスティーンとかも来ましたし。いろんな方々が来てくださいましたね。
木村:いやぁ、すごいなぁ。
堂本:その時は忙しすぎて、今みたいな“すげーなー!”みたいな気持ちよりも、“とにかくこれをこなしていかないと!”という気持ちが強くて。
木村:だから、自分がお邪魔させていただいた時も、なんか音楽バラエティっていう雰囲気はあるじゃん。『LOVE LOVE あいしてる』っていうタイトルだし。で、行ったらKinki Kidsいるし、“あ、じゃあ…”ってすごいカジュアルなテンションで「お願いしまーす」って感じで行くと、自分を迎えてくれるのがアベンジャーズだから、“やっべぇ!”っていう。
堂本:アベンジャーズ、無言の圧あるじゃないですか。圧力をかけてるわけじゃなくて、オーラですね。
木村:オーラ半端ないよね。
堂本:エメラルドのオーラの中に包まれてずっとやってましたんで、途中でよくわからなくなってきましたもん。拓郎さんてすごい人なんですけど、もう「拓ちゃん」って呼んでた時もありましたから(笑)。
木村:(笑)。
堂本:「拓ちゃ~ん」って。「ちゃんと拓郎さんって呼べ!」ってそういうやり取りとかもさせてもらってる位、ちょっとどうかしてましたね(笑)。
木村:どうかしてましたって言うより、そこまでKinKi Kidsがいったんじゃない? “アベンジャー”になったからじゃないの?
堂本:アベンジャーになってたんですかね?
木村:なってないと呼べないしょ? 「拓ちゃん」だなんて(笑)。
堂本:みなさんが後輩の僕たちに対して目線を合わせてくださったりとかすることが多かったから、自分たちもそういう風にくだけることもできたし、本当にいろんなことを学びました。
M2. 全部だきしめて/KinKi Kids
(後TM:MOJO DRIVE/木村拓哉)
明朝一男子名叫施复,家住盛泽镇,和妻子喻氏养蚕缫丝为生,因规模太小,收入只够温饱。
一日,施复带着织好的四匹绸布到相熟的牙行出售。卖了绸布,施复将银子包好收入袖中,转身离开。
刚出店门,他捡到一个青布包,里面是两锭银子和几个碎银,大概六两,他心中暗自窃喜:有这银子就可以扩大生产了。
他边走边憧憬着未来,快到家时,忽然想到:若是丢银之人与我一般辛苦度日,那得多着急啊。于是,施复回到捡银之处,等待失主。等了半天,施复饥饿难耐,先回家吃饭吧,又觉得不妥。又等好久,才见一年轻人慌张地问路人有没有见到青布包。
施复叫住他,问说青布包里是什么,年轻人所说与自己捡到的一致,施复便将青布包还给他。
年轻人要分一半银子给施复,又想请他吃饭,都被他拒绝了。
回家后,施复跟喻氏说了还银之事,喻氏很认可他的做法,说,自古道:‘横财不富命穷人。傥然命里没时,得了他反生灾作难,到未可知。”
那年,施复养的蚕都结丝茧,茧缫出的丝都粗细均匀,且产量比别人多。他的绸布光彩润泽,各牙行竞相收购。连续几年如此,施复扩大规模,赚了不少钱。
后来,喻氏生下儿子,取名观保。
有一年桑叶奇缺,施复和十几个桑户一起到洞庭山收购桑叶。一伙人雇船午时沿湖而行,来到滩阙已近傍晚,停船做饭,才发现没带打火石。
施复自告奋勇,上岸借火。进村一看,家家户户门窗紧闭,他才想起:养蚕最忌生人,借火更是大忌。此时,他才后悔不已。硬着头皮,他敲开一家门,一个妇女豪不忌讳地给了他火种。施复转身没走多远,却被叫住,妇女说:“你的钱包掉了!”
施复感激不尽,妇女说:“不足挂齿,我丈夫前些年掉了六两银子也碰上好人了,才得以归还。”
施复一问,才知她丈夫正是自己捡到的青布包的失主。妇女赶紧叫出丈夫相认,那年轻人叫朱恩,想与施复多叙旧日恩情,施复却急着带火种回船。
朱恩说家中桑叶甚多,明日送至施复家,邀他今晚留宿。施复送完火种,告别众桑户又来到朱恩家。
朱恩吩咐妻子杀鸡,施复却阻止说:“鸡已入笼睡觉了,为了我而杀鸡,实在于心不忍!”
朱恩妻子就简单准备了几个菜,热了些酒,他们便吃上了。朱恩说到前几年自己的桑叶不够,得向别人买,今年桑树数量不变却多出很多桑叶,正好能给施复。
两人都认为这是冥冥之中,自有天数,越谈越高兴,遂结拜为兄弟,施复为兄,朱恩为弟。谈及施复有个二岁儿子,朱恩有个两岁女儿,两人便结为儿女亲家。
喝完酒,朱恩在堂中右边支好床铺,施复上床就寝。
半夜,施复被鸡叫声吵醒,那些鸡似乎是被什么咬住,他以为是黄鼠狼在偷鸡,便起身走去查看。刚离开床位,便听到一阵山崩地裂的响声,施复吓坏了。
朱恩一家被惊醒了,朱恩点灯赶过来看,原来是施复床位正上方的梁上放着的车轴,掉下砸碎了床铺。
施复心有余悸,幸亏鸡叫声提醒,不然自己早已没命了。朱恩找了个安全的位置,打好地铺,与施复同睡。
次日,施复吃过早饭就想回家。朱恩说:“正下雨呢,雨停了再走吧。”一家人都来苦劝,施复拗不过,只好留下。
第三日,雨停了,朱恩采好桑叶,雇了船,和施复一同出发。不一日,到了盛泽,施复叫人将桑叶搬回家,引朱恩与家人相见。朱恩见到观保长得眉清目秀,特别满意。喻氏见过朱恩,听施复讲了几日来的经历,又惊又喜。
正吃着酒,突然听到邻居间一片哭声,才得知过湖买桑的船翻了,十几个人都淹死了,只有一个抓着木板飘着回来了。施复向朱恩谢道:“若不是你留我多住一日,我早已淹死了。”朱恩留宿一晚。
次日,施复备了礼物,送朱恩起程回家。这年,施复买丝赚了钱,别往年多了好几倍。
从此,施复生意越做越大,家业也不断扩大,与朱恩往来也十分频繁。施朱两家因善结缘,因善而发家,之后便经常行善。
后来,施观保娶朱恩女儿过门,夫妻和顺,施复与喻氏活到八十几岁无疾而终。
故事改编自冯梦龙的《施润泽滩阙遇友》,讲述了“好命人”施复遇到的种种巧合之事。而喻氏对于不义之财的态度,也说明了施复一家内心是充满阳光的。妻贤家和夫妇同心万事兴。人非圣人,也会对意外之财充满欢喜,也会期待有了这些钱财后对生活的改变,但是内心的善念会让我们思己及人,如果我是失者,会怎么样?正所谓,己所不欲勿施于人,所以,莫以善小而不为,莫以恶小而为之。诸事心安为上。
君子爱财,取之有道。行善积德,好人好报
施复的一个善举,首先影响了朱恩,他家破除了养蚕人对陌生人的忌讳,从而让施复进入善的循环。
有一句话说的是:你的内心呼唤什么,就会得到什么回应。内心行善,生命就会走向光明;内心邪恶,生活就会阴霾漫布。
一日,施复带着织好的四匹绸布到相熟的牙行出售。卖了绸布,施复将银子包好收入袖中,转身离开。
刚出店门,他捡到一个青布包,里面是两锭银子和几个碎银,大概六两,他心中暗自窃喜:有这银子就可以扩大生产了。
他边走边憧憬着未来,快到家时,忽然想到:若是丢银之人与我一般辛苦度日,那得多着急啊。于是,施复回到捡银之处,等待失主。等了半天,施复饥饿难耐,先回家吃饭吧,又觉得不妥。又等好久,才见一年轻人慌张地问路人有没有见到青布包。
施复叫住他,问说青布包里是什么,年轻人所说与自己捡到的一致,施复便将青布包还给他。
年轻人要分一半银子给施复,又想请他吃饭,都被他拒绝了。
回家后,施复跟喻氏说了还银之事,喻氏很认可他的做法,说,自古道:‘横财不富命穷人。傥然命里没时,得了他反生灾作难,到未可知。”
那年,施复养的蚕都结丝茧,茧缫出的丝都粗细均匀,且产量比别人多。他的绸布光彩润泽,各牙行竞相收购。连续几年如此,施复扩大规模,赚了不少钱。
后来,喻氏生下儿子,取名观保。
有一年桑叶奇缺,施复和十几个桑户一起到洞庭山收购桑叶。一伙人雇船午时沿湖而行,来到滩阙已近傍晚,停船做饭,才发现没带打火石。
施复自告奋勇,上岸借火。进村一看,家家户户门窗紧闭,他才想起:养蚕最忌生人,借火更是大忌。此时,他才后悔不已。硬着头皮,他敲开一家门,一个妇女豪不忌讳地给了他火种。施复转身没走多远,却被叫住,妇女说:“你的钱包掉了!”
施复感激不尽,妇女说:“不足挂齿,我丈夫前些年掉了六两银子也碰上好人了,才得以归还。”
施复一问,才知她丈夫正是自己捡到的青布包的失主。妇女赶紧叫出丈夫相认,那年轻人叫朱恩,想与施复多叙旧日恩情,施复却急着带火种回船。
朱恩说家中桑叶甚多,明日送至施复家,邀他今晚留宿。施复送完火种,告别众桑户又来到朱恩家。
朱恩吩咐妻子杀鸡,施复却阻止说:“鸡已入笼睡觉了,为了我而杀鸡,实在于心不忍!”
朱恩妻子就简单准备了几个菜,热了些酒,他们便吃上了。朱恩说到前几年自己的桑叶不够,得向别人买,今年桑树数量不变却多出很多桑叶,正好能给施复。
两人都认为这是冥冥之中,自有天数,越谈越高兴,遂结拜为兄弟,施复为兄,朱恩为弟。谈及施复有个二岁儿子,朱恩有个两岁女儿,两人便结为儿女亲家。
喝完酒,朱恩在堂中右边支好床铺,施复上床就寝。
半夜,施复被鸡叫声吵醒,那些鸡似乎是被什么咬住,他以为是黄鼠狼在偷鸡,便起身走去查看。刚离开床位,便听到一阵山崩地裂的响声,施复吓坏了。
朱恩一家被惊醒了,朱恩点灯赶过来看,原来是施复床位正上方的梁上放着的车轴,掉下砸碎了床铺。
施复心有余悸,幸亏鸡叫声提醒,不然自己早已没命了。朱恩找了个安全的位置,打好地铺,与施复同睡。
次日,施复吃过早饭就想回家。朱恩说:“正下雨呢,雨停了再走吧。”一家人都来苦劝,施复拗不过,只好留下。
第三日,雨停了,朱恩采好桑叶,雇了船,和施复一同出发。不一日,到了盛泽,施复叫人将桑叶搬回家,引朱恩与家人相见。朱恩见到观保长得眉清目秀,特别满意。喻氏见过朱恩,听施复讲了几日来的经历,又惊又喜。
正吃着酒,突然听到邻居间一片哭声,才得知过湖买桑的船翻了,十几个人都淹死了,只有一个抓着木板飘着回来了。施复向朱恩谢道:“若不是你留我多住一日,我早已淹死了。”朱恩留宿一晚。
次日,施复备了礼物,送朱恩起程回家。这年,施复买丝赚了钱,别往年多了好几倍。
从此,施复生意越做越大,家业也不断扩大,与朱恩往来也十分频繁。施朱两家因善结缘,因善而发家,之后便经常行善。
后来,施观保娶朱恩女儿过门,夫妻和顺,施复与喻氏活到八十几岁无疾而终。
故事改编自冯梦龙的《施润泽滩阙遇友》,讲述了“好命人”施复遇到的种种巧合之事。而喻氏对于不义之财的态度,也说明了施复一家内心是充满阳光的。妻贤家和夫妇同心万事兴。人非圣人,也会对意外之财充满欢喜,也会期待有了这些钱财后对生活的改变,但是内心的善念会让我们思己及人,如果我是失者,会怎么样?正所谓,己所不欲勿施于人,所以,莫以善小而不为,莫以恶小而为之。诸事心安为上。
君子爱财,取之有道。行善积德,好人好报
施复的一个善举,首先影响了朱恩,他家破除了养蚕人对陌生人的忌讳,从而让施复进入善的循环。
有一句话说的是:你的内心呼唤什么,就会得到什么回应。内心行善,生命就会走向光明;内心邪恶,生活就会阴霾漫布。
#薇娅[超话]# 薇娅你好,平时很喜欢在你的直播间买东西,但是这次购物体验有点差!在6月15号左右的直播间购买了“大吃兄”锅巴,吃了六七小包以后,在一包中吃到一颗老鼠屎! 联系产品上的厂家,居然让我联系下单平台,联系了天猫平台,让我等高级客服电话等了五天也没处理解决! 请薇娅团对给个说法!#冒个泡#
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