满招损,谦受益,时乃天道!
《尚书·大禹谟》曰:“满招损,谦受益,时乃天道。”是对低调为人者的最好诠释。意思是说,谦虚的人会受到益处,自满的人会招来损害,这是普遍的真理。
常言道:“天不言自高,地不言自厚。”越是沉穗的谷子,越是低下头。
然而,现实生活中,很多人忘了“成由谦逊败由奢”的道理,经常以一副高高在上的样子,什么时候都高昂着头,不看脚下的路,结果使自己跌跤。
欲成事者必须要宽容于人,进而为人们所悦纳、所欣赏、所钦佩,这是人的立世之根基。
根基扎得深,才会有繁枝茂叶,累累硕果;倘若根基浅薄,难免会有枝枯叶衰,经不起风雨。
而低调做人,就是在社会上加固立世之根基;立天下之正位,行天下之大道。
低调做人,不仅可以保护自己、融入社会,与人和谐友好地相处,也可以让人暗蓄力量、悄然潜行,在不显山、不露水中,成就一番辉煌的事业。
不喧闹、不娇情、不造作、不假惺惺、不卷入是非。即使认为自己満腹经伦、才华横溢,能力超群,也要学会抱朴藏拙。
学会淡定、从容,是人性成熟、良性的显现。
用平和的心态来看待世间的一切事物。
若修炼到此种境界,为人便能善始善终,让人在卑微时安贫乐道,豁达大度;在显赫时持盈若亏,不躁、不娇、不诳。
#崂山太清宫# #道教[超话]# #道教知识[超话]# #道教# #道家养生# #修行[超话]# #闻道行道# #崂山# #道家# https://t.cn/A6MPap0Y
《尚书·大禹谟》曰:“满招损,谦受益,时乃天道。”是对低调为人者的最好诠释。意思是说,谦虚的人会受到益处,自满的人会招来损害,这是普遍的真理。
常言道:“天不言自高,地不言自厚。”越是沉穗的谷子,越是低下头。
然而,现实生活中,很多人忘了“成由谦逊败由奢”的道理,经常以一副高高在上的样子,什么时候都高昂着头,不看脚下的路,结果使自己跌跤。
欲成事者必须要宽容于人,进而为人们所悦纳、所欣赏、所钦佩,这是人的立世之根基。
根基扎得深,才会有繁枝茂叶,累累硕果;倘若根基浅薄,难免会有枝枯叶衰,经不起风雨。
而低调做人,就是在社会上加固立世之根基;立天下之正位,行天下之大道。
低调做人,不仅可以保护自己、融入社会,与人和谐友好地相处,也可以让人暗蓄力量、悄然潜行,在不显山、不露水中,成就一番辉煌的事业。
不喧闹、不娇情、不造作、不假惺惺、不卷入是非。即使认为自己満腹经伦、才华横溢,能力超群,也要学会抱朴藏拙。
学会淡定、从容,是人性成熟、良性的显现。
用平和的心态来看待世间的一切事物。
若修炼到此种境界,为人便能善始善终,让人在卑微时安贫乐道,豁达大度;在显赫时持盈若亏,不躁、不娇、不诳。
#崂山太清宫# #道教[超话]# #道教知识[超话]# #道教# #道家养生# #修行[超话]# #闻道行道# #崂山# #道家# https://t.cn/A6MPap0Y
#柳浩太郎[超话]#
INS更新:
ーーー
ちーッス.オレやなぎッス.
実は、映画「リョーマ!」の舞台挨拶をやったんスよね.この仕事のオファーにOKは出したが、現場に行くまで、かなりの話し合いが行われていた.
舞台挨拶が正式に発表され、その一覧を見た瞬間、「は?行くのやめよ.」と思った.
僕はいろんな思いで、初代リョーマをやってきた.途中、交通事故に合い、意識が飛び、木村様(Kimeru)に代役をやっていただいたが、僕は初代リョーマを譲っていない.木村様は初代、不二周助.そのプライドはどこへ….そしてテニミュの女神様(裏のボス)だ.
僕はリョーマをやってて、途中、バディになっていただいたのはダーリン(遠藤雄弥)だ.僕がデビューしてから、ずっと参考に、世話になっていた先輩だ.だが、ダーリンにも「初代」を譲ってはいない.
後、他の奴らと一緒にされてる感じが嫌だった.
〜テニミュに対する気持ちが違ぇんだよ〜
だが、先生(許斐剛)にはめっちゃ感謝してる.先生がいたから、この業界に入れたようなものだ.
この2つの気持ちが格闘していたが、いろんな方からのDM、Tel、マネージャーからの…いろいろあったが、ここは先生への感謝の気持ちの方が勝ったのだ.
…どうだ?あの舞台挨拶に参加するまで、パラリンピックの閉会式に参加していた気持ちとは別の思いの格闘があった.
そんな中、参加した.現場に着いた瞬間、サプライズがあった.それは、約8年前まで一緒のグループにいたリューキ(高橋龍輝)が駆け寄ってきて挨拶をしてくれたのだ.…僕の脳の中で、リューキは「生意気、態度悪い、礼儀知らず、クソヤロー.」だったため、リューキが僕の前に来た瞬間、目尻に力が入った.だが彼は「おはようございます!お久しぶりです!今日はよろしくお願いします!」と.8年前の彼は3、5、6…いや、8年前だ.いろいろ学び成長したに違いない.か、か、可愛い.現場に到着をし、1つ目のサプライズをくらった.
サプライズの2ndは先生だった.先生に挨拶した時、「来てくれてありがとね.柳がいなかったらテニミュはここまで大きくなってないよー.」(最強のお世辞かもしれないが、めっちゃ嬉しかった.).心拍数が高くなったため、僕は持ってきていた1つ目のバナナを、右手で皮をむき、左手で食べた.
先生は舞台上でも、僕に感謝の言葉を投げかけてくれた.嬉しかったが、先生は気が付いていないはずだ.あの時、嬉しさで、僕の体温は高まり、背中に背脂のような汗を大量にかいていたことを.
舞台挨拶の2回目が終わった後、裏で/みんな集合して記念撮影をした.
「はい、撮りまーすっ!」…ティロン(スマホのシャッター音).何枚か撮り、終わった.僕は「よし、クールに帰ろう.」と思い、歩き出そうとした.
その時である.さりげなく皆で囲っていたリョーマのポスターに目が行った.その瞬間、そこにいた先生と目が合ったのだ.そしてその瞬間の瞬間、僕の脳は活性化し、いろんな思いが込み上げてきた.
(…許斐サンがリョーマを…今の僕はいない…感謝の気持ちはあるが…ここで低姿勢になったら僕の負けだ.…でも、とりあえず、今日は記念日だ.ちょ、一緒に撮ってもらおう.)
僕の思いのオーラを何かで感じ取った先生は、
笑顔で僕と写真を撮ってくれた.写真を撮っていただいた後、僕は「そういえば、いつになったらエビチリ食いに連れてってくれんスか?」と、満面の笑みで言えなかった.普通に「アザーッス.おつかれーッス.」と言い、その場から消えた.
by #オレやなぎ #哲学者 #自己満ダンサー #許斐剛 #原作者 #テニスの王子様 #越前リョーマ #ってか #舞台挨拶中 #遠藤雄弥からのコメント #普通の #コメントだったけど #よかったね
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INS更新:
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ちーッス.オレやなぎッス.
実は、映画「リョーマ!」の舞台挨拶をやったんスよね.この仕事のオファーにOKは出したが、現場に行くまで、かなりの話し合いが行われていた.
舞台挨拶が正式に発表され、その一覧を見た瞬間、「は?行くのやめよ.」と思った.
僕はいろんな思いで、初代リョーマをやってきた.途中、交通事故に合い、意識が飛び、木村様(Kimeru)に代役をやっていただいたが、僕は初代リョーマを譲っていない.木村様は初代、不二周助.そのプライドはどこへ….そしてテニミュの女神様(裏のボス)だ.
僕はリョーマをやってて、途中、バディになっていただいたのはダーリン(遠藤雄弥)だ.僕がデビューしてから、ずっと参考に、世話になっていた先輩だ.だが、ダーリンにも「初代」を譲ってはいない.
後、他の奴らと一緒にされてる感じが嫌だった.
〜テニミュに対する気持ちが違ぇんだよ〜
だが、先生(許斐剛)にはめっちゃ感謝してる.先生がいたから、この業界に入れたようなものだ.
この2つの気持ちが格闘していたが、いろんな方からのDM、Tel、マネージャーからの…いろいろあったが、ここは先生への感謝の気持ちの方が勝ったのだ.
…どうだ?あの舞台挨拶に参加するまで、パラリンピックの閉会式に参加していた気持ちとは別の思いの格闘があった.
そんな中、参加した.現場に着いた瞬間、サプライズがあった.それは、約8年前まで一緒のグループにいたリューキ(高橋龍輝)が駆け寄ってきて挨拶をしてくれたのだ.…僕の脳の中で、リューキは「生意気、態度悪い、礼儀知らず、クソヤロー.」だったため、リューキが僕の前に来た瞬間、目尻に力が入った.だが彼は「おはようございます!お久しぶりです!今日はよろしくお願いします!」と.8年前の彼は3、5、6…いや、8年前だ.いろいろ学び成長したに違いない.か、か、可愛い.現場に到着をし、1つ目のサプライズをくらった.
サプライズの2ndは先生だった.先生に挨拶した時、「来てくれてありがとね.柳がいなかったらテニミュはここまで大きくなってないよー.」(最強のお世辞かもしれないが、めっちゃ嬉しかった.).心拍数が高くなったため、僕は持ってきていた1つ目のバナナを、右手で皮をむき、左手で食べた.
先生は舞台上でも、僕に感謝の言葉を投げかけてくれた.嬉しかったが、先生は気が付いていないはずだ.あの時、嬉しさで、僕の体温は高まり、背中に背脂のような汗を大量にかいていたことを.
舞台挨拶の2回目が終わった後、裏で/みんな集合して記念撮影をした.
「はい、撮りまーすっ!」…ティロン(スマホのシャッター音).何枚か撮り、終わった.僕は「よし、クールに帰ろう.」と思い、歩き出そうとした.
その時である.さりげなく皆で囲っていたリョーマのポスターに目が行った.その瞬間、そこにいた先生と目が合ったのだ.そしてその瞬間の瞬間、僕の脳は活性化し、いろんな思いが込み上げてきた.
(…許斐サンがリョーマを…今の僕はいない…感謝の気持ちはあるが…ここで低姿勢になったら僕の負けだ.…でも、とりあえず、今日は記念日だ.ちょ、一緒に撮ってもらおう.)
僕の思いのオーラを何かで感じ取った先生は、
笑顔で僕と写真を撮ってくれた.写真を撮っていただいた後、僕は「そういえば、いつになったらエビチリ食いに連れてってくれんスか?」と、満面の笑みで言えなかった.普通に「アザーッス.おつかれーッス.」と言い、その場から消えた.
by #オレやなぎ #哲学者 #自己満ダンサー #許斐剛 #原作者 #テニスの王子様 #越前リョーマ #ってか #舞台挨拶中 #遠藤雄弥からのコメント #普通の #コメントだったけど #よかったね
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「日本一のお兄ちゃんをもう一度見たい」大阪桐蔭→慶應大キャプテン福井章吾が妹と目指す“春秋連覇”《4年前の後悔とは?》
2017年のセンバツを制した大阪桐蔭高校。そして今春、全日本大学野球選手権を制した慶應義塾大学。4年という月日が経っても、歓喜の輪の中心には主将・福井章吾がいた。
「彼が率いるチームはいつもひとつにまとまっていて強い」
甲子園で抱いた思いが、神宮での歓喜を見てよみがえってきた。
◇◇◇
「主将となったこの春の優勝は、部員165人分の達成感を感じましたし、これまで支えてくれた家族や指導者の方々に恩返しができました」
今季の慶大が掲げたスローガンは『繋勝~Giving Back~』。そのチーム理念の通り、監督・選手・スタッフが互いに信頼し合えたことが勝因だと、福井は何度も強調する。
堀井哲也監督が常日頃から部員たちに伝える「チームの勝利に対してどんな働きをしたかが大事。たとえ4打数ノーヒットでもチームの勝利に貢献できればいい」という教えが、福井はもちろん、陰でチームを支えるアナリストらにも浸透。天皇杯を争う東京六大学リーグや、大学日本一を決める全日本大学野球選手権でも誰一人としてフォア・ザ・チームの精神を忘れることはなかった。
大阪桐蔭→慶大野球部は史上初
いまや、春秋連覇を視野に入れるチームを牽引する福井だが、当初は自らの意思で慶大を志望していたわけではなかったという。大阪桐蔭時代の恩師・西谷浩一監督に勧められ、慶大の関係者と話したことが福井の考えを大きく変えた。
東京六大学野球や早慶戦について勉強していくうちに、同校の教えにある『独立自尊の精神』が「ひとつのことに捉われず、いろいろなことにチャレンジすることで、一度きりの人生がより面白くなる」という自身の考え方にマッチしていると気づいた。「慶應で野球をやってみたい」という思いは次第に強くなり、2度のAO入試の末に合格切符を掴んだ。
少し意外だが、錚々たるOBを輩出する大阪桐蔭としては初のルートである。
大学1年春からベンチ入りを果たした福井はそこから3年半で逞しく成長。堀井監督に「福井(章吾)の成長が、そのままチームの躍進に繋がった」と言われるほどの存在になった。
「もともとの性格からリーダーの役割を果たしていける生粋のリーダー。チームを引っ張る立場であることを負担に感じるどころか、『自分の力を発揮する場所だ』『自分のステージだ』とでもいうかのように、前向きな気持ちでやっている」(堀井監督)
監督が感じる課題を察し、自ら提案してくることも多いと堀井監督は感心する。そればかりか、選手に一番伝わりやすいベストタイミングを狙ってチームに浸透させていくという。
さらに大学3年春から正ポジションの座についたキャッチャーとしても、そのキャプテンシーをグラウンドの上で遺憾無く発揮する。ピンチの場面でも堂々としたボディランゲージとポジティブな声掛けでナインをまとめ、得点圏にランナーを背負いそうなシーンでは果敢に盗塁を刺す。緊迫した場面で打席に入る時には、応援のリズムに合わせた打撃動作を見せたこともあり、楽しむ余裕すら見せつける。どんな時も動じない強心臓は、大阪桐蔭時代からずっと変わらない。
「それこそ自分軸ではなくチーム軸という考え方です。前日にバッティングピッチャーをやってくれた同級生の顔や、徹夜してデータをとってくれたデータ班の顔、いつもサポートしてくれている監督やスタッフ、家族の顔を思い出したりすると、ちょっとやそっとのことでは引けないというか、そこで何かを体現したいという気持ちになります。それが前面的に出る気持ちの強さなのかなと思います」(福井)
また、「野球に対する勉強量が多く、相手の心理やベンチの心理を吸収する姿勢がものすごく高い」(堀井監督)と、捕手として投手の力を最大限に引き出す能力にも磨きがかかった。打者として重要な場面で結果を残せる勝負強さも、地道な積み重ねで培ってきた。
アナリストになった妹・みなみ
そんな福井にとって、今年は心強い“味方“が増えた。妹・みなみ(1年)が慶大に入学し、アナリストとして野球部に加わったのだ。
センバツの21世紀枠を目指していた北野高校の野球部でマネージャーを務めたみなみは、スポーツ推薦枠のない慶大が、全国の強者が揃う東京六大学リーグで戦う姿に共感し、サポートしたいという気持ちを強く抱いたという。
「マネージャーとしてもっと選手の役に立ちたかった、という感覚のまま終わらせずに、大学でもまた野球部に貢献できたらいいなと思いました。兄が近くにいたことで、アナリストという仕事も知れたので、もう一度やってみようかなと」
春の優勝は「兄がセンバツで優勝した時と同じく、夢のような気分でした」と特別な思いを抱いたが、それ以上に兄がまとめるチームの姿に魅せられている。
「慶大野球部には200人弱の部員がいますが、プレーはもちろん、人としてのレベルがすごく高いと感じました。何をするにも、いろいろな人から『ありがとう』という言葉が飛んできますし、誰に挨拶をしても笑顔で返してくれます。当たり前のようですごく大事なことをみなさんが徹底されている姿を見て『それは強いよね』と思いました」
まだアナリストとして慣れない作業も多いが、だからこそ、自分の時間を削ってでも「チームの勝利のために」と数字を追う日々を続けている。
「データは選手のためにあるので、私たちアナリストがデータを出すことで自己満足するのではなく、選手を優先に考えて行動したいと思います」
現在は基本的な投打成績に加え、打者の貢献度を測るQAB(クオリティー・アット・バット)や得点期待値、投手が3球で追い込んだ確率などのデータを扱う。最終学年になった時には、野球経験者が揃うデータ班が提出するような、より試合に直結する数値を扱える存在になりたいと抱負も教えてくれた。
兄妹で目指す“春秋連覇”
妹とともに戦うことになったとはいえ、福井にとって今シーズンが大学ラストイヤーとなる。つまり、みなみと同じ時間を共有できるのもこの秋まで。明治神宮野球大会を制して実現する“春秋連覇”への思いは一層、高まっている。
「妹と一緒に戦う野球はこの秋が最後なので、アイツに『おつかれさま』と言ってもらえるよう頑張りたいです。今年のチームのテーマである『一戦必勝』を念頭に、『1試合ずつ強くなるぞ』という気持ちで戦い、結果的に連覇に繋げられたらいいなと思います」
そんな兄の思いを妹はしっかりと受け止めている。
「兄は私の中で一番カッコイイ野球選手。1打席、1イニングでも長く兄の野球をしている姿を近くで見ていたいです。大学に入るまでは『頑張ってね』と言葉で伝えることしかできませんでしたが、今は同じチームにいるので役に立つことができるはずです」
実は、みなみには忘れられない思い出がある。
4年前の夏、家族とともに大阪桐蔭で春夏連覇を目指す兄を応援するため甲子園へ足を運んでいた。しかし、高校受験を控えていたみなみは、3回戦の仙台育英戦を前に塾へ行くために甲子園を離れた。勝利を信じて疑わなかったがゆえの行動だったが、結果はまさかのサヨナラ負け。
大阪桐蔭が敗れたことも悲しかったが、何より最後の試合を現地で応援できなかったことへの後悔が、みなみの心にはずっと残っている。
「笑って学生野球を終わってほしいと思いますし、日本一のお兄ちゃんをもう一度見たいです。そのためにも私はチームのために自分の役割を果たしたいです」
兄妹が力を合わせて“連覇”を目指す秋。その戦いは9月18日から始まる。
2017年のセンバツを制した大阪桐蔭高校。そして今春、全日本大学野球選手権を制した慶應義塾大学。4年という月日が経っても、歓喜の輪の中心には主将・福井章吾がいた。
「彼が率いるチームはいつもひとつにまとまっていて強い」
甲子園で抱いた思いが、神宮での歓喜を見てよみがえってきた。
◇◇◇
「主将となったこの春の優勝は、部員165人分の達成感を感じましたし、これまで支えてくれた家族や指導者の方々に恩返しができました」
今季の慶大が掲げたスローガンは『繋勝~Giving Back~』。そのチーム理念の通り、監督・選手・スタッフが互いに信頼し合えたことが勝因だと、福井は何度も強調する。
堀井哲也監督が常日頃から部員たちに伝える「チームの勝利に対してどんな働きをしたかが大事。たとえ4打数ノーヒットでもチームの勝利に貢献できればいい」という教えが、福井はもちろん、陰でチームを支えるアナリストらにも浸透。天皇杯を争う東京六大学リーグや、大学日本一を決める全日本大学野球選手権でも誰一人としてフォア・ザ・チームの精神を忘れることはなかった。
大阪桐蔭→慶大野球部は史上初
いまや、春秋連覇を視野に入れるチームを牽引する福井だが、当初は自らの意思で慶大を志望していたわけではなかったという。大阪桐蔭時代の恩師・西谷浩一監督に勧められ、慶大の関係者と話したことが福井の考えを大きく変えた。
東京六大学野球や早慶戦について勉強していくうちに、同校の教えにある『独立自尊の精神』が「ひとつのことに捉われず、いろいろなことにチャレンジすることで、一度きりの人生がより面白くなる」という自身の考え方にマッチしていると気づいた。「慶應で野球をやってみたい」という思いは次第に強くなり、2度のAO入試の末に合格切符を掴んだ。
少し意外だが、錚々たるOBを輩出する大阪桐蔭としては初のルートである。
大学1年春からベンチ入りを果たした福井はそこから3年半で逞しく成長。堀井監督に「福井(章吾)の成長が、そのままチームの躍進に繋がった」と言われるほどの存在になった。
「もともとの性格からリーダーの役割を果たしていける生粋のリーダー。チームを引っ張る立場であることを負担に感じるどころか、『自分の力を発揮する場所だ』『自分のステージだ』とでもいうかのように、前向きな気持ちでやっている」(堀井監督)
監督が感じる課題を察し、自ら提案してくることも多いと堀井監督は感心する。そればかりか、選手に一番伝わりやすいベストタイミングを狙ってチームに浸透させていくという。
さらに大学3年春から正ポジションの座についたキャッチャーとしても、そのキャプテンシーをグラウンドの上で遺憾無く発揮する。ピンチの場面でも堂々としたボディランゲージとポジティブな声掛けでナインをまとめ、得点圏にランナーを背負いそうなシーンでは果敢に盗塁を刺す。緊迫した場面で打席に入る時には、応援のリズムに合わせた打撃動作を見せたこともあり、楽しむ余裕すら見せつける。どんな時も動じない強心臓は、大阪桐蔭時代からずっと変わらない。
「それこそ自分軸ではなくチーム軸という考え方です。前日にバッティングピッチャーをやってくれた同級生の顔や、徹夜してデータをとってくれたデータ班の顔、いつもサポートしてくれている監督やスタッフ、家族の顔を思い出したりすると、ちょっとやそっとのことでは引けないというか、そこで何かを体現したいという気持ちになります。それが前面的に出る気持ちの強さなのかなと思います」(福井)
また、「野球に対する勉強量が多く、相手の心理やベンチの心理を吸収する姿勢がものすごく高い」(堀井監督)と、捕手として投手の力を最大限に引き出す能力にも磨きがかかった。打者として重要な場面で結果を残せる勝負強さも、地道な積み重ねで培ってきた。
アナリストになった妹・みなみ
そんな福井にとって、今年は心強い“味方“が増えた。妹・みなみ(1年)が慶大に入学し、アナリストとして野球部に加わったのだ。
センバツの21世紀枠を目指していた北野高校の野球部でマネージャーを務めたみなみは、スポーツ推薦枠のない慶大が、全国の強者が揃う東京六大学リーグで戦う姿に共感し、サポートしたいという気持ちを強く抱いたという。
「マネージャーとしてもっと選手の役に立ちたかった、という感覚のまま終わらせずに、大学でもまた野球部に貢献できたらいいなと思いました。兄が近くにいたことで、アナリストという仕事も知れたので、もう一度やってみようかなと」
春の優勝は「兄がセンバツで優勝した時と同じく、夢のような気分でした」と特別な思いを抱いたが、それ以上に兄がまとめるチームの姿に魅せられている。
「慶大野球部には200人弱の部員がいますが、プレーはもちろん、人としてのレベルがすごく高いと感じました。何をするにも、いろいろな人から『ありがとう』という言葉が飛んできますし、誰に挨拶をしても笑顔で返してくれます。当たり前のようですごく大事なことをみなさんが徹底されている姿を見て『それは強いよね』と思いました」
まだアナリストとして慣れない作業も多いが、だからこそ、自分の時間を削ってでも「チームの勝利のために」と数字を追う日々を続けている。
「データは選手のためにあるので、私たちアナリストがデータを出すことで自己満足するのではなく、選手を優先に考えて行動したいと思います」
現在は基本的な投打成績に加え、打者の貢献度を測るQAB(クオリティー・アット・バット)や得点期待値、投手が3球で追い込んだ確率などのデータを扱う。最終学年になった時には、野球経験者が揃うデータ班が提出するような、より試合に直結する数値を扱える存在になりたいと抱負も教えてくれた。
兄妹で目指す“春秋連覇”
妹とともに戦うことになったとはいえ、福井にとって今シーズンが大学ラストイヤーとなる。つまり、みなみと同じ時間を共有できるのもこの秋まで。明治神宮野球大会を制して実現する“春秋連覇”への思いは一層、高まっている。
「妹と一緒に戦う野球はこの秋が最後なので、アイツに『おつかれさま』と言ってもらえるよう頑張りたいです。今年のチームのテーマである『一戦必勝』を念頭に、『1試合ずつ強くなるぞ』という気持ちで戦い、結果的に連覇に繋げられたらいいなと思います」
そんな兄の思いを妹はしっかりと受け止めている。
「兄は私の中で一番カッコイイ野球選手。1打席、1イニングでも長く兄の野球をしている姿を近くで見ていたいです。大学に入るまでは『頑張ってね』と言葉で伝えることしかできませんでしたが、今は同じチームにいるので役に立つことができるはずです」
実は、みなみには忘れられない思い出がある。
4年前の夏、家族とともに大阪桐蔭で春夏連覇を目指す兄を応援するため甲子園へ足を運んでいた。しかし、高校受験を控えていたみなみは、3回戦の仙台育英戦を前に塾へ行くために甲子園を離れた。勝利を信じて疑わなかったがゆえの行動だったが、結果はまさかのサヨナラ負け。
大阪桐蔭が敗れたことも悲しかったが、何より最後の試合を現地で応援できなかったことへの後悔が、みなみの心にはずっと残っている。
「笑って学生野球を終わってほしいと思いますし、日本一のお兄ちゃんをもう一度見たいです。そのためにも私はチームのために自分の役割を果たしたいです」
兄妹が力を合わせて“連覇”を目指す秋。その戦いは9月18日から始まる。
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