鹿児島県 十島村で震度5強 津波の心配なし
2021年12月9日 21時48分
9日午前11時すぎ、鹿児島県のトカラ列島近海を震源とする地震があり十島村の悪石島で震度5強の強い揺れを観測しました。
気象庁は地震のマグニチュードを6.1に震源の深さを14キロにそれぞれ更新し「明らかな津波は観測されなかった」と発表しました。
気象庁によりますと、9日午前11時5分ごろ、トカラ列島近海を震源とするマグニチュード6.1の地震が発生しました。
この地震で
▽鹿児島県十島村の悪石島で震度5強の強い揺れを観測したほか
▽震度4を十島村の小宝島で
▽震度3を十島村の諏訪之瀬島と奄美市で観測しました。
このほか
▽震度2や1の揺れを鹿児島県の奄美地方や種子島・屋久島地方の各地で観測しました。
気象庁の観測によりますと、震源地はトカラ列島近海、震源の深さは14キロ、地震の規模を示すマグニチュードは6.1と推定されています。
また気象庁は地震からおよそ4時間後に「明らかな津波は観測されなかった」と発表しました。
今月4日からこの付近を震源とする地震が相次ぎ、震度1以上の揺れを観測した地震は9日午後8時までに合わせて252回に達しています。
気象庁は当面は震度5強程度の強い揺れを伴う地震に注意するよう呼びかけています。
揺れの強かった地域では落石や崖崩れなどの危険性が高まっているため、今後の地震活動に十分注意してください。
震度5強 悪石島に住む すべての島民の無事確認
十島村によりますと、震度5強を観測した悪石島に住むすべての島民の無事が確認できたということです。
発電所の職員と消防団員以外の73人は悪石島小中学校のグラウンドに避難しているということです。
震度5強 悪石島「ものにつかまらないといけない状況だった」
震度5強の揺れを観測した鹿児島県十島村の悪石島簡易郵便局の津波古香織局長は「地震が起きたとき郵便局内で事務作業をしていた。最初に横揺れがあり続いて縦揺れがあった。ぐわんぐわん揺れるような状態になってものにつかまらないといけない状況だった。消毒液が3本棚から落ちたが、ほかのものが落ちることはなかった。これまで経験した中でいちばん大きな地震だった」と話していました。
肥後村長「希望する悪石島の島民の島外避難進める」
十島村の肥後正司村長はヘリコプターで悪石島を訪れ、現地の状況を確認しました。十島村役場がある鹿児島市のヘリポートに戻った肥後村長は「崖崩れのようなものが確認できましたが、道路の通行に影響が出るような状況ではありませんでした」と説明しました。
また悪石島の島民について「地震が続きそうだということで不安な様子でした。島外避難をしたいという住民もいましたので、自治会と協議したうえで検討していきたい」と話しました。
そのうえで「今回のような地震が続くようであれば村としてできることは限られる。国や県に相談しながら住民のライフラインを確保していくことになると思う」と話しました。
このあと肥後村長は、十島村役場で今後の対応について協議し、午後5時半からの会見で「希望する悪石島の島民の島外避難を進める」と述べました。
悪石島小中学校教頭 「今までにない揺れ」
悪石島小中学校の芝原寛教頭がNHKの電話インタビューに応じ「最初に突き上げるような縦揺れがあったあと、長い時間大きな横揺れが続きました。今までにない大きな揺れでした」と振り返りました。
島の人たちは小中学校に避難したあと、今後の避難のしかたや食料の確保などについて確認しながら過ごしていたということです。
芝原教頭は「日曜日に震度4の揺れがあってから回数が少なくなり収束に向かっていたと思っていたところでしたが、今後もまた大きな揺れが来ないかとても心配です。島の人はすでに皆さん自宅に帰りましたが、今後も大きな揺れがあった場合は、学校に集まることになっているので油断のないよう備えたいです」と話していました。
悪石島の民宿経営者「大きな被害なし」
震度5強の揺れを観測した鹿児島県十島村の悪石島で民宿を経営する松下賢次さんは「窓に飛散防止のフィルムを張っていたのでガラスが割れることはなく、特に大きな被害はありませんでした」と話していました。
悪石島発電所「断水や停電は起きていない」
震度5強を観測した十島村の悪石島にある悪石島発電所の有川睦男さんは「20秒から30秒ほどの横揺れが続き、棚から箱が落ちてきました。断水や停電は起きておらず、消防が島内を回って被害を確認しています」と話しています。
悪石島 遊歩道が崩れているという情報
十島村によりますと、震度5強の揺れを観測した悪石島の湯泊温泉の近くで遊歩道が崩れているという情報があり、村が詳しい状況を確認しているということです。
2021年12月9日 21時48分
9日午前11時すぎ、鹿児島県のトカラ列島近海を震源とする地震があり十島村の悪石島で震度5強の強い揺れを観測しました。
気象庁は地震のマグニチュードを6.1に震源の深さを14キロにそれぞれ更新し「明らかな津波は観測されなかった」と発表しました。
気象庁によりますと、9日午前11時5分ごろ、トカラ列島近海を震源とするマグニチュード6.1の地震が発生しました。
この地震で
▽鹿児島県十島村の悪石島で震度5強の強い揺れを観測したほか
▽震度4を十島村の小宝島で
▽震度3を十島村の諏訪之瀬島と奄美市で観測しました。
このほか
▽震度2や1の揺れを鹿児島県の奄美地方や種子島・屋久島地方の各地で観測しました。
気象庁の観測によりますと、震源地はトカラ列島近海、震源の深さは14キロ、地震の規模を示すマグニチュードは6.1と推定されています。
また気象庁は地震からおよそ4時間後に「明らかな津波は観測されなかった」と発表しました。
今月4日からこの付近を震源とする地震が相次ぎ、震度1以上の揺れを観測した地震は9日午後8時までに合わせて252回に達しています。
気象庁は当面は震度5強程度の強い揺れを伴う地震に注意するよう呼びかけています。
揺れの強かった地域では落石や崖崩れなどの危険性が高まっているため、今後の地震活動に十分注意してください。
震度5強 悪石島に住む すべての島民の無事確認
十島村によりますと、震度5強を観測した悪石島に住むすべての島民の無事が確認できたということです。
発電所の職員と消防団員以外の73人は悪石島小中学校のグラウンドに避難しているということです。
震度5強 悪石島「ものにつかまらないといけない状況だった」
震度5強の揺れを観測した鹿児島県十島村の悪石島簡易郵便局の津波古香織局長は「地震が起きたとき郵便局内で事務作業をしていた。最初に横揺れがあり続いて縦揺れがあった。ぐわんぐわん揺れるような状態になってものにつかまらないといけない状況だった。消毒液が3本棚から落ちたが、ほかのものが落ちることはなかった。これまで経験した中でいちばん大きな地震だった」と話していました。
肥後村長「希望する悪石島の島民の島外避難進める」
十島村の肥後正司村長はヘリコプターで悪石島を訪れ、現地の状況を確認しました。十島村役場がある鹿児島市のヘリポートに戻った肥後村長は「崖崩れのようなものが確認できましたが、道路の通行に影響が出るような状況ではありませんでした」と説明しました。
また悪石島の島民について「地震が続きそうだということで不安な様子でした。島外避難をしたいという住民もいましたので、自治会と協議したうえで検討していきたい」と話しました。
そのうえで「今回のような地震が続くようであれば村としてできることは限られる。国や県に相談しながら住民のライフラインを確保していくことになると思う」と話しました。
このあと肥後村長は、十島村役場で今後の対応について協議し、午後5時半からの会見で「希望する悪石島の島民の島外避難を進める」と述べました。
悪石島小中学校教頭 「今までにない揺れ」
悪石島小中学校の芝原寛教頭がNHKの電話インタビューに応じ「最初に突き上げるような縦揺れがあったあと、長い時間大きな横揺れが続きました。今までにない大きな揺れでした」と振り返りました。
島の人たちは小中学校に避難したあと、今後の避難のしかたや食料の確保などについて確認しながら過ごしていたということです。
芝原教頭は「日曜日に震度4の揺れがあってから回数が少なくなり収束に向かっていたと思っていたところでしたが、今後もまた大きな揺れが来ないかとても心配です。島の人はすでに皆さん自宅に帰りましたが、今後も大きな揺れがあった場合は、学校に集まることになっているので油断のないよう備えたいです」と話していました。
悪石島の民宿経営者「大きな被害なし」
震度5強の揺れを観測した鹿児島県十島村の悪石島で民宿を経営する松下賢次さんは「窓に飛散防止のフィルムを張っていたのでガラスが割れることはなく、特に大きな被害はありませんでした」と話していました。
悪石島発電所「断水や停電は起きていない」
震度5強を観測した十島村の悪石島にある悪石島発電所の有川睦男さんは「20秒から30秒ほどの横揺れが続き、棚から箱が落ちてきました。断水や停電は起きておらず、消防が島内を回って被害を確認しています」と話しています。
悪石島 遊歩道が崩れているという情報
十島村によりますと、震度5強の揺れを観測した悪石島の湯泊温泉の近くで遊歩道が崩れているという情報があり、村が詳しい状況を確認しているということです。
It’s KIMONO DAY in Japan!
(Wearing Kimono for Italy on this pic)
11月15日は ”きものの日”
イタリアをイメージしてつくられたお着物。
世界遺産の街そのものを投影されたお着物に
フェラーリやランボルギーニなどの
スポーツカーのヘッドライトをイメージされた帯。
ヘアメイクには国花のデイジーも
着物モデルをするようになって、早4年半。
現場では一流のお着物を着せていただくのに
自分の知識が相応でないことにもやもやしていたので
この春、自分で着られるように着付け教室に通いました。
誇れる日本文化を胸に
海外でも着物を着れる日が早く来ますように✨
#きものの日##kimonoday##着物#
(Wearing Kimono for Italy on this pic)
11月15日は ”きものの日”
イタリアをイメージしてつくられたお着物。
世界遺産の街そのものを投影されたお着物に
フェラーリやランボルギーニなどの
スポーツカーのヘッドライトをイメージされた帯。
ヘアメイクには国花のデイジーも
着物モデルをするようになって、早4年半。
現場では一流のお着物を着せていただくのに
自分の知識が相応でないことにもやもやしていたので
この春、自分で着られるように着付け教室に通いました。
誇れる日本文化を胸に
海外でも着物を着れる日が早く来ますように✨
#きものの日##kimonoday##着物#
「日本一のお兄ちゃんをもう一度見たい」大阪桐蔭→慶應大キャプテン福井章吾が妹と目指す“春秋連覇”《4年前の後悔とは?》
2017年のセンバツを制した大阪桐蔭高校。そして今春、全日本大学野球選手権を制した慶應義塾大学。4年という月日が経っても、歓喜の輪の中心には主将・福井章吾がいた。
「彼が率いるチームはいつもひとつにまとまっていて強い」
甲子園で抱いた思いが、神宮での歓喜を見てよみがえってきた。
◇◇◇
「主将となったこの春の優勝は、部員165人分の達成感を感じましたし、これまで支えてくれた家族や指導者の方々に恩返しができました」
今季の慶大が掲げたスローガンは『繋勝~Giving Back~』。そのチーム理念の通り、監督・選手・スタッフが互いに信頼し合えたことが勝因だと、福井は何度も強調する。
堀井哲也監督が常日頃から部員たちに伝える「チームの勝利に対してどんな働きをしたかが大事。たとえ4打数ノーヒットでもチームの勝利に貢献できればいい」という教えが、福井はもちろん、陰でチームを支えるアナリストらにも浸透。天皇杯を争う東京六大学リーグや、大学日本一を決める全日本大学野球選手権でも誰一人としてフォア・ザ・チームの精神を忘れることはなかった。
大阪桐蔭→慶大野球部は史上初
いまや、春秋連覇を視野に入れるチームを牽引する福井だが、当初は自らの意思で慶大を志望していたわけではなかったという。大阪桐蔭時代の恩師・西谷浩一監督に勧められ、慶大の関係者と話したことが福井の考えを大きく変えた。
東京六大学野球や早慶戦について勉強していくうちに、同校の教えにある『独立自尊の精神』が「ひとつのことに捉われず、いろいろなことにチャレンジすることで、一度きりの人生がより面白くなる」という自身の考え方にマッチしていると気づいた。「慶應で野球をやってみたい」という思いは次第に強くなり、2度のAO入試の末に合格切符を掴んだ。
少し意外だが、錚々たるOBを輩出する大阪桐蔭としては初のルートである。
大学1年春からベンチ入りを果たした福井はそこから3年半で逞しく成長。堀井監督に「福井(章吾)の成長が、そのままチームの躍進に繋がった」と言われるほどの存在になった。
「もともとの性格からリーダーの役割を果たしていける生粋のリーダー。チームを引っ張る立場であることを負担に感じるどころか、『自分の力を発揮する場所だ』『自分のステージだ』とでもいうかのように、前向きな気持ちでやっている」(堀井監督)
監督が感じる課題を察し、自ら提案してくることも多いと堀井監督は感心する。そればかりか、選手に一番伝わりやすいベストタイミングを狙ってチームに浸透させていくという。
さらに大学3年春から正ポジションの座についたキャッチャーとしても、そのキャプテンシーをグラウンドの上で遺憾無く発揮する。ピンチの場面でも堂々としたボディランゲージとポジティブな声掛けでナインをまとめ、得点圏にランナーを背負いそうなシーンでは果敢に盗塁を刺す。緊迫した場面で打席に入る時には、応援のリズムに合わせた打撃動作を見せたこともあり、楽しむ余裕すら見せつける。どんな時も動じない強心臓は、大阪桐蔭時代からずっと変わらない。
「それこそ自分軸ではなくチーム軸という考え方です。前日にバッティングピッチャーをやってくれた同級生の顔や、徹夜してデータをとってくれたデータ班の顔、いつもサポートしてくれている監督やスタッフ、家族の顔を思い出したりすると、ちょっとやそっとのことでは引けないというか、そこで何かを体現したいという気持ちになります。それが前面的に出る気持ちの強さなのかなと思います」(福井)
また、「野球に対する勉強量が多く、相手の心理やベンチの心理を吸収する姿勢がものすごく高い」(堀井監督)と、捕手として投手の力を最大限に引き出す能力にも磨きがかかった。打者として重要な場面で結果を残せる勝負強さも、地道な積み重ねで培ってきた。
アナリストになった妹・みなみ
そんな福井にとって、今年は心強い“味方“が増えた。妹・みなみ(1年)が慶大に入学し、アナリストとして野球部に加わったのだ。
センバツの21世紀枠を目指していた北野高校の野球部でマネージャーを務めたみなみは、スポーツ推薦枠のない慶大が、全国の強者が揃う東京六大学リーグで戦う姿に共感し、サポートしたいという気持ちを強く抱いたという。
「マネージャーとしてもっと選手の役に立ちたかった、という感覚のまま終わらせずに、大学でもまた野球部に貢献できたらいいなと思いました。兄が近くにいたことで、アナリストという仕事も知れたので、もう一度やってみようかなと」
春の優勝は「兄がセンバツで優勝した時と同じく、夢のような気分でした」と特別な思いを抱いたが、それ以上に兄がまとめるチームの姿に魅せられている。
「慶大野球部には200人弱の部員がいますが、プレーはもちろん、人としてのレベルがすごく高いと感じました。何をするにも、いろいろな人から『ありがとう』という言葉が飛んできますし、誰に挨拶をしても笑顔で返してくれます。当たり前のようですごく大事なことをみなさんが徹底されている姿を見て『それは強いよね』と思いました」
まだアナリストとして慣れない作業も多いが、だからこそ、自分の時間を削ってでも「チームの勝利のために」と数字を追う日々を続けている。
「データは選手のためにあるので、私たちアナリストがデータを出すことで自己満足するのではなく、選手を優先に考えて行動したいと思います」
現在は基本的な投打成績に加え、打者の貢献度を測るQAB(クオリティー・アット・バット)や得点期待値、投手が3球で追い込んだ確率などのデータを扱う。最終学年になった時には、野球経験者が揃うデータ班が提出するような、より試合に直結する数値を扱える存在になりたいと抱負も教えてくれた。
兄妹で目指す“春秋連覇”
妹とともに戦うことになったとはいえ、福井にとって今シーズンが大学ラストイヤーとなる。つまり、みなみと同じ時間を共有できるのもこの秋まで。明治神宮野球大会を制して実現する“春秋連覇”への思いは一層、高まっている。
「妹と一緒に戦う野球はこの秋が最後なので、アイツに『おつかれさま』と言ってもらえるよう頑張りたいです。今年のチームのテーマである『一戦必勝』を念頭に、『1試合ずつ強くなるぞ』という気持ちで戦い、結果的に連覇に繋げられたらいいなと思います」
そんな兄の思いを妹はしっかりと受け止めている。
「兄は私の中で一番カッコイイ野球選手。1打席、1イニングでも長く兄の野球をしている姿を近くで見ていたいです。大学に入るまでは『頑張ってね』と言葉で伝えることしかできませんでしたが、今は同じチームにいるので役に立つことができるはずです」
実は、みなみには忘れられない思い出がある。
4年前の夏、家族とともに大阪桐蔭で春夏連覇を目指す兄を応援するため甲子園へ足を運んでいた。しかし、高校受験を控えていたみなみは、3回戦の仙台育英戦を前に塾へ行くために甲子園を離れた。勝利を信じて疑わなかったがゆえの行動だったが、結果はまさかのサヨナラ負け。
大阪桐蔭が敗れたことも悲しかったが、何より最後の試合を現地で応援できなかったことへの後悔が、みなみの心にはずっと残っている。
「笑って学生野球を終わってほしいと思いますし、日本一のお兄ちゃんをもう一度見たいです。そのためにも私はチームのために自分の役割を果たしたいです」
兄妹が力を合わせて“連覇”を目指す秋。その戦いは9月18日から始まる。
2017年のセンバツを制した大阪桐蔭高校。そして今春、全日本大学野球選手権を制した慶應義塾大学。4年という月日が経っても、歓喜の輪の中心には主将・福井章吾がいた。
「彼が率いるチームはいつもひとつにまとまっていて強い」
甲子園で抱いた思いが、神宮での歓喜を見てよみがえってきた。
◇◇◇
「主将となったこの春の優勝は、部員165人分の達成感を感じましたし、これまで支えてくれた家族や指導者の方々に恩返しができました」
今季の慶大が掲げたスローガンは『繋勝~Giving Back~』。そのチーム理念の通り、監督・選手・スタッフが互いに信頼し合えたことが勝因だと、福井は何度も強調する。
堀井哲也監督が常日頃から部員たちに伝える「チームの勝利に対してどんな働きをしたかが大事。たとえ4打数ノーヒットでもチームの勝利に貢献できればいい」という教えが、福井はもちろん、陰でチームを支えるアナリストらにも浸透。天皇杯を争う東京六大学リーグや、大学日本一を決める全日本大学野球選手権でも誰一人としてフォア・ザ・チームの精神を忘れることはなかった。
大阪桐蔭→慶大野球部は史上初
いまや、春秋連覇を視野に入れるチームを牽引する福井だが、当初は自らの意思で慶大を志望していたわけではなかったという。大阪桐蔭時代の恩師・西谷浩一監督に勧められ、慶大の関係者と話したことが福井の考えを大きく変えた。
東京六大学野球や早慶戦について勉強していくうちに、同校の教えにある『独立自尊の精神』が「ひとつのことに捉われず、いろいろなことにチャレンジすることで、一度きりの人生がより面白くなる」という自身の考え方にマッチしていると気づいた。「慶應で野球をやってみたい」という思いは次第に強くなり、2度のAO入試の末に合格切符を掴んだ。
少し意外だが、錚々たるOBを輩出する大阪桐蔭としては初のルートである。
大学1年春からベンチ入りを果たした福井はそこから3年半で逞しく成長。堀井監督に「福井(章吾)の成長が、そのままチームの躍進に繋がった」と言われるほどの存在になった。
「もともとの性格からリーダーの役割を果たしていける生粋のリーダー。チームを引っ張る立場であることを負担に感じるどころか、『自分の力を発揮する場所だ』『自分のステージだ』とでもいうかのように、前向きな気持ちでやっている」(堀井監督)
監督が感じる課題を察し、自ら提案してくることも多いと堀井監督は感心する。そればかりか、選手に一番伝わりやすいベストタイミングを狙ってチームに浸透させていくという。
さらに大学3年春から正ポジションの座についたキャッチャーとしても、そのキャプテンシーをグラウンドの上で遺憾無く発揮する。ピンチの場面でも堂々としたボディランゲージとポジティブな声掛けでナインをまとめ、得点圏にランナーを背負いそうなシーンでは果敢に盗塁を刺す。緊迫した場面で打席に入る時には、応援のリズムに合わせた打撃動作を見せたこともあり、楽しむ余裕すら見せつける。どんな時も動じない強心臓は、大阪桐蔭時代からずっと変わらない。
「それこそ自分軸ではなくチーム軸という考え方です。前日にバッティングピッチャーをやってくれた同級生の顔や、徹夜してデータをとってくれたデータ班の顔、いつもサポートしてくれている監督やスタッフ、家族の顔を思い出したりすると、ちょっとやそっとのことでは引けないというか、そこで何かを体現したいという気持ちになります。それが前面的に出る気持ちの強さなのかなと思います」(福井)
また、「野球に対する勉強量が多く、相手の心理やベンチの心理を吸収する姿勢がものすごく高い」(堀井監督)と、捕手として投手の力を最大限に引き出す能力にも磨きがかかった。打者として重要な場面で結果を残せる勝負強さも、地道な積み重ねで培ってきた。
アナリストになった妹・みなみ
そんな福井にとって、今年は心強い“味方“が増えた。妹・みなみ(1年)が慶大に入学し、アナリストとして野球部に加わったのだ。
センバツの21世紀枠を目指していた北野高校の野球部でマネージャーを務めたみなみは、スポーツ推薦枠のない慶大が、全国の強者が揃う東京六大学リーグで戦う姿に共感し、サポートしたいという気持ちを強く抱いたという。
「マネージャーとしてもっと選手の役に立ちたかった、という感覚のまま終わらせずに、大学でもまた野球部に貢献できたらいいなと思いました。兄が近くにいたことで、アナリストという仕事も知れたので、もう一度やってみようかなと」
春の優勝は「兄がセンバツで優勝した時と同じく、夢のような気分でした」と特別な思いを抱いたが、それ以上に兄がまとめるチームの姿に魅せられている。
「慶大野球部には200人弱の部員がいますが、プレーはもちろん、人としてのレベルがすごく高いと感じました。何をするにも、いろいろな人から『ありがとう』という言葉が飛んできますし、誰に挨拶をしても笑顔で返してくれます。当たり前のようですごく大事なことをみなさんが徹底されている姿を見て『それは強いよね』と思いました」
まだアナリストとして慣れない作業も多いが、だからこそ、自分の時間を削ってでも「チームの勝利のために」と数字を追う日々を続けている。
「データは選手のためにあるので、私たちアナリストがデータを出すことで自己満足するのではなく、選手を優先に考えて行動したいと思います」
現在は基本的な投打成績に加え、打者の貢献度を測るQAB(クオリティー・アット・バット)や得点期待値、投手が3球で追い込んだ確率などのデータを扱う。最終学年になった時には、野球経験者が揃うデータ班が提出するような、より試合に直結する数値を扱える存在になりたいと抱負も教えてくれた。
兄妹で目指す“春秋連覇”
妹とともに戦うことになったとはいえ、福井にとって今シーズンが大学ラストイヤーとなる。つまり、みなみと同じ時間を共有できるのもこの秋まで。明治神宮野球大会を制して実現する“春秋連覇”への思いは一層、高まっている。
「妹と一緒に戦う野球はこの秋が最後なので、アイツに『おつかれさま』と言ってもらえるよう頑張りたいです。今年のチームのテーマである『一戦必勝』を念頭に、『1試合ずつ強くなるぞ』という気持ちで戦い、結果的に連覇に繋げられたらいいなと思います」
そんな兄の思いを妹はしっかりと受け止めている。
「兄は私の中で一番カッコイイ野球選手。1打席、1イニングでも長く兄の野球をしている姿を近くで見ていたいです。大学に入るまでは『頑張ってね』と言葉で伝えることしかできませんでしたが、今は同じチームにいるので役に立つことができるはずです」
実は、みなみには忘れられない思い出がある。
4年前の夏、家族とともに大阪桐蔭で春夏連覇を目指す兄を応援するため甲子園へ足を運んでいた。しかし、高校受験を控えていたみなみは、3回戦の仙台育英戦を前に塾へ行くために甲子園を離れた。勝利を信じて疑わなかったがゆえの行動だったが、結果はまさかのサヨナラ負け。
大阪桐蔭が敗れたことも悲しかったが、何より最後の試合を現地で応援できなかったことへの後悔が、みなみの心にはずっと残っている。
「笑って学生野球を終わってほしいと思いますし、日本一のお兄ちゃんをもう一度見たいです。そのためにも私はチームのために自分の役割を果たしたいです」
兄妹が力を合わせて“連覇”を目指す秋。その戦いは9月18日から始まる。
✋热门推荐