现在网络上流行混搭,这种现象在解读神魔小说时体现得尤为明显,什么昊天是鸿钧的童子,什么十大祖巫……更有意思的是至少有七成人将西游与封神当作前后部相互解读,让人可发一笑。下面完全以《封神演义》为基准,和大家介绍一下我心中的“阐教十强”。十 慈航道人或许很多人会意外慈航能够入选这个榜单,毕竟他的笔墨不多。不过笔墨少,不代表实力就不强。慈航有三个强点。第一,会法相。这种功法貌似在十二仙中只有文殊、普贤和慈航三位会;第二,法宝清净琉璃瓶收纳杀伤能力极强,使用时瓶口喷出黑烟,被黑烟笼罩就会收入其中,化作脓血;第三,慈航心狠。这一点十二仙中很多都比不了。九 清虚道德真君清虚道德真君是十二仙中的大富豪,赐予两个徒弟每人一个坐骑和一个强力法宝。黄天化有玉麒麟和莫邪宝剑;杨任有云霞兽和五火神焰扇(这把扇子在清虚道德真君手中时叫五火七禽扇)。十二仙的修为基本处于伯仲之间,差距微乎其微,所以,清虚道德真君完全可以凭借莫邪宝剑和五火七禽扇成为其中的佼佼者。八 南极仙翁通常大家会把南极仙翁当作燃灯同级别的上仙,凌驾十二仙。不过在破十绝阵时,从赤精子对南极仙翁的态度看,南极仙翁并没有什么超然地位,基本和十二仙差不多,远达不到燃灯的程度。或许南极仙翁的修为略强过十二仙,但是在没有特殊功法的情况下,缺少强力法宝是南极仙翁的劣势。破十绝阵时,甚至拿着清虚道德真君的五火七翎扇,是的,这把奇怪的扇子在不同人手中名字都不一样。七 赤精子书中曾明确指出广成子是十二仙之首,不过在说名字时却常把赤精子放在广成子前面。而且十绝阵时,燃灯居中,上首敲金钟的是赤精子,广成子则负责击玉磬,所以我一度怀疑广成子是不是犯了错误,以致地位下降。赤精子拥有超级法宝阴阳镜,是教主之下魂魄类攻击的巅峰,另外还有防御法宝八卦仙衣。不过赤精子多少有些毛躁,比如破十绝阵时因准备不足,一时慌乱下把老子的太极图都丢了。另外赤精子心肠软,面对对自己毫不留情的徒弟殷洪,赤精子都不忍心杀,最后在慈航的催促下才含泪将其送上封神榜。六 广成子广成子能够冠绝十二仙,最大的倚仗就是番天印。就等级来说,个人觉得番天印和阴阳镜是同级别法宝,一个物理攻击,一个魂魄攻击。不过广成子手持番天印所取得的战绩比赤精子要出彩得多,这本身就是实力的一种体现。顺带说一句,原著没有什么半截不周山炼化番天印的说法,这应该是现代网文的设定。五 玄都大法师完全没出过手,实力不明,但就凭他是老子唯一的徒弟,排在这里个人觉得不过分。四 燃灯道人燃灯的修为没得说,但是面对同等级的赵公明、三霄、孔宣却只有吃瘪的份,而且被虐得很惨,究其原因,就是缺少好的法宝。在得到赵公明的定海珠后,燃灯的实力上了一个台阶,加上他足智多谋,擅长阴人,最主要的是他不讲武德,所以成为唯一一位打翻教主的非教主——万仙阵偷袭通天教主,以定海珠将其打翻。三 杨戬杨戬的修为道行和这些人没法比,这是不争的事实,但是凭借八九玄功,他的实际作战能力足以超过多数十二仙,毕竟除了混元金斗,杨戬从来没有败过,连孔宣的五色神光都奈何不得。如果单凭八九玄功,杨戬最多也就是十二仙中游的程度,毕竟这门功法守有余而攻不足,之所以将他排得这么高,是因为后期杨戬得到了女娲娘娘赐予的山河社稷图。这样一来,杨戬就成了攻防一体的不败战神。很多人认为女娲只是借给杨戬,其实如果仔细看过原文就知道并非如此。女娲赐图之后直接走了,而杨戬凭借此宝降服袁洪之后,朝女娲宫的方向遥拜谢恩,并未归还。之所以将杨戬排在燃灯之上,是因为如果二人一对一,燃灯几乎毫无胜算,定海珠对杨戬没用,燃灯却无法应付山河社稷图。二 元始天尊元始天尊在教主级别的上仙中实力其实算靠后的,他厉害的地方是不讲武德,而这也几乎成了阐教的“镇教之宝”。徒弟们很好地将其发扬光大。但瘦死的骆驼比马大,元始天尊在怎样也是阐教的掌教,二代、三代弟子再强大,也难以望其项背。元始天尊的法宝不少,但是功效整体不大,被网友吹上天的盘古幡其实也没什么出彩的战绩,另外,什么盘古化身之类的和《封神演义》没什么关系,别瞎套。一 老子老子实力冠绝这些人是没有悬念的,不过我想不少朋友会质疑老子的身份,毕竟我们讨论的是“阐教十强”。就《封神演义》的原著而言,老子就是阐教中人,这点元始天尊和老子本身都说过,具体的可以去看破九曲黄河阵的章节。而网络上很多人给老子冠以“人教教主”的头衔,很抱歉,原著根本就不存在什么人教,共议封神榜的三教是阐教、截教和人道。最后说一句,那些喜欢说“小说而已;这也当真;多看历史”之类的大烧饼拜托你们该干嘛干嘛去,看不起小说就别进来,踩两脚说明不了您高大上,只能暴露有脚气。
cjlw生日存档
【2017】
琉唯とは“唯一の王”という意味であり、フランスでは王の名そのもの。
名前に相応しい存在感と素質を兼ね備えたteam柊のリーダー・辰己琉唯のお誕生日ですね。
月の光の強さと星の光の眩さを心の底からリスペクトする彼は、スタミュ界の美しくも爽やかなライバルです。
一方でナイト申渡との絡みにはもはや執念めいたものを感じる今日この頃。ひょっとしたら彼らは一緒に輪廻転生を何万回繰り返していて、色々な人生を経た結果、お隣同士で同い年の幼馴染という親密且つ角の立たない究極の形に辿り着き、今が一番楽しい時期なのでは?と思うことすらあります(笑)
月皇でなくてもやれやれ……と諦めてしまいがち。今際の際「また来世でね、栄吾!」「お待ちしてますよ、辰己」やるまで好きなだけ仲良くせい。
兎にも角にもおめでとう。 体には気を付けて!
【2018】
滑り込みになりましたがスタミュ界の眩しいトップ・オブ・スター・オブ・スター辰己琉唯の誕生日です。「きみは太陽」とか言って様になる男を私は2人位しか知りませんが、間違いなく彼はその内の一人でしょう。幼き頃虚弱だった辰己が今は駆けっこで星谷や空閑にも負けず元気でいることが嬉しいです。
去年はどんなことを書いたっけと思って遡ろうと思ったのですが無理でした……何となく星谷と月皇と申渡に触れたような? なので今年は別の人に触れようかと思ったのですが誰が良いだろうか、ね、栄吾。
第1期では柊門下だった辰己が第2期では鳳の影だったことが少し新鮮でした。思えば第1期が始まる前に出た一問一答にて、別々の舞台を通して間接的に関わりがあった2人が時を経て同じ舞台に立つ、とはドラマチックです。こうなると誰が言い出したか初代姫との会話もいつか書いてみたいものですね。
付き合いが長くなるほどに、彼の優しさと厳しさを知る――というような気がします。まさに“魅力的な人”。どんな役者さんになってゆくのか、どんな大人になってゆくのか、何だかとても楽しみな人です。おめでとう、まだ寒いので体には気を付けて!
【2019】
関わった人々を次々と狂わせてゆくジ・エレガンスの片割れ、辰己琉唯の誕生日。どうか月皇、負けないでおくれ。やれやれ。
スタミュ界には作中で迷い成長してゆく姿が顕著な人物がいる一方で、ブレない芯をしっかり持っている姿が印象的な人物がいます。天花寺や空閑、そして辰己は明らかな後者です。
(図)太く深く地に植わっており、周りにいる一座もろとも支えられるような芯を持つ天花寺。飾り気のないシンプルな棒だなあと思って触ると火傷するほど熱そうな芯を持つ空閑。そんな中、辰己の中にあるものは、細く透き通っていて、角度によっては見えないようで、光が射すと確実にそこに在るのだと目視できるほどの存在感を放ち、鋭利に先が尖っていて、触るとひやりと冷たそうで、しかし手を伸ばすと消えていて、何処かと探すと背後にスッと立っている、そういうものであるような感じがします。
そういう意味ではブレないとは少し違うのかもしれませんね。彼の中には自分の法律があり、それは非常に柔軟で、いつもそばにいる信頼できる人、新しく出会った素晴らしい人、他人の変化、それらによって影響を受け、いつも目まぐるしく変わっているのかもしれません。
ただ一つ決してブレないのは『自分に嘘をつかない』こと。変化と共に進化を続ける、色のない、美しい、辰己の心に聳える芯。触れたいような、触れると見失いそうで怖いような。星谷同様ここまで並走してきたスタミュカンパニーの仲間ですが、取り扱いは栄吾に学ばねばなりません(笑)。おめでとう。
【2020】
賢いサル、優しくて懐っこいイヌ、強いだけでなくネコ科らしいわんぱくさも持ち合わせるトラ、可愛くてちょっと怖がりなウサギ。そんな干支の中で少しばかり異質、アジアではどことなく神聖な存在でありながら、西洋では悪の権化のようでもある、神秘的で勇ましいドラゴン。辰己琉唯の誕生日でした。
第3期まで書いてみての辰己の印象は、何となく取り違えられたteam鳳っ子のようだなあという感じ。演者としての辰己の本質は、柊より鳳に似ているのかもしれません。鳳と辰己の『沈黙のディアローグ』を聴いた時、一度、もしも辰己がteam鳳に入っていたらどうだったろうか…と想像したことがあります。
辰己は持ち前の柔軟性と実は旺盛な好奇心とチャレンジ精神を鳳に容赦なく刺激され、もしかすると今以上に自由に溌剌と、固定概念をぶち壊す勢いで、とんでもないミュージカルスーパースターへの階段を大股跳びのショートカットで駆け上がり、鳳は――演者を目指すのをやめていたかもなあと思いました。
自分が思い描いていた理想、演者としてのスタイルを、活き活きと体現して結果を残していった辰己を見届けて、綾薙教育も捨てたもんじゃないなと先生にでもなりそうだなと感じます。それはそれで良い人生な気もしますが、今の鳳を知る身としては、ほんの少し寂しい気がしますね。
何より柊は――辰己(率いる今のteam柊)と出会っていなければ、今より少し頑なな柊だったと思います。用意された人生を寄り道なしでまっすぐ進んで行く、演者である前に柊家の跡取りである柊。自分の為の我儘など、決して言わない柊。指導者として心満たされた鳳との距離も、縮まらないままだったかも。
そして辰己も柊と出会っていなければ今の辰己にはなりえなかったろうと、3期まで書いてみて改めて思います。彼の本質はチャレンジャー。もしteam柊でなかったら(ましてや鳳門下であったなら(笑))、ひたすらに上を目指し未知の世界を求めるのに夢中で、周りを見ることなど惜しんでいた気がします。
辰己はスター・オブ・スターというトップを取り、柊という、決して奢らず決して他者を蔑ろにしない優れた王の背を見て、帝王学を学んだのです。何者にも打ち砕かれない強固な剣を常に厳しく己に向けて、他者へは柔らかな笑顔を向ける。自分が主役であるより、より良いカンパニーの一員である事を望む。
彼が持って生まれたもの、そして柊から教えられたこと、それらを武器に、時には声をあげて敵に立ち向かい、時には冷静に自分と異なる考え方に耳を傾け、ライバルと「戦いたい」とぶつかっていった、第3期の辰己。
星谷と鳳が運命の出会いを果たし、互いの人生が強烈に輝く唯一の『今』になったように、彼らほどドラマチックな出会いの場面ではなかったものの(笑)辰己と柊もまた、運命的に出会い、出会ったからこその特別な未来が拓けたのだと思うと……辰己は立派な『スタミュ』の主人公でした。
物腰柔らかく誰に対しても誠意とリスペクトを忘ない一方で、友人達にとんでもキャッチフレーズを付けたり、星谷の前で鳳パイセンを切り裂きジャック呼ばわりするなど、無邪気に毒のシャボン玉を吹いて歩いたりもする彼。存外出来上がりきっていない、まだまだ成長中の男の子。好きです。おめでとう。
【2017】
琉唯とは“唯一の王”という意味であり、フランスでは王の名そのもの。
名前に相応しい存在感と素質を兼ね備えたteam柊のリーダー・辰己琉唯のお誕生日ですね。
月の光の強さと星の光の眩さを心の底からリスペクトする彼は、スタミュ界の美しくも爽やかなライバルです。
一方でナイト申渡との絡みにはもはや執念めいたものを感じる今日この頃。ひょっとしたら彼らは一緒に輪廻転生を何万回繰り返していて、色々な人生を経た結果、お隣同士で同い年の幼馴染という親密且つ角の立たない究極の形に辿り着き、今が一番楽しい時期なのでは?と思うことすらあります(笑)
月皇でなくてもやれやれ……と諦めてしまいがち。今際の際「また来世でね、栄吾!」「お待ちしてますよ、辰己」やるまで好きなだけ仲良くせい。
兎にも角にもおめでとう。 体には気を付けて!
【2018】
滑り込みになりましたがスタミュ界の眩しいトップ・オブ・スター・オブ・スター辰己琉唯の誕生日です。「きみは太陽」とか言って様になる男を私は2人位しか知りませんが、間違いなく彼はその内の一人でしょう。幼き頃虚弱だった辰己が今は駆けっこで星谷や空閑にも負けず元気でいることが嬉しいです。
去年はどんなことを書いたっけと思って遡ろうと思ったのですが無理でした……何となく星谷と月皇と申渡に触れたような? なので今年は別の人に触れようかと思ったのですが誰が良いだろうか、ね、栄吾。
第1期では柊門下だった辰己が第2期では鳳の影だったことが少し新鮮でした。思えば第1期が始まる前に出た一問一答にて、別々の舞台を通して間接的に関わりがあった2人が時を経て同じ舞台に立つ、とはドラマチックです。こうなると誰が言い出したか初代姫との会話もいつか書いてみたいものですね。
付き合いが長くなるほどに、彼の優しさと厳しさを知る――というような気がします。まさに“魅力的な人”。どんな役者さんになってゆくのか、どんな大人になってゆくのか、何だかとても楽しみな人です。おめでとう、まだ寒いので体には気を付けて!
【2019】
関わった人々を次々と狂わせてゆくジ・エレガンスの片割れ、辰己琉唯の誕生日。どうか月皇、負けないでおくれ。やれやれ。
スタミュ界には作中で迷い成長してゆく姿が顕著な人物がいる一方で、ブレない芯をしっかり持っている姿が印象的な人物がいます。天花寺や空閑、そして辰己は明らかな後者です。
(図)太く深く地に植わっており、周りにいる一座もろとも支えられるような芯を持つ天花寺。飾り気のないシンプルな棒だなあと思って触ると火傷するほど熱そうな芯を持つ空閑。そんな中、辰己の中にあるものは、細く透き通っていて、角度によっては見えないようで、光が射すと確実にそこに在るのだと目視できるほどの存在感を放ち、鋭利に先が尖っていて、触るとひやりと冷たそうで、しかし手を伸ばすと消えていて、何処かと探すと背後にスッと立っている、そういうものであるような感じがします。
そういう意味ではブレないとは少し違うのかもしれませんね。彼の中には自分の法律があり、それは非常に柔軟で、いつもそばにいる信頼できる人、新しく出会った素晴らしい人、他人の変化、それらによって影響を受け、いつも目まぐるしく変わっているのかもしれません。
ただ一つ決してブレないのは『自分に嘘をつかない』こと。変化と共に進化を続ける、色のない、美しい、辰己の心に聳える芯。触れたいような、触れると見失いそうで怖いような。星谷同様ここまで並走してきたスタミュカンパニーの仲間ですが、取り扱いは栄吾に学ばねばなりません(笑)。おめでとう。
【2020】
賢いサル、優しくて懐っこいイヌ、強いだけでなくネコ科らしいわんぱくさも持ち合わせるトラ、可愛くてちょっと怖がりなウサギ。そんな干支の中で少しばかり異質、アジアではどことなく神聖な存在でありながら、西洋では悪の権化のようでもある、神秘的で勇ましいドラゴン。辰己琉唯の誕生日でした。
第3期まで書いてみての辰己の印象は、何となく取り違えられたteam鳳っ子のようだなあという感じ。演者としての辰己の本質は、柊より鳳に似ているのかもしれません。鳳と辰己の『沈黙のディアローグ』を聴いた時、一度、もしも辰己がteam鳳に入っていたらどうだったろうか…と想像したことがあります。
辰己は持ち前の柔軟性と実は旺盛な好奇心とチャレンジ精神を鳳に容赦なく刺激され、もしかすると今以上に自由に溌剌と、固定概念をぶち壊す勢いで、とんでもないミュージカルスーパースターへの階段を大股跳びのショートカットで駆け上がり、鳳は――演者を目指すのをやめていたかもなあと思いました。
自分が思い描いていた理想、演者としてのスタイルを、活き活きと体現して結果を残していった辰己を見届けて、綾薙教育も捨てたもんじゃないなと先生にでもなりそうだなと感じます。それはそれで良い人生な気もしますが、今の鳳を知る身としては、ほんの少し寂しい気がしますね。
何より柊は――辰己(率いる今のteam柊)と出会っていなければ、今より少し頑なな柊だったと思います。用意された人生を寄り道なしでまっすぐ進んで行く、演者である前に柊家の跡取りである柊。自分の為の我儘など、決して言わない柊。指導者として心満たされた鳳との距離も、縮まらないままだったかも。
そして辰己も柊と出会っていなければ今の辰己にはなりえなかったろうと、3期まで書いてみて改めて思います。彼の本質はチャレンジャー。もしteam柊でなかったら(ましてや鳳門下であったなら(笑))、ひたすらに上を目指し未知の世界を求めるのに夢中で、周りを見ることなど惜しんでいた気がします。
辰己はスター・オブ・スターというトップを取り、柊という、決して奢らず決して他者を蔑ろにしない優れた王の背を見て、帝王学を学んだのです。何者にも打ち砕かれない強固な剣を常に厳しく己に向けて、他者へは柔らかな笑顔を向ける。自分が主役であるより、より良いカンパニーの一員である事を望む。
彼が持って生まれたもの、そして柊から教えられたこと、それらを武器に、時には声をあげて敵に立ち向かい、時には冷静に自分と異なる考え方に耳を傾け、ライバルと「戦いたい」とぶつかっていった、第3期の辰己。
星谷と鳳が運命の出会いを果たし、互いの人生が強烈に輝く唯一の『今』になったように、彼らほどドラマチックな出会いの場面ではなかったものの(笑)辰己と柊もまた、運命的に出会い、出会ったからこその特別な未来が拓けたのだと思うと……辰己は立派な『スタミュ』の主人公でした。
物腰柔らかく誰に対しても誠意とリスペクトを忘ない一方で、友人達にとんでもキャッチフレーズを付けたり、星谷の前で鳳パイセンを切り裂きジャック呼ばわりするなど、無邪気に毒のシャボン玉を吹いて歩いたりもする彼。存外出来上がりきっていない、まだまだ成長中の男の子。好きです。おめでとう。
圆满的佛家上香仪轨!
供香及礼诵持念等种种法门,其妙要在于诚敬二字。供佛、供香虽有仪轨种种,而究其实,都是旨在唤起、培扶修持者的诚敬心,并使之坚固光明。若无诚敬在内,则一切外在的举止言行无论如何严整,也是刻板无光,难增智慧功德。正如《金刚经》所言:一切有为法,如梦幻泡影,如露亦如电,应作如是观。
精诚所至,金石为开。诚敬至极,“纵在凡夫地不能圆得佛经所说之功德,而其所得亦已难以思议。” 其中道理奥妙,正如“能礼所礼性空寂,感应道交难思议,我此道场如帝珠,一切如来影现中”:这能礼敬诸佛的我,以及受我礼敬的诸佛,其实都是由于自性真空,所以才能产生佛入于我、我入于佛这样难以思议的感应道交。心的道场,就象帝释天的智慧宝珠,外部的事物皆能映显其中,所以一切如来也都能映显在我们的自性之中。
佛教中的不同派别和修行法门,其供香仪轨有所不同,以下是参照各种资料综合整理出的焚香供佛的方法,供大家参考。(焚香,又称烧香、拈香、捻香、告香、插香等。)
(一)清净身心
在供香之前,要洗手、漱口,衣冠整洁,仪容端正,身心安泰正定。
(二)发起礼敬之心
在所供养的佛菩萨、本尊、圣像之前,恭敬合掌,目光凝神圣像,心中思惟观想佛陀及一切圣众功德巍巍,如现在眼前,发起诚敬供养之心。也可颂念或默念一些敬语,如:一切恭敬,一心敬礼十方常住三宝。
(三)诵持赞偈 / 真言
捻起所供养之香,双手持于胸前,跪颂烧香偈语或真言,声音宜庄重迟缓(也可默念),祈愿所供之香,化为无量香云,普熏法界,上令十方诸佛欢喜,下能觉悟一切有情。常用的赞偈有《炉香赞》、《宝鼎赞》、《戒定真香赞》等。
《炉香赞》
炉香乍热,法界蒙熏,诸佛海会悉遥闻,随处结祥云,诚意方殷,诸佛现全身。
南无香云盖菩萨摩诃萨。南无香云盖菩萨摩诃萨。南无香云盖菩萨摩诃萨。
《宝鼎赞》
宝鼎热名香,普遍十方,虔诚奉献法中王。
端为人民祝安乐,地久天长;端为人民祝安乐,地久天长。
南无香云盖菩萨摩诃萨。南无香云盖菩萨摩诃萨。南无香云盖菩萨摩诃萨。
《戒定真香赞》
戒定真香,焚起冲天上,弟子虔诚,爇(ruò)在金炉上,
顷刻氤氲(yīnyūn),即遍满十方,众生祈求免难消灾障。
南无香云盖菩萨摩诃萨。南无香云盖菩萨摩诃萨。南无香云盖菩萨摩诃萨。
(四)皈依诸佛
供香者诚心尽力观想,所皈依敬奉的诸佛放出广大光明,现于面前。可持念特别供养的佛菩萨名号,如:
南无本师释迦牟尼佛,南无药师佛,南无阿弥陀佛,南无观世音菩萨,南无大势至菩萨,南无地藏王菩萨,南无十方三世一切诸佛。
我今发心,不为自求,人天福报,声闻缘觉,乃至权乘,诸位菩萨,惟依最上乘发菩提心,愿与法界众生一时同得阿耨多罗三藐三菩提。
“南无”读音:“namo”;译自梵语Namas,其意义接近又涵盖了“皈依”、“礼敬”等词汇,故采用音译。因古今读音之异,当时译为“南无”或 “南模”。
(五)供香
以恭敬轻安的动作燃香(燃香时若出明火,可用手轻轻扇灭,勿吹);使香正对所礼敬之佛像,双手持香举到额头,停留片刻,再插入香炉;
每次上一炷香。一般三炷香即可表达对佛法僧三宝的礼敬。
(六)诵念《供养偈》
观想诸佛菩萨,十方圣众,欢喜接受供养,一切有情亦皆安住于究竟安乐;观想祈愿以此香供养诸佛贤圣,在无边世界中,都能普熏一切众生,共同证得无上圆满智慧。
《供养偈》:
愿此香花云,遍满十方界,
供养一切佛,尊法诸贤圣,
无边佛土中,受用作佛事,
普熏诸众生,皆共证菩提。
或 :
愿此香花云,遍满十方界,
一一诸佛土,无量香庄严,
具足菩萨道,成就如来香。
(七)叩拜 / 诵经 / 礼佛
礼敬之时,须恭敬至诚,缓缓拜起,不要匆忙。宁可少拜,不要草率。
观想佛菩萨感应如在眼前,并且可以默念:
“能礼所礼性空寂,感应道交难思议,我此道场如帝珠,一切如来影现中。”
(八)回向 / 祈愿 / 忏悔 / 发愿
双手合十,回向、祈愿(诵念或默念),如:
愿以此功德,普及于一切,我等与众生,皆共成佛道;
愿以此功德,庄严佛净土,上报四重恩,下济三途苦。若有见闻者,悉发菩提心,尽此一报身,同生极乐国;
愿以此功德,回向弟子历代先祖、冤亲债主,离苦得乐。(或为:回向弟子眷属合家吉祥安康;某某人疾病早日康复;某某人往生净土,离苦得乐;某某人世间、出世间事业悉皆成就;某某人早开智慧,学业进步;某某地方灾障平息,吉祥平安,有情安乐,入于佛道;等等)
发愿,忏悔,如:
弟子某某与累世父母、师长、历劫冤亲债主及法界一切众生,从过去世乃至尽未来际:众生无边誓愿度 烦恼无边誓愿断,法门无量誓愿学佛道无上誓愿成。
弟子某某与累世父母、师长、历劫冤亲债主及法界一切众生,从过去世乃至尽未来际:往昔所造诸恶业,皆由无始 贪嗔痴,从身语意之所生,今对佛前求忏悔 / 一切罪障皆忏悔 / 一切罪根皆忏悔。
(九)供香完毕
最后礼佛三拜。可念“供养完毕,一切恭敬。”
供香及礼诵持念等种种法门,其妙要在于诚敬二字。供佛、供香虽有仪轨种种,而究其实,都是旨在唤起、培扶修持者的诚敬心,并使之坚固光明。若无诚敬在内,则一切外在的举止言行无论如何严整,也是刻板无光,难增智慧功德。正如《金刚经》所言:一切有为法,如梦幻泡影,如露亦如电,应作如是观。
精诚所至,金石为开。诚敬至极,“纵在凡夫地不能圆得佛经所说之功德,而其所得亦已难以思议。” 其中道理奥妙,正如“能礼所礼性空寂,感应道交难思议,我此道场如帝珠,一切如来影现中”:这能礼敬诸佛的我,以及受我礼敬的诸佛,其实都是由于自性真空,所以才能产生佛入于我、我入于佛这样难以思议的感应道交。心的道场,就象帝释天的智慧宝珠,外部的事物皆能映显其中,所以一切如来也都能映显在我们的自性之中。
佛教中的不同派别和修行法门,其供香仪轨有所不同,以下是参照各种资料综合整理出的焚香供佛的方法,供大家参考。(焚香,又称烧香、拈香、捻香、告香、插香等。)
(一)清净身心
在供香之前,要洗手、漱口,衣冠整洁,仪容端正,身心安泰正定。
(二)发起礼敬之心
在所供养的佛菩萨、本尊、圣像之前,恭敬合掌,目光凝神圣像,心中思惟观想佛陀及一切圣众功德巍巍,如现在眼前,发起诚敬供养之心。也可颂念或默念一些敬语,如:一切恭敬,一心敬礼十方常住三宝。
(三)诵持赞偈 / 真言
捻起所供养之香,双手持于胸前,跪颂烧香偈语或真言,声音宜庄重迟缓(也可默念),祈愿所供之香,化为无量香云,普熏法界,上令十方诸佛欢喜,下能觉悟一切有情。常用的赞偈有《炉香赞》、《宝鼎赞》、《戒定真香赞》等。
《炉香赞》
炉香乍热,法界蒙熏,诸佛海会悉遥闻,随处结祥云,诚意方殷,诸佛现全身。
南无香云盖菩萨摩诃萨。南无香云盖菩萨摩诃萨。南无香云盖菩萨摩诃萨。
《宝鼎赞》
宝鼎热名香,普遍十方,虔诚奉献法中王。
端为人民祝安乐,地久天长;端为人民祝安乐,地久天长。
南无香云盖菩萨摩诃萨。南无香云盖菩萨摩诃萨。南无香云盖菩萨摩诃萨。
《戒定真香赞》
戒定真香,焚起冲天上,弟子虔诚,爇(ruò)在金炉上,
顷刻氤氲(yīnyūn),即遍满十方,众生祈求免难消灾障。
南无香云盖菩萨摩诃萨。南无香云盖菩萨摩诃萨。南无香云盖菩萨摩诃萨。
(四)皈依诸佛
供香者诚心尽力观想,所皈依敬奉的诸佛放出广大光明,现于面前。可持念特别供养的佛菩萨名号,如:
南无本师释迦牟尼佛,南无药师佛,南无阿弥陀佛,南无观世音菩萨,南无大势至菩萨,南无地藏王菩萨,南无十方三世一切诸佛。
我今发心,不为自求,人天福报,声闻缘觉,乃至权乘,诸位菩萨,惟依最上乘发菩提心,愿与法界众生一时同得阿耨多罗三藐三菩提。
“南无”读音:“namo”;译自梵语Namas,其意义接近又涵盖了“皈依”、“礼敬”等词汇,故采用音译。因古今读音之异,当时译为“南无”或 “南模”。
(五)供香
以恭敬轻安的动作燃香(燃香时若出明火,可用手轻轻扇灭,勿吹);使香正对所礼敬之佛像,双手持香举到额头,停留片刻,再插入香炉;
每次上一炷香。一般三炷香即可表达对佛法僧三宝的礼敬。
(六)诵念《供养偈》
观想诸佛菩萨,十方圣众,欢喜接受供养,一切有情亦皆安住于究竟安乐;观想祈愿以此香供养诸佛贤圣,在无边世界中,都能普熏一切众生,共同证得无上圆满智慧。
《供养偈》:
愿此香花云,遍满十方界,
供养一切佛,尊法诸贤圣,
无边佛土中,受用作佛事,
普熏诸众生,皆共证菩提。
或 :
愿此香花云,遍满十方界,
一一诸佛土,无量香庄严,
具足菩萨道,成就如来香。
(七)叩拜 / 诵经 / 礼佛
礼敬之时,须恭敬至诚,缓缓拜起,不要匆忙。宁可少拜,不要草率。
观想佛菩萨感应如在眼前,并且可以默念:
“能礼所礼性空寂,感应道交难思议,我此道场如帝珠,一切如来影现中。”
(八)回向 / 祈愿 / 忏悔 / 发愿
双手合十,回向、祈愿(诵念或默念),如:
愿以此功德,普及于一切,我等与众生,皆共成佛道;
愿以此功德,庄严佛净土,上报四重恩,下济三途苦。若有见闻者,悉发菩提心,尽此一报身,同生极乐国;
愿以此功德,回向弟子历代先祖、冤亲债主,离苦得乐。(或为:回向弟子眷属合家吉祥安康;某某人疾病早日康复;某某人往生净土,离苦得乐;某某人世间、出世间事业悉皆成就;某某人早开智慧,学业进步;某某地方灾障平息,吉祥平安,有情安乐,入于佛道;等等)
发愿,忏悔,如:
弟子某某与累世父母、师长、历劫冤亲债主及法界一切众生,从过去世乃至尽未来际:众生无边誓愿度 烦恼无边誓愿断,法门无量誓愿学佛道无上誓愿成。
弟子某某与累世父母、师长、历劫冤亲债主及法界一切众生,从过去世乃至尽未来际:往昔所造诸恶业,皆由无始 贪嗔痴,从身语意之所生,今对佛前求忏悔 / 一切罪障皆忏悔 / 一切罪根皆忏悔。
(九)供香完毕
最后礼佛三拜。可念“供养完毕,一切恭敬。”
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