11月的STAGE SQUARE里,masa谈到了V626演唱会和今后的个人发展——
V6のツアーについては、26年のゴールテープが切れたことへの感謝がまずあります。あとは、語弊のある言い方かもしれないけど、寂しさより喜びのほうが大きくて。それは終われる喜びではなく、ここまでやらせてもらえた喜び。だって普通だったら、考えられないから!26年なんて。26年も続けさせてもらえた。これが10年とか15年だったら寂しいかもしれないけど、今は本当に、感謝と喜びしかないんです。
これからの活動は、言葉にするなら“第2章”。今まで個人として歩んできた道を、広げて、固めて、改めて踏み直していくことが自分の将来に繋がるし、ミュージカルに興味のある後輩たちがその道を歩いてくれたら、また新しいものが作れるんじゃないかなと思います。やることは変わらないですけどね(笑)。まずは「MURDER for TWO」で第2章の第一歩を踏み出して、しっかりとした道を作っていきたいと思っています。
我觉得吧,masa都这么说了,即使当初有些不能释怀的,也能彻底释怀了。
不是他们被迫停下或者不愿继续,而是已经共同来到更多行进方向的换乘点。
而从这三个多月以来,他们也确确实实带给了我们很多的惊喜和更多的期待。
放下good bye,才有hello。
V6のツアーについては、26年のゴールテープが切れたことへの感謝がまずあります。あとは、語弊のある言い方かもしれないけど、寂しさより喜びのほうが大きくて。それは終われる喜びではなく、ここまでやらせてもらえた喜び。だって普通だったら、考えられないから!26年なんて。26年も続けさせてもらえた。これが10年とか15年だったら寂しいかもしれないけど、今は本当に、感謝と喜びしかないんです。
これからの活動は、言葉にするなら“第2章”。今まで個人として歩んできた道を、広げて、固めて、改めて踏み直していくことが自分の将来に繋がるし、ミュージカルに興味のある後輩たちがその道を歩いてくれたら、また新しいものが作れるんじゃないかなと思います。やることは変わらないですけどね(笑)。まずは「MURDER for TWO」で第2章の第一歩を踏み出して、しっかりとした道を作っていきたいと思っています。
我觉得吧,masa都这么说了,即使当初有些不能释怀的,也能彻底释怀了。
不是他们被迫停下或者不愿继续,而是已经共同来到更多行进方向的换乘点。
而从这三个多月以来,他们也确确实实带给了我们很多的惊喜和更多的期待。
放下good bye,才有hello。
青年:では、あらためて質問します。世界はどこまでもシンプルである、というのが先生のご持論なのですね。
哲人:ええ。世界は信じがたいほどにシンプルなところですし、人生もまた同じです。
青年:理想論としてではなく、現実の話として、そう主張されているのですか? つまり、わたしやあなたの人生に横たわる諸問題もまた、シンプルなものであると。
哲人:もちろんです。
青年: いいでしょう。議論に移る前に、今回の訪問についてお話しさせてください。まず、わたしがここを訪れた第一の理由は、先生と存分に、納得のいくまで議論を交わすことです。そして できることなら 先生にご持論を撤回していただきたいと思っています。
哲人: ふふふ……
青年:というのも、風の噂に先生の評判を聞きましてね。なんでもこの地に一風変わった哲学者が住んでいて、看過しがたい理想論を唱えているらしい。
曰く、人は変われる、世界はシンプルである、誰もが幸福になれる、だのと。わたしにとっては、いずれも到底受け入れられない議論です。それで実際に自分の目で確かめて、少しでもおかしな点があれば その誤りを正してさしあげよう、というわけです。ご迷惑でしょうか?
哲人:いいえ、大いに歓迎します。わたし自身、あなたのような若者の声に耳を傾け、学びを多くしていきたいと願っていたところです。
青年:ありがとうございます。わたしは別に、先生を頭ごなしに否定しようとは思いません。まずは先生のご持論に乗っかった上で、その可能性から考えてみます。
世界はシンプルであり、人生もまたシンプルである。もしもこのテーゼに幾ばくかの真理がまれるとするなら、それは子どもにとっての生でしょう。子どもには、勤労や納税といった目に見える義務がありません。親や社会に守られながら、毎日を自由気ままに生きています。未来はどこまでも続いていて、自分にはなんでもできるように思える。醜い現実を見なくてすむよう、その目を覆い隠されている。
なるほどたしかに、子どもの目に映る世界はシンプルな姿をしているのでしょう。しかし、大人になるにつれ、世界はその本性を現していきます。「お前はその程度の人間なのだ」という現実を嫌というほど見せつけられ、人生に待ち受けていたはずのあらゆる可能性が“K可能性”へと反転xする。幸福なロマンティシズムの季節は終わり、残酷なリアリズムの時代がやってくるわけです。
哲人: なるほど、おもしろい。
青年: それだけではありません。大人になれば複雑な人間関係に絡まれ、多くの責任を押しつけられる。仕事、家庭、あるいは社会的な役割、すべてがそうです。無論、子どものころは理解やきなかった差別や戦争、格差といった社会の諸問題も見えてくるし、無視できなくなります。違いますか?
哲人:そうでしょう。続けてください。
青年: さて、宗教が力を持っていた時代であれば、まだ救いもあったでしょう。神の教えこそが真理であり、世界であり、すべてだった。その教えに従ってさえいれば、考えるべき課題も少なかった。しかし宗教は力を失い、いまや神への信仰も形骸化しています。頼れるものがなにもないまま、誰もが不安に打ち震え、猜疑心に凝り固まっている。みんな自分のことだけを考えて生きている。それが現代の社会というものです。さあ先生、お答えください。あなたはこれだけの現実を前にしてもなお、世界はシンプルだと おっしゃるのですか?
哲人:わたしの答えは変わりません。世界はシンプルであり、人生もまたシンプルです。
青年:なぜです? 誰がどう見ても予盾に満ちた混沌ではありませんか!
哲人:それは「世界」が複雑なのではなく、ひとえに「あなた」が世界を複雑なものとしているのです。
哲人:人は誰しも、客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでいます。あなたが見ている世界は、わたしが見ている世界とは違うし、およそ誰とも共有しえない世界でしょう。
青年:どういうことです? 先生もわたしも同じ時代、同じこの国に生きて、同じものを見ているじゃありませんか?
哲人:そうですね、見たところあなたはお若いようですが、汲み上げたばかりの井戸水を飲んだことはありますか?
青年:井戸水? まあ、ずいぶん昔のことですが、田舎にある祖母の家が井戸を引いていました。夏の暑い日に祖母の家で飲む冷たい井戸の水は、大きな楽しみでしたよ。
哲人:ご存じかもしれませんが、井戸水の温度は年間を通してほぼ18度で一定しています。これは誰が測定しても同じ、客観の数字です。しかし、夏に飲む井戸水は冷たく感じるし、冬に飲むと温かく感じます。温度計では常に18度を保っているのに、夏と冬では感じ方が違うわけです。
青年:つまり、環境の変化によって錯覚してしまう。
哲人:いいえ、錯覚ではありません。そのときの「あなた」にとっては、井戸水の冷たさも温かさも、動かしがたい事実なのです。主観的な世界に住んでいるとは、そういうことです。われわれは「どう見ているか」という主観がすべてであり、自分の主観から逃れることはできません。
いま、あなたの目には世界が複雑怪奇な混沌として映っている。しかし、あなた自身が変われば、世界はシンプルな姿を取り戻します。問題は世界がどうであるかではなく、あなたがどうであるか、なのです。
もしかするとあなたは、サングラス越しに世界を見ているのかもしれない。そこから見える世界が暗くなるのは当然です。だったら、暗い世界を嘆くのではなく、ただサングラスを外してしまえばいい。
そこに映る世界は強烈にまぶしく、思わずまぶたを閉じてしまうかもしれません。再びサングラスがほしくなるかもしれません。それでもなお、サングラスを外すことができるか。世界を直
視することができるか。あなたにその勇気があるか?ええ、これは“勇気"の問題です。
青年:いや、まあいいでしょう。反論は山ほどありますが、どうやらそれはあと回しにしたほうがよさそうだ。確認ですが、先生は「人は変われる」とおっしゃるのですね? わたしが変われば、世界もシンプルな姿を取り戻す、と。
哲人:もちろん、人は変われます。のみならず、幸福になることもできます。
青年:いかなる人も、例外なく?
哲人:ひとりの例外もなく、いまこの瞬間から。
青年:ははっ、大きく出ましたね! おもしろいじゃありませんか、先生。いますぐ論破してさしあげますよ!
哲人:わたしは逃げも隠れもしません。ゆっくりと語り合っていきましょう。あなたの立場は「人は変われない」なのですね?
青年:変われません。現に、わたし自身が変われずに苦しんでいます。
哲人:しかし同時に、あなたは変わりたいとも願っている。
青年:もちろんです。もしも変われるのなら、この人生をやり直せるのなら、わたしは喜んで先生に跪きましょう。もっとも、先生がわたしに跪くことになるやもしれませんが。
哲人:いいでしょう。おもしろいものです。あなたの姿を見ていると、学生時代の自分を思い出します。真理を探して哲学者のもとを訪ね歩いていた、血気盛んな若者だったころの自分の姿を。
青年:ええ、そうです。わたしは真理を探し求めています。人生の真理を。 https://t.cn/RvSnbQv
哲人:ええ。世界は信じがたいほどにシンプルなところですし、人生もまた同じです。
青年:理想論としてではなく、現実の話として、そう主張されているのですか? つまり、わたしやあなたの人生に横たわる諸問題もまた、シンプルなものであると。
哲人:もちろんです。
青年: いいでしょう。議論に移る前に、今回の訪問についてお話しさせてください。まず、わたしがここを訪れた第一の理由は、先生と存分に、納得のいくまで議論を交わすことです。そして できることなら 先生にご持論を撤回していただきたいと思っています。
哲人: ふふふ……
青年:というのも、風の噂に先生の評判を聞きましてね。なんでもこの地に一風変わった哲学者が住んでいて、看過しがたい理想論を唱えているらしい。
曰く、人は変われる、世界はシンプルである、誰もが幸福になれる、だのと。わたしにとっては、いずれも到底受け入れられない議論です。それで実際に自分の目で確かめて、少しでもおかしな点があれば その誤りを正してさしあげよう、というわけです。ご迷惑でしょうか?
哲人:いいえ、大いに歓迎します。わたし自身、あなたのような若者の声に耳を傾け、学びを多くしていきたいと願っていたところです。
青年:ありがとうございます。わたしは別に、先生を頭ごなしに否定しようとは思いません。まずは先生のご持論に乗っかった上で、その可能性から考えてみます。
世界はシンプルであり、人生もまたシンプルである。もしもこのテーゼに幾ばくかの真理がまれるとするなら、それは子どもにとっての生でしょう。子どもには、勤労や納税といった目に見える義務がありません。親や社会に守られながら、毎日を自由気ままに生きています。未来はどこまでも続いていて、自分にはなんでもできるように思える。醜い現実を見なくてすむよう、その目を覆い隠されている。
なるほどたしかに、子どもの目に映る世界はシンプルな姿をしているのでしょう。しかし、大人になるにつれ、世界はその本性を現していきます。「お前はその程度の人間なのだ」という現実を嫌というほど見せつけられ、人生に待ち受けていたはずのあらゆる可能性が“K可能性”へと反転xする。幸福なロマンティシズムの季節は終わり、残酷なリアリズムの時代がやってくるわけです。
哲人: なるほど、おもしろい。
青年: それだけではありません。大人になれば複雑な人間関係に絡まれ、多くの責任を押しつけられる。仕事、家庭、あるいは社会的な役割、すべてがそうです。無論、子どものころは理解やきなかった差別や戦争、格差といった社会の諸問題も見えてくるし、無視できなくなります。違いますか?
哲人:そうでしょう。続けてください。
青年: さて、宗教が力を持っていた時代であれば、まだ救いもあったでしょう。神の教えこそが真理であり、世界であり、すべてだった。その教えに従ってさえいれば、考えるべき課題も少なかった。しかし宗教は力を失い、いまや神への信仰も形骸化しています。頼れるものがなにもないまま、誰もが不安に打ち震え、猜疑心に凝り固まっている。みんな自分のことだけを考えて生きている。それが現代の社会というものです。さあ先生、お答えください。あなたはこれだけの現実を前にしてもなお、世界はシンプルだと おっしゃるのですか?
哲人:わたしの答えは変わりません。世界はシンプルであり、人生もまたシンプルです。
青年:なぜです? 誰がどう見ても予盾に満ちた混沌ではありませんか!
哲人:それは「世界」が複雑なのではなく、ひとえに「あなた」が世界を複雑なものとしているのです。
哲人:人は誰しも、客観的な世界に住んでいるのではなく、自らが意味づけをほどこした主観的な世界に住んでいます。あなたが見ている世界は、わたしが見ている世界とは違うし、およそ誰とも共有しえない世界でしょう。
青年:どういうことです? 先生もわたしも同じ時代、同じこの国に生きて、同じものを見ているじゃありませんか?
哲人:そうですね、見たところあなたはお若いようですが、汲み上げたばかりの井戸水を飲んだことはありますか?
青年:井戸水? まあ、ずいぶん昔のことですが、田舎にある祖母の家が井戸を引いていました。夏の暑い日に祖母の家で飲む冷たい井戸の水は、大きな楽しみでしたよ。
哲人:ご存じかもしれませんが、井戸水の温度は年間を通してほぼ18度で一定しています。これは誰が測定しても同じ、客観の数字です。しかし、夏に飲む井戸水は冷たく感じるし、冬に飲むと温かく感じます。温度計では常に18度を保っているのに、夏と冬では感じ方が違うわけです。
青年:つまり、環境の変化によって錯覚してしまう。
哲人:いいえ、錯覚ではありません。そのときの「あなた」にとっては、井戸水の冷たさも温かさも、動かしがたい事実なのです。主観的な世界に住んでいるとは、そういうことです。われわれは「どう見ているか」という主観がすべてであり、自分の主観から逃れることはできません。
いま、あなたの目には世界が複雑怪奇な混沌として映っている。しかし、あなた自身が変われば、世界はシンプルな姿を取り戻します。問題は世界がどうであるかではなく、あなたがどうであるか、なのです。
もしかするとあなたは、サングラス越しに世界を見ているのかもしれない。そこから見える世界が暗くなるのは当然です。だったら、暗い世界を嘆くのではなく、ただサングラスを外してしまえばいい。
そこに映る世界は強烈にまぶしく、思わずまぶたを閉じてしまうかもしれません。再びサングラスがほしくなるかもしれません。それでもなお、サングラスを外すことができるか。世界を直
視することができるか。あなたにその勇気があるか?ええ、これは“勇気"の問題です。
青年:いや、まあいいでしょう。反論は山ほどありますが、どうやらそれはあと回しにしたほうがよさそうだ。確認ですが、先生は「人は変われる」とおっしゃるのですね? わたしが変われば、世界もシンプルな姿を取り戻す、と。
哲人:もちろん、人は変われます。のみならず、幸福になることもできます。
青年:いかなる人も、例外なく?
哲人:ひとりの例外もなく、いまこの瞬間から。
青年:ははっ、大きく出ましたね! おもしろいじゃありませんか、先生。いますぐ論破してさしあげますよ!
哲人:わたしは逃げも隠れもしません。ゆっくりと語り合っていきましょう。あなたの立場は「人は変われない」なのですね?
青年:変われません。現に、わたし自身が変われずに苦しんでいます。
哲人:しかし同時に、あなたは変わりたいとも願っている。
青年:もちろんです。もしも変われるのなら、この人生をやり直せるのなら、わたしは喜んで先生に跪きましょう。もっとも、先生がわたしに跪くことになるやもしれませんが。
哲人:いいでしょう。おもしろいものです。あなたの姿を見ていると、学生時代の自分を思い出します。真理を探して哲学者のもとを訪ね歩いていた、血気盛んな若者だったころの自分の姿を。
青年:ええ、そうです。わたしは真理を探し求めています。人生の真理を。 https://t.cn/RvSnbQv
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