【卓球男子の水谷隼選手引退 馬龍選手から「いじり」メッセージ】2月27日に開催された水谷隼選手の引退セレモニーで、中国の馬龍選手がビデオメッセージを寄せ、「水谷さん、ご無沙汰しています。引退セレモニーをすると聞いて、同じアスリートとして、僕は君の決意を理解し、尊重します。僕たちはそれこそ小さい頃から一緒に大きくなったと言ってもよく、競い合い、リスペクトし合いながらずっとやってきました。君もずっと自分の夢を実現するために必死で努力し、ついに五輪で金メダルを手にしました」と称えた上で、「でも選手としてなにより一番悔しかったのはやはり僕を倒すことができなかったことではないでしょうか?」と強烈ないじりを入れ、「卓球は人生のほんの一部にすぎません。これからもさらに素晴らしい人生となるよう祈っています」と結んだ。思いやりに満ちつつもぐっさり来る「いじり」メッセージに、多くのネットユーザーが思わず笑いをこらえきれなかったようだ。そして、実力を備えたアスリート同士の互いを惜しむ気持ちに感動しただけでなく、馬選手のメッセージは「実力の裏打ちがあるからこそのドヤ発言」というコメントを次々寄せた。https://t.cn/A66AS9NY
徳永えり
@ET_flamme:
「真夜中にハロー!」で共演させていただいたアンジュルムの皆様
目の前で見た「大器晩成」のパフォーマンスは、言葉では言い表せないほど素晴らしかったです✊❤️
お一人お一人の表情や表現に顔がほころんだり、ドキッとしたり…本当幸せでした❣️
https://t.cn/A66Z9wPw
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桥本发表的
エース頼みではなく 次世代に継承される「理想のニッポン」…橋本聖子氏特別コラム
羽生結弦
北京五輪は20日夜、17日間の会期を終えて閉幕した。メダル獲得数で、日本は最多だった前回2018年平昌大会の13個を超える18個の大躍進で、金27個を獲得した半年前の東京五輪に続く好成績を残した。昨夏の東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の橋本聖子氏(57)がスポーツ報知に特別コラムを寄稿。夏冬通算7度出場の“五輪の申し子”の目から見た大会の印象や日本勢の進化、札幌市が1972年大会以来、2度目の招致を目指す2030年冬季大会への思いをつづった。
北京での冬の祭典が幕を閉じました。氷で、雪で、多くの感動を私たちに届けてくれました。チームジャパンは前回平昌大会の13個を超える史上最多18個のメダルを獲得しました。メダルには届かなくても素晴らしい挑戦をした選手たちにも心からの拍手を送りたいと思います。
今回の五輪を通じて多くの学びがありました。「老壮青」という言葉があります。人はどの時期にあっても学び続けることが大事で、若い頃の学びは壮年期での大きな仕事につながり、壮年期で培った学びにより、老年期に入っても衰えることがない―。北京大会を見ていて、まさに各年代ごとの経験が一つとなり、大きな目的に向かっていく力強さのようなものを感じましたし、チームジャパンの最多メダルにも形となって示されていました。
選手、コーチ、彼らを支えるスタッフたちの一体感が凝縮されていて、経験を積んだベテランが引っ張り、中堅が続き、彼らの背中を見て若い選手が学ぶ。一人エースに頼っていたかつての日本とは違い、多くの競技で、次の世代にしっかりと継承していく理想的なチームの形に近づいてきたと感じました。
複合男子の33歳、渡部暁斗選手の奮闘は28年ぶりの団体銅メダルへの活力となり、フィギュアスケート男子では羽生結弦選手の存在が宇野昌磨選手、18歳の鍵山優真選手への大きな刺激となりました。スキー・ジャンプは小林陵侑選手の活躍がチームメートの背中を後押ししました。10代、20代と、それぞれの年代で人生のすべてを差し出し、自分の過去、現在、未来を作りあげる選手がそろっていると感じました。
若い頃の経験が糧となり一つの成果を示した一人が、スピードスケートの高木美帆選手でした。15歳で初めて出場したバンクーバー五輪で見て、感じ、学び、決して平坦ではありませんでしたが、12年後の今回の北京で4個のメダル獲得を果たしました。1000メートルの金メダルは歩んできた道のりが正しかったという証しになり、競技者としての大きな誇りにもなります。後に続く世代への大きな道しるべになると感じました。これは本人に聞いてないので分かりませんが、同じ色の銀メダルでも、500メートルの銀には喜ばしさがあり、本命だった1500メートルは悔しい銀になったのかなと思いました。
同じ色のメダルでも本人が描く理想とは異なることがあります。経験を重ねることで、その年代で抱く価値観や目標も変わり、世界初認定された羽生選手の4回転半ジャンプ(クワッドアクセル)のように、さらに高いレベルでの挑戦もありました。
史上初めて同一都市による夏冬の五輪開催を果たした中国の力も感じた五輪でした。国際オリンピック委員会(IOC)総会での東京2020大会の最終報告のため、北京に行き、1週間滞在しました。72年札幌から50年の今年、30年冬季札幌大会招致を目指す上でもたくさんの学びがありました。冬季北京はそっくりそのままと言っていいほど、08年夏季大会に携わった方々が携わり、前回大会で得た経験を生かし、さらに成熟度を増した大会を作りました。
札幌招致に向けても2020大会の経験も含めたオールジャパン体制となれば招致活動への厚みも増すと感じました。招致したい国や都市はたくさんありますが、環境や経済的な能力が満たせず開催できない都市の方が多く、一握りの都市しか開催できるチャンスがないのであれば、手を挙げるべきだとずっと思ってきました。観光や食、自然エネルギーの宝庫と、北海道の持つ潜在能力は本当にすごい。SDGs(持続可能な開発目標)に配慮することができる大都市・札幌を世界に発信し、東京大会で実現できなかった完全な形での大会を札幌でできたらと思います。ただ、30年大会に投資する意味がどこにあるのか、単に景気の起爆剤としてという理由だけでは大きな支持は得られません。札幌は心した準備が必要だと改めて思いました。
多的言论放在评论里了哦#羽生结弦[超话]#
エース頼みではなく 次世代に継承される「理想のニッポン」…橋本聖子氏特別コラム
羽生結弦
北京五輪は20日夜、17日間の会期を終えて閉幕した。メダル獲得数で、日本は最多だった前回2018年平昌大会の13個を超える18個の大躍進で、金27個を獲得した半年前の東京五輪に続く好成績を残した。昨夏の東京五輪・パラリンピック組織委員会会長の橋本聖子氏(57)がスポーツ報知に特別コラムを寄稿。夏冬通算7度出場の“五輪の申し子”の目から見た大会の印象や日本勢の進化、札幌市が1972年大会以来、2度目の招致を目指す2030年冬季大会への思いをつづった。
北京での冬の祭典が幕を閉じました。氷で、雪で、多くの感動を私たちに届けてくれました。チームジャパンは前回平昌大会の13個を超える史上最多18個のメダルを獲得しました。メダルには届かなくても素晴らしい挑戦をした選手たちにも心からの拍手を送りたいと思います。
今回の五輪を通じて多くの学びがありました。「老壮青」という言葉があります。人はどの時期にあっても学び続けることが大事で、若い頃の学びは壮年期での大きな仕事につながり、壮年期で培った学びにより、老年期に入っても衰えることがない―。北京大会を見ていて、まさに各年代ごとの経験が一つとなり、大きな目的に向かっていく力強さのようなものを感じましたし、チームジャパンの最多メダルにも形となって示されていました。
選手、コーチ、彼らを支えるスタッフたちの一体感が凝縮されていて、経験を積んだベテランが引っ張り、中堅が続き、彼らの背中を見て若い選手が学ぶ。一人エースに頼っていたかつての日本とは違い、多くの競技で、次の世代にしっかりと継承していく理想的なチームの形に近づいてきたと感じました。
複合男子の33歳、渡部暁斗選手の奮闘は28年ぶりの団体銅メダルへの活力となり、フィギュアスケート男子では羽生結弦選手の存在が宇野昌磨選手、18歳の鍵山優真選手への大きな刺激となりました。スキー・ジャンプは小林陵侑選手の活躍がチームメートの背中を後押ししました。10代、20代と、それぞれの年代で人生のすべてを差し出し、自分の過去、現在、未来を作りあげる選手がそろっていると感じました。
若い頃の経験が糧となり一つの成果を示した一人が、スピードスケートの高木美帆選手でした。15歳で初めて出場したバンクーバー五輪で見て、感じ、学び、決して平坦ではありませんでしたが、12年後の今回の北京で4個のメダル獲得を果たしました。1000メートルの金メダルは歩んできた道のりが正しかったという証しになり、競技者としての大きな誇りにもなります。後に続く世代への大きな道しるべになると感じました。これは本人に聞いてないので分かりませんが、同じ色の銀メダルでも、500メートルの銀には喜ばしさがあり、本命だった1500メートルは悔しい銀になったのかなと思いました。
同じ色のメダルでも本人が描く理想とは異なることがあります。経験を重ねることで、その年代で抱く価値観や目標も変わり、世界初認定された羽生選手の4回転半ジャンプ(クワッドアクセル)のように、さらに高いレベルでの挑戦もありました。
史上初めて同一都市による夏冬の五輪開催を果たした中国の力も感じた五輪でした。国際オリンピック委員会(IOC)総会での東京2020大会の最終報告のため、北京に行き、1週間滞在しました。72年札幌から50年の今年、30年冬季札幌大会招致を目指す上でもたくさんの学びがありました。冬季北京はそっくりそのままと言っていいほど、08年夏季大会に携わった方々が携わり、前回大会で得た経験を生かし、さらに成熟度を増した大会を作りました。
札幌招致に向けても2020大会の経験も含めたオールジャパン体制となれば招致活動への厚みも増すと感じました。招致したい国や都市はたくさんありますが、環境や経済的な能力が満たせず開催できない都市の方が多く、一握りの都市しか開催できるチャンスがないのであれば、手を挙げるべきだとずっと思ってきました。観光や食、自然エネルギーの宝庫と、北海道の持つ潜在能力は本当にすごい。SDGs(持続可能な開発目標)に配慮することができる大都市・札幌を世界に発信し、東京大会で実現できなかった完全な形での大会を札幌でできたらと思います。ただ、30年大会に投資する意味がどこにあるのか、単に景気の起爆剤としてという理由だけでは大きな支持は得られません。札幌は心した準備が必要だと改めて思いました。
多的言论放在评论里了哦#羽生结弦[超话]#
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