【中村屋酒店の兄弟】
『中村屋酒店の兄弟』藤原季節さん、長尾卓磨さんインタビュー
―お2人は最初から俳優を目指していらっしゃったんですか?
藤原 僕は物心ついた時から俳優になりたいと思っていました。映画が好きだったんですよ。ジャッキー・チェンに憧れて、絶対俳優になるぞと決めていたので高校卒業後上京しました。
―じゃあ夢を叶えられたんですね。
藤原 まあまだ途中ではありますけれども。一応。
長尾 子どものころ、「先祖が上杉謙信だよ」と聞いて、戦国武将になりたかったんです。現代社会では無理だなと思って、馬に乗って刀振り回すにはこの中に入ればいいのかなって。それが中井貴一さん主演の「武田信玄」(1988年大河ドラマ)。仕事としては大学卒業してから広告代理店に入って、遠回りしました。
―俳優じゃなく”武将”が始まり!だからお城巡りがお好きなんですね。なりたかった武将役は?
長尾 『信虎』(2021/金子修介監督)で上杉景勝(長尾顕景)役をやらせていただきました。やってみたいのは、やはり上杉謙信(長尾景虎)役です。
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―役をいただいたときと、演じ終わってから印象の違いはありましたか?
藤原 役をいただいたときは、兄弟との関係性で役を見ているというよりは「和馬」という役にフォーカスして見ていたんです。東京と実家を行き来して居場所を探している青年を演じるんだな、って。演じ終わったときに、長尾さんっていうお兄ちゃんと共演して「兄と一緒にいるときの自分」っていうのは、ある意味弟という役割だったり、仮面をかぶった弟という人間を演じようとしている青年でもあるなと思って。それが自分が働いている、東京でやってきたこととかが兄にバレたりして、そういう身ぐるみ剥がされていくというか正体がバレていくところの変化だったり、関係性においての青年にフォーカスを合わせて見れるようになった。それが演じる前と後では違いました。
長尾 僕も最初の印象では「何を勝手なこと言ってるんだ」と弟に対してあったんですけど、季節くんが、会った瞬間から可愛くて、どんどん可愛くなってきて、なんかずっと横顔を見ていたような感覚がありました。
監督が常々「優しく、もっともっと優しく接してください。怖いほど優しく。全て表面上は優しく」と言っていて。終わったときは、今、季節くんが言ってくれたみたいに、「兄という役割を自分で作っている」「兄としての役割を急に演じなくてはいけないと思いこんだ人間」なんじゃないかなと、同じようなことを考えました。
―優しい、いいお兄ちゃんでした。
藤原 その「優しい、いいお兄ちゃん」っていうのは、弟の前で見せるお兄ちゃんの顔で、本当のところは何もわからない。そういう裏側も見える映画になっていればいいなと思います。
―お兄ちゃんが一瞬怖く見えるところがありますね。お母さんの介護をずっと1人で背負ってきて、数年後に帰ってきた何もしなかった弟に対しての葛藤があると思いました。
藤原 そう見ていただけると嬉しいです。
―お母さんの言う「ありがとう」が他人に対しての「ありがとう」で、そこがお兄ちゃんには辛いだろうと思いました。お2人は、お若いので介護の経験はないでしょう?
長尾 祖父母はいますが、そこまでの介護はしていないです。
藤原 僕も未経験です。
―長尾さん、ご兄弟はいらっしゃいますか?
長尾 いません。ひとりっ子です。
―藤原さんは妹さんがいらっしゃるんですよね。
藤原 はい、そうです。姉もいます。
―女の子の間の男の子って特権階級みたいなものです(笑)。優遇されますよね。
長尾・藤原 (笑)そうですね。
藤原 たしかに、優遇という言い方はあれなんですけど、母からは可愛がってもらってたんじゃないかな、と思います。
―「しかたがないなぁ」と思いつつ弟は可愛い。お兄ちゃんは弟が生まれたとたん「お兄ちゃん」でいなくちゃいけなくて、それなのに…という辛さもあります。短い中にいろんなことが詰まっていて、監督さんがお若いのにこのお話、と驚きました。
藤原 僕もそう思いました。
長尾 うん。
―今振り返ってみて、印象に残っているシーンは?
藤原 最後に兄が弟に言う言葉ですね。封筒の。
あの台詞に白磯君が言いたかった兄弟の距離間というものが、全部詰まっているように思います。弟が東京で何をしてきたかということを知って、兄が問い詰めることもできた。でもそれを全部飲み込んで、あの台詞に全てを込めるっていうのがやりたかったことなんじゃないかな。
そのとき自分が演じていた和馬の表情も印象的だなと、自分自身思いました。
―まばたき多くなっていました。
藤原 (笑)
―お兄ちゃんはいかがでしょうか?
長尾 僕はその前夜の2人でタバコを吸うところ。弟がどういう時間を過ごして店の前に出てきたのか、言葉を用意していたのか、しなかったのかという2人の関係。兄ははじめ、次の日に行くことがわかっているのかいないのか。2人のあいだにたゆたう時間、とても印象的でしたね。
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―この映画で耳に残ったのが、2人が呼ぶ「母ちゃん」なんです。いいな、と思いました。お2人差支えなかったら、お母さんを何と呼んでいらっしゃるか教えてください。
藤原 僕は「かあちゃん」って呼んでますね。
―映画と同じですね。長尾さんは?
長尾 ○○子。さん付けするか、しないか。
―名前を呼ぶんですか?
藤原 長尾さんらしいですね。
長尾 そうかな? 十代から両親は名前で呼んでいます。
―それは、ご両親に言われたわけじゃなくて、自分で?
長尾 はい、自分で。家に来る友達もみんなそう呼んでいました。
―母親という役割より○○子さんが前に出ているって、すごく個人的というか欧米っぽいです。
長尾 反抗期のころで、所詮他人だろうっていうのもあって。その方が人として敬意をもって接することができるだろう、と。お袋っていうのもなんかちょっと。
藤原 父親のことを「親父」って呼べないな、呼んでみたいな、とかありますけど。「所詮他人だろう」っていうのは言い方を変えれば、他人として認識している。「母」ってあてはめちゃうとどうしても甘えが出てきちゃいますが、一人の他人だと認識することで敬意を持てる側面もあると思います。
―個人として尊重しているって感じがしますね。クールだ!とっても(笑)。
藤原 原田芳雄さんも自分の息子に下の名前で呼ばせてたって。
長尾 そうなんだ。
―監督が俳優を選ぶように、俳優も作品を選びますね。そのときに決め手になるものはなんですか?
藤原 やっぱり最初に脚本。その次に過去の作品。スタッフ、で最後にキャストですね。
―自分のほかに誰が出るかということですね。自分の役柄についてこだわりはありますか?
藤原 それよりも、その役柄がその作品にどういった影響を及ぼしているかとか、作品のことをまずは考えて、小さい役でもそれに参加すべきだなと思ったら参加します。
―例えば快楽殺人犯の役とか、自分はちょっとと思うことは?
藤原 新しい感情とか、新しい自分に出逢えるチャンスがあるなら僕は飛び込みたい、と思っています。
―おお、チャレンジャーです! 長尾さんは?
長尾 監督含め、撮りたい方々が…なんとなくこういうと生意気かもしれないですけど、今の世の中に対してどう思っているかということが感じられると嬉しいですね。参加する身としては。自分が生きている環境、取り巻いている世界に対して、どういうものを持って表現したいかを、監督、脚本から感じ取れると参加させてもらえる意義を感じる気がします。
―監督さんにもよると思いますが、たとえば自分の役作りでたくさんディスカッションしたいほうですか? 任されたいほうですか?
長尾 どっちでも(笑)。
藤原 長尾さん結構、「向こうが望むなら僕はするし」という、なんかいい意味での受け入れというか、懐の深さがある人だなと現場で思いました。
―受け入れる間口広いんですね。かなり広いんですか?
長尾 それで季節くんをとまどわせてしまったかも(笑)。
藤原 最初とまどいました。
―広いと嬉しくないですか?ストライクゾーン広くて、どんなのも受け止めてくれる。
藤原 多少イラっとすることとか、これは言わなきゃっていうことも長尾さんは絶対言わない。全部受け止める。この人何考えてるんだろうと、最初思いましたね。
長尾(笑)
―映画の中村兄弟みたいですね。
藤原 そうですね。スタッフが映画を撮ったことのないチームだったので、最初はやり方がわからない中でしたが、3,4日経つと長尾さんや僕が望んでいた動き方に自然となっていきました。お芝居の中で起きたことを撮る。最初は「撮る」ことが目的なんですけど、僕たち2人の中で起きたことを撮ろうという流れに変わっていったんです。まずお芝居を見てから、何を撮るか考えよう、みんなでって。それは長尾さんが初日から黙っていたことで、自然発生的に起きていったことでしたね。
―呼び水。黙って。
長尾 そんなたいそうなもんじゃない(笑)。
―ご本人はそんなに意識しないでやっていたんでしょうか?
長尾 しないと言ったらウソになるかと思うんですけど。なんか見ないようにしようと思って(笑)、変な言い方だけど。
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―では最後にこの映画のテーマのひとつでもある「消えてほしくないもの」はなんですか?パッと思いついたことを。
藤原 パッと思いつくもの。手書きの手紙とか捨てられないです。新しくいろんなものが生まれていって、人の体温の残っている直筆の手紙は減っていくのかもしれないですけど、消えてほしくないなと思いますね。
―お母さんからの手紙はとってあるんですか?
藤原 ずーっと全部とってあります。捨てられないです。
―10年分?! お返事は出しています?
藤原 出してませんね。
―親って手紙すごく待っているんですよ。
藤原 そうですよね、書いてみます。やっぱりメールとかと違いますよね。
―違いますよー。お母さんを思って時間かけて書くんですから。
ハガキでいいですし、何と書いてあったって親は嬉しいものです。
藤原 はい、わかりました。
―長尾さんの消えてほしくないものは?
長尾 僕は「家族との思い出」ですかね。ぱっと思い浮かぶのは。どこかに行ったとか忘れてることって意外とたくさんあるなと思って。
―思い出は自分だけのものですものね。形のあるものでは何か?
長尾 その辺の再開発で、好きだった古くからの料理屋さんとかがなくなるのはとっても悲しい。
藤原 「家族との思い出」ってハッとしますね。全部消えていくものじゃないですか。
長尾 うんうん。
藤原 なんか切ないですね。それは。
―この映画で、お母さんが忘れていってしまうのにも繫がりますよね。和馬とお兄ちゃんにも。
藤原 それをわかったうえで「家族の思い出」って着想する長尾さんにぐっとくるものがあります。
長尾(笑)
―素敵なお答えをいただけました。ありがとうございました。
『中村屋酒店の兄弟』藤原季節さん、長尾卓磨さんインタビュー
―お2人は最初から俳優を目指していらっしゃったんですか?
藤原 僕は物心ついた時から俳優になりたいと思っていました。映画が好きだったんですよ。ジャッキー・チェンに憧れて、絶対俳優になるぞと決めていたので高校卒業後上京しました。
―じゃあ夢を叶えられたんですね。
藤原 まあまだ途中ではありますけれども。一応。
長尾 子どものころ、「先祖が上杉謙信だよ」と聞いて、戦国武将になりたかったんです。現代社会では無理だなと思って、馬に乗って刀振り回すにはこの中に入ればいいのかなって。それが中井貴一さん主演の「武田信玄」(1988年大河ドラマ)。仕事としては大学卒業してから広告代理店に入って、遠回りしました。
―俳優じゃなく”武将”が始まり!だからお城巡りがお好きなんですね。なりたかった武将役は?
長尾 『信虎』(2021/金子修介監督)で上杉景勝(長尾顕景)役をやらせていただきました。やってみたいのは、やはり上杉謙信(長尾景虎)役です。
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―役をいただいたときと、演じ終わってから印象の違いはありましたか?
藤原 役をいただいたときは、兄弟との関係性で役を見ているというよりは「和馬」という役にフォーカスして見ていたんです。東京と実家を行き来して居場所を探している青年を演じるんだな、って。演じ終わったときに、長尾さんっていうお兄ちゃんと共演して「兄と一緒にいるときの自分」っていうのは、ある意味弟という役割だったり、仮面をかぶった弟という人間を演じようとしている青年でもあるなと思って。それが自分が働いている、東京でやってきたこととかが兄にバレたりして、そういう身ぐるみ剥がされていくというか正体がバレていくところの変化だったり、関係性においての青年にフォーカスを合わせて見れるようになった。それが演じる前と後では違いました。
長尾 僕も最初の印象では「何を勝手なこと言ってるんだ」と弟に対してあったんですけど、季節くんが、会った瞬間から可愛くて、どんどん可愛くなってきて、なんかずっと横顔を見ていたような感覚がありました。
監督が常々「優しく、もっともっと優しく接してください。怖いほど優しく。全て表面上は優しく」と言っていて。終わったときは、今、季節くんが言ってくれたみたいに、「兄という役割を自分で作っている」「兄としての役割を急に演じなくてはいけないと思いこんだ人間」なんじゃないかなと、同じようなことを考えました。
―優しい、いいお兄ちゃんでした。
藤原 その「優しい、いいお兄ちゃん」っていうのは、弟の前で見せるお兄ちゃんの顔で、本当のところは何もわからない。そういう裏側も見える映画になっていればいいなと思います。
―お兄ちゃんが一瞬怖く見えるところがありますね。お母さんの介護をずっと1人で背負ってきて、数年後に帰ってきた何もしなかった弟に対しての葛藤があると思いました。
藤原 そう見ていただけると嬉しいです。
―お母さんの言う「ありがとう」が他人に対しての「ありがとう」で、そこがお兄ちゃんには辛いだろうと思いました。お2人は、お若いので介護の経験はないでしょう?
長尾 祖父母はいますが、そこまでの介護はしていないです。
藤原 僕も未経験です。
―長尾さん、ご兄弟はいらっしゃいますか?
長尾 いません。ひとりっ子です。
―藤原さんは妹さんがいらっしゃるんですよね。
藤原 はい、そうです。姉もいます。
―女の子の間の男の子って特権階級みたいなものです(笑)。優遇されますよね。
長尾・藤原 (笑)そうですね。
藤原 たしかに、優遇という言い方はあれなんですけど、母からは可愛がってもらってたんじゃないかな、と思います。
―「しかたがないなぁ」と思いつつ弟は可愛い。お兄ちゃんは弟が生まれたとたん「お兄ちゃん」でいなくちゃいけなくて、それなのに…という辛さもあります。短い中にいろんなことが詰まっていて、監督さんがお若いのにこのお話、と驚きました。
藤原 僕もそう思いました。
長尾 うん。
―今振り返ってみて、印象に残っているシーンは?
藤原 最後に兄が弟に言う言葉ですね。封筒の。
あの台詞に白磯君が言いたかった兄弟の距離間というものが、全部詰まっているように思います。弟が東京で何をしてきたかということを知って、兄が問い詰めることもできた。でもそれを全部飲み込んで、あの台詞に全てを込めるっていうのがやりたかったことなんじゃないかな。
そのとき自分が演じていた和馬の表情も印象的だなと、自分自身思いました。
―まばたき多くなっていました。
藤原 (笑)
―お兄ちゃんはいかがでしょうか?
長尾 僕はその前夜の2人でタバコを吸うところ。弟がどういう時間を過ごして店の前に出てきたのか、言葉を用意していたのか、しなかったのかという2人の関係。兄ははじめ、次の日に行くことがわかっているのかいないのか。2人のあいだにたゆたう時間、とても印象的でしたね。
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―この映画で耳に残ったのが、2人が呼ぶ「母ちゃん」なんです。いいな、と思いました。お2人差支えなかったら、お母さんを何と呼んでいらっしゃるか教えてください。
藤原 僕は「かあちゃん」って呼んでますね。
―映画と同じですね。長尾さんは?
長尾 ○○子。さん付けするか、しないか。
―名前を呼ぶんですか?
藤原 長尾さんらしいですね。
長尾 そうかな? 十代から両親は名前で呼んでいます。
―それは、ご両親に言われたわけじゃなくて、自分で?
長尾 はい、自分で。家に来る友達もみんなそう呼んでいました。
―母親という役割より○○子さんが前に出ているって、すごく個人的というか欧米っぽいです。
長尾 反抗期のころで、所詮他人だろうっていうのもあって。その方が人として敬意をもって接することができるだろう、と。お袋っていうのもなんかちょっと。
藤原 父親のことを「親父」って呼べないな、呼んでみたいな、とかありますけど。「所詮他人だろう」っていうのは言い方を変えれば、他人として認識している。「母」ってあてはめちゃうとどうしても甘えが出てきちゃいますが、一人の他人だと認識することで敬意を持てる側面もあると思います。
―個人として尊重しているって感じがしますね。クールだ!とっても(笑)。
藤原 原田芳雄さんも自分の息子に下の名前で呼ばせてたって。
長尾 そうなんだ。
―監督が俳優を選ぶように、俳優も作品を選びますね。そのときに決め手になるものはなんですか?
藤原 やっぱり最初に脚本。その次に過去の作品。スタッフ、で最後にキャストですね。
―自分のほかに誰が出るかということですね。自分の役柄についてこだわりはありますか?
藤原 それよりも、その役柄がその作品にどういった影響を及ぼしているかとか、作品のことをまずは考えて、小さい役でもそれに参加すべきだなと思ったら参加します。
―例えば快楽殺人犯の役とか、自分はちょっとと思うことは?
藤原 新しい感情とか、新しい自分に出逢えるチャンスがあるなら僕は飛び込みたい、と思っています。
―おお、チャレンジャーです! 長尾さんは?
長尾 監督含め、撮りたい方々が…なんとなくこういうと生意気かもしれないですけど、今の世の中に対してどう思っているかということが感じられると嬉しいですね。参加する身としては。自分が生きている環境、取り巻いている世界に対して、どういうものを持って表現したいかを、監督、脚本から感じ取れると参加させてもらえる意義を感じる気がします。
―監督さんにもよると思いますが、たとえば自分の役作りでたくさんディスカッションしたいほうですか? 任されたいほうですか?
長尾 どっちでも(笑)。
藤原 長尾さん結構、「向こうが望むなら僕はするし」という、なんかいい意味での受け入れというか、懐の深さがある人だなと現場で思いました。
―受け入れる間口広いんですね。かなり広いんですか?
長尾 それで季節くんをとまどわせてしまったかも(笑)。
藤原 最初とまどいました。
―広いと嬉しくないですか?ストライクゾーン広くて、どんなのも受け止めてくれる。
藤原 多少イラっとすることとか、これは言わなきゃっていうことも長尾さんは絶対言わない。全部受け止める。この人何考えてるんだろうと、最初思いましたね。
長尾(笑)
―映画の中村兄弟みたいですね。
藤原 そうですね。スタッフが映画を撮ったことのないチームだったので、最初はやり方がわからない中でしたが、3,4日経つと長尾さんや僕が望んでいた動き方に自然となっていきました。お芝居の中で起きたことを撮る。最初は「撮る」ことが目的なんですけど、僕たち2人の中で起きたことを撮ろうという流れに変わっていったんです。まずお芝居を見てから、何を撮るか考えよう、みんなでって。それは長尾さんが初日から黙っていたことで、自然発生的に起きていったことでしたね。
―呼び水。黙って。
長尾 そんなたいそうなもんじゃない(笑)。
―ご本人はそんなに意識しないでやっていたんでしょうか?
長尾 しないと言ったらウソになるかと思うんですけど。なんか見ないようにしようと思って(笑)、変な言い方だけど。
IMG_6919.jpg
―では最後にこの映画のテーマのひとつでもある「消えてほしくないもの」はなんですか?パッと思いついたことを。
藤原 パッと思いつくもの。手書きの手紙とか捨てられないです。新しくいろんなものが生まれていって、人の体温の残っている直筆の手紙は減っていくのかもしれないですけど、消えてほしくないなと思いますね。
―お母さんからの手紙はとってあるんですか?
藤原 ずーっと全部とってあります。捨てられないです。
―10年分?! お返事は出しています?
藤原 出してませんね。
―親って手紙すごく待っているんですよ。
藤原 そうですよね、書いてみます。やっぱりメールとかと違いますよね。
―違いますよー。お母さんを思って時間かけて書くんですから。
ハガキでいいですし、何と書いてあったって親は嬉しいものです。
藤原 はい、わかりました。
―長尾さんの消えてほしくないものは?
長尾 僕は「家族との思い出」ですかね。ぱっと思い浮かぶのは。どこかに行ったとか忘れてることって意外とたくさんあるなと思って。
―思い出は自分だけのものですものね。形のあるものでは何か?
長尾 その辺の再開発で、好きだった古くからの料理屋さんとかがなくなるのはとっても悲しい。
藤原 「家族との思い出」ってハッとしますね。全部消えていくものじゃないですか。
長尾 うんうん。
藤原 なんか切ないですね。それは。
―この映画で、お母さんが忘れていってしまうのにも繫がりますよね。和馬とお兄ちゃんにも。
藤原 それをわかったうえで「家族の思い出」って着想する長尾さんにぐっとくるものがあります。
長尾(笑)
―素敵なお答えをいただけました。ありがとうございました。
心情再差,也不写在脸上,没人喜欢看;
日子再穷,也不挂嘴边,没人无故给你钱;
工作再累,也不抱怨,没人无条件替你干;
生命再短,也不随意作践,没人为你健康买单;
生活再苦,也不失去信念,美好将在明天;
感情再深,也不纠缠,没间隙会生厌;
前行再难,也要走完,坚持才能到达理想彼岸!
全世界好,宇宙好,活着真好!
o. ___---___ .
. .--\ --. . .
./.;_.\ __/~ \.
/; / `-' __\ . \
. . / ,--' / ..;\ |
| .| / __|-O-.
|__/ __ | . ;\ | . ||
|/ \\_ . ;| \___|
. o |\ .~\\___,--' | .
| | . ; ~~~~\_ __|
| \ \. . ; \ /_/.
-O- . \/. | ~/ .
| . ~\ \./ /~ o
. ~--___ ; ___--~
. ---.
日子再穷,也不挂嘴边,没人无故给你钱;
工作再累,也不抱怨,没人无条件替你干;
生命再短,也不随意作践,没人为你健康买单;
生活再苦,也不失去信念,美好将在明天;
感情再深,也不纠缠,没间隙会生厌;
前行再难,也要走完,坚持才能到达理想彼岸!
全世界好,宇宙好,活着真好!
o. ___---___ .
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./.;_.\ __/~ \.
/; / `-' __\ . \
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#为何普遍认为鹿鼎记是金庸巅峰之作#
鹿鼎记这个金庸的封笔之作,其强烈的反武侠气质表现了金庸对以往传统武侠的疑惑。主人公韦小宝不再是一个世俗观念上的英雄,他的做事动机一点也没有侠义气质,甚至只是为了某个漂亮女人,为了敛财,或是为了保命。虽然形象不高大,但是却和我们普通人更相通,有点贪财,有点好色,有点虚伪,但也拥有某些赤诚的情怀。
目录
1.特点-非主流武侠
2.大侠义-历史民族观
3.小侠义-真实的人性
以上任一栏要讲通透都得洋洋洒洒写下几大万字了,更有高人查阅历史典籍来揣测金庸先生的意图,小弟不才,只从最通俗的角度和语言入手,有不同理解的还请赐教。
一.非主流武侠
鹿鼎记火热其中一个起很大作用的噱头是其为金庸的封笔之作。封笔的意思就是武侠的一去不返,所以还陶醉于快意恩仇,光怪陆离世界里的读者们惋惜之余,对这本压轴之作有了特殊的期待。
其一,非主流的主角设定。金庸貌似给大家狠狠地开了个玩笑,光是这个主人公形象就和历代大侠们相去甚远。令狐冲的俊朗潇洒,郭靖的耿直真诚,段誉的彬彬有礼...这些和韦小宝一点都沾不上边。好色,贪财,见风使舵,没羞没臊,脱险几乎全靠诡计。甚至为了自保还杀死了见到自己搭救方怡的无辜侍卫,后来更是拿刀捅了看守自己的兄弟多隆(向心脏捅去的,但是多隆心脏长歪了没死)。这设定怎么看都是某剧本中boss手下的奸诈小头领,算计主角后被一掌拍死大快人心那种。
最关键的,他还怕死。不怕死不是已经成为武侠标配了吗?究竟是什么用意让他有幸成为封笔之作的主角?
还有意思的是,里面行为光明磊落的人,陈近南,扬溢之,吴六七,下场都非常惨。
其二,武侠世界一般少有官场和政治方面的描写。更多的情况下,政府甚至是武侠世界的边缘人群,在这个世界里法制给个人情仇让路,或是门派(黑社会)直接管理所辖地方。就比如笑傲江湖,青城派把林家镖局杀的杀,拐的拐;日月神教和五岳剑派黑社会群体械斗这些事情发生,你都找不到政府的人在哪儿。
武侠里的恩怨情仇如果有法律这个第三方制约,那么肯定快意恩仇的畅快感就下降了大半。报仇还要向官府打报告?所以直接将政府抹去直接将感情聚焦于有恩怨的任务之间更加畅快。
然而,鹿鼎记的主要舞台就在宫廷官场,韦小宝精于政治,更是在皇帝,天地会,神龙教,吴三桂等势力下游刃有余地游走,更是恬不知耻地到处结义,趁机敛财。
其三,武打已不是小说的关键。(在这里推荐去看金庸的那些原作,比起电视剧中的武打,文字更加传神还留有部分想象空间)
葵花宝典,独孤九剑,降龙十八掌,一阳指……
就算没有看过原著也会知道这些知名绝技,以往小说中各派人士夺取武功秘籍,相互争斗,比武更是不计其数。说起鹿鼎记,到没有什么非常知名的武功。可能有人叫的出化骨绵掌,但是此处的化骨绵掌功能更多地是作为一个毒药的作用,而且武打比重和对剧情的影响已经降低很多。当然主角也并不能打。
二.大侠义
鹿鼎记大格局上有几个最大的矛盾点,满汉民族的政权争议,主要表现为康熙和天地会,因为韦小宝直接处于这两个阵营之中;汉族人和原皇族朱家对吴三桂的仇恨,即自身对于国家的态度;中国政权与危害中国政权的因素如吴三桂,天地会,西藏喇嘛、蒙古王子、神龙教、罗刹国。
我写的大侠义指代家国情和民族情。这两种特殊的感情就像休眠的火山一样,平时少有体会到他的存在,但是到了某些时刻又会猛烈地迸发出来。
如果要探讨对于这两种情感的态度,我想得代入到韦小宝和各方势力的立场中去。对于吴三桂这位位极人臣的大人(同时也是汉奸代名词),韦小宝没有趋炎附势去结交,反而趁机敲“云南竹杠”,戏弄吴三桂,间接阉了吴应雄,近乎是单方面折磨吴三桂。这种不公平竞争看似吴三桂羸弱却没有在感情上倾向于他。除了小流氓欺辱贵族王爷的喜感部分消解了这种可怜外,吴三桂这种反复和惯于背叛的性格可见真是不讨喜,信任可真是一切感情的前提了。从各方势力中,除了与吴三桂有利益联系的,其余势力对其还真是只有反感,没有中立的态度。背叛实在是所有情感里最不能容忍的,而叛国则是最为卑劣的了。
民族情的体现则是体现在人心中对满汉政权的争议,最尖锐地体现在康熙和天地会,这种情绪触发了韦小宝的终极难题,直接导致同康熙和天地会的同事决裂。
关于民族政权交替每个人都有自己的理解,我也没能给出自己信服的解释,而且金庸先生可能是有自己所经历或者有感触的事情得出的。只靠韦小宝的“其实鞑子皇帝做得也蛮好的”,“鞑子至少也是黑头发黑眼睛,洋鬼子可是黄头发蓝眼睛”也难以揣测他的意图,大家自己都有自己的答案。毕竟这么难的问题,聪明的韦小宝自己也选择了逃避。
三.小侠义
韦小宝是不是“侠”呢?不好说,但是至少他不太像个“侠”。我们实在是很难用“侠”去形容一个贪财好色,强人所难,没有功夫,狡猾,胆小,为保命见风使舵的一个人。
韦小宝自己认不认为自己是个侠呢?我想出于虚荣心,他会说自己是个侠,如果真诚地探究,他可能说,当不当个侠他娘的无所谓。身边一群漂亮媳妇儿伴着,银子大把大把赚着,兄弟情义也不辜负,照应着,这不就够了吗。
“侠”这个字渐渐的被规范化,成为某种准则和名誉。就好比,王公贵族一定是优雅的,大侠们一定也是坦荡勇敢的。这些不成文的规定渐渐成为一种道德武器,甚至变成侠客们自己的枷锁(说的好听点是对自己的要求)。大侠们因侠义而成事,也因侠义而毁灭。要为社会所认可,你必须得遵守那些规范,但是那些规范,有时候实在不一定顺从人的本性。一个非常典型的参照就是韦小宝亦师亦父的陈近南,恪守着自己的侠义直到死亡。
韦小宝显然就没有把这个准则作为自己的标杆,他虚伪狡黠的功利主义虽然不够诚实,却恰到好处地保护了人情,又顺从了人的本性-趋利避害。我不能用不真诚来形容韦小宝,他是忠于人性的,或者说对于真诚这个词我得重新理解。
韦小宝成长过程中有两样东西的陪伴,妓院和评书。这两样都是通俗直白地满足人性的需求。妓院在中国是抛弃普世道德规范的服务者工作的地方,在这样一个地方,人性的直白被更多地表露。顾客来这个地方买性,买服从,买征服欲;服务者们相比其他行业也更加势利。在这个地方呆长了对人的本性肯定有深刻的理解。评书,也就是充斥着情怀的故事。我认为支持人的一生的是某些情怀,而非特定的某段情感。有建一番功业的向往,有抱得美人归的幻想,有义气相投,英雄识英雄的豪情。这些情怀塑造了你自己,以后遇到的爱人,朋友都是来填补你那份情怀的。
妓院代表现实,评书代表情怀,这两点成了他的重要组成部分。韦小宝这个人物比起令狐冲,郭靖,是更像普通人的。我们有嫉恶如仇,仗义互助的侠义情怀,也有着剥离不掉的人性。而且我们是没有独孤九剑和降龙十八掌这种惩奸除恶的本领的,也少有脸谱化的恶人,更多的是天地会和康熙这种立场不同而敌对的人,更没有无政府状态下的快意恩仇的自由。更多的是在社会这口大锅里被翻炒,和那些人周旋,甚至和自己做斗争的过程中对待自己的侠义。
我揣测金庸先生最后对武侠的态度感情是复杂的,对于情怀来说,现实也是那么的强烈,推动故事发展的人物动机很多时候是因为有利可图,为了某个美女,为了保命,而且正义不一定只站在一方的矛盾,人物人生是为命运驱动而非自己意愿。虽然有阻挠,他应当是对侠义情怀抱有希望和歌颂的,韦小宝一共在三个正式身份间游走周旋,康熙宠臣是因为忠,天地会香主是为义,神龙教白龙使则是为了情。
鹿鼎记这个金庸的封笔之作,其强烈的反武侠气质表现了金庸对以往传统武侠的疑惑。主人公韦小宝不再是一个世俗观念上的英雄,他的做事动机一点也没有侠义气质,甚至只是为了某个漂亮女人,为了敛财,或是为了保命。虽然形象不高大,但是却和我们普通人更相通,有点贪财,有点好色,有点虚伪,但也拥有某些赤诚的情怀。
目录
1.特点-非主流武侠
2.大侠义-历史民族观
3.小侠义-真实的人性
以上任一栏要讲通透都得洋洋洒洒写下几大万字了,更有高人查阅历史典籍来揣测金庸先生的意图,小弟不才,只从最通俗的角度和语言入手,有不同理解的还请赐教。
一.非主流武侠
鹿鼎记火热其中一个起很大作用的噱头是其为金庸的封笔之作。封笔的意思就是武侠的一去不返,所以还陶醉于快意恩仇,光怪陆离世界里的读者们惋惜之余,对这本压轴之作有了特殊的期待。
其一,非主流的主角设定。金庸貌似给大家狠狠地开了个玩笑,光是这个主人公形象就和历代大侠们相去甚远。令狐冲的俊朗潇洒,郭靖的耿直真诚,段誉的彬彬有礼...这些和韦小宝一点都沾不上边。好色,贪财,见风使舵,没羞没臊,脱险几乎全靠诡计。甚至为了自保还杀死了见到自己搭救方怡的无辜侍卫,后来更是拿刀捅了看守自己的兄弟多隆(向心脏捅去的,但是多隆心脏长歪了没死)。这设定怎么看都是某剧本中boss手下的奸诈小头领,算计主角后被一掌拍死大快人心那种。
最关键的,他还怕死。不怕死不是已经成为武侠标配了吗?究竟是什么用意让他有幸成为封笔之作的主角?
还有意思的是,里面行为光明磊落的人,陈近南,扬溢之,吴六七,下场都非常惨。
其二,武侠世界一般少有官场和政治方面的描写。更多的情况下,政府甚至是武侠世界的边缘人群,在这个世界里法制给个人情仇让路,或是门派(黑社会)直接管理所辖地方。就比如笑傲江湖,青城派把林家镖局杀的杀,拐的拐;日月神教和五岳剑派黑社会群体械斗这些事情发生,你都找不到政府的人在哪儿。
武侠里的恩怨情仇如果有法律这个第三方制约,那么肯定快意恩仇的畅快感就下降了大半。报仇还要向官府打报告?所以直接将政府抹去直接将感情聚焦于有恩怨的任务之间更加畅快。
然而,鹿鼎记的主要舞台就在宫廷官场,韦小宝精于政治,更是在皇帝,天地会,神龙教,吴三桂等势力下游刃有余地游走,更是恬不知耻地到处结义,趁机敛财。
其三,武打已不是小说的关键。(在这里推荐去看金庸的那些原作,比起电视剧中的武打,文字更加传神还留有部分想象空间)
葵花宝典,独孤九剑,降龙十八掌,一阳指……
就算没有看过原著也会知道这些知名绝技,以往小说中各派人士夺取武功秘籍,相互争斗,比武更是不计其数。说起鹿鼎记,到没有什么非常知名的武功。可能有人叫的出化骨绵掌,但是此处的化骨绵掌功能更多地是作为一个毒药的作用,而且武打比重和对剧情的影响已经降低很多。当然主角也并不能打。
二.大侠义
鹿鼎记大格局上有几个最大的矛盾点,满汉民族的政权争议,主要表现为康熙和天地会,因为韦小宝直接处于这两个阵营之中;汉族人和原皇族朱家对吴三桂的仇恨,即自身对于国家的态度;中国政权与危害中国政权的因素如吴三桂,天地会,西藏喇嘛、蒙古王子、神龙教、罗刹国。
我写的大侠义指代家国情和民族情。这两种特殊的感情就像休眠的火山一样,平时少有体会到他的存在,但是到了某些时刻又会猛烈地迸发出来。
如果要探讨对于这两种情感的态度,我想得代入到韦小宝和各方势力的立场中去。对于吴三桂这位位极人臣的大人(同时也是汉奸代名词),韦小宝没有趋炎附势去结交,反而趁机敲“云南竹杠”,戏弄吴三桂,间接阉了吴应雄,近乎是单方面折磨吴三桂。这种不公平竞争看似吴三桂羸弱却没有在感情上倾向于他。除了小流氓欺辱贵族王爷的喜感部分消解了这种可怜外,吴三桂这种反复和惯于背叛的性格可见真是不讨喜,信任可真是一切感情的前提了。从各方势力中,除了与吴三桂有利益联系的,其余势力对其还真是只有反感,没有中立的态度。背叛实在是所有情感里最不能容忍的,而叛国则是最为卑劣的了。
民族情的体现则是体现在人心中对满汉政权的争议,最尖锐地体现在康熙和天地会,这种情绪触发了韦小宝的终极难题,直接导致同康熙和天地会的同事决裂。
关于民族政权交替每个人都有自己的理解,我也没能给出自己信服的解释,而且金庸先生可能是有自己所经历或者有感触的事情得出的。只靠韦小宝的“其实鞑子皇帝做得也蛮好的”,“鞑子至少也是黑头发黑眼睛,洋鬼子可是黄头发蓝眼睛”也难以揣测他的意图,大家自己都有自己的答案。毕竟这么难的问题,聪明的韦小宝自己也选择了逃避。
三.小侠义
韦小宝是不是“侠”呢?不好说,但是至少他不太像个“侠”。我们实在是很难用“侠”去形容一个贪财好色,强人所难,没有功夫,狡猾,胆小,为保命见风使舵的一个人。
韦小宝自己认不认为自己是个侠呢?我想出于虚荣心,他会说自己是个侠,如果真诚地探究,他可能说,当不当个侠他娘的无所谓。身边一群漂亮媳妇儿伴着,银子大把大把赚着,兄弟情义也不辜负,照应着,这不就够了吗。
“侠”这个字渐渐的被规范化,成为某种准则和名誉。就好比,王公贵族一定是优雅的,大侠们一定也是坦荡勇敢的。这些不成文的规定渐渐成为一种道德武器,甚至变成侠客们自己的枷锁(说的好听点是对自己的要求)。大侠们因侠义而成事,也因侠义而毁灭。要为社会所认可,你必须得遵守那些规范,但是那些规范,有时候实在不一定顺从人的本性。一个非常典型的参照就是韦小宝亦师亦父的陈近南,恪守着自己的侠义直到死亡。
韦小宝显然就没有把这个准则作为自己的标杆,他虚伪狡黠的功利主义虽然不够诚实,却恰到好处地保护了人情,又顺从了人的本性-趋利避害。我不能用不真诚来形容韦小宝,他是忠于人性的,或者说对于真诚这个词我得重新理解。
韦小宝成长过程中有两样东西的陪伴,妓院和评书。这两样都是通俗直白地满足人性的需求。妓院在中国是抛弃普世道德规范的服务者工作的地方,在这样一个地方,人性的直白被更多地表露。顾客来这个地方买性,买服从,买征服欲;服务者们相比其他行业也更加势利。在这个地方呆长了对人的本性肯定有深刻的理解。评书,也就是充斥着情怀的故事。我认为支持人的一生的是某些情怀,而非特定的某段情感。有建一番功业的向往,有抱得美人归的幻想,有义气相投,英雄识英雄的豪情。这些情怀塑造了你自己,以后遇到的爱人,朋友都是来填补你那份情怀的。
妓院代表现实,评书代表情怀,这两点成了他的重要组成部分。韦小宝这个人物比起令狐冲,郭靖,是更像普通人的。我们有嫉恶如仇,仗义互助的侠义情怀,也有着剥离不掉的人性。而且我们是没有独孤九剑和降龙十八掌这种惩奸除恶的本领的,也少有脸谱化的恶人,更多的是天地会和康熙这种立场不同而敌对的人,更没有无政府状态下的快意恩仇的自由。更多的是在社会这口大锅里被翻炒,和那些人周旋,甚至和自己做斗争的过程中对待自己的侠义。
我揣测金庸先生最后对武侠的态度感情是复杂的,对于情怀来说,现实也是那么的强烈,推动故事发展的人物动机很多时候是因为有利可图,为了某个美女,为了保命,而且正义不一定只站在一方的矛盾,人物人生是为命运驱动而非自己意愿。虽然有阻挠,他应当是对侠义情怀抱有希望和歌颂的,韦小宝一共在三个正式身份间游走周旋,康熙宠臣是因为忠,天地会香主是为义,神龙教白龙使则是为了情。
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