【中村屋酒店の兄弟】
『中村屋酒店の兄弟』藤原季節さん、長尾卓磨さんインタビュー
―お2人は最初から俳優を目指していらっしゃったんですか?
藤原 僕は物心ついた時から俳優になりたいと思っていました。映画が好きだったんですよ。ジャッキー・チェンに憧れて、絶対俳優になるぞと決めていたので高校卒業後上京しました。
―じゃあ夢を叶えられたんですね。
藤原 まあまだ途中ではありますけれども。一応。
長尾 子どものころ、「先祖が上杉謙信だよ」と聞いて、戦国武将になりたかったんです。現代社会では無理だなと思って、馬に乗って刀振り回すにはこの中に入ればいいのかなって。それが中井貴一さん主演の「武田信玄」(1988年大河ドラマ)。仕事としては大学卒業してから広告代理店に入って、遠回りしました。
―俳優じゃなく”武将”が始まり!だからお城巡りがお好きなんですね。なりたかった武将役は?
長尾 『信虎』(2021/金子修介監督)で上杉景勝(長尾顕景)役をやらせていただきました。やってみたいのは、やはり上杉謙信(長尾景虎)役です。
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―役をいただいたときと、演じ終わってから印象の違いはありましたか?
藤原 役をいただいたときは、兄弟との関係性で役を見ているというよりは「和馬」という役にフォーカスして見ていたんです。東京と実家を行き来して居場所を探している青年を演じるんだな、って。演じ終わったときに、長尾さんっていうお兄ちゃんと共演して「兄と一緒にいるときの自分」っていうのは、ある意味弟という役割だったり、仮面をかぶった弟という人間を演じようとしている青年でもあるなと思って。それが自分が働いている、東京でやってきたこととかが兄にバレたりして、そういう身ぐるみ剥がされていくというか正体がバレていくところの変化だったり、関係性においての青年にフォーカスを合わせて見れるようになった。それが演じる前と後では違いました。
長尾 僕も最初の印象では「何を勝手なこと言ってるんだ」と弟に対してあったんですけど、季節くんが、会った瞬間から可愛くて、どんどん可愛くなってきて、なんかずっと横顔を見ていたような感覚がありました。
監督が常々「優しく、もっともっと優しく接してください。怖いほど優しく。全て表面上は優しく」と言っていて。終わったときは、今、季節くんが言ってくれたみたいに、「兄という役割を自分で作っている」「兄としての役割を急に演じなくてはいけないと思いこんだ人間」なんじゃないかなと、同じようなことを考えました。
―優しい、いいお兄ちゃんでした。
藤原 その「優しい、いいお兄ちゃん」っていうのは、弟の前で見せるお兄ちゃんの顔で、本当のところは何もわからない。そういう裏側も見える映画になっていればいいなと思います。
―お兄ちゃんが一瞬怖く見えるところがありますね。お母さんの介護をずっと1人で背負ってきて、数年後に帰ってきた何もしなかった弟に対しての葛藤があると思いました。
藤原 そう見ていただけると嬉しいです。
―お母さんの言う「ありがとう」が他人に対しての「ありがとう」で、そこがお兄ちゃんには辛いだろうと思いました。お2人は、お若いので介護の経験はないでしょう?
長尾 祖父母はいますが、そこまでの介護はしていないです。
藤原 僕も未経験です。
―長尾さん、ご兄弟はいらっしゃいますか?
長尾 いません。ひとりっ子です。
―藤原さんは妹さんがいらっしゃるんですよね。
藤原 はい、そうです。姉もいます。
―女の子の間の男の子って特権階級みたいなものです(笑)。優遇されますよね。
長尾・藤原 (笑)そうですね。
藤原 たしかに、優遇という言い方はあれなんですけど、母からは可愛がってもらってたんじゃないかな、と思います。
―「しかたがないなぁ」と思いつつ弟は可愛い。お兄ちゃんは弟が生まれたとたん「お兄ちゃん」でいなくちゃいけなくて、それなのに…という辛さもあります。短い中にいろんなことが詰まっていて、監督さんがお若いのにこのお話、と驚きました。
藤原 僕もそう思いました。
長尾 うん。
―今振り返ってみて、印象に残っているシーンは?
藤原 最後に兄が弟に言う言葉ですね。封筒の。
あの台詞に白磯君が言いたかった兄弟の距離間というものが、全部詰まっているように思います。弟が東京で何をしてきたかということを知って、兄が問い詰めることもできた。でもそれを全部飲み込んで、あの台詞に全てを込めるっていうのがやりたかったことなんじゃないかな。
そのとき自分が演じていた和馬の表情も印象的だなと、自分自身思いました。
―まばたき多くなっていました。
藤原 (笑)
―お兄ちゃんはいかがでしょうか?
長尾 僕はその前夜の2人でタバコを吸うところ。弟がどういう時間を過ごして店の前に出てきたのか、言葉を用意していたのか、しなかったのかという2人の関係。兄ははじめ、次の日に行くことがわかっているのかいないのか。2人のあいだにたゆたう時間、とても印象的でしたね。
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―この映画で耳に残ったのが、2人が呼ぶ「母ちゃん」なんです。いいな、と思いました。お2人差支えなかったら、お母さんを何と呼んでいらっしゃるか教えてください。
藤原 僕は「かあちゃん」って呼んでますね。
―映画と同じですね。長尾さんは?
長尾 ○○子。さん付けするか、しないか。
―名前を呼ぶんですか?
藤原 長尾さんらしいですね。
長尾 そうかな? 十代から両親は名前で呼んでいます。
―それは、ご両親に言われたわけじゃなくて、自分で?
長尾 はい、自分で。家に来る友達もみんなそう呼んでいました。
―母親という役割より○○子さんが前に出ているって、すごく個人的というか欧米っぽいです。
長尾 反抗期のころで、所詮他人だろうっていうのもあって。その方が人として敬意をもって接することができるだろう、と。お袋っていうのもなんかちょっと。
藤原 父親のことを「親父」って呼べないな、呼んでみたいな、とかありますけど。「所詮他人だろう」っていうのは言い方を変えれば、他人として認識している。「母」ってあてはめちゃうとどうしても甘えが出てきちゃいますが、一人の他人だと認識することで敬意を持てる側面もあると思います。
―個人として尊重しているって感じがしますね。クールだ!とっても(笑)。
藤原 原田芳雄さんも自分の息子に下の名前で呼ばせてたって。
長尾 そうなんだ。
―監督が俳優を選ぶように、俳優も作品を選びますね。そのときに決め手になるものはなんですか?
藤原 やっぱり最初に脚本。その次に過去の作品。スタッフ、で最後にキャストですね。
―自分のほかに誰が出るかということですね。自分の役柄についてこだわりはありますか?
藤原 それよりも、その役柄がその作品にどういった影響を及ぼしているかとか、作品のことをまずは考えて、小さい役でもそれに参加すべきだなと思ったら参加します。
―例えば快楽殺人犯の役とか、自分はちょっとと思うことは?
藤原 新しい感情とか、新しい自分に出逢えるチャンスがあるなら僕は飛び込みたい、と思っています。
―おお、チャレンジャーです! 長尾さんは?
長尾 監督含め、撮りたい方々が…なんとなくこういうと生意気かもしれないですけど、今の世の中に対してどう思っているかということが感じられると嬉しいですね。参加する身としては。自分が生きている環境、取り巻いている世界に対して、どういうものを持って表現したいかを、監督、脚本から感じ取れると参加させてもらえる意義を感じる気がします。
―監督さんにもよると思いますが、たとえば自分の役作りでたくさんディスカッションしたいほうですか? 任されたいほうですか?
長尾 どっちでも(笑)。
藤原 長尾さん結構、「向こうが望むなら僕はするし」という、なんかいい意味での受け入れというか、懐の深さがある人だなと現場で思いました。
―受け入れる間口広いんですね。かなり広いんですか?
長尾 それで季節くんをとまどわせてしまったかも(笑)。
藤原 最初とまどいました。
―広いと嬉しくないですか?ストライクゾーン広くて、どんなのも受け止めてくれる。
藤原 多少イラっとすることとか、これは言わなきゃっていうことも長尾さんは絶対言わない。全部受け止める。この人何考えてるんだろうと、最初思いましたね。
長尾(笑)
―映画の中村兄弟みたいですね。
藤原 そうですね。スタッフが映画を撮ったことのないチームだったので、最初はやり方がわからない中でしたが、3,4日経つと長尾さんや僕が望んでいた動き方に自然となっていきました。お芝居の中で起きたことを撮る。最初は「撮る」ことが目的なんですけど、僕たち2人の中で起きたことを撮ろうという流れに変わっていったんです。まずお芝居を見てから、何を撮るか考えよう、みんなでって。それは長尾さんが初日から黙っていたことで、自然発生的に起きていったことでしたね。
―呼び水。黙って。
長尾 そんなたいそうなもんじゃない(笑)。
―ご本人はそんなに意識しないでやっていたんでしょうか?
長尾 しないと言ったらウソになるかと思うんですけど。なんか見ないようにしようと思って(笑)、変な言い方だけど。
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―では最後にこの映画のテーマのひとつでもある「消えてほしくないもの」はなんですか?パッと思いついたことを。
藤原 パッと思いつくもの。手書きの手紙とか捨てられないです。新しくいろんなものが生まれていって、人の体温の残っている直筆の手紙は減っていくのかもしれないですけど、消えてほしくないなと思いますね。
―お母さんからの手紙はとってあるんですか?
藤原 ずーっと全部とってあります。捨てられないです。
―10年分?! お返事は出しています?
藤原 出してませんね。
―親って手紙すごく待っているんですよ。
藤原 そうですよね、書いてみます。やっぱりメールとかと違いますよね。
―違いますよー。お母さんを思って時間かけて書くんですから。
ハガキでいいですし、何と書いてあったって親は嬉しいものです。
藤原 はい、わかりました。
―長尾さんの消えてほしくないものは?
長尾 僕は「家族との思い出」ですかね。ぱっと思い浮かぶのは。どこかに行ったとか忘れてることって意外とたくさんあるなと思って。
―思い出は自分だけのものですものね。形のあるものでは何か?
長尾 その辺の再開発で、好きだった古くからの料理屋さんとかがなくなるのはとっても悲しい。
藤原 「家族との思い出」ってハッとしますね。全部消えていくものじゃないですか。
長尾 うんうん。
藤原 なんか切ないですね。それは。
―この映画で、お母さんが忘れていってしまうのにも繫がりますよね。和馬とお兄ちゃんにも。
藤原 それをわかったうえで「家族の思い出」って着想する長尾さんにぐっとくるものがあります。
長尾(笑)
―素敵なお答えをいただけました。ありがとうございました。
『中村屋酒店の兄弟』藤原季節さん、長尾卓磨さんインタビュー
―お2人は最初から俳優を目指していらっしゃったんですか?
藤原 僕は物心ついた時から俳優になりたいと思っていました。映画が好きだったんですよ。ジャッキー・チェンに憧れて、絶対俳優になるぞと決めていたので高校卒業後上京しました。
―じゃあ夢を叶えられたんですね。
藤原 まあまだ途中ではありますけれども。一応。
長尾 子どものころ、「先祖が上杉謙信だよ」と聞いて、戦国武将になりたかったんです。現代社会では無理だなと思って、馬に乗って刀振り回すにはこの中に入ればいいのかなって。それが中井貴一さん主演の「武田信玄」(1988年大河ドラマ)。仕事としては大学卒業してから広告代理店に入って、遠回りしました。
―俳優じゃなく”武将”が始まり!だからお城巡りがお好きなんですね。なりたかった武将役は?
長尾 『信虎』(2021/金子修介監督)で上杉景勝(長尾顕景)役をやらせていただきました。やってみたいのは、やはり上杉謙信(長尾景虎)役です。
nakamuraya1.jpg
―役をいただいたときと、演じ終わってから印象の違いはありましたか?
藤原 役をいただいたときは、兄弟との関係性で役を見ているというよりは「和馬」という役にフォーカスして見ていたんです。東京と実家を行き来して居場所を探している青年を演じるんだな、って。演じ終わったときに、長尾さんっていうお兄ちゃんと共演して「兄と一緒にいるときの自分」っていうのは、ある意味弟という役割だったり、仮面をかぶった弟という人間を演じようとしている青年でもあるなと思って。それが自分が働いている、東京でやってきたこととかが兄にバレたりして、そういう身ぐるみ剥がされていくというか正体がバレていくところの変化だったり、関係性においての青年にフォーカスを合わせて見れるようになった。それが演じる前と後では違いました。
長尾 僕も最初の印象では「何を勝手なこと言ってるんだ」と弟に対してあったんですけど、季節くんが、会った瞬間から可愛くて、どんどん可愛くなってきて、なんかずっと横顔を見ていたような感覚がありました。
監督が常々「優しく、もっともっと優しく接してください。怖いほど優しく。全て表面上は優しく」と言っていて。終わったときは、今、季節くんが言ってくれたみたいに、「兄という役割を自分で作っている」「兄としての役割を急に演じなくてはいけないと思いこんだ人間」なんじゃないかなと、同じようなことを考えました。
―優しい、いいお兄ちゃんでした。
藤原 その「優しい、いいお兄ちゃん」っていうのは、弟の前で見せるお兄ちゃんの顔で、本当のところは何もわからない。そういう裏側も見える映画になっていればいいなと思います。
―お兄ちゃんが一瞬怖く見えるところがありますね。お母さんの介護をずっと1人で背負ってきて、数年後に帰ってきた何もしなかった弟に対しての葛藤があると思いました。
藤原 そう見ていただけると嬉しいです。
―お母さんの言う「ありがとう」が他人に対しての「ありがとう」で、そこがお兄ちゃんには辛いだろうと思いました。お2人は、お若いので介護の経験はないでしょう?
長尾 祖父母はいますが、そこまでの介護はしていないです。
藤原 僕も未経験です。
―長尾さん、ご兄弟はいらっしゃいますか?
長尾 いません。ひとりっ子です。
―藤原さんは妹さんがいらっしゃるんですよね。
藤原 はい、そうです。姉もいます。
―女の子の間の男の子って特権階級みたいなものです(笑)。優遇されますよね。
長尾・藤原 (笑)そうですね。
藤原 たしかに、優遇という言い方はあれなんですけど、母からは可愛がってもらってたんじゃないかな、と思います。
―「しかたがないなぁ」と思いつつ弟は可愛い。お兄ちゃんは弟が生まれたとたん「お兄ちゃん」でいなくちゃいけなくて、それなのに…という辛さもあります。短い中にいろんなことが詰まっていて、監督さんがお若いのにこのお話、と驚きました。
藤原 僕もそう思いました。
長尾 うん。
―今振り返ってみて、印象に残っているシーンは?
藤原 最後に兄が弟に言う言葉ですね。封筒の。
あの台詞に白磯君が言いたかった兄弟の距離間というものが、全部詰まっているように思います。弟が東京で何をしてきたかということを知って、兄が問い詰めることもできた。でもそれを全部飲み込んで、あの台詞に全てを込めるっていうのがやりたかったことなんじゃないかな。
そのとき自分が演じていた和馬の表情も印象的だなと、自分自身思いました。
―まばたき多くなっていました。
藤原 (笑)
―お兄ちゃんはいかがでしょうか?
長尾 僕はその前夜の2人でタバコを吸うところ。弟がどういう時間を過ごして店の前に出てきたのか、言葉を用意していたのか、しなかったのかという2人の関係。兄ははじめ、次の日に行くことがわかっているのかいないのか。2人のあいだにたゆたう時間、とても印象的でしたね。
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―この映画で耳に残ったのが、2人が呼ぶ「母ちゃん」なんです。いいな、と思いました。お2人差支えなかったら、お母さんを何と呼んでいらっしゃるか教えてください。
藤原 僕は「かあちゃん」って呼んでますね。
―映画と同じですね。長尾さんは?
長尾 ○○子。さん付けするか、しないか。
―名前を呼ぶんですか?
藤原 長尾さんらしいですね。
長尾 そうかな? 十代から両親は名前で呼んでいます。
―それは、ご両親に言われたわけじゃなくて、自分で?
長尾 はい、自分で。家に来る友達もみんなそう呼んでいました。
―母親という役割より○○子さんが前に出ているって、すごく個人的というか欧米っぽいです。
長尾 反抗期のころで、所詮他人だろうっていうのもあって。その方が人として敬意をもって接することができるだろう、と。お袋っていうのもなんかちょっと。
藤原 父親のことを「親父」って呼べないな、呼んでみたいな、とかありますけど。「所詮他人だろう」っていうのは言い方を変えれば、他人として認識している。「母」ってあてはめちゃうとどうしても甘えが出てきちゃいますが、一人の他人だと認識することで敬意を持てる側面もあると思います。
―個人として尊重しているって感じがしますね。クールだ!とっても(笑)。
藤原 原田芳雄さんも自分の息子に下の名前で呼ばせてたって。
長尾 そうなんだ。
―監督が俳優を選ぶように、俳優も作品を選びますね。そのときに決め手になるものはなんですか?
藤原 やっぱり最初に脚本。その次に過去の作品。スタッフ、で最後にキャストですね。
―自分のほかに誰が出るかということですね。自分の役柄についてこだわりはありますか?
藤原 それよりも、その役柄がその作品にどういった影響を及ぼしているかとか、作品のことをまずは考えて、小さい役でもそれに参加すべきだなと思ったら参加します。
―例えば快楽殺人犯の役とか、自分はちょっとと思うことは?
藤原 新しい感情とか、新しい自分に出逢えるチャンスがあるなら僕は飛び込みたい、と思っています。
―おお、チャレンジャーです! 長尾さんは?
長尾 監督含め、撮りたい方々が…なんとなくこういうと生意気かもしれないですけど、今の世の中に対してどう思っているかということが感じられると嬉しいですね。参加する身としては。自分が生きている環境、取り巻いている世界に対して、どういうものを持って表現したいかを、監督、脚本から感じ取れると参加させてもらえる意義を感じる気がします。
―監督さんにもよると思いますが、たとえば自分の役作りでたくさんディスカッションしたいほうですか? 任されたいほうですか?
長尾 どっちでも(笑)。
藤原 長尾さん結構、「向こうが望むなら僕はするし」という、なんかいい意味での受け入れというか、懐の深さがある人だなと現場で思いました。
―受け入れる間口広いんですね。かなり広いんですか?
長尾 それで季節くんをとまどわせてしまったかも(笑)。
藤原 最初とまどいました。
―広いと嬉しくないですか?ストライクゾーン広くて、どんなのも受け止めてくれる。
藤原 多少イラっとすることとか、これは言わなきゃっていうことも長尾さんは絶対言わない。全部受け止める。この人何考えてるんだろうと、最初思いましたね。
長尾(笑)
―映画の中村兄弟みたいですね。
藤原 そうですね。スタッフが映画を撮ったことのないチームだったので、最初はやり方がわからない中でしたが、3,4日経つと長尾さんや僕が望んでいた動き方に自然となっていきました。お芝居の中で起きたことを撮る。最初は「撮る」ことが目的なんですけど、僕たち2人の中で起きたことを撮ろうという流れに変わっていったんです。まずお芝居を見てから、何を撮るか考えよう、みんなでって。それは長尾さんが初日から黙っていたことで、自然発生的に起きていったことでしたね。
―呼び水。黙って。
長尾 そんなたいそうなもんじゃない(笑)。
―ご本人はそんなに意識しないでやっていたんでしょうか?
長尾 しないと言ったらウソになるかと思うんですけど。なんか見ないようにしようと思って(笑)、変な言い方だけど。
IMG_6919.jpg
―では最後にこの映画のテーマのひとつでもある「消えてほしくないもの」はなんですか?パッと思いついたことを。
藤原 パッと思いつくもの。手書きの手紙とか捨てられないです。新しくいろんなものが生まれていって、人の体温の残っている直筆の手紙は減っていくのかもしれないですけど、消えてほしくないなと思いますね。
―お母さんからの手紙はとってあるんですか?
藤原 ずーっと全部とってあります。捨てられないです。
―10年分?! お返事は出しています?
藤原 出してませんね。
―親って手紙すごく待っているんですよ。
藤原 そうですよね、書いてみます。やっぱりメールとかと違いますよね。
―違いますよー。お母さんを思って時間かけて書くんですから。
ハガキでいいですし、何と書いてあったって親は嬉しいものです。
藤原 はい、わかりました。
―長尾さんの消えてほしくないものは?
長尾 僕は「家族との思い出」ですかね。ぱっと思い浮かぶのは。どこかに行ったとか忘れてることって意外とたくさんあるなと思って。
―思い出は自分だけのものですものね。形のあるものでは何か?
長尾 その辺の再開発で、好きだった古くからの料理屋さんとかがなくなるのはとっても悲しい。
藤原 「家族との思い出」ってハッとしますね。全部消えていくものじゃないですか。
長尾 うんうん。
藤原 なんか切ないですね。それは。
―この映画で、お母さんが忘れていってしまうのにも繫がりますよね。和馬とお兄ちゃんにも。
藤原 それをわかったうえで「家族の思い出」って着想する長尾さんにぐっとくるものがあります。
長尾(笑)
―素敵なお答えをいただけました。ありがとうございました。
大阪桐蔭の「主将力」 礎を築いた歴代屈指の主将がコーチで復帰
3月18日開幕の第94回選抜高校野球大会に出場する大阪桐蔭に「歴代屈指の主将」がコーチに就任した。2014年夏の甲子園で優勝し、「主将力」が注目された中村誠さん(25)だ。社会人野球の選手を昨年限りで引退。母校の西谷浩一監督(52)から声をかけられ、指導者として戻った。中村さんは「母校で指導できると思っていなかったので、すごくありがたい。選手と一緒に成長していきたい」と第二の野球人生をスタートさせた。
17年センバツで優勝し、慶大でも主将を務めた福井章吾、18年の甲子園で春夏連覇を達成し、今年は早大の主将を務める中川卓也など近年、大阪桐蔭のキャプテンのリーダーシップが注目されている。西谷監督が「中村誠の頃から言われるようになった」と認めるように、「主将力」の礎を築いたのが中村さんだ。
福岡県出身。大阪桐蔭に入学した12年にチームは藤浪晋太郎(阪神)や森友哉(西武)を擁して春夏連覇を達成し、翌年も春夏の甲子園に出場した。その秋に主将に就任した中村さんは「普通にやれば、センバツに出られる」と楽観していたが、甘かった。秋季大阪大会4回戦でライバルの履正社に1―13で五回コールド負け。「主将を辞めて福岡に帰ろう」と思うほど打ちのめされた。
どん底からはい上がれたのは、西谷監督の一言があったからだ。「お前の思ったことがチームの意見になる。強い心を持ってどんどん指示を出せ」。周囲に気を使う性格だった中村さんは腹をくくった。ランニングや声出し、掃除や荷物運びなどすべて先陣を切って動いた。一方で、仲間にも厳しく接した。同学年には香月一也(巨人)、正随優弥(広島)のように後にプロに進んだ選手もいたが、「先輩と比べて、スター選手がいなかったので、チーム力で勝つしかなかった」。束になって戦う集団になり、14年の春季大阪大会から、中村さんが優勝を決める一打を放った夏の甲子園決勝まで公式戦24連勝を果たした。
進学した日体大では指導者になることを見据えて、保健体育の教員免許を取得。指導者になる上で大きな財産になったのは、社会人野球の日本製鉄かずさマジック(千葉県君津市)に在籍した3年間だ。
元々は外野手だが、1年目は内野手に挑戦。オフには捕手への転向を打診された。捕手経験は「中学の最初まで」だったため、西谷監督に相談した。捕手出身の恩師は「無理やろ」と一度は電話を切ったが、一晩考えて中村に連絡した。「将来、指導者になった時、内野の話も捕手の話もできる。こんなにいい経験はできない」と勧めた。
捕手に挑戦した中村はレギュラーの座をつかめず、勝負の3年目と位置づけた昨年も結果を残せなかったため、現役を引退した。だが、悔いはない。「捕手としてサインプレーで内野を動かし、配球で守備位置を変えるなど野球観が広がった」と感謝する。
3月からコーチ兼寮監として母校で指導する。まず始めたのは約40人いる部員の顔と名前を一致させることだ。「『1週間で覚えるから、寮で名札をつけてほしい』と頼んだ。そう言えば、僕も絶対に覚えないといけない」と笑う。自身を追い込んで必死に取り組む姿は高校時代と変わらない。高校野球をけん引する大阪桐蔭で歴代でも指折りの主将が今度は指導者としてどう選手に向き合うのか。
中村さんは言う。「人とのつながりがあって今、僕はここにいる。技術を教えるのはもちろんだが、社会に出たらメンバー、メンバー外は関係ない。社会に通じる人間を育てるために僕も一緒に常に学びたい」。指導者としての信念だ。
3月18日開幕の第94回選抜高校野球大会に出場する大阪桐蔭に「歴代屈指の主将」がコーチに就任した。2014年夏の甲子園で優勝し、「主将力」が注目された中村誠さん(25)だ。社会人野球の選手を昨年限りで引退。母校の西谷浩一監督(52)から声をかけられ、指導者として戻った。中村さんは「母校で指導できると思っていなかったので、すごくありがたい。選手と一緒に成長していきたい」と第二の野球人生をスタートさせた。
17年センバツで優勝し、慶大でも主将を務めた福井章吾、18年の甲子園で春夏連覇を達成し、今年は早大の主将を務める中川卓也など近年、大阪桐蔭のキャプテンのリーダーシップが注目されている。西谷監督が「中村誠の頃から言われるようになった」と認めるように、「主将力」の礎を築いたのが中村さんだ。
福岡県出身。大阪桐蔭に入学した12年にチームは藤浪晋太郎(阪神)や森友哉(西武)を擁して春夏連覇を達成し、翌年も春夏の甲子園に出場した。その秋に主将に就任した中村さんは「普通にやれば、センバツに出られる」と楽観していたが、甘かった。秋季大阪大会4回戦でライバルの履正社に1―13で五回コールド負け。「主将を辞めて福岡に帰ろう」と思うほど打ちのめされた。
どん底からはい上がれたのは、西谷監督の一言があったからだ。「お前の思ったことがチームの意見になる。強い心を持ってどんどん指示を出せ」。周囲に気を使う性格だった中村さんは腹をくくった。ランニングや声出し、掃除や荷物運びなどすべて先陣を切って動いた。一方で、仲間にも厳しく接した。同学年には香月一也(巨人)、正随優弥(広島)のように後にプロに進んだ選手もいたが、「先輩と比べて、スター選手がいなかったので、チーム力で勝つしかなかった」。束になって戦う集団になり、14年の春季大阪大会から、中村さんが優勝を決める一打を放った夏の甲子園決勝まで公式戦24連勝を果たした。
進学した日体大では指導者になることを見据えて、保健体育の教員免許を取得。指導者になる上で大きな財産になったのは、社会人野球の日本製鉄かずさマジック(千葉県君津市)に在籍した3年間だ。
元々は外野手だが、1年目は内野手に挑戦。オフには捕手への転向を打診された。捕手経験は「中学の最初まで」だったため、西谷監督に相談した。捕手出身の恩師は「無理やろ」と一度は電話を切ったが、一晩考えて中村に連絡した。「将来、指導者になった時、内野の話も捕手の話もできる。こんなにいい経験はできない」と勧めた。
捕手に挑戦した中村はレギュラーの座をつかめず、勝負の3年目と位置づけた昨年も結果を残せなかったため、現役を引退した。だが、悔いはない。「捕手としてサインプレーで内野を動かし、配球で守備位置を変えるなど野球観が広がった」と感謝する。
3月からコーチ兼寮監として母校で指導する。まず始めたのは約40人いる部員の顔と名前を一致させることだ。「『1週間で覚えるから、寮で名札をつけてほしい』と頼んだ。そう言えば、僕も絶対に覚えないといけない」と笑う。自身を追い込んで必死に取り組む姿は高校時代と変わらない。高校野球をけん引する大阪桐蔭で歴代でも指折りの主将が今度は指導者としてどう選手に向き合うのか。
中村さんは言う。「人とのつながりがあって今、僕はここにいる。技術を教えるのはもちろんだが、社会に出たらメンバー、メンバー外は関係ない。社会に通じる人間を育てるために僕も一緒に常に学びたい」。指導者としての信念だ。
#春天的约定 习习春风润草原#【穿越历史烟云 开放天高地阔】不知不觉间,又一个充满希望的春天如约而至。
时值3月,春光明媚。内蒙古传出振奋人心的消息:全区进出口贸易额连续4年突破千亿元。
历史长河,奔流不息;开放之船,破浪前行。
打造我国向北开放重要桥头堡,是习近平总书记和党中央为我区确定的战略定位。
按照战略定位,自治区党委提出:“内蒙古讲大局、担使命,必须肩负起、履行好服务国家经略周边和对外开放战略的重大政治责任。”
牢记嘱托、勇担使命,内蒙古一以贯之感恩奋进、笃行不怠,向北开放的潮流波澜壮阔!
与时俱进——开放发展一往无前
春为岁首,携希望和梦想出发。
2月14日,一列由合肥市开出的满载整装汽车的中欧班列抵达二连浩特口岸。
通关中,海关关员启用新舱单系统,不到10分钟便操作完成海关放行作业……转瞬间,班列从国门呼啸而出,驶向俄罗斯巴扎伊哈港。
一个瞬间,浓缩出内蒙古一往无前的开放图谱。
2022年,是中欧班列开行的第11个年头。在此过程中,随着一批对外开放工程竣工和内蒙古全速融入“一带一路”,全区口岸进出境中欧班列持续扩容。
2021年,二连浩特、满洲里口岸进出境中欧班列增至近7000列,同比增长15%以上,全区口岸过境中欧班列占全国的近50%。
穿越历史烟云,开放天高地阔。300多年前,骆驼商队由内地行经归化、二连浩特,蜿蜒向北……如今,驼队变身欧亚大陆上呼啸穿梭的“钢铁巨龙”。
时空转换,不变的是开放带来的一路芳华。2021年,全区口岸过境中欧班列同比增长13.3%。
岂止是中欧班列?
随着乌兰察布七苏木保税物流中心、鄂尔多斯综合保税区和全区4个跨境电商综合试验区等开放平台的投运,我区贯通东西、辐射南北、通达海外的开放格局初步形成。
随着中蒙二连浩特边民互市贸易区等重点开放项目的投运,随着满洲里、二连浩特国家重点开发开放试验区建设全面提速,我区以口岸带动向北开放的步履更加稳健。
为什么要这样?内蒙古横跨“三北”、外接俄蒙、内邻八省区,拥有独特的区位、市场优势。
凭此优势,内蒙古与时俱进、多措并举打造“我国向北开放重要桥头堡”。
高效服务——设立中欧班列优先查验、无接触查验专用通道,口岸车辆通关时间比2017年缩短50%。
设施先行——滨洲铁路电气化改造等大批口岸基础设施项目投运,鄂尔多斯、满洲里机场开通第五航权航线。
优化环境——取消过磅费、口岸设施维护费和铁路货运杂费,开展“一窗受理”“智慧边检”等通关行动。
一系列政策措施“组团”发力,促成全区对外贸易稳中有进。2021年,内蒙古外贸进出口总额1235.6亿元,同比增长17.2%。
开放发展,没有休止符。借助跨境电商综合试验区与全区已建成的15个国家级外贸转型升级基地,2021年全区跨境电商贸易额突破4.5亿元。
联通内外——开放画卷波澜壮阔
按下时光“回退键”,历史与发展不期而遇。
2021年12月28日,巴彦淖尔市通往蒙古国的第二条供电线路正式投入运行。
至此,乌拉特中旗风电场、光伏发电场的绿色清洁电能通过铁塔银线源源不断输至蒙古国南戈壁省及周边地区。
翻开自治区向北开放画卷,堪称风光无限、波澜壮阔。
2022年2月17日,满载货物的车队行至甘其毛都口岸,经过检疫和智能称重等程序后,车辆迅即通关,入境几近不停。
“以前,办理缴税等手续费时费力。现在,智慧化管理设施启用后,手续提前审结,通关只需十几秒。”乌拉特海关监管一科科长赵华介绍。
“风光无限”,凭的是联通内外、辐射周边的使命担当与奋斗。鄂尔多斯、包头等地航空口岸建成开放后,我区开放口岸增至20个,初步形成铁路、公路、航空三位一体的立体化设施联通体系。仅“十三五”期间,全区投入口岸建设资金74亿元,口岸通道设施明显改善,口岸累计通关货物4亿多吨。
奋斗,是连接现实与梦想的桥梁。如果说,口岸设施建设为开放搭建了“高速路”,那么,不断优化的营商环境就让进出口企业吃下了“定心丸”。
疫情大考背景下,我区全面推行货物进出口许可证网上办理与“不见面”服务,并通过清理进出口环节不合理收费,每年为通关企业减负4亿多元……
奋斗之路上,内蒙古志在把区位优势转化为开放优势、发展优势——以设施互联互通和优化营商环境推进通关便利化,完善同俄蒙合作机制,积极参与中蒙俄经济走廊建设,深度融入“一带一路”,在跨境电网建设和医疗、旅游等领域持续深化合作。
国之交在于民相亲。联通内外、充满希望的奋斗之路上,蒙医药成为中蒙俄民间交流重要纽带。内蒙古国际蒙医医院已累计接诊3万多蒙古国患者,内蒙古民族大学附属医院乌兰巴托分院正式成立。
“我们分批选派蒙医药专家到乌兰巴托分院诊疗,深受蒙古国民众欢迎。”内蒙古民族大学附属医院院长布仁巴图说。
一个“欢迎”,道出内蒙古开放发展的强大生命力!
继往开来——开放之路伸向远方
奋斗的荣光格外耀眼,收获的喜悦鼓舞人心。
“我们从俄罗斯进口的木材都在乌兰察布家居产业园深加工。木材转入七苏木保税物流中心后,按规定可暂缓缴税,缓解了企业资金压力,圆了企业在疫情形势下的发展梦。”从事进口木材深加工业务的内蒙古嘉泽木业有限公司总经理郭进海说。
实干托起梦想。几年来,乌兰察布市与二连浩特市、满洲里市联手发展泛口岸经济。如今,众多木材加工企业聚集在乌兰察布家居产业园,资源与产业集聚集约发展红利持续释放,进口木材加工、产品生产销售的全产业链已具雏形。
乌兰察布市地处内陆腹地,但在做好开放这篇文章上底气十足。陆路通道方面,与俄蒙合作建成乌兰察布——乌兰巴托——乌兰乌德“三乌通道”;出海通道方面,与天津港、曹妃甸港合作建成内陆港,打通了多式联运、跨境双向物流大通道,是俄蒙产品成本最低的“出海口”;航空通道方面,集宁机场完成航站楼国际流程改造。
也因此,乌兰察布上榜“中国外贸百强城市”榜。而以满洲里、二连浩特、乌兰察布等为枢纽,我区正在构建形成口岸带动、腹地支撑、边腹互动的对外开放新格局。
时间无声,奋斗有痕。岂止是乌兰察布?又岂止是木材?放眼全区,一幅幅开放长卷壮美如画,广阔无垠的开放发展康庄大道伸向远方、直通未来!
——阿拉善盟建成世界最大的高端靛蓝生产基地,全球每10条经典“蓝”牛仔裤,有9条用阿拉善的靛蓝剂染成。
——“中国乳都”呼和浩特市走出的伊利,乳品产销研发链由“一带一路”沿线延伸至五大洲及国内200多个地市。
——包头市成为世界最大的稀土钢轨生产基地,“一带一路”沿线60多国和国内几十条铁路都有“包钢制造”。
——“中国蒙医药之都”通辽市,蒙医药产品惠及国内多地和“一带一路”沿线10多个国家和地区居民。
——通过口岸与电商平台,巴彦淖尔市“天赋河套”绿色农畜产品畅销全球90多个国家和地区。
人间正道,浩荡前行。积极融入共建“一带一路”,主动服务国内国际“双循环”,内蒙古正以资源集聚集散、要素融汇融通的全域开放行动,奏响“全方位扩大对外开放”的时代强音!
开放路上,播下希望,收获笑声。目前,我区已与蒙古、俄罗斯、澳大利亚等183个国家和地区牵手建立了贸易“朋友圈”。
开放,是一部高质量发展史诗。一路走来,内蒙古向“一带一路”沿线国家新增输出产品主要以清洁电力、高铁钢轨、高端乳品、新材料等高技术产品为主。
纵横正有凌云笔,开放路上谱新篇。
继往开来,路在脚下延伸。自治区第十一次党代会上,内蒙古全方位扩大对外开放的决策部署放眼未来:“把区位优势更好转化为开放优势、发展优势,打造我国内陆开放高地和沿边开放重要支点。”
任重道远,行则必达。站在过去和未来的交汇点上,凭着全方位开放的坚定信念,内蒙古正用奋斗之笔书写精彩篇章,敞开胸怀拥抱高质量开放的八面来风!(内蒙古日报记者 杨帆 高慧)
时值3月,春光明媚。内蒙古传出振奋人心的消息:全区进出口贸易额连续4年突破千亿元。
历史长河,奔流不息;开放之船,破浪前行。
打造我国向北开放重要桥头堡,是习近平总书记和党中央为我区确定的战略定位。
按照战略定位,自治区党委提出:“内蒙古讲大局、担使命,必须肩负起、履行好服务国家经略周边和对外开放战略的重大政治责任。”
牢记嘱托、勇担使命,内蒙古一以贯之感恩奋进、笃行不怠,向北开放的潮流波澜壮阔!
与时俱进——开放发展一往无前
春为岁首,携希望和梦想出发。
2月14日,一列由合肥市开出的满载整装汽车的中欧班列抵达二连浩特口岸。
通关中,海关关员启用新舱单系统,不到10分钟便操作完成海关放行作业……转瞬间,班列从国门呼啸而出,驶向俄罗斯巴扎伊哈港。
一个瞬间,浓缩出内蒙古一往无前的开放图谱。
2022年,是中欧班列开行的第11个年头。在此过程中,随着一批对外开放工程竣工和内蒙古全速融入“一带一路”,全区口岸进出境中欧班列持续扩容。
2021年,二连浩特、满洲里口岸进出境中欧班列增至近7000列,同比增长15%以上,全区口岸过境中欧班列占全国的近50%。
穿越历史烟云,开放天高地阔。300多年前,骆驼商队由内地行经归化、二连浩特,蜿蜒向北……如今,驼队变身欧亚大陆上呼啸穿梭的“钢铁巨龙”。
时空转换,不变的是开放带来的一路芳华。2021年,全区口岸过境中欧班列同比增长13.3%。
岂止是中欧班列?
随着乌兰察布七苏木保税物流中心、鄂尔多斯综合保税区和全区4个跨境电商综合试验区等开放平台的投运,我区贯通东西、辐射南北、通达海外的开放格局初步形成。
随着中蒙二连浩特边民互市贸易区等重点开放项目的投运,随着满洲里、二连浩特国家重点开发开放试验区建设全面提速,我区以口岸带动向北开放的步履更加稳健。
为什么要这样?内蒙古横跨“三北”、外接俄蒙、内邻八省区,拥有独特的区位、市场优势。
凭此优势,内蒙古与时俱进、多措并举打造“我国向北开放重要桥头堡”。
高效服务——设立中欧班列优先查验、无接触查验专用通道,口岸车辆通关时间比2017年缩短50%。
设施先行——滨洲铁路电气化改造等大批口岸基础设施项目投运,鄂尔多斯、满洲里机场开通第五航权航线。
优化环境——取消过磅费、口岸设施维护费和铁路货运杂费,开展“一窗受理”“智慧边检”等通关行动。
一系列政策措施“组团”发力,促成全区对外贸易稳中有进。2021年,内蒙古外贸进出口总额1235.6亿元,同比增长17.2%。
开放发展,没有休止符。借助跨境电商综合试验区与全区已建成的15个国家级外贸转型升级基地,2021年全区跨境电商贸易额突破4.5亿元。
联通内外——开放画卷波澜壮阔
按下时光“回退键”,历史与发展不期而遇。
2021年12月28日,巴彦淖尔市通往蒙古国的第二条供电线路正式投入运行。
至此,乌拉特中旗风电场、光伏发电场的绿色清洁电能通过铁塔银线源源不断输至蒙古国南戈壁省及周边地区。
翻开自治区向北开放画卷,堪称风光无限、波澜壮阔。
2022年2月17日,满载货物的车队行至甘其毛都口岸,经过检疫和智能称重等程序后,车辆迅即通关,入境几近不停。
“以前,办理缴税等手续费时费力。现在,智慧化管理设施启用后,手续提前审结,通关只需十几秒。”乌拉特海关监管一科科长赵华介绍。
“风光无限”,凭的是联通内外、辐射周边的使命担当与奋斗。鄂尔多斯、包头等地航空口岸建成开放后,我区开放口岸增至20个,初步形成铁路、公路、航空三位一体的立体化设施联通体系。仅“十三五”期间,全区投入口岸建设资金74亿元,口岸通道设施明显改善,口岸累计通关货物4亿多吨。
奋斗,是连接现实与梦想的桥梁。如果说,口岸设施建设为开放搭建了“高速路”,那么,不断优化的营商环境就让进出口企业吃下了“定心丸”。
疫情大考背景下,我区全面推行货物进出口许可证网上办理与“不见面”服务,并通过清理进出口环节不合理收费,每年为通关企业减负4亿多元……
奋斗之路上,内蒙古志在把区位优势转化为开放优势、发展优势——以设施互联互通和优化营商环境推进通关便利化,完善同俄蒙合作机制,积极参与中蒙俄经济走廊建设,深度融入“一带一路”,在跨境电网建设和医疗、旅游等领域持续深化合作。
国之交在于民相亲。联通内外、充满希望的奋斗之路上,蒙医药成为中蒙俄民间交流重要纽带。内蒙古国际蒙医医院已累计接诊3万多蒙古国患者,内蒙古民族大学附属医院乌兰巴托分院正式成立。
“我们分批选派蒙医药专家到乌兰巴托分院诊疗,深受蒙古国民众欢迎。”内蒙古民族大学附属医院院长布仁巴图说。
一个“欢迎”,道出内蒙古开放发展的强大生命力!
继往开来——开放之路伸向远方
奋斗的荣光格外耀眼,收获的喜悦鼓舞人心。
“我们从俄罗斯进口的木材都在乌兰察布家居产业园深加工。木材转入七苏木保税物流中心后,按规定可暂缓缴税,缓解了企业资金压力,圆了企业在疫情形势下的发展梦。”从事进口木材深加工业务的内蒙古嘉泽木业有限公司总经理郭进海说。
实干托起梦想。几年来,乌兰察布市与二连浩特市、满洲里市联手发展泛口岸经济。如今,众多木材加工企业聚集在乌兰察布家居产业园,资源与产业集聚集约发展红利持续释放,进口木材加工、产品生产销售的全产业链已具雏形。
乌兰察布市地处内陆腹地,但在做好开放这篇文章上底气十足。陆路通道方面,与俄蒙合作建成乌兰察布——乌兰巴托——乌兰乌德“三乌通道”;出海通道方面,与天津港、曹妃甸港合作建成内陆港,打通了多式联运、跨境双向物流大通道,是俄蒙产品成本最低的“出海口”;航空通道方面,集宁机场完成航站楼国际流程改造。
也因此,乌兰察布上榜“中国外贸百强城市”榜。而以满洲里、二连浩特、乌兰察布等为枢纽,我区正在构建形成口岸带动、腹地支撑、边腹互动的对外开放新格局。
时间无声,奋斗有痕。岂止是乌兰察布?又岂止是木材?放眼全区,一幅幅开放长卷壮美如画,广阔无垠的开放发展康庄大道伸向远方、直通未来!
——阿拉善盟建成世界最大的高端靛蓝生产基地,全球每10条经典“蓝”牛仔裤,有9条用阿拉善的靛蓝剂染成。
——“中国乳都”呼和浩特市走出的伊利,乳品产销研发链由“一带一路”沿线延伸至五大洲及国内200多个地市。
——包头市成为世界最大的稀土钢轨生产基地,“一带一路”沿线60多国和国内几十条铁路都有“包钢制造”。
——“中国蒙医药之都”通辽市,蒙医药产品惠及国内多地和“一带一路”沿线10多个国家和地区居民。
——通过口岸与电商平台,巴彦淖尔市“天赋河套”绿色农畜产品畅销全球90多个国家和地区。
人间正道,浩荡前行。积极融入共建“一带一路”,主动服务国内国际“双循环”,内蒙古正以资源集聚集散、要素融汇融通的全域开放行动,奏响“全方位扩大对外开放”的时代强音!
开放路上,播下希望,收获笑声。目前,我区已与蒙古、俄罗斯、澳大利亚等183个国家和地区牵手建立了贸易“朋友圈”。
开放,是一部高质量发展史诗。一路走来,内蒙古向“一带一路”沿线国家新增输出产品主要以清洁电力、高铁钢轨、高端乳品、新材料等高技术产品为主。
纵横正有凌云笔,开放路上谱新篇。
继往开来,路在脚下延伸。自治区第十一次党代会上,内蒙古全方位扩大对外开放的决策部署放眼未来:“把区位优势更好转化为开放优势、发展优势,打造我国内陆开放高地和沿边开放重要支点。”
任重道远,行则必达。站在过去和未来的交汇点上,凭着全方位开放的坚定信念,内蒙古正用奋斗之笔书写精彩篇章,敞开胸怀拥抱高质量开放的八面来风!(内蒙古日报记者 杨帆 高慧)
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