电视剧《人世间》中有很多老演员,演技派,但能真正使我眼前一亮且印象深刻的演员是水自流的扮演者孙之鸿。他一出场就很有氛围感, 把水自流那不阴不阳的阴郁气质和很有压迫感的气场演绎的淋漓尽致。可我刷了两遍《人世间》,竟都不知道水自流原来是个瘸子!只怪演员孙之鸿把水自流这个角色诠释得太有魅力了,以致于让人忽略了他原来是瘸子。网友直呼感觉水哥有点国荣哥哥的味道。长相是没有几分相似,但气质真的有点像。他真的像张国荣哥哥一样,有一种儒雅的气质。水自流一出场,不禁令人内心就感叹:好一个温润如玉的公子!脸上似有似无的微笑,能温暖到人的内心深处。第一集穿着那个大衣,有气质的让我以为他是个什么落魄的少爷。可他大哥般的行事作风,一出场就觉得不太像好人,郑娟说水自流很精明,可越看到最后越喜欢他,温柔,性格好,有耐心,有格局,有是非观。抽最帅的烟,说最仗义的话,干最爷们的事。在剧版《人世间》里,水自流的出场方式极具江湖侠士之风范,为了让好兄弟走的体面,铤而走险为其送行。而后为了接济好兄弟的遗孀-郑娟,每月都会送钱,一送就是好几年,直至入狱才中断。这人给人的感觉就是太仗义了!不仅如此还非常有大哥的做派,做事有勇有谋,处事冷静,看人神准。要没他那毒辣的眼光,一眼“相中”周秉昆,后面哪里会有周秉昆与郑娟这段绝美姻缘。骆士宾跟在水自流的身边就像个小跟班,随时准备给水哥打火递烟的那种。而水自流的扮演者孙之鸿,真是把水哥的气质与形象给拿捏得死死的了,观众纷纷被俘获。可是出狱后南下创业成功后的水哥,愈发让观众看得迷惑了,不但大哥风范不再,锋芒也收敛了,还反过来成了骆士宾的狗腿子。一开始就以又痞又拽又帅的形象气质迷倒万千观众的大哥水自流,怎么到了深圳发展后就沦为了QJ犯骆士宾的狗腿子了呢?!这叫观众一时半会如何能接受得了,曾经义薄云天的水哥,如今变成了慈祥的投资人。观众疑惑的同时,也不禁质疑水哥这个角色是否被写崩了?其实不然,水哥原来是他们那个小团体的大哥,从骆士宾当时对他的态度就看得出来。水和骆出狱后去深圳发展,骆的胆子更大,路子更野,发展得比水更好,经济基础决定了他俩地位的颠倒。即便如此,水哥的本性一直没丢。为此,我认可有网友说水哥这个人物前后是统一的。他文化不高,但为人仁义,刑场犯忌送帽,坚持送钱给郑娟,创业带上能力一般的骆士宾。在利字当先的深圳管不好工厂,骆士宾摆布他也坚持不走,帮助骆士宾去协调儿子的事,为秉昆案子作证,都是同一个水自流,他的一生就是“仁义”两字,为此而进,因此所累。我觉得网友说得在理,水自流一直都是他。虽然但是,还是为剧版的水自流意难平!原著里的水自流是什么样的一个人呢?一个干着见不得光营生的黑道大哥,却没有地痞流氓的腌臜样。春燕给他修过脚,形容他绅士且彬彬有礼——会在洗浴中心规矩地穿着短裤背心,口中叨念着“麻烦您了”,不准强子当着姑娘的面抽烟,过后还不忘给两张五元的小费。后来金盆洗手,愈发像一个游走在城市烟火气中的出尘居士,威望不失,信义不失,连开的书店都是傲娇有格调的——“我进书有选择,翻一翻随手就扔的书我不进。”他后来对骆士宾的态度也很强硬,得知他是杀人凶手后就很是鄙视,更不会成为他抢儿子的帮凶。并且还觉得骆士宾就不配有这么优秀的儿子!可即便如此,他也没有就此跟骆士宾绝交,毕竟是一起出生入死过的兄弟。面子总是要给的,但不会多给,开书店不花他一分钱,即便是骆士宾想给他也婉拒了。这种清明与混沌交杂的人物让角色更丰满了,可越神秘,越让人忍不住狠狠窥探。如果剧版好好按原著拍,加之演员的形象和演技加持,相信水自流会更加出彩更带感。真的略显可惜了!
电视剧《人世间》中有很多老演员,演技派,但能真正使我眼前一亮且印象深刻的演员是水自流的扮演者孙之鸿。他一出场就很有氛围感, 把水自流那不阴不阳的阴郁气质和很有压迫感的气场演绎的淋漓尽致。可我刷了两遍《人世间》,竟都不知道水自流原来是个瘸子!只怪演员孙之鸿把水自流这个角色诠释得太有魅力了,以致于让人忽略了他原来是瘸子。网友直呼感觉水哥有点国荣哥哥的味道。长相是没有几分相似,但气质真的有点像。他真的像张国荣哥哥一样,有一种儒雅的气质。水自流一出场,不禁令人内心就感叹:好一个温润如玉的公子!脸上似有似无的微笑,能温暖到人的内心深处。第一集穿着那个大衣,有气质的让我以为他是个什么落魄的少爷。可他大哥般的行事作风,一出场就觉得不太像好人,郑娟说水自流很精明,可越看到最后越喜欢他,温柔,性格好,有耐心,有格局,有是非观。抽最帅的烟,说最仗义的话,干最爷们的事。在剧版《人世间》里,水自流的出场方式极具江湖侠士之风范,为了让好兄弟走的体面,铤而走险为其送行。而后为了接济好兄弟的遗孀-郑娟,每月都会送钱,一送就是好几年,直至入狱才中断。这人给人的感觉就是太仗义了!不仅如此还非常有大哥的做派,做事有勇有谋,处事冷静,看人神准。要没他那毒辣的眼光,一眼“相中”周秉昆,后面哪里会有周秉昆与郑娟这段绝美姻缘。骆士宾跟在水自流的身边就像个小跟班,随时准备给水哥打火递烟的那种。而水自流的扮演者孙之鸿,真是把水哥的气质与形象给拿捏得死死的了,观众纷纷被俘获。可是出狱后南下创业成功后的水哥,愈发让观众看得迷惑了,不但大哥风范不再,锋芒也收敛了,还反过来成了骆士宾的狗腿子。一开始就以又痞又拽又帅的形象气质迷倒万千观众的大哥水自流,怎么到了深圳发展后就沦为了QJ犯骆士宾的狗腿子了呢?!这叫观众一时半会如何能接受得了,曾经义薄云天的水哥,如今变成了慈祥的投资人。观众疑惑的同时,也不禁质疑水哥这个角色是否被写崩了?其实不然,水哥原来是他们那个小团体的大哥,从骆士宾当时对他的态度就看得出来。水和骆出狱后去深圳发展,骆的胆子更大,路子更野,发展得比水更好,经济基础决定了他俩地位的颠倒。即便如此,水哥的本性一直没丢。为此,我认可有网友说水哥这个人物前后是统一的。他文化不高,但为人仁义,刑场犯忌送帽,坚持送钱给郑娟,创业带上能力一般的骆士宾。在利字当先的深圳管不好工厂,骆士宾摆布他也坚持不走,帮助骆士宾去协调儿子的事,为秉昆案子作证,都是同一个水自流,他的一生就是“仁义”两字,为此而进,因此所累。我觉得网友说得在理,水自流一直都是他。虽然但是,还是为剧版的水自流意难平!原著里的水自流是什么样的一个人呢?一个干着见不得光营生的黑道大哥,却没有地痞流氓的腌臜样。春燕给他修过脚,形容他绅士且彬彬有礼——会在洗浴中心规矩地穿着短裤背心,口中叨念着“麻烦您了”,不准强子当着姑娘的面抽烟,过后还不忘给两张五元的小费。后来金盆洗手,愈发像一个游走在城市烟火气中的出尘居士,威望不失,信义不失,连开的书店都是傲娇有格调的——“我进书有选择,翻一翻随手就扔的书我不进。”他后来对骆士宾的态度也很强硬,得知他是杀人凶手后就很是鄙视,更不会成为他抢儿子的帮凶。并且还觉得骆士宾就不配有这么优秀的儿子!可即便如此,他也没有就此跟骆士宾绝交,毕竟是一起出生入死过的兄弟。面子总是要给的,但不会多给,开书店不花他一分钱,即便是骆士宾想给他也婉拒了。这种清明与混沌交杂的人物让角色更丰满了,可越神秘,越让人忍不住狠狠窥探。如果剧版好好按原著拍,加之演员的形象和演技加持,相信水自流会更加出彩更带感。真的略显可惜了!
KinKi Kids、CDデビュー25周年。ニューシングル「高純度romance」で松本隆が描いた2人の姿
text by その他
https://t.cn/A66Iu3dB
3月16日にリリースされる、KinKi Kids、44枚目のシングル「高純度romance」は、25年前、彼らのデビュー曲「硝子の少年」を手掛けた、松本隆による作詩である。CDデビュー25周年を迎えるこのアニヴァーサリーの始まりに、彼を起用した意味は大きい。この楽曲の歌詩について、昨年、松本隆50年の軌跡を追った評伝「風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年」(KADOKAWA)を上梓した音楽評論家、田家秀樹による考察を軸に「高純度romance」を分析する。2人を傍で、つかず離れず、ずっと見続けてきた人だからこそわかることがある。これは愛に溢れた1曲だ。
(これは『音楽と人』4月号に掲載された記事です)
松本さんらしい歌詩だな、という印象を受けました。
過剰な言葉も使わないし、説明もしないんだけど、何を唄いたいのかがすごくよくわかる。
〈絆〉ですよね。そしてこんな美しい曲なのに、美化してないし、綺麗事にもしていない。すごくリアリティがある。
〈引きこもってた日もあったよね/悩んだり凹んだり〉
何かを肯定する時に、こういう否定的なことも呼び込みながら、絶妙なバランスで書く。これは、松本隆の技以外の何者でもないですよ。
はっぴいえんどの頃からずっとそうなんですけど、松本さんは1曲の中で、光と影のどちらも書くんです。どちらかではなく全体を。すごくフラットに物を見ながら、その中にあるいろんなデコボコから目を背けない。そしてそれを肯定的に描けるから、嘘っぽさが全然ない。どんな人にも影があって、美しいだけじゃないことをわかって書いている。この曲は、言ってみれば結成25周年のお祝いソングですよね。そんなおめでたい曲に普通、〈引きこもってた日もあったよね〉なんて引き合いに出さないでしょう? でもそれが、この歌のリアリティに繋がっています。
有名なエピソードですけど、松本さんがKinKi Kidsのデビュー曲を依頼された時、なかなかジャニーさんからOKが出なかったんです。ミリオンヒットを獲れる曲という至上命令が出ていて、「Kissからはじまるミステリー」と「ジェットコースター・ロマンス」を先に書き上げていたものの、デビュー曲としてはOKがもらえなかった。煮詰まった松本さんが、仕事場の居間でテレビをつけたら偶然KinKi Kidsが唄っていて、その姿を見た松本さんは「あ、硝子の少年だ」と思った、と。
硝子は脆くて崩れやすく、だからこそピュアで透明、そして美しい。今回のタイトルの〈高純度〉とは、そういうことでもありますよね。この関係がこのままで壊れないでほしい、という願いもあったと思います。そこに松本さん自身を重ねたところもあるでしょうね。
松本さんが分身だと言ってる人が3人いるんです。細野晴臣、大滝詠一、筒美京平。きっと、自分とその人たちの間にあった、他の人にはわからない独特な関係性を、光一くんと剛くんの関係に見たんだと思います。ずっと傍にいるけど交わらない。でも絶対に離れられない。そして誰よりもお互いを理解してる。
だから、この人にはこうであってほしい、という願いが歌詩にこもってるんですよね。松本さんがそんなスタンスで歌詩を描いた唄い手は、おそらくKinKi Kidsと松田聖子さんだけだと思います。松田さんには、等身大の彼女より、ちょっとだけ大人なテーマの歌詩をつねに与えてきたんですよ。彼女は飛び抜けた歌唱力でそれを唄い、それによって、歌手としても人間としても大人になっていった。
KinKi Kidsもそうだと思うんです。デビューがいきなり「硝子の少年」じゃないですか。18歳で、自分たちのあり方のようなものを提示されて以降、その後の松本さんの歌詩は、つねに彼らの生き方のようなものを提示してきている気がします。「ボクの背中には羽根がある」も「スワンソング」もそう。そんな長年のいろんな積み重ねのうえに「高純度romance」が生まれている。それを思うと、25年という時間を背景に、大人になった2人に対し、その次、みたいなものを指し示してるのかもしれません。〈家庭〉という言葉もかなり踏み込んでるように聴こえますけど、でもそれが、さっき話したようなどんな人でも思い当たるリアリティを曲に与えてくれるんです。
〈純度高めの日々育んだ〉という一節もそうですね。つまり自分たちがやっている活動があって、お互いがその純度を高め続けている。プライドもあるし、自負もあるから折れない。そう簡単には交わらない。そんな状態で続けてきた彼らのことを、松本さんはちゃんと見てるということですよね。
そしてラストにある〈真実の蝶結び〉という言葉。〈蝶結び〉って、すぐ解けてしまう脆さがあるじゃないですか。ギュッと固く結ぶのではなく、綺麗だけど、紐を引いたらすぐに解けてしまう〈蝶結び〉。純度が高いからそれができるということでもあるし、そこに到達したということでもある。でも壊れやすいものでもある。これは「硝子の少年」にあった儚さ、脆さの象徴ですよね。そういうものが25年を経てもちゃんと結ばれている。
やはり松本さんがKinKi Kidsにずっと見ているのは、壊れそうで陰りのある、でもとても儚くて、ピュアな青春なんですよ。それを最初、近藤真彦さんに見たと思うんですけど、彼はソロだから、1人の人物の視点でしか描けない。KinKi Kidsはそこに2人の関係性が加わるから、近藤さんよりも歌で表現する視点が深くなる。そこにあの時代のいろんな青春群像が散りばめられているのが「硝子の少年」ですけど、それから25年経って、大人になった時に、いろんなことを言わなくてももういろいろ経験してるから、以前よりも言葉数が少なくなって、整理されて唄われていますね。
松本さんは作詞家として、太田裕美や寺尾聰、南佳孝や松田聖子の作品で、歌謡界で一時代を築いた後、89年から94年まで、作詞家としての活動を休憩するんですが、最前線に復帰したのがKinKi Kidsでした。おそらく松本さんは、2人と出会い、「硝子の少年」がミリオンヒットを飛ばし、代表曲として唄い継がれてきたことで、彼が70年代からずっと描いてきた〈青春の永遠性〉みたいなものを確信できたんじゃないでしょうか。つまり古い新しいは関係なく、みんなが持っているものなんだ、と。
松本さんの歌詩には、時折〈ジェームス・ディーン〉がモチーフとして出てきます。青春のシンボルとでも言うべきもので、矢沢永吉さんの「サブウェイ特急」や原田真二さんの「てぃーんずぶるーす」にも出てきます。若々しく孤独感があり、陰りもある。ジェームス・ディーンのそんなイメージが、松本さんの中にある普遍的な青春でしょう。それがKinKi Kidsにも繋がっているんですけど、さっきお話したように、ジェームス・ディーンは1人だけど、その精神を、2人の関係性として描けるのがKinKi Kidsなんだと思います。
ジェームス・ディーンは若くして亡くなっています。つまり孤独感や陰りというのは、それを抱えたまま死ぬことでしか永遠にならない。人によっては、歳を重ねるごとに、そういうものが失われていく。むしろそのほうが多い。でもKinKi Kidsは、2人の関係が続いていく中で、孤独や陰りが失われることがない。その素晴らしさがある。松本さんが描いてきた〈青春の永遠性〉。その先にあるものを彼らは見せてくれている。あんな硝子のように脆く、儚い美しさを湛えてきた2人の25年。この記念すべきアニヴァーサリーに書いた「高純度romance」は、松本さんが描きたかった世界観の集大成に近い。そして松本さんが、KinKi Kidsの2人に言いたかったであろう一言が、この曲の中にありました。
〈ほんとに愛してるよ〉
これが2人に伝えたかったことですよ。松本さんは大切なタイミングで、歌詩にそういうことを盛り込みますね。松田さんとのコンビを解消したアルバム『Citron』の最後の曲「林檎酒の日々」では〈もうさよならね〉と書いてますけど、それと同じです。この〈ほんとに愛してるよ〉は、松本さんがKinKi Kidsの2人に伝えたかったメッセージだと思います。
よく松本さんは「人の心を引きつける詞は、5%の真実と95%の想像から出来ている」とおっしゃっているんですが、その5%の真実が、25周年というタイミングもあって、そういうところににじみ出た気がします。それと、〈そんな時背中をポンと叩く/君の手に救われたのさ〉という一節は、ジャニーさんの病室で光一さんと剛さんが交わした光景を、KinKi Kidsとして歌にしていると編集長の金光さんから聞いたんですが(註:「YOU... ~ThanKs 2 YOU~」のKinKi Kidsヴァージョン。『KinKi Kids Concert Tour2019-2020 ThanKs 2 YOU』で披露)、松本さんはその話を知らなかったかもしれないですね。というのは、マーケットリサーチみたいなことをする人じゃないんですよ。人から聞かされたのなら別ですけど、自分から最近のKinKi Kidsについて細かく調べたりはしてないと思います。だとしたらすごい話ですけど、松本隆という人とKinKi Kidsの関係を知れば、そんな偶然もありそうだなと、そんな気持ちになりますね。
談=田家秀樹
構成=金光裕史
text by その他
https://t.cn/A66Iu3dB
3月16日にリリースされる、KinKi Kids、44枚目のシングル「高純度romance」は、25年前、彼らのデビュー曲「硝子の少年」を手掛けた、松本隆による作詩である。CDデビュー25周年を迎えるこのアニヴァーサリーの始まりに、彼を起用した意味は大きい。この楽曲の歌詩について、昨年、松本隆50年の軌跡を追った評伝「風街とデラシネ 作詞家・松本隆の50年」(KADOKAWA)を上梓した音楽評論家、田家秀樹による考察を軸に「高純度romance」を分析する。2人を傍で、つかず離れず、ずっと見続けてきた人だからこそわかることがある。これは愛に溢れた1曲だ。
(これは『音楽と人』4月号に掲載された記事です)
松本さんらしい歌詩だな、という印象を受けました。
過剰な言葉も使わないし、説明もしないんだけど、何を唄いたいのかがすごくよくわかる。
〈絆〉ですよね。そしてこんな美しい曲なのに、美化してないし、綺麗事にもしていない。すごくリアリティがある。
〈引きこもってた日もあったよね/悩んだり凹んだり〉
何かを肯定する時に、こういう否定的なことも呼び込みながら、絶妙なバランスで書く。これは、松本隆の技以外の何者でもないですよ。
はっぴいえんどの頃からずっとそうなんですけど、松本さんは1曲の中で、光と影のどちらも書くんです。どちらかではなく全体を。すごくフラットに物を見ながら、その中にあるいろんなデコボコから目を背けない。そしてそれを肯定的に描けるから、嘘っぽさが全然ない。どんな人にも影があって、美しいだけじゃないことをわかって書いている。この曲は、言ってみれば結成25周年のお祝いソングですよね。そんなおめでたい曲に普通、〈引きこもってた日もあったよね〉なんて引き合いに出さないでしょう? でもそれが、この歌のリアリティに繋がっています。
有名なエピソードですけど、松本さんがKinKi Kidsのデビュー曲を依頼された時、なかなかジャニーさんからOKが出なかったんです。ミリオンヒットを獲れる曲という至上命令が出ていて、「Kissからはじまるミステリー」と「ジェットコースター・ロマンス」を先に書き上げていたものの、デビュー曲としてはOKがもらえなかった。煮詰まった松本さんが、仕事場の居間でテレビをつけたら偶然KinKi Kidsが唄っていて、その姿を見た松本さんは「あ、硝子の少年だ」と思った、と。
硝子は脆くて崩れやすく、だからこそピュアで透明、そして美しい。今回のタイトルの〈高純度〉とは、そういうことでもありますよね。この関係がこのままで壊れないでほしい、という願いもあったと思います。そこに松本さん自身を重ねたところもあるでしょうね。
松本さんが分身だと言ってる人が3人いるんです。細野晴臣、大滝詠一、筒美京平。きっと、自分とその人たちの間にあった、他の人にはわからない独特な関係性を、光一くんと剛くんの関係に見たんだと思います。ずっと傍にいるけど交わらない。でも絶対に離れられない。そして誰よりもお互いを理解してる。
だから、この人にはこうであってほしい、という願いが歌詩にこもってるんですよね。松本さんがそんなスタンスで歌詩を描いた唄い手は、おそらくKinKi Kidsと松田聖子さんだけだと思います。松田さんには、等身大の彼女より、ちょっとだけ大人なテーマの歌詩をつねに与えてきたんですよ。彼女は飛び抜けた歌唱力でそれを唄い、それによって、歌手としても人間としても大人になっていった。
KinKi Kidsもそうだと思うんです。デビューがいきなり「硝子の少年」じゃないですか。18歳で、自分たちのあり方のようなものを提示されて以降、その後の松本さんの歌詩は、つねに彼らの生き方のようなものを提示してきている気がします。「ボクの背中には羽根がある」も「スワンソング」もそう。そんな長年のいろんな積み重ねのうえに「高純度romance」が生まれている。それを思うと、25年という時間を背景に、大人になった2人に対し、その次、みたいなものを指し示してるのかもしれません。〈家庭〉という言葉もかなり踏み込んでるように聴こえますけど、でもそれが、さっき話したようなどんな人でも思い当たるリアリティを曲に与えてくれるんです。
〈純度高めの日々育んだ〉という一節もそうですね。つまり自分たちがやっている活動があって、お互いがその純度を高め続けている。プライドもあるし、自負もあるから折れない。そう簡単には交わらない。そんな状態で続けてきた彼らのことを、松本さんはちゃんと見てるということですよね。
そしてラストにある〈真実の蝶結び〉という言葉。〈蝶結び〉って、すぐ解けてしまう脆さがあるじゃないですか。ギュッと固く結ぶのではなく、綺麗だけど、紐を引いたらすぐに解けてしまう〈蝶結び〉。純度が高いからそれができるということでもあるし、そこに到達したということでもある。でも壊れやすいものでもある。これは「硝子の少年」にあった儚さ、脆さの象徴ですよね。そういうものが25年を経てもちゃんと結ばれている。
やはり松本さんがKinKi Kidsにずっと見ているのは、壊れそうで陰りのある、でもとても儚くて、ピュアな青春なんですよ。それを最初、近藤真彦さんに見たと思うんですけど、彼はソロだから、1人の人物の視点でしか描けない。KinKi Kidsはそこに2人の関係性が加わるから、近藤さんよりも歌で表現する視点が深くなる。そこにあの時代のいろんな青春群像が散りばめられているのが「硝子の少年」ですけど、それから25年経って、大人になった時に、いろんなことを言わなくてももういろいろ経験してるから、以前よりも言葉数が少なくなって、整理されて唄われていますね。
松本さんは作詞家として、太田裕美や寺尾聰、南佳孝や松田聖子の作品で、歌謡界で一時代を築いた後、89年から94年まで、作詞家としての活動を休憩するんですが、最前線に復帰したのがKinKi Kidsでした。おそらく松本さんは、2人と出会い、「硝子の少年」がミリオンヒットを飛ばし、代表曲として唄い継がれてきたことで、彼が70年代からずっと描いてきた〈青春の永遠性〉みたいなものを確信できたんじゃないでしょうか。つまり古い新しいは関係なく、みんなが持っているものなんだ、と。
松本さんの歌詩には、時折〈ジェームス・ディーン〉がモチーフとして出てきます。青春のシンボルとでも言うべきもので、矢沢永吉さんの「サブウェイ特急」や原田真二さんの「てぃーんずぶるーす」にも出てきます。若々しく孤独感があり、陰りもある。ジェームス・ディーンのそんなイメージが、松本さんの中にある普遍的な青春でしょう。それがKinKi Kidsにも繋がっているんですけど、さっきお話したように、ジェームス・ディーンは1人だけど、その精神を、2人の関係性として描けるのがKinKi Kidsなんだと思います。
ジェームス・ディーンは若くして亡くなっています。つまり孤独感や陰りというのは、それを抱えたまま死ぬことでしか永遠にならない。人によっては、歳を重ねるごとに、そういうものが失われていく。むしろそのほうが多い。でもKinKi Kidsは、2人の関係が続いていく中で、孤独や陰りが失われることがない。その素晴らしさがある。松本さんが描いてきた〈青春の永遠性〉。その先にあるものを彼らは見せてくれている。あんな硝子のように脆く、儚い美しさを湛えてきた2人の25年。この記念すべきアニヴァーサリーに書いた「高純度romance」は、松本さんが描きたかった世界観の集大成に近い。そして松本さんが、KinKi Kidsの2人に言いたかったであろう一言が、この曲の中にありました。
〈ほんとに愛してるよ〉
これが2人に伝えたかったことですよ。松本さんは大切なタイミングで、歌詩にそういうことを盛り込みますね。松田さんとのコンビを解消したアルバム『Citron』の最後の曲「林檎酒の日々」では〈もうさよならね〉と書いてますけど、それと同じです。この〈ほんとに愛してるよ〉は、松本さんがKinKi Kidsの2人に伝えたかったメッセージだと思います。
よく松本さんは「人の心を引きつける詞は、5%の真実と95%の想像から出来ている」とおっしゃっているんですが、その5%の真実が、25周年というタイミングもあって、そういうところににじみ出た気がします。それと、〈そんな時背中をポンと叩く/君の手に救われたのさ〉という一節は、ジャニーさんの病室で光一さんと剛さんが交わした光景を、KinKi Kidsとして歌にしていると編集長の金光さんから聞いたんですが(註:「YOU... ~ThanKs 2 YOU~」のKinKi Kidsヴァージョン。『KinKi Kids Concert Tour2019-2020 ThanKs 2 YOU』で披露)、松本さんはその話を知らなかったかもしれないですね。というのは、マーケットリサーチみたいなことをする人じゃないんですよ。人から聞かされたのなら別ですけど、自分から最近のKinKi Kidsについて細かく調べたりはしてないと思います。だとしたらすごい話ですけど、松本隆という人とKinKi Kidsの関係を知れば、そんな偶然もありそうだなと、そんな気持ちになりますね。
談=田家秀樹
構成=金光裕史
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